約束のネバーランド 最終話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
置き去りにしたもの、先に去ったもの。様々な傷を残しつつ、子供たちは光の方へ進む。
明日へ、希望へ、自由へ。突き進む”我が子”と、取り残される”母”。脳裏に蘇るのは、いまだ少女であった頃。
さらば、愛しき我が家。さらば、愛しき我が子。さらば、母と弟妹よ
そんな感じの大脱出、約束のネバーランド最終話であります。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
物語的なヤマは先週、有象無象に見えた子供たちが実は戦士であったと判明したことでピークを迎え、後はクライマックスを急速に駆け抜けていくだけ…と思いきや、エマとレイそれぞれの信念の譲歩があったり、ママの過去と人間化があったり。
チルアウトというのは壮絶な余韻を残して、子供たちは檻であり家でもあった”ハウス”を抜け、母を置き去りにしていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
その自立と脱出の先に何があるかは二期として、人無き荒野に置き去りにされる”ママ”の思いが過去に未来に乱れ、悲壮で幻想な味わいもある最終話となりました。
エマは四歳以下の弟妹を置き去りにする”現実的”な選択肢を選び取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
それはレイが主張しギルダが継承した冷徹さを、自分のものとして引き受ける選択肢だ。
その行為がレイに諦観と自己犠牲を投げ捨てさせ、エマ的な楽観主義、博愛主義を引き受けさせる足場ともなる。
確かに魂の同志でありながら、”現実”なるものへの対処が正反対だった二人。だからこそたどり着けた一つの答えを前に、お互いがお互いを譲り合い、より善い結末のために少し時分を変える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
最終話にそういうシーンが来るのは、この物語が悪趣味で厳しい世界の中で魂を練磨する、正統ジュブナイルだから
そういう感じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
エマの決断が成立するためには、フィルくんの天才がなければいけない。
つーかフィルくん、本当に四歳? グレイスフィールドは傑物を生み出す重力場かなんか設置してんの?
栄養価の高い脳髄を生み出す英才教育の成果が、”叛逆”で証明されるのは皮肉ね…。
フィルは物分りよく”お姉ちゃんのわがまま”を聞き入れ、更に幼い弟妹と共に運命の日を待つ。そのものわかりの良さは、しかし母と世界が自分を”食品”としてしか見ていない残酷と背中合わせだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
幼ない涙をちゃんと描く筆が、僕は好き。
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ギルダがレイの代理人として、『ガキ見捨てねぇっつーならよぉ、顔も知らねぇ隣の兄弟はどーすんだよ』とツッコむところも、結構好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
エマの博愛主義は、あまりに広範であるがゆえに強く、広範過ぎる故に危うい。
全てを救うほど掌が大きくない子供が、何を捨て何を掴むか選ぶ瞬間。
未来への脱出は自分の限界点、理想が現実に膝を屈する瞬間を肯定する行為でもあり、挫折を力強く飲み込むことでエマはより強くなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
それでも、いつか。
鬼の世界を変え、同志兄弟全てを開放する未来を、エマは力強く諦めない。
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弟妹を現実に置き去りにする決断を経ても、この瞳の強さが失われないところが、エマの主役力である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
しかしこの博愛主義を”外”でも維持していくと、対話可能な鬼の人間性にも目が行ってしまい、誰を殺せば世界が良くなるのか大いに悩むことにもなるだろうな…そこに踏み込んで、決着付くのか?
