どろろ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
乱世無惨の日々から、流れ流れてツンデレ村…。土六アニメの萌え萌えヒロインみてーのが、チョロいムーブでかき回す!
NO出血、NO人死!
『こんなのどろろじゃない!』と叫んだお前! 心の底では、こういう平穏を待っていたんだろ…?
そんな感じの変化球…っていうか魔球回。散々因業と無惨を積み上げてきたどろろが、思い出したようにぶっ放す萌え萌えすれ違いコメディ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
唸る境コンテ(”ゾンビランドサガ”監督)、どっかにぶっ飛ぶ飢餓と戦乱。かわいいかわいいおこわちゃんとどろろちゃん。たまにはこういう話もいいよね!
そんな塩梅のエピソードであった。とにかくゲストヒロインのおこわちゃんがちょろ可愛くて、”強い”キャラデザを活かしたむせ返るような萌ムーブをたっぷり堪能。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
血と涙はたっぷり啜ったんで、たまにはこの萌原液が…ありがたい…。そんな感じ。
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こういう魔球を投げておきながら、作品の背骨と民俗の体幹には揺らぎがないのが”どろろ”で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
しらぬいを巡る物語をくぐり抜け、他人を見ること、聞き語ることの意味をしっかり受け止めればこそ、今回百鬼丸は騒動に巻き込まれる。
ギャグをやるには、ある程度の人間性がいるんだよ!
冒頭、百鬼丸は”馬”に拘る。それは人間がモヤッとした魂の影ではなく、個別の事情と考えを持った個人だと認識できるようになったから、生まれる笑いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
おこわの頬を掴んで、個別の質感を確認したがるのも、そんな獲得(あるいは再獲得)された視野の補助といえる。
見ること、主体として確認することだけでなく、誰かの客体となって応答することにも、今の百鬼丸は興味が深い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
コール&レスポンスの能力、コミュニケーション能力が、一旦介助者(外付けのコミュニケーション器官)であるどろろと離れたことで、よく考察され発達したわけだ。
今回の天の邪鬼騒動は、外側にあるものを受け取り、内側で育ったものを伝える能力が、百鬼丸に育ったからこそ成立する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
過去のように機械の顔で全てをぶった切っていたら、コメディは成り立たないのだ。万代、あるいは似蛭の始末が、『相手の声を聞かない』ことで成立していたのとは大違いだ。
裏腹な態度というのは、”裏”が生まれるほどの”表”があって初めて成立する。長い旅路を経て、百鬼丸の人格にも陰影が付いたからこそ、思いと行いが逆転する不思議に巻き込まれもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
それは鬼神を殺せば獲得できる生有器官ではなく、経験によって発達する精神装置なのだ。
今回の萌え萌えコメディっぷり自体が、今までの”どろろ”の逆打ち、天の邪鬼な裏切りとも言えるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
トンチキで甘口なサーフェスを持ちつつ、今まで以上に色々考えられたエピソードだと思う。まぁそうは見えないけどな!
例えば毘沙門天に捧げる供物の量。これを見ることで、村が豊かで、今までの飢餓と略奪のルールには支配されていないことが判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
美味そうな鯖寿司(古式では”寿司”は押し寿司、熟れ寿司になる)、立ち上る竈の煙。
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村はコメディを許容してくれるほどに豊かだ。今までの”どろろ”に流れていた中世の残忍な血が弱まる程度に現代的、と言っていいのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
そこら辺のムードを、暖色の色彩選択と柔らかな輪郭線でしっかり感じさせるのは、見事な運びである。必要な緩急をしっかり見据えて、”絵”に焼き付ける技量
そんな場所に血みどろ妖怪殺しは似合わないので、今回のお話は武器を収め、恋が転がる話になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
恋を顕す吹き出しがマージかわいいが、どろろが天の邪鬼に乗っ取られた時、ちゃんと吹き出しの形が変わっているのが細かい。
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おこわちゃんのグイグイムーブに、トゲトゲした感情を出すどろろ。天の邪鬼に踊らされてどろろを殺しに行った百鬼丸。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
トンチキな状況で、二人の間に芽吹いている感情は静かに描画される。この豊かな村では笑いになっている感情と関係が、荒野ではおそらく地獄を呼ぶ。今回はその前駆でもある。
天の邪鬼の呪力を跳ね除ける足場として、面打ちの魔力が今回使われている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
面(あるいは”表”)は”私ではない誰か”の力をおろし、形をなぞることで力を手に入れるための呪具でもある。
火男、あるいは空吹。鍛冶と欺瞞のお話には、相応しい面といえる。
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天狗面を被る刀鍛冶によって、どろろはほっかむり(”盗人”をキャラクター化した、顔を隠さない”面”)を脱ぐ。本物の泥棒になりかけるところを、上手く素面(”しらふ”、あるいは”すおもて”)に戻ることが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
