BANANA FISHを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
オーサーとの死闘を生き残り、病院に保護されたアッシュ。しかし”BANANA FISH”の長い腕は、一時の宿り木すらへし折っていく。卑劣な一撃を、華麗なる獣は爪牙にて食い破っていく。
その孤高に憧れた月龍は、アッシュの大事な小鳥を檻に閉じ込める。
手を伸ばすのは、届かないから
そんな感じの、すれ違いと欲望が加速するエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
アッシュと英二は再び運命に切り裂かれ、それぞれ離れた場所で檻に閉じ込められ、危機が迫る。
月龍の、あるいは腐った国家中枢の欲望に苛まれつつ、虎と小鳥はそれぞれの才覚に応じた抵抗を見せる。
英二がいない時のアッシュは本当に怜悧で、あらゆる状況を抜群のセンス、図抜けた知能で切り抜けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
IQ180は数字で終わらず、鼻でナースに偽装した暗殺者を嗅ぎ分け、目隠しされた状況で病院の位置を特定し、衣装から偽FBIの欺瞞を見抜く。
一方英二は状況に流されるまま、月龍に身柄を引き取られ、憎悪を叩きつけられるまま、閉じ込められるままである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
古典的なお姫様ヒロインの仕事を従順にこなしつつ、英二はアッシュのリアルに触れられないまま、偽装された死にショックを受ける。
流れていく状況に押し流されていること、不自由な檻に閉じ込められていること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
二人の状況は似通っているが、そこに対する対応、運命を己の手に握り込む実力の有無は、離れて対比されればこそ目立つ。
月龍のエゴむき出しの噛みつき方にも、一欠片真理はある。英二とアッシュじゃ、確かに器量が違う。
しかしその真逆こそが、地獄の中でうめいていたアッシュが見つけた希望であり、救いでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
遠く離れた異国の青い空、綺麗事と無力を詰め込んだ英二の跳躍。自分が掴めないものだからこそ、アッシュは英二がどれだけ役立たずでも、彼を深く心に刻む。
社会的には正当防衛、視聴者の心情的には復讐の完遂。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
オーサーが死んでも気に病む必要はないのに、アッシュはナイフで切り裂いた感触、熱い返り血に思い悩んで悪夢を見る。
オーサーを排除するために使った暴力は、必ず制御不能となり大事なことを傷つける。そういう原則を、彼は都合よく無視できない
この根源的な倫理性が、アッシュをゴルツィネや月龍と分ける一線であり、彼の苦しみの源泉でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
孤独に、あるいは悪徳に落ちてしまえば楽なのに、そうはできない。どこかに綺麗な場所があるのではないか、人間が人間として、自分を自分らしく使うことが出来る場所が。
『身体の自由が効かないのは苦しい』と訴えるアッシュの言葉に、性とプライドを無力に蹂躙され続けた過去が影を伸ばしていることは、容易に想像できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
どれだけ叩き潰されても『俺は俺だ、人間だ』と吠え続けるからこそ、アッシュは崇高な輝きを放つし、苦しみもする。
月龍自身は悪徳に落ち、善を諦めてしまった。兄を薬物で壊し、野望の階段を駆け上がる道…ゴルツィネによって用意されアッシュが蹴り飛ばした道を、月龍は選んでしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
だからこそ、月龍は英二…に反射する、人間・アッシュに苛立つのかもしれない。
自分と似ていて、でも根源的に違っている。だからこそ惹かれ、手を伸ばし、届かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
そんな男たちの想いは様々に入り乱れ、実力を行使したり、それを跳ね除けたり、純情を視線にさまよわせたり、複雑に絡む。感情の織物として、やっぱりこの作品はよくできている。熱くて、複雑で、シンプルだ。
月龍が英二を糾弾するシーンは、月龍の内面を美術が強く反映し、深みがあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
月龍は名前のとおり、己を龍と見る。野望に飛翔する己と、唯一対峙できる孤高の虎。それがアッシュに夢見る、月龍のイメージだ。
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絶対の崇拝者か、最悪の敵対者か。白と黒に塗り分けられたシンプルな世界が、虎と龍には相応しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
その言葉は自分の現状をアッシュに敷衍し、ある種の同族意識をなすりつける必死の懇願でもある。
性を略奪され、それでも生きたいと望み、暴力を手に取る。僕とアッシュは似ている…なのに、と。
”猛虎一声山月高”の境涯にあって、アッシュは色のある世界を望む。無力な鳥が自由に羽ばたき、可憐な花が咲き乱れる世界。英二がいる青い世界を、自分には手が届かないからこそ望む。こっちは”有花有月有楼台”か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
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世界はモノトーンなのか、カラフルなのか。英二と月龍の意匠にも反映されている、それぞれの世界認識、それを生み出す個人史は、容易には融和しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
恵まれた国で、レイプも殺人もなく生きてきたくせに、俺とアッシュの地獄がわかるか。そこを生き延びるための牙と爪があるか。
月龍の憎悪は最もであるし、同時に身勝手で間違いでもある。己を取り巻く世界が地獄だったからといって、それを他人の幸福に押し付けて良い訳がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
でもそんな当然の理屈を蹴っ飛ばして、地獄を共有して欲しいと願うのも、また人間の業で。そこに流されないから、アッシュは強いわけだが。
そして強くて正しいからと言って、己を貫けるわけでもない。英二は何度も脱走しようとして失敗し、アッシュは病院という檻を行き来する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
シーンをまたいでいくども強調される、窓にハマった格子、その先にある瑞々しいもののモティーフ。
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皆が檻の中から、不自由に手を伸ばしている。人生のうるおい、マトモに正義が通用する世界を夢見て、得られずにいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
それは”大人”な二人の刑事も同じで、むしろその不自由と無力の自覚が、彼らを義人足らしめている。クソエリートのクソっぷりと比べると、ホンマおっさんたち優しい…。
