Free!-Dive to the Future-を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
勝ちと負け。確信と恐れが入り交じる、全日本選抜決勝の舞台に、様々な人が集う。勝者、敗者、競技者、友人、観客、家族、報道、コーチにトレーナー。
広大な未来、海の向こうの”世界”に向けて、鳥たちがそれぞれの翼で巣立っていく。その瞬間は…
2020につ♡づ☠く!!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
そんな感じの、TV三期最終話。終わってねぇええわよ!!!!
とひとしきり興奮した後、『そらオリンピック特需狙うわなぁ…』という冷静(さめ)た感覚と、続きが見れる喜びがジワジワ湧いてきた。
正直複雑な興奮がまだ体内にあるが、それ引っくるめて最後の感想を書く。
川浪監督と京アニの秀英・小川太一が描く最終話は、Freeらしい豊かな暗喩と身体性がみっしり詰まった、競技回となった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
水を捕まえ、体を前に押し出す筋肉の強さ。息を切らせ弾丸のように進む滑らかなフォルム。冷たく清廉な水の質感。やっぱりFreeの水泳シーンは良い。見てて涼やかな気持ちになる。
とにかく冒頭、1:30のイメージシーンが異常に良くて、ここの仕上がりだけで二億兆点付けたくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
僕ほんと…京都アニメーションが”質”で殴ってくる、フワッと本意がつかみにくいけどもなんとなく意味が伝わってくるファンシーなシーンが好きで…ホント好きで…(キモい京アニ信者の告白)
水と空、二種類の青をステージに、現在と過去の遙が描かれるシーンには、ここから展開する最終話(を超え、2020に予定されている”何か”)が、みっしりと圧縮されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
狭く穏やかな青春の揺りかごから、敗北を知り、世界の広さを知り、その先を見つめる青年の背中へ。
初めて”水”と出会った遙少年は、とにかく楽しそうだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
鳥のように自由に、水平線の彼方をキラキラした瞳で見つめる。その視界には、曇りは一切ない。ようやく自由を、自分がなすべきものを見つけられた喜びに満ちている。
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しかしそこは”母”に守られた幼い楽園でもあって、小さなプールには玩具が浮かんでいる。(その描写に狭いエゴイズムに遊んだ一期への内的批判を見るのは、流石に穿ち過ぎか)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
小さな憧れから大きな実像へ。見ているものが変わると、光が世界を満たす
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結局遙は幼少期から”自由”だったのであり、狭く暗い室内から外に出ること、”海”の向こう側に広がる未来に飛び込むことを、その初期衝動としていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
後出しの人格書き換えではあるのだが、あまりに演出が鮮明なのでビタッとハマる。浅瀬でパチャパチャ他認踏みつけにしたのは、あくまで気の迷いである
無論、そういう場所にたどり着くまでの足踏みや迷いを丁寧に追い、人間の根っこが変化(あるいは再発見)する道のりも、このアニメは追う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
自閉していた郁弥を、変化に導けるだけ大きくなった前半の遙かを思うと、三期はそれが主軸であった、とも言える。一期二期を経て、既に成し遂げられた変化。
人魚姫の面倒メルヘン(あるいはメンヘル)に付き合う時は、表に出てこなかった七瀬遙の面倒くささ。元来それが彼のキャラだった、同じ暗がりでトロールし続ける停滞。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
それは夢の中のセルフイメージとして、あるいは試合前の実相として描かれる
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試合が始まる前段階で、遙のメンタルに不調があること、他のキャラクターが目を向けている未来、変化していく自分自身に怯えがあること、それが敗北を呼ぶことを、このアニメの描画・圧縮性能は的確に切り取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
他キャラの晴れやかな顔とは大違いだ
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唯一似通っているとしたら、過去”水泳よりも大事なもの”に開き直れず、半端に競技に向き合って自分を潰してしまった竜司さんだけである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
未だ濁流の中を泳いでいる彼の心理を語った後、ぐるぐると混ざるコーヒーを映すフェティシズムの冴え。流石。
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今回竜司さんの過去が顕になったこと、ミハイルとのセット描写が積極的に切り取られたことで、二人のコーチの物語的存在意義が、ようやく腑に落ちた感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
彼らは”あり得たかもしれない”遙と凛であり、”ありうるかもしれない”未来の二人、大人として成り得る可能性なわけだ。
競技のために何かを捨てる。あるいは、何かのために競技を捨てる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
竜司さんは優しくも強くもなりきれなかった結果、今も長く尾を引く後悔の中で、競泳から離れきれずにいる。ミハイルもそんな竜司さんを、渦を巻く濁流から引きずり出せないでいる。
少し大人になり、だがまだまだ子供な大学生/=競技者な遙と凛が、競技の前線に立ち続ける中で、そういう決定的な挫折と断絶が、再び襲いかからない可能性もない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
