イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ヴァイオレット・エヴァーガーデン:第2話『戻ってこない』感想

世界は光と花に満ちて、人は己を標す言葉を知らない。
美しき獣が人間の巷で行き直す方策を再獲得していくリハビリテーション・ファンタジー、その第2話です。
世界と物語の大枠、それを語るあまりに美しい筆致を叩きつけた第1話を補うように、ヴァイオレットのホームとなる職場の空気、そこに住まう女たちの欠損と優しさを追いかけるエピソードとなりました。
作品世界に咲き誇る百万のように、優れた所も劣った部分もある同僚たち。
彼女たちが今後果たすべきだろう役割、駆動させる物語の予感を匂わせつつ、物静かながら共感能力の高いメガネ女子・エリカとヴァイオレットの距離が少し縮まるまでを描いていました。


エピソードを切開する前に、このアニメの作りについて少し。
描いている事自体は、自分の生き方を見つけられない少女が職業と日常を手に入れ、不器用な自分と世間を衝突させつつ道を見つけていくという、非常にオーソドックスな物語です。
ともすればありふれていて古臭く退屈とも取られる題材ですが、僕はそういうベタ足な背骨があったほうが、物語世界には入り込めないタイプであり、『フツーの話』であること自体は評価ポイントです。

ただ、それを描く筆は圧倒的に美麗で、題材が要求するレベルと釣り合っているようには正直見えない。
あえてこの強くて高い筆を選んだ以上、オーソドックスな形式を突破する『何か』が描写の中から漏れてこないと、美麗さは過剰品質になるかもしれない。
はたして、京アニが選び取った筆は高すぎる筆か、題材にふさわしい筆か。
そこら辺をどうしても問いながら見てしまう作品だと思います。

世界を花と潤い、光で埋め尽くし、過剰なメッセージを溢れさせる美術。
ありきたりの人々のくすんだポートレートというには、徹底的に細密で麗しい髪と瞳の描画。
クオリティはそれ自体でメッセージを孕んでしまうわけで、それが空中に逃げず作品に固定されるためには、その品質を必要とする必然性が必要になります。
そして、少女の社会不適合と魂のリハビリを追う『フツーの話』は、単品では必然性を生み出しにくい。

キャラクターに超多層的な人格があり、それを美術や無言の芝居に託して描くか。
あるいはストーリー展開へのヒントを画面中に埋めて、物語の圧縮率を上げるか。
アニメーションを豊かに機能させる『武器』としてのクオリティを求める、必然性があるか、ないか。
オーソドックスな物語に合わせて質を下げるという選択肢が、根本的に取れない創作集団・京都アニメーションが過去作でも悩んできた部分が、やっぱりこの作品には付きまとっていると感じます。

お話自体は、少佐との過去をミステリに使いつつ、平和な戦後世界にヴァイオレットが馴染んでいく(あるいは馴染めない)物語として進んでいく。
それは『武器』が当たり前の『人間』になるまでの物語であり、戦場ではなく街で展開する物語だから、基本的なトーンはとても静かであり、静かで柔らかいことの強さを主に語っていく。
特別ではない場所を、非常に特別な場所として切り取れてしまう光の強さを、どう活かしていくか。
そこら辺をある程度以上、視聴者(というか僕)が受け取る第2話でもあった気がします。
作品としても、キャラクターとしても、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』がどういう存在であるかを、ある程度掴む話というか……第2話らしい。


冒頭、ユーフォ2第9話のあすか自室を思わせる天井からのカメラで、少佐とヴァイオレットの出会いを描くシーンが凄く印象的で。
螺旋を描く階段は、あの角度から切り取ると誰かを何処かに導く道標というより、複雑に絡みついた迷宮に見える。
少佐は(ホッジンズが現在進行形でそうであるように)透明過ぎるヴァイオレットの碧眼に惑わされ、彼女を『武器』として扱いきれないまま、『愛している』という言葉を残して退場した。
出会いのシーンで迷い込んだ迷宮から逃げ出せないまま、ヴァイオレットをどのような存在であるべきか規定できないまま、彼女唯一の主であり男であった存在は消える。

