イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ヴァイオレット・エヴァーガーデン:第9話『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想

すみれの花と灯火を、石のお墓に添えてください。
蝋で封した綺麗な手紙を、あなたに宛てて送ってください。
血と涙で汚れた手で、あなたは素敵な夢を配る。
たとえちぎられた愛が傷んでも、あなたの記した言葉は、あなたを明日へ運ぶから。

闇と死と過去、光と生と現在が綱引きを続ける戦後生き直し日記、勝負の第九話です。
メインタイトルと主役の名前を背負い、武本康弘をコンテ・演出に投入、血みどろの『戦場』もそこから再生した『戦後』も、このアニメとヴァイオレットが歩んできた物語全てを動員しての勝負回となりました。
音響、美術、メタファーにレイアウト。
複雑な心理を表情とモノに語らせつつ、陰影の色を濃く刻むシンボリックな演出が、ヴァイオレットの心の傷と、彼女が歩み直した世界で生み出してきたものの相剋を、見事に切り取ってきました。


今回のお話はとにかく象徴化の強い物語であり、同時にその芯は非常にシンプルです。
生きるか、死ぬか。
『良きドール』として歩きなおした物語の開始時からここまで歩いてきた現在と、後悔と罪悪にまみれた過去に飲まれて消えてしまうか。
亡霊が闊歩する薄暗い闇に帰還するか、光のあふれる生者の世界を進んでいくか。
そういうオーソドックスな綱引きが、映像に込められる要素すべてを使って進行していくお話です。

第7話ラスト直前までの運び、また後半に溢れる光を見ても判るように、このアニメは闇に囚われつつ前に進む人の物語であり、傷を受けてなお機能を回復しようともがく人間の本能、それを支え増幅する人々の物語です。
なので、ヴァイオレットが自分自身を取り戻すことは、ある意味既定路線とは言えます。
先週の『』というタイトルから、今週の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』へと繋ぐ構成は、彼女が自分自身を見失い過去(闇、閉鎖、死、後悔)に囚われかけた物語消失の状態から、現在(光、開放、前進、肯定)へと進み自分自身の名前、少佐がすみれの花に込めた祈りを再獲得する流れを、見事に切り取ってきました。

真実を告げられ、『世界のすべて』たる少佐を喪失したことにより、ヴァイオレットは命令(『戦場』のコード)を受け取れなくなります。
世界を読み解く教本を失った彼女にとって、世界は無明の闇であり、生きている理由がない。
しかしそれでも、生き延びてしまった体は生きることを望むし、喪失の意味もわからないまま歩いてきた『良きドール』への歩みは、ただヴァイオレットに『会社=家』を与えるだけではなく、他者に言葉と力を与えてきました。
手紙に記すことで共有される、現在を肯定できるような光の物語。
ヴァイオレットが知らず、真摯に紡いできたそれはヴァイオレット自身に反射して、彼女の道を照らすわけです。

しかし色の濃い闇(と、戦場で冴え渡る音響。天井落下の時の重たい音は圧倒的だった)もまた鮮明に描かれるため、ヴァイオレット(と、同じく生還者であるホッジンズ、『戦後』を生きるすべての人)が刻まれた火傷の深さは、重たい痛みを伴う。
そこをしっかり描けばこそ、そこに停滞してしまうヴァイオレットの無力感、そこから脱出する人々の掌の暖かさ、抜け出した先にある世界の眩しさも、より強く描かれます。
光と闇の対比を徹底させ、物言わぬモノ(瞳が映らない人間の顔も含む)を細やかにカットインさせる演出で奥行きを出す作りが、ヴァイオレットを引き裂く対立を鮮明に伝えてきました。

このアニメは『戦争』で死にきれなかった兵士たちがいかに『戦後』を生きていくかという特殊な状況の物語であり、同時にそこまで劇的ではなくても様々な矛盾に引き裂かれつつ生きていくしかない僕等に通じる、オーソドックスな物語でもあります。
ヴァイオレット(と、実は彼女と同じように過去と現在に引き裂かれつつ、必死にそこを繕って光の側へと歩き続けてきたホッジンズ)の葛藤を、心理を外界に引きずり出すような演出を駆使して描いた今回は、そういうコアを鮮明に叩きつけるエピソードであった。
そう思います。
お兄ちゃんびいきの視聴者としては、すげぇデカい仕事をお兄ちゃんが担当してくれて良かったなぁ……。


今回のお話は、前回描いた薄暗い過去を引きずって展開します。
ライデンに帰還し、自閉の時間を経て爺さんと手紙を配る(第1話、代筆業務に付く前にヴァイオレットが果たした『仕事』に帰還する造りですね)まで、画面はとにかく薄暗い。
勝利の照明弾は今まさに死にゆく兵士たちには届かず、過去はずっと暗い闇の中にある。
それは夜という物理であると同時に、取り返しのつかない過去と罪の重たさ、そこに縛られるヴァイオレットの心の重たさを、強く反映した黒です。

『世界のすべて』である少佐を撃たれ、ヴァイオレットは感情のない人形ではなく、愛するがゆえに殺す業の深い人間として、狼の表情で銃を撃ちます。
しかし感情を獲得してしまった彼女の弾丸は一度外れ、弾切れになる。
執拗に残酷に描かれる両腕喪失のシーケンスと合わせて、彼女は文字通り『腕=武器(Arms)』を失うわけです。
兵士としての彼女は、生死の土壇場で自分が人形ではなく、人を憎めもするし愛することも出来る人間だと気付いたあの聖堂で、役立たずになってしまっている。
落下する天井は、殺戮兵器としてのヴァイオレットの棺に落ちる、巨大な蓋なわけです。

