イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ヴァイオレット・エヴァーガーデン:第8話『』感想

花無き夜を抜けて、記憶は獄炎の終着へと至る。
真実を知ったヴァイオレットの魂が過去へと彷徨う、タイトル無き第8話です。
これまで空白だったヴァイオレット・エヴァーガーデンの『戦場』が描写される回であり、物語や名前、意味が喪失し剥き出しの現実だけが飛び交う場所で、ヴァイオレットが何を失ったかが描かれました。

両腕と心、意味と物語を喪失したところから始まり、兵士、人形、あるいは狂犬であったヴァイオレットが『良きドール』となる物語を逆回しするように、冷たく暗く硬い画面が静かに吠えていました。
『「」』と名付けられた前回には在った物語の輪郭すら、戦果と血しぶきに覆われて消えてしまう生々しい世界が、ヴァイオレットを形作ったことが良く分かるエピソードでした。
『戦後』を埋め尽くした光と花を完全に刈り取り、重たく暗いムードで画面を埋めることで、ある種の時間旅行を成立させているのは、面白い演出ですね。
発射音、着弾音、砲撃音……音響の冴えが戦場の重たさをしっかり伝え、これまでと味わいの違うエピソードに重力を与えていました。
高いクオリティを適切に配置し、ドラマと世界を加速させるように使いこなす瞬間が、やっぱり好きだな。


今回のお話は、名前のない『』の中にいる過去のヴァイオレットと、第6話でリオンに告げたように『世界のすべて』を失ってしまった(『』を再来させた)現在のヴァイオレットが、交錯する作りになっています。
第1話で見せていたよりもなお強い、人形めいた無表情と、焼け焦げた傷。
ヴァイオレットは無自覚の内に、少佐とのふれあいの中でそこから這い出してはいるのですが、周囲を埋め尽くす『戦場』は人殺しの役には立たない花(あるいは光、食事、衣装。つまりは人間性)の存在を認めません。
とにかく乾いていて、闇に満ちて、物語を拒絶する冷たい感触こそが、ヴァイオレットの人格を育んだ寝床であり、彼女を支配するコードなわけです。

ここまでのお話を思い返せば、ヴァイオレットが様々なヒトの助力を借りてそこから這い出し、焼け焦げた人間性リハビリテーションして、自分自身が花であり、光でもあることを(再)獲得していく展開だったといえます。
光のない屋敷、薄暗い夜戦、燃え上がる炎、あるいは冬の冷たい墓場。
これまで世界を包んでいた(つまりヴァイオレットの心を包み、『戦後』のコードを獲得させていった)暖かさは、非常に慎重に排除されています。

ヴァイオレットが『良きドール』としての自発性を獲得するのは、戦場で両腕と少佐を失い、その痛ましさにホッジンズが手を差し伸べた『後』のことです。
彼女に投射される真心や社会参加、承認や感情が、人間としての彼女を彫刻し、鍛え上げる過程、そうして生まれたヴァイオレットの意志が他者の道を照らす様子を、僕らはここまで見守ってきた。
だからその『前』が描写される今回は、ヴァイオレットは他者の意思を反射する物品(これまでの物語では銀腕が大事な仕事を担っていた部分)として描かれます。
その瞳はほとんど揺れず、例外的に『戦場の中の戦後』である感謝祭、『美しい』という言葉に出会い、後に彼女を支えることになる翠玉を手に入れた瞬間だけ、彼女の瞳は人間性に揺らぐ。
それ以外は、綺麗な鏡のように透き通ったまま、揺らぐことなく敵に噛みつき、食い破ります。

 

親も家もなく、物語も言葉すらも獲得できていないヴァイオレットの代わりに、『戦場』と『戦後』、兵器と人間の間で揺れ、苦しむのは少佐です。
透き通ったヴァイオレットの無垢さが、他者の感情をよく反射する(正確には、反射しているものを見る感受性が備わった他者が、それを確認する)シーンは、これまでも多数描かれてきました。
今回は非常に少佐の『眼』のアップが多い回で、しかもその殆どが苦悩を反映している。

 

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ヴァイオレットに人間性を認めず、使い捨ての兵器として認識するディートフリート(あるいは軍上層部)のように、闇の中にずっと居続けるわけではなく。
光と闇の淡い、自分とヴァイオレットを遮る境界線を乗り越え、『戦場』にいながらにして『戦後』を見る余裕(あるいは油断、もしくは残酷)を抱えたまま、少女を兵器として扱うしかない苦悩。
多用される緑の瞳のアップは、そこにヴァイオレットが見た『美しい』と、ラストの銃撃によるその喪失を強調する演出ですが、同時に殺人兵器になりきれない(そのようにヴァイオレットを扱いきれない)彼の苦悩を、光と闇が分かたれつつ共存する構図は、巧く投影しています。

