ブギーポップは笑わない を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
そは歪み、そは後悔、黄金になることを約束された錆びついた赤い鉄。
経済界の巨人が残したバベルの塔に、”カスタード・パイ”が鳴り響く時、人々は過去を幻視する。
果たせなかった思い、言えなかった言葉が己を苛み、問いかける。
後の歪曲王事件である。
そんな感じのブギーポップ2019、終章開始である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
アクションあり強敵あり魂の継承ありと、少年漫画ムードバリバリで楽しかった”夜明け”に比べると、まーたインナーでスペキュレーティブな閉じた展開といえる。
まぁ”笑わない”の後始末という側面も強いので、そういう空気が漂うのも当然か。
アニメで再構築されてみると、やはりいろいろ繋がるもの、再発見できるものが沢山ある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
ムーンテンプルという現在の奇城に心残りを抱えた人達が集い、脱出不能な状況で過去を暴かれていく。形式としては”館ものミステリ”なんだな、とか。
志郎くんに新刻委員長に竹田くんと、”笑わない”メンバーが顔を連ねるこのエピソードは、シリーズ開始当初最終巻として想定されていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
こっから先はいわば長い(長過ぎる)”余生”とも言えるお話で、ある意味『ブギーポップとはなにか』を問い、整理するエピソードとも言える。
いわばブギーポップという”事件”を追うミステリでもあり、(”VSイマジネーター”が描かれざる”ブギーポップ ストレンジ”の始末であったように)最初の終わり、”ブギーポップは笑わない”始末でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
なので、竹田くんも委員長も、ブギーポップの残影を追いかけ、歪曲王に出会う。
歪曲王は自動的な存在であり、ブギーポップが一つの形を維持し続けるのに対し、見る人の心に救った後悔を反映して形を変える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
それは厳しい詰問であり、より善き未来への自問自答でもある。
歪曲王は強制しない。イマジネーターのように、イマジネーションを剥奪しない。
ただただ光の消え果てた視線の中で、じっと見つめ問い続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
『君を黄金でなくすものは、一体何か?』
それは”夜明け”で合成人間達が押し流された、一瞬の激情(その真実らしさこそ、ブギーポップが死によって永遠にしてくれるものだ)とは真逆の、赤い錆だ。
人々を巨大な閉鎖空間に閉じ込め、残酷な夢を見せる歪曲王は、果たしてブギーポップが担当するべき”世界の敵”なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
予断を込めて見つめれば、怪人は即悪党で倒すべき”敵”となるが、しかしブギーポップの世界では強力な”敵”こそが、己の真実を照らす鏡となることもまた、良くある。
不思議の国にアリスを誘った白ウサギのように、ムーンテンプルに消えていくブギーポップ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
彼を追い、彼を見失った先にいた歪曲王もまた、解かれるべきミステリとして物語内部に配置されている。
歪曲王は何を問い、何を求めるのか。謎を見据える中で、作品が抱えるメッセージも見えてくる。
原作を読み、読み返し、また読んだ僕はその結論(みたいなもの)を自分なり、もう抱えているわけだが、それはアニメで描かれ(と僕が見て取った)るものと合致するとは限らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
でもその差異と合同こそが、メディアを変え時代を変え名作を語り直す意義だとも思う。
だからアニメが歪曲王をどう書くかはすごく楽しみだし、1/4が終わったこの段階で、かなり鋭い書き方がされているようにも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
歪曲王は様々に姿を変えつつ、しかし容赦なく問い続ける。答えを与えはしない。突破に導きもしない。ただただ問い、追い詰める。心残りの瞬間を再生し続ける。
一見平穏な勝利に終わったように思える”笑わない”も、様々な人々の中に後悔を残した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
紙木城直子の生死すら『たぶん』で語るしかない志郎くんは、代理人として羽原健太郎とムーンテンプルに潜る。
委員長は竹田への失恋、世界の敵が演じた世界を殺す恋への煩悶を、まだ抱え続けている。
それはいつか異能を手に入れて、世界を揺るがす歪みになってしまうかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
ブギーポップがワイヤーと口笛と死によって演じている事後処理を、ハードコアなカウンセリングによって事前に終わらせている、とも言えようか。
どっちにしても、”歪曲王”には”笑わない”の始末の色彩がある。
同時に新たな人の様々な悩みも切開され、閉鎖されたムーンテンプルの中で自在に踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
現実と夢、後悔と諦めがシームレスに切り替わる酩酊感覚は、なかなか気持ち悪くていい。アニメ版のざっくり切り捨てる演出は、幻想的な現実を行き来するときだけでなく、幻想と現実を行き来するときにもよく効く。
ムーンテンプルに閉じ込められた数多の凡人(何しろ、今回のエピソードに合成人間はほぼ出ない。寺月恭一郎は既に死んでるし)が、いかに錆びついた後悔を黄金に変えていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
