イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

銀剣のステラナイツ ファーストインプレッション・レビュー

『銀剣のステラナイツ』(どらこにあん/瀧里フユ・富士見書房)を入手したので、ファーストインプレッション・レビューを書く。
印象を一言で言うと、ロールプレイ激特化型の尖ったシステムであり、新世紀に生まれ変わった”天羅万象"という感じ。
データの簡略、シナリオ構造の規定はトレンドか。

世界観的にはエクレア連載の"虚無戦記"みたいな話で、多元世界を喰らい尽くす超凶悪な怪物に、あらゆる可能性を食いつぶされた後の地球が舞台。
百合拗らせた二人の女神が、あらゆる可能性を雑多にかき集めて再構築した世界で、封印された怪物の復活を食い止めるのがPCのお仕事となる。

PC(ステラナイト)は怪物の復活を止めるごとに勲章がもらえ、秘めた望みを叶えるために戦い続ける。
戦いに身を投じても、叶えたい願いがあることがPCの資質となる。
ステラナイトは常に二組で構成され、武器を取るブリンガーと武器になるシースに分かれる。
"ヴァルキリードライヴマーメイド"やな。

プレイヤーはまずブリンガーを作成し、他PLにその設定・内包する物語要素を預けて、シースを作ってもらう。
全自動でバディものをやるシステムといえる。
基本的にPCは設定されたブリンガーとシースの間でロールを行い、他のステラナイツとは戦闘開始で初顔合わせとなるようだ。

どっしり濃厚なロールを重ねる時間と体力を確保するために、ゲーム構造は全体的にシンプル化されている。
PCには合計二回の日常シーンが与えられ、ここで判定は行わない。思う存分関係性を煮込んで、キャッキャするのが目的である。
潔い。

ここで萌えたり煮えたりすると、舞台裏にいるPLやGMが"ブーケ"と呼ばれるヒーローポイントを投げてくれる。
天羅の合気チット、ゼルギアのロゴスである。
これを使って戦闘をブレークスルーしていくことが基本設計なので、ミドルでキャイキャイしておひねり稼ぐのは大事である。

RP重視型システムは、ヒーローポイントを稼ぎすぎて戦闘を圧殺できてしまうのが問題だったりするが、ブーケには投入限界が設定されているため、ポイントだけのゴリ押しは出来ない。
自力だけだと押し込まれるし、戦闘にはそれなりのランダム要素があり、そこでの事故を避けるためにも大事である。

戦闘はエリアを区切った抽象型で、ポジショニングとリソース消費、スキル使用のままならなさを楽しむ感じ。
戦闘舞台自体にピンチが仕組まれていたり、使用できるスキルがダイスを振ってランダムで決まったり、簡略化しつつ荒れて楽しめるように工夫が見られる。

数字とタイミングは全体的にシンプルで、『データをガツガツ食うよりロールの燃料詰め!』というメッセージが濃い。
PC側がマンチに徹して、一方的に勝つなら勝つでそれでも良いか、というゲームではある。
ここら辺の数字感覚は、ちょと遊ばないと見えない。

作品世界はクソ女神が寄せ集めた学園型須弥山であり、多層化された各層ごとに世界=学園がある。
PCは基本学生となる。
蓬莱学園の冒険”"魔法先生ネギま!"あたりを想像すると分かりやすいか。
在り得た全ての地球を階層化してるので、ファンタジー世界やサイバーパンク世界もあるよ!