少佐に体重を預けすぎていたヴァイオレットは、リードを引いてくれる飼い主を両腕と一緒に失って、『兵器』としての自分を必要としない戦後に、一人放り出される。
四年前、在りえない垂直方向に幻像した赤い迷宮は、そこに居合わせなかったホッジンズ含めて様々な人を飲み込み、当惑と痛みを撒き散らしながら、現在まで続いている。
そこから続くホテルのシーンが、どう見てもただのホテルでは在りえない『圧』を兼ね備えていたのも含めて、色々思いが膨らむアバンでした。

あるいは、船底型に切り取られた床をヴァシャイナと見て、女たちを主役に据える群像劇に異物たる男(また女性自身)が吸い込まれていく構図を見る……のは、流石に過剰かな。
デコルテを大胆に露出したカトレアの衣装を見ても、あるいはベネディクトの「アイツら、窓口に来る男をひっかけることばっか狙ってる」という言葉を効いても、性の持つある種の暴力性をどう乗りこなしていくかは、この作品の地下水脈として重視されてる気はします。
セクシュアルな暗喩はあらゆる物語で非常に重要なわけで、描かないほうが嘘になるとは思うし、カトレアとクラウディアの関係性は露骨に『そこ』に踏み込んでもいる。
あのヴァーティカルな迷宮が誘い、飲み込み、閉じ込めて噛み砕く女性器にも見えるのは、フロイド的欲求不満の暴投でもないかなと、個人的には思ってます。
まぁこれは、僕の個人的興味領域が見せてる虚像だとは思うけど……上品にエロいのは常に大事ね、少年少女の成長譚では特に。


エピソードを見る姿勢を説明(あるいは言い訳)した所で、今回のお話を個別に見ていきましょう。
今回のお話は世界設定とキャラ紹介、幾つかの伏線埋め、そしてエリカがヴァイオレットへの共感を軸に進んでいきます。
職業としてのドールがどういう存在で、どのような起源があり、社会的に何を求められているか。
これを追いかけるカメラが同時に、ヴァイオレットがドールに何を求めるか、その起源を問うエリカを切り取っていきます。
キャラクターがなぜメインテーマを求めるか、作品にとってなぜ『代筆業』でなければいけないかは、早い段階で視聴者に見せたほうが当然良いので、エリカがヴァイオレットに共感を作っていくドラマと重ねて説明したのは、とても良かったと思います。

また、ヴァイオレットが正式にドールに入門することで、彼女が人間性を獲得(あるいは再獲得)していく学校であり、彼女を守るホームともなる代筆業務室の空気も見えてきました。
そこは物語が展開するメインステージなわけで、これも早い段階で見せるのが大事でしょう。
女性が『家』から出て、職業を手に入れ世界と戦っていく前線基地は、複雑怪奇な人情の機微を読み取り、適切に言語化し発信していく場所です。
だがそこにいる少女たちは(職場のエースであり母にして姉たるカトレア含め)完全ではなく、今後乗り越えていくべき欠損を多数抱えています。
ちょっとギスギスした無理解の雰囲気、剥き出しすぎるヴァイオレットを恐れ後退する現状含めて、なかなか面白い出発点の描き方だと思いました。

そこら辺の要点を抑えつつ、第1話から匂わされているホッジンズの気後れと過剰な庇護、慣れないヒールで背伸びするアイリス、『大人の女』を加齢に乗りこなすカトレア、女の園から弾き出されているベネディクトなどを、横幅広く切り取っていく形となりました。
ここら辺の横の描写は、溢れる描画力がしっかり下支えして、さり気ないシーンにも分厚くメッセージが入る形に。
ここら辺の骨を少ない手数でしっかり組み上げられるのは、クオリティが高いことの利点だなぁ。
今回はヴァイオレットの社会不適合と、それをケアしてくれる(かもしれない)職場、その第一人目としてのエリカを軸に進んだため、サブ・キャラクターの描写が直接生きるわけではありません。
が、こういうタイミングでちゃんと足場をくんでこないと、いざメインステージに引っ張り出された時、主役を演じきる足腰が弱く見えたりもするわけで。
キャラが視聴者の中に入って馴染んでくる意味でも、脇役がいる世界の解像度が非常に高かったのは、なかなか良かったと思います。


