やがて君になる を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
濃厚な時間を共有した、合宿が終わる。
燈子の空疎と矛盾を、知らず突き刺す脚本の冴え。かぶり続けた仮面の罅。それでも良いと受け止めてくれる女ではなく、それでは駄目だという想いを覆い隠す女へ、燈子は揺れる体重を寄せる。
呪いを傲慢に振りちぎり、星は今私の胸に。
そんな感じの、小糸侑の九回表である。佐伯先輩が燈子の現状を肯定し、『ザマァ見ろ泥棒猫!』と特別な地位に酔っ払っている間に、侑はキスも甘えも本心も受け止めた上で、それを上回る傲慢でベストエンドを取りに来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
想定してない満塁ホームランで、見事再逆転。だから野球は九回からだって…。
佐伯先輩が道化というよりは、幸福のあり方の違いというか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
星の在り処を知らなかった侑は、自分を強く突き動かしてくれた燈子が好きで、燈子に揺り動かされる自分も好きだ。
だから、燈子の中で同居している静止と律動、演技と欲望、死と生のうち、後者を強く望む。それが、自分の欲しい星だから。
佐伯先輩はどっちかというと尽くす女、待つ女であり、『アナタのことを好きな私が好き』というある種のエゴイズムが、非常に薄い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
美しい献身だが、それは燈子を姉の棺に閉じ込めるばかりで、彼女自身の生には開放しない。それを燈子が望むからと言って、それが燈子に善いとは限らないのだ。
優しさが残酷を生む、皮肉な構図。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
相変わらず燈子のことを良く”見て”、そこで満足している…したほうが、自分にも燈子にも善いと思えてしまえる佐伯先輩の賢さと弱さが、前回から尾を引く。
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燈子入神の演技は、黒髪のデウス・エキス・マキナが知らず、燈子のリアルを完全に見抜いているからこそ生まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
誰かが伝える自分のイメージを、なるほどそのとおりだとそのまま反射することで、安心を得る。特別な誰かを安易に預けることで、共犯関係を生み出す。
まさに先週佐伯先輩との間に生まれた特別さと、同じ一時的解決が、劇中の佐伯先輩を”特別な彼女”にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
侑による脚本の書き換えは、この段階で約束されていたスペシャリティを、佐伯先輩から略奪する行為にほかならない。文芸練磨に隠された、血の色の現実改変である。恋は戦争、文学は闘争なのだ。
フィクションとリアルは複雑に絡み合いながら、”看護師”役の侑をかき乱す。過去のあなた、過去の私、そこで交換され交歓されたものを思い出すほどに、その結末が正しいとは思えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
死の仮面をかぶり、君ではなく姉になっていくことが。
患者の主観より医師の客観の方が、病気のことはよく判る。
”nurse”には看護師以外にも、乳母という意味もある。残酷で身勝手なエゴイズムを振り回して、肉欲と甘えと自己嫌悪と押し付け、侑の”好き”を殺す燈子ベイビー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
求める唇は失われた乳房であり、侑の唇を啜るときだけ、燈子は”妹”に戻ることが出来る。
死んだ姉を取り戻すために完璧を演じているのに、年下の恋人相手には妹になって、思う存分バブ味でオギャるの、マジ最悪で凄い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
完全に姉に甘えてるのと同じ構図なんだよなぁ、膝枕…お前はシャア大佐かってくらいの、ズブズブ最低人間だ
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燈子は弟・恋人・家族の三面鏡に照らされながら、そのどの真実も肯定できない自分を吐露する時、前髪で顔を隠し続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
寿美菜子迫真の演技が熱量を上げるこのシーン、一度も燈子の瞳は見えない。反射される”自分”が無いので当然ではある
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正確に言えば、『自分はいない』と規定し嫌悪で押し込めることで、その開いたスペースに死んだ姉を霊喚ばいしている、というか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
白いカンバスにしか、死人の顔は描けない。姉の不在を埋めるためには、”私”はそこにいてはいけないのだ。
しかし、燈子を好きな人達は”君”をいつでも求める。
その行為がうざったくて、自分が嫌いな自分を好きな人を、燈子は好きになれない。佐伯先輩が至近距離を維持できているのは、そのルールを敏感に見て取って、燈子が拒絶するタイプの”好き”を、彼女も隠しているからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
…ホント最悪だなこのアマ。どんだけ周囲に強いるんだオメー。
