やがて君になる を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
かくして侑は胸の中の恋の星を隠し、死の川へ踏み入った。その無条件降伏を燈子は飲み干して、笑顔で未来へ進んでいく。手に手を取って、光の方へ。
その歩みから、置いていかれる少女がいる。
佐伯沙弥香。
傷つくために生まれてきた少女、その起源を追う第7話。
というわけで、生粋の負け犬(ルーザー)、佐伯先輩を掘り下げるエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
『こんなに丁寧に、”いかにしてこの女が負ける運命にあるのか!”って掘り下げなくてもいいじゃないですか…』と言いたくなるような、残忍極まるエピソードであった。ホント毎回ヒデェなこのアニメ(最高の褒め言葉)
『川辺を舞台に、燈子と侑がどれだけ運命的な関係なのか見せた今、佐伯先輩の内面も見せなきゃただの激詰め嫌な女になっちゃう!』ってことかもしれんけども、もう少し手心というものをだな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
まぁそういうヌルい後退のネジを外してあるからこそ、この作品”ムテキ”なんですけども。
自分が描くべき真実のためなら、一切の加減なし妥協なしで思いっきりブッ込める残酷さは、前回散々に唸り倒した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
『女の子が青春ど真ん中、仲良しキャフフで百合アニメ!』という幻想は木っ端微塵に砕かれ、その爆発は佐伯先輩も例外ではない、ということなのだろうが…それにしてもヒデェ(二度目)
そういう残忍な筆を自分なり読み解いて、解体結果をこうして書いている僕も共犯なので、悲しむ資格はないけども。ごめんなー、佐伯先輩。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
つうわけで、鑑識班のように純情バラバラ殺害事件を腑分けして、バラして並べて晒す感想、行ってみましょうって感じだ。アンタも同罪なんだよこれ見てる時点で…
冒頭、悪いレズに佐伯先輩(中学生Ver)がとっ捕まるところから、今回のお話はスタートだ。高校行っても燈子という、百合犯罪史上に燦然と輝く大悪党に捕まるのに、その前段階からこの仕打ち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
前世でブッダ殺してても、こんなことにはならん…まぁそれ言ったら、侑も大概ひどい目だけどな。
出会いは先輩の先輩の方から行われて、彼女は去っていく。火が付いて本気になった佐伯先輩には、熾火が残る。それに火傷しているうちに、相手は”遊びみたいなこと”から逃げ出して、先輩は取り残される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
こんな私にしたのは、アナタなのに。狡さを責める言葉は、好きで縛り好きを封じる燈子にも響くか
火が付いた恋心は佐伯先輩の中では煮えたぎっていて、噴水を弾けさせる。しかし恋の終わりを告げられた瞬間、相手を向かい入れる腕は落ちて、噴水も止まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
ここら辺の心情の表現は、相変わらず冴えまくりである。兎に角、少女は傷ついた
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化石時代の”百合”が言いそうな、『思春期の過ち』『一瞬の思いすごし』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
これに明瞭にNOを突きつける一連の回想は、この作品がどういう覚悟で”百合”をやるか、その表明でもあると思う。
それは偽りではないし、秋の花火でもない。簡単にかき消えてしまう、儚さだけが取り柄の夢ではないのだ。
少女たちの性的アイデンティティは、確かにそこにある。女の人が好きだという思いはとても本物で、大事なもので、踏みつけにされれば血が出るほどに傷つく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
だからこそ嘘と好きで縛り付け、傷つけてしまう燈子のズルさもひっくるめて、それはとにかく本当のことなのだ。
先生と店長さんという社会人…『気の迷い』が支配する時間を通り越してもレズやってるカップルを描く今回、そういう覚悟とメッセージは大事だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
兎にも角にも、”やがて君になる”は”これ”をやる。やっていく。そういう一撃が、今回のエピソードには張り詰めている。
しかし否定には肯定を、喪失には獲得を対置しなければ、反語表現は完成しない。恋を失った後には、恋を獲得するシーンがやってくる。やめろ佐伯ー! そっから先は地獄だぞ!(先走った未来予見者の、無力な叫び)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
運命の星の重力に惹かれて、佐伯沙弥香は七海燈子に出会う。出会ってしまう。
先輩の手ひどい仕打ちに自尊心を傷つけられ、総代を取れなかったことでせめて自分を守れる”成績の良さ”もぶっ叩かれ、佐伯先輩は獣のように傷ついている。目が怖いよ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
二秒後、顔の良い黒髪が通り過ぎて、即座におめめキラキラである。
