青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
自撮りに深夜徘徊、花火で騒ぐ、喧嘩する。
青春の自傷行為は、後から見ればバカらしい。でも、収まらないモヤモヤが巣食ってるなら、それをやらなきゃ始まらない。
どんなバカにだって付き合ってくれる、最高の友人がいるならなおさらだ。
そんな感じの双葉編後半、きっと友情のための物語である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
執着と嫌悪、人間関係の二極に振り回され分裂した双葉。緑色の公衆電話を通じて、彼女が自分と対話するまでの物語である。
一人では統一できない分裂した自我を、真実の友情が一つにしてくれる物語である。
二話という短い時間ながら、双葉の物語は男女の恋愛と友情、セクシュアリティとアイデンティティ、貨幣としての性と暴力としての性、真摯であることの意味などなど、非常に多層な価値を楽しく見せてくれて、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
咲太も国見も双葉も麻衣先輩も、みんな人間試験二億点で合格であった。
セクシー地鶏垢衝撃の身バレからひいた今回、双葉は己のセックスに関して赤裸々に語る。語りやすいよう、咲太は脱衣場に位置取り、『隣りにいるけど手が触れない、顔が見えない距離』を維持する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
それが双葉のゴルディロックス距離であり、欲しかったものだ。
双葉は自分の意志に関係なく肥大する、大きな胸を張れない。女である私こそが私なのだ、という意識を獲得できない。だから、白衣で隠す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
しかし同時に、それが高値で流通する価値だということは知識として知っているし、無造作な視線によって体感もしている。舐め回し、値踏みする視点。
ブタ野郎は自分もそういう視線を持つ”男”であること、消費者であることを隠しはしない。セクハラで適切に茶化し、自分のアイデンティティを伝えながら、同時にそれを濫用しない保障を、扉一枚隔てて確保する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
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乱雑に踏みしだこうと思えば、いつでも踏み込める距離。身元を特定した顔のない性欲のように、汚したければいつでも汚せる間合い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
そこに身を置きつつ、咲太はあえて踏み込まない。膝を立てて自分の胸(咲太もそこに、傷を持っている)を守る少女を、親友のプライドを、ちゃんと見守る。
『見えるが届かない』間合いを、自分の意志で守ること。性的な蹂躙権限をもっていながら、それを捨て去ること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
咲太は人間生活を維持する上でとても大事だけど、常に軽んじられ続ける非常に高潔な行いを今回(も)守る。適切な相手に、適切なタイミングでしか、性的興奮しない、ということ。
どこでもチンポコおっ立てないのは当たり前、なんだが、世は性で満ち溢れている。魂の根源にありつつ、常に抑圧されるもの。我々を駆動させつつ否定されるモノ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
それは消費行動の源泉であり、あらゆる宣伝と言説が強迫観念を加速させる。お前は『ただの肉、おっぱい、あるいはチンポコだ』と。
人間を人間たらしめている理性を蒸発させ、よりプリミティブな人間に退化しろ。女をただのおっぱいとして扱い、男であるお前をただのチンポコにしろ。シンプルに生きろ。ブタになれ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
”男”である僕は、(もしかしたら双葉と同じように)そういう声を幻聴しながら生き続けている。
僕は二次元美少女ではないので、僕のセクシュアリティに高値はつかない。だから、競り売られる”女”の側の気持ちは、本当にはわからない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
ただ、(多分咲太と同じように)それが辛いことだろうな、という認識と、自分が望む形で世界に適合できないのは辛いな、という実感はある。それが、唯一の橋だ
双葉の性にまつわる描写で秀逸なのは、その共犯性から目をそらさないことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
性を濫用される側、蹂躙される側もまた、自分のセックスをトークンに変えて、社会活動に参加している。承認欲求を満たし、セックスと代引で位置を確保している現実は、確かにそこにある。ずっとそうやって、人は生きてきた
重要なのは(あるいは問題なのは)、自分の値付けを自分で出来ない、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
性を濫用する(流れに乗ることで、自分自身の性的価値すらも下げてしまう。ただのチンポコに自分をしてしまう)”男”の側が、値段を付けるものだ、という話だけではない。
自我と密接に癒着した性的/身体的イメージは、精神のそれが常に矛盾し共存しているように、引き裂かれて存在している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
性的に濫用される私は、果たして拒絶するべき悪なのか、飲み込むべき善なのか。本当の私は、おっぱいが大きいのか、小さいのか。
それを、双葉は既定できない。
