イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

また、春が来て ─2019年1月期アニメ総評&ベストエピソード─

・はじめに
この記事は、2019年1~3月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

・マナリアフレンズ
ベストエピソード:第4話『試験期間』

やっぱ肌色サービスに時間使われるより、こんくらい静かな音量で魅せてくれたほうが、個人的な好みには合うね。

マナリアフレンズ:第4話『試験期間』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 一度完全に頓挫したはずのアニメが、奇っ怪な生命力と圧倒的なクオリティを伴って復活する。春の椿事ともいうべき奇っ怪なショートアニメは、その形式とテーマ性、表現がしっかり噛み合った、怪作にして傑作となった。
過剰な品質を分厚い物語の大河ではなく、少女と少女の細やかな感情を彫り込むことに、徹底的に蕩尽する。女と女の間にスパークする想いは、戦争と同じ熱量で描く意味がある。
そういうロマンティシズムを空疎な言葉ではなく、圧倒的で否定し得ない”質”で再現し、作品として”勝って”しまった力勝負は、やはり”神撃のバハムート GENESIS”を思い出す。(ようやく僕の好きな”アニメの神バハ”が帰ってきてくれた感じもあり、個人的な救いともなった。)

ベストに選出したこのエピソードは、パッと見の油っこさ、ライトなポップさとは相反する(ように見える)重たさで、初めて切りつけてくる話数だ。静かに展開される、目線と歩調、指先と尻尾の芝居。孤独の中ですれ違い、愛すればこそ募る切なさ。それが踊る、あまりに巨大であまりに美しすぎる世界。
『これが俺たちだ』と、堂々挨拶されるような、”名刺”のように力強いエピソード。それがあると、やっぱりお話を好きになれる。それだけの衝撃力とクオリティ…に溺れず、自分が何を書いていて、そのためには何をカメラで切り取れば良いのかしっかり考え実行する腕前が光っている。
質を過剰にするのは良いが、それで何を描くかはとても大事だと思う。パワーロスの多い、空転するクオリティは作る側にも見ている側にも無駄な負荷だと思う。しかしだからこそ、きっちり狙った場所に”質”を叩きつけれるアニメは凄いし、強い。
それが一般的に価値が高いとされるだろう、重厚なストーリーや”公”を巡るドラマではなく、徹底的に私的でエロティックな感情の領域を一瞬成立させるために蕩尽されていることが、デカダンスとエロティシズムへの強い接近になっていると、僕は感じた。
そういうアプローチが、一番最初に、一番強く見える話数だと思う。こういう詩学を堪能したくて、アニメ見ている部分が結構僕にはあるので、マナリアフレンズは歯車が噛み合う”僕のアニメ”であった。ありがたい限りだ。

 

・風が強く吹いている
ベストエピソード:第5話『選ばれざる者たち』

前回カケルを主軸に"選ばれてしまったもの"の不自由を描いたあと、一番持ってないキングを代表に"選ばれなかったもの"の孤独を書く。 なかなかいいバランスの話運びである。

風が強く吹いている:第5話『選ばれざる者たち』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ”風が強く吹いている”は、非常に良いアニメ、非常に良いアニメ化だった。原作を最大限尊重しつつも、アニメ映する独自のアレンジ、物語的再構築に畏れず踏み込み、独自の魅力を引き出していた。
動き、音、色が乗る”絵”の強さを信じ、言葉よりも表情や仕草、選手のフィジカル、走るフォームで様々なことを語る。馥郁とした映像言語が、ときに美しい美術の中で、ときに強い感情の中で鋭く迫ってきた。
10人でなければ走れない”駅伝”に、それぞれ個別の青春と絆とエゴイズムを燃やす。群像劇としての魅力を広げるべく、原作にないエピソードを随所に盛り込み、キャラクターの陰影を強める決断は、大成功だったと言える。そこからさらに敷衍して、藤岡や榊といったライバル、名もなきランナーたち、支援者や群集といった”外”に視線が広がっていったことも、大きな魅力だ。爽やかで、熱い。スポーツアニメの、青春群像劇の傑作が、ここに一つ生まれた。

