ルパン三世 PART5を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
電子の鏡が問いかける。ルパンとは、五右衛門とは、二人の関係とは。
時代遅れの泥棒たちは、デジタルな真実に思い、悩み、振り捨てる。結局頼りになるのは、クラウドの信憑性評価システムではなく、握りしめたアナログな孤剣一つ。
…本当に?
というわけで、終章二回目、ゴエちゃん煩悶編である。まーたルパンが血を流してぶっ倒れたぞ!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
PART5らしい自己言及と自己分析が、エンゾの口を借りてルパン一味を追い込み、自分を語ることを許されない"ルパン"の輪郭を彫り込んでいく。面白い運びである。
PART5は"峰不二子という女"以来のルパン・ルネッサンスの総仕上げというか、現代に通じるコンテンツとしてルパンをリブートする意欲を強く感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
過去キャラを再登場させるクスグリとか、過去エピソードへのオマージュとか、ノスタルジー…から少し離れた、"歴史"の視座で"ルパン"を見る。
本来ならファンサイド、あるいは副読本的なメタ視点を、"ルパン"本流がしっかり引き受け、意志を持ったキャラクターとしての"ルパン"の物語として堂々書き直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
PART5からは、ノスタルジーの詰まった死んだアイコンとしての"ルパン"を超えて、自作をリヴァイヴァルしようとする意志を感じる。
ゲスト脚本家にそれぞれの得意分野を活かした"ルパン"を描いてもらったのも、複数の視点から同時観測することで、"ルパン"を立体的に観測/描画する試みの一つだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
山程エピソードを積み、様々な物語をくぐり抜けたルパン三世(と"ルパン")は、矛盾を含み分裂している。
それは当然五右衛門との関係にもいえて、冷えたデジタルの目は二人の関係性を様々に読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
手下、友人、相棒、ライバル、あるいはコレクション。そのどれでもあり、どれでもない、という曖昧な雲が、今回五右衛門を取り囲む。めんどくせーなゴエちゃんは!
一回は電子の信憑性評価(と、ルパンの口車)に乗っかり納得する所が、ゴエちゃんらしいちょろさでよかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
"現代"に丸め込まれそうになった五右衛門は、"敵"であり世界最大のルパン批評家でもあるエンゾによって疑念を顕にされ、歴史的文脈、個人的エピソードの蓄積を再確認する。
モロな形で映像引用される、過去エピソード。PART1の鋭いタッチで描かれる、"敵"としての五右衛門の幻影。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
PART5の石川五右衛門は、それまでの物語の蓄積としてありながら、別の存在でも在る。様々な作者が作り上げてきた"ルパン"という総体の中で、石川五右衛門とは、どういう存在なのか?
それを確認するためには、"剣"そして"死"という究極のアナログに立ち戻るしかないのも、非常に五右衛門らしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
究極の戦闘兵器であり、完成された求道者であり、おちゃめなアナログ人間であり、未熟な修行者。ルパンとの関係と同じく、"五右衛門"のイメージもまた、莫大な歴史の中で散乱している。
今回五右衛門が見せた迷いは、そういうメタな自己認識と深く関わっていて、だからこそ"今"解決しなければいけないのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
自分が見つけられなければ、"ルパン"との立ち位置も、作品でのポジションも判らない。
『PART5の"五右衛門"はこう!』と"今"明言しないと、作品が立ち行かない。
五右衛門の混迷は、製作者のそういう意志を感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
まぁ、ルパンに致命打与えて一旦逮捕させる説得力が、『強敵・石川五右衛門との対峙』にしか見いだせなかった、てのもあるだろうけど。
PART5スタッフ"ルパン"好きすぎなんで、その"格"を乗り越える敵役作るの、ホント苦労してそう…。
五右衛門は"ルパン一味"ではないPART1の自分(と重なった、PART5のルパン三世)を切り裂くことで、己とは何か、見つけることが出来たのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
能力暴走させた面倒くさいヒロインみたいに、『ち…違う、私そんなつもりじゃ…』みたいな顔して傷を触るゴエちゃんは、不二子よりヒロインしてたな。
『どんな結末も受け入れられないなら、ルパンなんて好きにならないほうがいい』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
これを不二子個人の覚悟として取るか、ルパンシリーズと付き合う時の心得としてみるか、"ルパン"をぶっ壊しかねない今後の展開への予防線として取るかは、人それぞれだろう。
多分、どれでもある。
このように、"ルパン"全体を見据えたメタな言及と、現在進行系で体温高く展開しているアクション&ドラマを重ね合わせる手腕が、PART5の特徴と言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
キャラクターの言及や存在は雲(クラウド)の中にあるように曖昧で、しかし"ルパン"らしく確かなものが、ある気がする。
それが一体何なのか。どんなシチュエーションで、どんなドラマに、どんなキャラクターを従えて挑めば"ルパン"らしいかを、実際にエピソードを積み上げながら問い、答え、その答え自体が問いともなっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
そういうPART5のクライマックスが今回のようになるのは、僕にはかなり納得できる話だ。
メタ言及の海に溺れるのではなく、キャラ個人のドラマをちゃんと駆動させているのが偉い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
エンゾの個人的事情も一気に顕になって、魅力も強くなってきた。薄々感づいては来たが、アミちゃんの方からとっととパパバレするのは意外だった。いい意味で引っ張らんね。
ここまで影の薄かった社長も、"相棒"をキーワードに次元のシャドウとしての存在感を高め、オマケに"クンフーの達人"という過積載要素まで積んできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
ビックリしたけどおもしれーな! 書斎派かと思ったやつがむっちゃ物理的に強い展開、俺だーいすき!
