鬼滅の刃を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
数奇な運命に操られ、常道から弾き出された鬼狩りの少年、炭治郎。
一人前の鬼滅と認められた彼は、女をさらう沼の鬼を追い、街へと赴く。腰に佩くのは日輪刀、背負うは箱入りの妹と惨劇の記憶。
果たして鬼殺隊・竈門炭治郎の初仕事、顛末やいかに?
という感じの、竈門兄妹初のお仕事・前編ってお話である。元々どっしり進むアニメなのだが、初仕事は正直一話で片付けると思っていた…が、がっしり握り込むことでしか見せれない絵もあるので、それはそれ、である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
仕事に赴くまでの”準備”に時間使ってる所とか、贅沢だなぁ、と思う。
鱗滝のおじさんは育成が終わっても炭治郎の”親”であり、彼が一人前の装いを整えるのを、誇らしげに優しく見守っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
詰め襟を止める”手”の表情から、伝わる心境。ここら辺はどっしり時間を使ったからこそ匂い立ってくるもので、このアニメ独特の表現だと思う。
そういう”静”の見せ方と、アングル凝りまくり動きまくりな殺陣…”動”の表現が同居している所が、独特の緩急、味わいにも繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
この動静をキッチリ調べこんだ大正描写が受け止め、そこになじまない”鬼”のおどろおどろしさが、無惨な差し色として際立っても来る。
普通じゃない作品を、在りモノではない表現でしっかり描く。そういう誘引が編み上げられているのは、幸福な”アニメ化”だなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
穏やかな”家”のシーンでも、カメラ配置をついつい凝っちゃう。アングルの奇妙さでクスグッてくる。
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”家”の描写をどっか心がザワザワする塩梅でまとめてるのは、炭治郎が巻き込まれた運命、鬼滅の闘争が一般的な暮らしからは遠く離れてしまっている現状を思わせ、結構好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
同時に、その奇妙さの中には安らぎがある。妹が物理的に入っているのは普通ではないが、そこにはちゃんと愛がある。
箱入り娘を背負って、鱗滝さんの思いを背に受けて、炭治郎は街に赴く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
橋を渡り、一つの際を超えて人の領域に入る。
大正時代はまだ物流基盤が河川なので、人の賑わいは水辺にある。ここら辺の史実の彫り込みは流石。
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道はまだアスファルトで覆われず、しかし電線は点を覆っている。通行く人は和装であるが、どこかに洋風を漂わせ、近代化していく日本を無言で身にまとっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
薄暗い中世の闇、鬼の住む領域と、それを駆逐して近代へ邁進する”街”。山の中では見れなかった、時代の気配。
ズバリそういうモノが見たかったので、今回の街描写には大興奮である。キャラ萌え出来るポイントじゃないし、コストかけても素直には報われない部分だけど、怠けずきっちりやってくれて非常に良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
やっぱこの時代のマージナルな感じは、ヴィジュアル的にも象徴的にも凄く良い。むっちゃ興奮する。
鬼滅の宿命を己のものにした炭治郎は、奇異の視線を気にすることなく、鬼の気配を”嗅ぐ”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
それは普通人には目に見えず、対抗も出来ない異形と、向き合うための技術。人が人でいるために、闇の中練り上げられた鬼滅の刃。
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真昼から血の色の夕、黒い夜へと時間が過ぎていく中で、人通りはなくなり、哀れな犠牲者と異形の鬼狩りはだんだん、心を共有している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
常人を遥かに超える体術、迷いのない調査。無力な犠牲者だった頃合いから炭治郎を見ていたので、その成長が嬉しい。
そして”街”の男も、鬼がいる世界に接近する。
炭治郎の嗅覚は、普通人には備わっていない特別な資質だ。これがあるから生き残れたし、これがあるから鬼と戦える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
しかしそれは彼を”街”から浮かび上がらせ、鬼や狗と同じ異種にしてしまう。”街”の青年は昼の戸惑いを捨て、同じ目線に立つ。
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膝を折り曲げ、地べたを這う。炭治郎と同じ姿勢を取ることで、青年は炭治郎が見ている…嗅いでいるのと同じ世界を共有しようとしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
この歩み寄りが、後に炭治郎を窮地に追い込む”守る戦い”に報いているようで、結構好きだ。
平和にはなじまぬ、鬼を追う狗。その目線を共有してくれる人もいるのだ
街の人は浅はかに、人のルールで鬼を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
家にいれば襲われないだろう、結界を貼れば乗り越えられないだろう。
そんな思い込みをぶち壊すように、どす黒い沼は”家”に侵入し、女をさらう。