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惚れた女がチョロいのか、燈子の顔が良すぎるのが罪なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
とにかく惚れ込んじゃった佐伯先輩は、燈子が維持したい”完璧”の確認役、意志のない壁役として位置を占め、便利に使われることになる。嗚呼…。
『でも心がときめいたんだもん、しょうがないよね』という説得力が、この目の輝きにはある。
の、だが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
佐伯先輩が純情を捧げる当の燈子は、佐伯先輩にはそういう目をしない。お目々うるうるのオトメモードで見つめるのは、いつでも侑。特別を感じる対象は、いつだって年下のあの子である。感情はいつだって不対照なんだよなぁ…。
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瞳に宿った星が引き合えば、”お互い好き”で話は終わりなのに、その思いは一方通行だったり、隠さなければ全てが破綻してしまったり、とにかく残酷にすれ違っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
好きを好きと言えない辛さ、増えていく秘密の苦しさは少女に共通だが、その内実は全く凸凹なまま、少女達を切り刻む。
佐伯先輩はカムアウトの難しさ、関係が変化してしまうことへの恐怖には、よく目が行っている。だからこそ、燈子が抱え込む最もクリティカルな秘密には、眼が行かない。賢くて観察力がある子の、恋という死角。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
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燈子と佐伯先輩の間に深くて広い河が広がっている描写は、エピソードの最初から最後まで徹底してる。そこまで溝をしっかり描かなくてもいいじゃん!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
窓枠、燈子自身の身体。廊下のセンターライン。ありとあらゆる障壁が二人を隔て、バラバラにしていく/既にバラバラである。
その事実に佐伯先輩は気づけない。恋した相手の真実が見えない呪いは、あの噴水の前からずっと彼女を捉えていて、それは恋した相手の真実が見えすぎる侑と、対をなす呪いなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
なるべき君、燈子の真実を前にして、恋の勝者と敗者は決定的に背中合わせになってしまう。残酷だ。
自分の”性/生”を肯定してくれたマスターの、美味しいコーヒー。苦い不安を飲み干した後の雫は、二つに別れ、出会うことはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
それが佐伯先輩の報われなさの暗喩のように思えてならず、泣けて泣けて仕方なかった。
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恋のバラバラ死体のグロテスクから、一切逃げることのない真っ向勝負。感情表現の”圧”が強すぎてゲロ出そうだけども、それが佐伯沙弥香の現実なのだからしょうがない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
燈子と侑の”好き”がお互い呪いとなり、言葉が/言葉で封じ込められる状況を書いた前回の筆と、同じ素直さだ。もうちょい優しい嘘を…
喫茶店が舞台になるお話だけに、コーヒーは感情表現のフェティッシュとして、とても大きな仕事をしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
関係が壊れることを恐れ”好き”を言葉にできない(この純情は、全く侑と同じである。なのに、佐伯先輩は勝てない。無残極まる)沙弥香は、同じ”性/生”を活きる同志に肯定され、救われる。
水面に反射した心が、ふるりと揺れる。『過ち』と切り捨てられた感情を、それでも良いと認められた時、少女の涙は優しく拭われ、『君はいい子』と救われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
その瞬間はとても綺麗で、人生捨てたもんじゃないと思わせてくれる。とても良い
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佐伯先輩の不安と性的隠蔽が、まだ居場所を見つけられない間はその眼差しが隠されていたり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
答えを手に入れた瞬間に目が開いたり。
喫茶店のなかはまるで夢のように、佐伯沙也加の全てを望むがまま、肯定してくれる。
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そんなふうに目が開かれる瞬間を、恋の真実で世界が開けていくような予感を、燈子に覚えたからこそ。沙弥香は幾度も、恋と出会った時に目を開かせ、瞳を潤ませる。朝露に揺れる花のように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
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繰り返される瞳のクローズアップは、佐伯先輩が”気づく”子であることを、如実に示す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
先生とマスターの秘密の関係にも、佐伯先輩だけが反応している。かつて自分を傷つけた”過ち”が間違いではないと信じたいから、そのサインには敏感だ。