侑は口づけの距離で、幾度も燈子の目を見ている。女の子しか好きになれない佐伯先輩が、求めてけして手に入らないものをあっという間に奪い去っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
そこに映るのは、星のときめきが欲しかった自分…だけではない。ただ”君”でいることで十分魅力的な燈子の、偽りなき自我である。
これまで幾度も”事件”の現場となり、幾重にも緊急停止線を突きつけてきた踏切で、侑はあまりにもきれいな過去を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
劇と現実の重ね合わせに幻視したように、前に進むものの足音が、侑の中に思いを蘇らせる。
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現実の重たいオレンジを蹴り飛ばし、透明度の高い色彩できらめく”君”
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
それを燈子自身が見ていなくても、星のように輝くそのかんばせは深く深く侑に突き刺さって、もう抜けない。
なら、物分りよく”止まれ”なんて聞いていられない。
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侑が(佐伯先輩が絶対に踏み越えられない”止まれ”を一発でぶっ壊して)自分から踏み込む夕焼けのシーンは、綺麗で情欲に満ち、正しく危うい。このアニメらしい複雑さがギュッと詰まって、エロティックに美しい場面だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
電信柱を境界線に見立て、ぐっと踏み込み手を掴む強さ。
燈子の無茶苦茶なロジックを飲み込み、溢れ出す性欲を受け止め、侑はプライベートスペースへと女を誘う。”君”を掴み取るためなら、身体でも何でも使う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
佐伯よ~、オメェこれが出来ねぇから勝てねぇのよ。…出来ないキミが好きだよ、佐伯沙弥香くん…。(キモい好意の告白)
重なり合った影と影、偽りの演技と演技が”止まれ”を置き去りに、非常に私的で性的な空間に飛び込んでいく瞬間を、このアニメは丁寧に切り取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
『百合は綺麗だから、ドロドロしたのはちょっと…』とか、ヌルいこと言ってんじゃないよ。今眼の前に厳然と、女と女と性欲があんの!!!
かつて自分の足を縫い止めた踏切を、侑はもう躊躇わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
自分の中に透明度の高い星、燃える恋、美しい思い出、”君”がいることを、否応なく真絵に進んでいってしまう運動体を見ながら思い出したのだから。
ロケーションを繰り返すことで生まれる”意味”を、最大限活かした演出https://t.co/P7Wy0uxZYA
かくして二人の距離は限界を超えてゼロとなり、非常に危険な熱い夏が始まる。いや、今までも十分やばかったんだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
侑が隠している星の凶器…自分のことを好きで特別だという証明に、出だし触れかかるところで既に、緊迫感満点である。https://t.co/P7Wy0uxZYA pic.twitter.com/aTvtn3tWIN
冷たいプラネタリウムは”星”がほしかった侑に、燈子が与えたものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
恋を知らず、だから憧れた遠い距離感はもうとっくに埋まって、星は侑の中にある。
でもそれを知ってしまえば、燈子は離れていく。かつて河原でそう断言したし、今回も釘を刺す。https://t.co/3hr2qfsVOr
『どう思います?』って言われたら『マジ最悪』って返すしかないけども、侑は胸に宿った熱量でアイスを溶かしつつ、下から攻める百合柔術と上手く付き合う。アイツ、寝技理解ってるぜ…(百合オクタゴンの解説役キャラ)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
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欲望抱えて接近してんのは燈子なのに、情欲と愛でアイスを溶かすのは侑だったり。リボンとアイスの色が綺麗に揃って、スマートな統一感を画面に見せていたり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
見どころのあるシーケンスである。やってることはマジ最悪なんだけどな。そこでYKシザーズキメてリバースだ!(百合オクタゴン続行)
『私は私が嫌いだから、あなたは私を好きにならないで。嫌いにもならないで』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
無茶苦茶な呪いをかけてくる時、侑も燈子も陰りに沈む。ライティングの象徴主義が異常な切れ味を見せる、このアニメらしい”絵”
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佐伯先輩の賢い”眼”はこの、生々しい腐臭ただよう影を見切れていない。完璧を演じ続ける共犯関係に自分も燈子も押し留め、不変の安定を求める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
侑は明滅する生死に晒されながら、それでも”君”を見つめ、求める。
ダメだ~、最高に良い子だけどアンタぜってぇ勝てねぇわ沙弥香!