付いた離れた、捨てられた裏切られたの、心の中でチャパチャパやってた高校時代とは比較できない、重たい現実が襲ってくるかもしれない。
オッサン二人はそんな傷を治しきれないまま、しかし”大人”として”子供”を導き泳ぎ方を教える。責務をそれなりに果たし、ガキっぽさを残したまま立派なこともしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
そういう半端な生き方もまた、”大人”になる時の一つの形だろう。煮え切らない彼らの長い青春が、僕は結構好きだ。
真琴という”若い親父”に屋根を借りて、一堂に会する岩鳶ファミリー。自分の腕で飯を作り、腹を満たす力強さは、第3話冒頭、凜の日常を切り取る中で切り取られたのと同じものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
マトモな食事を二人でしっかり喰ってる、凜ミハイルの健全さも。
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Free三期は食卓のフェティシズムが凄く鮮烈な作品で、そこに興味が強くある自分としては見どころの多いアニメであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
バランス良く、朗らかに、明るく楽しく他人と一緒に。
試合前に描かれるものが、凜が勝負でもぎ取る結末を既に見せている。
今回はとにかく”目が口ほどに物を言う”回で、男たちは必ず何か(を通して誰か)を見ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
真琴が出発前に見る青い空。
旭の視線の先にある電光掲示板、
兄妹の抱擁を見つめる日和。
過去の自分を、もう入れないプールに見る龍司さん。
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”水”に出会った瞬間の遙が見つめ。エピソードの終わりに見つめ直す初期衝動の海。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
あるいは、金城やアルベルトが背負う”世界”にぶつかり、生まれる戸惑いと決意。自己像の反射に怯えつつ、突破を狙う”目”
親友の戦いに注がれる、熱い視線。
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事程左様に、何か一つを”見る”尖った唯一性が強調される回だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
その視線の熱さ、誰か一人を強く求める狭さこそが、青春を突破していく強力なエンジンだということを、このアニメはずっと言ってきた。実際に、物語的な突破力として有効活用し、ドラマのうねりを作っても来た。
しかしそれと同時に、三期は”目”を注がれない世界の広さ、触れ合う人の多さ、挑むべき壁の高さと可能性の喜びも、しっかり画面に入れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
特別な”仲間”が集合する特別な風景をあえて後景に置き、なんでもない通りすがりをカメラに写すスタイル。
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あるいは様々な立場の人々が、それぞれの胸の高まりを持ち寄って一箇所に集まる、試合前のシーン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
ここで”プレス”をカット・インさせてくるところが、ほんと三期で凄いなぁ、と思う。もしかすると、一番すごいカットかもしれん。
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凜や遙の戦いは、もう身内でパチャパチャやってるだけの個人的営為ではないのだ。カメラの客観的な”目”にさらされ、全国、全世界規模の行為として報道される、”大人”の仕事になりつつあるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
『Freeしか泳がない』と垂れ流していた時代の遙なら、関係ないと切り捨ていただろう、世間の目。
しかしそれは”Free”が切り取らないとしても常にそこにあったし、あり続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
遙が言葉というメディアを使い、不器用ながら他人と繋がろうとしている(その最たるものが郁弥への対応)のも、言葉を持ち、顔も名前もない他者と繋がる責務を、真剣に受け止めているからこそだろう。
そういうふうに”マトモ”になりつつある大学生の遙を、僕は少し寂しく思い、それ以上に誇らしく、喜ばしく思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
”マトモ”ではない自分、水泳さえ泳いでいれば良い自分に、子供時代の遙は結構苦しんでいたのではないかな、と思うから。天才の鉄面皮の奥で、摩擦に傷み、歩き方を探していたのではと。
人魚姫であるのは郁弥や日和の特権ではなく、遙(そしてバベルの混乱以降に生きる全ての人間、あるいは僕)の常態なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
だとしたら、歩きづらい地上をそれでも人間の歩法で歩こうと頑張ってる”マトモ”な遙のぶきっちょ歩きは、俺は凄い尊いことだと思うのだ。
高校時代の感情迷い道で、さんざんネトネト溺れ続けて。自分も他人も傷つけた結果、少しは他人に優しく、自分に正しく生きてみようと遙少年が思えたなら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
その結果が、プレスや観客を意識した公平な泳ぎになるなら、それは”正しい”以上の価値がある。望んだものに近づいていく輝きがある。
時に過剰に”正しく”あろうとする京都アニメーションの創作引力が、遙というキャラクター(彼を主役とするFree)を引き寄せた(あるいは歪ませた)結果かもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
しかし三期の、頑張って背伸びしてる遙が、やっぱり僕は好きなのだ。大変なことしとるよキミは!!