さて、話の主役たるヴァイオレット。
第1話では『犬』というトーテムを前面に出し、口で言葉を紡ぐより牙を突き立ててしまう不器用さが描かれていましたが、今回は『武器』『人形』としての表情が強く出ていたかなぁ、と思います。
OJTを『訓練』、職場のコミュニケーションも兼ねる食事を『補給』、タイプライターを『武器』と言ってしまう彼女の言語センスは、未だ人間の街ではなく野の戦場のもの。
戦後のアーバンなライフスタイルにちゃんと適合できているカトレアが、『武器』を社会闘争の暗喩と捉えているのに対し、ヴァイオレットにとっては直喩ですら無い記述なのは、とても面白かった。
彼女たちは『代筆屋』であり、この作品が扱う最も大事な素材として『言葉』がある以上、彼女たちがどんなコードに基いて喋るのかは、とても重要でしょう。

戦場では有効だった、嘘偽りのないストレートでリアルな言語。
ヴァイオレットが振り回すそれは、戦後の街ではあまりに剥き出しで、細やかで曖昧な機微をとらえられないコードです。
罵倒が愛を、拒絶が受容を意味するような、裏腹で複雑な言語辞書は、戦闘兵器たるヴァイオレットにはインストールされていないわけです。
しかも、そういう実態をヴァイオレットにわざわざ指摘してあげるほど、職場の距離感は縮んでいない。
唯一ヴァイオレットの変化(救済、成長)にモチベーションがあるホッジンズは、不在の少佐に対する『何か』を隠していて、決定的なところには踏み込まない。
当然の結果として、ヴァイオレットは戦後の日常に居場所を見つけられない『兵器』として、ぎこちなく世間とぶつかることになります。

このコード不適合が炸裂したのが、カトレア不在の会社に訪れた女性客とのコミュニケーションです。
指先や目線という『女の武器』を細やかに切り取りつつ、彼女が駆使している恋愛の手練手管(あるいは『安い女と見られたくない』という自己防衛)を暗示するカメラを、当然ヴァイオレットは見ない。
言われるがまま意味するままを言葉にしたため、人間関係を壊し(かけて?)しまう。
彼女が追いかける『愛している』という言葉は、軍隊式のストレートな言語コードでは解明しきれない、非常に複雑な文法で記述されているわけです。

(あそこで世知に疎い未熟なヴァイオレットをカトレアが補佐し、仕事のミス、破綻しかけた人間関係をケアしに行く描写は、彼女が成熟した女として『母』の役割を担当しているのが見えて、ちょっと面白い。
ホッジンズと性的な『大人』の関係にあると示されている彼女にとって、ヴァイオレットは部下であり庇護対象であり、男の関心を争うライバルにもなりえます。
過剰にヴァイオレットを気にかけるホッジンズが、職場の女性にある種の不信の目で見られていることも細やかな筆は逃さず切り取ってきますが、そういう疑念を牽制し優位性をもぎ取る意味でも、オレンジ色の蠱惑な夜はカトレアの独占物になる。
だけど真昼の正常な光の中では、カトレアは諦めず諭し、礼節と愛情を持ってヴァイオレットを正しく導いてもいる。
交わらない夜と昼、オレンジとレモンイエローの光はカトレアの複層的な表情を切り取っていて、それが今後どう変化していくかは、とても楽しみです。
そういう多層性を炸裂させるのなら、確かにこの品質は必要になるだろうしなぁ……裏腹なのは言葉だけではなく、人間の存在自体もそうなのだと示せたなら、凄く面白くなると思うが)