注連縄は破邪顕正、悪鬼の嘘を寄せ付けないバリアとなり、どろろは嘘なく対話する。
どろろは戦乱(この村、このエピソードの”外”に広がる本道)の刃を嫌う。人殺しの武器でしかないと厭う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
しかし刀鍛冶はそこに、戦乱を収める示威の象徴を見て取る。そこにあるだけで、人の邪な気持ちを切り伏せてしまうような、伝家の宝刀。抜かれないことにこそ意味がある、優しい暴力。
乱世を生き抜く中で育ってしまった思い込みを、虚心坦懐な語り合いで壊し、新しい発見と価値観に飛び込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
これは第6話でミオ相手に行っていたものと同じであり、どろろはやはり、外側に拓けて新たに己を作っていく新世代の希望、そのものである。彼女と接することで、百鬼丸もそうなっていく。
刃を直し、怪物を切り伏せる力を再獲得するエピソードであると同時に、刃を収め、もう一つの可能性に向き合う今回のお話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
決着もまた、刃を奮って血を流すのではなく、毘沙門天の正しい形を取り戻し、その権能で悪鬼を抑える方向へと進む。
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毘沙門天は正しい真言を捧げられ、正しい位相を取り戻すことで、平和を守護する力を取り戻す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
これは顔を削られ、正しさを破壊されることで役割が逆転してしまった第13話の白面不動、その逆さまと言える。乱世に於いても、仏道は無力ではないのだ。
毘沙門天と鍛冶集団の繋がり、『Oṃ vaiśravaṇāya svāhā』という真言。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
アホエピとして考察緩めてもいいところを、きっちり踏んでいるところは流石である。
漂泊のアウトサイダーたる百鬼丸は、祝言をあげて村の一員になることは出来ない。それは一時の気の迷い、あくまでコメディの一膜でしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
”家”の中で行われる、正式な盃事。他人が家族になるための儀式を、百鬼丸はその”外”から見上げる。
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百鬼丸がおこわの夫になれないように、おこわも百鬼丸の鞘にはなれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
凶器を取り戻した百鬼丸に人と触れ合うための義肢を与え、その鋭さを和らげる役割は、やはりどろろの担当。鍛冶と語らい、刃の新しい意味を見つけたことで、その抑えはより適切になる
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『殺す』という今までのルールが、天の邪鬼の呪力で逆に捻じ曲げられた時。百鬼丸はどろろの首を絞め、開放されて抱きしめる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
そんな裏腹を(無自覚に)演じることが出来るくらいには、百鬼丸の心根は育ち、どろろとの間には特別な関係が生まれているわけだ。
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次回からはまたいつもの無惨が襲いかかり、今回のほっこりゆるふわコメディを懐かしく思うのだろうが、今は特別な奇瑞を、ただ喜びたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
こんな当たり前の笑いを、怪物殺しの鬼子が出来るようになった。斬らずとも、話を収められるようになった。そういうお話なのだと思う。
豊かで穏やかな村、最後の名残が四人を包む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
刃の清廉な可能性を信じ、槌をふるい続ける父。新たしい幸福に、笑顔で進んでいく娘。
一瞬の宿り木を離れて、凄惨無比な運命に漕ぎ出していく旅人。
残るもの、去るもの。全てを青空とつがいの秋赤音が見守っている
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このアニメは空や道、水平線で終わるエピソードが多い。それは”先”を見据え、話(キャラクターの人生)が続いていく印象を強める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
お互い支え合い飛んでいく秋津のように、どろろと百鬼丸の旅は続く。今回の珍騒動、知らず近づいた恋の意味は、広がる未来でどんな意味を持つだろうか。
番外編、特別編と切り離してもいいが、しかしこのお話にたどり着けた意味、このお話で手に入れたものは、待ち構えるシリアスの中で小さく、しかし確かに輝いて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
そんな気になる、とても楽しいエピソードでした。たまにはこういう話もいいよね!
あ、特別なお話だからこそヒロインの名前が”おこわ”なのは、死ぬほど面白かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
ケの日に炊いて食べる”姫飯”にたいし、ハレの場では蒸して食べる”強飯(こわめし)”が出る。これの最も一般化した形が”赤飯”である。あるいはもうひと手間加えて”餅”か。
”お強飯(おこわめし)”が女房詞として変化して”おこわ”(”お田楽”が”おでん”、”お鳴らし”が”おなら”になるのと同じ)であるから、彼女はスペシャルなエピソードを祝福する大事な象徴として、その名前をつけられたことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月21日
コメディやれるようになった百鬼丸の変化を寿ぐ、いい名前だ。