イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ヴァイオレット・エヴァーガーデン:第3話『あなたが、良き自動手記人形になりますように』感想

獣相の美しき戦闘人形が、人間の心と振る舞いを取り戻していくまでの物語、今回はヴァイオレット・エヴァーガーデンの巣立ちにまつわる物語。
物語と主人公の全体をスケッチした第1話、彼女のホームとなる会社と最初の理解者を描いた第2話に続いて、『ホーム』から別の場所へと飛び出し、別の友だちを作り、別の学びを得るエピソードでした。
ヴァイオレット自身が変化する手応えが正直薄かった前二話に比べ、ドールという仕事の核心、人間が生きていく上でのコアを『学校』で学び、不器用ながら本物の手紙を書き上げることで、ドールとしての初仕事を成功させる、手応えに満ちていました。
物語は主人公が何かを獲得すると、見ている側にも大きな充足感を与えますし、それが何故手に入り、一体何であるかを非常に丁寧に描く豊かな筆が、シンプルな生き直しの物語に、人生の息吹を与えていました。

やはりこのアニメは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという一少女が、戦争によって受けた傷を治療し、社会に再適応していくまでの物語なのだという感覚が、より強くなるお話でした。
非常にシンプルで当たり前で、だkらこそ万人に通じる物語を、圧倒的な豊かさで描く。
深夜アニメでは余り使われないタッチですが、全く焦りのないこの独特の歩調が、今回のエピソードを咀嚼する中で凄く豊かな味わいを持っていることを、教えてくれるようなお話。
この第3話が、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に存在していて、とても良かったな、と思える。
そういうエピソードでした。


今回のお話は非常に堅牢な構造に支えられており、それは最初と最後のシーンの照応関係を見てもよくわかります。
ライデンの街を成立させている外壁を抜けて、車が『入って』くる冒頭と、物語を終えて車が『出て』いく終わり。
『綺麗なお人形のようで/でも軍人のようでもある』ヴァイオレットへの違和感から始まった物語は、ドールという仕事、手紙に何を込めるかへの学習と働きかけを経て、『綺麗なお人形でもあり=軍人でもある』ヴァイオレットという少女を、一人間として受け入れるルクリアの言葉で終わります。
物語は学校に『入って、出て行く』形で進展し、そこでヴァイオレットは自分の未熟と可能性を、『愛している』を知るために選び取ったドールという職業に必要なことを、赤髪の同級生、彼女が愛し触れられない兄と向かい合うことで学んでいきます。

冒頭ローダンセ先生が語るように、『学校』は傷つけられた戦後を、傷つけられた人々がより善く(サブタイトルを借りれば『良き自動手記人形』として)活きるための、技術と心構えを習得する場所です。
技術や知識は当然重視され、ヴァイオレットはその領域においては既に教育を必要としないほど、よく完成されている。
しかし、より良く活きることは優秀な性能を持っていることとイコールではなく、その性能を的確に活かす場所をと方法を見つけることに、大きな足場を預けています。
どれだけ綴りや文法、手紙の作法を身に着けていたとしても、ドールに求められるのは手紙を書く相手の心に優しく寄り添い、彼自身が把握していない本当の望みを賢く判別し、的確に綴る能力です。
それは『人形』には不可能な、非常に曖昧で複雑な読解・執筆の能力であり、『人間』そのものの力を試される仕事と言えるでしょう。

第3話という話数で、ヴァイオレットの学習とシンクロして、我々もまた話の主題となる『自動手記人形』がどのような職であるかを学習できるのは、なかなか優れた構成だと言えます。
ここまででヴァイオレットの戦闘兵器としての生き辛さ、それでも『ドール(≒人間)』であろうとする不器用な熱情はよく分かっているし、今回のエピソードで彼女の不自由さは繰り返される。
戦後の傷を癒やすべく設立された『学校』という日常空間の中でも、彼女は『任務中には食事を取らない』と言い張り、教師を『教官』、手紙を『報告書』と認識している。
彼女の時間は戦場から未だ動かず、自分を取り巻く『戦後』を的確に認識できていないわけです。
非常に由緒正しく、シェルショック的な描写だといえます。
京アニ謹製、よく整ったアニメ版"ランボー"といった風情ですね。

