SSSS.GRIDMAN 第2話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
世界は僕らの傷を置き去りにして、勝手に前に進んでいく。
グリッドマンと怪獣、その戦いの犠牲となった人々は”日常”に繰り込まれ、何事もなかったように進んでいく。
居心地の悪さを感じつつ、やってくる新たな客。迫りくる新たな破壊。ヒロイズムの行き着く先は。
そんな感じのグリッドマンアニメ、第二話である。第1話で見せた(ある意味ディック的な)離人感は相変わらず健在で、アクションシーンをバキッと決めるのとはまた別種の、居心地の悪いセンスがぶんぶん唸っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
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キマってるのに歪みが強い、安住を許さないレイアウト。肌をざわつかせる色彩を、灰色の世界の中にパキッと置くセンス。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
画面の強さがキャラクターの居心地の悪さ、生き死にをどこに配置すれば良いのかわからない収まりの悪さにしっかり噛み合い、相変わらず息苦しいアニメである。素晴らしい。
撒き散らされた破壊が、なかったことになる。死んだ人の思い出は全て上書きされ、しかし主人公たちの傷としては残ってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
死を死として、戦いを戦いとして記録できない揮発性の世界に、グリッドマン同盟(と僕ら)は放り出される。
そこで思い悩むのは主人公…ではなく、無力なヒロインである。
裕太は空白の記憶を、Botめいた繰り返ししか言わないグリッドマンの”正義”で埋めることで安定していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
自分に出来ること、するべきことを真っ白なアイデンティティに書き込んで、変身ヒーローとしてのアイデンティティを確立していく。
状況の飲み込みが早すぎ、特撮のお約束に詳しすぎ、流される状況に順応しすぎる将も、居心地の悪さを反芻はしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
どこか他人事で、BGMのない世界の冷たさを飲み込んだまま、物分りよくヘンチマンの立ち位置に腰を落ち着ける。
白紙と過剰。どっちにしてもそこには、悩める自我は(まだ)ない。
対して、六花ちゃんは(”今どきの高校生”らしく)内面を言語化出来ないまま、冷たい街をさまよい歩く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
友達が死んでしまった哀しさを、常時上書きされる世界は許してくれない。喪失は都合よく上書きされ、六花ちゃん等身大の倫理観や哀しさを、受け止めてくれる人はだれもいない。
怪物との熱いバトルが生み出してしまう、生々しい傷。記憶喪失の裕太も、スタンスに悩まない将も、六花の隣には立てない(立たない)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
その仕事をするのは、露骨フツーの人間じゃないヒーロー、サムライ・キャリバーさんである。
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少年たちが炭酸水(六花の苦手なもの)のスパークに酔う中、青い箱の境界線が六花ちゃんを隔て、サムライさんは同じ目線に立ってすらいない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
そこからウロウロ街と心理を彷徨い、六花とサムライさんは肩を寄せ合うところまで行く。これが今回のエピソードで、一番感情がうねっているラインだ。
サムライさんはグリッドマン同盟が排除される”日常”にとっても、三人がふわふわ身を置く寄る辺なさにも、どうにも異物である。
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素足で血の色をした境界線を越えようとして、刀(武器存在である彼のアイデンティティ)が邪魔をする存在である。
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インベーダーとしてもメンターとしても、新たな仲間としても異物(表情が仮面のように固定なのが、良い演出だ)なサムライさんは、しかし決定的にヒーローでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
子供たちに危機が迫った時、颯爽と登場し鉄骨を切り裂く男。行き場所のない感情の受け皿となり、真摯な言葉を返す男。
ぶっ壊れたグリッドマンを正常化し、コミュニケーションを深化させる男。身を挺して戦場に赴き、武器となる男。空疎なヒーロー候補の悩みに、とつとつと答えを返す男。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
壊れてしまった三人の”日常”は、顔を見せない親ではなく、トンチキなサムライによってのみ、道を示されていく。
この不思議でヘンテコだけども、為すべきことをしっかり果たしていくサムライさんの立ち回りが、今回すごく良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
記憶も世界の真実も取り戻せない裕太が、まだたどり着けない場所。しかし目指さなければいけない場所は、BGMのない”日常”ではないのだ。
世界に馴染めない異物でも、人が死んだら哀しい、戦いで何かを守らなければらないという思いを抱いて、それを弱っている子供に与えられる存在。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
謎の多い作品自体が目指す”先”を、サムライさんは印象深く芝居したなぁ、と思う。お仕着せに頼るのではなく、独自の安定感をもぎ取ってきた感じだ。
サムライさんはビー玉を欲しがる。少年たちは『それは取り出せない』と諦めるけども、ゴルディアスの結び目を切り裂く英雄のように、ガラス瓶自身をぶっ壊してサムライさんは欲しいものを手にする。
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それが歪な世界と、そこに隠された真実の暗喩なのは、おそらく間違いない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
粘土で作られた怪獣は、実際の暴力を振り回し、死人を作る。
そういう歪んだ特別さを肯定するアレクシスと”悪い子供”アカネ。ヘンテコだけどホントの事を教えてくれるサムライさんと、悩める六花ちゃん。2つのビー玉の対比。
怪獣がぶっ壊しまくる世界を、アカネはモニタ越しの娯楽として消費する。六花ちゃんは消えてしまった友人の痛みを、ずっと抱え続ける。(だから、その思いを抱き続けて良いのだと証明してくれたヒーローみんなに、『ありがとう』とお礼を言う)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
二人の女の子を合せ鏡に、作品の倫理を見せる筆が良い。