あの戦闘を最後に『戦場』は葬り去られ、人々はすべてを忘れたふりを続けながら前に進んでいく。
アイリスが故郷(『戦場』から一番遠かった場所)で見せたように、殺戮の炎に蓋をして、食料や衣服、笑いと光に満ちた『戦後』を謳歌する。
しかしホッジンズが言うように、『戦場』は人の胸の中にこそあって、炎で強くあぶられた傷は消えはせず、そこで手に入れたもの、奪ったものは嘘にはならない。
なってくれない。

その残酷な真実性の闇に囚われたまま、光の中へ無自覚に踏み出したヴァイオレットを指弾するディートフリートの姿は、第5話ラストで描かれたとおりです。
飄々とした態度、社会に貢献する立派な仕事を果たす姿の奥に、友の喪失、殺戮への後悔を隠していたホッジンズもまた、ディートフリートと同じ生き方ができた。
しかし彼は闇に囚われそうになりつつ引きちぎり、火傷の痛みでうずくまらないよう、同じく戦場を抜けたカトレアとベネディクトとともに、『会社』を立ち上げた。
個人の感傷など置き去りにして指導してしまう『戦後』にどうにか適応し、自分がそこに相応しい機能を再獲得するために。
また、同じように傷を負った戦友を雇用して生きる意味を与え、あるいは『手紙』を届けることで少しでも生きる意味を再獲得してもらおうと。

ホッジンズは今回ヴァイオレットが囚われかけた墓場の闇からどうにか抜け出し、今回ヴァイオレットがようやく見つけた(見つけ直した)光に先に飛び出し、それを増幅できる場所を用意して来ました。
ホッジンズもまた、ヴァイオレットのように、あるいはディートフリートのように闇に身を沈めることも出来た(多分、描かれないだけでやってる)。
しかしそこから抜け出して『会社』を作ったことで、ヴァイオレットを引き受ける場所を用意し、その『仕事』のなかで過去に閉じ込められず前に進む意味、死と憎悪以外の意味を世界に伝えられる事実を授けることが出来た。
そこに少しのエゴイズム……救いきれなかったギルベルトの代償として、ヴァイオレットを見守る視線が混ざったとしても、それは非常に立派なことだと思います。

彼が先行して見つけ、歩いた光に満ちた道。
それがあったからこそ、ヴァイオレットはCH郵便社に就職し、『良きドール』として虚無の上に現在を積み上げることが出来た。
他者のために編み上げた物語が彼女に帰還し、彼女が再び立つ杖となる今回、(自力か誰かの助けがあったかは描写されていないから分からないけども)先んじて立ち上がり、闇から出て光に出て道を整えたホッジンズの強さと優しさは、偉大だと思います。
ここに来て、舞台装置的ですらあったホッジンズもまた犠牲者であり、銀の腕はなくとも喪失したものを再獲得してきたリハビリ仲間だと見せることで人間味を増したのは、凄く良かったですね。


さて、ヴァイオレットも最終的には光に帰還するわけですが、囚われた闇は深い。
アバンで過去の時間軸が終わり、武器と腕を奪われたあとも、彼女は闇に囚われたままです。
墓を掘り返したところで死人がよみがえるわけではないけども、それでも全てが失われた場所に帰還し、空疎な穴を掘り返すしかない。
タイプキーではなく瓦礫をいじり続けるヴァイオレットは、爆発によって蓋をされた棺を開けて、時間を巻き戻そうとあがいています。

当然それは答えのない残響であり、『命令』によって『戦争』に帰還したい……死んでしまいたい彼女の願いは叶わない。
殺したことも、殺されたことも一過性の重たい運命であり、思い一つでひっくり返るわけではないのです。

そこから抜け出すための一筋の燈明として、少佐がホッジンズに託した願いが描かれているのは、彼の保護者としての、同じ傷を受けた戦友としての、先んじて機能を快復させた先達としての役割を考えると、非常にスマートな演出と言えるでしょう。
闇の中にも光はあって、それは未来に伸びているのです。
その事実を知っているからこそ、ホッジンズは『会社』を立ち上げ、死の色の闇ではなく生の光の中に佇む。

ヴァイオレットが身を置く黒い廃墟と、そこを脱して現在を生きるホッジンズの光
<ヴァイオレットが身を置く闇、そこから抜け出して現在を生きるホッジンズの光>
 
ただ、それだけで消せるほど、ヴァイオレットが身を置く『戦争』の黒は薄くないわけですが。

生を望む少佐の願いは炎となって、『戦争』を葬った聖堂の下に帰還したいと願うヴァイオレットを焼きます。
生と死の両岸に引き裂かれたヴァイオレットにとって、『生きてくれ』は殉死への願い、痛みから開放され楽になる結末、『死』というタイトルのない物語に飛び込む快楽を、容赦なく焼きます。
少佐の死によって急速に人間になってしまった彼女にとって、『愛している』は読解不能な物語であり、墓標が並ぶ『戦場』のコード以外を与えられなかった兵器には、エラーを引き起こすものでしかない。
『お前は俺のいない世界で、俺の与えた”ヴァイオレット・エヴァーガーデン”を生き続けろ。人ならぬ猟犬として、主に命じられたまま戦争を追うのではなく、愛という謎を追え』という最後の命令は、『少佐』という物語しかなかった当時のヴァイオレットにとっては、非常に残酷なものだったわけです。