傍若無人の狼藉を咎められるのは、同じく”街”の理から外れた炭治郎の鼻、それのみである。
沼を作り出して移動する鬼は、人の目には捉えられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
異形には異形、鬼には鬼。
人の埒を超えたものだけが追いつける闘いに、しかし炭治郎は人を背負う。人外の”鼻”を使って、卑劣な人さらいを邪魔し、守るべきものを背中に置いて、不利な闘いに赴く。
物理的に炭治郎の背中を専有している禰豆子箱は、重荷でもなんでもない。むしろ鬼神の膂力を利して、炭治郎の鬼滅を助けてくれる相棒だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
久々の禰豆キックが見れてよかったけど、あんま足を見せるのはオッサン心配になっちゃうよ…。(ジジイ目線)
沼の鬼は3つに分裂し、それぞれに人格が違う。(木村良平さんがクレイジーを好演。鬼声優はみんな力入ってんなぁ…)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
『一つの器に、一つの魂』というルールすら、異形の鬼は簡単に乗り越える。人が守るべき、命の重さも。
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綺羅びやかなかんざしが、むしろ無惨を顕にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
沼の鬼のヘイトアーツが巧すぎてビビるが、そこに家族の惨劇…人の当たり前を踏みにじられた過去を見て、炭治郎は鬼の顔になる。
菩薩のように犠牲者に寄り添い、誠実に鬼を追う。そんな炭治郎の胸にも、当然鬼は住む。感情のない傀儡ではないのだ。
その激情を『水の呼吸』で制御して、鬼を断つ力に変えるのが鱗滝の教え、炭治郎の修行である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
鬼が元々人であり、もはや人ではないこと。人でなしの所業を、自分ではもはやコントロール出来ないこと。
炭治郎の刃は常に、その哀れみを断ち切るべく、振り下ろされる。殺しが似合わん、優しい子だ…。
同じく人でなしになった…”鬼舞辻無惨”なる魔人の邪血を受けて人ではいられなくなってしまった禰豆子は、兄と同じく鬼の顔を見せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
だがその手は思い出を撫でさすり、犠牲者をすり潰すのではなく、慰撫するために伸びる。
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禰豆子の手は、禰豆子の魂から伸びているのか、鱗滝さんの暗示から生まれているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
これは禰豆子が口枷をハメられ、自分の言葉を持ちえない存在である以上、確認できない事象だ。
鬼か、人か。傀儡か、戦士か。”人食わぬ眠り鬼”がどんな自発性と尊厳をもっているか、僕らは想像しかできない。
何しろモノローグの多い作風、禰豆子も何を考えているか語って良いようなものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
だが、禰豆子は沈黙し続ける。行動し続ける。言語化された内面ではなく、解釈が難しい行いだけを見て、僕らは禰豆子を判断しなければいけない。
それは他者の肖像、そのものである。
炭治郎は底無しの善性、生粋の仏性で妹を信じ続ける。冷静に状況を読む理性と、信念を曲げない強さを両立させて、『禰豆子を人間に戻す』と思い続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
だが、禰豆子は答えない。
暗示で人間愛を書き込まれた戦闘ロボットか、心の底から人を慈しむ人鬼か。それは見ている側が判断し、信じることだ。
そんな白紙の応答可能性(Responsibility)を視聴者に投げているのは、なかなか面白い劇作だなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
鬼の異形と外道を見せられるほど、禰豆子も鬼になってしまうという不安は強まっていく。しかし炭治郎は諦めず、信じ続ける。絶望を踏みつけ、前に進み続ける。
僕らは、そこまで強くない。
でもそうやって、ウロウロと当たり前の領域にとどまりながら、超人的な決断を当たり前にこなしてしまうヒーローを羨ましく見上げ、そこにたどり着きたいと手を伸ばす行為には、結構な意味があると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
手の届かない高潔に憧れればこそ、遠い善良に向かって身の丈も伸びていくのだろうし。
一人前になった(けど、即座必殺というわけではない)炭治郎と、無言の禰豆子を見ていると、そんなことを考えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
『鬼は人間の常識を超え、とんでもないルールで攻めてくる』
そういう前提で状況を見通し、油断しない炭治郎は非常に頼もしかった。ドクサに支配されて、行動が居着くってことが無いね。
偏見のなさは戦場だけでなく、人と向き合う時にも生きている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
禰豆子は俺を食わなかった。だから人なのだ。
鬼にならなければ鬼を切れない地獄でも、人でい続けている人がある。だから、俺も人でいよう。
そういう素直さが、炭治郎の背中、作品の背骨を支えている気もする。
捻れて歪んだ部分は鬼がた~っぷり背負ってくれるわけで、炭治郎は清水のように濁りなく、人の業を持ちつつもそれを飲み込める強さを、真っ直ぐ持ち続けて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月13日
まずは目の前の、沼の鬼。背中に背負った、二人の人間。これをどう乗り越えるかである。次週、おそらく決着。楽しみだ。