唇を重ねながら、恋人が押し付けてくるエゴも自己嫌悪も、侑は受け止める。でも、目線はそれを真っ直ぐ見れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
あまりに痛ましく、身勝手で、おまけに嘘だから。本当は誰より”君”になってほしくて、”私”になりたいと知っているから
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自分と燈子の本当と嘘にすり潰されて、思わず視線の先にあるのは、二人をつなぐ偽物の星。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
こんな良い子にさぁ…こういう表情、こういう行動をさせている女が、今モニタの中にいるっていう現実に対し、日本国民はもっと声を上げるべきじゃないの!?(唐突なラディカル・百合イズム的主張)
主語を無意味にデカくしている間に、欲望を叩きつけるだけ叩きつけ、ついでに呪いと愛情で縛り付けて、最悪女は消えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
侑は境界線の奥にやっぱり閉じ込められ、燈子が進む/帰還する暗い場所へ、どうしても踏み込めない。
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その薄暗い闇の中で、一緒に死んであげると(全く望んでいないのに、結果的に同意してしまった)共犯者、佐伯先輩と同じ場所には行けないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
そこから夜闇を切り裂き全力で走り出すところが、侑の主人公たるゆえんでもある。走れ!
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たとえ疾走の先に暗い闇しか待っていなかろうが、目覚めた心は止まらない。自分が傲慢に正しいと思う未来へと、強引に燈子を引っ張っていく。やがて君になるあなたを、絶対見届ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
その決意が、侑の視線を上げる。同じような方向、同じような未来を、下向きの燈子は歩けるのだろうか。
闇の中の清潔な光条、光の中の淀みに切り裂かれた恋人たちの未来が、どこに行き着くか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
それをすべて語りきるには、あまりにも時間が足りない。原作も終わってないし…マージ二期やってくれよ~頼むよ~。滅多にないレベルの超絶アニメ化なんだってマージ。
しかし同時に、非常に精緻で熱い筆でもって描かれる、一瞬一瞬の感情、変化する関係性と自我、欲望と清廉の同居を見ているだけで、異常な満足を覚えてしまうのも事実だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
丁寧に丁寧に、愚直なほどに細密に、原作という繭からアニメを編んでいく。その色合いは、時に原作よりも鮮明でよく刺さる。
そういう軌跡を味あわせてくれるだけで、かなりの満足がある。ひとまずのエンドマークが、来週付く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
恋の勝敗も、過去と現在の綱引きも、舞台の結末すら、描写されない最終回になるだろう。
だがそれを見て、僕は必ず満足すると思う。いいアニメだったと、間違いなくつぶやくだろう。
そういう確信がこの段階で…もしかすると第一話を見た瞬間からあるアニメに立ち会えたのは、やっぱり幸福だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月23日
侑の決断が劇を、現実をどう変え、その変化は少女たちをどこへいざなっていくのか。複雑に絡み合う糸が、どんな絵を作り出すか。
来週も楽しみですね。
追記 創作世界には予定されたものだけが存在しているし、するべきだという話。政治的文学と文学的政治、恋の駆け引きと透明性。客観だけを足場にするポジションの破綻と、主観を背負うがゆえのの唯一性について。
やが君追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
生徒会の劇と侑達のリアル(『やがて君になる』という作品そのもの)が重ね合わせの状態にあるのは見たとおりだが、その重なり合わせに燈子の頑なさを切り崩し、望む(侑いわく『傲慢な』)変化を引き寄せるための操作を、侑は個人的友誼をテコにした脚本変更の形で作用させている。
つまりこよみがリアルを(無意識的に)読み解いた結果生まれた脚本(リアル→フィクションという作用関係)は、侑の恋愛政治的働きかけにより現実改変(改良)のツールとして意識的に利用され(フィクション→リアルという作用関係)る。虚実の作用関係が今回で反転する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
この時、リアルの事情を話す訳にはいかない侑はあくまでフィクション内部の言語(作品としての優劣)をこよみを動かすための政治的テコとして使用しているわけだが、その一つに『劇の中であったことが無かったことみたいだ』という発言がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
