K
KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
溢れるフェミニン、軋む世界。
あるがまま。闊達自在の境涯に、少年が飛翔するまでの切なる助走。
乙女オーラ全開な西園寺レオの中にある、断絶と断層。
なりたい自分、なるべき自分を掴み取るべく、心の翼で今すぐジャンプ! フェアリル☆マジック!
そんな感じのレオ回である。過去作品への目配せが今まで以上に強烈で、色々懐かしくなってしまうけども、レオ個人の、そして"今"の物語としてしっかり、自分たちが語るべきことを語っていたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
プリリズ、プリパラ、アイドルタイムにラブライブ…ほんと引用多かったなぁ…。
最初にそこら辺触っておくと、シンは"僕らは今のなかで"でカケルのモロに音ノ木坂の制服だし、∀<sのポーズはモロに『ファイトだよ!』だしで、京極監督いるからってやりたい放題である
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
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プリズム文脈が濃いのは直系なのでOKとして、ラ! は会社違うやろがい! とか思ったけども、思えば穂乃果も『なるったらなる!』ってよく言ってたし、自己表現としてのステージング、飛躍する憧れという意味では根源が同じではある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
足と肩の書き方が容赦なく"男"なの、結構好きよ。
他にも御徒町くんがアイドル委員長リスペクトだったり、レオがジャンプに夢を見るようになったのがおとは経由だったり、姉さま達はモロにドロレオだったりで、文脈が忙しい。
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しかし過去作の引用でタペストリーを織ることに満足せず、活きたキャラクターとしてレオが何を考え、何を受け取ったかをしっかり描いていたのは、非常に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
レオがおとはからきらめきを受け取って、いじめの地獄から飛び立てたことは、RL視聴者としては感慨深い。
おとはも『本当の自分』へジャンプする勇気がなかなか出せない子供で、しかしみんながブルる中一番強い芯を持って飛んだのが、レオの見ていたステージである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
その輝きは現場の少女アスリート、生の観客だけでなく、遥か彼方の少年にも夢を見せた。
"フェミニン"属性のおとはのジャンプが、可愛くても拒絶されない…むしろ肯定される世界を知り、飛び込むキッカケになりうる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
そのジャンプを受け継ぎ、あるがままの自分をステージで見せたレオが、姉さまたちに勇気を与える。
そんな継承がしっかり描かれていたのは、非常に良かった。
プリパラにおいて、レオナはレオが受けたようないじめを受けていない。それは多分製作者が、まだ世界認識が固まりきっていない児童に(メインで)届ける作品において、『こうあるべき』と固着した偏見でもって、誰かを傷つける描写を見せたくなかったからだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
ファンタジーだからこそ、あるべき未来の形を堂々歌うことが出来る。お伽話だからこそ、為すべき美徳が当たり前に存在する世界をかける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
プリパラはそういう『子供向け』の特質にずっと自覚的であったし、レオナの書き方は特にそういう意識が強かった。
ではその継承者であり、深夜帯に足場を移したレオの描写は"後退"しているのかと問われれば、けしてそうではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
それは同じ認識、同じ美しさを、別の角度…人間がどうしても抱えてしまうエゴや薄暗さから照射した描写なのだと思う。そして人派、そういう陰りに囚われなくても良い。跳べるのだ。
冒頭、カヅキは照れ隠し混じりで、『女装で勝たなければいけない!』と吠える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
本来なら女装したいやつがして、勝ちたいやつが勝てば良いわけだが、ここでカヅキは新しい伝統、別種の強制力を無意識に作り上げてしまっている。
普段はフリーダムフリーダムうるせぇ癖してよぉ…。
いかにも"フェミニン"なレオは『新たな伝統』を果たす主戦力として、強く期待される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
しかしかつて心配をかけてしまった姉妹が来訪し、彼女たちのためにレオは"男"を装う
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普段女性的な装いをナチュラルに着こなすレオが、タイガから"男らしさ"を借りる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
当然のものとして男性性を着込んでいる少年たちが、祝祭を前に女を着飾る。
カーニバル的転倒、あるいはねじ曲がった優しさと強がりは、風呂の中で平和に脱ぎ捨てられる。
ユキ様のエピソードでも、あるいは劇場版でも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
風呂場は肌色サービスノルマをこなす便利な場所であり、『胸襟を開いて、裸になって』真意を見せ合う聖域でもあった。
ユキ様のときは年長組がバチバチぶつかったが、今回は全員同じお湯に浸かり、素直に心を通わせるhttps://t.co/C3FeyluKkO
お姉さま方をキャーキャー言わせるセクシャルなツッツキに、かなり濃い目の象徴を背負わせて使い倒す強かさが、このアニメらしくて好きである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
