ゾンビランドサガを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
デスメタルを吠え、熱いリリックバトルを乗り越え、すれ違いも仲直りも通り抜けて、ようやく形になってきたフランシュシュ。
ここらで一発、ド派手にろこどるやっちゃるわい!
そんな感じのバラエティ回。ドラ鳥にガタリンピックに、SAGA愛増量で賑々しくお送りします!
という感じの、A/B明瞭に別れたバラエティ回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
クソダサTシャツを着込み、きぐるみで踊り、泥にまみれる。まさにど地方、ど地下の底辺アイドル仕事が、フランシュシュを襲う。
しかし温泉旅行を経てチームとなった彼女たちは、グダグダ文句は言いつつも眼の前の仕事に全力を注ぐ。
その熱量、その直向きさを素直に応援したくなるのは、やはりここまでの四話で各キャラが飲み込めていること、反発や不安といった負の感情含めて、気持ちが画面によく載っているからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
ゾンビだろうと、なかなかうまく行かなかろうと、彼女たちはリアルに生きていて、泣いたり笑ったりする。
そのシンプルな事実へ共感が生まれているからこそ、ドラ鳥でもっしゃもっっしゃ美味しい焼肉を食べる少女たちの姿は、妙に美しく見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
ゾンビだが、メシは食う。旨いものを食べれば笑顔になり、仲良くなる。
そういう当たり前の生活が、ゾンビにもあることをありがたく感じる。
幸太郎のスーパーテンションもいい具合に復活し、ドタバタ抱腹絶倒GAGが炸裂する大暴走回だが、そういう手触りのある瞬間は相変わらず、瑞々しく、可愛らしく切り抜かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
ただ腐敗した体をバラバラにしてウケを取る、被差別階級ではない。俺らが感じる生の実感を、同じように受け取りつつ
失敗やみすぼらしさも含めて、決死に生き抜いている奴らなんだ。そういう共感が笑いとともに、どっしり押し寄せているからこそ、今回の話は面白く、ガハハと爆笑したあとに『あー、良いアニメ見た』と素直に思えるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
死人を真ん中に据えるから、生者としての光が際立つ。正しくゾンビ映画である。
これまで銃弾や絶叫の形で"素顔のフランシュシュ"を拒んでいた世間の波を、ゾンビは今回巧く泳ぐ。吉野声の警官も、今回は発砲しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
世間に拒絶され、世間を発狂させる怪物としての自分を引き受けられないまま、少女は少女なりに、ゾンビの自分をコントロールし始めた。
そういう世間に通用する自己像を獲得し、広報することは"アイドル"としてもとても大事だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
『他人が見たいと思える自分を、真実自分だと思える所まで鍛え上げてこそ"アイドル"だ』と、ゴッドも言っておる。(困ったら即座に"少ハリ"引用人間。みんなも見よう!!)
ゾンビな現状に絶叫し、意志を失ってウロウロ動く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
全てを喪失した現状に当惑し、かつて大事にしていたものを奪われて反発し、バラバラになる。
そういう当然の修行時代を終えて、フランシュシュはチームとして個人として”アイドル”として、アイデンティティを確立しつつある。
流されてでも、勢いに任せてでも、自分を掴むことが、社会の中で他人に許容される第一歩になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
純子ちゃんも愛ちゃんも、今回のドブ色仕事を拒絶はしない。一度"アイドル"の頂点に立ったものは、そのどん底もしっかり知っているからだ。そこら辺はゆうぎり姐さん、リリィちゃんも同じである。
泥まみれの現実を受け入れるためには、過去を思い出すこと、かつて自分がどんな存在であったかを再獲得するかが大事なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
サキちゃんは唯一の佐賀ローカルどヤンキーとして、幸太郎が持ち込む地元ネタにいちいち感動し、吠える。笑いを膨らませつつ、地縁に結びついた自我を再獲得している。
ここでさくらが帰還するべき過去を持たず、しかし眼の前の現実に一番必死に挑み、集団を成り立たせる要になっているのは面白いところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
白紙だからこそ、アイデンティティの足場が一番弱いからこそ、一番主役。変則的にみえて、主人公の条件ど真ん中をしっかり踏んでいるキャラ造詣だ。
そして、ゾンビとしてのアイデンティティに唯一どっぷり浸かってるたえちゃん。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
彼女も帰還するべき過去を持たない(思い出せていない?)が、それでもゾンビなりに吠え、飛び、踊る。さくらのケアと指示を受け取って、"フランシュシュ"として自分なり、必死にやっている。
その不格好なあがきに、製作者の狙い通り爆笑しつつも、やはりしみじみ『生きている』と感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
歌えない、エサがあれば飛びついちゃう。それはたえちゃんの隠しようがない現状であり、彼女が彼女であるアイデンティティだ。他のメンバーのゾンビ性が、極端に出た形だ。
フランシュシュは、それを隠蔽しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
たえちゃんはたえちゃんのまま、ゾンビとして世間に受け、ゾンビであることを的確に調整しながら知名度を上げていく。"マトモ"ではないけども、"フランシュシュの面白いやつ"として、なんとか地歩を築いていく。
そういう特権性が芸事にあればこそ、幸太郎はゾンビの更生/厚生カリキュラムとして"アイドル"を選んだのだろうし、"何でもあり、いつだってアイドルのど真ん中"な越境性は、ゾンビとしてのフランシュシュを特殊メイクで隠しつつ、そこから漏れる生身もノリと勢いで許容させている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