これは生徒会劇というフィクション内フィクションに関わる言説であると同時に、『やがて君になる』という僕らが見ている物語、リアル内フィクションへの言説でもあるように感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
僕らが知らない姉の影響で燈子が死に続けるよりも、僕らが見守る侑の頑張りで、燈子が変わっていく方が納得力は高い
燈子を現在支配している姉の残影は、時折回想(佐伯先輩いわく『過去を反復する現在への夢』)で描かれるものの、あくまでメインではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
静止し遠くにある絵画のように、作中のキャラクターには触れ得ない部分(を強化するべく、姉は死んでいる。死人は間違えず、変わらない)であり、劇の外だ。
これに対し侑と燈子がふれあい火花を散らす現在は、まさにいま劇中で展開し、僕らが読者として認識・共有している物語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
その作用によってこそ、眼の前のストーリーが進展し、変化することを、ある種の共犯者として読者は望む。空から知りもしないルールが振ってきて全てを支配するのは基本NOだ。
あるいはそういうルールが『劇の外側から』急に降ってくるのを避けるために、ほのめかしやメタファー、伏線といったレトリックがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
どちらにしても、『劇で起こる変化は、劇の内部・現在によって発生するべき』という指摘(であり、仲谷先生の作劇哲学宣言でもあると思う)は妥当性を持つ。
この妥当性は侑自身が読者として、こよみの劇を読んだ素直な感想である(フィクション→リアルへの反応)し、侑が望む方向に劇=燈子の現実の反射板を捻じ曲げるための政治的発言(リアル→フィクションへの反応)でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
このように、批評的言辞は常に政治的色彩を帯び、執筆のリアルに及ぶ。
透明な批評家、ただただ『良い作品』に熱心な読者を、リアルの事情を知らない(知ってはいけない)こよみ相手には装いつつ、しかしその内実としては傲慢な理想を引き寄せるべく、文学的実力行使に出る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
侑はその小ズルさに賢く自覚的であろうし、それを知ってもなお政治的に振る舞う。
リアルな気持ちを叩きつけても、燈子の現実認識(望まれる自分、自分が望む自分)は変化しない。『やがて君になる』とはならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
ならば、才覚に溢れる友人が無意識に突き刺した文学的刃の切断力でもって、有無を言わさず現状を切開して、燈子に認識してもらおう。
リアルでダイレクトな言葉が思いを閉じ込めるなら、フィクションと無自覚によって屈折した一撃でもって、状況を動かそう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
そういう判断を、侑は燈子と別れた後暗い部屋で果たし、闇を駆けて友人と脚本変更会議に出たことになる。
虚であるからこそ、実よりも実を穿つフィクションの力を信じたのだ。
ここらへんの詩学への信頼が、『生徒会が劇をする』という展開には込められている気がするし、それが『姉を模倣する』という燈子のリアル(と彼女が信じ、それを維持しなければ自分を維持できない虚構)から発生しているところに、やが君の複雑な虚実のねじれがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
願わくば、燈子にとってこよみの劇が強烈な一撃であったように、『やがて君になるを読む』あなたも、稲妻に打たれて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
願わくば、こよみが燈子の現状を詩作神のように『読んだ』如く、鋭い瞳で全てを見抜きたい。
そういう作者の願望と信頼、創作と政治への認識が、静かに踊る展開だと思う。
こよみは燈子を『君にする』べく、劇を作ったのではない。作家の目を以てモチーフを完全に見抜いた結果、生み出されたものは無責任に真実であり、だからこそ燈子はそれを無視できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
そこに宿る力をただ透明な美しさで抑えず、恋と理想をもぎ取るための実務政治へと転化していく。
そんな侑の個人的で決死な戦い方が僕は好きだし、それこそ『やがて君になる』の中でずっと描かれている、『劇の内側』にある描写だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
そしてそんな侑の懸命こそがこれから何らか形をなし、燈子を『君にする』というサインを、あの作家と友人の会話からは薫る。そこに信頼を預けていいとも思う。
面白いのは、劇場の向こう側で演じられる侑-燈子-姉のトライアングルを見抜いた作家の目は、こよみ自身が主演する憧れの物語ではボヤけ、機能しないところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
常に客体として優位を取るためには、劇場の外側にいるしかない。そのポジションに居る槇くんは、確実にグロテスクに描かれている。
主体として物語に関われば誤つ。客体として物語を玩弄すれば醜する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