どちらでもあってほしかったから、双葉は二つに分裂した。鳩サブレーのように、パッキリ割れた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
その両方に、咲太は接近し、手を出さない。親友の距離、恋人とは違ってセックスをしない間合いを選び取って、隣りあう
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それは性にオープンな態度をとるポニテ双葉に対しても同じで、分裂した二つが同じ場所から出ていること、双葉は双葉であることを、咲太がしっかり認識しているからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
だから、双葉の自室でも扉の前に位置取る。
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あるいは、デカい机を挟んで寝る。『俺はお前を見守り、傷つけない』というサインを、物理的/身体的/性的に出す。正解である。圧倒的に正しく、優しい答えで、高校生でこの対応ができる咲太の人間力に号泣してしまった。お前は正しい。圧倒的に。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
触れられたいけど、傷つきたくない。傷口に触る権利は、認めた人にしか与えたくない。めんどくさい、厄介な柵だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
個別論的で、ロジックが一貫していない。ブレブレだ。
だが、柔らかいアイデンティティは常に、そういう曖昧さを抱え込むものだろう。
麻衣さんが透明な自分を、見つけてほしくて無視してほしかったように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
永遠に始まらない夏休みの中で、朋絵が終わりと始まりを同時に求めたように。
サキタが自分を傷つける空気を嫌いつつ、優しく空気を読んでしまうように。
青春の矛盾はみんなにあって、だからこそ症候群だって起こる。
咲太はその当事者として、症候群罹患者として、同じ傷を追った仲間を見捨てられない。雨の中駆け出し、徹夜で苦しみつつ、どうにか解決法を探し回る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
お前はセックスを差し出さなくても、十分俺に受け入れられているよ、と。本気で双葉に伝えに来る。
ハラスメントをシャイに装いつつ、その実ありえないほど誠実なブタ野郎のセクシュアリティは、双葉だけでなく彼自身、彼の属性である”男”の尊厳もまた、守ってくれたような気がした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
男にはチンポコだけじゃなく、手や目や口もある。近づきつつ触らない、傷つけないことを選べる。
『性的でい続けろ』というドライブをかけてくる世界/内面にキツさを感じている身としては、否定し得ない性的存在としての自己を嫌悪しつつ欲動している身としては、その清廉な宣言が、とても嬉しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
サービスはするが、自分は手放さない。意味のないセックスシーンはしない。作品が、そう吠えた
これを麻衣さん相手にやると非常に拗れたと思うが、双葉は彼女ではなく友達、セックスをしないことを選び取って維持される関係にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
セックスそれ自体が暴力的なのでも、悪なのでもない。それと適切な距離を取るのが大事なのだ。だから咲太と麻衣先輩はキスをする。その先にあるセックスを見据える
デート禁止の命令を、ブーブー言いつつブタ野郎は飲み込む。自制を帰化して、求めるセックスと社会が波長を合わせるタイミングを待つ。江ノ島のサーファーみたいに。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
双葉との間にある友情の海で、咲太は性的サーフィンをしない。しないものなのだと、しっかりメッセージを出す。
そうやって、自分と世間に溢れる荒波を、咲太は乗りこなす。だから、荒れる相模灘を乗り越え、自電車で行くべきところに行けるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月24日
その自制、献身、冷静、知性が、僕には眩しかった。優しくて強いな、と思った。
このアニメを見るたびに、思う感想だ。
咲太が”ブタ野郎”なこと、性欲をキッチリ持った男子であることは多分作品にとって幸福なことで、それは性を排除して過剰に清潔になる危険性から、上手く物語を遠ざけているからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
性的アイデンティティだけが私を形作るわけではないが、性器もまた私の一部であり、それは大事なものなのだ。
『性的なお前がお前だ』という肯定と、『性的なお前だけがお前だ/お前ではない』という限定の間にある壁はおそらく薄く、ナイーブで繊細だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
様々なあり方に思い悩み、それが症候群を引き起こす作品世界において、咲太はいろんな女の子や男の子を大事に思い、行動し、セクシャルな冗談を飛ばす。
あるいは興奮し、特定の相手に口づけを求める。そして特定の相手には、口付けを求めない。ケツを蹴ったり蹴られたり、脱衣所には行っても風呂場には入らなかったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