さておき、公平さを追いつつも特別な関係性、狭い隘路を抜けて光に飛び出していく瞬間もまた、全日本選抜の舞台を踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
影に満ちた通路は産道であり、思春期の子宮を抜けて競技者は、プールの羊水から飛び出していくのだ。
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同じ産道を通った桐嶋兄弟が、己の全てを賭ける勝負の場。遙と泳いだ(そしてその後、日和と語り合った)時には解消しきれなかったブラザー・コンプレックスが、水の中で共鳴しほぐれて行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
戦いだけが、男たちの魂を白紙に戻す瞬間もある。ここら辺のFreeバトルイズムは、かなり好き。
自分たちが肩を並べて必死に泳いで、それでも結論が見えない時。郁弥は”目”を電光掲示板という”客観”に向ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
自分の中ではなく、外部にあるからこそ公平に確認できるものに、ようやく向き合えるようになったのだ。
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それを背負って、コースロープ越しに伸ばされる手、交わされる抱擁。兄貴を超えてしまった勝者の戸惑いを、少しだけ”大人”である敗者が力強く引っ張り込む芝居の、細やかな感情表現。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
汗とも水滴とも明確に区別される、感情の透明な奔流。
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人は泳ぐことで、言葉をかわすことで、向かい合うことで境目を超え、他人を受け入れ、自分を変え、新たに生まれ直すことができる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
三期らしいポジティブな可能性と、爆裂するエモーションがみっしり詰まった、良い兄弟対決だった。
そんな勝負のきらめきの次に、旭と日和を(言い方悪いが)噛ませ犬にして負けの苦さ、壁の高さが示されるのは、意地が悪くて頭がいいところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
勝つやつがいれば、負けるやつがいる。競技から離れるやつも、また帰ってくるものもいる。真琴や宗介、龍也さんやミハイルを使って語られた多面性。
旭があくまでポジティブに、負けを受け入れた上で先を目指してくれたのはとても良かった。日和がクソ面倒くさいお姫様だけでなく、自分と競技を見据えて泳いでくれたのも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
面倒事を減らしていく三期の流れに乗っているとは言え、彼らはそういう判断ができる、立派な大人であり正しい子供なのだ。
勝敗の重たさはその後も尾を引き、凜はギリギリで”世界”への切符を手に入れ、遙は水の中で迷う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
Freeさえ泳げればいい、自分さえいればいい。そう思っていた少年は、友情を知って”自分たちさえ泳げればいい”という世界へ、そこを抜けて、自分を遥かに超えた存在へと頭をぶつける。
金城クンやアルベルトは顔見世ばっかで、さーっぱりキャラが掘られてねぇわけだけども、今まで才能で他人を引きつけてきた…”見られる”ばかりだった遙が、強制的に誰かを”見る”相手としては、結構面白い使われ方をしていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
狭い水場で泳いでいれば、自分の非才も知らずにすんだものを。
しかし胸に焼き付いた衝動と、天から与えられた才覚が海の向こうを目指すのであれば、畢竟突き当たる(当たらなければいけない)壁でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
この最終回の”後”、天に位置する彼らがどんなキャラなのか、どんなドラマで遙(と僕ら)を惹きつけるかは、なかなか楽しみなのだ。
龍也さんは金城クンを『人間欠落者、競技のために何かを切り捨てれるクレイジー、遙のあり得たかもしれない可能性』みたいに言ってたけども、それは外野からの観測で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
まーた面倒くさい感情ネトネトと、自分と世界をわき切りきれない曖昧な距離感を秘めてる気もするなぁ…だと良いなぁ…。
だって他のFreeキャラと同じく、金城クンも露骨女房役引き連れてるわけでさぁ~…まーた尖った才覚ナイフで世界も自分も傷つけてる繊細水泳ボーイが、サポーターッ面に闇を隠した相方とキャッキャすんでしょ? してくれるんでしょ?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
