※訂正
セッコとチョコラータの名前が、まるっと全部逆になっております。訂正させていただきます……が、Twitter文面を全改定するのは困難なので、申し訳ないが脳内で入れ替えてください。申し訳ない。
ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
死地! 迫る緑の地獄、地中を這い回る殺戮の蛇!
死と狂気のカップルを前に、ブチャラティは落ちる。落ちれば死ぬ。聖者の道理は、死者には通じない。
ローマ。約束の地。
コロッセオへ向かう意志は多大な虐殺の中、炎のように燃え上がる。
そんな感じのVS変態コンビ! ローマ虐殺絵巻ッ!! って感じの黄金の風。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
演出、作画、美術…全体的に気合い入りまくりのハイクオリティ回で、油と勢いの乗ったパワフルなエピソードだった。止め絵の”ジョジョ力”がスゲェ。
© LUCKY LAND COMMUNICATIONS/ 集英社・ジョジョの奇妙な冒険GW製作委員会 pic.twitter.com/d4MBc8MU2g
漁村からローマへ、『落ちればカビて死ぬ』というルールに支配されながら、一行は進み続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
死を意味する墜落に、ブチャは飲まれなかった。それが意味するのは、彼が既に死人であり、もう汚れることはない、という事実だ。
ブチャラティは死んでいる。これまで描写されたとおりに。
”死”という結末に飲み込まれるまでの、少しの猶予期間。正しい結果を掴むための過程を、諦められない男達の船。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
ローマへ向かう車内は、精密に制御されたムードでしっかり演出され、ブチャラティの魂を反射していく。
© LUCKY LAND COMMUNICATIONS/ 集英社・ジョジョの奇妙な冒険GW製作委員会 pic.twitter.com/2jwgMPF5lc
薄暗い夜の中、瞳も見えないブチャラティ。ミスタが眠りにつき、ジョルノと二人きりになって、だんだんブチャラティの目が見えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
それと同時に真実が顕になってきて、死体でしかないブチャラティが己を語る。その相手がジョルノなのは、出会いから一つの秘密…”正義”を共有していたからか。
死体が動く。背徳的な行為はしかし、執念で正義を引き寄せ、真実にたどり着くための必然でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
オレンジの街灯が撫でるように死者の頬にかかって、夜闇の強さが薄れていく。死という絶対的な”結果”は、正義を求める”過程”を塗りつぶしてしまうものなのだろうか?
NOと、このシーンは静かに告げる。
道半ばに倒れたアバッキオも、死のただ中にいるブチャラティも、”正義”を掴むだろう幾人かの生存者も。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
皆同じ志、光を求めて共に歩いた。地平線の彼方、微かに浮かぶ島のような明かり。たどり着けるかわからない曖昧な結末を、それでも真実と思いつめた。
ブチャラティは死してなお、その道程を諦めきれない。かつて魂にやどり、腐りかけてジョルノの”黄金の風”に蘇らされた光が、偽りだとは思いたくない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
死体によって中断される道のりの果てに、甘く美しいローマが輝いていること。それが黄金であること。
同時に、儚い夢に似ていること。
死人であり、生者でもあるブチャラティが今どこにいて、何を目指しているかを上手く表現するシーンだと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
この幻影が真実だと思ったから、ナランチャは人生のどん詰まりから出てきて、自分で舟に乗ることを決断した。ブチャラティの見る幻影を、真実と信じたのだ。
好奇心。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
セッコが世界を動かす唯一の動因と信じる領域を、ナランチャはもう飛び越えている。知りたいと思う段階はとっくに終わっていて、信じるという結果だけが彼の中に宿っている。
だから、死んでも怖くない。立派にやり遂げたと思いながら、あの男のように倒れていける。
トリッシュはその段階にはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
失った父性と正義を体現してくれるかもしれない。そういう希望をブチャラティに投げればこそ、ボスと同じ冷酷さ、セッコのように生死を蔑する生き方が、ブチャラティを支配しているとは思いたくない。
だから、知りたいのだ。ブチャに惹かれた自分が、何を夢見たかを。
それを確かめる行為は、セッコが生死を窃視する視線とは正反対だ。自分の欲望を満たすために、肉眼ではなくカメラ、自分ではなくチョコラータに観察させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
その安全地帯からの玩弄は、例えば”死の空爆”にも通じている。
© LUCKY LAND COMMUNICATIONS/ 集英社・ジョジョの奇妙な冒険GW製作委員会 pic.twitter.com/auwQKonV9n
反撃を受けない距離から、生を略奪する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
ギラついた好奇心が一方通行でないことを思い知らせるべく、ジョルノはミスタの銃を自分の手で握り、樹木という”生”で反撃する。
そんなに知りたいなら、教えてやる。命がどれだけ力強く、お前らの邪悪に噛み付いてくるかをッ!