それは先の物語として、エマはレイ(そして今いないノーマン)の怜悧な現実主義を内面化することで、より成功度の高い計画を選び取った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
レイはエマ(に残響するノーマンの、犠牲を最小限にする現実主義)を肯定することで、夢を観続ける甘さを自分の中に飼い続ける。
物理的シェルターでしか無かったはずの”house”は、やはり魂の”home”でもあった。幼年期を燃やす輝きを背負い、二人は少しだけ大人になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
明日に向って力強く伸びる白線が、遊びのようで戦争のようで、非常に眩しい。
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”石投げ”で未来を掴むドンが、ゴリアテに立ち向かうダビデのようで頼もしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
子供の味合いを残した”遊び”が、ママや世界に叛逆し、自分たちが人間で子供なのだと宣言する行動に繋がっているのは、非常にこの物語らしいクライマックスだと思う。
俺たちは子供のまま、この残酷な世界に勝つ。
そういう同志の決意、死せる(死んでない!!)ノーマンの意志を、瞳を閉じたレイは飲み込む。友は、やはりそこにいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
幻想と現実がシームレスに重なってるこの感じは、”母”たるイザベラとも通じていて面白い
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ジェミマを抱えて飛ぶことにした時、レイは誰か(その代表は自分である)を犠牲にする生き方を諦め、(ノーマンのように、あるいはその影響を受けて変わったエマのように)現実を噛み締めつつ理想を追い、重荷を背負う生き方を選び取った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
それでも軽やかに、子供は飛ぶ。明日の方角へと。
赤子の頃から記憶を背負い続け、人より早く大人になった(なるしかなかった)レイが、子供に戻るための儀式。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
白線とハンガーを使った”脱出遊び”には、命をかけたシリアスな匂いと同時に、そういう側面もあるのだろう。
そして、恋と友情のライバルだったノーマンへの敗北宣言も。
莫逆の友であり、エマを巡る複雑なライバルであり、冷たい現実を共に見据える同志でもあったノーマンとの、複雑な距離。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
ジェミマを抱きしめることは、彼が背負う生き様を受け入れ、膝を屈する事でもある。青い断崖の上で、少年少女はそれぞれ、今までの時分を捨て、友を引き受ける。
そんな通過儀礼に置いていかれるのが、ハウスを管理し子供を贄に差し出す”母”であり、レイの生物学的母でもあったイザベラの宿命である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
演技であり真実でもあった、子供たちへの愛。”ママ”を演じる上で不可欠な、優しさの仮面と楔。
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それが枷となって初動が遅れ、ママは子供たちの独走を許す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
燃え盛る炎は彼女のキャリアであり、ミスが許されない鬼の世界での生存でもある。尻を焦がされつつ、ママは子供を前に笑顔を作り、鋭い鬼の顔で”悪い子”を追いかけていく。
だが、その足取りは間に合わない。
シスターの回想と同じように、眼の前を通り過ぎていく現実と重ね合わせ追想される過去。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
子供たちが『友達と一緒』だからこそ諦めず、その先へと踏み出した断崖に、イザベラも一度立った。
そして諦めた。手招く母の誘惑に、身を委ねた
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エマの足を折り、現実に屈服する未来を囁いたのは、自分がそれに負けたから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
己のクローンを作り出そうとする母なる暗黒の誘惑は、幾度も繰り返され、しかし力強く跳ね除けられる。繰り返される運命を再生産せず、別の道を選べるからこそ、エマは主役足り得るのだろう。
母子共犯のリフレインから抜け出し、新しい道を探す。”家”を燃やし飛び出す最終回にふさわしいモチーフであるが、イザベラは子供(かつての自分、なり得なかった未来)と同じ場所に立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
そこがかつて堀の下の現実から手招きしたグランマとの、大きな差異だろう。
鬼の世界において”ママ”は嘘っぱちの牧場管理人であり、食料ではなく共犯者として生存を許された特別な称号でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
同時に、幼子を甘い微睡みの中で生育し出荷する日々には確かな愛があって、その人間味を切り捨てることでイザベラは”ママ”たり得てもいた。