あまりに真っ直ぐで剥き出しな、彼女のコード。
透明度の高い瞳は、言動とは別の形でその純粋性、凶暴性を描いています。
それは人を戸惑わせ、遠ざけ、あるいは惹き付けるわけですが、今回は引っ込み思案のエリカがその前に立つお話になりました。
客の事情を飲み込み、複雑な感情を分解して理解し、またそれが客と共有できるよう態度に、文面に乗せていく。
非常に高度な感情労働である代筆業(ドール)に、感情表現の下手くそなメガネでそばかす(『大人の女』ではあり得ない!)彼女は、なかなか馴染めません。

戯れのないコードを叩きつけて失敗しているヴァイオレットと、自分をうまく表現できない≒他人に自分が受け取ったものをうまく受け取ってもらえないエリカは、コードの出処は違えど似通っている。
カトレアが穏やかに受け止め、ホッジンズが怯えつつ接近し、アイリスが冷たく拒絶したヴァイオレットの瞳に、エリカはじっくりと近づいていきます。

この時、『覆いを外す』行動が心理的障壁解除のサインとして使われているのは、なかなかに面白い。
エリカが『なぜ、ドールなのか』という根源的な問いを投げ(ようとして、客の来訪に邪魔される)シーンで、彼女はメガネを外そうとしています。
美しい獣の無骨なコードを理解しようと一歩踏み込む歩みは、素顔を覆い隠すヴェールを自分から外し、裸眼でヴァイオレットの瞳を確認しようとする意志に支えられているわけです。

後に雨上がりの会社前で雨に濡れたヴァイオレット(彼女も擬似的に、素肌を見せかけている)に、エリカは『なぜ』の答えをもらいます。
雨上がりの光が、ヴァイオレットの顔を照らし、その表情がクリアに見えるのは非常に鮮明な演出でした。
画面を充たす花(と、キャラクターの名前に刻まれた花の照応)、心理距離を示すレイアウト、感情に反応するライティング。
感情主義としてはオーソドックスな武器を使ってるんですが、やっぱ撮影のクオリティがぶっちぎりなんで火力が高く、よく刺さる仕上がりなのは流石ですね。
その前段階、自分では気づいていない無理解の哀しさに流せぬ涙を流すヴァイオレットを、雨のしずくで表現するところも強い。

覆いを外して歩み寄り、あるいは光の中で投げかけられた無垢なる願いを受け取って、アイリスの解雇要求を前に、エリカは(文字通り)踏み込みます。
アバンでヴァイオレットという迷宮に踏み込んだ少佐が直面した薄暗さと、、エリカがヴァイオレットのため、あるいは引っ込み思案(ドール)な過去の自分と決別するべく踏み込んだ、未来の鮮明さが、面白い対比になってますね。
そこで綴られる言葉は、『あなたはドールに向かない』と告げた言葉とは裏腹で、まるで不器用なもう一人の自分を守るような優しさに満ちている。
その不思議な屈折を、暴力的なほどストレートにヴァイオレットが理解し、また言語化してしまうのも面白いところです。

軍隊式のコードでは、沈黙という『発話されないからこそ、非常に大きな意味を持つ言葉』は存在していないのだなぁ……だから全部を言語化しちゃうんだけど、エリカにとって彼女の優しさと共感はちょっと気恥ずかしいもので、そこに自己防衛のエゴイズムが混じってしまっていることも気まずい。
そういう機微を拾い上げるのが(カトレアのような)優秀な代書屋(ドール)ってことなんだろうけども、人形が一番苦手な『空気を読む、空気を作る』って能力が『ドール』の必要条件って、なかなか皮肉ですね。