ベストエピソードの選出は、非常に悩む。強い感情がうねる第10話、第13話、第16話。決戦の箱根路。決戦の合間を繋ぐエピソードの仕上がりも良い。だがあえて、顔も走りも上手くないキングにフォーカスが当たるこの話数を選ぶ。
それは僕が、あの尖って不器用で無様な青年を特に好きだというえこひいきの結果でもあるけども、才能も器量も人格も様々な十人がそれでも襷を繋ぎ、同じ飯を食って同じ道を走ったこのアニメの鋭さが、一番最初に出たエピソードだからだ。
色んなやつに、色んな事情がある。想いがある。だからこそぶつかるし、だからこそそこを乗り越えた先の景色を見れる。ここと第6話でキングにフォーカスを合わせたことで、主役待遇のエースだけでなく、トラブルメーカーの劣等生が背負うドラマにもしっかり、カメラを向けることが証明された。
その公平な意識というのは、僕は物語を作る上、人(キャラクター含む)を遇する上で非常に大事だと思う。主役、憎まれ役、敵役。いろんな役割を背負って、創作の人生は作り上げられる。そこには役割があるだけで、貴賤はない。
すべてのロールに愛情を持ち、それが組み上げる物語にプライドと知性を持つこと。僕が物語生成に求めるとても大事なものを、一瞬たりともゆるがせにしなかったからこそ、僕はアニメ版”風が強く吹いている”がとても好きだ。そういう”風”を最初に感じたこの話数は、僕にとってとても大事なのだ。

 

アイカツフレンズ!

・ベストエピソード:第28話『ひとりでもフレンズ』

画作りが凄まじくトレンディドラマであり、溢れる感情の質感も、どうみても恋愛のソレ。しかしフレンズはフレンズ。今作らしい話であった。

アイカツフレンズ!:第28話『ひとりでもフレンズ』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ”アイカツフレンズ”に関しては、去年末の話数単位で選ぶ 2018TVアニメ10選 - イマワノキワでもいろいろ喋っている。
残り1クールを残し、作品への十分な愛情と信頼を稼いで、あとはどう終わるか。そういう他イミングで書いた感想は、一年を走り終えた今でも変わっていない。むしろ勝負の”先”にじっくり時間を使い、描ききれなかった様々なものを拾い上げ、報いていく二ヶ月を体験したことで、より強まっている感じもある。
長く続くコンテンツは、いつでも難しい。積み上がっていく”らしさ”が時に毒とも霞ともなり、何を描いて何を見せるか、迷妄に沈んでいく。それでも諦めず、自分らしくそのシリーズらしい”何か”を掴もうというあがきが、大看板を支えている。
あらゆる作品がそういう努力で満ちているのだろうが、波長のチューニング、根源を支える価値観の不一致などで、上手く好きになれないこともある。あと、単純に作品としてマズかったりしてね。
フレンズはそういう意味で、幸運な形で僕に突き刺さってくれた。キャラクターには真剣さと可愛げがあり、特別に選ばれた興奮、誠実に生きていく決意が綺羅星のようにドラマを照らしていた。ロマンスの熱量が感情に宿り、ときにエロティックな色彩すら混ぜて描かれた、アイドルとしてのサクセス、人間としての成長。とても面白かった。

ベストエピソードは、去年末の選出を最後まで競ったこの話数を。ロマンス文脈をアイドルの友情に上乗せする、フレンズ独自の演出文法。その切れ味は、女の涙が海となるこの話数が一番鋭いと思う。この研ぎ澄まされた”恋に似た感情”の切れ味あらばこそ、フレンズは新境地を切り開けた。僕はそう思っている。

 

ブギーポップは笑わない
ベストエピソード:第5話『VSイマジネーター 2』

それは弱くて脆い。世界を支配する組織、その具現たる怪人に出会ってしまえば、一瞬で消える。でも、消し切ることは出来ないのだ。その、残酷な浪漫の描き方が、僕は凄く好きだ。