レオは素直に私室を公開し、仲間に自分の過去、自分自身をを見せていく。"あるがまま"に近づいていく。
素裸の自分を肯定する領域に、レオナは物語の開始時からたどり着いている。そんなレオナの在り方を、プリパラ世界も素直に受け入れていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
世界と戦うために、あるいは自分が自分であるために。男の装いを選び取った紫京院ひびきに、『何故?』と問われた時。
レオナは衒いなく『あるがまま』と答えた
形と魂を継承しつつ、作品の立場もメイン客層も創作者も異なるこの作品では、レオが”あるがまま”にたどり着くまでの物語が話の軸となる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
それはつまり『なかなか"あるがまま"にはたどり着けない』という前提あってこその、必死の道のりだ。偽りを着込んだり、裸になったり忙しい。
その複雑な歩みは、最初から答えにたどり着いていたレオナ(≒児童向けであるプリパラ)が踏み込めなかった領域であり、今回レオが飛び込んだ葛藤はすなわち、明確には語られなかったレオナの過去、その陰とも言えまいか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
プリパラのファンとしては、どうしてもそういう視点で(も)見てしまう
今回のサブタイトルは、ウォルト・ディズニーから。
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『逆境に咲く花は、何よりも貴重で美しい』
それはジャンプと出会うことでれおの中に咲いた花であり、ジャンプで皆に咲かす花でもある
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なりたい自分と、周囲の視線のギャップ。それは挫折や偏見、暴力を呼び込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
性のグラデーションに悩んでいても、いなくても。レオのステージを見た百万の人の中に、それぞれの逆境があろう。
そんな苦しさの根源…咲かない花を抱えている辛さは、皆に共通なのだと思う。
家族の理解とジャンプとの出会い、ユキ様というロールモデルとの邂逅、友情の獲得。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
レオは色んな助けによって、自分の中の花を開かせた。己を肯定できるようになった。陰りからこそ咲く花の、痛みと輝きを知っているスタァだ。
だからこそ、彼のメッセージ性の強いジャンプは、様々な人に届く。
(今回の商店は性自認ともまた少し違う、複雑で繊細な色合いの話であるとは思う。レオにとって重要なのは『女の装い』であり、男性を性の対象としうるかは不明だ。自分が可愛いと思えたものに身を包む。それだけのことを、世界は時に『あるべきではない』と断罪する)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
西園寺の両親がぶっ飛んでるけど強く、優しい人だったのはとても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
息子の辛さを受け止めて涙し、逃げ道を用意してあげる。生きていることを無条件で肯定し、『そうか、そうか』で飛躍の足場を作ってあげる。
多かれ少なかれ悩む"家"の桎梏から、レオは結構自由だ。ありがたいことだ。
レオにとって"女形"であるユキ様との出会いは、すごく衝撃だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
自分が石を投げられた『女の装い』が、一つの芸、一つの文化として堂々演じられる領域がある。媚と艶、可愛げと可憐を男が背負って、何ら恥じることのない世界がありうる。
シンプルにユキ様の顔の良さに見せられたと同時に、その生き方がある種の救いだったからこそ。二人の繋がりは劇場版段階で濃く、個室に踏み入る特権もユキにはある
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
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年長組の頼もしさ、横のつながりが随所で顔をだすのは、スッスッスの良いところだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
カバン持ちを買って出る可愛い後輩を、難からず思いその闇を引き受けるユキ様の侠気がしっかり見れて、今回とても良かった。梨園が長いからか、面倒見結構良いよね…そこ好きよアタシ。
二人きりの秘密だった時、私室は暗く人は少ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
裸を見せれる戦友を招き入れ、自分の過去を語った時、世界は光に満ちている。
そこからレオは、かけがえのない家族へと旅立ち、向き合う
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ヴィヴィッドカラーの超ぶっ飛びだけども、西園寺家は明るく優しい。自分をここまで守ってくれた、大事な場所。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
そこでレオは、自分の気持と向き合う。自分を育んでくれた豊かな故郷と向き合う。可愛いが沢山あって、フェミニンで華やか。そんな場所が好きだという、"あるがまま"の気持ちと。
姉さまたちの抱えるギャップ、世界と自己認識との軋みは、理想と現実の断絶から生まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
これは前回のミナトエピと繋がる部分で、だからこそ今回、ミナトが『帰ってくるんだよな?』と問うていたのが感慨深い。もう、故郷に戻ろうと考えていた少年はいないのだ。
レオのステージは、中性的な魅力と凛々しさを強調したグリーンの衣装から入る。なりたい自分へとジャンプで、華とスカートのフェミニンな味わいに変わるそれは、偽りの仮面なのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