ルクリアが自分の差し出せる最高の景色として見せた、ライデンの黄金の夕暮れ。
そこからヴァイオレットは、かつて中佐と見た戦場の景色、ライフルの墓標立ち並ぶ地獄を想起します。
人間がマトモに死ぬことも、マトモに埋葬されることも許されないような極限状態から、彼女の精神は未だ出ていけないし、そこを離れた『戦後』に適応する手段も思いつかないわけです。

そんな彼女が学ぶのは、既に満点が取れる綴りや文法……『ドール』としての性能ではなく、『人間』としての共感や友人関係です。
それはヴァイオレットだけではなく、様々な事情を抱え学校に集ったあらゆる人に対し開かれていることが、名前もないモブの楽しそうな表情、『学校』で深まった関係を書く筆から見える。
国土も社会も人間も、みな傷つきそれでも立ち上がろうとする思いを受け入れ、収入獲得……だけでなく、社会の中で己が無用の存在だと思わなくてもすむ証明としての職業に、保証を与える場所。
そこで低入れた技術や人間関係が、今後『戦後』を生きていく身を立てるための杖として機能するような、掛け替えのない教育の場所。
リハビリテーションが身体や精神の機能を回復するだけでなく、その欠落を抱えて世界の中でどう居場所を見つけ、生き方を学び取るかという学習も含む以上、『学校』はある種のリハビリ施設でもあるのでしょう。


ホッジンズが優しく肯定してくれる『会社≒ホーム』を『出て』、見知らぬ人、公平で厳しい価値観と出会うことで、ヴァイオレットは『会社』では出会えない人と接触し、学べない規範や共感を獲得していく。
『会社』の仕事に必要な能力(と、ブローチという形で貸与される社会的信頼)を獲得するために、ヴァイオレットは『学校』に来ているわけですが、そこで教えられるのは傷病兵が戦後社会に適応するための方法であり、機会が人間社会の中で浮かび上がらないために必要な、人間とのコミュニケーション能力です。
それが生来ヴァイオレットに欠けたものだったのか、戦場で欠損したものなのか、はたまた少佐と別れたときに壊れてしまったものなのかは、過去が伏せ札になっている今は断言できませんが。

とまれ、ヴァイオレットは美しすぎる人形として、人語を解さない獣として、殺人以外に機能を持たない兵器として、人間の街ライデンで浮かび上がってしまっている。
軍人の仕草でローダンセ先生の宣言を受けた時、ルクリアの『報告書』を朗読された時、あるいは銀の腕を世界に晒した時。
ヴァイオレットの行動はどうしても衆目を引き付け、馴染むことが出来ない異物としての彼女を強調する。
だからこそ、その異物感を乗り越えて声をかけてくれるルクリアの優しさ、ドールに人間として活きる術を教えてくれる『学校』の意味合いも、より強く感じられます。
それは第1話、第2話で見せた『ヴァイオレットを取り巻く世界と、その変化』の素描ではなく、ヴァイオレット自身が主人公として変化していく、今生きている世界そのものの活写なのです。


ヴァイオレットは自分と似ていて違う他者に不器用ながら共感し、『会社』に閉じこもり/守られているだけでは学べないものを獲得していきます。
そのための最も大きな鏡になっているのが、赤毛の美しい少女、ルクリアです。
同じ女性であり、ドール志願であり、優秀な労働者候補でもあるルクリアと、ヴァイオレットの共通点は多い。
最初の『手紙』を書くべく向かい合う時、しっかりと背筋を伸ばして椅子に腰掛け、相手に向かい合う真摯さを見せるところも。
それでも自分の最も柔らかい部分を公開できず、嘘の差出人(ヴァイオレットはホッジンズ、ルクリアは死別した両親)を真実の相手(ヴァイオレットは少佐、ルクリアは兄)の代わりに告げてしまうところとも。
非常に似通った二人だといえます。

しかし、人間似ているということは違うということで、違うということは似ているということです。
そういう他者に目を向け、停止した心を再駆動させて共感能力を駆使し、心をすくい取ることでしか、自分の姿は見えてこない。
第2話でヴァイオレットの宝石のような瞳が、エリカの不器用さを反射し乗り越えさせたように、ヴァイオレットは似ていて違うルクリアに向かい合うことで、自分の中にいるもう一人の自分……『人形』でも『兵器』でもない『一人の女の子』たるヴァイオレット・エヴァーガーデンに邂逅していきます。