戦場の闇の中、一筋未来に繋がる光 それは同時に、人形を焼く炎にもなりうる
<戦争の闇を切り裂き、未来に投射される光。それは人形を焼く炎でもある>

 

願いと祈り、暖かな光に属するものが同時に闇を呼び込みもするのは、非常に面白い。
そういう複雑さ、シンプルな善意だけで乗り越えられない矛盾を秘めているからこそ、ヴァイオレットが『世界のすべて』を喪失する体験はなかなか出口を見つけられず、光と闇の淡いをさまようことになるのです。


情け容赦なく降り注ぐ雨を避けて、ベネディクトが車……『屋根があり、前に進むことが出来る道具』を用意しています。
それはベネディクトがハンドルを握り、彼が善いと思う方向……過去に逆行するのではなく未来に進み、雨に苛まれるのではなく暖かさに包まれる場所へと進んでいく。
冷たい雨の中で動かない、過去と死の中に身を置き続ける選択は、彼が『無理やり引っ張る』ことで否定されるわけです。
ヴァイオレットの帰還に一役買い、心を通わせた彼が、第3話のスペンサー、あるいは第4話のアイリスのように四肢を負傷し、杖を使うのは、なかなか面白いリフレインです。
配達を代行して『負傷による果たせなかった役目を、代理で果たす』という展開も、第4話の再帰かな。

『戦場』に強く炙られた同志として、同じ場所に立ち続ける……ベネディクトの行動は一緒に死んでやる覚悟を見せたホッジンズとは別の選択ですが、しかしそこで自分のエゴを通す姿勢は、正しい無神経さに満ちていると思います。
その危うさをちゃんと分かっているからこそ、彼は『すまない』と謝ったわけですし、火の傷で繋がってしまうホッジンズは、ヴァイオレットを判り過ぎるがゆえに墓場から抜け出せなかっただろうし。

亡霊が闊歩する聖堂から一時離れても、雨は降り続き、『戦争』は続く。
停戦調停によって確保された『戦後』に納得しない兵士が続ける『戦争』が行方を塞ぎ、三人は道を改めることを余儀なくされます。
ヴァイオレットを、ホッジンズを焼き引き寄せる『戦争』は、それを忘却しようとする大きなうねりの中でも生き延びていて、時折顔を出す。
軍人としての過去を常に否定してきたホッジンズが、今回は『戦争』のコードで軍人と対話するのも、その残響をよく聞いているからでしょう。


そこに耳を澄まさないと、過去に停滞し続けてるヴァイオレットの呻き声も、聞き落としてしまうだろうし。
後にカトレアは、『戦争』を忘れて『戦後』に適応できた幸せな生存者代表として、ホッジンズの残酷な指摘を糾弾する。
たしかに、平和で豊かな『戦後』を生きている殆どの人にとって、『戦場』の亡霊は見えないでしょう。
しかし、ヴァイオレットの視界の中には亡霊が確かに存在していて、それは『良きドール』として『戦後』を歩いてきた物語の中でも、消えることはなかった。
どれだけ人間らしい生活……衣食住が担保され、暖かい光に満ち、死者と生者を峻厳するリアルを突きつけられない『戦後』を歩いても、『世界のすべて』を喪失した闇、誰かの『世界のすべて』を奪ってきた過去は、彼女の胸の中から消えはしない。
ただ見落としていただけで、確かに存在していた過去の自分を、亡霊の呼び声に強く突き刺された彼女は、闇の中で確かに見るのです。

 

<墓所から遠く離れても、死滅寸前の心は存在するはずのない亡霊を確かに見る>
<存在するはずのない亡霊、過去に囚われた血まみれに子供は、確かにそこにいる>
 

ホッジンズもまた、亡霊を見ることが出来る。
それに囚われないからこそ軍を辞め、『会社』を作ったわけだけども、あの戦場で焼け落ちた様々なものを、彼は忘れない。
そこで焼き尽くされたものには、彼自身の心も含まれているから。
カトレアが聞くことが出来ない亡霊の呼び声が、ヴァイオレットに強く強く響く真実であると、自分自身の体験を持って知っているからこそ、彼は『キミは焼かれている』という残酷な予言を第1話で果たしたし、今回強い決意を持ってヴァイオレットの帰還を待つ。
闇に囚われ、時間を停止する……自死を選択することも視野に入れつつ、それでも自分が作り上げ、用意した『会社』での経験が、ヴァイオレットの傷を癒やし、亡霊の手から解放すると、強く意志を持って信じたのだと思います。
決意を込めてポケットから手を出すシーンが、非常に印象的です。

彼自身も、炎と闇、亡霊を見ながら『戦後』を生き延びているから。
カトレアと多くの生存者、『戦場』を知らないか忘れようと努力し成功したものたちとは違う視座から、ヴァイオレットを受け止めることが可能になる。
たとえ痛みを伴うとしても強く切開しなければ、亡霊が見えてしまう兵士が生き延びるすべはないのだと、ホッジンズは多分身を持って知っている。
優しい忘却を手渡そうとするカトレアと、厳しい真実で問題を乗り越えさせようとするホッジンズの対立を、『女と男』『母と父』に集約することも出来るとは思いますが、それよりも彼ら個人の考え、生き方に繋がる部分ではないでしょうか。


