メガロボクスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
鏡写しのオレとオマエが、ロープの中で殴り合う。過ぎ去った過去、今も残る傷。叩くたびに疼くのは、オマエの顔かオレの胸か。
足踏みを続けた時間が、ようやく出口を見つけて歩きだすために、顔面腫れ上がらせて語り合う。
本当に殴りたかったのは誰か。思い知る時が来る。
というわけで、VSアラガキ後編である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
過去に体と心をもぎ取られたもの。今を生きるもの。リングを焦点に様々な人が交錯するエピソードであり、共有されるものとされないものが複雑に絡み合っている。
シンプルに殴り合う話なんだけども、そこには後悔と決意がさまざまな濃淡で入り交じる。
その交錯を読み解く鍵が、幾度も繰り返される『前に50,後ろに50』である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
過去も現在も、南部が『彼の少年』に教え込んだボクシングの基礎。それは身体の重心を表す教えであると同時に、時間的な価値観軸、自己定義の基礎でもある。
過去と未来の交錯点にしか、『あしたのために』はないのだ。
南部自身が、アラガキを戦争によって奪われ、その姿勢を忘れてしまった。だから酒と借金に溺れ、現実の最下層へ一度沈む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
しかしユーリに火をつけられたジョーが、南部を引っ張り上げる。一世一代の大博打を、己のすべてを賭けて張る気概が蘇る。
結果、南部は再び『前に50、後ろに50』を教える。
ジョーはどれだけ殴り倒されても、愚直に基本を繰り返す。その姿勢が、過去への後悔に身を投げたくなる南部を、現実に引き止める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
しかしジョーは、南部を助けるために現在に踏みとどまるのではない。歯車になれず、ギアを着れないジョーには、現在しかないから現在に重点を置くのだ。
ジョーはあくまで、自分のために拳を振るう。血まみれになるのも、ぶっ倒されるのも、ただただ自分のためだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
しかしそれは同時に、様々な人に支えられ、様々な人を支える行い…拳によるコミュニケーションでもある。ただ今一瞬を輝く姿勢が、色んな人の過去と未来…『前の50、後ろの50』を照らす。
戦争と裏切りによって引き裂かれた、アラガキと南部の関係。リングはその拗れた糸で編まれたつづれ織りだが、ジョーはあえて、その複雑な織物を読まない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
今、正にここで殴り合っているのは俺だ、と。思い出させるように、今正にここにいるアラガキの拳を受け、今まさにここにいる南部の手当を受ける
南部もアラガキも、後ろに重心を置きすぎている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
『あしたのため』
本気でそう言えた特別な関係が、爆風でぶっ飛ばされても心に突き刺さりすぎて、どこにも行けなくなっている。そんな二人の時間を前に進めるのは、愚直に今を突き刺すジョーの拳であり、それを打ち崩すアラガキの拳だ。
そしてジョーが今、拳を振るい続けられるのは、南部の教えがあってこそだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
『前に50、後ろに50』
祈りのように、あるいは呪いのように囁きながら、ジョーは不屈の闘志で立ち続ける。そう出来るのは、南部がもう一度夢を見て、自分とジョーに全てを賭けたからだ。己の全てを教えたからだ。
そこにはサチオがいて、ジョーに期待を寄せる全ての人がいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
ジョーは自分のためだけに戦い、自分以外の人すべてを背負う。そのウェイト・バランスの良さが、段々とコミュニケーションを成立させる。
『一人で戦ってるわけじゃない』
そう気づくのは、押されているはずのジョー陣営が先だ。
アラガキは眼の前にいるミヤギにも気づかず、夢うつつにブレイクタイムを終える。会話はせず、今を見ず、目の前の対戦相手も見ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
そんなアラガキの体に、だんだんジョーの拳が突き刺さる。最初は一方的な殴打でしかなかったボクシングは、殴り殴られのコミュニケーションになっていく。
パンチの終わり際に、カウンター気味に当てる。アラガキのファイトスタイル(つまり、それを作り上げた南部のスタイル)は戦闘中にジョーによって学習され、ジョーは段々とアラガキに似てくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
アラガキもまた、ジョーに反射した過去の自分(つまり過去の南部)を殴りつつ、段々現在のジョーを見る。
ボクサーだけに許された、拳のコミュニケーション。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
かつて南部とアラガキを繋ぎ、現在南部とジョーを、ジョーとアラガキを、ジョーとミヤギを繋いでいる殴打言語は、過去があって未来がある、今のアラガキを鮮明にしていく。彼と対峙している、他でもないジョーを顕にしていく。
過去、南部が与えた弾除けのお守り。当たらなかった穴馬馬券には、『カルペディエム』と書いてある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
ラテン語でCarpe diem、英語でseize the day。なかなか複雑な意味をもった言葉だが、他ならぬ今と自分を生きるボクサーの生き様を写し取ったような、届かない祈りの言葉だ。