ヴァイオレットが失っている他者への共感能力、『戦後』社会に相応しい振る舞いを選び取る適応能力は、『後方』で生きてきたルクリアにとっては当然のものです。
そういう世知を手に入れなければ、曖昧で複雑な『戦後』……人間の世界では生きていけないからこそ、『戦場』でそれを奪われてしまったヴァイオレットやスペンサーは、マトモに立って生きることに、とても苦戦している。
美味しそうなサーモンサンドを親愛の儀礼としてすすめ、ヴァイオレットの銀腕に驚きつつも声をかけてくれる礼儀正しい優しさを持っている。

その能力を持ってしても、負傷により変化してしまった兄との関係性は容易には解決できず、本当に言うべき言葉を見つけられない。
それもまた、『愛している』の意味を探しているヴァイオレットと、非常に似通った要素だと言えます。

 

そしてもう一人、ヴァイオレットの鏡となる、異なっていて似ている存在がこのエピソードには存在します。
性別もも容姿(お兄ちゃんは正直、冴えない面してます)も異なるスペンサーこそが、二枚目の鏡としてヴァイオレットを写し、その傷と欠落を際立たせる存在になっている。
同じく兵士として戦場に赴き、身体の一部(ヴァイオレットは腕、お兄ちゃんは足)を欠落させ、社会に馴染めないまま居場所を探し、過去に囚われ現在を肯定できない。
第2話で雨に濡れ子供のように彷徨いながら、エリカに自分の本心を告げたとき、ヴァイオレットは流せない涙の代わりに、雨のしずくを頬に垂らしていました。
お兄ちゃんも同じく、言葉を見つけられないまま流せない涙を、酒瓶から浴びて流すことになる。

非常に細やかな描写で冷静に切り取られる、不具となった足を重たそうに動かす(そして『マトモに立つ』ことに失敗する)仕草は、彼が両親を守れなかった無力感、言葉を見つけられない苛立ちに支配されていることを、巧く象徴化しています。
それは、ヴァイオレットを外装する人形の仕草の奥にある、彼女の真実と呼応する律動なのでしょう。
死ぬべきときに死ねず、守るべきものを守れず、主なき獣として『戦後』に生き残ってしまった彼女は、凄く強烈な罪悪感と無力感に名前を付けれないまま、生きていることに迷っている。
ここまで三話の描写で僕はそう感じるし、おそらくその痛ましさが、ホッジンズを妙に及び腰にさせている気がします。

第1話で描かれた、獣としてのヴァイオレットもまた、スペンサーの中に住んでいます。
酔っぱらいの戯けた仕草で自分を慰めていても、マトモに動かない足を認識すれば、凶相が表に出る。
『戦場』では美徳となる凶暴さは、平和な『戦後』においてはあまりに尖りすぎていて、ルクリアはそれを前にどうしても竦んでしまう。
苛立ちを抱えて街を歩けば、自分を支えきれずに人にぶつかり、殴り殴られるだけの、悲しいコミニケーションが発生してしまう。
獣の表情で吠え、殴り合いですら人間らしい方法ではなく、原始的な頭突きをぶち込むしかない。
ヴァイオレットは『躾けられた獣』あるいは『動因なき人形』として、他者と社会にそのような獣性を叩きつけることはありませんが、それが彼女の中にうねり続けていることは、第1話を見れば明らかでしょう。
冴えない格好をした酒浸りの青年は、『もしかしたらこうあったかもしれない』共感を呼び覚ましうる、もうひとりのヴァイオレットなのです。

ヴァイオレットは徹底して『食事を取らない人形』として描かれていて、今回もルクリアの美味しそうなサーモンサンドを受け取らず、会社に帰宅したときもベネディクトとカトレアの茶宴に同席しない。
お兄ちゃんもまた、パンと野菜を野放図に(まるで獣のように!)貪った痕跡を、薄暗い部屋の中で描かれることで、自分の生命維持に興味が持てない人格の荒廃を抱えていると分かります。

お兄ちゃんが無碍にした食材(パンと野菜)は、マトモに社会に接合できているルクリアの手にかかれば、美しく栄養もあるサーモンサンドに変わりうる、可能性に満ちたものです。
でもお兄ちゃんの心の荒廃は、ルクリアのように的確に(あるいは器用に)サーモンサンドを作り、食べ、他者との共感を創るための足場として使いこなす巧さを許してくれない。
それはルクリアの差し出したサーモンサンドを『作戦中は食事を取らないようにしている』と拒絶し、会社に帰還した後も、ベネディクトとカトレアの曖昧で裏腹な宴に参加できないヴァイオレットと、共有する仕草です。
食事を取らない、あるいは食材(と、それを体内に取り込み命の糧にする自分自身)を大事にできない心の欠落が、二人をつなげている。
ヴァイオレットが初めて他人と食事をする……『人の腕から餌を取る』シーンは、かなり大事なものとして描かれるんじゃなかろうか。