グリッドマンは、街の上に乗っても壊さない。借り物の力、受け売りのアイデンティティでも、裕太が何かを守りたいと思う気持ちは本物だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
ヒロイズムにまつわる物語を続けていくなら、そういうナイーブな感情を込めるのは、とても大事だ
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裕太の記憶喪失という傷を、”日常”を飲み込む(また飲み込まれる)友人たちは、シリアスに受け止めてくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
それは消失した友人の記憶を、どう受け止めればいいか判らない六花ちゃんと通じる感情だ。作り物のように流れていく世界の中で、どう個人個人の顔を見て、痛みに接近するか。
そこを照らす鏡として、”先生”が巧く使われていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
冒頭、アカネとぶつかった時(血を思わせる赤の陰惨さが良い)は、顔も目も見えない匿名の存在。アカネはその痛みを想像もしないまま、過剰なパワーで捻り潰そうとする。
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街を巻き込む戦闘があり、先生は生身の身体を伴った犠牲者になる。死にたくないという当たり前の感情を持って、それでも死んでいってしまう人々の代表として、彼には”目”が生まれる。
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戦闘という、誰も覚えていない非日常を通り過ぎ、冷たい日常に帰還した時。”先生”は携帯電話のモニタ(自分を殺しかけたアカネが見つめ続けるもの)ではなく、裕太の”目”を見て、一人間としてしっかり謝る。
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その変化が、裕太=グリッドマンとアカネ=怪獣という、書き割りの街での役割に応じたものなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
各々が超常の力を背負って果たした、戦いの結果なのか。
それともただの偶然で、あるいは一生徒としての対応の良し悪しに応じた小市民的な反応の差なのか。
そこは視聴者の判断に委ねられている。
非日常の戦いが傷を残さない(正確には、傷をいびつな形で埋め直して、つじつまを合わせてしまう)世界で展開する””日常”にも、人は生きている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
六花ちゃんが違和感を覚えた小さな光を守るべく、グリッドマンは戦うし、サムライさんはそれを無下にはしない。
まだ記憶とアイデンティティが戻らない主人公を、あえて置き去りにする運び含めて、この話の心臓部分に血が通ったような感覚を、今回で僕は覚えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
バッキバキにキメたレイアウトが、ちゃんと孤独と融和を受け止める器として機能している感覚。表現と内実が噛み合ってくる実感。
それが迫ってくると、やはりアニメは面白いし、好きになれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
悪しき探りを入れてくるアカネが”上”に立つ青空と、全てが終わってまた”日常”に戻る時の水平の視線。裕太と各キャラクターの上下関係が、同ポジ活かして良く見える。
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モニター、あるいは柵。手を伸ばしているのに、それが届かないもどかしさは第1話から継続だけども、サムライさんがヒロイズムの具現としていい仕事をして、それが届いた瞬間のスパークも、巧く定着してきた気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
サムライさんと六花ちゃんが交流するときだけ、”日常”にBGM宿るんよね。
人を人と思えないアカネの心象を、山盛りのゴミ箱と黄色い棚、そこにみっしり詰まった怪物のフィギュアで見せたりと、”絵”の強さは冴えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
冴えているだけでなく、心情やキャラ性を圧縮し伝える仕事を、しっかり果たしている。
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”日常”に優等生の仮面で過剰適応出来てしまっているアカネと、誰にも言えない真実を抱えたまま浮かび上がるグリッドマン同盟。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
モニタ越しの『死んだ~ww』と、サムライさんを隣に従えた六花ちゃんの歴編。
現実感の薄い街で、なにが本当なのかがジワリ、滲んできた感じがある。
それが主人公を隔離しているのが、逆に期待がアガるところである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
裕太の喪失は、なかなか簡単には埋まらない。六花ちゃんが力なきヒロインとして、それでも切実な喪失の痛みに『ありがとう』と言えるまでの道のりと、同質でもっと険しい道をヒーローは歩くことになるだろう。
その長い道のりこそが、このアニメがヒーロー物語として自由に飛翔する余地であり、発想とテーマを自在に広げる余白でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
それを生み出すために、主人公を記憶喪失に設定した、とも言えるか。喪われたものを取り戻していく旅路は、いつだって英雄物語のスタンダードだ。
そこでスーパーパワーを持った異物が、共に悩む仲間として、力をくれる師として、外見のトンチキさに似合わず真正頼れる存在だということも、サムライさんで見せてくれた気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
俺サムライさん好きだなぁ…ルックが良いし、不器用だからこそ真摯に正義やってる感じも強いし。
記憶がなくとも、裕太は戦いで喪われていく命に目を向けた。モニタ越しの仮想、柵越しに手が届かない他人事ではなく、分からないなりに自分のものとして受け止めようとした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
それは多分、作中一番『普通に人間っぽい』六花ちゃんと、合い通じる赤い血の色をしているのだろう。
そんなありふれた痛みを許してくれない世界は、どんな成り立ちをしているのか。そこで行われる超常の戦いには、どんな意味があるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
埋め込まれた世界の謎にも、良い感じで体温が宿ってきた。将が都合の良さを蹴り飛ばして、自分の血潮と痛みを訴えるエピソードも楽しみだ。
”日常”を満たす夏の息苦しさは、破綻を前提とした偽りなのだろう。しかしそこにも人間はいて、生きたいと望んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
そういう当たり前の鼓動を、立花ちゃんとサムライさんを通じてしっかり見せてくれるエピソードでした。面白かったです。来週も楽しみですね。