どろろ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
運命は大河のごとく流れ、人を運ぶ。戦乱、飢餓、略奪。鬼神の加護によって醍醐から遠ざけられていた理不尽が、怒涛となって国を襲う。
貴種はその勤めを果たすべく持たざる者から奪い、その子は血族を切り果たすことで証を立てようとする。
その流れに逆らう、獣が一人…否、二人。
というわけでクライマックス開始! 初手から地獄にてつかまつる!!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
そんな感じのどろろ第二十一話である。
いやー、ジャブにしては重すぎ、痛すぎ、血が流れ過ぎである。まぁどろろそういう話だってのは、五ヶ月付き合ってきて身にしみているのだが…慣れないし、慣れてはいけないのだろう。
前回刃の無力を思い知った百鬼丸は、生まれた時から奪われ捧げられた"人並"を取り戻すために、流れに逆らって醍醐へ向かう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
今回は横方向の動きで醍醐に流れ込む運命の潮流を、縦方向の動きでそれぞれの立場と心理を表現する演出が、非常に冴えていた。
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走り抜けていく朝倉の斥候は、戦乱の呼び水だ。二度目にすれ違った庭番の男も、百鬼丸に始末を付けるべく、身を翻して戻ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
醍醐領に近づいて、戦乱を避けて逃げてくるおっちゃんとすれ違う。ようやく、ごく普通の人と出会う。
おっちゃんは金の噂に惹きつけられた部外者だ。逃げることも出来る
流れに逆らって出ていけるアウトサイダー、兵隊狩りに逆らえないインサイダー。中を踏み荒らすために出ていく兵。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
船に乗って国の外、家の外に追い出されたからこそ、奪われたものを取り返すべく流れに逆らい踏み込む百鬼丸。
おっちゃんがいることで、色んな"流れ"が鮮明になる。良い書き方だと思う
"逆流"をサブタイトルとする今回、一見醍醐に向かう百鬼丸が流れに逆らっているように見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
しかし戦乱の運命、血縁の呪いは百鬼丸が向かう方向に力強く流れて、そこに囚われたものを離さない。醍醐の領民は国家の一大事に強制徴用され、兵役につく。農の本文は置き去りにされ、土地が荒れていく。
どろろは醍醐に地縁も血縁もないから、戦乱の宿命から距離を取ろうとする。両親も縁深くなった人も、みな戦乱で死んだ。その理不尽と血生臭さを思い知る少女としては、当然の反応だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
だが百鬼丸の全ては、醍醐にある。欲しかった愛、奪われた肉体、因縁の集約。全ては戦乱の中にしかない。
なら飛び込んで奪い返すしかないという、強い情念が百鬼丸を縛っている。それに引きずられる形で、人縁に縛り付けられたどろろもまた、戦乱の泥流に落ちていってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
生か、死か。人の情か極まる理不尽か、どちらにしても渦の真ん中に飛び込んでみないことには、流れに逆らうことすら出来ない。
そういう土壇場に、どろろと百鬼丸は追い込まれてしまっている。それを確認するために、前回(と対比する形で、戦乱から例外的に逃げ得た、たどり着くべきユートピアとしての前々回)があったのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
刃の手では、人は救えない。それを思い知ってもなお、自分の手には刃しかないから、それで奪う
どろろならずとも、『どうすれば良いんだよぉ!』と頭を抱える状況である。泣くな、どろろChang…キミは正しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
運命に引き込まれる百鬼丸を、善意で引き留めようとしたおっちゃん。その手は義肢を引っ剥がし、凶器をむき出しにしてしまう。
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鞘たる義肢の無力さを散々前回強調したことで、百鬼丸のジレンマ、追い込まれた心理が良く見えるシーンである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
縁もゆかりもない、だからこそ大事にしなければいけないおっちゃんに、百鬼丸は野の獣のように牙をむき出しにする。
止めるなら切る。それは己を捨てた血縁だけに、投げられた言葉ではない
暴力は必ず無軌道に、あらゆる物を焼き尽くす。燎原の火のような衝動をこそ、どろろは畏れているのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
『どろろがいる』
その独占を受け取っても、どろろは嬉しくない。手を差し伸べられても、無邪気に喜べない。でも、どうすれば良いかもわからない
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刃を鞘に収め、守るべき人を守る。その願いは皆同じはずなのに、『守るべき人』の定義がすれ違うことで、お互い殺し合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
人間が人間でいることが、闘争の根源なのか。身内を愛する気持ちが、身内の外側にいる(と認識したもの)への残忍さに繋がるのか。
愛が業に変わる因果に、皆が身を焼く。
自分の足で地を歩む平俗に対し、貴種は高い位置に立ち続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
国を巻き込んだ(民を守るための)戦乱を前に、醍醐はどっしりと腰を下ろし残酷を指揮する。