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『戦場』にいつつ『戦後』を見てしまう少佐(『俺、この戦争が終わったら会社立てるんだ……』と、死亡フラグをブリバリ立てて生存するホッジンズも、同じ岸にいます)に対し、現在時間軸のディートフリートは、常に闇の中にいます。

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ヴァイオレットが身を置く『戦後』の光に背中を向け、人間を使い潰す戦争の機械、それが生み出す闇から歩み出せないディートフリートの姿は、かつてのヴァイオレットの反射であり、現在のヴァイオレットが落ち込もうとしている闇に、よく似ている。
花や喜びに満ちた『戦後』などまやかしで、多くの人が死んだ『戦場』の闇だけが世界の真実だと自分を追い込んでいるように、ディートフリートは徹底的に闇から出ない。

これは線上のロジックを少佐に押し付ける、軍上層部との会合でも同じです。
上官は窓を背にし、どんな状況でもそこにあるはずの人間性を無視して、『少女を兵器として使い潰せ』という命令を出す。
あらゆる人がそういう、剥き出しのリアルにさらされる極限に、個人がどう対処し、あるいはどう手を差し出すか。
停戦を分水嶺に、光と闇のバランスが逆転している『戦後』を描いてきたこのアニメですが、その背後には『戦争』という闇と炎が確かに存在していて、それに噛みつかれて心身を失った(ヴァイオレット、スペンサー、あるいは戦争と関係のない部分でオスカー)人々は、確かに描かれてきました。

闇が支配する『戦場』においては、主要言語は荒廃と殺戮であり、他人の顔を見ている余裕はありません。
生きるか死ぬかのルール以外を見つめるものは、役目を果たし気を抜いて、ヴァイオレットに視線をやった少佐のように、撃たれて死ぬ。
闇に身を沈めたままのディートハルトは、ホッジンズや『学校』、『ドール』という仕事が手を差し伸べてくれなかった、もうひとりのヴァイオレットなのかもしれません。
弟の死を噛み締め、殺人兵器の存在するはずのない痛みについて述べる時、彼の瞳もまたアップにされる。
そこには虚無だけではなく、弟によく似た緑の美しい瞳、離別の痛みがあったように思うわけですが……。
彼が闇の中から覗かせる小さな光が、何か意味を持つか否かは、今後の話運び一つだと思います……あんま『嫌な敵役』として、単機能に使ってほしくはないキャラよね。

そしてヴァイオレットもまた、ずぶ濡れで川を渡り、髪も服もボロボロだった……自分の姿を鑑みる余裕が一切なかった『戦場』に、帰還しつつある。
現在と過去をザッピングしながら進む今回は、闇と光の綱引きの中で、未だ『戦後』に帰還できない存在、あるいは『戦争』に食われてしまった存在を、鮮明に浮かび上がらせます。
『良きドール』にならんと奮戦してきたヴァイオレットの中には、確かに薄暗い闇があり、殺戮の炎が渦を巻いている。
それは喉を掻っ切られた斥候が取りこぼしたランタンのように、敵と自分、また自分の大事な人を焼き続けて、未だ消えない。
『戦後』においては、薄暗い感情の中で紡がれる温もりを表していたオレンジ色の光が、今回は殺戮の予兆、あるいは暴走する殺意の象徴として使われているのは、『戦後』と『戦場』のコードの差異を、非常にうまく描いていたと思います。
人の顔色を読み、物語の意味を探し、心のありか、言葉の真実を探し求める『良きドール』に適応してもまだ、ヴァイオレットの中に巣食い、時間を巻き戻そうとする冥い炎。
基本闇の中で展開する今回のエピソードは、そういうものを確認するお話なのだと思います。
なので、『華』の描写は一切なし、と……。


『ドール』に、『言葉』に、『物語』に。
『戦後』を生き直すヴァイオレットの過去を掘る今回は、彼女が不自由な腕で生きていくための杖とまだ出会っていない状況で進むため、全体的にテイストが違います。
しかし後に彼女を助けることになる『戦後』のコードは、その片鱗をちゃんと見せている。
『ヴァイオレット』という名前……人格を持った一存在として社会に己を立てるためのアイデンティティを獲得した後、彼女は子供向けの絵本……『物語』と出会うことで、言葉を学んでいく。
言語というコミュニケーション・ツールを不器用ながら獲得した後は、『命令』という『戦場』のコードに偽装された少佐の真心を受け取りつつ、報告書を毎日書く。

