Free!-Dive to the Future-を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
少年が男になる時、必ず何かを諦める。
世界で一番強く、もしくは特別ななにかとして輝き続ける。
そんな根拠のない未来への確信は、一つの敗北、一つの間違いを積み重ねて、気づけば泡のように崩れていく。
それでも、その先に光を見るなら。
そんな感じの、競泳選手・橘真琴の葬式である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
遙との感情交錯ではなく、様々な人々とふれあい、自分の外側から学ぶことで己の道を定めていくお話が、クライマックス前のここに来る。
極めて三期らしいと思うし、誠実だとも思う。
みな"世界最強"に憧れた少年に引導を渡し、その先へ歩んでいく。
ありふれた青春の葬式。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
二期第六話で遙(が背負う、競技に参加し続けるための資質)に向き合うことを宣言し、天才に憧れ続けてきた時間を自ずから終わらせた少年の中で、未だにくすぶるトゲ。
"関係者以外立ち入り禁止"の競技会から、閉め出されてしまう外野の立場が、アバンで強調される。
県予選で遥に本気で挑み勝てなかった時点で、真琴は競技者としての自分に区切りをつけた。区切りをつけるために、本気で勝負を挑んだとも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
特別な才能を持ち、"勝ち"という結果を出せる競技者でない自分を思い知りつつ、しかしそれでも、水泳が好きで、水泳を好きにしてくれた遙が好きである。
"競泳"というフィールドにとどまる資格がないが、とどまっていたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
真琴のジレンマは"勝ちたいけど負けてしまう"というシンプルな悩みを既に超えて、"負け"た上でどう競技にコネクトしていくか、その接合点を探る方向へと進む。
職業、生き方、生業。そういうモノを探る季節にいるわけだ。
こういうときでも、尚先輩の言葉は今までのように、未来を切り開く助けとなる。さすが眼鏡キャラである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
競技者でなくとも、競技と繋がれる場所。天才でなくとも、天才を支える立場。そこに、橘真琴の活路があるし、それは負け犬の逃げ道では当然ない。
焦りを込めて地面に垂れる、弱々しい水滴。今回は"上下動する球状の物体"が様々に使われるエピソードだが、そこには真琴の心理が込められている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
空が見えない曇天と、尚の言葉をもらって晴れる空。(しかしピーカンではない)
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負けを知り、傷つき、限界を学んでなお、高い場所へ行こうとする存在。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
自由に飛び、広い世界へと漕ぎ出していく存在。
てんとう虫(水滴とは逆に、重力を振り切って上方に移動できる存在)のなかに、真琴は数多の競技者と、過去の自分を見る。
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いつも優しい笑顔だけど、真琴だって勝ちたかった。可能ならば競技の一線に立ち続け、並み居るライバルを蹴散らしたかったのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
でも、彼の才能はそれを許してくれない。特別に選ばれた主役である遙が立てる場所に、横並びに立てるわけじゃない。(その断絶が、二期12話を生んだといえるか)
いつの間にか、飛ぶことをやめたてんとう虫。競技の前線から閉め出された真琴に、岩鳶から勝利の知らせが届く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
無邪気な青春の中で、必死に飛び続けるつがいのバタフライ。かつて自分が選手として泳いだ、あの熱く厳しい場所が遠い。
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競泳選手というアイデンティティは、才能の限界に捨てさせられ、遙との青春を殺そうという決意で捨て去った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
そうしたのは多分、癒着した幼年期から飛び出すことでしか自分を前に進められないと感覚したからだが、ではそこから離れた自己像は、どういうものなのか。何を描けば良いのか。
ヒントを貰いつつ、知らずのうちに答えを体得しつつ、真琴は新しい空、自分だけの空を探す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
『少年競泳のコーチ』という立場で"競泳"に接する道を見つけていたのは、彼が既に"正解"に近い場所にいる、という証明でもある。ただ、その事実に気づいていないし、100%納得もできていない。
初めて明瞭な敗北を叩きつけられ、あるいは誰かの才能に目を奪われ、遙は少し昔に戻っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