"世の中を良くしたい"という公的な欲望が、"娘の安否を知りたい"という個人的欲求と繋がっているのは、エンゾの強みであり弱みであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
私的な裏打ちがない願いは、どこか薄っぺらい。『俺がやりたいからやる』というミーイズムの権化、"ルパン三世"の向こうを張るには、濃いエゴは大事だよね。
しかし同時に情が見えたことで、世界を駆動させる無私なるシステムとしては穴があることも判った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
"誰か"のためのシステムは、"みんな"のためのシステムにはなりえない。ここら辺の危うさをハックして、ルパンはヒトログを攻略してくんじゃないか、と思う。
それは古臭い大泥棒と、彼に惚れたニューロキッズの物語としては、大事な落とし所だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
国家すら無化してしまうような超ハイテクを握っても、何処かにアナログな情がある。敵味方に分かれても、親子通じるものがある。
そういう柔らかな情感は、"ルパン"にとっていちばん大事なものの一つだから。
"ルパン"を解体・解析しつつ、己自身が”ルパン”でもある(そして、新作が作られれば自分が語った"ルパン正史"の一部にもなる)PART5は、最新ガジェット…を超えた、新しい社会システムと対峙しつつ、やっぱり"ルパン"らしい浪花節でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
デジタル親子の対面は、そういう味を強く見せてくれた。
敵も味方も、ディジットで割り切れないモヤモヤした情を顕にする中で、ルパン三世自身は己の内面を(いつものように)語らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
その始まりからしてアイコン的だった"ルパン"は、人間的な揺らぎすらスタイリッシュな装いとして、内面をにじませることなく綺麗に着こなす。
真実、ルパンは何を考えているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
過去や内面を焼却することで、ハードボイルドなアイコンでい続けているルパン三世にとって、それは意識して見えにくくした、答えてはいけない問いだ。
不二子は"ルパン"の破滅願望を分析するが、ルパン自身はそれに是非を返さない。『俺はこう思う』とは言えない。
内面を備えた私的存在として、決定的な結論を出せないもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
曖昧な雲(クラウド)のなかで、輪郭だけを観察され、巨大なアイコンであることを宿命とするもの。
そういう"ルパン"が決定的な答えを出してしまえば、"ルパン"は終わる。"ルパン"が続く限り、ルパン三世は"ルパン"をやめれない。
そこに終止符を打ち込み、ルパンをアイコンから人間に戻す唯一の特権は、やはり峰不二子にある。それを自覚しているから、不二子は己を檻から出すロマンスを、ルパン最後の事件として差し出し…かけたのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
この問を投げるために、PART5のモヤッとした恋愛描写があった、とも言える。
ラブ・コメディは、主役が自分の気持に気づいてしまえば終わる。あるいは、気づいた自分の気持を言及し、恋に一つの答えをだすように行動した時に。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
"ルパン"を終わらせる恋の難問に、PART5は自分なりに答えをだすのか。答えを保留することがPART5なりの答えか。なかなか面白い。
とんでもないアドベンチャー、危機一髪の大活劇。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
そこで傷つく生身の"ルパン三世"を置き去りに、””ルパン"と時代は進む。
圧倒的な科学技術は無料でアプリ化され、監視の目は百億の携帯電話に埋め込まれている。大泥棒には生きにくい時代が、ルパンの心臓を狙ってくる。
不二子は自分を盗ませ、『ルパン三世は、峰不二子を愛している』という真実を明言させることで、"ルパン"を終わらせようと(あるいは休ませようと)する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
時代にアップデートせず、女の柔らかな胸の中で、愛に安住して終われという、優しい死刑宣告を誘惑する。
『そんなことするルパンなんてキライよ!』と、不二子ちゃん自身が肘鉄食らわせそうな、ハッピーエバーアフター。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
それを差し出さざるを得ないほど、エンゾが背負う"現代"と闘うルパンは苦しそうだ。"ルパン"というコンテンツが闘う、必死に今生きている物語としての"活劇"も同じなのだろう。
