WUG新章を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
全てのアイドル達に、聖夜の祝福を。天辺からどん底まで、すべての偶像達が歌い踊るクリスマスライブ。みんなちがって、みんないい。
エモいシチュエーションと曲のパワーでなんとかまとめていたが、それが乗っかるだけの土台が作れていたのか。しっくり来ないまま終わった。
というわけで最終回。WUGにフォーカスを絞るというか、横に広がっていく結論に合わせて色んなアイドルを映していく形となった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
それ自体は作品が目配せしていた方向なので、まとめに使うのは良いと思う。ただ、そこに辿り着くだけどベースの強さがないこと、展開が強引なことには引っかかる。
いつしかWUGを爆心地に、アイドル業界が広がる形となっていたが、それが可能な『外』へのアプローチがどれだけあったのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
『あった』という事になっていて、それを飲んで欲しいという要求は判る。そうでないとこの最終回は来ない。だが、それを可能にする具体的なエピソードの切れ味が足りない。
スパッと刺さるエピソードが多数あって、その過去全てが意味を持ってこその『集大成』であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
ラストでエモい歌に、台詞でテーマを垂れ流しにして、『はい、それがWUG新章です』と言われても、それは飲めない。それをいうだけの物語が蓄積されていない。
僕はそう感じた。
元々制作サイドが出してくる『こういうモノです』と、僕が感じ取る(つまり求める)『こういうモノだね』は、色んな要因でズレていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
形だけなぞるドラマの組み立て、息苦しい作画の不足、クリティカルにキャラを表現する1シーンの欠如。
それで生まれた乖離が、最後まで響いた最終回だった。
乗り越えるべき障壁して用意されたVドルに『勝てる理由』も、素朴な身体VS機械の二元論で、熱量もロジックも足りていなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
そも、『なんか追い込まれた状況』を生み出すための(文字通り)機械なのだから、そういうものは必要ないかもしれないが。
あと早坂がまたデウス・エクス・マキナやってた
各ライブ会場には熱気があり、歌があり、汗のきらめきがある。それは判る。そのランダムな身体性のうねりこそがライブであり、アイドルだということは。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
ただ、そこを繋げてより大きな波に、物語に変えていく結論を、主役サイド(というか作中誰も)持ち合わせていない。
アイドルはあくまで、自分の目の前のステージをやりきるだけ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
自分の中に大きな物語(ヴィジョン)を持って走るのがプロデューサーであり、白木や早坂である…というまとめ方なら、そのデカさにどっかで説得力を載せなきゃいけない。
奴らも一個の人間で、汗と体温の中でアイドルを求めていたと。
そう思える瞬間はなく、大人の理屈を子供の熱意がひっくり返し、資本による一極集中からファンサイドによる拡散分立へとアイドルの基礎構造が変わるカタルシスは、なんだかよく判らない通り過ぎる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
こういう結論にするのなら、もっとVドルが圧倒的にデカい存在だと尺使って見せてくれれば有難かった。
そもアイドルは『勝つ』ものではないし、アイドルの祭典が復活し、そこにVドルが参加するラストもそれを是認するだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
だが、話の構図自体は『勝ち負け』で語られる。地道で身体的なロコドルが『強く』て、デカくて空疎なVドル(あるいはI-1)は『弱い」と。
平等な分権を謳いつつ、語り口自体は『勝ち負け』により掛かるエモさの作り方が、なんかイヤだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
仙台空港跡地にあった熱気は、多分Vドルライブにもある。だけど、あそこの観客には顔がなく、WUGのお客さんは暖かくて優しい。その歪んだ世界認知が、なんかイヤだったのだ。
話の都合で『敵』を作っておいて、その内実に切り込むこともなく『勝ち負け』が決まってしまうシチュエーションが来て、『負け』を踏みにじることもなく収まりの良い結論に内包する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
Vドルの扱いは、このアニメの形式主義が一番色濃く出ていたと思う。機械だからって、負けて惨めにならんわけではない
大きい装置に切り捨てられた『敗者』として、しょぼくれた地方アイドルを扱ってきた(と僕は思っていた)このアニメは、自分たちの形式的な『勝利』を彩るために、負けるためだけの装置を要求するところに流れ着いてしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
それは狙ってない結末なんだろうが、とんでもない皮肉だと僕は思う。
そんな『勝ち』に支えられた到達点はやっぱなんともしっくり来ず、3Dモデルによるライブシーンも、そこにかぶさるテーマの朗読も、どうにも上滑りしていった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
そういう演出が最後に刺さるのは、やっぱキャラをキャラとして描き、彼らの人生を都合の悪さ含めて描ききれたときだけだろう。
とんでもなくちっぽけで、同時に世界のすべてを代言できるほど大きな存在。辿り着くべくして最高の舞台に上がった、人生の物語の主人公。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
クライマックスに必要な圧を、あのWUGから(僕は)感じなかった。
アイドルや青春を代表して何か言えるほどのパワーが、あのモノローグにはない(と僕は思った)
とまぁ、そういう風に感じた最終回であったし、そこにたどり着いてしまったシリーズであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
最初に感じた『普通』への気概は、色々あって『凡庸』に収まってしまった。アリモノのエモさをなぞるだけなぞって、『それで納得してください』という甘えた、物語になってしまった。
特別な存在としてWUGを切り取り、持ち上げる。その筆致はなにかぼんやりとしていて、この作品だけの体温も匂いも感じられなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
無印序盤のようにドロの味をつければ良いわけじゃないけど、それを抜くために輪郭のない存在にされても、僕は困る。どうあがいても、話の真ん中には主役がいるのだ。
『WUGはこういう存在で、こういう強さがある』と、一瞬でも感じられたなら、それを芯にして物語を飲み、自分の中で再構築も出来たと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
通して見て、そういう瞬間はなかった。萌芽はあっただけに、残念ではある。だが、新人三人娘含めてハッと胸を指す瞬間は、哀しいかななかったのだ。
そういう物語が何故生まれたかは、制作の内側にいない僕は分からない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
色々あったのだろうし、大変だったのだろう。監督よりもさらに上の部分、ゼニと指令を下ろしてくる所でネジレている感じも(勝手に)受けた。
そこには同情するし、監督がどーこー作品への愛情がどーこー言うのが有益とも思わない
ただ、無責任な一アニメ視聴者の立場としては、もう少し芯のあるもの、志の感じられる映像を見たかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
それを出すには物理的な基盤が必要で、思いだけでは何も描けないことに理解を示しつつ、あえて『同じ夢を見てみたかった』という残念を、ここに書き記しておく。
僕はアニメ見てるだけのクソニワカで、三次元のWUGちゃんとも、二次元のWUGという巨大な物語にも、関わりはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
そういう人間が、いろいろなカルマが拗れてしまったこの作品に何か言う資格なんぞないのだと思うが、しかしまぁ、TVで放送するというのはそういう層に引っかかる、ということもであろう
そういう冷淡で優しくないクソアニメヲタクの横っ面を、物語のビンタでひっぱたくようなアニメが、僕は見たかった。高望みと知りつつ、そう思っていたのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月7日
僕の身勝手な願いが叶わなかったことが残念ですが、なんとか走り終えた製作者達はお疲れ様でした。