ウマ娘を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
かつて彼女は言いました。「日本一のウマ娘になる」と。
そんな夢を笑わなかった人達と、迷って走ってたどり着いた運命の勝負、ジャパンカップ。
それに勝てば『日本一』と誇っていい大勝負。日本ウマ娘総大将の重責、数多の夢と思いを背負って、今スペシャルウィークが駆けていく。
というわけで、(おそらく)実質的な最終回、第1話で見せたものを軒並み回収しきり、スペちゃんの歩みに一つの区切りをつけるエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
これまで積み重ねたものをしっかり活かし、奇をてらわずの王道勝負。スポ根のど真ん中を歩いてきたこの作品らしい総まとめであった。
いい物語の始まりは、大概物語の終わりをどこかで含んでいるものだと思う。『ああ、このお話はこういう進み方をして、こういう終わり方をするんだな』と言うポジティブな予感を、心に掻き立ててくれるのがいい第一話だとしたら、良い最終回はその予感を引受け、形にするものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
お母ちゃんが娘と同じ道を通って、夢の舞台へ歩みを進めたり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
レース前にドベーっとぶっ倒れたり。
シチュエーションの繰り返しが目立って目につくが、第1話で描かれた理念がここまでの歩みを背負い、より分厚く迫ってくるエピソードだった気がする。形と同時に、魂が宿っている、というか。
今回のレースは、スズカの『走り』に惹かれ、その背中を見て『日本一のウマ娘』を夢見たスペが、『今度はお前が背中を見せる番だ!』というトレーナーさんの言葉を引き受け、スズカに夢を、明日を見せる形で終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
役者を変えて、舞台を変えて、でも『走り』が夢を連れてくる構図は変わらない。
『競馬』という現象、『競走馬』という存在を擬人化し、原作への熱い想いとリスペクトを込めて走ってきた物語は、ブロワイユをうまーく強キャラとして立てつつ(そして負かせても極力角が立たないポイントに置きつつ)、ジャパンカップを『終わり』と定めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
スペは今回、スペシャルウィークという一個人であることを超えて、日本競走馬の代表、あるいは『競走馬』という概念に人が抱くロマンや憧れすべてを背負う、凄く抽象的な存在に(も)なる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
トレーナーさんが『競馬に夢を抱く全ての人』の擬人化であるように、今回のスペは『競馬』そのものの擬人だ。
だから、本来スペの歩みはジャパンカップでは終わらない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
『日本一のウマ娘』というひどくあやふやな夢は、永遠に捕まらない人参みたいなものだ。
だが物語には終りがあり、どこかで『夢は叶った』という実感を与えてくれなければ、気持ちよく見終わることは出来ない。永遠と有限は常にレースをする。
そんな難しいコースを走りつつ、物語は非常に巧妙に、視聴者の意識に方向を付ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
ジャパンカップに勝てば、『日本一のウマ娘』になれると。
それだけの熱量が、このレースにはあるのだと。
盛り上げるために、ブロワイユは指立て伏せとキレッキレの腹筋で強キャラアピールをねじ込む。
それはスペが、『競馬』の擬人化であり、四本脚のサラブレッド・スペシャルウィークの女体化であると同時に、この物語を必死に走ってきた一人間であることを、強く尊重してもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
概念や観念は大事だが、それは作品の外側にある事情で、物語から出れないキャラにとって眼の前のレースが全てなのだ。
スペは原作をなぞるように様々なレースに出て、人とウマの愛情やライバル心を引き受け、必死に走った。勝ったり負けたりした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
それは『現実』という大きな物語をトレースすると同時に、田舎から出てきて夢に出会い、本当に必死に走ってきた一少女の、決死の人生でもあったはずだ。
様々な人がスペに夢を託し、優しく見守り、あるいは強くエールを送る。これまで出会ってきた全てを回収するようなレース前の描写、そして何より、スペが己の肉体を必死に駆動させて、ただただ己のために勝ちたいと必死に吠えて、ゴールにいるスズカを見やるレース展開は、彼女の物語に報いるものだった
