どろろ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
人を食わずに飯を食うへんてこなアヤカシと、飯を食わずに草を食う流れ者。過酷な石切り労働、追われぬ人買い。
全てが奇妙な山あいの村で、どろろと百鬼丸は何に出会うのか。蜘蛛の怪物と優しい人買いは、どんな運命に飛び込んでいくのか。
そんな感じの第七話、1クールの半分過ぎてようやく、人死が出ない話である。最後まで『地獄。ゼッテー地獄』と腹筋を固めていたので、弥二郎と絡新婦が逃散キメたあと、正直少し拍子抜けである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
しかし悲惨ばかりが積み重なるのもまた不自然であり、世の中こういう事もあるのだろう…ありがたい。
『男を食う』『精気を啜る』と言われればセックスを想起するよう、日本語の暗喩は組み上げられている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
セックスワークにまつわる収奪と悲惨をさんざん描いた”守り子唄”と、絡新婦の物語は繋がっている。それを言えば、兄妹の情愛を斬って捨てた”妖刀”や共同体を破壊した”万代”とも繋がっているだろう
ミオは『侍に奪われたものを、侍から奪い返す』気概で涙を歌に変え、男を手玉に取ろうとした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
アヤカシの汚れなど欠片もなく、しかし収奪の世界に組み込まれてしまった彼女は、両陣営を乗りこなし黄金の未来を掴もうとして、その夢を踏みにじられた。”性”を武器にしようと願い、制御しきれなかった
絡新婦は真っ赤な魂を持ったアヤカシであるが、家畜(あるいは隣人)に接するように人間との距離を適切に保ち、”精”を吸い切りはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
奪いつくさぬよう、殺してしまわぬよう制御された異能が弥二郎との繋がりを作り、彼の言葉がアヤカシを人に戻していく。
矢傷を受けた弥二郎、人を喰う生業を背負った絡新婦。彼らの道行きが明るいか暗いか、それは明言できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
だが、あの炎の中で決定的に躯になってしまったミオよりは、希望の持てる終わりである。死ぬ道、生きる道。死活同居する世界に、どろろと百鬼丸は生きている。
ミオとどこか似ていて、決定的に違う絡新婦の話を此処に持ってきたのは、なかなか面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
世界にはたっぷりの絶望と、少しの希望が確かにある。あらゆるものが無情に食い殺されるルールだけが、乱世に適応されているわけではない。人もアヤカシも変わり、生きることが出来る。
そういう可能性を残しているからこそ、真っ暗闇の中でも希望を夢見てしまって、よりダメージが大きくなるというのは”守小唄の巻”で証明済みである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
”未来、未来、君のせいなのさ”
作品をしっかり描いた、いいEDですねホント!(キレ気味の褒め言葉)
そんな陽性のエピソードは、どろろと百鬼丸、絡新婦と弥二郎二組の変化を、静かに追う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
何しろ百鬼丸は言葉の使い方を知らんので、自分の変化を言葉にすることはない。しかしこれまでの旅は確かに彼の中に積み重なり、アヤカシと人の出会いは”何か”を生み出していく。
そういう曖昧だがたしかに変わりゆく”兆し”を、画面の中から視聴者がすくい上げ、紡いで理解しなければいけないのは、結構不親切な作りである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
しかし自分で物語の意図を掴み、キャラクターやストーリーに何が投射されているか考えながら編む営為は、歯ごたえがあって楽しい。
ただ素材をぶん投げるのではなく、豊かな表現力で語らずのメッセージをしっかり埋め込み、良い絵が編み上げれるよう映像を組み上げてくれているのが、非常にありがたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
丁寧に編んでいくと、凄く豊かなものを受け取れるよう、気を配ってお話を作ってくれているよう思う。
例えば食事。人が生きる業を追うこのお話、メシは非常に大事なものとして描写され続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
人から奪うのではなく人に寄り添うアヤカシは、人のやり方とは違っていても、人のメシを無下にはしない。ちゃんと食べるのだ。
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箸を使わず手づかみで。あるいは糸を伸ばして虫をかっ喰らう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
確かに、絡新婦はヒトのようには生きられない。それでも、這いつくばって人の命をすすり切るアヤカシのやり方ではなく、椀に飯を盛り命をつなぐ人のやり方を、ちゃんと尊重してくれる。