どちらも完全な答えではなく、しかし主人公たる侑は『星』を自分の中に入れること、客観と主観、文学と政治、安全圏と致命圏の両方に足を置くことを、前回決定的に決断した。文学的テコで、佐伯先輩の唯一性をどかしにかかった。
そんな身勝手な立ち回りでしか、動かない過去を動かし、死人の長い手を跳ね除け、燈子が『やがて君になる』一歩を整えることは出来ないと、多分作者自身が感じているのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
そしてそれは、これまで書かれた物語にも、僕が『やがて君になる』越しに見る世界と人間のあり方にも、嘘がない。
追記の追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
ここでいう”『やがて君になる』越しに見る世界と人間のあり方”はやが君世界内部のフィクション的リアルと同時に、それを通じて僕が足場を置くリアル的リアルのあり方でもある。
虚は虚であるが故に、実より実を穿つ(ことがある)。そういう力をこよみの劇も、それが乗るこの作品も持つ。
その歩みの先をアニメで見る時間が残されていないのは、至極残念である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月28日
明日の最終回がどこまでを切り取り、何に重点してみせるのか。新約『やがて君になる』とも言うべき見事な再解釈・再編集を見せた物語が切りとるものを、最後まで馥郁と味わいたいと思う。そこに、多分嘘はない。
追記 体育館での変更前脚本練習シーンについて
ご質問ありがとうございます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
このシーンは確かに難しくて、自分も読み切れている自信は一切ないですが、少しでも助けになればということで。
自分も書くことでまとめたいシーンでもありますしね。#マシュマロを投げ合おうhttps://t.co/g50V3ys33f pic.twitter.com/LPvX9a77nn
質問者さんは第6話(過去)でのシーンの繋がりを気にされてますが、僕は第12話(現在)での繋がりを考えてみました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
劇中の『思い出の出来事なんて、聞いてみるのも良いんじゃないですか』というセリフから舞台袖に下がり、フィクション内役割から外れて私人として燈子の視線を受けて回想。
ここでは物理的歩みによって『劇的空間-私的空間』、台詞によって『過去-現在』という境界線が乗り越えられているわけですが、これはフィクションとしての劇だけでなく、現実に身を置く侑自身にも左右する描写です。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
つまり侑はあくまでフィクションの練習として『過去を想起したほうがいい』という言葉を燈子(が演じる患者)に投げているんですが、この言葉は自分にも反射して、言った侑自身が過去を思い出している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
そして最も鮮明に刺さる過去は(視聴者にとってもそうであるように)あのシーンである。
佐伯先輩が獲得できなかった、決定的な『特別』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
自分が姉を演じ続け、死の国にいることを誰にも悟らせなかった燈子が、自分が踏み込んだときに投げかけてきた境界線。
それを踏み越えることは燈子の愛を失うことで、どうしても出来ないことだけども、放っておけば死ぬだけなので、踏まなきゃいけない。
このジレンマを、侑は『フィクション-現実』という境界線を踏み越え、脚本を書き換えさせることで突破しに行きます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
現実的な挑戦は、第六話での拒絶・失敗で跳ね除けられてしまった。突破口が見えない中、燈子は現実と奇妙に重なる劇を演じる中で揺れ、確かに変化しているように見える。
ならばこのフィクションを通じて、リアルの燈子を揺るがし、あの思い出を突破できるのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
そういう確信が、舞台袖から燈子の視線を受け止め、客観と主観、虚実の合間に立つこのシーンで、侑の中に密かに芽生えたのではないか。
過去を思い返すことで、過去を乗り越え現在を掴む。
そういう勝ち筋をぼんやりと(これを確信するのは後半の走りシーンでしょう)掴む前駆反応として、一番痛い思い出、乗り越えるべき境界を思い出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
ちょっと”意識の流れ”的な表現力で、なかなか面白い展開ですね。
この後ステージ上の燈子は日記を読み、恋人が背負うイメージを自分のものとして引き受けることで、所与の答えの一つを唯一の正解と受け止め、”現在”を規定していきます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
佐伯先輩と燈子が”彼女”となる仮想はしかし、完璧さを共犯し続ける現実を的確に戯画化している。
