HUGっとプリキュアを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
ネット世代の賢い子供、主演ドラマも大反響。天使のさあやが今回挑むのは! 第27話でもいい仕事した産婦人科~!!
そんな感じの職業体験回…を超えて、医療業務の大切さ、カインコンプレックスに囚われた幼女の開放と、ディープにシリアスに、希望を持って書き切る回。
というわけでさあや回である。他メンバーが濃くていい話をもらっていたので、正直いろいろ寂しいところだったわけだが、ズドンと夢のど真ん中、太い一発がしっかり入った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
ただいい話ではなく、さあやの優等生な個性を活かした上で、それをより善くしていくような変化が内包されていたのが良かった。
色々良いところがあるのだが、やはりシナリオヒロインたるあやちゃんが凄く良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
ボケ体質のお母さんを補うように、しっかり者に育った幼女。どっかさあやに似ていて、でも遥かに小さく、脆い存在。彼女を鏡に、さあやは人の心、人の命を学んでいく。
お母さんが『自分は帝王切開をする、間違えた母親だった』『娘を正しく育てられなかった』という頑なさにとらわれているところを、原液で出してくるところがディープだなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
ミスの多い性質を咎められ、『正しくありなさい』『間違えてはいけません』という圧、強かったぽいなぁ…。
そんな母の迷いを娘は知らず(あるいは感じ取りつつも、その薄暗さにとらわれることなく)、『お母さん大好き』という。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
自分を無条件に抱きしめ、愛してくれる存在の暖かさ、柔らかさ。『いい子』であり続けるため、色々無理もしてるっぽいあやちゃんにとって、そこは自分を解き放てる唯一の場所だ。
最初はキャラ記号かと思えた敬語と丁寧な大人びた態度が、家庭と少女の複雑な(しかしありふれた)事情がみえてくると、人間のあり方の一つとしてしっかり立ち上がってくるのが、なかなか面白い脚本だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
丁寧な立ち居振る舞い、ミスのない姿勢は、大好きなお母さんを護るためでもあるのだろう。
そんな『よくできた子供』でも、当然感情はある。『いい子』だからこそ開放できず、貯め込んだ気持ち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
『弟なんていらない』という血の出る叫びを、さあやは否定せず、ただ抱きしめる。忙しない職業体験の最中でも、あやの孤独に気づき、膝を折って目線を合わせているのはさあやらしい。
『袖摺りあっただけの中学生ではなく、オヤジが受けろやそこら辺!』とも思うが、はぐさんに続いてちゃんとケアしに行ってたので、まぁセーフ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
今週もはぐさんは、泣きじゃくる子供を抱きしめに行ってて、よくできた人間であった。おそらく、未来の記憶が彼女を突き動かしてんだろうなぁ。
さあやは非常に賢い子であり、優しい子でもある。情報に敏感で、真摯に仕事に挑む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
その長所があればこそドラマも成功(ほまれのジャンプにしても、社会的サクセスのカタルシスをあえて蹴っ飛ばし、結果だけサラッと描くのはHUGっとっぽい)したのだろう。
しかし長所は短所でもあり、どうも書斎派というか、人間がどうしても抱え込む個別性に向き合う足腰が、ちょっと弱い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
自然分娩だけじゃなく、帝王切開という手段もある。妹の誕生を、素直に喜べない姉もいる。自分と娘が『正しくない』と思い悩む母だっている。
カチッとした正解を求めすぎる事自体が、あやちゃんのお母さんを追い込んでいた描写を思うと、今回さあやは”優等生”という自分らしさを維持したままで、それが及ばないところに踏み込み、学び、自分を変えに行ったのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
それだけ強力な体験として、少女との交流、出産の目撃はある。
今回の経験を刻まれたさあやは、人間一人一人の個性、歪み、悲しみと喜びにしっかり目を向けるようになるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
女優になるにしても医者になるにしても、その視座はより善い結果をもたらす美質だ。そしてそれは、データを重視し誠実に学ぶこれまでの”さあやらしさ”を、排除はしない。
クライアス社の画一的な幸福強要を”敵”とする姿勢、アンリやルールーの物語に透かし彫りにされているモノを見ると、多様性は(今までのプリキュアと基本同じように)HUGっとに取って大事なものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
それは性選択や幸福の定義、個性のありかや世界認識など、様々な領域に伸びている。