その結果、頬はこけ闇は深くなる。
『村が不作』という情報が背景にあるので、このメシは弥二郎最大の心づもり、己の糧を削って人に分け与える仁愛であることがよく判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
黒人奴隷を自由へと運ぶ地下鉄道のように、過酷な労働から人々を開放する存在。聖者のような男は、人もアヤカシも変わりなく守る。
やはり前回、握り飯を踏み潰して武器を奮った侍を描いたからこそ、このメシのやり取りはよく届く。体をもぎ取られた子供たちが、それでも差し出したメシを見ているからこそ、今回の小さな幸福が心に染み入る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
この安心感を計画的に殴り飛ばしてくるからなぁ…怖い怖い。https://t.co/sm0SISVs6F
ヨソモノたるどろろと百鬼丸は、ムラとソトを遮る壁を乗り越え、通行手形を手に村に入る。アウトサイダーである彼らは鳥居の下…境界線の上で寝泊まりし、木苺やどくだみ…ヒトが食べるには不適切なもので飢えを凌ぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
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ドクダミは体内の毒を外に出す薬草でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
殺し殺されの生き方しか知らなかった百鬼丸がアヤカシの声を聞き、ヒトの情を知って刃を収める今回には、相応しい”メシ”だとも言える。
ヒトの飯を食うアヤカシと、ヒトの領域に受け入れられない二人の人。彼らの運命は静かに接近していく。
絡新婦にとって弥二郎がどんな存在であるか。弥二郎にとって絡新婦がいかな女か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
その意味合いを”名前”によって強調するのは、なかなかうまい演出と言える。村外れの水場(やはり境界)の、萩の中に埋もれていたから”お萩”
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名付けられることで怪物はヒトとしての顔、繋がり、意味を手に入れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
弥二郎の情にほだされて、絡新婦も『人間→男→アンタ』と、眼の前の男の呼び名を変えていく。お互いに命があり、奪わず生きていかなければいけない存在だと認識する起因/その結果としての『名前』が、今回とても大事にされる。
百鬼丸とどろろも、己の名を告げる喉が戻る前から名前を交換し、お互いを人だと認識し支え合って、ここまで来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
冒頭、ミオをもぎ取られた兄貴の痛みに思いを馳せるどろろちゃんが、あまりに清らかで優しい。https://t.co/tpnn4qZQQm
優しい妖怪の素顔、村の圧政。赤い真実を見抜く百鬼丸の目では、捉えきれないオモテとウラが、段々と明らかになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
弥二郎は”人買い”としての本性を発揮し、峠に絡新婦を連れて行く。迫り来る暴力を前に絡新婦は本性を表し、獣の姿勢で精気を啜る。
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お萩を人目から隠す打ち掛けは、花嫁衣装のようでもあるし、文字通りの角隠しでもある。純白の優しさを背負うことで、お萩は人の形を保ち、ヒトとの恋情を支えに境を超えずに済む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
それは弥二郎が、自分の体を境に守ってくれればこそだ。
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画面を上手下手に割って、ちょっと大仰に芝居を付ける(どろろちゃんの仕草が大げさで可愛い)看板前のやり取りは、ヒトとアヤカシの境目を問い続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
良いアヤカシもいれば、悪いヒトもいる。その端境が牙を向いた時、ミオは死んだ。生き残った百鬼丸とどろろは、判然としない世界で聞き、見る。
今まで戦いの道具でしかなかった糸を、矢傷をかばう医療器具として使っている描写が、絡新婦の生き方、物語の運命を静かに語っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
それは刃を刃としてしか使えない百鬼丸の、先を行くような決断と変化だ。
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ヒトと交わったアヤカシの色は、烈火の激しい色合いではなくなる。生まれついてのあり方が人と人でなしを定めるのでなく、混じり合った魂が光を引き寄せるのならば。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