第2話で、あるいは第4話で。
ヴァイオレットの『手紙』によって道を見つけた同僚たちは、自分たちが想像すらできない闇を前に、どうするか迷います。
年頃の少女として当たり前に、家族も自身も喪失しなかった彼女たちにも、当然亡霊は見えない。
それでも、彼女たちはヴァイオレットと『会社』を共にし、自分の物語をより善いものにする言葉を与えられてきた。
光の中を『良きドール』として、人間であり生者でもあるヴァイオレット・エヴァーガーデンとして間違いなく生きてきた事実は、同僚たちの胸の中に疼いている。

ヴァイオレットが、会社を辞めるか、辞めないか。
もっと言えば生きることを諦めて自死してしまうか、生き延びて(ホッジンズがかつて選んだように)『会社』に帰還できるかを悩む少女たちの上を、鳥が飛びます。
それは生き死にの際を不安定にまたぐ存在であり、不確かな未来へと身を投じるヴァイオレット、彼女の生に否応なく巻き込まれ、自分の生を豊かなものにしてきた少女たちの、心を投影した存在だといえます。

このタイミングでは不定の未来、どちらへも飛びうる鳥たちが、ヴァイオレットが『生きる』ことを決めて光と花溢れる街へと飛び出す時、もう一度リフレインするのは鋭い演出です。
あの時は窓枠に遮られ、行き先も定かではなかった鳥は、ヴァイオレットに関わり、彼女を愛するようになった人たちが生み出した光の中を、未来へ向けて飛んでいきます。
同僚が悩むシーンでは鳥が下手へ下がり、決断のあとはヴァイオレットが踏み出す方向を追いかけて神手に飛んでいく対比は、非常に印象的ですね。

未だ定かならざる未来へ飛ぶ鳥  光を選び取ったヴァイオレットの世界を飛ぶ鳥

<未だ定かならざる方向へ飛ぶ鳥と、確かな未来へと羽ばたいていく鳥の対比>
 
どうしても扉に踏み込めないカトレアが、食事の心配をし差し入れを置いていった後、ヴァイオレットは深い闇に落ちていきます。
このアニメの文法を考えると、『差し入れ』が生への希求そのものであり、それを口にしないことがヴァイオレットの希死を強く反映しているのは、間違いないところでしょう。
現実の残骸を掘り返しても少佐が蘇らなかった以上、亡霊と同じところに行くには死ぬしかない。
思い詰めた彼女の視界に、犬のぬいぐるみが写ります。

それはホッジンズが彼女に投射した思いやりの象徴であり、聖堂に牙を置いてきてしまった狂犬の現状……戯画でもあります。
もうどうやったって人を殺せない、間抜けな犬。
光溢れる『戦後』のライデンに帰還しつつ、闇の中で膝を抱え続ける彼女を嘲笑うかのように鎮座ましましていた人形は、夜の闇の中で不気味な顔を見せます。

同ポジションを的確に使い、光の中で闇に沈むヴァイオレットと 闇の中で不気味な存在で在り続けるぬいぐるみを強調する構図

<明瞭な意図を持った同ポジの活用。闇に座り続ける犬と、光と闇の淡いにいる犬>

  

それは生き延びてしまったことの不気味さであり、少佐を守れずに殺し、名もなき兵士たちを兵器として殺してもなお、生き延びてしまっている現実の気持ち悪さを、色濃く映します。
魚眼や傾いだ構図、不気味なクローズアップを多用し、『生き続けていること』へのヴァイオレットの歪みを反映した人形を、ヴァイオレットは壊そうとして、出来ない。

傾いだ構図の不安定さが、可愛らしい人形を怪物めいて見せる
その不気味さは生きていることへの不気味さ、生き延びてしまった罪悪感を反射する

 <傾いだ構図。クローズアップ。生きることの不気味さ、清潔な死の渇望>

 聖堂で失った武器/腕の代わりに付けられた銀の腕は、たとえ自分のトーテムであろうと、無力な人形であろうと、壊すことはできなくなっているわけです。
その腕はやっぱり、『良きドール』として言葉をタイプし、タイトルのない不気味な物語……剥き出しの現実に意味を与えていく武器として、ヴァイオレットに備わっている。

だから、彼女が自分の喉を銀の腕で絞めても、当然死ねない。
なぜヴァイオレットが死ねなかったかは、色々理由が考えられるところだと思います。
罪悪感と生への嫌悪に満ちあふれていても、生きてしまっている身体は生きようとするものだから。
銀の腕は、そういう目的で使うものではもうないから。
聖堂に葬られず、病院から抜け出して『仕事』を手に入れてしまった彼女は、光の喜びをもう知ってしまっているから。
あるいは、『愛している。生きてくれ』という少佐の呪いが、彼女の胸に突き刺さっているから。

そのどれもが事実であり、複雑に絡み合って彼女を殺させなかったような気がします。
それは幸福なことなのですが、同時に無様で哀しいことでもある。
『主に準じて死ぬ。愛とともに埋葬される』という綺麗な物語を手に入れるチャンスは、このアニメの開始時点でヴァイオレットから略奪されています。
『世界のすべて』が存在しないとしても、その空疎な空白、名前のない物語を生き延びなければいけない苦しさに、彼女はずっと苛まれていたし、『少佐は死んだ』という真実を突きつけられてようやく、そこに思い至った。

