メガロボクスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
犬たちは共鳴する。イカサマにまみれた世界の果てで、運命に出会ったあの時から。約束されたリングに、二人の男が立つ。
片方は背負っていたものを捨て、片方は背負うものを手に入れ。伸びる拳が、軋む血肉が、一歩ずつ世界のてっぺんへ、”あした”へ、オレたちを進めていく。
というわけで、メガロボクス最終回である。言うことはねぇ、良いアニメだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
で終わりにしたくてしょうがないが、激流のごとく脳髄を殴った感激を、あえて言葉にしてく無粋をやっていこうと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
お話としては長いエピローグというか、出会ったことで始まった物語がようやく必然のリングに行き着いたというか。ダンスして、ずーっと殴り合いして、最後にもう一回ダンスする話だ
今回のお話はこれまで描かれてきたものを補強し、責任を持って決着させていく作りだ。最後に新しいものがズドンと迫るというより、今まで書いてきたものを信じて、その延長線上にあるものを結実させていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
それが必然に思えるように、物語は組まれている。
いいシーンはいっぱいあって、どこから話したもんか悩む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
まず、南部贋作の話からしよう。
彼がキャンバスに手をおいて、振動で試合を”見よう”とするのが、とても好きだ。欲と嘘に迷ってしまった過去を振り捨て、自分の本気を示したおっちゃんは、昔より善く見えている。ジョーも、自分も。
その住んだ瞳は試合だけではなく、ユーリとの激闘に迷った教え子に、自分を取り戻させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
眼球をえぐった空疎を、隠すようなサングラス。そこに反射するのは、ジョー自身の顔であり、彼に名前を与えてくれた男、ともに歩いてきた道のりだ。それを忘れなければ、闇の中でも歩いていける。
贋作は『暗闇の中、光を探して歩いてきた』とジョーを評する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
『オレたちが迷子になることはねぇ』という言葉は、サチオに言っているように見せて、今後無明の世界を背筋を伸ばして生きていく南部贋作に、エールを投げかけているように思えた。
音でしか見えない試合が、今後の灯火になるという確信。
チーム番外地の3人目として、サチオも試合を見守る。おっちゃんの目となり、手となり、ジョーを癒やす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
それだけではなく、孤独に戦うユーリに水を差し出し、盃を預ける。
どうぞなみなみ注いでくれ、この盃を干してくれ。敵と味方に分かれても、オレたちゃ同じギアレスだ、と。
あの水を受け取った時に、”あしたのジョー”とは違う(と同時に、ボツにされた最終回案でもある)結末に、ユーリは導かれたのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
白都の看板を剥がし、孤独に身を投じたユーリ。しかし彼は一人ではない。敵と味方の境界線すら、ボクシングは超えていける。
それもまた、無明を照らす燈明だ。
試合後、南部ジムの倉庫に収められた、チーム番外地の看板が映る。大事に収められた、絆の証。自分たちが一人ではなかったことを、語ってくれる縁。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
決意を込めて、しかし乱雑にではなく引き剥がされた白都の名前を、ユーリは大事に収めてくれているのだろうか? お嬢さんのファンとしては気になる。
ユーリにはジョーがいて、ジョーにはユーリがいた。運命の荒野で出会った二人は、様々なものを打ち捨てて世界のてっぺん、二人きりで踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
そんな幸福な関係を、ゆき子は獲得できなかった。ともにギアの未来を創ってくれるユーリは、ジョーを選んだ。残ったのは利害で繋がる、ドライな関係性だけだ。
しかしゆき子は、リムジンの中でユーリの名を呼ぶ。一年顔を合わせていなくても、それが音にはならずとも。彼女は再びメガロニアをスポンサードし、メガロボクスの新たな地平へと進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
その引力が、ユーリを再び引き寄せるのか。別れた双子星は、もう一度会えるのか。そこは想像の余地だ。
他に何もいらないほど高いところへ二人で登って、真っ白に燃え尽きる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
そのカタルシスで終わることも出来た物語は、リングを降りた後の生を肯定する。テンカウントが鳴り響いても、人生というリングは続く。