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かわいいかわいい侑に夢中の燈子がスルーする、二人の何気ない失敗。『ただいま』のさりげない一言に、佐伯先輩は気づいて、その糸を手繰って手繰って、真実にたどり着く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
女の子が女の子を好きになっても間違いではないと、それは不幸を呼ぶ過ちなどではないと、過去を塗り替えてくれる夢に出会う。
思春期にありふれていて、だからこそ信じられないほどに罪深い無理解。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
佐伯先輩は過去に深く傷つけられていて、だから踏み込めない。
自分がレズビアンであること、”好き”という暴力的な言葉の対象が燈子であることから、自分を遠ざける。ほんっと燈子を好きになる女は、自分騙すのが上手いな…。
まぁ騙しきれずに溢れてしまうから、侑も佐伯先輩も燈子の不幸で、人生の真実を深く深く知ることが出来るという意味では幸福なのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
本当に佐伯先輩は”いい子”で、優しくて、臆病で愛おしい。マスターが彼女を肯定してくれて、僕はとても嬉しかった。僕の代わりに、言うべきこと言ってくれた。
しかしそうやって受け止めてもらった温もり、過去の傷を癒やす現状肯定を、佐伯先輩は未来に繋げ(られ)ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
今のままでいい、壊したくない、これで十分。
呪いのように自分を縛り付ける言葉。燈子が隙を見てはねじ込んでくる、『そんな君でいてね』という呪い。
”好き”は暴力的な言葉。全くである
侑に対してそうしたように、燈子は”好き”で沙弥香を縛る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
完璧な生徒会長…姉の依代として死人のマネをしている静止した自分を、ずっと肯定できる完璧なアナタでいてね。小テストの点数を、唯一競える相手でいてね。
だって、侑はそうじゃないから。完璧じゃないからこそ、愛するに値するから。
そんなエコーが佐伯先輩を縛り付けて、どこにも行かせない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
侑と佐伯先輩の差異は、多分そこにある。燈子が望むものを、そのまま反射するか、それは違うと拒絶できるか。
今姉の亡霊に惹かれるまま、死に近づいている燈子は、やっぱり間違っていると、言えるか否か。
厄介なのは、(この作品におけるあらゆる価値判断がそうであるように)佐伯先輩が肯定する”今の燈子”も、けして間違いではない、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
他人の望むまま固定され、人形のように完璧でい続ける燈子は、確かに幸せを連れてくる。幸福に貴賤も是非もない。
なら、燈子が幸せだと思える燈子のまま、今のままでいいじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
そう自己解決/自己欺瞞して足を止めることで、佐伯先輩は決定的に、燈子という星から離れていってしまう。哀れであり、哀しくもある。
なぜそうなるのか。燈子は人形であることを止めて、真実自分を取り戻したいと願っているからだ。
この時、静止と前進は矛盾していない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
姉と同じ死人になりたいと願うのも、侑と手を繋いで生きていたいと望むのも、同じ燈子の気持ちだ。
完全に矛盾する二つの欲望が、グロテスクに同居してしまえる人間の不可思議。沙弥香も侑もそれを間近に感じつつ、片方は傷つきながら進み、片方は怯えて止まる。
あるいは、そこで進めてしまえる命運(”星”)を背負えばこそ、侑は勝てるのかもしれないが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
しかし敗者になることが約束されているからって、佐伯先輩のあまりに人間的な臆病と醜さを、過ちだとは思いたくないし、言わせはしない。
佐伯沙也加、君は正しい。君はいい子だ。
まぁ勝ち馬に乗ってる侑だって、燈子とは決定的に切断されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
先週イヤってほど確認させられたし、一見微笑ましい名前呼びエピにだって、こんなにもグロテスクな構図が用意されているわけでね。
©2018 仲谷 鳰/KADOKAWA/やがて君になる製作委員会 pic.twitter.com/Yxa8ppyKf9
画面を真っ二つに割る切断面。侑の側に配置された光と木々≒生命、燈子の側の闇と空疎≒死。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
先週確認した生と死の綱引き、オルペウス的死闘は、まだまだ健在地獄絵図だ。
恋の星に向かって進んでも、止まっても、逆行しても、どっちに行っても地獄なのだ。正解は、ない。今まで散々描かれたとおり。
『マニエリスム絵画かよ…』とツッコみたくなる分厚いフェティシズムが、今回も元気である。見るの疲れるよー…過情報で脳髄が爆発しそうだよー…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
まぁ佐伯先輩(筆頭に、このアニメに出てくる女全員)と同じようにマゾヒストなので、苦しいのが良いんだけどさ。アンタもそうだろ?