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
そういう、抽象と具象、極大と一個人両方を向いた展開が、おそらく物語のピークであろう今回やってきたのは、とても幸福なことだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
ウマ娘は『走る』。誰かの夢に報いるために、新しい夢に出会うために、そして何より、ただ勝つために。このアニメがずっと描いてきたものを、もう一度描く。
なにか一つを見据えすぎず、だが己を見失うこともなく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
バランス良く周囲の愛を受け止めるスペちゃんが、エルの嘘フランス語で一笑い取った後ゲートに向かう瞬間、スッと表情が引き締まるのがいい。
走るためには愛がいる。夢がいる。トレーナーやライバル、仲間がいる。
でも、最後に走るのは自分だ
そういう境涯にたどり着くためには、あそこであの表情をするためには、スズカの『走り』に魅せられ、スピカに入り、トレーナーさんに導かれ、負けて涙し、勝って喜び、動揺して自分を見失い、迷いの果てに答えを見つけることが、どうしても必要だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
笑いも涙も感動も、全部が大事だった。
アスリートの孤独を自然体で引き受けるあの表情と、けして目を見せない疾走と、そこから顔を上げて『勝ちたい自分』と『勝ってくれと望む仲間』を見据えて勝ち切る為には、ここまでの物語全部が、やっぱり必要だったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
そう思えるだけのものを積んで、しっかりまとめたレースだった。
今更ながら、このアニメは『擬人化』ということにすごく気を使って、原作をフィクションに引き寄せているのだなぁと、今回の『調子に乗んな!』で思い知った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
あれは、ウマを娘に、筋書きのないドラマを筋書きのある物語に仕立て上げるために、大事な操作なのだ。
人間はあらゆる物事に因果を見つけてしまう生き物で、そんなロマンスは『競馬』にも適応される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
なにか理由があって、あのレースはああいう展開になった。あそこには、そういう感情があった。その思い入れは尊く正しいが、同時に時に、現実は物語を拒絶する。
99年のジャパンカップ、スペが囲まれる形になったのは物語の必然ではなく、現実の成り行き(あるいは競技の必然)だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
『走る』ために、勝つために総員全力を尽くした結果、そういう形になった。そこには意図がなく、物語はそれを見た後観客の中に生まれるものだ。
原作のレース展開をどうにか再現する必要があるウマ娘は、ここで『スペがアホなフランス語で、知らず外国馬を挑発してしまったので包囲網が生まれた』という操作を行う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
そういう理由があったほうが、視聴者は擬人化された物語を読み解きやすいからだ。
思い返せば、そういう風に原作のレースを擬人化し、『なぜ、こういう展開になったのか』という史実に人格を付与しつつ、このアニメは進んできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
第8話でスペがグラスに負ける理由。今回勝つために、エルの敗北を第10話で背負う描写。筋書きのないドラマを再現するべく、物語は擬人化され続ける。
そういう感情の操作、買ったり負けたりする理由付けなしで、ただ肉体が素直に走るだけで、ウマ娘のレースにこれだけ強い思い入れを抱けたか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
トレーナーさんと同じように、『走る』彼女たちに『走らない』僕らが夢を乗せて、祈るように勝負を見守ることが出来たか。
そう考えると、(少なくとも人間と、言語を介してコミュニケーション可能であるという意味での)意志無き『馬』から、女の子の形をして言葉を喋り、僕らに似た思いと痛みを抱えた『ウマ娘』への橋渡しは、凄く丁寧になされていたのだな、と思わされた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
そういう気遣いは、僕が気づいていないだけでこのアニメのあらゆる場所にあるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
ウマ娘に限らず、アニメに限らず、あらゆるフィクションが自分たちの思いを、作品世界や扱っている事象やテーマやモチーフへの敬意と熱意を、見知らぬ誰かに届けるために必死に工夫してくれているのだろう。