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俺の願望は横にうっちゃるとして、主役の敗北(よりにもよって最終回にそれを描くのって、ほんと凄いな色んな意味で)は結構複雑に、遙の心理をスクリューさせている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
そこに秘められているものに当事者ながら(あるいは故に)気づかない子供を、大人のコーチ陣が後出し解説するのが良い構成。
世界が見えるようになって、スタートに遅れて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
二期で自分の内面を見すぎて足を止めたのとは、また別の緊張が襲いかかるけども、それに負けたくないと奮起し、世界に届くほどに前に出た。
そこで”目”を奪ってくる圧倒的な才覚の幻影と、そこに反射する不確かな自画像に幻惑され、進めなくなる。
減速しつつも泳ぎきったところに、大学生としての成長を見てオッサン号泣であったが、世界トップを反射板に、そこに引っ張り上げられた新しい自分の可能性を見ること、そこで足を止めてしまうところが、なかなか奥行きがあって面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
新しいものは、いつだって怖いのだ。
だがそこに踏み出さなければ、未来は掴めない。”スタート”でつまずいている競技の運びが、そのまま遙の心理、人生プランを反映しているのは、スポーツドラマの作り方として上手い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
その決着が今回に収まらず、2020まで伸びることの是非は、一旦横に置こう。終わってねぇえええわよ!!
今は下を向き闇を見つめていても、仲間もいるし、内面の暖かな子宮で微睡んでいる時代にも、遙は飽きている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
前を向き治し、未来に飛び込むスタートのはて、凜との勝負がどうなったかはぼやかされたが、良い結末であったのだろうなとは推察できる。
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それを導くための黄金の夕焼けであり、青春期の終わりでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
世界全てが金色に彩られた、まさにゴールデンエイジ。しかしそこには輝きと同時に、日が暮れ何かが終わってしまう寂しさが、どっしり漂っている。
一瞬だからこそ永遠となりうる、青春のアンビバレンス。
遙が敗北の現在、勝利の未来と向き合う前に、宗介と凜の対面をちゃんとやってくれたのが、俺は嬉しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月27日
宗介という、二期ではあまり報われなかった(と、推しの贔屓目に曇った俺の価値観が吠える)キャラが、負傷者、敗北者、復活者の代表として、前線の戦士に対等に向き合う。
凜が欲しかったコーラは売り切れで、でもそれは宗介が持ってきてくれる。清涼飲料水一本で関係性を濃厚に描ききる筆があまりに巧すぎる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
それぞれ背負うものは違う。それでも、凜は前線で待ち、宗介は追いつこうともがく。その視線は対等だ。
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ぶつかる拳は、重たく”男”っぽい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
握りしめたものの大切さ、譲れない傷みの価値を、子供なりに自分のものとして受け止めた結果、そういう”握手をしない握手”ができるようになった。二期の離断の”先”を、見事に描き切ったグータッチである。
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戦い住んで日が暮れて、山のお寺の鐘がなる。遊びの時間はおしまいで、みんなお家に帰っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
”みんな”が集まって別れていくシーンは、凄く何ともないシーンだけども、多層的な寂しさと哀しさが積み重なる、味わい深いシーンと見えた。
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あんなに強く結び合っていたのに、それぞれ別の社会性、他人との繋がりを手に入れて、バラバラに分かれていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
この黄金の夕焼けで紡がれた緊密な繋がりは、必ず解けていく宿命にある。楽しい時間はすぐ終わり、青春は必ずエンドマークを迎えるのだ。
そうやって取り残されてしまう遙の背中は、未だ水辺でパチャパチャやってる子供のままのようでもあって、物分り良くお別れの時間を飲み込めず、風に吹かれて黄昏れていたいという、甘えた感情が透ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
でも、それを僕は笑う気にはなれない。
