どんな気持ちでこのインタビュー見ればいいか分からん。とりあえず"ライブ感"という言葉は免罪符じゃないなとは思った。 https://t.co/J9Y5XiVlXR
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
とつぶやいたら、Aimerさんに補足され、お言葉をいただく。こっから、オッサンと若人のバチバチダリフラ再評価世代間闘争が始まったのだ。(言い過ぎ)
ダリフラ、あまりにも現代の若者の在り方に寄り添い過ぎた結果、創作物(エンタメ)としての枠を飛び越した気がしますね。僕も年長、同年代の友人と共に半年間見ましたが、世代によってあまりにも16話以降の評価が変わり過ぎた気がします。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
若者ならざる僕はそこら辺の空気感は正直掴みかねてるんですが、やはり明瞭な"敵"の見えない茫漠とした感じが"今"っぽいのでしょうか?(外野からの勝手な想像なので、的外れだったら申し訳ない)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
「そもそも2次元など好きではなく、逃避の結果としてここに辿り着いてしまった僕たち私たち」という、今の世代にありがちな娯楽への接し方、そのスタンスを理解していないと、ダリフラは掴み損ねると思います(ダリフラに関してはお悩みだったみたいなので、本当はちゃんとお話したいんですが……)
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
なるほど。原オタク世代、その次の世代が迫害と同時に獲得していた、特別に選び取った趣味としての聖痕が、その文化的努力によってポピュラー化したオタク文化が"当たり前"な世代にとっては、自分のものとして実感できない、という雰囲気ですかね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
別作品で言うなら"げんしけん""大同人物語"のなにか後ろめたい罪悪感(と背中合わせの、俺達は迫害されてもこれを選び取ったのだという特別感)と、"俺妹"のネアカでポピュラーな感じ(迫害されても、最終的な社会需要/受容を確信できる感じ)との差異、みたいな
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
ダリフラは後者の感覚を…
ギリギリ前者世代に引っかかるスタッフが制作しつつ、時代の空気、”今ナウいオタク”の最前線を見据えた運びで仕上げてきた、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
卓見、非常に勉強になります。しかしそこにフォーカスしなければアニメを体験できないと成れば、ダリフラが引用した過去作の歴史は”窃盗”になりかねない気もしますね。
ツイッターのリプライを駆使して会話していたので、ツリーは錯綜し、当事者以外にはなかなか捉えにくい形になった。ブログにまとめるにあたり、色々再構築を試みている。
・『若者へのアニメ』としてのダリフラとEVA、
「ちょっと変わり者で、特別になれるかもしれない子」が、SNSでなんとなく流されて自我を手放し、程々で手を打ってしまう例をたくさん見てきたので……。ダリフラはエンタメとしては明らかに「語り過ぎ」だったと思いますが、正直あのくらいやらないと、もう「伝わらない」のだと思います。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
なるほど。自分はその世代と隔絶してしまっているため、Aimerさんの実感は体験としては把握できませんが、分かりやすく説明していただけたので理解(あるいは認識)は出来ます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
僕ら世代が感じ取れない”空気”でもって、今のオタクのナイーブな危うさを切ってきたと…95年にエヴァがやったことですかね
エヴァ的な社会現象が、ダリフラでは小さく再生産されたと思いますね。シンジくんに投影されたであろう当時の若者の陰鬱と爆発力は、ダリフラの「集団での、導き手のない孤独」とかになっていったのかなと。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
『オタクのオタクによるオタクのためのフィクション』の世代間変遷と、その救済作用。オッサンには届かなくても、若者には救済として響いたダリフラ。
あー……それはあるでしょうね。俺妹もそうでしたが、「社会からどう思われるか」がとてつもなく重要になってて、我々の世代はその辺認めさせるみたいな方向に動きがちなんですよね。だからもう、ガッツリ世代論をぶつけることでしか理解しきれない作品なんだと思います。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
ああ、なるほど。今の作品で言うと”青春ブタ野郎”が過剰に”空気”との戦いに突入しているのは、それなり以上にリアリティのある問題設定である、という感じなのですね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
オタク文化がマイノリティのままでも、開き直る足場がない、自己否認してくる”空気”と戦う足場足りえない政治的不安を拾った感じか
さすがの把握力というか、一瞬で掴んでいただいたようで……。あの辺はホント、逼迫した問題なんですよ。物語の材料以上というか、今の子が求めているのはエンタメではなく教典や聖書なんですよね。最後のよすがとしての2次元が、あまりにも普及し過ぎたのだと思います。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
なるほど。僕らの世代がギリギリ感じていた、『オタクってバレたら死ぬ』感とはまた別の切迫感が、Aimerさんの世代にはある、ということですね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
そしてダリフラは、そこに対して非常に真面目なアンサー、救済の物語を提示していた…EDが”今”の景色、今の曲だったのも、そこへの眼差しなのですかね?