村を焼き、馬を奪い、人を狩る。全ては醍醐のため、民のため。為政者の責務に、醍醐は迷わない。
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しかし家臣が去り、庭番と表には出来ない話をする薄暗い空間で、醍醐は浮足立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
世継ぎであり子でもある多宝丸を、その思いを怪我してでも守れ。そう指示する時、為政の鬼にかすかに、父の顔が見える。
そんな領域に、多宝丸も足を踏み入れる。弟を切る。そう告げる。
多宝丸も己の中に、グツグツと分厚い情を飼っている。乱世では仇にしかならない弱さ故に、民の困窮を見据え、王の責務から目を背けず、鬼と定めた弟を斬り殺そうと決める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
その迷いを断つために、じっと見据える軸には家紋。醍醐の家、醍醐の国の定めが、多宝丸の幼さを殺していく。
"軸"というのはそこに込められた精神を床に飾るものであり、それを見据えて己を見定める鏡としても機能する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
多宝丸は有り難い仏典も、楽園の山水画でもなく、家を象徴する家紋をまっすぐ見据えて、兄弟相克の地獄へと足を勧める。その時殺したものは、どろろの胸中で渦を巻く情と、多分同じだ。
『境界線に立ち入る/出ていく』というアクションもまた、このアニメでは非常に重要な意味合いを持ち続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
心を定めた多宝丸と近侍は門を出ていく。そこは民が駆り立てられ、流れに押し流される果てでもあり、高御座から見下ろす権力の座でもある
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自分も泥に塗れ地獄を見た記憶を見下ろして、兵庫は『戦は嫌だ』と呟く。醍醐の活躍により檻から解き放たれ、多宝丸の兄弟となり得た偶然を噛み締めつつも、民と自分を隔てる"高さ"から降りて、戦を止めるための戦に赴く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
同じ場所に向かう多宝丸も、刃を杖にして立ち上がるしかない。
先週どろろの腕を挟んだ腕を、百鬼丸の刃は動かし得なかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
今回朝倉の軍は、脇差の刃で流れを指し示される。
刃には様々な顔があり、それは人を突き動かしていく。あるいは、動かしえない。百鬼丸の心眼は、冷たい黒さで鉄を見据える。
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兄弟相討つ修羅の地獄を、母も御簾の奥から見守る…ところで終わらず、足を進めて境界線から出る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
瞳の先に月はなく、無明の闇が広がるだけ。それでも、身を乗り出して崖に立つ。その決意がどこに届くかは、来週以降となろう。
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かくして決戦に赴く前に、兵庫と伊勢の過去が回想される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
牢獄の扉を開け放って、自分の領域まで踏み込んできた男。修羅のルールに従い、躯を尖らせた刃で命を奪う凶行を、ますらおは堂々止めてみせる。
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強くあることは、追い込まれて道を過つ人の手を取り、別の可能性を示すこと。殺されてやらないことが、誰かを救うという在り方もまた、一つの真理。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
ここで醍醐の"正しさ"(少なくともその一面)を鮮明に見せるのは、ズルいなぁと思う。親父のこと、憎めたら楽なんだけどなぁ…。
凄まじい特攻を見せた庭番の人もそうなんだけども、為政者の側にも当然理屈はある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
巨大な流れを押し付けて、勝手に奪っていくように見える"侍"もまた、戦乱とか飢餓とか、自分にはどうにも出来ない大きな流れに押しつぶされつつ、それでも少しは何かが良くなるよう、必死にもがいている。
人間はあまりに不完全だから、自分が見据えた"善"を成し遂げる時、必ず何かを踏みつけにしてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
そこで独善を開き直らなければ、より強いエゴに殺されてしまうから。自分の信じた正義を、守るべき人を守れないから。
大人は心を殺し、堂々と誰かを踏みつけにしていく。
それは全くもって正しくないけども、しかし大きな流れの中で出来た唯一の決断でもまたあり、忽せに出来ない重苦しさがしっかり宿る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
戦乱、略奪、飢餓。何もかも大間違いで、それを正すために、更に間違えていく。だがその間違いの中に、確かにかすかな救済がある。
幼い兵庫と陸奥に、牢を壊した醍醐は救世主に見えただろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
人らしい暮らし、友であり兄弟であり主でもある百鬼丸と出会わせたこと。世の理不尽を馬から見下ろし、大所から沙汰を考える為政者の目線も、その背中越しに教えてくれた。
兵庫が見せる優しさは、醍醐の正しさの反射でもあるのだ。
死んでたら、見えない景色がある。生きていればこそ、流される地獄がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