そんな二人を媒する、あるいは『手紙を求めつつ、手紙を出せない』同志としての共感を集めるのが、ルクリアの仕事となります。
心優しく視野が広い彼女は、ヴァイオレットの銀の腕、真っ直ぐな視線にも怯むことなく、彼女の奇妙な世界に入り込んで対話をする。(ここら辺の踏み込みは、ホッジンズの腰の引けた態度と面白い対応をしていて、『会社』を出て『学校』に舞台が移った意味を、よく教えてくれる気がします。なまじっか共感可能な過去の知識は、歩み取りたいという心と裏腹に、足をすくませるものなのでしょう。それはルクリアが兄に対し抱いた怯えと、軸を同じにしています)
彼女の柔軟な姿勢、目の前の事実ではなく人間の真実を見ようとする歩み寄りは、戦場のコードに支配され続けているヴァイオレットに足らないものであり、彼女が『良きドール』になるために必要なものです。
その接触は、非常に運命的な第一歩を主人公に歩ませることになります。

心の欠けたドールとして、ローダンセ先生にブローチを貰えなかったヴァイオレットですが、盤外延長戦とも言える卒業後の教室で、二度目の手紙を書くことになります。
それは一度目の執筆とは異なり、二人きりで周囲の人の眼がなく、とても個人的で柔らかい感情をやり取りできる環境で行われます。
しかしそれは物理的には同じ教室であり、つまり教育の時間を共有して変化したの二人の関係性、あるいは心の距離が、あの特別な瞬間を連れてきた、と言えるのでしょう。
大事なのは心というローダンセ先生の教えは、こういう局面でも有効なわけです。

二人きりの特別な場所で、ルクリアは『どうしてドールになりたかったの?』と問う。
それは第2話でエリカが尋ねた、あるいは第1話でホッジンズが後ろめたさを込めて聞いた問いでもある。
戦闘兵器であったヴァイオレットが、どうしても『戦後』に馴染み人間にならなければいけない根本原因は、ここまで三話、必ず尋ねられています。

物語を支える背骨であり、話数すべてを掛けて追い求められう主題である『『愛している』を知りたい』という動機を、幾度も確認するこのしつこさは、僕は凄い良いと思う。
それは物語を支える一つの大きなミステリを提示すると同時に、『愛している』の意味がわからないヴァイオレット・エヴァーガーデンの内面を追跡し、自分を取り戻すための人生の歩みを、話の主軸に据える問いだから。
主人公が主人公であることを、何よりも強く証明する問いかけだから。
この話はそういう、凄くシンプルで靭やかなものを追いかけ続ける、単純できれいな話だと思っているから。
『なぜ、自動手記人形を選び取ったのか』という問いが重ねられることには意味があるし、今回『学校』を通じて体外的なドールの存在意義が別角度から確認されるのも、芯の通った流れだと思います。

さておき、ヴァイオレットが人形(あるいは子供)の無防備さで少佐への愛と喪失を語ったことが呼び水となり、ルクリアは兄とのわだかまり、父母の喪失という真実を晒していきます。
ヴァイオレットの純粋さが隠されることなく露わにされ、『戦後』の生き方に適応した存在がそれを受けと得ることで、自分の中に隠されていたものを公開する流れは、第2話でエリカが見せた反応に、よく似ています。
ヴァイオレットの危うい無垢さは、それに感応するだけの柔らかな精神を持った存在にとって、手を差し伸べたくなる魔力を宿しているようです。

幾度も切り取られる、宝石のように澄み切ったヴァイオレットの瞳。
それは『戦場』の方法論しか知らず、シンプルな事実だけをつなぎ合わせて生きる(以外に生存の方法が許されていない)獣のイノセンスが、人を動かす『何か』を持っていることを演出しているように思います。
マトモな人間として『戦後』に適応し、ヒトの間で生きていく方法を学んだ存在が、いつの間にか失ってしまっていた、濁りの一切ない真正さ。
それはヴァイオレットを社会に適応させない障害であり、同時に彼女だけが持つ不可思議な魅力、優しい人たちが彼女に接触し、柔らかで脆い真実を公開する魔力の厳選でもあるのでしょう。
そういう幼さに兄妹が帰還し、新しい道に歩き出せたことを、過去と現在、二回の『黄金のライデン』の情景で見せるのは、かなり好きな描き方です。