それは実用以外を弾き飛ばす『戦場』で、ぎりぎり許された想像力の発露であり、ヴァイオレットの『全て』であった人が教えてくれた、人間らしい吠え方だったのでしょう。
こういう描写を見ると、就業直後のヴァイオレットが『手紙』ではなく『報告書』を描き続けたことに、笑い以上の痛ましさが宿る。
そおれは彼女なりに、唯一教えられ獲得できたメッセージを書き連ねる行為であり、失ってしまった親、恋人、上官を取り戻すための、不器用なあがきだったわけです。

周囲の人々が笑い、あるいは当惑する中で、過去を知るホッジンズが一人、その喪失と向き合い、『心を覆う火傷』という『物語』を、真摯に与えていたのが思い出されます。
無事生還し、復員して会社を運営している自分……『戦後』に適応できてしまっている自分を鑑みるダに、死んで『戦場』に取り残された戦友や、腕を失って這い出ることが出来ない少女を見ると、痛ましさが募ったんじゃないかなぁ。
そしてそのやましさは、ヴァイオレットを見る少佐の瞳にも宿っていて、立場は違えど二人の男はどうも、恋慕とはまた違う、凄く余裕のない感情にかられてヴァイオレットを庇護してる感じがある……ある種のサバイバーズ・ギルトというか。

とまれ、自分が『良きドール』になれる未来など一切想像せず、狂犬であり兵器であり人形でもある自我しか持たない彼女と、良家の子女として『戦後』の平穏を想像できる少佐の間には、乗り越えがたい壁があります。
『戦争』が続き、ヴァイオレットを兵器として活用しなければ自分も仲間も生き残れない……『戦後』にたどり着けない状況の中で、少佐は自分だけが見ているヴァイオレットの中の光を、まっすぐには見れない。
それでも自分を支える『名前』を、他者とつながる『言葉』を、想いを未来に運んでいく『物語』を不器用に与えることで、ある種の祈りをヴァイオレットに投げかけている様子が、細やかに切り取られていきます。

それは『戦場』で、ヴァイオレットを活かすことには繋がりません。
そこで必要とされるのは、ナイフという狂犬の牙、銃弾のコミュニケーション、包囲に即時反応する獣のセンス(第4話で落下するアイリスに反応したのと、同根のもの)、一息に川を渡る身体能力(第7話でオスカーに夢を見せ、過去を取り戻させたのと、同根のもの)です。
少佐が送ったものは『戦場』においては贅沢品でしかなく、感謝祭のオレンジの光が照らした一瞬の夢なんですが、しかし両腕を失いつつ生き延びてしまったヴァイオレットにとって、それらの贈り物こそが『戦後』を生きていく支えになる。
時間を飛び越え、リハビリテーションの末に過去から送られた光(あるいは祈り)の意味を、ヴァイオレットが再確認する物語を、僕らは見てきたのかもしれません。
その祈りの反射を、少佐自身が確認できていないことがなかなかに切ないわけですが。


『戦場』の冷たいルールが支配する世界でも、ヴァイオレットと少佐は交流し、変化していきます。
最初は軍服も着ず、言葉も持たず、人間の寝床で眠らないヴァイオレットは、完全に犬のトーテムを持つアウトサイダーとして描かれている。
銃と軍服を与え戦場に出た後でも、静粛殺傷という軍隊のコードではなく、獣めいた殺傷を撒き散らした炎は、自分の居場所を教えてしまう。
『戦場』のコードで焼き尽くされつつ、ヴァイオレットは規律ある殺人兵器……軍人としての自分を内面化出来ないまま、ただ少佐一個人の武器として走りきります。
滑らかに糾弾されていたルガーとヴァイオレットは、とても良く似た存在なわけです。

すみれの名前に祈りを込めた時、あるいは感謝祭で『美しい』を学んだ時。
ヴァイオレットが人間性に接近する瞬間はあるのですが、それは『戦場』をひっくり返すパワーに当然欠けていて、世界のコードをひっくり返す力足り得ない。
『戦場』に身を置く限りヴァイオレットは犬、人形、銃……人間以外であり続けるしかないし、そうすることが『勝利』という少佐の目標を叶えもする。
少佐が人を殺すことでしか、人が死なない未来を掴めない根本的なジレンマに悩んでいた故の、苦悩のアップ多用かもしれませんね。