「ホントは勉強できてスポーツもできてモテたかったけど、こんなものが好きになってしまった僕たち私たちは、それを好きと言い張ることが最後の悲しきアイデンティティーなのだ」みたいなのはあると思ってて、教科書的に人生を乗り越えるダリフラはそこへの刺さりがよかったのかなと。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
なるほど。上手く生きられなかった人たちが、ある種の酸っぱい葡萄として自分の性、選び取ったメディアを誇るしかない後ろめたさは、やはり僕らの世代にもあったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
しかしその手触りは当然世代ごとに異なっていて、効く処方箋も違う。僕にはEVAだったものが、Aimerさんにはダリフラだった。
少し自分語りをすると、僕ガンダム苦手なんです。あれは『兄ちゃんたちのアニメ』だったんです。(無論、同年代のガノタは『俺たちのアニメ』だったから顎までズッパまりなんですけど、個人の感覚、あの世代の一部だった僕の感覚です)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
EVAは僕のアニメだった。一週間に七回見てました。
ウテナも、フリクリも、トップ2も、『今まさに』のアニメだったからこそ僕の深いところに届き、今も突き刺さっています。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
僕はダリフラを好きになりきれなかったけども、その鋭さで深く深く『俺のアニメ』として若人に突き刺さる切実さが込められていたのだと、Aimerさんと話していて感じます
それを見過ごして、自分のセンサーのなさ、嗜好でNOを出すのは、やはり傲慢な物言いだったかなと、なかなか立つ瀬のない気持ちであります。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
非常に貴重な交流をさせていただきまして、大変有り難うございます。
あれは無理だと思います。僕の敬愛するオタクもコバヤシさんと似たものの見方をする方ですが、「これはキミら若い子数人と一緒に噛み砕かないと、16話以降の存在している意味がわからないままだったと思う」と悲しそうに言ってましたからね。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
・ロボアニメ文脈の『窃盗』としてのダリフラと、秘められたオリジナリティ。オートマティックであること自体が、すでにある種の肯定であるようなメッセージ。
アニマスでキャラメル一粒にエモを込めた錦織さんが、ああいう作品を作ったことがほんと僕には重く感じますね……。僕はトップを1,2共に見てますが、窃盗のニュアンスをもう少し詳しく教えていただけると幸いです。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
んー…自分としては小黒さんのトップ2インタビューの中で、監督が『今トップをやるなら、トップが好きだからこそトップを否定しなきゃいけない』と言ってたのがデカいんですよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
この時代引用の引用の引用でしかモノ作れないけども、だからこそ自分のテイストを、咀嚼した上で加味して欲しい、というか
僕には16話以降の展開は『まんま』すぎるように感じていて、そこにロボットアニメへの、SFジャンルへの、自分が今まさに引用しているものへの過剰な思い入れ、それが生み出す歪んだ変奏が内容に思えたんです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
それは、愛してればこそ半自動的に生まれてこない? みたいな
ここらへんは過去のインタビューで『ロボは後』と言ってたのと、今のエキサイトインタビューで順逆が矛盾してて、自分的にも咀嚼できなくなったところでもあるんですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
ロボットの文脈をどれだけ踏まえて、自分なりのロボアニメを刻みたくてロボを選んだようには、思えなかったんですよね
閉鎖空間でのジュブナイル群像劇が”主”であるなら、(自分の目線では)それなり以上にオリジナルに積み上げることが出来ていたムードを捨てて(あるいは軽んじて)急に『まんま』なロボアニメになってしまったあの流れは、一体どこを志向してのものだったのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
うるさ型のロボオタクを納得させるために、アリモノの描写をそのまま選択してペーストしてくるのは、オリジナルの文脈にすこしリスペクトが足りないんじゃないかなというのが、後半に関する反感の根っこなのだと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
どうせコピペになるしかないけど、ちょっとは味見せてよ、みたいな。
んで、文脈の継承とそれに伴う(意図的な)ミスコピーなしで継がれたってことは、そこにその起源を(元々あった何かのミスコピーであっても)生み出した作品、造り手、その時代と世代に対して、必要な敬意の費用を払っていないんじゃないかな、と僕は感じたわけです。パクるにしても、愛でパクれと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