おっちゃんがジムと畑に、ゆき子がビジネスに、自分の戦場を認めたように。
ジョーもまた、新しい海を見つける。壊すことしか出来なかった少年は、自分の手で直し、与え、教える方法を見つけた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
意味深に映る蠍は、”あしたのジョー”(を筆頭とする梶原作品、あるいは梶原一騎自身)が己を刺した、破滅主義の強いカタルシスを象徴しているように思う。
ボクシングを突き詰めれば突き詰めるほど、孤独になっていった矢吹丈。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
メガロニアに近づくほどに、守るものが増えていったギアレス・ジョー。
二人の青年はよく似ていて、やっぱりぜんぜん違う。同じ蠍の性に身を焼かれつつ、違う結論にたどり着くこと。空っぽの荷台に、子供用のギアを積むこと。
”あした”を見失い、みんなで手に入れ直したこのお話は、”あしたのジョー”が持っている蠍の毒…破滅的カタルシスの魅力的な刺激を、肯定しないことを選んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
目をえぐった贋作、ギアを外し車椅子に乗るユーリ、リングを降りたジョー。彼らは皆、何かを失った。
しかしその先にも道は続いていて、ボクシング以外にも楽しいことはたくさんある。踊ること、話すこと、笑うこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
そういう当たり前の人間性に自分を浸すことは、研ぎ澄ませた戦士の魂を錆びつかせることと、イコールではない。
むしろ闘士として行くべき場所まで行き着いたから、降りた先を認められる
蠍の毒をどう扱うか。尖ったカタルシスの刃を、誰に突き刺すのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
それに悩んでいたのは、南部贋作だけではなかったのだと思う。
”あしたのジョー”を引き継ぎつつ、50年後の未来に語り直す重責を背負った製作者たちも、かの名作が孕む魅力と危うさをどう扱うか、ずっと悩み続けていた。
そして作者は、蠍を退場させた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
研ぎ澄ませた毒針で自分を沈めるのではなく、蛙に背中を預け川を渡りきる変化を、蠍に許した。
その変奏に、色々意見はあろう。原典を尊重し、燃え尽きるまでやらせろという意見もあるだろう。
しかしこの”裏切り”が、僕はとても幸福に思える。
偉大で巨大な聖典に、自分たちなりのリスペクトを込めて答えを出したという、メタレイヤーの達成だけではなく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
答えも自分もわからないまま、バイクを暴走させるしかなかった青年が、進むべき道を真っ直ぐ見据え、穏やかに己を乗りこなすことができるまでの、ジョーの物語としても。
それは幸福な物語だったと、僕は思う。強く思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
ボクシングのステップワークが、人を殴らないボックスステップに変わっても。そこに幸福はある。
目を失い、足を失っても、支えてくれる仲間と、立ち上がるタフさはある。
そこにたどり着けたのは、ヌルさというより強さ…”あした”への信頼故だろう。
ユーリの飼い犬は、試合中は樹生に、全てが終わった後はサチオとユーリに身を委ねる。もう、荒々しく吠える必要はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
ガキどもは麻薬の代わりにトマトを育てて、ピンクの可愛いギアを着る。血なまぐさい賭け事は、子供の未来を耕す希望へと、姿を変えつつある。
そういうところにみんなでたどり着けたのは、とても良いことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
OPの歌詞にある”負け犬を狂わせたウイルス”という言葉。それは、ジョーのひたむきなファイト、そこにある光芒だったのではないかと思う。
体一つしか持たない青年が、素裸で必死に戦う時、立ち上る陽炎の魅惑。
リングの外で、あるいは直接殴り合う中で。体を、あるいは社会的立場を損なった”負け犬”たちは、夢というウィルスに狂う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
そうして生まれた熱狂が醒めてみると、体の中に絶望への抗体が出来ている。ジョー自身も、血を焦がすほどの興奮をくぐり抜けて、自分を信じる自分に”あした”を見る。
そういう結論にたどり着くために、特別な相手、特別な舞台が必要だったこと。それを燃え上がらせるあがきの一つ一つが、結末を支えていること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月1日
それを思い知らされる、長い長いエピローグだった。
良い最終回で、良いアニメでした。とても面白かった。
メガロボクス、ありがとう、お疲れ様。