ヴァイオレットは無垢なる幼子なので、彼女が戦場のコードから初めて出て描く手紙は、非常に拙いものになります。
『戦後』の社会でうまくやっていくために、優れたドールとして必要な『戦後のコード』『大人の言語』を、彼女はまだ獲得できていない。
しかしその拙い言葉はあまりに真実であり、ルクリアが己の中に認めつつ、どうしても伝えられなかった大きな大きな壁をぶち壊す、根源的な力に満ちています。
言葉やふるまいの奥にある、人を動かす大きな根源。
そこに歩み寄り、見据え、受け取って書き記すことこそドールの職能であり、ヴァイオレットの子供じみた手紙がそれを正しく捕らえていたからこそ、ローダンセ先生は特例としてブローチを授けたのでしょう。

それは人間が人間として生きても良い贅沢に満ちた『戦後』(ヴァイオレットとお兄ちゃんの心に焼き付いてしまっている『戦場』とは正反対の光景)に、ヴァイオレットが初めて足跡を刻んだ、大事な一歩です。
人形、兵器、あるいは獣でしかなかった、『少佐と敵』しかいない(自分すらいない)世界以外知らなかった少女が、ルクリアと彼女の手紙の先にあるお兄ちゃんを見て、自分の言葉で二人をつなげようと踏み出した証明書です。

第2話でエリカが、あるいは第3話でルクリアとお兄ちゃんが、ヴァイオレットに向かい合うことで手に入れた歩みは、既に『戦後』の歩き方をある程度知っていて、でも真実胸を張って歩くことが出来ない人たちが前に進んだ一歩でした。
しかし今回ヴァイオレットが果たしたのは、心のない『自動手記人形』でしかない自分から、複雑に変化する他人の心を読み取り、その間で生きる『戦後の人間』へと変化していこうという決意に満ちた、0を1にする第一歩なわけです。

雛鳥が殻を破り羽ばたく瞬間のような、あるいは蕾が花開いて世界と出会う時のような。
ヴァイオレットが想いでの中で変化しない少佐(≒過去)ではなく、目の前で生きて涙し食事をとる誰か(≒現在)に目を向けた最初の瞬間が、非常に繊細かつ細やかに切り取られていることが、今回のお話に覚える特別な感慨を、分厚く下支えしているように思います。
ヴァイオレットの生き直しは、多分ここから始まって、きっと上手く行く。
そう思える変化を、彼女の『職業』たるドールに絡ませて描ききった今回は、やっぱりとっても素晴らしいなぁと、つくづく思うわけです。


『手紙』と同じくらい強烈にエピソードを貫通している象徴として、ライデンで最も高い時計塔があります。
物語の始まりと終わりを告げる鐘(チャイムで時間が動くのは、とても『学校』っぽいですね)を世界に響かせる、時間経過の象徴としての仕事もしつつ、そこからの黄金の景色はライデンで最も美しい贈り物になります。
都合四回(ヴァイオレットとルクリア、ヴァイオレットと少佐、過去のルクリアとお兄ちゃん、現在のルクリアとお兄ちゃん)が黄金の景色を共有するわけですが、そこには大きな変化があり、全てにおいて同じ景色を見つめ、思いを共有できる特別なシーンとして描かれています。
過去においても、現在においても、人々は金色の風景を同じ視界に収め、広い世界にたった二人支え合っていることを確認することで、絆を強くしていくわけです。

美しき墓標に満ちた、ヴァイオレットの心の中の黄金。
それは少佐との果たせなかった約束であり、回収しきれない思い出という意味で、ルクリアとお兄ちゃんがかつて見た景色に通じています。
『戦争』が勃発する前、心身に欠損がなく両親も生きていた黄金期に、兄が手を引いて妹を連れてきた、世界で一番高い場所。
その思い出を共有し、しかし『戦争』によって回復困難なほどに痛めつけられてしまったからこそ、兄妹は巨大な溝を前に立つすくみ、心の奥底でそれを乗り越えたいとも思っている。

