風が強く吹いている を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
湿り気の強い季節が過ぎて、僕らは夢に近づいた。東京を覆う熱気から逃げても、過去が追いかけてくる。
どれだけ速度を上げても追い抜けないものを、どう乗り越えれば良いのか。答えは白樺湖の爽やかな風と、仲間の声が知っている。
さぁ、新しい物語に駆け出そう。
そんな感じの新 章 開 幕 ! である。いやー、約一ヶ月、長かった…リアル箱根は最高の競技、最高のドラマであり最高だったが、それはそれとして俺はこの兄目がずっと見たかったの!!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
OPも変更、コンテ・演出は”ボールルームへようこそ”の天才・板津監督! 良いエンジンのかけ方である。
新しい物語が始まるからと言ってこれまでの取りまとめ、変化した関係や実力の描写を怠けない周到さがこのアニメのいいところで、色々と見どころがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
細かい描写の中に『おお、変わったなぁ…』や『相変わらずだなぁ…』という発見がたくさんあり、前のめりに見ているほどに楽しい。
新OPもアップテンポでいい感じだが、こちらは未来への予感がかなり強めに刻まれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
各キャラクターの日常をパパパっと走り抜けるシーンの音ハメが気持ちいいが、双子の未来が二叉路で暗喩されているのは上手い演出。
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構成としては前半の競技会でグダグダに混んだ人間関係の成果を見せ、後半の白樺湖合宿で新しい火種を確認し…という塩梅。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
段々と関係を作り、人格を養い、実力をつけていく作品の基本テンポを守りつつも、このエピソード独特の切れ味も随所に感じられる。安定感と、”攻め”てる気持ちよさの同居。
元々食事が強い意味を持つアニメなんだが、今回はハイジ一人がエプロンを着込む今までのスタイルから、チーム全体がメシを仕上げる形への変化が強調されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
合宿だから、というわけではない。アオタケでのメシも、ハイジは創っていない。
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人数が集まるシーンの見通しの良さ、賑やかなのにキチッと収まりがいい感じがなかなか凄いが、身の養いを準備する作業はもうハイジの特権ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
ユキが持ち前の頭脳で戦略を立て、それで選考記録を突破したように。ハイジが独占し引っ張ってきた特権は、チームに分配されつつある。
それはメシの仕上がり、自分とチームの走りに責任とプライドを持つということであり、ハイジが背負ってきた思い入れをチームもまた背負う、ということでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
傷んだ足でそれを抱えすぎた結果ぶっ倒れたのだから、正しいチョイスだと言える。
食事は非常にパーソナルな行為だが、『肉抜きのカレー』でそれがパブリックな行為でもあると見せるのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
アオタケは注目されつつある。メディアが近づき、地域の支援を受けている。野菜屋のおじさんから食材をただで受け取っているから、カレーに肉は入らないのだ。
それは自分たちだけのメシではなく、”誰か”から与えられる期待、その不自由も一緒に煮込んである。10人だけで駅伝を走るわけではない。走れるものでもないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
ありがたさと至らなさをイチゴ味のプロテインで煮込んで、自分風味に調理し、みんなで食べる。
そういうアオタケスタイルをガツガツと、腹に収めてしっかり走る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
『駆けつけいっぱい、軽いランニング』という風情で10キロ以上走り込む描写は、彼らがすっかりランナーになったことを巧く見せている。
リビングでの集合シーンのように、その在り方はそれぞれ違っても。熱意と敬意が俺たちを繋ぐ。
バラバラの練習着と、統一されチーム分け(ABCDの”格付け”)された東体大の在り方。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
それはカケルの”現在と過去”をウェアで表現する演出でもある。押さえつけられ、強制されてきた傷が、榊の巨大感情に煽られて疼く。
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東体大の画一的なスタイル(それは学生スポーツの”スタンダード”でもあろう)が悪いわけじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
ただ、アオタケああいう衣装でしか、バラバラの個性を活かす形でしか走れない。ハイジはそれを知っているから、練習まで同じ服を着せようとはしない。序列もつけない。
そんな風通しの良さの中で、カケルは過去から逃げ出そうとして、サークルを抜け出す。自分のペース、特別な速度に身を任せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
とにかく撮影が美麗な回で、夕焼けの赤、早朝の爽やかさが、しっかりフィルムに焼き付けられていた。
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榊(が背負う過去)に前を塞がれ、苛立ちを自分の中に封じ込めるカケル。一人で走っている間は真っ黒な影でしかなく、しかしハイジが隣に寄り添い声をかけてくれた時、視界が開ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
空は青く、世界は美しい。その風を感じろと、男はいう。
この風が前半の競技会でもしっかり吹いていて、天からの救いのように急に降り立ったものではないと見せているのは、非常に周到である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
第1話、『走るの好きか?』と問われたときから、もうカケルは答えに出会っている。その光に、素直になれないまま走り続けている。孤独の中で、その声が時折蘇る。
思い返せばそれが運命であったのだと思い返すような、決定的な出会い。物語はいつでもそこから始まって、全てが終わった後にその意味を知る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
だから、まだ終わらない道を走っている最中は、既に自分が手にしているものの意味ははっきりとは分からないのだ。言葉は、まだ見つからない。
しかし言葉にならずとも、魂に食い込んだ思いはたしかに何かを変え、何かを前に突き動かしている、