あの黄金の風景に込められていた緊密な熱気、必然的に別れていくものへの郷愁、それでも名残る思い出の残り香。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
寂しさと愛着と独善と利他が渾然一体となり、黄金に溶けていく瞬間の”美”が、凄く巧く切り取られているように思えて、競技場前の離別はすごく好きなシーンである。とにかく綺麗だ。
一人取り残される遙に寄り添いつつ、最初の発言権を凜に取られてしまうのが非競技者・橘真琴の哀しさであるが、しかし隣りにいるのは、あくまで彼である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
緑色の目をした怪物は、そんな自分を制御し乗り越え、前に進んでいく。ヤッパ10話は名作。
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三人で見る、美しい海。それは冒頭示された遙の初期衝動を、他者であり親友でもある人達と共有する、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
そこが真琴に対し開かれていることが、僕は良いな、と思った。人生を共有するには、競技継続の有無は必須ではないのだ。
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泳いでいるやつだけが偉いわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
競技から下りたから賢いわけでもない。自分のなすべきことと、やりたいことを一致できる黄金の瞬間に出会えたなら、それには全て意味がある。
そういう幅広い肯定でFreeを塗り替え直す意図は、三期全体に色濃く伸びているし、ここに真琴がいる意味でもある。
遙は心を真実許せる二人の親友に、『何かを捨てて、競技だけを取りたくない』と言い切る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
”世界”に向けて開けて、全てを手に入れたいという野心を叫ぶ。
それは『Freeしか泳がない』と己を規定してきた少年が、過去の自分を突き崩し、新たな自分を再産するための産声だ。
それは否定ではなく、変質でもなく、迷い間違え傷つけてきた、そのことに自分も傷ついてきた、当たり前のナイーブな少年が自分を捕まえる、喜ばしい瞬間なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
叫ぶ瞬間、遙は不安定な砂地から確かな足場へと、自分の基礎を掴み直す。
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それは龍司さんが釘を差していた”守破離”の”守”に必要な、謙虚さと情熱を手に入れた…というよりも自分の中に見つけ直した証明なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
それは、鉄面皮のナニ考えてんだか解んねぇ、あんま好きになれない主人公の奥で、ずっと息をしていたものなのだ。そのための産道として、物語が必要だったのだ。
風を掴んだ鳥は、水平線の果てに飛び出していく。あの日夢見た世界へと、三羽揃って飛び立つ。それが、競技者二人と、非競技者二人の未来を意味しているのは、あまりに明白で力強い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
空を舞い、水に遊べ。隣には友が、必ずいるから。
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ラストの三人があまりに綺麗で『…水葬?』と思ったりもしたが、服を着たまま、胞衣にくるまれたままの彼らは青春期最後の微睡みを、じっくり楽しんでいる最中だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
そこから出たら、また背筋を伸ばして大人っぽく。でも今は、まるで眠り足りない子供のように。
大人たちが青春の腑分けを冷静にやるシーンを入れて、当事者が理解していない勝ちと不安を言語化していくシーンも合わせて、エモくて良い終わりだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
時が全てを押し流して、あれだけ強く脈打っていた鼓動も弱まっていく。
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それでも現役だった時代の残滓が熱いからこそ、彼らは競泳に携わっているのだし、かつての輝きとは別の形で、大人もまた尊厳と喜びを作り上げている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
髭が生え、シワが増え、白髪になっても、青春は鼓動をやめない。自ら上がっても、今が全盛期なのだ。…龍司さんそこ気づいてねーけども。
龍司さんの完全浄化も2020かなぁ、という予感はある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
最終話で凄いエモ一撃を入れてきて、存在感がグッと上がってしまったので、彼が自分の青春をしっかり埋葬し、新たな光に会いに行く物語もまた、見たくなってきている。ホンマ頼みますよ…こういう人こそ報われなきゃアカンのですよ京アニさん!!