美術と撮影の美麗さという、時にシンプルな物語に不釣り合いなリッチな強さが、『ライデンで最も高い場所』の景色に文句なしの説得力を与えているからこそ、兄妹が抱える問題は非常に素直に、暴力的な美麗さを持って視聴者の心に滑り込んできます。
そしてその溝の大きさが判るからこそ、ヴァイオレットの拙い手紙が生み出した奇跡の価値、彼女が『学校』で学習し回復したものの大きさも、よく伝わる。
ここら辺の『圧』の活かし方は、巧さと物語が見事に噛み合っていると思います。


そして今回の物語で、僕が最も巧く時計塔を使っているな、と感じたのは、実はその頂上からの景色ではありません。
社会に馴染めないまま暴力に飲み込まれ、ボロボロに傷ついたお兄ちゃんが地べたにぶっ倒れたまま見上げる、明かりのない時計塔にこそ、ある種の凄みを感じたのです。
自分が何者であるかという確信、身体や社会的立場へのプライドをボロボロにされたお兄ちゃんは、手を伸ばし思い出を掴み取ろうとします。
でもそれは『戦争』によって破壊されてしまって、そのままの形では二度と掴み取れない。
殴り、殴られて傷だらけになった手足や顔は、そのまま『戦後』の復興に取り残され、『戦場』の傷をそのまま残した彼の心を、素直に表しています。
ヴァイオレットの身体にも、その美しいかんばせに似合わぬ傷が刻まれていることを思い出せば、彼らが同じ傷、同じ魂を共有する戦友であることは、簡単にわかるでしょう。

ヴァイオレットはルクリアへの共感、真実の『ドール』になりたいという願いに突き動かされ、手紙を書いて届けようとする。
そんな彼女の接近を、自分を廃絶する世界の攻撃と受け取ったお兄ちゃんは杖を武器として振るい、ヴァイオレットを傷つけようとします。
それを、ヴァイオレットの銀腕が受け止める。
街の男たちが、あるいはルクリアが受け止められなかった軍用犬の凶暴さは、ヴァイオレットが『戦場』によって磨かれた兵器としての技量、あるいは失ってしまった腕の代用品が持つ鋼の頑丈さにより、ようやく抱擁されます。

杖は本来体を支えるリハビリの道具であり、他人を傷つけるための武器ではありません。
でも、体を欠損しプライドを失ってしまったお兄ちゃんの心は、それを振るう以外の道を見つけられなかった。
空っぽになった心に酒を流し込んで、流せない涙の代わりに溢れさせる以外に、生きる手段がなかった。
そういう追い込まれた気持ちを受け止め、なお壊れずにいることは、兵器であり人形であり、お兄ちゃんと同じように体の一部を失ったヴァイオレットだけが可能な、特別な行為なのです。

お兄ちゃんが追い込まれている、何もつかめない無明の闇を同じく知るからこそ。
彼の背骨を焼く無用物としての苛立ちを、人形の仮面に押し込んで生きているからこそ。
『後方』で安全に生き延びることが出来たルクリアが受け止めきれないものを、一旦しっかり受け止め、『学校』の椅子にちゃんと座ったのと同じ仕草で、お兄ちゃんのカルマをそのまま受け止めたからこそ。
お兄ちゃんも傷ついた瞳を開けてヴァイオレットを見て、世界を見て、手紙に込められた妹の思いを受け取り、もう一度立ち上がろうとします。

 

杖の正しい使用法を受け入れて、『戦後』の世界で生き直そうとする。
『ライデンで最も美しい場所』は、暗くて冷たい顔を当然持っていて、それに飲み込まれそうになりつつも人間は、やりきれない思いを誰かに叩きつけ受け止めてもらうことで、あるいは杖となり支えてもらうことで、もう一度歩き直すことが出来る。
あの暗闇の塔での接触は、そういうメッセージが強く込められているように僕には感じられて、非常に良いものでした。

銀の腕と、体を支える杖。
手負いの獣が己を補うために埋め込んだ不器用な道具が触れ合うこと……人間が為し得ない暴力的な牙のコミュニケーションが成立し得たのは、実は良き『ドール』としての魂を『学校』で学び、『手紙』に親しめたのと同じくらい大事なのではないか。
それを成立せしめたのは獣としての、人形としての、兵器としてのヴァイオレットであり、戦場に置き去りにしてきた過去を回収することこともまた、『学校』で学び快復させた能力を支えに未来に突き進んでいくのと同じくらい、大切なのではないか。
そう思う、闇の中で魂の双子が出会うシーンでした。