世界全てをひっくり返さないにしても、ヴァイオレットにとって少佐との繋がりが『世界』であり、それは言葉少なく不器用に、小さく小さく変質していく。
そんな二人の距離を『戦場』は認めてくれないまま、一瞬見えた光は遠ざかり、再び夜戦の闇が覆う。
そういう往復運動が、今回のエピソードでは幾度も繰り返され、遂に最後の炸裂に至るわけです。
緑色の信号弾は『勝利』と、それが連れてくる『戦後』の象徴なわけですが、それが世界に行き渡る前に闇からの狙撃で全てが断ち切られてしまうところに、『戦場』のコードが持つ問答無用さ、グロテスクなまでにリアルであるからこその力を感じます。

ヴァイオレットは少佐の庇護を受け、メイドさんに体を洗われ、食事を与えられ、服を整えられます。
衣食住を人間性の象徴として巧く使ってきたこのアニメらしく、未だ他者との繋がり方がわからない(それが獲得されるのは『戦後』です)ヴァイオレットは、それらのシーンを具体的に描写されない。
マトモな子供ではなく、戦闘用の道具として使われるための一瞬のメンテナンスは、彼女に美しい服も、整った髪の毛も与えてはくれないわけです。(少佐以外を人間として認識できないヴァイオレットが、自分から他者からの人間性快復を弾いている部分もある)
そういう目線で見ると、戦場に不要なアクセサリーを贈る行為は、後にヴァイオレットが『良きドール』として快復する人間性を、先取りして贈与する意味合いがあるか。

少佐の死を知って混乱し、『戦後』獲得したものを振り捨てつつあるヴァイオレットは、今回描写される過去の中に帰還しつつあります。
なので、水に濡れるのも厭わず前進し、眠ることなく前に進み、服はボロボロ、髪はボサボサでも気にしない。
意思を通すために暴力を使いこなし、門番の兵士の肩を外す。
人間らしい外装は他者が与えてくれたお仕着せであって、彼女自身が心から体得したアイデンティティには、まだなっていないのでしょう。

『戦場』の薄暗い闇、殺人の火傷はまだまだ強い引力を持って、彼女を過去に引き戻そうとする。(その運動の一つとして、第5話ラストのディートフリートがいる)
それでも、病院から引っ張り出し居場所を作ってくれたホッジンズや、これまで対話してきた様々な人の思いが抜けきれないからこそ、ヴァイオレットは表情を荒げ、言葉を使って自分を表現するわけですが。
そういう綱引きの、もう一方の極がどれだけ強くヴァイオレットを引っ張り、引き裂きつつあるかを見せることが、今回の過去編の大きな意味でしょう。


少佐の死(とヴァイオレットが受け取るもの)によって、彼女の『世界』は崩壊しかかり、これまで手に入れた『物語』のフレームは崩壊しつつあります。
『良きドール』を守る制服は汚れ、髪は大童に乱れ、容易に心を許さない狂犬、触るものを傷つける兵器、瞳に揺らぎのない人形に戻りつつある。
しかし彼女自身はそのうねりを感じなかったとしても、少佐が彼女に疚しさとともに見た『戦後』の気配……人間が当たり前の人間として生き延びられる時代の息吹は、様々なものを彼女に与えてきました。
たとえ癒やされない傷が、たゆたう名前のない闇が彼女を過去に引っ張ったとしても、その『戦場』にも(そのコードをひっくり返すパワーはなかったとしても)祈りは存在していて、彼女はその残滓に包まれてここまでやってきた。

少佐から委ねられた『愛している』の意味を探る『前』の時代を掘り下げ『戦場』に逆行し『良きドール』という物語を放棄しつつある(からこそ、今回のサブタイトルは『「」』という物語の輪郭すら無くした空白……語るべきものがない状態なのでしょうが)ヴァイオレットは、過去に『美しい』という言葉を学んでいる。
それは狂犬が唯一心を許した主ではなく、名前も知らない他者との交流によって植え付けられた、小さな種です。
ヴァイオレットは少佐が『世界のすべて』だと言うし、輪郭のない無意味に落ち込んでいく今回のお話は、その世界認識を裏付ける。
でも、剥き出しの暴力が世界を無意味化し続ける『戦場』にあってなお、彼女は他者とつながるための『言葉』を少佐によって与えられ、それを使って『美しい』という言葉の意味……美しく在る世界の輪郭を、ぼんやりと認識し、瞳を揺らがせていたのです。