・『アリモノ』としてのダリフラロボ描写の弱さ
あー、その文脈から言われると確かにそうなのかなと思う部分はあって、結局ダリフラって群像劇として今の子に刺さるすばらしさなんですよね。ロボットという部分にフォーカスすれば、スタードライバーとかの方がトップの文脈から”次”に進んだ作品だと思いますし。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
・ナイーブな傷への処方箋としてのダリフラ。自分が罹患していない病気への治療薬でも、誰かのための命綱として作られたなら(あるいはそう意図しなくていても、そう機能してしまったなら)、それは優しく強いアニメなのではないか。
僕はダリフラ大好きなのでひいき目で見てしまいますが、その”テイスト(オリジナリティ)”が「若者に向けて寄り添いきった」という点なのかなと思いますね。創作者としての部分は少し2次創作やるくらいなのであまり語れないですが、「あぁ、理解してくれるオトナもいるんだ」と思ってしまいましたから。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
なるほど。そこを皮膚感覚として感じ取れないあたり、自分も老人になったのだな、と今痛感していますが、Aimerさんが親切に伝えてくれているので、少しだけセンシングできている感じがします。ありがとうございます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
個人が個人の感覚とリスクで受け止めるものだったオタク的なるものは…
気づけば(あるいはその作品の先鋭さ故に)一般化し、『オタクってバレたら死ぬ』という時代は(ある意味)終わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
イケメン、スポーツマン、お調子者と言ったのと同じ『通用する名札』として、オタクを選び取ってもなんとかなる時代が(ある領域には)発生した。
しかしそれは開放や楽園ではなく、当然問題をはらむ変化であり、原オタク世代、そのチルドレンが痛みと一緒に持っていた実感が、社会の中に希薄化してしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
オタクであることは選び取ることではなく、『自然となる』ものに(ある領域では)なりつつある。ダリフラはその曖昧さに誠実で…
それこそがあの作品のオリジナリティ、テーマ、メッセージ、『この作品を作ることで、今まさに死にそうな若者が少しでも生きられそうな作品にしたかった』という優しさ、になる…という感じですかね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
オッサンが勝手に読み取ったもので、どうにも恥ずかしいですが
僕にとってはそういう作品でしたね。本当に愛おしかったですし、魂かけてどんな文句からも守ってやると思えるだけの作品でした。ちなみにダリフラ以外だとガルガンティアとか大好きですね、ああいうヤツの方が昔の方へもウケが良さそうな気はします。テーマも熱いしSFへの尊重もオリジナリティもある。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
そのような作品に出会えたことは、人としてオタクとしてとてもいいものだと思います。僕のような外野がわーわー言う寝言に惑わされず、Aimerさんの『好き』を信じ、大事に大事に運んでいただきたいというのが、はやそういう時代を通り過ぎてしまった老人の無責任な祈りであります。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
逆に年長の方が世間の暴風雨を超えて掴んだ愛を、僕らの世代はわからないんですよね。だから逆にそこを尊重したいし、つい昨日も劇場版パトレイバー1,2を半ば無理矢理見させられましたが、まぁ素晴らしかったですね……(うっとり
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
・トリクルにまつわる会話、ブログにまとめるにあたっての要請と承認。
そういえば、先日「トリクルを使う予定はありますか?」と訊ねさせていただいたのは僕なんですが、是非あそこでコバヤシさんの感想みたいですね。ツイより長文でやり取りもできます(まだユーザー少ないですが)し、メモ帳としても優秀なので、よろしければ是非。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
そこら辺はいわゆるジェネレーション・ギャップとして、様々な世代、様々なジャンルで悩まれたところだと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
こういう取り違いも起きますが、裂け目にも橋がかかり、何かが共有されることはあるし、その偶然が救いなのかな、とも思います。今回の会話みたいに。(キモくてすいません)
新しいメディアへの参入障壁が上がるのも老いだなぁと今痛感していますが、重い腰を上げて新しいことに挑戦してみたいと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
本日は大変勉強になりました。ありがとうございました。
この会話を整形後ブログにまとめたいのですが、いかがでしょうか?