郁弥を相手にしていたときは不器用なりに冴えていた言語コミュニケーション能力も、岩鳶時代に戻ったようにむっつり黙り込む。負けん気の強い"競技者"に戻った、ともいえる。
竜司さんが巧く伝えられない言葉を、真琴は"遥語"に翻訳し、伝える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
高校時代ならいざしらず、今の遙は他人を拒絶し、狭い自我の海だけ泳いでいるわけではない。
ただ、外部の言語を咀嚼して、他人と交流する技術は高くない。才覚一本で歩くことを許されていたし、真琴が乳母日傘でお世話してたし。
そういう"天才"の言語を翻訳し、感覚的で孤独な競技の最前線に、理性と言語でコミュニケーションする当たり前の世界の言葉を届ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
優しい真琴の才覚は"そこ"にある。トレーナーのケアは、肉体にとどまらない。気持ちを伝え、こわばった心をほぐす。伝わらないものを、どうにか伝わるよう努力する。
竜司さんが指摘するように、真琴にはそういう才覚がある。水泳の女神様には愛されなかったけども、当たり前のコミュニケーションを的確にやりきる能力には恵まれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
それは多分、早く泳いだり、水の中で他人の心を動かすのと同じかそれ以上に、尊く強い能力だ。
しかしそれは、"競技者"として横に並ぶための資質ではない。ガラス越し、"世界"で競い合う特別な二人から隔絶された場所で、真琴は少し寂しそうに想い人を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
遙の心理に踏み込む時、凛が踏み込む境界線を、"部外者"は超えられない。
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そんな事実を突きつけられつつ、真琴は自分と似た大人、コーチの道を選んだ竜司さんと対峙する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
自分が掴み取れなかった泳ぎを、才覚の光を、遙の中に見て託す視線。外側にある輝きに、新しい夢を委ねる姿勢。
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その一歩引いたポジションに、竜司さんは自分の居場所を見つけた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
人間誰もが、"勝てなく"なる時が来る。
衰え、あるいは理想とすれ違い、それでも勝利にしがみつき続けるのか。それもと、別の形の勝利を見つけて、方針を転換するのか。
この話に宗介の復帰を絡めてきたのは、面白い作りだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
今回のエピソードは、競技者ではなくなった真琴が、競技とは別の場所に天命を見つけるまでの物語だ。
一方宗介は、手術に踏み切ることで競技者の資格を手に入れ直し、スタートラインに付き直す。そのどちらにも、意味はある。
損なってしまった夢のカタチを、別の角度から見つけた輝きで埋めるのか。同じ形でもう一度挑むのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
宗介と真琴は同じ"負け"から出発し、それぞれ別の結論にたどり着いた。それが一話の中で横並びに描かれていることは、とても大事だと思う。
諦め、妥協し、道を変える。諦めず、しがみつき、再出発する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
そのどちらも"是"なのだ。競泳をやっていたから出会えたものに感謝しながら、水に関わり続ける。繋がりを否定せず、優しく強く向き合う。
少年の背中をもみながら伝えた言葉は、自分と宗介にかけたエールでもあろう。
競技者、トレーナー、リハビリ経由の再挑戦者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
道は様々にあり、しかし同じ場所から出ている。それぞれの資質、それぞれの夢を込めて、"世界"に向けて広がっている。
少年たちが勇気を込めて選んだ、自分だけの道。その孤独が、魂が繋がっていたあの黄金の時代から遠くなっても、全ては永遠である。
今回の話しはまぁ、そういう話だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
"スポ根"としては勝ち負けのロジック前面に打ち出して、遙や凛という"特別な人"を追えばいいだろう。公平で豊かな"正解"に辿り着く前の、閉鎖してこんがらがった感情の地獄に分け入る筆も、当然ある。
しかし三期はそこに隣接しつつ、第10話にこのお話を置いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
アルバートに叩きつけられた"負け"と、遙が同向き合うかを主題にする前に、それを横目で見ながらそこに踏み込めない"非-競技者"を主役に据えた。
勝ち負けから遠くなった青年が、自分の道を見つけるまでの物語は、一話使うに値する。