闇だけを真実だと思いたくても、これまでの物語で彼女が切り開いた(そして他のキャラクターと僕らが共有した)光、行きているからこそ紡がれる物語の意味を、彼女はもう知ってしまっている。
そういうタイトルのある物語だけではなく、意味を失ってなお駆動してしまう無価値な物語としての生命も、彼女の心臓を勝手に動かしている。
意味と無意味、生存と希死の間で引き裂かれた彼女の涙は、頬を伝うと同時にガラスとして、燃えない油として床に伝います。
直接涙を描くシーンも多いですが、あえてモノに泣かせることで『哭けない苦しさ』を含ませる演出も、要所で冴えてる感じです。


生きるも死ぬも曖昧な、どっち付かずの煉獄。
ヴァイオレットが自力では飛び出せない場所に、意外な人物が飛び込んできます。
公式サイトのキャラクター一覧にもいない、老郵便配達人ローランドです。(全然全く関係ないですが、"モモ"の掃除夫ベッポみたいなオーラがムンムン出てて、すげぇ好きなジジイです。)
彼と出会った瞬間から、画面を支配していた闇は灯火によって照らされ、次第と光の方向へと歩み出します。
それはヴァイオレット自身が前へ、未来へ、自分が成し遂げてきた営みへ、愛するものを失っても生きる価値のある人生の物語へ進む歩みと、しっかり重なっている。

ヴァイオレットを取り巻く闇が、光を取り戻す決定的な分水嶺
<このタイミングから、世界に光が溢れ始める。分水嶺が明瞭な回>

 
人生の酸いも甘いも噛み締め、白髪と皺を増やしてきた老人として、彼はとても穏やかに扉を開けて、闇の中に光を届ける。
若く強いカトレアも、同じ火傷に苛まれるホッジンズも、言葉を見つけられない同僚たちも踏み越えられなかった扉を、ジジイが開けるってのはなかなか面白い役割でしょう。
ヴァイオレットが引き裂かれている苦しみは、人間が生きたり死んだりするなかで当たり前にあるもので、その輝きと陰り両方を老人は見て、何らかの形で受け入れて、ここまで歩いてきたのでしょう。

その上で、彼は郵便配達の仕事……大事な思いを預かり、届けることを自分の天命として選び取った。
彼が同僚たちの思いがこもった手紙を、一顧客としてヴァイオレットに届けに来たこと、扉を開けて光を届けたのは、何も特別なことではないわけです。
非常にありふれた、でもそれがなければ世界が意味を失ってしまうような灯火、小さな手紙を、当たり前に届けに来たわけです。
その構えない姿勢が、当たり前に扉を開ける自然さが、ヴァイオレットの特別な物語(何しろ亡霊が闊歩し時間が巻き戻るわけで)を、とてもありふれた生に引き戻していく。

ローランドが開けた扉を通って、ヴァイオレットはオレンジの光(それは前回、死にゆく兵士が握っていたランタンと同じ色ですが、全く別の意味を孕みます)溢れるライデンへと踏み出していく。
彼女が自閉した闇……過去にだけ繋がる心から出たのが、『仕事は正確に果たさなければいけない』という持ち前の生真面目さなのも、とても面白いと思います。
それは薄暗い『戦場』の中で育まれた、道具的存在としての彼女の特質であり、時にコミュニケーションを阻害し、時に難事を乗り越えさせてきた、彼女のやっかいな武器そのものなわけです。

ベネディクトが怪我をして、HC郵便者が果たすべき役割を果たせない。
命令に従って、為すべきことを為すのが大好きな(大好きすぎて色んなやっかいも引き起こしてきた)ヴァイオレットにとって、未配達の手紙の山に(まだ)置き去りにされた想いを見ることが出来なくても、それは果たすべき『任務』だったわけです。
彼女自身が『人間』になったとしても消えない、『戦場』で培われた人形としての、兵器としての側面が、彼女を部屋から連れ出し、光に出会わせる起因となるのは、『過去は消えたりはしない』という今エピソードの、この物語の強いメッセージと、深く結びついた展開だと思います。

また、彼女が光に漕ぎ出す切っ掛けが『手紙の代筆』というこれまでの仕事ではなく、『会社』のもう一つの仕事である『配達』なのも、とても良かった。
それはヴァイオレットに接近したカメラが、第1話以外ではほぼ切り取らなかった『仕事』であるけども、花形たるドールの『仕事』と同じくらい、意味と価値を持っている大事なミッションです。
配達人達が街を歩き回り、託された願いをしっかり届けるからこそ、HC郵便社は通常言葉にできない想いを大切な誰かに届ける、立派な『仕事』を果たすことが出来る。
第1話ではただ仕事をこなしていただけのヴァイオレットが、今回ローランドに付き従い、『立派な仕事を果たしてくれたね』という言葉(無明の現実、名前のない物語に光を与える灯火)に出会うことで、彼女は暗い闇から抜け出し、燭台に火を灯します。
それは安全に制御され、誰かを焼くことのない、『戦場』にあったときとは違う形、違う意味合いの炎なのです。


配達を経て、自分の『会社』が現在進行形で果たしている『仕事』の意味を別角度から確認したヴァイオレットは、ろうそくの灯りで手紙を読みます。
それはかつて、彼女が無自覚に発した言葉によって自分に出会い、混迷した物語に道を示された同僚たちからの手紙です。
『上手く言えない言葉でも、手紙なら言い表せる』
かつて彼女が、とても拙く追いかけた自分自身の言葉、優しさ、行いが、巡り巡ってヴァイオレット自身に配達されるような、優しい言葉。