手紙が交わされ、お兄ちゃんとヴァイオレット(と、彼女の手紙が背負ったルクリア)が出会うシーンは、暖かなオレンジの光が闇の中で輝いている。
それは時間を超えて過去を取り戻す光であり、現在の連帯を快復させる光であり、かつて兄に手を惹かれて世界の頂点に登ったルクリアが、今度は傷ついた兄の手足となって彼を導くラストにも繋がっています。
あのとき二人の視界に広がっていたのは、傷つき変化してしまった現在をありのまま受け入れる生き方であり、損なわれてなお輝く美しい思い出の輝きであり、傷ついたとしても必ず回復できるという希望に満ちた未来でもあります。
そんな二人と魂を通わせたヴァイオレットもまた、ドールとして『手紙』を書く中で、同じ黄金の景色を見ることになる。
そういう豊かさに満ちたラストだったと思います。


僕はお兄ちゃんが、女でもそんなにイケメンでもないことが凄く好きだし、何らかの救いでもあると、勝手に感じました。
ヴァイオレットによく似ているルクリアが、『学校』という場を共有し、ヴァイオレットと共鳴していくことで傷を治癒されていくことは、非常にしっくり来ます。
どこかが似ている、それでいてぜんぜん違う誰かに共鳴し、合同と差異を確認していくことで、人間は世界の広さと自分の形を確認し、知恵と優しさを付けていきます。
そういう人としての根本的な学習が、属性の親しい、見目麗しいルクリアとの間で発生するのは、とても自然なことです。

でも、そのような治癒と変化は、似通っているからこそ起きるわけではない。
大概損なわれてこの世に産み落とされてしまう(我々)人間にとって、癒やしは美しい外見や、物語の特別な存在として選ばれたことを条件に、特例として与えられるものではないだろうし、そうあってはいけないだろう思います。
少なくとも、この『戦争』によって引き裂かれつつ、そこから立ち直る可塑性とタフさに満ちた『戦後』を舞台としている物語においては。

性別も外見もかけ離れていたとしても、魂の質において同じであるなら、そこに共感と共鳴は起こりうる。
外見や立場や性別や、その他全てを取り払わったとしても残る、どうしようもなく厳しい世界に傷つけられ歩き直す、ナイーブでタフな魂。
それを共有しているお兄ちゃんとヴァイオレットが、『学校』という場の外で、凄く暗くて冷たい場所で共鳴し、ある種のリハビリをお互い行ったこと。
それがなんというか……このとてもベーシックな作品が持つ(べきだと僕が感じている)広範な価値観を象徴しているようで、凄く安心したのです。

冴えない外見をした歩行障害の男だって、優しく気立ての良い美しい女だって、みな救われうる。
そのための触媒として、生き方を不器用に学び変えつつある我々の主人公は、しっかり機能しうる。
お兄ちゃんが自分の巧く動かない足を、それを支えてくれる妹の愛を、ちゃんと受け入れるための助けとなれる。
自分の足で黄金の景色にたどり着き、傷だらけの現在を肯定できる、ありふれた人生の一幕を導きうる。

ただ綺麗な女と女が出会って運命が動いただけではなく、そういう当たり前であり得ないほど大切な一歩が丁寧に切り取られたことが、凄くシンプルな筋立てで『ヴァイオレット・エヴァーガーデンの再生』をこれまで描き、これから描くだろうこのアニメにとって、大きな導となる。
そういう予感を、僕は勝手に、冴えないお兄ちゃんが当たり前に傷ついて迷って、吠えて殴って、立ち直って生き直す物語に、そこに美しい菫の花が咲いていたことに感じたのです。
こういう感覚があると、『作品全体に全体重を預けてもかまわない』という信頼感が生まれるので、非常にありがたいですな。


ヴァイオレットとモールバラ兄妹の、魂の交流を軸に進む物語ですが、他の人々も大事な仕事を果たしています。
『学校』においては、揺るぎなき信念を持って生徒に厳しく、公平に接するローダンセ先生の存在が、とても大きかった。
ヴァイオレットの技術(これもお兄ちゃんの一撃を止めた技術と同じく、ある程度は『戦場』が育んだものでしょう)を肯定しつつ、それだけでは評価されず、居場所も幸福も生み出せない『戦後』のコードを、クレバーに伝えてきてくれました。
あくまで教師の立場からはみ出さず、クール(それこそヴァイオレットのような『人形』のよう)に振る舞っていた彼女が、『より良い自動手記人形』への第一歩を踏み出す教え子を見つめる時の、小さな表情の変化。
ああいうものを切り取れるのは、やはりこのアニメの全体的なクオリティの高さあってのことでしょうね。