そういう判断があって、かつての子供たちを投影されつつ独自の尊厳とドラマを持つ子供たちのスイムと、それを見守る二人のトレーナー候補を描いたのだと思う。輝きと決意を込めた、プールの前の拳を切り取って、お話は終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
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ラストカットの特別なキラキラ感溢れる撮影とか、ホントに京アニらしくて好きである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
男らしい、大人らしい真琴の握り拳が、掴んだものをどう名付けるか。競技の前線に残れなかった負け犬が、尻尾を巻いた結果の妥協…と描かれていないのは明白だ。
競技をしない存在(ぶっちゃけ遙と凛以外)が、才能に満ちた競技者と同じくらい大事で、尊いものだという、当たり前の認識。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
そこから競技へのリスペクトが生まれ、"競泳"が成立もする。竜司さんの守破離論は、『お前は人間としての根っこが出来てない』と、遙(と、一期二期のFree)に告げる。
ただただ俺が俺がで突き進んできた果てに、世界の壁に突き当たったなら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
遙は己を解体して、世の中がどう成り立っていて、そこに自分がどう噛み合っているのかを確認しながら、もう一度自分を組み直すしかない。
そんな主役の状況は、多分作品全体への批評眼も反映しているのだろう。
自分の中で渦を巻く感情の嵐に押し流されたら、隣に泳いでいるやつがいても気にかけず、足を止めていい。それが"競技"全体に砂をぶっかける最低の行為だと、自覚しなくても許される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
閉じて暖かで特別な時間は、良くも悪くも終わったのだ。
三期の遙はらしさを維持したまま、"マトモ"になる必要がある
その時、マトモじゃない遙も全部ひっくるめて受容し、理解し、翻訳してくれる真琴は最強の相棒になるし、その事実が真琴に、強い自己肯定感を与えもするだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
真琴が『遙を、そして他の選手を支えたい』と宣言したのは、なんとも三期らしい結論だった。
特別にすぎる誰かと濃厚に繋がり、羊水の中で微睡み続ける。その心地よさは終わりなのだと、このエピソードは告げてくる。幼年期の万能感、子宮の中の密着感から抜け出して、真実Freeになる瞬間が近いのだ、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
色んな意味で残酷だなぁ、と思う。過去積んだ自作へのある種の決別だし、決意でもあろう
手術成否にヤキモキしつつ、なかなか切り出せない凛。その心を写したグラスには、やはり水滴が付いている。涙と汗の代わりだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
そして答えが出て、飛行機が未来に飛ぶ。空を直接映すのではなく、ビル鏡面に反射させるのが、なかなか凝っている。
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開けて、明るく、より前の方へ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
郁弥と日和のこじれた感情をメインに捉えていた頃ですら、三期はとにかく、そういう方向へ体を向け続けてきた。
それが"正しい"のだと、為すべきことなのだと、映像を構成する様々なメディアで語り続ける、ある種の頑なさ。そこに僕は、"京アニ"を見てしまう。
世界を適切に維持し続ける"正しさ"と、そこからはみ出してしまう"情念"の危ういバランス。その中間地点で揺れ動きながら、京都アニメーションの書作品は作られているし、このFree三期も同じポジションにいるな、と感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
その不器用な真面目さが、僕はやっぱり好きだ。
少しエピソードからズレた感想になった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
京都アニメーションという制作集団が、メンバーを入れ替えつつ継承する創作の遺伝子。世界を切り取り、何を描くべきか定める視線。
僕は非常に曖昧な形で、そこになにか共通するものがあると感じているので、このアニメを見ながらそれを探してしまう。
それが外野の勝手な思い込み、部外者の厄介な愛情なのか、作品の真実を何らか捉えているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
そこら辺もひっくるめて、残りのエピソードを見るのが楽しみである。次回は高校生組も合流して、"競技者"を掘り下げるようだ。
"勝つ"側にもまた、個別の苦しみと尊厳がある。
ノリツッコミも柔軟にこなし、"部"に笑いを絶やさないよう心を配ってくれる怜ちゃんの描写が、とにかく眩しかった。大人になったなぁ、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月17日
その成長を泳ぎで証明する形になるのか、彼らを反射板に競技者・七瀬遙を掘り下げる形となるか。来週も楽しみですね。