『戦争』を知らない少女たちは、ヴァイオレットの抱える巨大な空疎、深い傷を前に、何を言えばいいかわからなくなります。
それは扉の前で足を止めてしまったカトレアと同じ、ヴァイオレットを愛すればこそ見えてしまう、深い断絶。
ホッジンズもまた、かつて自分が乗り越え、それでもまだ疼くその断絶を前に、ヴァイオレット自身が動く時を待っている。
かける言葉はかけた、差し伸べるべき手は伸ばしたと、花が開く瞬間を奥歯を噛み締めて待つ社長に対し、『ドール』たちは己の本分、『手紙を書く』ことに帰還します。

羽の折れた鳥が戻るか去るかは解らなくても、戻ってきてほしいという祈りを。
『愛している』を探して歩いたこれまでの道のりは、私達を助けてくれたのだと。
面と向かってはいえない思いが込められた手紙は、同僚たちの愛を照射すると同時に、彼女たちに純朴な真実を教えてきたヴァイオレット自身の肖像を、目の当たりにさせます。

アイデンティティの再獲得としての鏡像。己の像を確認するためには、反射材が必要である

<自己定義を確認するためには、反射材が必要となる。己は己であることの再獲得>

 
『』から『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』へ。
サブタイトルの移り変わりはつまり、『良きドール』というアイデンティティを確立し、戦時トラウマからある程度リハビリテーションしてきたヴァイオレットの物語が、少佐の死という真実によって打ち砕かれ、過去に帰還し、もう一度現在に戻ってくるまでの奇跡を表現しています。
自分が何者であるのか、物語が始まってから紡がれたエピソード、そこに反射する『良きドール』としての自我を、ヴァイオレットは信じられなくなった。
『世界のすべて』は既に失われていて、命に伴う沢山の物語をその手で奪ってきた自分に立ち返る時、この物語からはタイトル……自己イメージを反射する対象が消えてしまう。

そんな無明の闇からヴァイオレットは、オレンジの光に満ちた世界に出て、ドールが所属する『会社』、現在の自分が為す善を思い出す。
自分が過去為してきた善が、同僚の心を動かし、『良きドール』としての自分を肯定してくれる事をしる。
その時『手紙』は、自分自身を反射する鏡であり、ヴァイオレットの銀の腕が照り返した様々な反射を、彼女自身に帰すことになる。
これまでのエピソードにおいて、その無垢なる純真さで沢山の人の想いを跳ね返し、自分自身を見定めてきた主人公の機能は、『手紙』が届き読まれることによって、ようやく彼女自身に帰還するわけです。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンはかつて殺人者であり、数多の物語を殺す存在であり、自分自身が戦場で手に入れた意味……『少佐のために生き、少佐のために死ぬ』生き様も、守りきれなかった。
しかしそれが失われたとしても、少佐が疚しさと愛おしさに焼かれながら祈った(あるいは呪った)思い、剥き出しのリアルが駆け巡る『戦場』のコードの中で小さく積み上げられた人間性は、確かにそこにあった。
後悔が胸を焼くのと同じように、『愛している。生きてくれ』という少佐の願い、『ヴァイオレット』という名前にふさわしい存在になって欲しいという種は、『戦争』を生き延びて『戦後』に届いたわけです。

そしてそれは、ホッジンズの庇護によって『会社』に埋められ、同僚との触れ合い、『学校』での学び、顧客との対話を経て、既に開花していた。
意念も作為も持たず、ただ咲き誇る美しい菫の花を見ることで、彼女の言葉を聞くことで、自分の人生の物語に意味を付け加えることが出来た人が、沢山いた。
その事実に目覚めることで、名前のない少女は自分を取り戻し、顔と名前と尊厳のある存在……『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』としての自身を、ようやく目にするわけです。

窓ガラスに反射したヴァイオレットのかんばせは、つまり彼女が自分自身を獲得したということであり、その為の反射材(他者にとってのヴァイオレットの銀腕、あるいは澄んだ瞳、飾りのない言葉)として『手紙』が機能したことを証明しています。
人は内面の闇に潜っても、自分自身の顔を見ることが出来ない。
誰かに思いを投げかけ、それが反射して自分に帰ることによって初めて、自分自身の顔と名前を知り、(再)獲得することが出来る。
闇の中の灯火によって『手紙』を読み、自分が誰であるかを思い出す一連のシーケンスは、これまでヴァイオレットが無自覚に行ってきた投射と反射、対話の尊さに、彼女自身が到達する歩みを、鮮烈に演出していたと思います。


部屋を出て、部屋に帰り、手紙を読んだヴァイオレットは、今度は手紙を書く。
第3話で彼女が手紙を届け、過去の闇、もぎ取られた体と心の痛みから一足先に抜け出したスペンサーお兄ちゃんの、二度目の依頼です。
それはヴァイオレットが『良きドール』として、未熟ながら魂の真芯を捉える『手紙』をかけたからこそ、帰ってくる依頼でもある。

かつて溺れていたアルコールを、スペンサーは整然と棚に並べています。
荒れ果てていた部屋は整頓され、ヴァイオレットとの接触によって快復された心理を映している。
スペンサーの快復、心理、そこに『良きドール』たるヴァイオレットが同居していることを示すイコン
<スペンサーの心理の整復。そこに『良きドール』たるヴァイオレットが同居している>
 
ホッジンズがそうであるように、スペンサーもまた戦争によって焼かれ、その傷を隠せないまま痛みにうずくまっていた。
そこから自分で歩きだして、家族と過ごし今は失われてしまった過去に、美しい光が溢れていたことを確かめられる場所にたどり着いたわけです。
あのとき『ライデンで一番高い場所』から見つめた光景は、ルクリアが肩を貸し、スペンサー自身が立ち上がったから見れた、払暁の光です。