ジェンキンズ警部が、アッシュが法に頼らないこと、法が少年アッシュを守ってこれなかったことに悩むのが、僕はすごく好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
彼は自分の職分である法と正義を信じていて、同時にそれが及ばない存在を見落とさない。正しさが救いきれなかった子供の、腹からにじむ血の赤さを、自分のせいと心を痛める
そういう存在が、英二以外に世界にいることが、このお話をシンプルなロマンスに落とさない大事な足場なんだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
運命的な出会いを果たさない、腹の出た中年警官も、義に憤り、善を為したいと願っている。それは正しいがゆえに無力だけども、尊い行為だ。
アッシュはオッサン刑事のおせっかいな優しさ、身勝手な同情をウザく思うかもしれないけど、そういう青さが英二以外にもあって、アッシュを愛している人は英二以外にもいるということを、心のどっかに留めてほしいな、と願う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
それを実感させられるのが英二だけだからこそ、運命のロマンスなんだけど
男と男の重たい感情を切り取りつつ、横への目配せが効いているのがこのアニメのいいところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
国家も人種も超えて結ばれた、本物の友情。アッシュと英二を語った後に、シンとブラッドを写す運びが好きだ。
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身長も肌の色も立場もバラバラだけども、確かに信頼で繋がったダチ公。斜めの影がお互いの首筋を切り裂き、”刎頸の交わり”という言葉を思い出させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
モノクロの世界の狭く強く閉じていく月龍と、同胞以外の仲間を認めて広がっていくシンの世界。二人のチャイニーズの対比も、なかなかに面白い。
伊達さんが空港で思い悩むシーンは、グッと彩度が下がって内面を反映し、マックスの一言で心が救われて、また光が戻る。(ここの色彩も紫で、カラーコントロールによるムード維持への強い意志を感じる)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
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あるいは軍・政・官に巣食うゴミムシ達が、アッシュ殺害を決意するシーン。彼らの背中にも檻があり、悪徳の知恵の実が配置されている。窓はカーテンで覆われ、遠い理想の梢を見ようともしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
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アッシュへの歪んだ愛情(それはつまり、アッシュに苦しみを共有して欲しいという自己愛、自分と同じ場所まで落ちて欲しいという増殖願望なのだが)に囚われたゴルツィネが、けして選ばない冷たい抹殺。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
”アメリカ”を腐らせるゴミどもも、けして一枚岩ではない。さて、どうなるか。
マックスは相変わらず、血の繋がらない”オヤジ”としてアッシュをよく見ている。迫る危険を心配し、いらだちを受け止める壁役を担当する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
無力で、だからこそ清廉な英二では担当できない大人の仕事。だがそれは、檻からアッシュを開放しない。
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このシーンも曖昧な青紫と緑で塗られてる。
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この後アッシュは拉致され、死を偽装される。悪徳の赤は常に手を伸ばし、清廉な青を汚染し続ける。それでも、”オヤジ”がアッシュの見舞いに来たこと、思いを継いで自分の戦場に進んでいくことには、大きな意味がある。
それは戦争のトラウマ、戦友を救えなかった無力感から、マックス自身のプライドを取り戻す戦いでもあるからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
誰かの思いを引き継ぎつつ、あくまで地獄を歩くのはたった一人、己。皆そういう場所にいるんだけども、どうしても寂しいから、道連れも欲しくなる。
それが声援という形を取るか、暴力へと変わり果ててしまうかこそが、人の強さと弱さなのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
そして手にとった暴力を、何かを護るために使いきれるか、暴走させて傷を生むかも。アッシュは常に、暴力を選び取るしかない非情な世界、それを制御しきれない自分の弱さに怯え続けている。
鋭く伸びた虎の爪が、自由な鳥を傷つけてしまうかもしれない。それが判っていても、鳥の清らかさに惹きつけられて、虎は手を伸ばすしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
でも龍も悪魔も、虎が鳥と遊ぶことを許しはしない。その爪牙は、俺たちと同類の証明だ。誰かを傷つけるための道具は、誰かを傷つけるためにしか使えない。
そんな諦めを拒絶するべく、アッシュは囚われてなお牙を研ぐ。流されてなお反逆する。死を装われて、なお生き続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
そんな少年のレジスタンスが、何処に向かうのか。鳥はただ、無力に羽ばたくだけか。運命はまだまだ流転し、激しくうねる。来週も楽しみですね。
追記 ルックがいいってのはすげぇ大事で、だからこそ多くの人を惹きつけ傑作として生き残り、今アニメ化されてるわけだけども。それだけじゃ残らんよね当然。
BANANA FISH追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
”病院”という、本来優しく癒やされる為の施設が、襲撃されて血を流し、不自由に閉じ込められる檻になってしまうところが、法と正義に守られなかったアッシュの過酷さを象徴していて、いいセッティングだと思う。
何しろ今や”アメリカ”全体が敵なのだ。どこにも宿り木はない。
病院を病院として、守られるべき子供を子供として扱いたい”マトモ”な人はたくさんいるし、彼らは彼らなりに必死に職能を果たしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
しかしそれは、悪徳に膝を屈してしまったゴミ共より(善で、手順と相手を大事にすればこそ)無力だ。
どれだけ望んでも、アッシュは正しさでは救えない。
そういうどん詰まりを、運命と愛で突破しにかかるのが英二との出会いなわけだが、英二こそ作中で最も無力である。だからこそ、最も清らかで、正しい存在であり続けるわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月13日
正しさと強さは、果たして両立しない価値なのか。
ホモのロマンスっつー外見だけが、この作品の全てではないわなヤッパ。