その個人的な内的戦いを繋ぎ合わせて、”歪曲王”は出来ている。地味である。だから好きなのだ。
ツンツン苛立ってる咲子ちゃんの姿は、今後歪曲王の生み出した幻想に飲み込まれて、何故彼女が男の子と、世界や他人とうまくやれないかの原点へと到達していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
”笑わない”にもブギーポップにも関わらない彼女の、ありふれて哀しい思い出をアニメがどう描くか。一番気になる所でもある。
過去と現在、幻想と現実が入り乱れる”箱”として、ヴィジュアル化されたムーンテンプルはいい存在感を持っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
つまらない街の風景から、明らかに浮かび上がる白い歪み。
©2018 上遠野浩平/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/ブギーポップは笑わない製作委員会 pic.twitter.com/fIHvDQRx9n
凄くトンチキな集団異能カウンセリングが起こるには、うってつけの場所だと言える。こういうヴィジュアルな説得力が出るのが、アニメ化最大の喜びかもしれないなぁ…いい仕事やった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
”夜明け”はオープンで個人的な話だったが、”歪曲王”はクローズドで多数を巻き込む事件だ。
同じ寺月恭一郎の奇っ怪な遺産でも、六角形の病院は夜闇に照らされつつ決戦の舞台にはならず、ムーンテンプルは白昼堂々閉鎖され、全ての事件はここで起こる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
出版順はズレたが、そういう対比を楽しんでみるのも、結構面白いことだ。
展開的には序章であり、あまり沸騰したところはない。(というか、”歪曲王”はこのダウナーな温度がずっと続くエピソードだ)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
ガラスの歪みを反映し、奇っ怪に嘲笑う偽・ブギーポップの姿。
©2018 上遠野浩平/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/ブギーポップは笑わない製作委員会 pic.twitter.com/Vc5X6Yo6nJ
そこには竹田くんの歪んだ鏡像もまた反射していて、歪曲王が『問うもの』だという事を上手く見せている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
竹田くんはブギーとの綺麗な思い出を否定されたくなくて、歪曲王が演じる(竹田くんの中に確かにある)歪みを否定する。だがそれは、あくまで内面の反射なのだ。
竹田くんは”笑わない”と同じように、事件の中心には座らず、歪曲王にイビられる役は委員長が担うことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
ブギーポップと彼女のムーンテンプル珍道中は、妙なペーソスがあってかなり好きだ。今後の描き方に期待が高まる。
委員長は歪曲王に浮き彫りにされた”恋”に、背中を向ける。直視したくない、否定するべき”敵”だと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
しかしそれでは、歪曲王は消えない。
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委員長がこの閉じた箱を彷徨うなかで、自分の中の歪み、果たされなかった後悔を始末できるのか。前を向いて事件と向き合うことが出来るかは、今後描写されるところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
”歪曲王”の戦いは軒並みこんな感じで、この物語の思弁性が良く出たエピソードだと思う。ぶっちゃけ地味。だから好き。
まぁこの後、シリーズでも一二を争うド派手な敵とのバトルもあったりするのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
この閉じて容赦なく甘やかすようでいて厳しく問い倒す精神の戦いと、そういう派手な要素をどう対比させ、共存させ、いい塩梅に描き抜くかもまた、楽しみである。
”歪曲王”は徹底的に閉じた話だ。異能の怪人と向き合っているようで、人々は己の記憶と後悔を取り出され、鏡に向き合う。厳しい問いかけは全て、未来に進むための自問自答でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
だから”歪曲王”はダウナーでインナーで、派手なところがない。その良さを、丁寧に描いてくれたと思う。
そも、ブギーポップシリーズは陰気で内向きで、あんまアニメ映えはしない(話が、初期は特に多い)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
エンターテインメントと内面吐露に、架け橋がかかるちょうど転換点。”夜明け”を特番としてお出ししたのは、面白い構成であるな、やはり。
じっと己を見つめ、ふと顔を上げて『アンタもそうだろ?』と語りかけるような。”歪曲王”は上遠野浩平の言葉が孤独なつぶやきであった、最後の名残なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
そのつぶやきは不気味な泡のように世界に浮き上がって、とんでもない爆発を生み出した。その結果として、このアニメもある。
そういう静かで個人的で、辛気臭い精神性をしっかり汲み取ってアニメにしてくれていて、僕はとても嬉しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月3日
2019アニメシリーズの最後を飾るエピソードが、どういう歩調で進んでいくのか。何を汲み取り、何を焼き付けるのか。今後の描写が、とても楽しみだ。