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
それが本当のことだとジワジワ思い知るために、春から梅雨にかけての色んなゴダゴダがあったのだ。変わるためには、痛みが必要なときだってある。
榊のくっそウザい挑発も、その一つだと言えるか。アイツほんっと感情拗らせ過ぎで面倒くせーんだけど!!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
本当は自分こそがカケルと作り上げたかった、敬意のあるランニング。隣に立って、相補い、チームとして走る”普通の部活”を、自分は”敵”として関わるしかない苛立ち。
カケルが言葉ではなく拳を振り上げてしまったように、榊も自分の焦げ付きを良くない形でしか発露できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
主役ならざる彼がその葛藤を燃やせる瞬間、ある種の救いが訪れるかは分からないが、俺榊のこと嫌いじゃないんで、そういうシーンも欲しいね…。
”眼”の強さも特徴的なシリーズだが、今回は少し風情を変え、感情や情報をやり取りする”窓としての眼”が幾度も顔を出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
全力疾走しつつ、チームの意思を確認して動くための”眼”。あるいは影から光へ、他者の言葉で進んでいくための”眼”
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それは他者に、あるいは世界に開かれた”眼”であり、内面の発露としての”強い眼・出す眼”とは少し意味合いの違う、”優しい目”・受け取る眼”という意味合いが強いのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
個人として頂きに挑み、敗れた時のギラついた視線と今回のカケルは、明瞭に違うものを見ている。https://t.co/iJrkQvR3FR
それは王子とマンツーマンでガッツリ向き合ったり、ハイジがぶっ倒れてその不在の意味を考えたり、遅くてうぜー初心者と一緒に走った結果、彼の世界に吹き込んだ風だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
ハイジが積極的に吸い込んで、”速いより強い”走りを目指そうと見据えている世界でもあろう。
そういう場所に接近しつつも、カケルはやっぱり衝動主義的な魂を、”強い目”を抑え込むことは出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
それは彼の欠点であり長所でもあって、頭一つ抜け出した領域に彼を引き上げる猛烈なエンジンだ。それを殺したら、もうカケルはカケルじゃない
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だから大事なのは、押し付けられた形に自分をあわせる(それじゃ高校時代と同じで、必ず暴発する)のではあんく、良い方向にそのエネルギーを向けていくことなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
自分で取り舵出来なくても、仲間が背負ってくれるかもだしね。ニコチャン先輩は猛犬タケルのトップブリーダーですッ!
後半はカケル個人とその先にある風景をメインに描いていたが、前半の競技会は”アオタケ”が今どこにいて、何を積み上げてきたかを見せる形だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
ここで現状を巧くスケッチしているからこそ、足りないもの、伸ばすべき部分が鮮明になる。どのくらいの実力がついて、何が出来るかの予測も立つ。
双子がかなりタクティカルに”陸上競技”を見据えられている描写。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
”他人に合わす”のが性質の(これも長所と背中合わせの短所だ)神童が、接触されても道を譲らず前を向く演出。
ユキの頭脳がチーム全体に敷衍し、自分自身にも結果をもたらす戦術。
アオタケはたしかに実力をつけ、それぞれが持つ個性をどう武器に変えるか、少しずつ見えてきている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
その土台は個人主義と共同体主義の両立、孤独な自分と優しい他人をどう両立させ、お互いを前に勧めていくかというバランシング・アクトだ。
そのためには他人を見なければいけないし、風を感じなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
時折BGMが止んで、疾走が空気を切り裂く音、自分というエンジンが駆動する息遣いが入るのが、凄く良かった。
それは、もう確かにそこにあるのだ。後は気づくだけなのだが、まぁこれが難しい。本当に難しい。
カケルはアオタケの仲間を頼もしく思い、願うままに走れている”今”を、全て肯定はできていない。過去はカメラマンの形で、あるいは赤髪の巨大感情の姿を取って蘇る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
それを振り切るように、カケルは必死にその才能をブン回して、孤独になろうとする。
その苦しさと必死さを、アオタケの仲間はよく見てる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
昔はハイジの特権だったけど、例えばキングが思い出に食われたカケルに『おい、記者さん聞いてるぞ!』と声をかけてあげるシーンを見れば、彼が覆い隠そう、逃げようとしているものを共有しかけているのは明白だ。
でも仲間がそこに追付いて、カケルが戦っているものを見つけるには言葉がいる。ただ無言で抗って、一人で抱え込んでいるだけじゃ、やっぱり分からない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
今までのドタバタが、ずっとそういう性質のものだったように、このアニメの走りは的確な言葉を見つけ、それを素直に吐き出す強さへの歩みだ。
そういう強さを(まだ)抱えきれないからこそ、自分の重荷を仲間に預ける決断が出来ないからこそ、カケルは言葉ではなく拳に頼る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
そういう短絡に至ってしまった過去は、チラチラ見せられつつ伏せ札だ。アオタケ内部のバチバチが収まってきた後半戦は、これを巡るミステリを軸に進むかな?
それをオープンにするタイミングだからこそ、調べて言葉にするのが仕事のメディアがツダケン声で接近してきたんだろうしね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
『あのクソガキが過去に何してようが、俺たちにはカンケェねぇ』とドライに切り捨てるには、アオタケの仲間は一緒に走りすぎた。そういう繋がりを作るための1クールだった。
カケルが振り上げた拳が、どこに落ちるのか。思いを暴力ではなく、言葉で共有し、走りで魅せる瞬間は訪れるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月8日
そういう今後の主問題と、それを支えるための受け皿、ランナーとしても人間としても逞しくなってきたアオタケを見せる、良い新章開幕でした。来週も楽しみ。