ブギーポップは笑わない:第5話『VSイマジネーター 2』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 2019年版”ブギーポップは笑わない”は、百点のアニメでは当然ない。省略された部分はそれなりにあるし、それはかなりコアな部分だったりする。大事なキメたる”ニュルンベルグマイスタージンガー”をあえて使わないのかな、と思ってたらあっさり口笛で吹くわ、フィナーレに大々的に鳴らすわ、色々ブレてもいた。(いや、絵画的な構図に鳴り響くオーケストラは、控えめに言って最高だったけども)
しかし取りこぼされたアレやソレを考慮した上で、とても良いアニメ化であったし、アニメでもあった。何しろ20年、サブカルチャー(から侵略して、おそらくはメインカルチャーの一部分)に大きな波を起こした作品だ。見る側も作る側も、思い入れは深かったと思う。
その上でノスタルジーに溺れるでなく、ナイーブな青春物語として、スタイリッシュな伝奇アクションとして”今”通じるように作り直したことが、ブギーが持っている躍動をアニメに落とし込み、復活させてくれた気がする。
ブギーは面白いし、かっこいいし、色々考えて『こうじゃないかな』と思っては『いや違うか……』と思い直す思弁的な歩みに、しっかり満ちている。キャラがかっこいいからこそ、あるいは現代伝奇としての枠組みが中二心をビンビンにくすぐるからこそ、霧間誠一的な何いってんだかはっきりしない、でも大事なことを確かに言ってる(これは『と思う』でも『気がする』でもない。人生に必要なことは、俺らはだいたいブギーで学んだのだ。マジで)物語を、噛み砕いて摂取し、自分のものに出来る。
物語と出会い、それが自分の大事な一部になる。ブギーと真剣に対話していた”あの時代”を、このアニメはよく蘇られてくれた。
それは原作をそのまま、過去をそのまま写し取れば命を宿すものではない。時に冒険的に何かを変え、野心を込めて描き直す。的を外すこともあるだろう。しっくり来ないのは当然だ。だがそこで、新進気鋭の気概と愛情を持って踏み込む勇気をこの作品がちゃんと持っていたことが、重たくデカい”ブギーポップ”を”今”見る意味を躍動させていた。

そんな風に見つけ直したブギーの”良さ(の一つ)”は、超常的な伝奇を扱っているのにありふれた日常に帰還する腰の強さだ。結局、僕らは僕らの心象だけで社会や”セカイ”を動かすことなど出来ない。それは僕らとは関係なく巨大で身勝手で、事態は僕らを主人公にすることなく進展していく。
しかしそんな巨大なシステムの中で孤立していようが、主役として物語の中心にあろうがなかろうが、結局は人の心の在り方が世界のあり方を決めていく。他人に優しくしたり、恋に落ちたり、いなくなって悲しかったり。そんな当たり前の感情の体温を無視して回転するシステムは、必ず何かを取りこぼす。
だから、なんでもないただの人の当たり前の話を、大事に語っていかなければいけない。

このエピソードは、主役になりそこねた少年の話だ。正樹のようにアクションもせず、恋も成就させず、何かを突破して新しい自分を掴み取ることも出来なかった、安能くんの話。失敗した主人公の話だ。(”VSイマジネーター”の”敵”である仁兄さんが、その優しさと可塑性でイマジネーター…”世界の敵”たり得なかったのと面白い照応である)
彼は己のホモセクシュアリティを覚えていることもなく、進学というシステムに流されて”いい学校”にたどり着き、四月の雪のように淡く溶けていく思いを涙と流す。
『それを無様と嗤うことは、絶対に許さない』
静かに彼の物語を追うカメラは、そういうメッセージに満ちている。他の登場人物と同じように、つまらない犠牲者であり恋の敗北者である安能くんは、ナイーブな心象を象徴的な画面の中、印象的な表情とライティングの中で切り取られている。その力の入れ方が、僕にはありがたかった。
主役脇役、敵役犠牲者区別なく、人はそこにあってそこに生きている。現れ方や個性は違い、生き死にや為し得るものはみな違うだろう。だがそこで輝く個人の尊厳と、間違えきってしまう哀しいカルマと、それでも必死に正しく優しく強くあろうとする哀れなもがきは、軽んじて良いものではない。
そういう視座があればこそ、ブギーは多くの少年少女(と、かつて少年少女だった人達)の心に突き刺さり、20年うずき続けた。その精髄たるこのアニメが安能くんを大事にしてくれたことが、僕には凄く嬉しかったのである。