一つ特記しておきたいのは、侑は光をもたらしつつ、光だけで世界を塗らない、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
死に向かって、姉への愛を抱えて沈んでいく燈子の手を、侑は取った。生きるものの側に足を埋めつつも、死の側に踏み出して、燈子と一緒に行くところまで行くことに決めた。
それは(一見すると、佐伯先輩の甘やかな現状肯定/現状維持と正反対に見えるけども)人形である燈子、完璧を目指しそれに快楽を覚える燈子…死の闇を含めて、燈子という実存を肯定すると決めた、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
それは愛に向かっての跳躍であり、幼年期への決定的な決別なのだ。
そういうあまりに決定的な決断を既に果たしているからこそ、侑は必ず勝つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
静止し続ける燈子に、彼女との恋に、まだ気づけていない星の在り処に、死を克服して広がる明暗定かならぬ生に、必ずたどり着く。
物語の方向性と価値を、決定的に確定させるだけの熱量が、前回の対峙には込められていたわけだ
そしてそういうゴールに、佐伯先輩は多分、たどり着けない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
あんなにいい子なのに、優しくて良くものが見える子、そこから受け取った感情に優しく寄り添える少女なのに。
だからこそ、彼女は星に届かない。
ひどいよ…悪魔だってこんな話思いつかないよ…(ブルブル震えながら乙女のように号泣)
待ち続ける沙弥香も、進み続ける侑も、前進を拒む燈子も。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
みな手を繋ぎながら決定的に切断されていて、濃いという名の甘やかな地獄、秘密という名前の芳香に包まれている。みんなよく似ていて、だからこそ正反対で、傷つけながら癒やし、嘘と真実をないまぜに、言葉を/で縛り付けている。
※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
✗濃い→◯恋
そういう矛盾こそが人のあり方で、それはけして過ちではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
思春期や同性愛というジャンル的境界を越えて、普遍的な物語に踏み込もうという決然たる野心をも感じる、とても良いエピソードでした。
ほんっっっっと佐伯先輩、幸せになってほしい。黒髪で声が寿美菜子じゃなくても、いい子いるよ!
でも燈子だから良いんだろうなぁ侑と同じで…ほんっとマジで地獄。地獄でなぜ悪い!(カトリーヌ・アルレー リスペクト)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
佐伯先輩も愛すべきバカで、ズルくて臆病で優しくて、他人の気持ちが痛いほどによく判る”いい子”で、心から好きになれる子だと教えてくれるお話でした。
次回も楽しみ。死ぬッ!