そう言わんばかりの合体技であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
射程距離という限界点に諦めそうになるミスタを、ジョルノの言葉と能力、直接介入が超越する所がとても良い。
それはかつて、ブチャラティを殴りつけて奮起させたのと同じ、魂の再生なのだ。上から死をばらまいていては、たどり着けない尊さなのだ。
落ちれば腐敗する。泥にまみれて死角から襲う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
殺戮に一切の躊躇なし、最悪のコンビの能力は、その精神性を反映し卑劣で邪悪だ。
カビ、あるいはドロ。汚いものが世界のすべてだと、綺麗なものなどどこにもないのだと、暴力を持って諦めさせてくる凶悪なパワー。
エピソード内部でも語られていたが、スタンドはキャラクターの精神を反映する。スタンドバトルはそのキャラクターが抱える世界認識のぶつかりあい、譲れない価値観のバトルでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
血湧き肉躍る少年誌異能バトルをしっかり描きつつ、同時に抽象の闘いを覆い焼き出来たのは、本当に大発明だよなぁ…
例えば、麻薬を売る。トリッシュを諦める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
『落ちる』ことはいつでも出来たが、ブチャラティはそうしない。そうすれば、魂が腐って死ぬことは理解っていた。ジョルノの一発が、その真実を呼び覚ました。
その生き様を貫いた結果として、ブチャはローマに向かい、死んでいる。
身体が死んでいるのに、高潔な目的のために闘い続けるブチャ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
肉体が生きているのに、魂がドブゲロ以下に腐り果てているセッコ(とボス)。
人の価値は物質的な表れではなく、精神と行為によって証明されるということを、この対比は強調してくる。
冒頭のキ印おもしろ漫才はマージ面白いんだが、同時にチョコラータが油断のならない強敵だと見せるシーンでもあり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
クレイジーな妄愛を見せる角砂糖キャッチは、吐き出した石でピストルズをはねのける暴力の伏線でもある。
© LUCKY LAND COMMUNICATIONS/ 集英社・ジョジョの奇妙な冒険GW製作委員会 pic.twitter.com/Rd9U7bmn3A
シリアスな状況で顔を見せる、突然の笑い。そんな道化師たちが叩きつける、狂った暴力。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
ローマ市民大虐殺の『笑うに笑えなさ』は非常にジョジョ的だ。ホモ・エロティックでコミカルだったはずのセッコ&チョコラータは、犠牲の意味を一切考えないどす黒い悪でもある。悪でも、笑えてしまう。
そのどうしようもなさは、『虐殺を止める』と一言も言わないギャングスタと背中合わせだったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
俺達は悪党。”正義”を目指すとしても、車は盗むし人は殺す。
空から死をばらまく悪魔を殺すのだって、誰かのためじゃない。あくまでコロッセオで待つ、情報源を失わないためだ。
偽悪…とも少し違う現状認識を、誠実と言って良いのか。悪党の生み出す笑いと同じく、主役が背負う悪の陰りもまた、単純なジャッジを許してはくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
その明暗同居する歩みこそが、やっぱ五部の醍醐味、エッセンスだと思う。ローマ激闘は、それが一番出る勝負の一つじゃないかなぁ…。
そういうエピソードにしっかり力を入れて、力強く表現してくれたのは感謝しかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
映像のパワー、カッティングの巧さも良いんだが、劇伴の強さ、差し込むタイミングも絶妙なんだよなぁ…ブチャがゾンビ真実を語るところのオーケストレーション、非常に良かったです。