 

かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜

ベストエピソード:第12話『花火の音は聞こえない 後編/かぐや様は避けたくない』

よく出来た話だ…すっごい関心。

かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜:第12話『花火の音は聞こえない 後編/かぐや様は避けたくない』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 『ヤンジャン原作アニメに、名作なし』
事実かどうかは横に置いて、アニメオタクに伝わる格言である。アレとかソレとかアレとか、まぁこの言葉読んで脳裏に浮かんだ作品が、諸兄諸姉にも一つくらいはあろう。そういうジンクスを綺麗に跳ね飛ばす、非常に良いアニメ、非常に良いアニメ化であった。
もともとラブコメディとしての骨が太く、進展したら簡単に終わってしまう恋の駆け引きそれ自身を笑いの真ん中に据えた構造が強い。スーパーリッチな背景世界とは正反対の、小市民的でみみっちい”天才”達が織りなす、駆け引き……とも言えない可愛らしい突っつき合い。お互い大好きで、だからこそ素直になれない甘酸っぱさ。
題材の生臭さを綺麗に逆転させ、爽やかな青春絵巻、大爆笑のダメ人間限界物語として構築し直す手腕は、元々が強いものだった。

そこに甘えず、アニメーションとして足を止めての会話劇をどう見せるか、しっかり工夫し見せてくれた。くどいナレーション、それなりのお色気、可愛いキャラ、シュールな背景とカットワーク。色んな手練手管をそれとなく盛り込んで、画面に飽きないよう、面白くなるようしっかり作ってくれた。一つの味になれた頃合いで、色々別の仕掛けを取り出すタイミングも完璧で、構成の見事さが光るコメディであった。
ゲラゲラ笑っているうちに、もう一つの骨の強さ、キャラクターの愛嬌と青春の爽やかさが、ジワジワと染み込んでくる。奇妙でバカバカしいが、確かに輝く友情の学び舎として、あの生徒会室はとってもいい感じなのだ。毎週見守りたい気持ちにさせられるのだ。
人間のゲスな部分をこれでもかと描きつつ、それを下に見下すのではなく、親近感を持って視聴者が降りていくような。その生々しい体温を起爆剤にして、凄く人間のピュアな部分を描けるような。よく計算され整理され、そこで終わらない熱量を宿して原作をアニメにする、とても良いお話であった。

そこら辺の上手さは短編連作の火力で心を耕されて、すっかり作品が好きになった頃合いから、鋭さを増していく。いつものように描写がすっ飛んでいくように見せて、じわじわ積み重なっていく家庭環境の描写、かぐやが生徒会にかける感情の重さ。
花火大会を巡るシリアスストーリーが、新鮮さを宿しつつ裏切りには思えない……むしろ待ってましたの必然に感じるのは、そういうところの周到な作り込みのおかげである。
仕掛けはバレれば効果が半減する。いかに『今用意しました』という顔で、張り巡らせた糸を引っ張って魔法を見せるか。そして可憐に咲き誇らせた花火をしっかりしまって、『毎度バカバカしいお笑い』に帰還し、満足感と余韻を込めて幕を下ろしていくか。物語を、コメディを作るプロフェッショナルの仕事が、この最終話には詰まっていると思う。

 

Bang Dream! 2nd season
ベストエピソード:第11話『 ホシノナミダ』

何よりも雄弁なメッセージを受けて、おたえの魂が溢れ出す。

Bang Dream! 2nd season:第11話『 ホシノナミダ』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ありがとう……”Bang Dream! 2nd season”。
ベストエピソードは”全話”です……。

 

終了!