そういう曖昧で複雑な色彩こそが、多様な器官が同時並列に励起している状況こそが、多分青春で人間なのだ。
多様性は人間関係を横に貫通し、国見くんが超絶イケメン召喚される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
青春の身の丈にあった奇跡でもって、青春症候群をぶっ飛ばすハンディさが良いシリーズであるが、『真夜中にダチを呼び出す』という形で奇跡を引き寄せるのは、凄まじいエモさと説得力であった。
国見くんは見返りなく友情を信じ、恋人にも親友にも同じように、誠実に振る舞う。彼の日常をクローズアップすると、そこに性欲はあるのだろうか? あのいけ好かないクソアマと淫乱したりしてるのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
なんだかんだ、してて欲しいな、と思う。清潔なだけでなく、生臭さがあってほしいキャラだ。
そこら辺はシュレディンガーの箱の中、観測され得ざる可能性であるが、表に出ている彼はとにかくイケメンである。ぶっちぎりである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
他人が嫌いで、でも寂しがり屋の双葉が惚れるのもよーく分かる。あのクソアマよりさぁ…双葉ちゃん彼女にしない国見くん? 声がらぁらちゃんでも限界があるよ限界が
咲太と向き合うことで適切な距離を見つけた双葉は、より親密な距離に踏み込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
深夜の海辺で、三人きり花火。エモで殺す気満々のシチュエーションであるが、その小さな灯火が双葉の未来ををつなぎ合わせていく
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かくしてポニテ双葉は分裂した気持ちに決着をつけるが、それはあくまで『外側に開けた』双葉の解決であって、『内側に籠もった』双葉には、対岸の物語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
自分でありながら、自分ではない存在が受け取った、恋しい男からの真心。それに嫉妬する『今までどおりの双葉』の涙。
咲太は雨の中全力ダッシュをぶっ込み、ぶっ倒れて間合いを詰める。麻衣先輩が抜け目なく、ヒロイン力をしっかり稼いでいるのが流石だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
自分が嫌いな自分との付き合い方を共有して、二人の距離は縮まっていく。
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しかしここで、咲太は国見くんのように、双葉の反射板にはならない。恋心の対象ではなく友情の相手であるブタ野郎は、そういう特権を持ちえない、ということか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
はたまた、本来向き合う相手と向き合わせたいからか。どちらにしても、決着は他者との境界線ではなく、自分との鏡像関係の中にある。
これまで”空気”製造装置、あるいはその曖昧な毒気を引き入れるものだった”電話”が、今回ポジティブな役割を見せている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
双葉が自分と決着を付けるのも、恋を綺麗に終わらせるべくやさしい死神を呼ぶのも、両方電話だ
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妹をぶっ壊し、咲太が海に投げ捨てたもの。朋絵が過剰な”空気”を内面に引き入れる窓になったもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
それは対話のツールであり、適切な”空気”を交換して、真実自分が誰であるかを共有するためのツールになる。教えるため、あるいは教えてもらうための。
無論”電話”は(これまで通り)悪しきものにもなりえて、双葉のプライベート…踏み込んでは欲しくない性の領域に、透明な”空気”をまとって踏み込んでくる相手は、携帯を使う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
そこに溢れている、”男”にとって都合のいい異性を求める存在を、咲太は空気を読まず切り飛ばす。
性的なアプローチを試みる相手は、全員淫乱で、俺(≒”男”)に抱かれたがっていて、無条件の侵攻を受け入れる準備がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
そういう都合のいい視座は、当然あの世界にもありふれていて、双葉はそれに強く怯える。
『あんなことしてたら当たり前だ』と切り捨てるのは、ちと残虐にすぎると僕は思う。
双葉は自分を取り巻く曖昧模糊とした”空気”を、そこからおっぱいを窃視(不当に窃み視)してくる”男”を、強く嫌悪していた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
しかしその視線が強烈だからこそ、生まれてしまった空疎を埋めるためには、そこしか目が行かなくなっていた。”空気”に飲まれかけて、自分の性をトークンとして差し出した。
そこにあるのは性の交換(あるいは略奪)というよりも、アイデンティティの不満であり、”空気”を読みきれない愚かさであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
性を切り売りすることがどういう結果を生むのか、それを真実実感できないまま挑発を繰り返した双葉は、剥奪ではなく充足を求めていた。それは性では満たされないものだった
不適切な貨幣を差し出して、不適切な客を引き寄せてしまったことに気づいた双葉は、自分が取り囲まれている”空気”のおぞましさに震える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