今は『言う』以外のオプションを持たないヴァイオレット・ドールですが、今後『言わない』『全てを言わない』『正反対のことを言う』などのヴァリエーションを学習し、適切に使う時が来るのか……。
それは代書屋という職業としての成長でもあり、キャリアメイク物語の側面も持つこの話には、結構大事な期待感だと思います。
なので、エリカが遮蔽を外して歩み寄る運動が、あんまヴァイオレットには変化を与えていないように見えても、凄く大事な一歩だったなぁと思いました。

第1話含めて現状、彼女の世界は『少佐とそれ以外』で出来とるからなぁ……『人形』の無表情を止めて、語気を荒げ感情をむき出しにするのは、必ず少佐絡みだし。
会いたくて会えない存在を求めるヴァイオレットが幻視した、過去の亡霊は虚しい反射で、追いすがっても逃げていく。
失われた主と出会い直すためにも、彼女は不慣れな戦後になんとか居場所を見つけ、あやふやで複雑な人間のコードを学んでいく必要がある。
その時、今回エリカが見せた優しい歩み寄り、覆いを外す勇気は大きな意味を持ってくると思うわけです。


まだエコーを返さない、ヴァイオレットへのエリカの共感。
でもエリカ自身は、水たまりに跳ね返った灯火のような感情を見つけ直すことで、凄く大きなものを手に入れていました。
『なぜ、ドールなのか?』という問いかけは、発話者であるエリカに反射されて突き刺さり、『いつか人の心を動かすような、素敵な手紙を書きたい』という起源を思い出させる。
それを思い起こす時、職業としての『ドール』の起源である、機械としての『ドール』を『メガネを外して』見ているのは、非常に分かりやすい。

あそこに写っているのは代書屋を志した彼女の始原であり、ドールという職業の起源であり、雨の中剥き出しに伝えられた『愛しているを知りたい』というヴァイオレットの起源でもあります。
ドールは言葉を失った妻に、言葉を与え直すための夫の愛が結晶化した存在。
つまりショーウィンドウの中で無言の言葉を紡ぐドールは、ヴァイオレットが求める『愛している』を生まれたときから記述されている存在なわけです。
自分の起源を思い出す(お仕事モノの先輩ポジションとしては、非常に大事な描写です!)と同時に、エリカはそういう共鳴にも思いを馳せていたんじゃないかなぁ、と。

アイリスは言うに及ばず、『何か』への後ろめたさを匂わせているホッジンズも、あくまで仕事と年長者の義務で対応しているカトレアも、ヴァイオレットの無垢なる光を現状、真っ直ぐには受け止めきれていません。
手袋を外して銀腕を晒した時、カトレアは(ヴァイオレットを『家』に保護/拘束しようとしたティファニーと同じく)ショックを受けて、一瞬言葉を失う。(そこで無言から排斥に反転するでなし、礼儀正しく受容を見せる所が『大人』ではありますが)
同じ不器用なドールとして、裸眼でヴァイオレットを見ようとしたエリカが、その接近で何かを手に入れたと確信できていることが、ヴァイオレットのリハビリテーションにとっては、大事な足場になる気がしています。


ヴァイオレットの銀腕が、タイピングにおいては優秀な『武器』たり得る描写があったのも、なかなか面白かったですね。
あまりにも強く、加減を知らない戦場式タイピングは、扱い方さえ覚えれば高速で確実な、キャリアメイクの手段ともなり得る。
そこを調整する機器が、ミシンのボビン(『女の仕事』である洋裁の意匠)に見えるのも含めて、彼女が単純な欠陥兵器ではなく、戦場で磨き上げた実用性を持つ優秀な道具であるとちゃんと見せてくるのは、なかなか面白いです。