ってしたいところだけど、一応アニメブロガーなので文字でも書き残しておく。見てねぇやつはい今! 全話見ろ!

 

バンドリ一期って、変なアニメだったと思う。作画もヘニャヘニャだったし、キャラは生っぽすぎて完璧じゃないし、ダイアログは独特の味がするし、SPACE廃業は阻止できないし。
タグをたどって過去の感想を見ると、香澄の不完全さにイライラ来ているのがよく判る。今となってはその視野の狭さが熱量の高さに繋がり、現在を未来へと突破させていく原動力になっているのだという仕組みも判るが、一期の香澄はバカで無神経である。
そういう主役のお話が、そうなるしかないのだと納得できたのはおたえ加入エピソードあたりで、その独特の肌触りが愛着となった。

クソアニメ、言いたきゃ言え。俺は娘のアニメが好きだ。

そういう思いを抱えつつ、しかしアプリで展開される物語からは距離をおいて迎えた2nd season。セルルック3Dへの変更、スタッフの大胆な変換、大規模に増えた人数。変革は蓋を開けてみれば、全てが必要なことだった。
後追いでアプリをインストールし、二期につながる過去を思い切り消化していく日々。元気に明るく、時に痛みを抱えて青春に邁進する少女たちが、一体どんな時間を過ごし、己を積み上げてきたのか。
そこをアプリから高速で補給しつつ、展開されるバンドの物語、バンドからはみ出して繋がる少女たちの想いを、アニメの中で受け取った。キラキラしていて、可愛くて、必死に頑張って”バンド”していた。
(そういう意味では、やはり第2話のRoseliaステージの存在感、キャラクターを切り取るカメラの確かさ、情報量の濃さは特筆すべきだ。あそこで詳細は理解らぬまでも非常に細やかに”何か”が描かれていたのだとハッキリ分かったからこそ、そこに追いつくために僕はアプリを読んだ。とても良い体験だったし、今後もガルパはいい体験になるだろう)

その栄光はしかし、一期の物語と切り離されてはいないかと、心のどここかで怯えていた気もする。ポピパしかいない、奇妙で愛おしい物語。不格好で、真剣で、熱かったあのアニメとは、大きく離れた洗練と巧妙を匂わせるセカンドシーズンは、楽しくもどこか、遠い匂いがした。
だが、それは杞憂だった。あの時代があって、今がある。ポピパがああして出会って、今不安定に揺れ、それでも繋いだ心を信じて真っすぐ進み、思いを歌にして届けようとしている。眼の前の物語に感動するのであれば、それは俺たちとは別の人が作った、今につながる物語あってのことだ。
そういうリスペクトが、このアニメにはしっかり漂っていて、それはサンジゲンがわざわざ作り直した一期の”回想”が堂々放送されるこの11話に、一番色濃い。一期では無敵の天才だったおたえが、人間的に……あまりに人間的に思い悩むからこそ。あのお妙が涙をながすからこそ。
この話数が物語の熱量、そのピークたり得ているのだと思う。

Roseliaの衝撃、RASとの接触、主催ライブの重み。青春を脱皮させていく様々な事件の中で、ポピパの面々は一期で(そしてアプリで)見せた『らしさ』を随所で輝かせ、またそこから離脱していく。
花園たえにとって、友情にどんな意味があるのか。第7話衝撃の”ナカナ イナ カナイ”のリフレインを背負って、『ぶっ飛んだやべーやつ』がどんだけ真摯に友達を思い、出会いを奇跡と感じていたかが見えてくる。それを上手く扱えない不器用さ……今までは”音楽”と向き合うポピパの武器になっていた個性が、枷に変わる。
一期のパンクスを抑えて、そんなおたえの苦しみを優しく見守り、自分の思いを共通言語(リンガ・フランカ)たる”歌”にのせて届ける、香澄の成長。それを受けて、想いを地面に刻み込むしか出来ない花園たえの情熱。