だから次回、物語の輪郭も中身もなくなってしまった、『世界のすべて』を失ってしまった闇の中に、ヴァイオレットは自分自身を見つけ直すでしょう。
それは過去の闇の中に残響し、そこからホッジンズの慈悲(という公平な感情であり、同時に疚しさの解消というエゴイズムでもあるもの)によって引っ張り上げられた世界の中で、ヴァイオレット自身が切り開いた物語です。

僕らはそれを見て、この過去回にたどり着いた。
引っ込み思案な同僚に初期衝動を、同じく狂犬めいて居場所のなかった男とその妹に黄金の景色を、子供と大人の中間地点にいる娘に未来を。
届かぬ思いに悩む姫君に恋文を、母との愛憎に引き裂かれそうな青年に勇気を、娘を失った悲しみに停滞していた作家に物語を。
他ならぬヴァイオレット自身が、それぞれが放つ光の反射材となり、あるいは光それ自体となって、共に紡いだ『物語』、一緒に捕まえた『言葉』がある。

ローダンセ教官は、『良きドール』とは依頼者自身すら見つけていない真実を言葉にし、それを解き放ちたい思いに寄り添う存在だと、ヴァイオレットに教えました。
『世界すべて』の消失を目の前にして、ヴァイオレットは自分で歩いてきた道、光の中で手に入れた言葉を忘れつつある。
でもそれは、『戦場』の炎の中で焼き焦げても消えなかった少佐の想い出と同じくらい、意味と価値を持つ物語なのです。

不器用なマジレス人間が成し遂げてきた善は、必ず彼女自身に反射し、道を照らすでしょう。
それは、赤黒く物語を焼き焦がす『戦場』のコードではなく、痛みと不条理を踏みしめてようやく獲得できた『戦後』のコードが、駆動する道です。
それを歩むことで、ただただ意志無き兵器として駆動し続けた輪郭のない『戦場』が、実は『戦後』につながっていることを……喪失や痛みが無意味でも無価値でもなかったことを、思い出せるかもしれない。
それはヴァイオレットがいたことで初めて、スペンサーやオスカーがたどり着けた景色……過去の喪失を受け入れた上で、前を向いて歩き直す勇気の物語が、彼女に帰還してくる瞬間です。
そうやって『戦争』すらも肯定できる話が、このあと見れると良いな、と思います。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは狂犬であり、兵器であり、人形であり、闇と炎に切り裂かれ傷ついている。
その上でなお、ドールとして、人として言葉を使い、物語を読み解き、他者を前に進めるべく骨を折ってきたし、それに幾度となく成功する奇跡も起こしてきた。
その真実を思い出させ、これまで様々な人の思いを代筆してきた彼女に『手紙』を書いてあげるのは、誰なのか。
そこに至るまでに、ヴァイオレットと彼女の世界……花と光に満ちた『戦後』はどんな物語を歩むのか。
期待を込めて、来週を待ちたいと思います。


追記
少佐とメイドの会話で『奥様』という言葉が出てきましたが、これによって少佐が既婚者である……とするのは、ちょっと難しいところです。
メイドは少佐を『坊ちゃま』と言っているわけで、この場合の『奥様』は少佐とディートハルトの母……つまり『旦那様』の配偶者、なんじゃないかとも思うわけです。
無論少佐の配偶者を『奥様』と呼ぶのもありなんですが、その場合少佐は『旦那様』って呼ばれない?っていう疑問が。

少佐に恋愛のパートナーが居ると、ヴァイオレットへの『愛している』は恋愛の要素が一気に薄くなり、より広範な価値を含むことになります。
少佐が複数パートナーに本気で愛をささやける、とんでもないドンファンだって可能性もありますが、まぁそういう人間はああいう目はあんましないんじゃ……とも思う。
プラトニックな思いだけが意味を持つものではないし、別に年の離れた恋愛だって良いとも思うのですが、そこに込められた感情の色彩がいかなるものかは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの生き直しを追いかけるこの物語を、どう受け止めるかに大きく関わってきます。

なので、どうとも受け止められる情報が出てきたのには、ちょっと困惑しました。
ヴァイオレットと少佐のロマンス……を展開すると同時に、傷ついた彼らの再生を通じて『戦争』と『戦後』を描いてもいるこのお話、少女と青年、狂犬と飼い主がどのようなスタンスで繋がり、何を求めあっていたかは大事だと思うわけです。
『奥様』は(この作品にどういうムードを期待しているかによっても)結構判断が別れる言葉だと思いますが、そこを裏打ちする情報が今後出るか、出ないか。
そこもちょっと気になりますね。

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