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そうではないと、僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
かっこいい自分も、かっこよくなりたいと思えた自分も。
可愛い自分も、可愛くなりたいと願う自分も。
全てがないまぜに虹を描いて、"あるがまま"なのだ。
そういう気持ちになれたから、レオは家族をステージに呼び、自分のすべてをそこに込めたのだと思う。
レオは衣装担当なので、ステージの中で"装い"がどんな意味を持つか、一番強く知っているキャラだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
そんな彼が、塗り替えられ変身する者だからといって、最初のハンサムなスタイルを『捨てる』とは考えられない。それはステージを、自分自身を構成するとても大事なものなのだ。
それがあって初めて翼が生え、空を舞い、花を咲かせることが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
自分の胸にフェミニンスプラッシュが届いて、ゆっくり向き合うことが出来た華を誇ることが出来る。
唯一絶対の真実で何かを切り捨てるなら、自分を切り捨てにかかった世界と、多分同じことだから。
凛々しい自分も自分だ。
そんな気持ちが、可愛いに包まれていた過去の自分、女の装いに魅力を感じる今の自分、無限の未来に飛躍する未来の自分と、密接に繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
それこそがレオのたどり着いた"あるがまま"なのだと思う。迷ったこと、傷ついたことを正面から描いたからこそ、その輝きは強い。
そんな境地を、ファンもしっかり解っている。だから『カッコイイ』と『カワイイ』が同時に歓声として出てくるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
レオがたどり着いた"あるがまま"をステージに出すことで、それはステージを飛び出し認識を変え、世界を変えていくだろう。第二、第三の西園寺レオが苦しまなくても良くなる未来も来る
それはあくまで副次的な効果であって、レオ自身はスタァを目指し、ただ眼前のステージに飛ぶ。そんな真摯さもあって、ステージ前の凛々しい表情であったように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
ただ高く飛ぶ、自分らしく飛ぶ。その一心不乱のエゴイズムだけが、世界を変えうるしなやかな優しさに到達しうる瞬間は、確かにある。
そういうエピソードだったのかなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
オリジンたる"レオナ・ウェスト(とプリパラ)"をしっかり見据えた上で、"西園寺レオ(とキンプリ)"だけのアンサーを、堂々答える物語だったと感じました。非常に良かった。
まープリパラおじさんだからね、どーしてもこの角度で見ちゃうわ。
"フェミニン"とは程遠いストリート系スターを、ギャップと笑いでくるみつつ上手く使っていたのも印象的でしたね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
タイガは自分の中のトキメキを『らしくない!』と否定しにかかり、だからこそズブズブのめり込んでいく。突っ張ってても、涙には勝てない…優しさ二億点ボーイじゃんッッッ!
アレクのトレーニングルームにチラシが舞い込んできたときは『ここ高層ビルやろがい!』と突っ込んでしまったが、なんだかんだ女の装いに挑戦してみる辺り、彼の中の『らしさ』の鎖も弱まってる印象。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
映画二作目での大破壊は、"らしさ"に縛られた結果だと思うんだよねぇ…再来週が楽しみ。
あとレオから見たシンちゃんがしっかり描写されて、彼が映画二作で守ったものの意味が太くなったのは、とても良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
レオにとって、エデロ廃校って『また』で。いじめで居場所を略奪されたのと同じく、友情と夢が潰えるピンチだったわけじゃないですか。シンはそれを跳ね除けてくれた。
シンの成し遂げた英雄的行為が、その当時は深く掘られなかった周辺から再構築されることで、過去作の意味合いが変わっていく。深まっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
そういう意味合いも、スッスッスにはあるかなぁ、と思います。
自作の文脈見据えるの含め、かなり批評的営為だよね、菱田作品。
過去の土壌を掘り返すことが、豊かな花が開く土台にもなる。レオの物語を満たした過去作への眼差しは、自分自身にもしっかり向いています。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
それが今後展開する少年たちの物語で、どう生きるか。どんな"あるがまま"を見れるか。来週はゼウスの物語、非常に楽しみです。
追記 名前に込められた祈りを、『かくあるべし』と自分と他人を縛る呪いに変えないのは、やっぱ難しいわけよ。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
"レオ"の名前に獅子の理想を込めただろう父が、そこから離れたカワイイ少年になっても一言も『こうあるべき』と責めず『そうかそうか』で受け止め、一緒に泣いて飛び立たせてくれたの、あんまりにも人間が太くて泣いてしまう。出来た家族だよな西園寺家…。
かっこよくても可愛くても、レオがただそこにあってくれるだけで父母には幸福なんだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
そのうえで、息子がたどり着いた個別の輝き、かっこよさや可愛さを心底寿ぎもする。仕事が仕事だけに、審美眼高いだろうしね。
そういうご両親への恩返しという意味でも、今回のステージ良かったねホント。
あ、コンテストで『いいぜ! いいぜ!』うるさかったのもダンプリ文脈か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年5月27日
あの世界の聴衆もいい感じにリベラルで、『かくあるべし』の鎖を楽しみながら解いていったけども、あの学校の生徒もそういう感じなんかね。ええことだ。