南部とアラガキは、『カルペディエム』を掴み取れなかった。過去に迷い、今を投げ捨て。自分たちがかつて信じた『前に50,後ろに50』のウェイトバランスも、『あしたのために』という希望も、どこかに忘れた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
本当に殴りたいのは誰か、たどり着きたい場所はどこか。判らない。
戦争によって引き裂かれる男たちに、『カルペディエム』は微笑まない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
弾除けのお守りは魔力を発揮せず、アラガキの脚と心は爆弾で引き裂かれてしまう。
しかし、時間は進む。死ななかったアラガキは傷痍軍人達の助けにより、南部はジョーにより、再生の道を歩き始める。
それでも傷ついた心が、アラガキを銃弾で砕きそうになる時、『カルペディエム』のお守りが彼を守る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
どれだけ裏切られたと思っても。どれだけ傷つき恨んでも。『あしたのために』と教えてくれた言葉が、背中を撫でる優しい手が、確かにそこにはあったから。お守りは、その思いの証明だから。
アラガキは子供のような嗚咽と共に、二発目の爆弾を炸裂させない。銃口とキスしつつも、心中するところまでは行かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
『カルペディエム』のお守りは、アラガキを死地からちゃんと助けていたのだ。殴り合いの中で、アラガキはそれを思い出し、ようやくミヤギを…今のトレーナに映る今の自分を見る。
過去があって、今がある。今があって、未来がある。失った脚も、傷ついた心も、繋ぎあった恩義も、離れた手も、全てがあって自分がいて、そんな自分を殴りつける、過去の自分に似た青年がいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
第4ラウンドのコーナーで、アラガキはようやく、そんな『今』を肯定できたのだと思う。
そこに辿り着くまでには、しち面倒くさい愛憎の海を泳ぎ、血まみれで殴り合い、必死に鍛えなければいけなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
迷いも焦りも全部ひっくるめて、一度受け止めなければ『今』のアラガキともう一度出会うことは出来なかった。だから、4ラウンドの殴り合いには、大きな意味がある。
そんなアラガキの到達点は、ジョーからはちょっと遠い。リングを降りて、新しい『あした』に向かうアラガキと、今正に己のすべてを賭けて爆心地に飛び込むジョー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
物語的な立場も、心の若々しさも正反対の二人は、リングで会話はするものの、同じ立場ではない。
そんなすれ違いも込めての『4ラウンド棄権』という決着は、非常に味わい深いものだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
アラガキの脚は、リングの上で真っ白に燃え尽きるためではなく、そこから先に伸びる『今』へ、『前と後ろ』に繋がった新しい生き方へ進んでいくために、一旦止まる。
それは殴り続けるより勇気がいり、戦わせ続けるより優しい選択だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
血まみれの義足が、雄弁にアラガキの限界を物語る。それでも、戦わなければならない欠乏を抱えていたからこそ、アラガキは拳を奮ってきた。そしてその欠落は、殴り合いのコミュニケーションでようやく埋まったのだ。
グローブを置くこと。両足を失い、南部と離れ、それでも義足とミヤギがいる『今』を肯定すること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
アラガキが壊れることなく、南部としっかり話し合ってリタイアしたことで。殴るべき相手を見据え、しっかり殴って。ようやく『カルペディエム』の万馬券は当たったのだろう。
過去に囚われた二人より早く、しがらみのないジョーが真実の気配に感づいているのは、鋭い描写だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
アラガキと南部の収まる場所は、ジョーを壊すことではなく、過去を思い出すこと、自分を見据えることでしか見つけられない。
『今』をただ活きるジョーは、当事者より早く答えを見つける。
でもジョーは、そんな真実を器用に言葉には出来ない。そんな生き方が出来るなら、どん底で拳だけを資本に、ヤバい賭けなんて張っていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
だから南部の教えを守り、アラガキの前に幾度も立ちふさがる。
己の体を鏡にして、恩師とライバルに真実を見せる。
ジョーはボクサーだからだ。
そんな不器用な身体言語、コミュニケーション手段としてのボクシングが、24分みっちり画面を埋めるエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
もつれにもつれた思いの糸は、殴り合うことでしか解けないから。『あした』のために、ただ今を生きることしかできないから。ボクシングをする男たちの話なのだなぁと思いました。
アラガキとの熱戦は、そこで留まるものではない。新たな道へ向かった男の思いを背負って、ジョーはさらに前に進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
ユーリが待つ頂点を阻む男の、部別の視線。次のコミュニケーションが、次のリングで待ち構えている。結局、世界は殴り合いでしか動かない。
しかしそれは悲しいことではなく、言葉よりも時に雄弁で、思いよりも荒々しく、祈りよりも優しく、男たちを繋ぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月13日
そのことをジョーがしっかり証明した、第4ラウンド途中棄権だったと思います。汗と血とワセリンの匂いのするアニメで、とても良いです。来週も楽しみですね。