公園のシーケンスには、優しさと強さと青春と、生まれ持ってしまった業とそれすらも受け止めて”友達”でいることの意味が、みっしりと詰まっていた。そこにたどり着けたのは、一期の物語があったから。
その認識が焼き付いたこの物語は、あの変なアニメが好きな僕にとって、ある種の救いともなった。バンドリが好きで、バンドリアニメ一期が好きで良いんだなと思えた。形だけの慰みではなく、あまりにも強く熱い物語の形でそう背中を押せてもらえたのは、本当に嬉しい。
最高の続編であり、全く新しい魅力を引き出す新曲でもあると思う。映画、そして三期がどんな味わいを見せるか非常に楽しみだ。二期を大いに盛り上げた立役者、RASに太い物語をぜひ用意し、彼女たちの感情と”バンド”としての音を刻み込んでほしいと思う。

 

約束のネバーランド

ベストエピソード:第8話『021145』

瞳を輝かせ小さな”妹”を抱きしめるクローネは、コニーの死に憤るエマに少し似ている。哀しいまでに人間である。

約束のネバーランド:第8話『021145』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 アニメを”読む”のが好きだ。選び取られた色彩と画角、レイアウトとタイミングがどういう意図をもって、何を表現するのか。読み解いて噛み砕いていく行為が好きだから、アニメの感想を書き続けている部分がある。
そういう意味で、”約束のネバーランド”はハイカロリーな食材だった。ゲップが出るほど大量に、”絵”を食べ噛み砕くことが出来た。(ハイカロリー過ぎて自分の消化能力、表現能力が追いつかず、更新が滞ってしまったのは恥ずかしい限りだ。もうしわけない)
そういう表現の強さに溺れることなく、残酷な世界、そこに取り込まれていく人鬼の宿命を克服し、痛みと犠牲を背負って前に進み続ける子供たちの鮮烈を、ちゃんとドラマに宿していたのも良かった。
ともすれば難しいだけになってしまう表現方針だけども、重たいテーマ、強い世界設定としっかり噛み合わせて、ドラマが映像を、映像がドラマを引き立てる理想の共犯関係が、しっかり作れていたと思う。非常に面白く、ずっしりと面白かった。

そんなアニメからは、この話数をベストに選ぶ。表現という意味では他のエピソードも素晴らしく、『僕らはこういうアニメを作るから』と力強く叩きつけた第一話、深い絶望を色濃く描いた第9話、全てが心地よく決着していく最終話など、ベスト級の仕上がりが肩を並べている。
しかしやはり、シスター・クローネに敬意を払って、このエピソードを選ぶ。彼女がいたから、アニメが楽しかった。大げさに道化めいてアニメーションして、重い空気を抜いてくれた。浅はかでありつつ狡猾な中ボスとして、サスペンスを盛り上げてくれた。
主人公たちが立ち向かうべき世界のルールに、先に膝をクッしてしまった”姉”として。地獄でそれでも生きたいと願う人間として、鮮烈な表情で散っていった。ただの道化でも、倒されるために生まれた怪物でもなかった。
どっかでそういうふうに、キャラクターを軽んじてしまうことは多々あると思う。何しろ絵空事、物語を回転させるためには役割が大事になる。そういう仕事をしっかり果たしつつも、あの世界はたしかに残酷に仮想の中に実在していて、そこでキャラクターは魂の血を流し続けている。だからこそ、お話は胸を打つのだ。
そこに”人”がいると錯覚すればこそ、僕らは絵空事に感激し、心を動かして己を変えていく。面白いと感じる。第8話Aパートで展開するシスターの生と死、過去と現在(未来はない。切断されることが彼女最後の”仕事”だ)は、そういう創作の当たり前を僕に思い出させてくれた。
フィクションと向き合う時に必要な、ある種の謙虚さを思い出させてくれた感謝も込めて、第8話をベストとさせていただく。やっぱシスター好きだなぁ俺…。