女神がパッチワークで作った世界は穴だらけで、人間も封印された怪物の因子をもって、いつでも怪物化する危険に晒されている。
そこで頭おかしくなっちゃったステラナイツを殴ったり、予言された危機を回避したりするのが、一応のクライマックスとなる。

このゲームは基本シナリオレスで、兎にも角にも各コンビ2シーンロールをしたら、全自動的に運命のバトルが始まる。
ダラダラ茶をしばいていても、面倒くさい感情を転がしていても、来るべき戦いのために情報を収集していても、終わりは定められたようにやってくる。

これはゲームが無条件に間延びしないために大事な規定で、近年のシステムデザインのトレンドでもあるとおもう。
ロール重視のシステムは特に時間を食べていくので、一シーンあたりの時間示唆含めて、"終わる"ことに気を配ったデザインはとても良い。
"終わる"と意識しているのが大事なのだ。

このゲームで大事なのは、自キャラに萌え萌えする妄想力…だけでなく、他人の萌えをちゃんと受け取り、それに相応しい返答を返す能力、また返答がしやすい形で自分の萌えをプレゼンする能力だと思う。
ブリンガーを提示する時、シースを返す時、二人でどんなシーンをやるか相談する時。

相互コミュニケーションがとても大事にされていて、そこから生まれたものが、不定形のシナリオ構造に流し込まれ、セッションになっていく形だ。
だから悪意と退屈に非常に弱く、ロールプレイ適性よりも遥かに、そういうニンの良さが大事なゲームな気もする。
TRPG全体的にそうだけども。

シナリオが間延びしすぎない工夫は、ステラナイトで関係性・物語の伸びしろを完結させてしまって、他のステラナイトと交流をしない構造にも言える。
各キャラがバラバラの立ち位置からシナリオに入り、思わぬ出会いと交流を果たすことが面白い、個別導入型のシステムとは真逆の方向に舵を切ったわけだ

キャラとキャラが向かい合った時点で、そこから生まれる物語はある程度絞り込まれる。
ソリの合わないライバルなら、反発と和解。
若き勇者と師匠なら、特訓と成長。
もどかしい感情を抱く恋人未満なら、接触と炸裂。
キャラを作る段階で、そういう展開のイメージをある程度事前準備し、共有する。

そこで生まれた共通理解を材料に、2回のシーンを運営して、十分楽しんで、戦闘をやって『何かを成し遂げた感じ』をゲーム体験として得る。
横にはみ出したランダムな物語性は、あえて切り捨てる。
狭く深い関係性をしっかり準備して、共有して、濃厚なロールプレイ経験を作る。

そういう狙いに絞り込んで、色々工夫のされたシステムだと思う。
背景世界が多元世界学園なのも、様々なバックボーンを持つPLの最大公約数として『学校』があるからだろう。
大体の人が体験していて、なんとなく判る。
一番スタンダードな物語のデータベースが、舞台として選ばれているわけだ。

なんとな~くTRPGを知ってる人、ゲームをそこまでロジカル&ディープにやっていない層を大事にして、イントロダクションを分厚く丁寧にやっているのはとても良い。
ゲームとはどういうモノかある程度の答えを与えつつ、それを絶対化しないように逃げ道を用意してるライティングは、迷いがない。

同時に結構独善的というか、一定方向に歪んだ記述も見受けられるので、読者の好み、あるいは環境の雰囲気に合わないと思ったら、大胆に無視していいと思う。
そういう自由も含めて、『楽しいのが一番大事で、そのために好きにやれ! 素材は用意した!!』という姿勢が強いのは、とても良い。

物語を作り共有する行為には、客観と主観の融和が大事になる。
キャラ萌えで大暴走して卓全体、シナリオ全体を見ないで、セッションが苦いものになった経験は僕にも(たっぷり)ある。
どっかで冷めた遠い視線を用意しつつ、眼の前のキャラ、シーン、事件に本気でのめり込む。
熱量と冷静の同居。

本作のライティングはその"熱"の部分を最重要視し、PLもGMも卓の成立にそこまで責任を追わなくて良い構造も用意されている。
存分に萌えても2シーン後には戦闘が起こるし、狭い関係性で大暴れしても大筋は確定しているわけだ。このセッション基本構造の見えざる強制力は、的確で強力だと思う。