いえいえとんでもない。ブログの感想もお世話になってますし(とはいえ最近は自力で噛み砕いてしまいますが)、少しでもご恩返しができたならとても嬉しいことです。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
まとめについては、コバヤシさんのお好きなようになさっていただいて構いません。
ありがとうございます。Aimerさんの顎が強くなる、その助けになれたら何よりの喜びです。まとめさせていただきます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
・タグ文化、娯楽のパーソナライズ、"物語"に求めるものの変化、フランシス・フクヤマ的『歴史の終わり』以降の物語消費≒生きづらさを生き残るための杖としてのアニメーション。
僕はロボットモノもそこそこ見ますけど、SFやロボへの愛の質が、年長の友人とは明らかに違うと思いますね。複雑なコンテンツが溢れすぎたせいで、それが最初から用意されている今の子は、pixivのタグ文化のように、”要素を分割”しないと掬えなくなっていて。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
だからSFもロボも、全てカップリングを盛り上げる素材になってしまうみたいなところがある。僕はとてつもない運でいい出会いを引き寄せて、昔のオタクと今のオタクのキメラみたいな存在になってしまっていますが、まぁ複合コンテンツに弱いんですよ今の子(=平行世界の僕)は。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
なるほど。タグ付けしサンプリングする文化はEVAのときに既に主流でしたが、今はさらに先鋭化し、原・物語的な雑多な体験、分類不能な理不尽さで殴りつけられる経験が、やや弱めである、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
『〇〇っぽい』がマイナスではなく、プラスの意味合いが強くある感じでしょうか? わかりやすさ重点というか
共有・共感がメインになってるのだと思います。そのためにはわかりにくさ、こだわりは邪魔なものになり、記号で処理していく方が有用で、だからこそその土台になるアイドルや同性愛の2次創作が流行り、男女の恋愛はどんどん捨てられていっているのかなと。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
創作の顎でもって噛みちぎり、咀嚼して自分だけの栄養にする『硬い物語』『オマエだけの話だけど、頑張って噛み砕くと俺のものになるかもしれない物語』よりも、ソフト&スムーズな物語のほうが受け止められやすい”空気”があると。なるほど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
まぁ悲しい話ですが、「誰もアニメに個で対峙なんてしてなくて、神の与えたものを土下座しながら受け入れている」のかなと。キメラになってしまった僕はそこへの葛藤がかなりありますが、まぁ強く自我を持っていくしかないのかなと思って生きていますね。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
まとめブログに集約される『みんなの意見』”なんとはなしの空気”をフォローすることが第一であり、そこから逸脱すれば死ぬしかないという、ある種の危機意識でしょうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
僕らが『オタクとバレれば死ぬ』だったのに対し、『オタクからはみ出したら死ぬ』みたいな。なかなかに苦しいですね。
そしてその苦しさを、ダリフラは見据え、取り上げ、物語の形で解決策を提示してくれた。オートマティックに(僕、あるいは僕ら世代には)見える解決も、それ以外のルールに皮膚感覚がない視聴者にとっては、ドンピシャ『俺のアニメ』であると。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
僭越ですが、16話以降を今こそもう一度見直してみていただきたいですね。かなり風景が変わって見えると思います。しかしオジサマたちには、かなりビターというか、あまりにも悲しい現実のメタ過ぎるアニメかもしれませんねダリフラは(僕の友人も2ヶ月くらい気を乱されていたので)。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
世代は外付け可能なサイバーウェアではなく、環境によって育まれる唯一無二のオーガンだと思うので、今回Aimerさんに鍛えていただいてポン付けしたセンサーでどれだけ見れるかは分かりませんが、そうさせていただきます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
お話は尽きませんが、要件が振ってきました。本日はこれにて。ありがとう。