舞台袖で距離をとってそれを見ている侑は、自分もまた燈子の”完璧”を追認し、彼女の自意識を抑え込んで殺す側に立っていること、それが改変されなければいけない現状に、静かに気づいていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
本当に、それでいいのか、と。
ただ隣りにいたいだけ、今が永遠に続けばいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
佐伯先輩=”彼女”の言葉は嘘っぱちのフィクションなのに切実で、先輩が燈子の幻想を追認することで死人演劇が再演され続けてしまっているいびつさ、その再演が燈子のロールを強化し『君になる』のを妨げている様子が、残酷に美しく描かれています。
侑の星は、そこにはない。ないことを、舞台袖に下がって客観で見ることで追認していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
それは虚構の現在を見ると同時に、現実の過去、彼女の胸の中に突き刺さる棘=星を見ることでもある。佐伯先輩が演じる”彼女”は、燈子の嘘(であり真実)を追認する侑自身でもある。
そういうあやふやな乱反射を、舞台という空間は増幅する機能をもっていて、主観と客観が入り交じる空間で舞台袖、客観を強化しながら侑は”劇”を見る。見ることで、観客であり役者でもある自分をより強く認識していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
©2018 仲谷 鳰/KADOKAWA/やがて君になる製作委員会 pic.twitter.com/iql4YP005x
その表情が描かれないことが、後半決定的な決断を下すシーンとの上手い呼応になっていていい作りですね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
ここではあやふやな予感でしかないものが、燈子が闇の中自分の手の届かない場所(舞台の向こう)に逃げていく危うさを確認することで確信に変わり、侑を文学的政治闘争に押し立てる。
その根源には第六話の印象的な対峙、姉を奪われまいと侑の手をはねのける燈子が突き刺さっていることを確認するために、あのシーンは挟まれているように感じました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
そういう勝負のシーンを、しっかりカロリー込めて怪物的に仕上げる。それを再利用し別のフィーチャーに活かす。よく出来たアニメです
アニメになっていろいろ考えてみると、フィクション/メタフィクションの構造に対しかなり真摯な考察と答えを返して、その思弁性をキャラクターとドラマに最大限活用している話なんだなあ、と思うようになりました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
リアルな構造への考察を、フィクショナルな作劇の中で極大化する、みたいな。
劇を通じて燈子も変わり、侑も変わる。変わらないことが幸福であり特別だと思い込んだ佐伯先輩は、哀しいほどに取り残されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
死人の強さ、動きようのない現実をしっかり描いた上で、それを動かしうる虚構の強さ、物語が持つカタルシスと変化の可能性を、希望を込めて描く物語。
過去-現在、観客席-舞台、客観-主観。さまざまな境界線が実はあやふやであり、矛盾を止揚して新たな、しかし根源に関わる力を引き出しうる創作の強みを、自分自身が創作する世界に乗せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
そういう越境的視座が反映された、様々な境界線がいじり交じるシーンなんじゃないかと思います。
追記 三軸構成で見る『やがて君になる/君しか知らない』
ちょっと図式化しますと
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
(A:過去:姉 燈子 現在:自分:B)
という軸と
(X:虚構:劇 燈子 現実:恋愛:Y)
という軸の交錯として、『やがて君になる』は見れると思います。
燈子自身はA・Yの座標にずっと囚われていたわけですが、、こよみが見抜き描いたA・Xの座標で揺すぶられる。
X座標に位置する『君しか知らない』はA-B軸で揺れ動く燈子を適切に見抜いて、燈子が『死んでも』否定するBの自分を実は燈子自身が求めていることを、適切に描いているわけです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
これは侑の視点、彼女を主人公にする僕らの視点とも通じる。
佐伯先輩はAYの座標にいる燈子(燈子被ってきた完璧の仮面)を肯定し続けることで、彼女の共犯者として特別を手にれているけども、実は彼女は恋する乙女で、可能ならばBYの座標に燈子を連れてジャンプしたいという欲望も持っている。(事が明言されるのは、アニメの範囲外ですが)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
それは侑の望みでもあり、しかしこれを叩きつけると燈子は離れていってしまう。それを決定的に叩きつけ、物語のセントラルクエスチョンを見せるのが六話のあのシーンである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
現実によっては現実を飛び越えられない(Y軸への固着)ジレンマを、侑は『君しか知らない』を通じて壊し、飛び越えようとする