第2話まで話の中心にあった『会社』から、ヴァイオレットは離れ、大きな変化を手に入れます。
それでも『会社』は帰ってくる場所……『ホーム』であり、仲間たちは必ず『お帰り』と声をかけます。
過去を持たないヴァイオレットに『ホーム』があることの暖かさは、家族の待つ家に帰還しても薄暗い荒廃だけが待っているルクリアとの対比になっていて、なかなか鋭い使い方でした。
ここでもオレンジの光と暗闇が対比されていて、作品全体を貫く色彩の哲学を感じることが出来ます。

初日、主席の報を持って帰還したあとの社員の表情がなかなか印象的で、第2話で共感の架け橋を作ってあるエリカは嬉しそうに微笑み、未だ巧くコミュニケーション出来ていないアイリスは不服そうな表情を見せます。
『学校』で学んだ共感能力を巧く使って、同じように未熟なままのアイリスとも、いい関係を作ってくれると嬉しいのですが。
その時には、ヴァイオレットの無垢な瞳に想いを反射させられ、その尊さをちゃんと認識しているエリカが手助けをしてくれるのでしょう。

カトレアはベネディクトと喧嘩したり仲良くしたり、人間の持つ裏腹さの体現みたいな立ち回りをしていました。
ガサツで女心がわからないベネディクトが反発されるのは解らいでもないですが、そんな彼女も『女』を盾にとって、「男のくせに!」などという凶器のような言葉を振り回してしまう。
何気なく発せられる『男のくせに!』を突き詰めていくと、お兄ちゃんを苛んだ無力感……『兵器だったのに、男だったのに、守るべきものを守れなかった』という意識にたどり着く感じもあって、なかなか怖い台詞でした。

ドールは基本『女の仕事』のようであり、どうしても『女』を特権的に扱ってしまう舞台組だとは思うのですが、むしろその尖った部分を活かして、対象物となる『男』も巧く描いてくれると、バランスよくていいかな、と思います。
ここらへんは今後、ヴァイオレットが『愛している』の真実を探り、男女の愛を探り当てる中で、踏み込んでいくポイントなのかな。
今回『兄弟愛・家族愛』という男女の別を必要としない感情に接近したわけですが、別があってこそ意義を持つ感情もまた、世界には存在している。
そこを、今回のような豊かな筆でちゃんと掴み取ってくれると、より万人のための、『男』である僕のための物語として受け止める、大事な足場になると思うわけです。


というわけで、非常に鮮明な構図と、豊かな表現力を持った第3話でした。
キャラクターの配置や物語の基本形、主人公のキャラを第1話、第2話で説明し終えて、第3話にして主人公の心が動く。
それが人を動かし、世界を動かすダイナミズムがしっかりとあって、手応えのある物語だったと思います。

ヴァイオレットがルクリアや『学校』から学び、そんなヴァイオレットに触れ合った人たちが、彼女から学び、治癒されていく。
お兄ちゃんに『戦争』が与えた傷が明瞭だったことも、そこからの回復がしっかり描かれたことも、欠落だらけのヴァイオレットが必ず幸せになれる未来を幻視する足場となって、非常に良かったです。

やっぱ僕は、物語の未来に何らかの確信が持てるシーンが胸に落ちてくると、そのお話をとても好きになれるんだなぁ。
話の中心にある『自動手記人形』という職業がどのようなものか、ヴァイオレットが何を目指すのか。
ヴァイオレットの耳を借りて視聴者にクリアに提出されたのも、作品の全体像を受け取る上で良かったと思います。

思い出の中の、あるいは自分の足でたどり着ける、世界の頂点の美しい景色。
心に突き刺さったその情景は、時に人を苛み、でももう一度立ち上がる杖ともなる。
ヴァイオレットが創り上げた初めての、拙くて優しい手紙もまた、兄妹が歩き直すための掛け替えのない杖となりました。
そうして人とふれあい、少しずつ自分を取り戻し作り上げながら、ヴァイオレットがどこにたどり着くのか。
来週もとても楽しみですね。