短いカットなんだが、トリッシュがナランチャをケアしてる描写が入るのが好きで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
目の前で人がカビに食われる異常事態でも、名もなき青年は犠牲者を助けようとした。誰かが誰かを思い、手を差し伸べる”仁”の心。
© LUCKY LAND COMMUNICATIONS/ 集英社・ジョジョの奇妙な冒険GW製作委員会 pic.twitter.com/Vxe9T4L3AV
それが人間の本当の光で、しかしそれは簡単に陰ってしまうことが、”医師”でもあるセッコを敵にすることでよく見える気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
ナランチャは『トリッシュは俺だ!』と叫んだ。ならばトリッシュがナランチャに優しくすることは、自分に優しくすることでもある。
そうやって誰かの手を取れることが、どれだけ力強いことなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
チョコラータの傷ついた顔面を、セッコは気にもとめない。ケアしない。
距離の近い、遠いだけではなく、そこには精神の在り方…目の前にある真実に、どう向き合って生きてきたかが反射されている。
常に、具象は抽象の鏡なのだ。
トリッシュはナイーブなクソアマから、父に見捨てられる絶望を経て、スパイスガールズに目覚めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
誰かを守り、自分のために戦う。恐怖や欲望といったどす黒い感情を否定せず、認めた上で乗り越える道にジャンクションを切り替えた。
セッコにも、そういうチャンスがあったのだろうか?
多分あって、それを無視した結果として極悪医師がいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
変化の兆しに対して素直に開かれていること。誰かが変化できるチャンスに、手を差し伸べること。
それはジョジョ全体でも、五部でも大事にされている。それが大事だからこそ、ミスタとの合体射撃が今回ある。
ミスタとジョルノは、出会ってから本当に短い時間しか経っていない。しかしそこでぶつかりあった魂の火花、見えた真実は何よりも強い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
最初は最悪の出会い、死地を共に乗り越え、二人だからこそ限界を超え、変化できた。生命が持つ可塑性を賛美すればこそ、GEは”命を活性化する能力”なのだろう。
しかしそんな”ゴールド・エクスペリエンス”でも、終わった結果は覆せない。ブチャラティは死んでいる。二度と蘇ることはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
だが『結果ではなく過程こそが大事』ならば、確定した死が男の歩みを弱めることはない。
むしろ僥倖、己の信念を天が愛した証明として、残された道のりを走り抜けるだけ。
そんな静かな覚悟、己の魂と人生を愛する気持ちが、静かに伝わるドライブでもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
あのシーンほんとに良いな…ジョルノが『こんなのってないよ…おかしいよ!』と叫びたいまどか顔を隠して、必死にギャングスタ顔してるのがいい。ハードボイルドはツンデレ。
大興奮の激戦をしっかり描きつつ、キャラクターの心魂、作品の精髄を味わい深く掘り下げる、静と動の同居した見事なエピソードでした。とっても面白かった!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
五部アニメはクオリティの高さをしっかり握り込んで、刺さる形で振り回してる感じするね。見定めた勝負どころで、しっかり”勝ってる”印象。
高空から死を撒き散らす、狂えし腐敗の王。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月17日
地中を這い回る、邪悪なる蛇。
許しちゃおけないゴミクズは、しかし簡単には屠れない強敵中の強敵。
ローマを舞台に、それぞれの魂が焼き付く激戦はまだまだ続く。
いやー、五部アニメまーじおもしれぇな…来週が楽しみですね!