ある種アール・ブリュットにも似た、不格好で不共鳴で、もしかしたら反社会的というレッテルを貼り付けられ"あってはいけないもの"と排斥されかねない、むき出しの個性。否定止揚がない現状。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
それをゾンビランドサガは肯定し、あるいは適度に隠蔽しながら、生き生きと見せていく。
間違い(とされること)も、正しさ(と思えること)も。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
色んなものが入り混じりながら、匂いと化粧を気にする女の子としての可愛さと、生々しい青肌ゾンビを同時に切り取ってくる。
そのごたまぜのリアリティ、色んなものが入り混じったカオスな生命の躍動が、とても元気なエピソードだった。
今回は佐賀ローカルの空気にディープに踏み込んだ回だったが、その(文字通り)泥臭い空気が、ゾンビでトンチキなアイドルユニットの苦労をスルリと、あるいはドタバタと受け入れてくれる懐の深さに繋がり、佐賀が好きになれる回だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
こんなに面白く温かいなら、いい場所じゃないか。
一瞬でもそういう考えが宿るなら、佐賀をモチーフに選んだ理由は従前以上にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
この作品ではパンデミックは起こっていないので、ゾンビはずっと異物のままだ。しかし佐賀という、ローカルでありながらエキゾチックでもある"よく知らない土地"は、そういう異物も受け入れてくれそうである。
そういう偏見(なのか卓見なのか、その判別もつかないくらいに佐賀のことを知らない僕含めた大多数)を巧く乗りこなし、"面白い佐賀"を、ネタとして使い倒す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
それはフランシュシュのプロデュースにも似た、生々しさと都合の良さの間の綱渡りが、精妙に成功しているから可能なのだ。
勢いよく全力疾走しつつ、自分たちが描いているもの、選び取ったものが何かをしっかり見据える。それを届けるためには何を描けばいいか、しっかり考える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
第1話から香っていた思弁性、それを"楽しいアニメ"にパッケージする業前は、いよいよ明瞭になってきた感じもある。真面目なアニメだ。
兎にも角にも、フランシュシュが共同体として機能しだしたこと、笑ったり怒ったりツッコんだりな"素"の彼女たち(はつまり、世間に受け入れられる"アイドル"としてしっかり化粧してるってことだが)が許容されだしたことは、非常に嬉しいことだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
どローカルCMにガタリンピックに。
いわゆる"お仕事回"として、キッチリドラ鳥で初めてドラ鳥で落とす今回は、ここまで育んだ"素"の彼女たちへの愛情が、だんだん成果を産んでいく喜びに満ちていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
フランシュシュは、ここまでのドキュメントで僕らが受け取った彼女らしさそのままに、一瞬一瞬必死で生きていた。
相変わらず『いや、〇〇の言うとおりかもしれねぇ』芸が冴えるサキちゃんも、どんくさい純子ちゃんも、当たりの強い部分をフランスパンぶんまわしで見せてきた愛ちゃんも、毒吐き顔が強くなってきたリリィちゃんも、どっか天然なゆうぎり姐さんも、たえちゃんらしいたえちゃんも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
そんな彼女たちの真ん中に立ち、甲斐甲斐しく世話を焼き、集団を集団として機能させる輝きを無意識のうちに放つセンター、さくらちゃんも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
ゾンビ集団を煽り、仕事を持ってきて、世間に受け入れられる偽装を施し、自分も自転車を漕ぐ、フランス語の鼻濁音が異常に上手い我らがプロデュサーも。
皆元気に大暴れ、仲良く喧嘩し、バラバラのまま己を輝かせていた。それはCMとして電波に乗り、ガタリンピックでジャッジされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
フランシュシュの第二の生は、生き生きと嘘なく、あるいはゾンビ性を覆い隠す嘘引っくるめて、魅力的に輝いている。それは僕だけの妄想ではない。
それはつまり、死者が背負ってしまう過去が世間に暴露され、存在してはいけないものがそこにある違和感も、世間にジャッジされる、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
露骨にシリアスの気配を漂わせて挿入された、事件記者の目。おおらかな佐賀県民が気にしない伝説達の乱舞を、トーキーは訝しむ。
この目が警官の銃弾のようにゾンビたちを傷つけ、排斥していくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
コメディの空気に飲み込まれるようにして、あるいはホラーの暴力で闇に葬られるのか。
あるいは"アイドル"としての歪な魅力、死んでも生きている彼女たちの真実に向き合って、それを世間に届けてくれるのか。
なかなか油断ができないが、楽しみでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
願わくば今回のドブ色仕事のように、嘘なく泥まみれで、しかし真実の体温を伴って、明るく楽しい結末になると良いな、と思う。
やっぱりフランシュシュは可愛い。そう確認するエピソードだったが、それは彼女たちが生きているからだ。
不都合な歪みや、他人を恐慌させるむき出しのグロテスクを抱えつつも、なんとか世間に通用する形にリ・メイクして生活を続ける僕たちに、彼女らの描写が似ているからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
嘘っぱちのお話、存在するはず無いゾンビというギャップを超えて、共感の橋がかかっているからだ。
そういう気持ちになれるアニメは、やっぱりすごく良いものだし、稀有なものでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月1日
面白くて、バカバカしくて、心が暖かくなって、少し怖い。いろんな気持ちを、いろんなシチュエーションとドラマの中で呼び覚ましてくれる。
いいアニメで、来週も楽しみです。