それがXAに固定されていた脚本を、文芸批評によってXBにスライドさせる試みとして発露するのが、第12話ラストの疾走だと言えます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
X軸に足場を置く”役者の燈子”は『君しか知らない』の登場人物なので、AからBにスライドする役柄に引っ張られて、Y軸の燈子も否応なくBの方向(侑の望む方向)へ動く。
A-B軸だけだと第6話の河原で止まってしまう『やがて君になる』(そこで足を止めてしまったのが、完璧さの共犯者である佐伯先輩であり、それを客観で侑と視聴者が見るのが第12話の舞台袖)が、『君しか知らない』を通じX-Y軸を導入することで、A-Bのスライドを発生させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
この重なりは更に三次元的に展開していて
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
(Z1:仮想の中の仮想:キャラが演じる『君しか知らない』)
(Z2:仮想の中の現実:僕らが読む/キャラが生きる『やがて君になる』)
(Z3:現実の中の仮想:『やがて君になる』から色々受け取る僕らの物語)
という三軸が、劇を導入することで鮮明に見えます
Z1がZ2に強く影響することで燈子は姉の影から離れて自分の望みを認識しだし、侑は自分の望みに燈子を引き寄せる(佐伯先輩からは離れる…けど、それが燈子と燈子を思う佐伯先輩の幸福でもある)物語が、劇の準備・上演・上演後を通じて描かれていきます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
そしてZ2はZ1にも強く影響していて、こよみは主演の現状を見抜くことでクリティカルな脚本を描き、侑は現実の政治を持ち込むことで作品のクオリティを上げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
その激しい火花が真実を強く照らすから、Z3軸に足場を置く僕らもこの作品を『いいものだ』と感じる。
事程左様に、両極の軸で関わりがないと思われる矛盾がお互い深く関わり合い、相互に補いまた対立している構図が、『やがて君になる/君しか知らない』には強く横たわっているように思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月29日
その交点があの舞台/舞台袖の越境であり、現在から過去を思う回想だったんじゃないでしょうか。
追記 サイクルを描く善悪と虚実。フィクションから始まりリアルへと移ろっていく心情が、フィクションを通じてリアルを変えていくということ。
やが君追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月30日
やが君における虚実のダンスは、侑が『少女漫画のような恋』に憧れたところから藻の語りが始まる作りを見ても判る。
それは実感を伴わない憧れであり、いわば『悪しきフィクション』と自分とのズレを燈子という”星”に出会うことで侑は埋めていく。
それは燈子を死人の岸に閉じ込める『悪しきリアル』との直面を意味していて、これは現実の恋を直接叩きつけても動かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月30日
こよみ(作者)を相手に的確な文芸批評を突き刺し、燈子も侑も関わる劇を『良きフィクション』に変えていくこといで、『良きリアル』を呼び寄せる試み。
『悪しきフィクション→悪しきリアル→良きフィクション→良きリアル』と、虚実善悪(この場合の善悪は倫理判断ではなく、人間や状況の実装に適合しているか否か、真実との距離感を表す言葉だ)をくるくると回転させていく動きが、やが君の中にはある気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月30日
アニメ化は劇が『良きフィクション』になりそうだというところ、漫画は劇を通じて変化したリアルが『良きもの』になりうるかというところが、それぞれ現状のエンドマークとなっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月30日
燈子が秘め侑が見て取った『リアル』はつまり、人が他でもない自分になろうとする意志だ。
それが実現されるのは喜ばしいと、良いことだと、世間でもされている。しかし自分を殺し誰かになろうとすることは、愛ゆえにも起こる。その切ない身じろぎはけして否定されるべきではないし、甘い痛み、馥郁たる腐臭に満ちている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月30日
やが君は優しく厳しい目線で、それを常に切りとり続ける。
そういう微細な振動を余すことなく切りとることで、虚実善悪のうねりそのものが物語であり、人生でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月30日
『やがて君になる』という祈りに込められた呪いと優しさ全てを見落とさず、それを通じて/それを描ききること自体によって、読者である我らに何かを残そうとする活動。
そういう原作の振幅を徹底して微細に捉えきり、余すことなくアニメに適合させた今回のアニメ化は、本当に幸福なことだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月30日
切り捨てられるかもしれない細やかな表現にこそ、真実に近づくヒントが有る。細部に宿る神全てを尊重し、再構築しきったスタッフの手腕と愛に敬意を払う。