イザベラは余裕の表情を捨て、人間の顔で子供たちに追いすがる。エマは屹然とその愛情を拒み、かつて諦めた断崖を超えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
”ママのママ”とは違い、世界の果てで肩を並べたイザベラ。”ママ”とは違い、一人でそこに立たなかったエマ
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流れていく白い未来を見据えつつ、イザベラは髪を解く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
既婚女性の象徴でもある引っ詰め髪を開放することは、貞淑から淫奔へと開放される仕草でもある。
性が介在しない鬼の世界で、イザベラは何に対し帯を解いたのか。そこに見える裸体の”ママ”は何か。
長い黒髪が見据えるのは過去であり、過ちであり、約束の子供たちたり得なかった己だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
シスターがそうであったように、少女は皆壁の外側を夢見、”母”達の巨大なシステムに膝を屈する。手招きに身を委ねる。
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”ママ”になってしまった現在と同じように髪をまとめつつ、前髪を少しだらしなく垂らしたイザベラ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
その過去は、エマとノーマン、レイの間をつなぐほのかな慕情、確かな詩情に満ちていた。戯れる蝶を、恋のモチーフに使う筆が最高
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守れなかった初恋は、木陰のひだまりに刻み込まれている。共に生き得なかったかつての恋人と、同じ場所にある我が子。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
『なんで僕を生んだの?』
レイの言葉は、おそらくレイが断崖で見たノーマンと同じように幻影だ。イメージとリアリティが矛盾なく共存する世界を、母子は知らず共有している。
かつて自分がたどり着き、乗り越えられなかった断崖。一人で行き、一人で諦め、一人で現実に落下するしかなかった場所。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
切り捨てたはずの過去が今でも自分の中に生きていて、それが”ママ”を指した事実を前に、イザベラの貌は揺れる。
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弱く脆い人間の顔(コレを見せないと、”無敵のママ”に勝って未来に脱出していくオチがスッキリハマらない)だけでなく、哀しさと静かな喜びを孕んだ表情をも”ママ”に取り戻させてあげているのは、このアニメらしい情であり、残酷さだなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
この顔になってしまったら、鬼の世界では死ぬしかない。
産み捨てたはずのレイが、かつて恋と共に殺したはずの歌を背負って戻ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
自分と同じように壁に登ったエマが、自分とは違う場所に旅立っていく。
己がすべてを犠牲に選び取った生存の道を、子供たちが乗り越えていく残酷を寿ぎながら、イザベラは確定した破滅を微笑んで飲み込む。
そこにカタルシスはあまりなく、人が人として生き得ない鬼の世界の残酷、そこでも人は人として生きようとしてしまうやるせなさ、それをなし得る子供となし得ぬ”ママ”の無慈悲な距離を、静かに思わせる運びだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
シスターが死んだときのように、ママが負けるときもまた、僕は悲しかった。
”ママ”の役目から開放されたことで、イザベラはかつて人間であった自分に帰還し、子供たちを優しく見守る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
”ママ”を止める(失態により止めざるを得なくなる)ことでしか、レイの生物的母、子供たちの社会的母にはなりえない。
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この転倒、置き去りにした犠牲を背負って、エマ達は”外”へと飛び出していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
闇の中の脱出行がついにたどり着いた、明るい光。苛烈な炎の赤ではなく、希望と重責の白い光。それが、このアニメのラストカットである。
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二期が約束されているということで、イザベラの最終的な始末、子供たちの未来は不明である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
しかし終盤、飛び立つ子供ではなく残される母の内面と過去に深く切り込むことで、逆に彼女にもう物語が残されていないことは強く認識させられた。
人間に戻れば、鬼の世界では死ぬしかない。
それが普通のことで、そのルールに膝を屈したからこそ、イザベラは”ママ”たり得、クローネは”シスター”たり得た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