それは蛭児として呪われ、殺戮人形として生きている百鬼丸にとっても救いになるだろう。
万代や似蛭のときには取り戻していなかった耳で、百鬼丸は絡新婦と弥二郎の、そしてどろろの声を聴く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
自分は人殺しの怪物ではなく、怪物が跋扈する世界でそれでも人でありたいと、その危ういバランスを取り続けるのだという叫びを聞き入れる。
笑わない百鬼丸も、唇から赤い血を流す。言葉の代わりに、液体状の人間の証明を呟く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
お互いそれを見やって、聞き遂げて、人を殺さぬ話が終わっていく。雑音や苦鳴以外のものを、百鬼丸が聞ける話が。
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今回は斬れば終わりという無常の話ではないので、百鬼丸は殺人機械としての矛先を緩める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
全体的にどろろの介助描写、すっかり信頼を預けている様子が多く描かれ、二人が二人でいることで何が補われているか、丁寧に追うエピソードでもあった。どろろちゃんは本当に甲斐甲斐しいねぇ…。
自分に噛み付く(噛み付くしかない存在として生まれ落ちてしまった)蜘蛛を、殺さず逃がす。痛みに烈火を燃やすのではなく、魂の赤を収めてヒトであり続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
どろろが選び取った結末を、百鬼丸は笑う。それは嘲笑ではなく希望…いつか、自分もそうありたいと願う、ある種の産声ではなかったろうか。
アヤカシでありながら人を食わず、己の性を制御した絡新婦。その声を聞き生き様と触れ合うことで、鬼神混じりの鬼神殺しも、殺す以外の道を夢見たのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
そんな黄金の夢を全力で踏みにじられ、傷ついた心に少しの希望を、掴み取ることが出来たのではないか。
そしてそのためには、絡新婦にとっての弥二郎、自分にとってのどろろのように、名前を呼び正気を保ってくれる”誰か”が、とても大切なのだと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
物言わぬ百鬼丸が何を受け取ったか、僕らは推測することしかできない。でも甘ちゃんな僕は、そんな微かな光を確かに夢見たのだ。
同時にそんな幸福は無情な地獄と背中合わせで、例えば村が不作なのは百鬼丸が身体を取り戻し、鬼神の加護が薄れている結果かもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
傷ついた弥二郎の命は露と消えるかもしれないし、アヤカシと人のつがいは幸福になれないかもしれない。しかし、そうはならないかもしれない。
全てはあやふやな境目の中で、入り混じりつつ流れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
これまで影に控えていた”明”の部分が表に出ればこそ、むしろ二人を待ち構える厳しい運命に気が引き締まるような、それでも上手く進んで欲しいという希望を抱いてしまうような、良いエピソードでした。次回も楽しみ。
追記 共通点と差異点を鮮明に見せることで、主役のキャラ、彼らが背負う物語の総体が伝わる。言葉ではなく肌で作品を理解し、咀嚼し、自分の物語に取り込むことが出来る。シンプルで簡単なのに、徹底するのは本当に難しい創作の基本。
どろろ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
やっぱ主人公と違うんだけどどっか似通ってる存在、歪んだ鏡としてゲストキャラを使う手腕が、物語の奥行きを作っていくんだなぁと思った。
男女コンビの使い方、対称の書き方が非常に上手いよね、どろろアニメは。
アヤカシと人に分かたれつつ、情を交わし支え合って幸福に歩みだしていく絡新婦と弥二郎は、やっぱどろろと百鬼丸の『あり得た未来』で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
それは百鬼丸が切り捨てた似蛭と妹、万代も同じ。一話で退場していく幽き存在だからこそ、キャラクターが歩みうる可能性、世界の多層を様々背負いうる。
そういう物語構造の構成要素としてだけでなく、作品世界を血を流しながら生きたり死んでいく存在としても、キャラクターはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
必死に生きればこそ生まれる熱量や哀しさ、やるせなさを真剣に描けばこそ、主人公と似ている部分、違う部分、世界のルールや物語の大枠も照らし出される。
そういう基本ルールを徹底して、骨の太い話を積み重ねていればこそ、このアニメ本当に面白いと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月18日
ゲストキャラが作品のコアの部分をしっかり共有して、そのキャラにしか出来ない問いかけを主役にちゃんと投げる。これに主役が答え、今の自分を鮮明に見せる。その折り重ねで変化を生む。強い。