このアニメ、『フツーの話』をどっしりやりつつ、深夜アニメの記号論からちょっと離れた所で物語を展開している節があります。
冒頭、チラッと胸元を覗かせる幼いヴァイオレットはセクシャルな興奮を煽ってもいいのに、痩せこけた胸骨をしっかり描いて、いやらしさより痛ましさを目立たせてくる。
人間社会に馴染めない兵器としての側面を描きつつ、それをコメディとして消費するよりも、あまりに純粋なものがその純粋さ故に世間に馴染めない居心地の悪さ、どーにかなんねぇかなという気まずさを強調する。
代筆業への不適合も、能力不足のポンコツ加減(≒無力だから乗りこなせる、哀れなヒロインとしての共感機構)ではなく、尖った能力が不適合故に居場所を見つけられないように描く。
定型化した『ヒロイン』とはまた違う、ヴァイオレット・エヴァーガーデン独自のテイストを探り、彫り込み、豊かな筆で幾重にも塗り重ねていく感じは、凄く京アニっぽいなぁ、と思います。

オリジナリティある描写を積んでいくということは、視聴者の中にある深夜アニメ分解酵素でオートマティックにキャラを消費する、気楽な視聴を拒む、ということでもあります。
型にはまらない複雑なキャラクターというのは、わざわざしっかり見て噛み砕き、頑張って消化する必要のあるキャラだ、ということでもある。
良し悪しというよりは方向性の選択の問題として、このアニメはキャラクターを『いかにも』な形に一旦入れつつ、その内部にかなり独自のネジレを組み込んで、視聴者に読解を要求してくる堅い食感がある。

その面倒くさい歯ごたえを、是とするか否とするかは、人それぞれだと思います。
深夜アニメの視聴(に限らずあらゆる体験)は、やろうと思えばオートマティックに処理できるものだし、わざわざカロリー突っ込んで前のめりになるか否かってのは、視聴者の自由な権利として認めて良い範疇でしょう。
だからまぁ、そうやっていちいち顎使って噛むのが面倒……あるいは『いかにも』の型にはまってしまっている(ように見える)時点で忌避してしまう人が出るのも、なんとなくは分かります。

ただまぁ、僕はこの堅い食感が好きだし、その複層と類型の共存だけが切り取れるものが、必ずあるだろうと期待もしてます。
犬だったり人形だったり兵器だったりするヴァイオレットの複雑さが、浮世の面倒くささと衝突して上手く馴染めず、それでも『ドールであること』を求め続ける仕草は、やっぱり見てて楽しい。
彼女の人間離れした純粋さが、ある種の凶暴さを持って人を傷つけ、人を引き寄せ、その魔力に彼女自身が気づいていない描写とか、凄く細やかで好きです。
そういう方向で描画の豊かさをガンッガン使ってくれると、過剰品質とはならんのではないか、とも思っております。


エリカとヴァイオレットの共感とすれ違いを切り取りつつ、サブを描く筆も元気でした。
カトレアだけが求められる状況に不満を抱き、彼女のような『大人の女』を目指してヒールを履くアイリスですが、それは不安定な足場にしかならない。
『行方不明になった人の安否』を『つまらない仕事』と切り捨て、ヴァイオレットの不器用さを不快に遠ざける彼女のメンタルは、エリカやヴァイオレットとはまた違う意味で未成熟です。
エリカとの昼食シーンで、椅子の脚を間に挟んで不和を表現するレイアウトは、攻めてて面白かったですね。
縦のレイアウトで心の壁を示す手法自体はベーシックだけど、そこでの遠近法の使い方、見せ方のヴァリエーションが太いんだよな……。

あれは(後に乗り越えられる)エリカの不器用さが原因でもあるけど、他者の弱さや不器用さに共感せず、自分だけを特権的に見てしまうアイリスの人格にも、大いに理由がある。
今回ヴァイオレットを裸眼で見てエリカが手に入れた変化が、次回以降職場にどういう変化をもたらすか。
異物たるヴァイオレットを向かい入れたことで、職場を(不本意ながら)共有するアイリスにどういう変化が訪れるか。
彼女は背伸びのヒールを乗りこなして、『大人の女』『優秀なドール』になれるのか。
そこら辺が気にかかる、未熟さの描写でした。
恋に失敗した女が感情をむき出しする激しさを前に、一歩引いてしまう幼さの表現とか好きよ。
至らぬところがあるってことは、物語が展開する伸びしろが用意されてるってことだろうし、そこが埋まるだろう瞬間を楽しく待ちたい所だ。