というわけで、Free三期が終わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
おそらく最初から、己の物語を語りきらないことを前提に組み立てられたストーリーは、時折物語燃料の不足なども見せつつ、新たな素材注入、過去の物語を踏まえての変化を自分たちらしく、見事に泳ぎきった。
僕の自意識とFreeのくっそ面倒くさい格闘は、話すと長くなるので略す。”ユリ熊嵐”風に言うと僕は内海監督のFreeが大嫌いで、大好きだったわけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
そして、内海監督はもういない。アメリカを舞台に、性と暴力の宿命、そこを乗り越えた青い空へのあこがれと戦う少年たちを、描くのに必死である。
猛烈な身体性・関係性への執念。それを映像に仕上げ他人を引き込む才覚。Freeが一大コンテンツへとのし上がった、強力なエンジン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
それが抜けた後でも、物語’(と商売)は続く。続かなければいけない。
路線は既に規定である。その中に、どれだけ作品への愛を、作者の情熱を込められるか。
それが問われる三期であったと思うし、答える三期でもあったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
あの強烈な高校時代を経て、身の丈が伸び、少しおとなになった者たち。
いまだ変化のきっかけを掴めず、薄暗い闇に自閉する者たち。
そんな彼らを見守る人々と、広い世界。そこに繋がろうとする意志、変わろうと思う願い。
一期二期では描かれなかったし、また描けなかったものを、三期はど真ん中に据えて悪戦苦闘、自分たちなりに必死に、自分たちらしく戦った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
その血まみれのナイフで刻み込まれた、美しい美術。意思を感じるレイアウト。目を奪われる光の表現、水の味わい。
とにかく、綺麗なアニメだった。
やっぱ京アニのアニメを見る以上、綺麗なものが見たいんスよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
日常で見ているのと同じはずなのに、圧倒的に美麗で、輝いていて、別世界にしか思えないような映像表現に、たっぷり溺れたいという欲望。
Free三期はそのプリミティブな期待を、たっぷりと叶えてくれた。やっぱ…”京アニ”やなって!!!!
ストーリーとしては色々あってアンバランスで、日和&郁弥のネトネト感情地獄~人魚姫と王子様の愛憎劇を添えて~が長すぎる感じはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
のだが、二人が存分ネトネトしてくれた結果、先にそこ抜けた既存キャラの身の丈がクリアに見えた部分もあって…トータル、俺は良かったと思う。
かつて僕は、一期最終回を見た時こういう感想を書いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
”そんなに自分たちだけで泳ぎたいなら、部活である必要も競技である必要もねぇだろ。
勝つ喜びは、負けるかもしれない人が隣で泳ぐから生まれてんのに、それを踏みにじるような行動を結果として起こすのであれば、一生温水プールで泳いでろよ”
今見返してもむき出しでキッツい言葉だが、小学校時代一応スイマーで、水泳をすることで持病の喘息が結構良くなって、生きる道筋をつけれた人間としては、あの競技と他者への軽視っぷりは、どうしても我慢ならんかったのだ…ろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
薄れていく怒りを記録するためにも、ブログってのは便利である。
そんな怒りに、視聴をやめようとも正直思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
しかしFreeには魔力があって、僕は二期を見た。不信の気持ちで見続けて、開けた場所に飛び立った彼らを見送って、終わった…終わってくれた、と思った。
しかし内海監督が抜けても、映画がありショウは続いた。
その残忍な継続性に少し疲れつつも、僕はFreeを見続けた。2020まで楽しみに、待ち続け、消費を続けるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
アクリルキーホルダーも買わないし、痛バックも作らないし、イベントにもいかない悪い消費者だが、やっぱりFreeが好きで、今でも少し嫌いである。
そんな僕の七面倒くささを、色々救い上げてくれる三期だったな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
風通しが良くなり、伸びた身の丈に嘘がなく、しかし世界が広がったがゆえの新しい悩みも、ちゃんとある。
競技から外れた真琴の寂しさと可能性、”マトモ”であろうともがく遙の成長痛。世界の天井に手が届かないもどかしさ。
少し育った身の丈で、色んな人がいる競技場に踏み込んでいく。プールで隣り合うライバルには、顔を知ってるやつも知らないやつもいる。一等取るやつもビリもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
そんな残酷で豊かで優しい世界を、特別ではない当たり前の景色を、三期は大事にしてくれた。僕が大事だと思うものを。
その価値観のシンクロナイズが、僕は個人的にとても嬉しくて、ありがたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
好きだったものを更に好きになれて、でも好きだからこそ至らない部分もみえて、それもまた愛おしい。
そういう気持ちで向き合える物語って、凄く特別なものだと思う。
俺、Freeが好きでよかったよ。
そう胸を張って言える物語として三期が終わり、正体定かならぬ2020に続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
露骨な商魂メラメラに苦笑いしつつ、顔だけ見せた世界の強豪達と彼らが、どう泳いでいくか。そこに込められた物語に、期待は高鳴る。
でも今言うべきなのは多分、それじゃない。
ありがとう、お疲れ様でした、楽しかったです
そう思える物語を、京アニらしいフェティッシュとメタファー、豊かなサービス精神でしっかりまとめ上げてくれたことに、本当に感謝です。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月28日
楽しくて、正しくて、見ていていい気持ちになれるアニメでした。
ここで描いたものの”その先”も含め、作ってくれてありがとうございます。
いいアニメでした!