BANANA FISHを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
吉田秋生の傑作を、”Free!”の内海紘子監督がアニメ化。舞台設定を現代に移し、謎のキーワード”バナナ・フィッシュ”に翻弄される青年たちの、凶暴なる愛と破壊を追う。
凝りに凝った画角と色彩から飛び出す、”なにか”が動き出す瞬間の予感。蛇のようにうねる、隠微な感情のアニメ。
というわけで、内海版BANANA FISH始動である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
最初に、正直に言おう。かなり警戒していたし、今もしている。
原作があの時代のアメリカと密接に関係した、時代と社会への視線を柱に成り立っている作品なだけに、内海紘子という作家が持つ性質、彼女が選び取った時代変化には、警戒度が上がる。
ベトナム戦争と東西冷戦、その渦中にあるパラノイアックなアメリカ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
それが遠い彼方に霞む、魅惑的なファンタジーとして成立していた連載当時の日本の空気も含め、BANANA FISHは強く、時間と空間に依存している。
それを移し替えるということは、とても難しいことだ。
原作終了から24年、ソ連が崩壊し、情報技術も経済の規模も、全てが変わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
アッシュを中心とする男たちの純情と暴力、個人のドラマを精密に描くと同時に、それをカメラ・レンズにしてとても大きなものを描いているこの作品の精髄。それを、現代に写し取る。
そういう作品への、あるいは時代や社会への強い視力が、リファインされた物語に宿るか、どうか。男たちの濃厚な感情のドラマ”だけ”ではなく、そこに接合されているからこそ個人の尊厳や物語が強靭になっている広い場所に、筆を運んでいくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
それは、ただ物語が転がりだしたこの段階では判らない。
主人公アッシュを運命の渦中に引き込んでいく、謎のキーワード”バナナフィッシュ”
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
それは現段階では巨大な謎であり、触れれば死を引き寄せる危うさと、それでも座視できない切実さだけが、じんわりと滲んでいる。包帯から染み出す血のように、”バナナフィッシュ”は妖しく、恐ろしい。
道糸のように、あるいは導火線のように、アッシュは”バナナフィッシュ”に導かれて、より暗く危うい場所へと引き込まれていく。その巨大なうねりが物語を動かし、アッシュに惹かれる男たちをより巨大な暴力と愛へと引き込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
その運動の中で、巨大すぎて霞む”アメリカ”が一瞬、見える。
そんな近景の力強さと、遠景の確かさの共存こそが、僕が原作を凄まじいと感じる部分(の一つ)なのだが、果たしてアニメ版はそういう、遠い光景を見つめるか、否か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
それはとにかく状況が転がり、何も判らないまま運命と出会ったアッシュ、彼を主人公とする物語の序章からは、やっぱり分からないのだ
ので、そこら辺の判断は保留にしつつ、見たもの、感じたものを語っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
とにかく、あらゆるシーンに意味が込められ、なおかつそれが軽妙だ。過剰な意味をグイグイと読ませるのではなく、ポップで軽やかな楽しさ、興味深さと一緒に、気づけば飲み下している。
例えば、全ての始まりとなるアバンのシーン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
グリフィンは”バナナ・フィッシュ”に毒され、陰謀と暴力の国の住人になってしまっている。
そこは死の影が長く伸び、迷わず銃弾が飛び出す危険な国だ。歪んだパイプが、戦友たちのいる正気の国との国境線だ。
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画面真ん中に、いびつな形で引かれた線。廃人となった兄との因縁に導かれ、アッシュはこの線を超える。それは強制的なものであるし、自発的なものでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
ギャング・ボスとして暴力の世界に身を置きつつ、アッシュは自分を強く保ち、善悪の線を引く。殺しはしない、麻薬もダメだ。
”バナナ・フィッシュ”はそんな彼の矜持を、どんどん汚していく。仲間を暴力に引きずり込み、人殺しを強要させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
一見偶然に見えても、兄を取り込み壊した”バナナ・フィッシュ”の国と、アッシュがどうにか守りたい光の国は、運命的に対立する。
アッシュが嫌悪しつつ隣接し、憎悪しつつ利用するしかないゴルツィネの館。スニーカーを履いた彼は、”バナナ・フィッシュ”に汚染され影の国となってしまっているそこに、下駄を預けるつもりがない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
そんな彼の行方を阻む、暴力的な革靴。