待つと言えば、時間経過の不思議をすごくリキ入れて描いてるのもこのアニメの特徴で。
前回の昼と夜の経過、今回のツユクサの花が閉じる仕草を、わざわざアニメーションで連続体として切り取ってくる事自体が、時が流れ変化していくことへの肯定というか、強い興味の現れなんじゃないかな、と思ってます。
花が閉じてまた咲くように、日が落ちてまた照るように、人は時間の中で何かを喪失し、あるいは再獲得していく。

それはヴァイオレットの両腕のように凄く劇的であることも、アイリスの根拠のない万能感、幼い共感の欠如のようにありふれていることも、両方あり得る。
一瞬で移り変わるのではなく、あくまで連続して変化する時間体を見据える視線は、その中で拙さを癒やして変化していく少女たちを、その先に捉えている気がするのね。
……捕らえていて欲しい、が正解か。
そういう物語として、僕は『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見たいわけだな。
物語が流れる中で、アイリスが他人と自分の弱さを許容できる強さと優しさを、天と地をつなぐ虹の女神メッセンジャーの大始祖たるイリスのような頼もしさを、あるいはごくごく普通の『大人』の器量を手に入れてくれると良いなぁ。


香水渦巻く女たちの代筆業務室から遠く離れ、汗臭い配達業務を担当するベネディクト。
彼の職場では軍隊式のストレートなコードも、あまり変更なく使えることは第1話でも示されていました。
ガサツで剥き出しながら優しい彼は、今回もヴァイオレットを『男の職場』に誘い、しかし理解せずに弾かれる。
お話が『女』を中心に据えて進む(であろう)以上、なかなか損な立場です。

対話と共感、理解と表現が必要な『女の職場』では衝突の原因となるヴァイオレットの無骨さが、ベネディクトの座する『男の職場』では問題にならないのは、ちょっと面白い視座です。
ヴァイオレットはCパートで髪と服を整えられ、ドール(あるいは『素敵な大人の女』)としての装いを与えられ、着飾らされます。
配送業務にいれば、そういう華やかな装い(ある種の『武装』)はいらないわけで、彼女はある程度兵器のままでいられる。
しかし少佐の残した『愛している』の呪いを解くためには、彼女はただの兵器であっては行けないし、戦後の平和で複雑なコードを学び、何らかの形で自分を変えていく必要があるわけです。

それが性や恋を含めた意味で『大人の女』になることと直結するか、そこに精神的・肉体的な成熟が伴うかは、僕としては結構気にかかる部分だったりします。
花に満ちた世界からは弾き飛ばされてしまうベネディクトが、それでも異物として表現している世界。
香水ではなく汗の匂いに満ちた、不器用なコードが許される世界がなぜ、ヴァイオレットが己を見つける世界として不適であるのか。
その理由までしっかり示せたのなら、この話かなりの説得力と面白さを手に入れると思うわけだが……ここら辺は表現の技法というよりも、男女、あるいは人間のあるべき姿、そこに辿り着く前の欠損の現状認識に関わってくる部分だからなぁ……。

せっかく(少なくとも主役・ヴァイオレットの)キャラクター描写は定形から半歩ずらした所に面白く置けつつあるので、男女のイマージュもまた、世間に流通する固定したそれではなく、作品独自の野心的な言語で語って欲しい気持ちはあるのよね。
そういう意味で、鼻つまみ者のベネディクトが、女を真ん中に据えた世界でどう描かれ、どういう仕事をするかは、ずっと気にかけたい。
物語に選ばれた特別な存在を陰りなく描くためには、それが押しのけてしまう存在への配慮をどう見せるかは絶対大事なわけで。
(そういう意味では、今回ヴァイオレットの不適合を描くためのキャンバスにされたあの女性も、軽くでいいからケアしてほしい部分ではある)