それを空気読まずに切断し、性以外のトークン(多分、友情と呼ばれるもの)を自分が引き受け、人間的価値を交換しうると告げたこと、国見くんに補強させたことが
分割された自我の間を埋め、物語を解決に導いていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
その時、双葉を傷つける”空気”の導入口になっていた”電話”がポジティブな結果を連れてくるのは、”空気”もまた無条件で悪しきものではなく、様々な可能性を秘めている、という証明に思える。
それは適切に選び、抵抗できるものなのだ。
咲太は妹をぶっ殺されかけ、自分も胸が裂けて、”空気”に負けかけた。だからこそ、顔が見えない強敵相手に膝を屈せず、自分が吸うべき”空気”を選んで生きることにする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
その選択が、青春症候群に悩む同志を救ったりもする。
飲み込むべき”空気”を選び、付き合う相手、あるべき自己像を選択出来る自由。
それこそが、青春を駆動させ、恋が成就しても破れても幸福な結論にたどり着ける、唯一の武器なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
そういう研ぎ澄まされて、皆が持っていて、強力であることを忘れかけている武器を真っ直ぐ奮って話を作るのは、やっぱ強いなぁ、と思う。
双葉の家がガランと孤独で、両親がいないのはラノベのお約束…にみえて、彼女に”空気”と戦うすべを教えてくれる存在がいない状況に、血生臭い体温を与えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
この作品の登場人物は軒並み”親”から切断されているが、不在ではない。不在だからこそ、その存在感は強い。
”親”が世界との付き合い方、孤独との向き合い方、適切な恋や友情の駆動のさせ方を教えてくれない中で、症候群患者たちは決死に生存法を探す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
自分自身で見つけ、同志に教えてもらい、また教える。
そういう状況を作るためには、既に答えを得て青春を終えている”親”の不在は、おそらく前提条件だ。
あるいは、その不在を空気穴にして悪しき”空気”を引き込んでしまうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
双葉の父母が”家”にいれば、彼女は迷わずすんだのだろうか? そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。
どっちにしても両親は不在で、双葉は迷い、咲太はぶっ倒れるまで走って、症候群の治療法を見つけてきた。偉い。
独立せざる思春期の子どもたちが、どうしても頼らざるを得ない”親”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
その不在は透明ではなく、基本的に悪い影響を強く伸ばしている。子どもたちは孤独で、迷っていて、傷つき続ける。
”親”が与えてくれる安楽な答えがないからこそ、咲太(と仲間)は吸うべき空気を選び、自由と決断に踏込むのだろう。
病院にいた『いつもの双葉』は、本心を告げ自分と対話した結果消えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
だから『いつもの双葉らしくない双葉』、白衣を脱いで、胸を隠さなかった双葉が”本当”だとするのは、僕にはやっぱりなにか違う気がする。
ありきたりな言い回しだが、外に向いた双葉も、内に籠もった双葉も、両方本物だったのだ
そういう矛盾した感情に名前を付け、曖昧な”空気”なんぞに押し流されない自分を掴むことで、症候群は解決し、物語は終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
国見くんが好きで、でも恋人にはなれない自分。そこに少しの寂しさとたっぷりの愛おしさを込めて抱擁できたのは、双葉にとって、彼女を愛する友人たちにとって、幸福なことだ
そういう”ハッピーエンド”にたった二話で、しっかり迷ってぶつかってたどり着けたのは、やっぱこのアニメの真っ直ぐな強さ、照れとサービスで薄くコーティングしつつも光る、ジュブナイルSFとしての地金あってこそ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
そう思えるエピソードだった。とても良かった。
これで3人目の患者を攻略し、さて次…なんだけども、かえでCHANGかと思ったら知らない真礼だった。麻衣さんの関係者っぽいけども、どういう話になるのやら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
かえでCHANGはじっくりコトコト煮込んでるんで、相当な爆弾になりそうなんだよな…咲太の根っこに、深く突き刺さってるし。
僕は彼女が新しいおねーちゃんと出会って、人見知りを乗り越えて仲良くなって、可愛がられる姿を見るのが好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
たっぷり傷ついた子供が、愛され可愛がられている姿を見ていると、『世の中捨てたもんじゃねぇな』と、大げさながら思える。
そんな彼女がどんな症候群を再発させるかは、まぁ次以降のお楽しみとして、さて次回。短い出番から推察するに、麻衣先輩が好きすぎて頭がオカシイ系の女っぽいんだよなぁ…まーた”感情”ですよ。マージ楽しみ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月25日
スケベでバカなブタ野郎が、いかなる青春に飛び込むか。来週も楽しみですね。