そしてそこに導いたのは、まだ兵器のポンコツさが残っていたかつてのヴァイオレットでもある。
松葉杖の牙を受け止め、言葉を伝え、傷を抱えた人に真正面から向き合う行為を、その尊さを知らないまま為していたからこそ、スペンサーは再びヴァイオレットに依頼に来れた。
『ありがとう』という言葉を携え、『手紙を運ぶ人』『手紙を読む人』というアイデンティティの次に、『手紙を書く人』という自分を再獲得させてくれる『仕事』を預けてくれた。
それもまた、かつてヴァイオレットが反射した光を、投射された当人が抱えて再反射させてきた構図といえるでしょう。

闇の中ぶっ倒れたスペンサーは、わけも分からず奮った暴力をヴァイオレットに受け止められることで、戦友に向ける共感を手紙とともに受け取り、立ち上がった。(と僕は思います)
『戦争』に焼かれた事実を無視できない傷追い人を、社会はいないものとして扱い、身内であるルクリアもまた巧く受け止めることができなかった。
それが可能だったのは、足の代わりに腕を、家族の代わりに想い人を『戦争』によって略奪され、もう同じ形では復活しない虚無を抱え込んでいた、兵士たるヴァイオレットだけだったわけです。
この唯一性が、今回同じ戦病兵だったことを明らかにし、火に焼かれつつヴァイオレットを待つ(し、ずっと静かに待っていた)ホッジンズと共通するのは、なかなかに面白いところです。

闇と光、過去と現在、『戦場』と『戦後』は隔たっているように見えて、実は常に共にある。
殺戮の荒野にも少佐の優しさがあったように、平和に見える街にも火は溢れ、傷を負った人たちが歩いている。
それを覆い隠すことは出来なくても、道を見定め在るき直したり、今まさに傷にうずくまる戦友のために手を差し伸べることは出来る。
出来るし、ヴァイオレットは実際やってきた。
その事実を、スペンサーの依頼、『ありがとう』は言葉は思い出させたのだと思います。


かくして、ヴァイオレットは陰りから出て、光に満ちた世界を歩く。
元々街はそういう形で描かれ続けて、同時に陰りや傷、覆い隠されようとする『戦争』も精密に捉えつつ、物語は進んできた。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という名前を取り戻した少女は、ようやく物語が始まった地点……現実としてそこに在る『戦後』に帰還できました。

流されるのではなく、自分の意志で光の中を歩いて行く決意を込めて、一歩を踏み出す。
彼女が『手紙』を代筆した人々が、そこを基点に自分の物語を紡いでいる様子が、怯えや傷を抱えつつ前に進んでいる様子が、世界を埋め尽くしています。
ヴァイオレットが無自覚に放った光が、時間を飛び越えて彼女の現在に届き、彼女を肯定する『手紙』を編んだからこそ、彼女の視界にようやく、彼女と向かい合った人々の姿が映る。

それは『戦場』の傷や闇と同じように、覆い隠されずいつでもそこにあったけども、亡霊に視界を奪われたヴァイオレットには、よく見えなかった光景です。
その真の姿にたどり着くためには、自分が焼かれていること、亡霊が見えること、少佐を追って墓所に閉じこもってしまいたいことを、しっかり思い知る必要があった。
それと同様に、ホッジンズの手を借りて生き直したヴァイオレットが、学び(指で確認される『学校』のぶろー地)、『良きドール』として歩んできたことの意味を確認する必要もあった。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、生きていて良い』と納得し、亡霊を振り払うためには、光へと至る闇、闇とともにある光を、しっかり踏みしめなければいけなかったわけです。
そこにホッジンズが気付いていたのは、やっぱ自分自身もその険しい道を歩いて、『会社』を作るところまで自分を引っ張り上げたから、じゃないかなぁ……。


過去からのエールに歩みを早めたヴァイオレットは、遂に『花』に出会う。
過剰なまでに世界を埋めていた『花』は、ここ二話ほど徹底的に刈り取られ、薄暗い闇ばかりが目立っていましたが、最後の最後で一輪、鏡となって彼女を照らす。
Violetの名を持つ小さな花は、自分の顔を照らしてくれた同僚の手紙のように、自分がいかなる存在で、いかなる祈りを込めて世に生み直されたかを、無言で教えてくれます。
タメてタメて、ここぞという最後のひと押しとして『花』を強調するために、その不在をじっとり重ねてきたのは、かなりの計画的犯行でしょう。

『良きドール』の社会的証明たるブローチを、その銀腕で確かめ
己の名前、祈り、自己投射としてのすみれに出会い
ヴァイオレットは自分の足で、自分の光の中を歩き直す。亡霊はいない

<社会と他者からの承認、名前に込められた祈り。モノを見ることで少女は前に進む>

  

言葉もなく、ただ咲く小さな花。
そこに込められた無言の『手紙』を読むことで、ヴァイオレットは決定的に自分の足で立ち、亡霊が支配する闇への誘惑を振り切ります。
足が向かうのは『会社』……彼女を守り、尊厳を与え、教え育んできた『家』です。
そこで待つ戦友……同じ火に炙られつつ、一足先に光の方へと歩きだして道を作ってくれたホッジンズと、ヴァイオレットはようやく向かい合う。
少佐の幻影と命令に押し流されるのではなく、自分の足で歩く一人の少女として、自分を守ってくれた人の前に立つ。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、生きていて良いのか』
この問こそが、ホッジンズが真実を告げることで切開し、到達して欲しかった問いかけなのでしょう。
答えは『是』に決っているからこそ、彼は自分自身を闇から引っ張り出して、『戦後』を生きることにした。
殺し殺される『戦場』のコードではなく、普通に生きて普通に話し、『手紙』をやり取りできる『戦後』のコードは、『生きていていい』という現在の肯定を根幹として成立します。
ホッジンズ自身にとって、それは明白です。