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ギャングという日陰の存在でありながら、アッシュはどうにかより善いものを求めている。薄汚れた大人の国の衣装を着るのではなく、自分たちらしいラフでタフな服装をまとい、暴力を制御したいと願う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
六連不殺のリボルバーは、汚れつつ諦めないアッシュが、自分を支える杖でもあるのだ。
その基質は、性的な関係をほのめかしつつ、あくまで誇り高いボスとして振る舞う仕草からも見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
”映画”をダシにした挑発、あるいはゴルツィネのねっとりとした指先。
アッシュは自分を支配しようとする性の視線に、真っ向からあらがっていく。汚れても、魂まで腐り果てはしない、と。
そんな気高い矛盾が、男たちの情欲を誘う。綺麗なものだからこそ、汚してみたい。へし折り、屈服させ、自分のものとしたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
革靴が踏みにじるタバコ(”バナナ・フィッシュ”と同じドラッグ)は、そんな欲望の具象だ。
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(ここで、『そんなアッシュの姿が、不屈のベトナムに重ねられているのだ』と言ってしまうと、ちょっと物語の外側に出すぎた読みにもなろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
しかしそういうよそ見を誘惑する魔力が、やっぱり原作にはあるし、そこが好きでもある。大事にしてほしいが、さてどうなるか)
悪徳の館に身を委ねても、アッシュは一線を引く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
廊下を斜めに横切るラインは、”バナナ・フィッシュ”の国を満たす悪徳から、何とかアッシュが距離を取ろうと足掻く軌跡だ。
人間を壊してしまう”バナナ・フィッシュ”を相手に、アッシュの運命戦が始まる。
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下の画像のように、カメラの前に何かがおいてあって、視界がクリアじゃない絵が今回偏執狂的に乱打される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
水、フルーツ、伝統、人間。人倫を求めつつ悪徳に身を染めているアッシュの、不鮮明な視界とシンクロするようだ。
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クリアでない視界は鏡によっても示されていて、様々な形の不鮮明な反射、ストレートではない認識が埋め込まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
アッシュの世界は曲がりくねり、ゆがみ、真っ直ぐではない。余計なものがたくさんあって、素直に欲しいものを取れない。
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そんな彼が運命的に出会うのは、世界を悪徳に引きずり込む”バナナ・フィッシュ”だけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
東の国から来た童顔の青年、彼はこのエピソードで奥村英二とも邂逅する。Babyfaceには”善玉”という意味もあるが、英二は光と闇が渦を巻くアッシュの世界に、透明な光を背負う存在だ。
暴力をモデルガンとして、遠い世界の無双として消費できてしまう、平和ボケ日本の青年。彼はアッシュの魂を支え、濫用すれば簡単に魂を汚してしまうリボルバーを、無邪気に求める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
英二が足場を置く夢の国と、アッシュがアタマを張る薄暗いリアルな国。
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ここにも境界線…というか”段差”があって、えーちゃんの呑気な寝言は失笑で迎えられる。現実の厳しさをなんにも判っていない、夢遊病者のたわごとだ、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
しかしアッシュは段差を乗り越え、えーちゃんに近づいていく。自分の魂であるリボルバーを預ける。
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それは他愛のない遊びだったかも知れないが、アッシュが無意識に英二に、英二が無意識にアッシュに、一体何を見たかを鮮明に見せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
人を殺す道具を、魂と仲間を守る道具を、預けてしまってもいいという信頼。あるいは、預かってもいいという無垢さ。
対して言葉も交わしていないのに、アッシュと英二はそういう所で、深く繋がっている。ゴルツィネのいやらしい指を、冷たく弾いていた態度とは大違いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
そういう脆い部分を預けれる、運命的な出会い。あの酒場での対面は、そういう予言に満ちている。
