3月のライオンを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
深く、もっと深く。盤面の奥にある龍宮城を目指して、名人と若者が潜っていく。そこで繋がった不思議な感覚が、水の底に沈んだ仙台に溢れかえって消えない。真っ白く美しい男と、雨の中消えていってしまおうか。
宗谷名人の透明な存在感が、零くんを道に導くエピソード。
というわけで記念対局、『水のアニメ』である(と僕が勝手に思っている)3月のライオン、真骨頂たる雨降りのお話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
零くんの周囲を取り巻く、うるさくも頼もしい人たちを賑やかに切り取った前回から、雑音を切り離した静寂の只中で遊ぶ今回。聞こえない音を演出で聴かせる鋭さが良い。
記念対局自体はあっさり目で終わるが、かなり密度は濃い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
岡目八目なはずの解説席より、盤面で勝負に向かい合ってる二人のほうが、勝負に深く入り込めている描写が面白い。番記者には『なんですかねぇ?』という敗着は、零ちゃんと宗谷名人にとっては、指した瞬間に指運で解っている。
そういう極度の集中は、真摯に将棋に向かえばこそ生まれる。苦しみつつ、望まずと将棋に潜り続けた零ちゃんの歩みは、けして無駄ではなかったわけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
それと同時に、宗谷冬司という規格外の存在を前にして、新しい景色も広がっていく。窒息する濁流ではなく、呼吸可能な水底の壺中天。
零ちゃんは『何も聞こえなかった』と宗谷との対峙を振り返るが、音の欠落した彼の世界を考えると、それは素直に名人の心象を読んだのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
他の対局者と同じように、思考はトレースできている。音の途絶えた別天地で、盤面だけを足場に世界につながる男。
その白く高い景色を、追体験できた貴重さ。
それを把握はせずとも認識しているからこそ、零ちゃんは幾度も対局を半数していく。今まで幾度も呑んできた、苦かったり甘かったり、命を奪ったり繋いだりする水の、新しい表情。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
指し手一つ一つを飛び越えて、そこで体感したもの全体を見てるのが面白い。勝ち負けが重くない記念対局だからこそか。
憧れを飛び越える。藤井四段の現在の境涯だそうだが、零くんもまた最年少プロ棋士として、物語の住人を自分に引き寄せようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
しかし宗谷の存在感は不思議な水として溢れて、零くんの障壁をスルリと飲み込んでいく。あくまで水に泳ぐ大きな魚のように、美しい異形として零くんは宗谷を見る。
ここらへんは年齢差も、大きく関わっている部分だと思う。仙台駅で一瞬隣り合う、年経て節くれだった宗谷の手と、ツルリとした零くんの手。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
そんな異質性を痛いほど認識しつつ、同い年のライバルとして向かい合わなければ立ち行かなかった島田さんは、一人間・宗谷冬司をよく見ている。面白い。
しかし、子供だって子供のままじゃあない。負けが見えた時、零くんは自分の手でボトルキャップを開け、水を思い切り飲み込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
かつて投げ捨ててしまったり、二海堂の遺言で目を覚ましたりした、運命の結節点。そこに向かい合うための水分補給を、零くんは自分でできるようになったのだ。
あの水分補給は、島田さんに頭をかち割られた後、脱水症状になっていたのと面白い対比だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
そういう経験があって、当の島田さんにも支えられて、零くんは乾いた自分に自分で水をあげられる少年に、ゆっくり変化してきた。水の的確な飲み方、溺れない方法を学んだのだ。
そこには当然、川本家も深く関与している。今回一切出番はないが、自分の衣食住すらなおざりにしていた少年は、そこを丁寧にケアしてくれる人たちとのふれあいを経て、遠い神様を自分の側に引き寄せる行動に出る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
雨を凌ぐ屋根を探し、飢えを満たす食事を手に入れ、欠落に寄り添って補う。
雨に満ちた仙台放浪は、なかなか困った事態なのだが、同時に不思議な高揚感にも満ちている。『ヤバイなー、ヤバイなー』と口にしつつ、なんだかウキウキしてしまうあの瞬間の空気が、よく切り取られていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
そういう雰囲気に流されつつ、零くんは弱った人をちゃんと見つけ、守る。
それは零くん自身が、非常に恵まれた出会いによって与えられてきたものであり、その軌跡の意味を肌で知っているから、零くんは宗谷の手を引くことが出来たのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
音の届かない水底の苦しさを、そこから引き上げてくれる手の暖かさを、自分ではない誰かに分け与えようとしたのだろう。
それはとっても良いことで、そういう全人格的な変化が棋士としての成長にも、また繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
対局室の水底の静寂と、二人で歩く水浸しの仙台が繋がっているように、時間も場所も向かい合うヒトも変わりつつ、変わらないものがある。
そういうものをジンワリ確認できて、とても良かった。
完全に妖精境として描かれている雨の仙台駅、指を離した瞬間に敗着だと気づいてしまう稲妻の痛み。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
今回描かれているものは、不可思議なのに妙に懐かしい、特別でありふれた感触に満ちている。この近さと遠さの同居は、宗谷の独特なキャラクターを際立たせ、また宗谷に支えられてもいる。
「そういうもんだよ」の一言だけで、石田彰を使い倒す。贅沢な作りだが、零ちゃんが引き込まれた静かな水の底を、視聴者に追体験させる良い仕掛けになっていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
全人類、石田の声は聞き続けたい。そういう艶がある素材を、一点だけ据えて、あとは沈黙で充たす。耳と目が、宗谷冬司に引き寄せられる。
雨の海を泳ぐ魚、あるいは孤高の白い鳥、ぼやけた視界を歩く奇妙な獣。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
宗谷冬司は明らかに現世のものとして描かれていないが、同時にとてもチャーミングで可愛らしい。言葉を持たずともある程度は人間社会に適応していて、払い戻し窓口を見つけたり、コンビニでミニマムに買い物したりする。
将棋の神様は、想像していた以上に異質で、考えていたよりも親しみやすかった。可愛げがあって圧倒的で、不可思議でもっと見つめたくなった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
零くんがこの奇妙な旅の中で手に入れただろう感慨が、物言わぬ宗谷冬司を描くソフトな色差と筆致から、ジンワリと伝わってくる。アニメの醍醐味だ。
神様が人間でしかなく、同時に神様でしかないことを思い知る今回、聴覚障害者なりに工夫しながら、宗谷冬司が人間社会を生き延びている瞬間がちゃんと切り取られていたのは、非常に良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
彼もまた、将棋以外に世界との接点を持たず、それでも自分なりに自分をケアし、他人にケアされて生きている。
そこへの感謝は言葉にならないが、零くんがうるさい大人や川本家に感じているように、同じ気持ちでいるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
その核心に触れることなんて出来やしないけども、勝手な思い込みで感謝しながら前に進んでいくこのお話から、将棋の神様だって無縁ではないのだ。
そういう親近感と、そこから超越した浮遊感が同居した、今回の宗谷名人の描写。それは棋士として零くんが目指す高み、憧れであり現実でもある将棋の町天にも繋がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
将棋成り上がりストーリーでもあるこのアニメにとって、そこがとても叙情的に説得力を込めて描けていたのは、非常に力強いと思う。
美少年と美中年の不思議な歩みは、宿を見つけて次週に持ち越しである。特に劇的なことが起こるわけでなく、当たり前に優しくして、当たり前に寄り添う、当たり前ではなく美しい風景。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月28日
その前奏としての記念対局も含めて、非常に鮮明なエピソードであった。やっぱこのアニメの演出は良い。凄く良い。