どちらに転んでも、答えはない。一つの答えにしがみついた時、それは自動的に誰かの答えを踏みつけにしている。
そういう窮屈な世界で、一体何が出来るのか。
作品が追い続けてきた問に、答えが出るときが近づいている。
陸奥の鏃は百鬼丸の義肢を砕き、刃が収まるところを略奪する。おっちゃん相手には、かろうじて血を見ずにすんだ刃は、鞘を失って血を求める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
自分と同じ不具者を量産する無情に、赤く染まった百鬼丸の視界は気づけない。
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自分と同じ苦しさを、作り上げたくはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
兵庫はそう決意して百鬼丸討伐に赴き、どろろをかつての自分と同じ虜囚のみに追い込んでしまう。
百鬼丸が刃を握る腕のみを切り落とせたのは、命を奪わぬ僥倖か。同じことを延々繰り返す愚かさ、救えなさの現れか。
うねり始めた流れはやすやすと人の願いを踏み越え、皮肉げな結末と犠牲を量産していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
子供たちが己の理想と願いをぶつけ合う決闘は、庭版の乱入で様相を変える。小奇麗なお武家様とは全く違う、火薬、不意打ち当然の忍芸。
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愛しい我が子と切り離され、蔵と手綱を付けられて兵器に変えられ、焙烙でバラバラに砕かれた白馬。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
それは怨念無念を吸い上げてアヤカシと化けて、死に損なった百鬼丸の足と変わる。歩行で地面を這いずる立場から、高い場所から優位を押し付ける立場に、百鬼丸も変わっていくのか。
子と引き剥がされ、矢で追い立てられ、バラバラに砕かれ、怪物に変わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
白馬の"母"の物言わぬドラマは、多宝丸と百鬼丸、二人の"母"がこれからたどる物語を、静かに暗示している気もする。
公と私、責務と情愛。母を引き裂いた矛盾は、自死では乗り越えられなかった。短刀は母を楽にはしなかった。
その無力と断絶を前に、母がどう境界線を超えるか。"おっかちゃん"に強力な因縁を持つどろろが、"母"に接近してまた、流れが変わりそうな気配もある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
刃を持たぬ女が、刃しか持てぬ男の闘いに何を差し出しうるか。どろろの懊悩と合わせて、なかなか難しい無明である。
百鬼丸が馬("母")の遺骸と共に、投げ落とされた闇の底。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
そこはどこかヴァジャイナにも似た薄暗い場所だ。暗黒の子宮の中で、百鬼丸は敗北の痛み、己の無力をもう一度思い知る。
力が欲しい、取り戻したい。闇の母が抱きしめる修羅の想いは、どんな火を宿すか
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磨崖仏は全く無音で、自分の頭上の乱戦、落ちてきた少年を見据える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
何もしてくれない神様を鏡に、百鬼丸は自分の中に何を反射するのか。同じく戦の理不尽に振り回された"母"の背に乗り、己を鬼神に変えて復讐を果たすのか。
それとも炎の怪異は、業の流れを断ち切る天馬駆となりうるか。
待て、次回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
そんな感じのエピソードであった。
いいタイミングで乱入ぶっこんだ庭番さんがすげー存在感で、子供サイドでは照らしきれない為政者の理屈、泥まみれ血まみれの忠義を叩きつけて、作品にさらなる立体感を与えてくれた。
醍醐が兄弟の行く末であるように、あの人は兵庫陸奥の末路なのだな
母馬が背負ってるドラマを、それを使い潰した庭番はけして知らない。知ってしまえば、刃が鈍る。守れるものが守れなくなる。だから表情一つ変えず、爆薬も毒も何でも使って、己に果たすべきを果たす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
その凍りついた生き様は、醍醐がそうであるように正しい。
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そして、醍醐がそうであるように間違ってもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
みすみす配下の腕を切り落とされ、己も新たな傷を刻んだ多宝丸。だがその刃は、もう一つ空いた目を奪いはしなかった。
まだ、お話は終わっていない。彼が刃を杖に諦めたもの、百鬼丸が生身を取り戻し掴みたいと願うものを、諦めなくてもすむ未来を…
少年たちは掴みうるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
親たちが諦め、心を凍らせて守りたいと願ったもの、他人から奪うことでしか守れなかったものを、別の方法でその目で見据え、手で掴むことが出来るのか。
『そういうものが、最後の焦点になるのだ』と、エピソードが語りかけてくる気がしました。
流れに押し流され、あるいは逆らってたどり着いた運命は、炎とともに炸裂した。傷つき、繋いだはずの手を引きちぎられた者たちは、しかしまだ終わっていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月3日
迫る戦乱、沸騰する血縁。新たな出会いの予感を残し、話はまだまだ続きます。もう少し、地獄に付き合ってもらう。
来週も楽しみです。