こんかいさあやが”成長”するにあたって、自分と似ていて違う人に理解を伸ばし、持ち前の強さと賢さを維持したまま変われたのは、そういうお題目に良い血液を供給したと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
血の通った綺麗事は、夢と呼ばれるものになる。現代のおとぎ話であるプリキュアが、本気で向き合って描くべきものだ。
”姉”であるはなではなく、一人っ子であるさあやがあやちゃんのカイン・コンプレックスに視線を合わせたところが、今回の白眉かな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
似通っていて、でも違う。違うけども、通じるものがある。そんな断絶と融和のダンスに絶望してしまうと、全てを停滞の灰色で塗るジョージのように、人間はなる
年もあり方も違うとしても、他人の涙を己のものとして胸に刻み、抱きしめることが出来る。そんな優しさと強さと正しさが、今週の物語にはちゃんとあったように思えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
ハリーのマタニティ体験がさりげなく挿入されているのも、そういう細やかな配慮を感じる演出だったなぁ…お前はホント偉い。
さあやが今後女優になるのか、医者になるのか。未来はわからないし、だからこそ面白い。どういう大人になったとしても、今回の物語、これまでの体験がさあやを作り、掛け替えのない自分自身として咀嚼されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
人間が他人や世界と繋がり、己らしさを形作る。それを維持したまま、変化していく。
その時生まれる輝きが、真心とともに放散され、また別の人を変えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
さあやがあやちゃんを抱きしめてくれたからこそ、あやちゃんはお母さんを抱きしめ、お母さんもあやちゃんを抱きしめられた。”正しくない”自分たちを、”正しくない”まま肯定できた。
人が”成長”する時は、そういう柔らかで優しい変化が波紋のように、外部に広がっていくことがある。それはプリキュアに変身するのと同じくらい、特別でありふれた奇跡なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
そういう柔らかで靭やかな筆で”成長”を書けたのは、少女の物語としてとても強いなぁ、と感じた。
アスリートであるほまれが、自分の隣接領域である整形外科を真っ先に学びに行くのとかも、凄く良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
プリキュアであること、職業を体験する学徒であること、少女であること。様々な”私らしさ”を、HUGっと世界は暖かく伸ばし、前に進めてくれる。
機械生命であり、(おそらく)生殖機能を持たないルールーも、実感できない妊婦の感情に、それでもブリッジを伸ばそうともがく。はなとえみるはちとコミカルに、小児科の仕事を学ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
それぞれの色彩で、少女たちの世界が広がる様が描かれていて、とても良かった。
話の大筋には影響しない物語だが、薬師寺さあやという少女、一人間が己を形成する上で、とても大事で綺麗なお話であったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
これまでの物語があったからこそ、今回の出会いがあり、今回の出会いが起因となって、さあやの青春は更に伸びやかに、天に飛び立っていく。
そんなポジティブな時の流れを、まっすぐ寿げるようなお話を堂々出してきたのは、凄く良いことだなと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
センシティブな題材をしっかり画面に焼き付けるレイアウトと色彩、光源のセンスもビッと鋭く、絵とドラマがしっかり噛み合っていました。良いエピソードだった。
そして次回は、ついにTVで放送! プリキュアオールスターズ!!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
アニバーサリーイヤーなんで来るもんが来た、という感じですが、本編中に”プリキュア以後”を描写されたメンツは、成長後の姿で来るのがHUGっとっぽいな、と思った。
夢見る頃を過ぎても、青春はまだまだ現役なのだ。
映画の販促回でもあろうし、色々やらなきゃならんネタ、舞台に乗せる人数、共に多い。ココらへんをどう捌いて、ズガっと刺さるイイハナシ力を盛り上げられるかが、個人的には楽しみである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
ぶっちゃけありえない大集合、一体どんなお話になるか。来週も面白そうで、ドキドキしますね。
追記 あやの叫びはあり得たかもしれない(そして絶対ありえない)さあやの過去であり、そこに共感することでさあやは『自分と他人は違い、世界は自分と断絶している。しかしそこで完全に孤立するほど、己は無力ではない』という、非常に健全で正確な自己像(つまりは世界像)を獲得する。これ以上ないほど的確な、青春の描写であろう。
HUGっと追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月8日
あやちゃん/さあやちゃん。
主人公とヒロインの名前の類似/差異から見ても、今回は他者との類似性/差異性を通じてしか自己像を認識/変化させえない人間のあり方に、しっかり目を向けキャラクターを前進させた話なのだ。
どこか違くて、どこか似ている。それは喜んで良いあり方なのだ