"俺はこういう存在なのだ"と、内面を提示することをけして許されない、ハードボイルドな空白。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
そんなルパンは、行動によって己の内面を輪郭化し、他者に理解ってもらうことでしか自己に言及できない。
だからこそ、『これはルパン的か?』という問いかけは大事だ。不二子の誘惑は、そういうことだ。
五右衛門が(エンゾという"現代""ルパン批評"の権化に助けられつつ)、"ルパン"を問うことで己を見つけ直したように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
ルパンもまた、不二子が己を賭けた問いかけを投げること、それに何らか答えをだすことでしか、己を見つけることは出来ない。
輪郭は常に、他者と自己が接触する場所に生まれるのだ。
エンゾが代表する"現代"、不二子が投げかけてきた"終わり"を、傷ついたルパンがどう乗りこなすか。それはEP4というドラマ、PART5という物語、"ルパン"というシリーズを総括する、大事な答えになるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
ゴエちゃんがルパン切ったことで見つけた"己"も早く見たいし、次回楽しみだなぁ…。
しかしアミちゃんが、あくまで”頼れる大人”"スタイリッシュな大泥棒"というルパンの"輪郭"までしか接触できず、そこを踏み越えてルパン一個人の進退を問う特権は不二子にあるのは、残酷かつ誠実な構図だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
女としてもキャラとしても、哀しいが"歴史"が違う。それを問えるのは不二子だけだ。
不二子に女として追いつけない限り、アミちゃんは男としてのルパンに追いつけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
PART5専用のゲストヒロインとして、"ルパン"の長い歴史に手が届かない1ファンとして、それは正しい答えだと思う。だからこそ切なく、ロマンスとしてジュブナイルとして美しい。
アミ(つまり僕ら)の手が"ルパン"を求めつつ届ききらない結末を、どっかで強く望んでいる気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
僕ら程度に捕まえられて、『これがルパンだ!』と白日にさらされるような、面白くない大泥棒ではいて欲しくない、みたいな。
けして盗めない世界最大のお宝、それは"ルパン三世"である。
"ルパン"を追い続けたPART5が、説得力を持ってその結論にたどり着けたら、それはとても素晴らしいと思う。"現代"に"ルパン"を追いつかせる真摯な試みは、ルパンと同じように答えを出し切ることを許されていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
なにしろ、ルパンはまだまだ続くのだから。お宝を盗みきってしまえば、怪盗の出番はない
それでも、自分らが必死こいて追いかけた物語の結論を一つしっかり出すのは大事だし、出せる足場も整ってきていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月4日
"ルパンとはなにか"
様々なキャラが問うてきた流れの最後に、次元大介がいる。
大泥棒の相棒は、一体どんな場所で、どんな問を”ルパン”に投げるか。
来週も楽しみです。
追記 慣れ親しんだアイコンをあえて崩す、というのは、長期シリーズであればあるほど難しくためらわれるものだけども、どっかで適切な跳躍を果たさないとアイコンはそのパワーを失い、ただの記号へと腐っていく。『眼の見える次元』はPART5(が属するルパン・ルネッサンスの文脈)の決意そのものなのかもしれない。
ルパン追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月5日
今回次元の"目"が見えるシーンが多かったのは、なかなか面白い。
エンゾというルパン批評家に幾度も問われ、加速する"現在"に追いつかれ、ルパンは生身の血を流している。不二子はそんな生身の"ルパン"を抱擁するべく、拒絶されるための問いを投げ込んできた。
そういう状況で、次元大介もまた"目"を見せて、ルパンと世界をしっかり自分の目で見る。見る主体として自分があることを、”目”を見せることで主張してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月5日
己が主役となった第19話で、ミラージュ二世との親子関係を曖昧なまま、スタイリッシュな狙撃戦を走りきったのとは好対照だ。
アイコンとして帽子をかぶり、前髪で視線を隠したニヒルな男ではなく、"目"で見て見られる生身の次元大介をぶつけないと、PART5のクライマックスは走りきれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月5日
そういう意識が、次元の"目"を描かせたのかな、と思う。それは次回、次元とルパンのお話の序奏でもあるのだろう。男男が濃そうで楽しみ。