ただまぁ、GM(あるいはシナリオライター)が用意した筋立てへの成立義務が薄くなったとしても、眼の前に他人がいることへの敬意、責任が消えてなくなるわけじゃない。
PLにシナリオ作成作業をある程度担当してもらう分、他人の望む物語を覗き込み大事にする客観の"冷めた"目は大事になる。

ここら辺のバランスはシステムサイドで準備するのが難しく、PLの心構えと資質、努力に期待するしかない部分でもある。
今後プレイエイドの中で、物語とそれを共有するTRPGという遊戯の中で、"熱"と同じくらい"冷たさ"が大事になることを補強すると、より良くなるとも感じた。

ここまで書いたのルールブックを読んでの感想で、実際のプレイフィールがどんな感じかは、遊んでみないとわからない。
TRPGとは体験だし、そこには常に自分の思い通りにはならない、自分というカテゴリーから外れた他者がいるからだ。
貴方がいて、わたしがいる。
だからTRPGは面白いのだ。

ステラナイツを比翼の鳥に設定したこのゲームは、そういう他者性を大事に尊重して作ってあるとも感じた。
ロールを濃くやるために、大胆にシェイプされたシステム。
そのうえで事故少なく、過剰になりすぎないよう整備されたシナリオ構造。
それが実働した時どんなプレイ経験が生まれるのか、楽しみだ。

まぁ『遊びてぇ』って話なんですが。
感情で繋がってればどんなキャラもやれるので、殺し合いでしか繋がれない歪んだ敵味方とか、お軽いノリの探偵コンビとか、感情拗らせたクソアマとか、色々遊んでみてぇ…。
あとハーフランダムなシナリオを、どう楽しい経験にしていくかの整備も面白そう。
遊びてぇな

追記
用意されたシナリオを体験しつつ、その筋立ての中で個性を出していく一般的なゲーム体験と、ハーフスクラッチでPLがシーンセットに介入してゲームを作っていくこのシステムの体験は、ちと味が異なる。
のだが、焦点が違うだけで体験としては似たところにあるかな、とも思う。

多分他人のリアクション、共有されるシーンを想像しながらキャラを作る所、それを提示してあーだーこーだ言いつつ相方とか実際のシーンとかを作る体験自体が、ゲーム全体で大きな部分を占めるよう、面白くなるよう設計されているのだろう。

今までGMシナリオライターに全載せされていた『セッションを作る』段階での苦労と楽しみを、PLにアウトソースすることで軽減分散しているデザインと言える。
ココらへんも最近のゲームのトレンドかな、と思う。
実際、GM大変だもんね。楽しいけども。

それぞれの"萌え"を人質にとって、思う存分やれるシーンを作る権利をやるから、その苦労も分け合ってね! という作りとも言えるか。
ゲーム全体から『ロールやるゲームだかんね! 関係性だかんね!!』と強くムード出して、そういうのに脳髄蕩けちゃうジャンキーを積極的に惹きつけるのも戦略的だ。

蓼食う虫も好き好き、楽しい苦労は苦労じゃない。
自分の萌えをぶん回し、それを気の合う他人と共有する快楽にレセプターがある人にとって、『オメーがゲームつくんだよ』は願ったり叶ったりであろう。
少なくとも、俺はありがたいよ。地獄を見せてやる…(厄介な人の厄介な決意)

同時にぶん回した萌えで人が傷つくことは多々あるので、周囲を見渡す能力も大事になるんだけども。
それは他のゲーム、人生のあらゆる場面で大事な能力であるけども、熱量重点なこのゲームだと、より大事なんだろうな。
"相談しろ"と口酸っぱく言われてるのは、そこら辺の認識強いからかな。

とまれ、物語作成のアウトソース化はボク個人も興味があるところだし、別システムで触ってたりもする。
これが実働した時、どういうゲーム体験になるのか。
シナリオクラフトやクエリーシーンとはどういう違いがあるのか。
そういうの確認する意味でも遊びてぇ。