祖母から母、母から姉へと繋がる諦観と残酷の連鎖を、博愛と信頼で切り裂き飛び出したエマ。その背中に呪詛ではなく祝福を乗せ、母も姉も死んでいくのだろう。
置き去りにした弟妹、顔も知らぬ兄弟。それとは別の、理想を諦め”大人”になってしまったかつての少女たちの、死を前にした祝福。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
それをエマがどう背負い、どう広げていくか。”外”での焦点を密かに明示もする、良い最終話であった。二期は公平性を巡る物語になっていきそうだ…さらに重くて難しいな。
というわけで、約束のネバーランド一期、見終わりました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
まずは謝罪を。終盤物語の分厚さ、表現の重たさに僕が耐えきれず、感想を更新するサイクルが乱れに乱れてしまいました。
見ていただいた方にも申し訳なかったし、強いポテンシャルと表現力を持ったこの作品の楽しさを伝え残ったとも思います。
そこは反省と後悔を強くするとして、いや、非常に良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
どっしりとカメラを据え、閉鎖された”ハウス”の偽りの幸福、餌食の残酷を丁寧に切り取るスタイル。
歪み、傾いだアングルで強調される不安感と、そこで脈を打つ人間の証明、濃厚な感情。毎回圧倒され、たっぷり楽しみました。
三人の少年少女にそれぞれ別のパーソナリティ、妥当性を背負わせ、クソの塊みたいな世界にどう反抗していくか、強く衝突させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
エマの強すぎる光、ノーマンの穏やかな怜悧、レイの冷たい諦観。それぞれの人格が人が人として生き得ぬ世界を見事に照らし、サスペンスを駆動させていました。
キャラの有り様が話の根源にあるので、悪趣味で残酷な世界と物語に決死の血が通い、ただシチュエーションを玩弄するだけでない、『この話を今ここでやらなきゃいけないんだ!』という切迫感が、しっかり宿っていました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
これが欠けると薄っぺらい残酷劇になっていたので、とても良かったです。
そういう血流を主役三人だけでなく、”敵”たるシスターやママ、引き立て役に思えた同志にちゃんと流したのも、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
姉も母も、かつてエマと同じ少女であり、少女であることを諦めて人食い鬼になった。その連鎖を切り裂くからこそ、エマは主役である。
そんな強い光に照らされる影のようでありながら、エマと同じく生存を強く望む主体であり、それぞれに尊厳がある兄弟たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
彼らこそが脱出の決め手となり、天才たちの思惑を”みんな”が形にしていく最後の展開は、予想せず期待していたものがドスンと押し寄せ、非常に嬉しかったです。
キャラはみんな好きですが…やっぱシスターとノーマンボーイだよなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
中盤を道化として、中ボスとして支え人として死んでいったシスター。献身と苦悩を詰め込み旅立っていったノーマン。去る人が愛おしい物語でした。
…いや、ノーマンは死んでねぇけども!
児童文学のテイストを丁寧に活かし、美麗な美術で心地よい地獄を描ききったのも、とても良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
”外”に出ることで舞台も変わって、グレイスフィールドの魔的な魅力に変わる物を作らなきゃいけないのは、二期の大変なところだなと思う。そんぐらい美術が良かった。
ママと子供たちの間に密かに漂う共犯の匂い、明示されないからこそ悍ましいエロティックな気配を、演出のスパイスとして使いこなしていたところも魅力でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
イザベラの隠微な支配、愛を鎖に変えるサディズムの描写は、ほんとエロかった。エロイの大事よね…特に暗い話では。
母と世界の用意する甘い死に抗い、ハウスという檻を抜けるまでの物語。その密閉された圧力を最大限活かし、人間の証明を多角的に、力強く描く良い物語でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
喪失も妥協も、大人になるための試練は沢山あって、それでも光を諦めない。エマは良い主役だなぁ…。
”家”の中で展開する物語があまりに良く出来ているので、そこから出た”外”で何が描けるか少々の不安もありますが、しかし公平、権利、闘争、自由…”外”だからこそ描けるものも多数あるでしょう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
そこに、一期で見せたのと同じ薄暗さと血の匂い、あふれる感情の熱量を宿すことを強く期待しています。
サスペンスフルな展開を、凝った画角とハイカロリーな表現でしっかり支え、独特の視聴感にたどり着く傑作でした。非常に面白かったです。『やっぱ神戸監督はすげーなー!』って感じ。マジ天才。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月11日
続く物語に期待を膨らませつつ、今は感謝を。
ありがとう、お疲れ様、楽しかったです!