そして、女たちの職場から弾き出されつつ、それを内包する『会社』自体を背負うホッジンズの、意味ありげな視線。
彼の挙動は露骨な不審さに満ちていて、色々疑いたくなってしまうし、それは製作者の狙い所でもあろう。
そこら辺のメッセージが強く出てるのは、分かりやすくてとっても良い。

取り返したブローチ≒ヴァイオレットが魂の拠り所とする具象化された想い出は、果たして本当に過去のブローチと同じものか。
彼はなぜ、過剰にヴァイオレットを擁護し、自分の庭の中に守ろうとするのか。
カトレアに匂わされた少佐との関係性、不帰の宣言は、一体どういう意味を持つのか。
ここら辺も、今後の物語の中で掘り下げられるポイントなんでしょう。
あまりの過保護っぷりに、エリカとアイリスがやや引いてる描写が入っているのが、ちょっと面白い。
『え……? 何……どんだけ? 好きなの……?』みたいな。

カトレアとの関係を匂わせることで、ホッジンズが抱えるヴァイオレットへの想いが、恋愛や性欲とはまた違った位相に在るのではないかという読みも、可能になりました。
彼がとんでもないドンファンで、カトレアと寝ると同時にヴァイオレットを狙える性獣だという可能性もありますが、まぁこんだけ清潔感出してる話でその生臭さは無い……だろう。
とすれば、ホッジンズの執着と、それとは裏腹な逡巡には、『愛している』以外の何かが横たわっていることになる。
それが何かを考えるのは、結構楽しいことです。

それは多分、少佐の現在と深い関わりの在ることで。
彼が死んでいるか、生きているけどヴァイオレットと接触させたい何らかの理由があるかも、話を引っ張るべく配置されてるエンジンだなぁ。
何しろ情報が少ないので、あんま読めない部分ではあるんだが、生きてたほうが裏腹な複雑さが増して作品のトーンにはあっている気がする。
ただ『代書屋』という仕事の究極系は、おそらく絶対に受け取ってもらえない死者への恋文を完璧にしたたため思いを成仏させることだと思うから、死んでてもしっくりは来るか。

ホッジンズがヴァイオレットを見つめつつ目をそらす、引き寄せつつ抱きしめないのは、やっぱ少佐との間にコンプレックスがあるからだと思います。
それが何なのか示された時、今回のエリカのように隠蔽を外したときに、ホッジンズの物語(つまりは少佐とヴァイオレットの物語)は致命的な地点に流れ着いて、物語は一気にクライマックスに入ると思う。
それまではたっぷり焦らし、そこに込められた匂いを伝える描写が積み重なっていく……と良いな。


というわけで、人の街に馴染めない獣が、それでも代書屋を志す迷い路を描くエピソードでした。
その不格好なのたくりは、同じく不器用にしか生きれない同僚の共感を呼び、未来へと踏み込ませる。
生じた小さな変化が何を生み出すかはまだ分かりませんが、少なくともヴァイオレットの新しい職場が変化の予兆を孕み、同僚の一人が優しい人であることはよく見えました。
それは、傷ついた銀腕の美獣には何より大事なことなんじゃないかと思います。

驟雨が顔に張り付いて涙となる描写から判るように、ヴァイオレットは人間社会の常識以上に、自分自身の感情や状況を認識・表現出来ていません。
他人の気持ちを読み解き、他人よりも精密に表現し共有する『代書屋』に向かい合うことで、ヴァイオレットは鋼鉄に凍りついた自分の心もまた、適切に代書出来る様になるのか。
その再生をしっかり追いかけてくれると、このアニメ凄くいい感じになると思います。

そして今回描かれたエリカの小さな、でも確かな歩み寄りは、ヴァイオレットの再生が同時に周囲に変化を与え、それがまたヴァイオレットに返ってくる連動を予感させました。
今回静かに、しかし確かに描かれたヴァイオレットのいる世界、彼女を向かい入れた人々との交流が、一体何を生み出し変えていくのか。
来週も楽しみです。