でも、両腕と『世界のすべて』を失ってしまったヴァイオレットにとって、それは自明のことではない。
不器用な魂をなんとか『戦後』に適応させ、学校で学んだ『良きドール』としてのあり方を実践しても、彼女はまだ亡霊の国にいた。
火で炙られていることに無自覚なまま、無感覚な人形というセルフ・イメージから抜け出ることができなかった。
その事実に気づき、乗り越えること。
隠蔽するのではなく、同化するのでもなく、自分の中にある傷も闇も亡霊もひっくるめた『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』、その中に躍動する生への意志に気づくこと。
ホッジンズはそれを望んで、彼女を探し当てて病院から連れ出し、『会社』に組み込み、『キミは火にあぶられている』という予言(あるいは受け止められない真実の指摘)を果たしたのでしょう。


だから、ヴァイオレットが猛烈な勢いで社長室に駆け込んできた時、生の躍動が彼女の真実となった時に、ようやくホッジンズの願いは叶えられた。
生きているものが、ただ生きている現実を肯定できるように。
兵器でも、狂犬でも、人形でもなく、確かに一人の少女、一人の人間として痛みも喜びも兼ね備えていたヴァイオレットが、正しく自分自身を認識できるように。
どれだけの罪と痛みと虚無が過去にあっても、それでも生きるに足りる意味が人生にはあって、たとえ自身が認識していなくても、『良きドール』たらんと必死に走ってきたヴァイオレットの現在は、肯定されてしかるべきだと。

それを、言葉にして伝えても良かったと思います。
実際幾度か伝えてはいるけども、ヴァイオレットの心の切開が十分でなかったり、ホッジンズが伸ばしている手、彼が傷を深く負った戦友である共感に気づいていなかったために、望みどおりの結果が出せなかった。
亡霊を振り払うためには、もちろん沢山の他者の手助けが必要なのだけども、同時に自分の足で立ち、ありのままの世界を見て、そこに反射する自分の顔と傷を見据える必要がある。
その辛さに耐えられるように、心を鍛え、学びを与え、道を整え人と触れ合わせる必要がある。
ホッジンズはそれを、全て整えたわけです。
本当に立派なことです。

迎い入れ、真実を伝え、信じて待ったホッジンズの行動それ自体が、『ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、生きていていい』という言葉を詰めた、凄く不器用な『手紙』だったのだろうと。
主題を直接セリフで語るのは最後の最後だけにして、ずっと明暗や象徴、物言わぬモノに静かに語らせた今回のエピソードを見て思いました。
こんだけ濃厚に『意味』を詰め込み撹拌し、幾重にも物語を積んだ上で、しっかり真芯を言葉にする。
語ることと語らないこと、その両方が可能なアニメーションというメディアの利点を最大化した、贅沢で優れたバランスだと思います。

ヴァイオレットが生き直す道は、同じ道を歩いて生にたどり着き、しかし亡霊の闊歩する死の国の声を振り払いきれないホッジンズ自身が、自分の生を肯定する道でもあったのでしょう。
親友が託した祈りが、呪いにならないのだと、あの戦場で死んでいった人々の言葉にならない『手紙』は無駄ではないのだと、必死に証明する足掻きでもあったのでしょう。
そして、ヴァイオレットという一少女が、自分だけの痛みと喜びに向き合いながら立ち上がり直す、彼女だけの人生の物語でも在る。
そういう多層的な投射と反射を入れ込んだこのエピソードが、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という名を持つのは、必然であるし奇跡でもある。
そう思います。


第5話ラスト、第7話終盤、第8話と第9話。
ヴァイオレットを覆う亡霊の声を、光と花に満ちた物語の合間に織り込んできた物語は、彼女が抱えた過去を切開し、その先に在る光に到達させました。
生きる意味を、『世界のすべて』を喪失してしまった後でも、ヴァイオレット・エヴァーガーデンは生きれるのか。
生きて良いのか。

無垢なる人形として、何も気づいていない少女が自分の欠落に到達し、問いと答えを手に入れるには、これだけの時間が必要だったわけです。
喪失した過去の巨大さ、そこから帰還するための現在の輝きをたっぷり詰め込んだからこそ生まれる、分厚いカタルシスに満ちた回でした。
ぶっちゃけいい最終回過ぎて、来週以降何するのかサーッパリ判りませんが、生きてて良いと気づけたのだから、ヴァイオレットは目の前に広がる光全てを肯定し、己の喜びとして受け止めていくでしょう。

それはこれまで見せた人形のような透明な美しさを消すことなく、自己と他者との反射……対話による意味の生成で前進していく世界を、自分の物語として受け止める。
少女は亡霊の呪い、飼い主の祈り、あるいは死者の命令を胸に抱えたまま、自分の足で歩き出しました。
その先に在る景色は、闇を孕んでなお圧倒的に美しい、花と光に満ちた世界です。
そこに、すみれの祝福があり続けることを、僕は願っています。

 

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