こちらこそありがとうございました。トリクルでまたお会いできたら、そのときは是非。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
・所与のものとしてオタク文化があることの呪い、社会・経済・政治情勢の変化による時代の波の変化。
良くも悪くも「ここでダメなら次はもうない」という意識があるのかなと。だからこそ芽生えた自我も、導き手がいないのもあって自分で潰してしまうのでしょう。なんだかんだ待ってるだけでも、ソシャゲのアプデみたいに程々に楽しいものは降ってきますから、尚更自力思考が面倒にもなるのでしょうし。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
楽しいものを自分で作るしかなかった原オタク世代、彼らが開拓したけどまだ荒野だった文脈を手で掘ったチルドレン世代、その遺産を受け継ぎつつ、社会情勢的には追い込まれている現役世代、という感じの世代論ですか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月29日
どこにもそれぞれ、個別の苦しみと喜び、呪いと祝福があるわけですね。
世代間の差違には僕もかなり敏感になっていますね。かれこれ3年くらい一緒に2次創作やってる人が、僕より一回り以上年上なんですけど、そこ(各々にとって何が呪いで何が祝福だったか)を互いに認知しながら歩まないと、とてもモノなんて作っていけないところがありますね。
— Aimer(エメ) (@krkrft3337) 2018年11月29日
という感じで、色々蒙を啓かされる思いで、お話をさせていただいた。自分は実は創作認識の足場、アニメを解体するためのツールがアニメそれ自体ではなく、よりハイ・カルチャーより(哲学と文学)にある人だ。なので、一般的なアニメファンの受け止め方とは、また当然違っているのだろう。
僕はずっと『僕はアニメが好きだけども、アニメはあんま僕が好きじゃないかもな』という、解消されることのない不安を抱えながら、こういう文章を書き続けている。離人感はあらゆる場所で顔を出す、僕の起源なのだ。
そういう個人的な傷が、Aimerさんが主張する世代の傷と少し共鳴し、違和感それ自体は理解できなくとも、居場所のない不安さ、疎外感の『匂い』みたいなものは通じ合うものがあったからこそ、僕にとってこの対話はよく響いたのかもしれない。
世代を越え、性別を越え、時代を越え、無条件に人を感動させる『強い』物語。ハイ・カルチャーとしての文学が志向してきた普遍性のある物語は、個人的で狭い嗜好に徹底的にパーソナライズされ、『アナタを喜ばせるための物語』を適切に供給される時代において、その存在意義が揺るがされているのかもしれない。
僕はそういう古い価値観を、疑いもなく信じられた最後の世代に多分属しているから(あと否定しようがなく文学ジャンキーだから)、大きくて強い物語が問答無用に人間を殴り倒す、普遍性の文学神話の実効性を、まだ信じたい気持ちが強い。
そういう視座からするとダリフラは、人を殴り倒すだけのオリジナリティを最後の最後で放棄した『弱い』物語に見えるわけだが、しかしそれこそが、『強い物語』を信じきれず、流された結果としてオタクに漂白しつつも、それをシェルターとして"空気"と戦う世代にとっては福音であった。
とするなら、『弱い』ことは、特定世代の特定個人に深く刺さっている事実をもって、無価値なもの、否定するべきものではなく、ただの現象としての形容詞となる。
そういう転倒を教えてくれたのは非常に稀有な体験であった。
正直ダリフラは僕のアニメではなく、終盤の展開には不満しかない。子の対話を経ても『なかった』には未だなりえていない。Aimerさんとその世代が抱える呪いと痛みを、オッサンである僕が真実理解することもなく、つまりはAimerさんがたどり着いた独自の特別性へ、真実たどり着くこともないと思う。
しかしその断絶を認めた上で、ダリフラによって最もナイーブで、最も創作によって支えられるべき世代が、たとえ一部であろうとも真摯な思いを受け取り、己の苦しさへの処方箋としてあのアニメを受け取ったのであれば、それは大きな意味のあることであろう。
僕が気に入らないからと言って、世に意味のないということと直結するわけではない。少し足を止めて深呼吸すれば思い至る、当たり前の常識を、言語ブンブンぶん回し系オタクとしてツイート垂れ流しているうちに、すっかり忘れてしまっていたようだ。
そんな独善を正し、背筋を伸ばしてアニメと他人を見るチャンスを与えてくれたことには、感謝してもしきれない。
とりあえず、ダリフラを見返さなければいけないな、という気持ちになる対話でした。そうしても『やっぱ分かんねぇ』ってなるかもしれないし、『わかる……わかるぞ!』と飛行石持ったムスカみたいになるかもしれんのだけども、そのどちらにたどり着いても、良い変化な気がする。
そういうものが生まれる会話が出来たのは、僕にとって実り多く、ありがたいことでした。どうもありがとうございました。