そろそろ終りが見えてきたこのタイミングで、そういうことに勝手に気づけたのは、なんだかとてもありがたいことだなぁと、やはり勝手に思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
僕が見たいものを作品に見つけた、焦点のズレた蜃気楼かも知れないけども、そういう感謝とも感激ともつかない感情をフィクションに抱けるのは、良いことだ。
トレーナーさんがスペに語りかける形で、この物語が『競馬』に抱いていた思いを言葉にするのも、凄く良かったし、わかり易くありがたい表現だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
僕らは『走らない』。少なくとも、ウマ娘のようには。でも、だからこそ、それぞれの星に向かって走る彼女たちに、届かぬ夢を身勝手に預ける。
それの重みを背負って走ってくれるウマ娘。あるいは、彼女たちの『原作』である馬。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
トレーナーさんが、そんな綺麗な思いを身勝手なものだと自制しているのが、ストイックで優しくてとても良い。ほんと、尊敬できる男である。
最後のひと笑いという感じで、スペちゃんがお母ちゃんをぶっ飛ばしちゃうのも好きだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
ウマ娘と人間は、違う動物だ。受話器も特注、筋力は怪物めいている。でも、あの世界はその違いを誇りとし、お互いが掛け替えのない隣人で在れるように、世界の形も、人々の振る舞いも考えられている。
ぶっ飛ばされてでもお母ちゃんが、スペちゃんを受け止めようとしたことも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
追いつけないことを承知でトレーナーさんが走り、スペを先に行かせてスズカを守ったことも。
違うことの意味と価値が、キラリと輝く描写だなぁと、僕は思ったのだ。
スペちゃんはジャパンカップに勝ったことで、『日本一のウマ娘』という夢を叶える。第1話で見せた物語が終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
だがEDでも歌っているように、ウマ娘”はもっと先まで 終わらない夢の中”をこそ『走る』のだ。ジャパンカップに勝っても、スペちゃんの『走り』は止まらない。
そこでスズカが第1話で言った夢、『みんなの夢になれるようなウマ娘』を目指して、もう一度走ると宣言してくれたことが、僕は凄く良いなと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
故障で止まったスズカの足を、スペは決意を込めて追い抜いていく。でも、その視界の先には永遠の星が、ずっと瞬いている。
かつての己の夢を背負い、まだまだ走るスペちゃんを見ることで、スズカもまた走りつづけるだろう。いつか追い抜いて、また追い越されて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
フィクションだからこそ可能な、終わらない物語を彼女たちは駆けていく。それは、とても幸福な嘘…多分夢といわれるものなのだろう。
その先のウィンタードリームトロフィーを暗示したところで、今回の物語は終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
あの時トレーナーさんが夢見た『お前ら全員が走るレース』は、ちゃんと実現するのだ。結果は大戦争になるので描かないところも含めて、非常に目配せの効いた、過不足のない終わり方であった。
グラスのお耳がひょろりと動いてぴったり扉について聞き耳を立てるシーンの可愛さとか、久々登場となったウララちゃんの可愛さとか、ゴルシのアホさにすっかり染まったスズカの念送りとか、細かい萌えどころを語り出すとキリはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
そういう細かいクスグリ含め、とても良いエピソードでした。
ぶっちゃけ『ここまで描ききっちゃって、一体何描くの!』という気はするが、何来てもありがたく楽しめると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
しっかり綺麗に収めてくれて、僕はこのアニメが凄く好きになった。ずっと好きだったが、より強く、ありがたさと愛情を感じることが出来た。
それは、とても凄いことだ。
個人的な贔屓目としては、第8話でグラスが見せた青い炎にスペチャンが答える話が良いが、今回の走りが一つの答えじゃないか、という気持ちもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年6月11日
何が見れるにしても、とても良いものだろう。来週の放送も、とても楽しみです。ありがとう、ウマ娘。