事程左様に、様々な対比と暗示、比喩と描写を通じて、アッシュというキャラクター、彼を取り巻く世界は積み重なる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
自分の城で天を見上げて、薄汚れても自由なスニーカーを見上げるアッシュと、虚栄に満ちたゴルツィネのシャンデリアの対比。
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るいはエピソード中唯一”食事”をほしいままにし、暴力と権力を握り込むゴルツィネを見せる描写。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
身の養い、魂の燃料となるはずの食事は、油っぽくて全然美味しそうに見えない。そら、アッシュも跳ね除ける。
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アッシュの矜持を切り崩して、彼を汚そうとする存在。力で他人を害し、歪めることをためらわない存在に、アッシュは包囲されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
しかし彼は孤独ではなく、無力でもない。リボルバーは皮一枚で仲間を殺さないことも出来れば、逃げる車をブチ抜き、敵を殺すことも出来るのだ。
現状、アッシュは兄を略奪した”バナナ・フィッシュ”の国に、巧く立ち向かっている。その真実も一切知らないまま、ただただ気に食わねぇものに必死に噛み付く、高潔なる野良犬。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
その美しさに、男たちは狂っていく。アッシュもまた”バナナ・フィッシュ”なのかもしれない。
重要なのは、他人を侵略する道具を握りしめたまま、その魔力に毒されないこと。銃を預けられる相手を見つけ、正面から向き合うこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
より強く、優しく、正しく。アッシュはそんな景色を求めて、えーちゃんや仲間の手を取り、必死に守ろうとする。
しかしその王国の足場は、崩れつつある。
同じく無垢な存在として、英二と響き合うスキップ少年の無邪気な表情が、とても良い。可愛くて、健気で、元気ハツラツ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
だからこそ、その脆さが強調もされる。アッシュが銃弾や悪徳から守りたいものは、非常に弱く危険なのだ。アッシュ自身が牙で隠している、純朴な魂も。
とまぁこんな感じで、境界線と相互侵犯に満ちた、明瞭な映像であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
男たちの感情のドラマ、運命のうねり、その奥にある強靭な物語の岩盤へ、十分突き刺さるだけの鋭さを持ちつつ、あくまでエンターテインメントの軽みを忘れない、見事な調整だった。
見てて面白いのだ、ホント。
アッシュの無軌道…な中に彼なりのルールが有る生活は刺激的だし、ダイナーでの乱戦はMANPAのアクション力が冴え渡る、ダイナミックでパワフルなものだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
意味深な表現で作品の奥行きを確保しつつ、シンプルに血を騒がせる熱量も、しっかり継ぎ足す。情報量は多いが、難しすぎない。
ビジュアル的な原作アレンジも見事で、繊細ながら力強い輪郭線、美麗ながら人間の存在感がある筆致を、現在風に整えていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
衣装や小物も、現在と過去の入り交じる独特のアレンジが加わり、見ていて楽しい。雰囲気はほぼ80Sなので、時折『時代変える必要あったか?』とは思う。楽しいけど。
アッシュがどういうやつなのか、表層と深層両方にパワーのある映像表現でしっかり見せたために、キャラ紹介パート自体に強烈な引力があった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
謎めいた”バナナ・フィッシュ”に狂わされていく彼の運命、それに引っ張られる男たちのドラマは、何かが動き出した躍動感に満ちている。
その上で、その圧倒的な巧さとセンスがどう使われるのかは、やっぱり気にかけたい。個人の運命を血がにじむほど強く描ききったからこそ、到達できた運命と宿命。そこをじっとり見つめつつアニメを描ききるか、ドラマの領域で止まってしまうのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
どうやっても、そこを見咎められるセッティングだ。
『やってくれるかもしれん…』という期待感を煽るには、充分以上の冴え渡りだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
超変態な場所にカメラ据えて、色彩もピーキーで、でも何を描いてるのかすっと伝わってくる。コンテ・演出も担当した内海監督の、業前が見える。
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その巧さで、何を描くか。アッシュと”バナナ・フィッシュ”を巡る物語を、どこまで高く、広く、強く描ききれるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年7月6日
警戒の鎧をぶち抜いて、地面にひれ伏させるだけのパワーのある第一話でしたが、それでも僕は構えを解かずに、次回を待ちます。
その方が、多分このアニメ面白い。来週も楽しみですね。