追記 まぁ結局、凝り固まった原作愛にしがみついて、それが呪いに変わっちゃうよりは、鈍感で無神経ですらあるような鷹揚さで出てきたものを見据えて、虚心に食べて『良いもんは良い、ダメなもんはダメ』と、ある程度の公平さを担保しつつ言えるほうが善いし楽なんじゃないかなと、僕個人は思います。真実愛する者のない、相対主義の極北にいる輩の寝言かもですが。
やがて君になる七話を、単行本片手に変更点を探りがてら見直している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
これをやると漫画とアニメのメディアとしての違い、挿入された変更がどういう効果を果たしているか、アニメーションの中の表現がどういう情緒をくすぐるように作られているかを確認しやすい。
変更点にはコマの入れ替え、アングルの変更、"流れる絵"としてのアニメをつなぐためのコマとコマの間の映像の追加、セリフの細かい変更、プロットの切り貼り、シチュエーションの統合、時系列の入れ替え、クローズアップされる対象の変化などがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
基本3巻第11,第12話で作ってあるが、2巻幕間が無理なく接合され違和感がないのは、面白い変更である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
佐伯先輩(を置き去りに進行していく、侑と燈子の特別)というエピソードテーマを際立たせるべく、かなり大胆なカットアップが行われている。
が、お話の中で何を見せるのかが明瞭なので、変更点は基本的に有効に機能し、違和感はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
というか、アニメーション表現の中で原作が持つテイスト、物語のコアを際だたせるために、メディアを跨いだ変更は行われるのだ。(その意図が達成されないことは、悲しいことに日常茶飯事である。)
クロスメディア作品の中で何が変わったかは、そのメディアを担当する作者が『何が言いたいか』という意味内容だけではなく、そのメディアが持つ『どう言えば通じやすいのか』という文法も際立たせてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
面白く勉強にもなるので、アニメ化作品の変更点洗い出しはオススメである。コスト凄いけど
個別の作品の文法を精査することは、その作品が属するメディアの文法を知るために役に立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
やが君でいえば、やが君原作とやが君アニメを比べて考えると、それぞれの作者が作品を通じて言いたいことの差異だけではなく、漫画というメディア、アニメというメディアそれぞれの文法が際立ってくるわけだ
そうして掴んだものは、やが君という個別だけでなく、アニメという普遍を掴むときにも結構便利で、時折こうしてやると、いい勉強になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
コストに見合うだけの魔力がある作品限定だし、年一個あるかないかだけど。やが君アニメはとても面白いなぁ、という話。視聴に戻る。
戻るつったけど一つだけ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
この洗い出しをやると、『原作と違う』という一点だけで文句を言う不毛な行為を避けれるのが、一番の利点かも。
静止画から動画へメディアが映る時点で、どうやっても『原作とは違う』のだ。不可避の変化を拒絶するより、許容できる変化を探したほうが実りは多いと思う。
作者(編集者)は常に、メディアを書き換えながら作品を作る。脳内を直接出力できる装置が無い以上、作者脳内のイマージュはどんな芸術・娯楽メディアでも表現しきれない(…と思う。『語りえないものは語りうるか、沈黙しなきゃいけないか』の話は異常に長くなるので、ここでは立ち入らない)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
それでも誰かに伝わるように、なんとか表現を探して外部出力に焼け付けるのが作品作りというものだと思うし、それは他者の物語を翻案する場合も、全く変わらないと感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
読んで、変換して、外に出す。その行為自体に、オリジナルとエディットの差異はない。全ては編集済みなのだ。
しかし伝わる言葉と伝わりにくい表現の違いはあって、おそらく伝わる表現のほうが強く、鋭く、良い表現だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
『良いアニメ化』と感じるたいがいのものは、よく伝わるように必死に工夫して、自分が選び取ったメディアに適切な表現で、原作を翻訳する。そうすると、原文と同じ明瞭さで意味が通じたり
あるいは原文よりもより鋭く、その意味内容や情緒を伝える翻訳文が生まれたりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
その細かい文法や苦労、失敗や奇跡を分解して咀嚼するのは楽しい行為だが、何より『意味を伝え直すのは、とても大変だな』と思えること…アニメ製作者に共感できるようになるのが、原作と亜に目を比較する利点かもだ
好きなものを、好きだからこそ、真摯に見比べて、どこがどう違うか考える。なぜ変えたのか、それはどう機能しているか、思いを馳せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
そうすると…なんつうのかな、その表現を選び取った製作者達の熱意と優しさに、少し接近できたような気持ちになるのだ。アニメ化に対し優しくなれる、というか。
そうすると、自分が好きなメディアをもっと好きになれる(それが生み出され、意味あるものとして届く奇跡を実感できるから)し、そうなったほうが多分、何かを受け止めるのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月20日
だからまぁ、僕はコストをかけて、変更点を洗い出し、自分なりに見比べ、意味を探ろうとする。結構楽しいよ。