さらざんまい を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
日の出埠頭から船が出る。オフィリアを押し流す、死の水を舳先で切って。
銃を握りしめて走れば、どこかにたどり着けると。本気で思ってたわけじゃない。
それでも、お前と幸福になりたかったから。悪くなって、生き残りたかったから。
ホント、繋がりってのは厄介だよ。
そんな感じの、生き死にの際、さらざんまい第9話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
夢か現か解らない…というか、濃厚な闇の中、その境界線がそもそもあやふやだったことを思い切り突きつけられるような、イメージカットの多いエピソードである。
心象は黒い闇のスクリーンに切れ味鋭く移り、消え、瞬く。命のように。
誓は銃弾で貫かれて死に、燕太はコミカルなタイマーを埋め込まれて(まだ)生きる。少年たちの運命は不思議な船に乗って、どこまでも流れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
悠が世界の全てを捨てて、選び取ったはずの兄。銃弾飛び交う真実、悪のざらついた質感をなすりつけられて、悠は誓を信じきれなくなる。
その結果、残酷な切断が起こる。河童が憑いていない、面白みもなにもない現実に生きる(からこそ、血まみれの銭が必要だった)兄は、心臓を機械にもされず、河童にもならず、ただ死ぬ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
信じきれず奪われる。悠から春河を、あるいは燕太を奪い去ったのと同じ、気の迷いの残酷すぎる対価。
誓はそれを支払うことで、兄という呪縛から開放され、全てと思い定めたものを略奪される。子供時代が終わり、自由になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
その残酷な旅立ちを、どこにもいけない船が教える。回送。追想を乗せた船は、どこに流れ着くのだろうか。
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かつて父母を殺し、今兄を殺した血まみれのマネーを、絶叫とともに悠は投げ捨てる。金と銃弾が支配するリアルワールドの重さは、悠を残酷に縛り付ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
それでも、いつか夢を観た。あの時のサッカー少年たちと、同じ夢を。
その甘さに浸る余裕もなく、川は流れていく。https://t.co/whOedyKZh7
血まみれの金と、全てを黒く塗りつぶしてなお残った弟の肖像と。ペラッペラの真心二つ、誓はどっちを握りしめたかったのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
それが解っていたなら、誓は死なずにすんだのだろう。赤の他人と同じように、弟をぶっ殺して生き残るか。あるいは殺さずに生きるか。
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どちらも本当で、どの岸に流れ着けばよかったのか理解らなかったから、今回誓は死ぬ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
圧倒的な”本当”がどこにも見えない世界で、それでも本当を思い込んで自分を型に嵌める。ドブネズミのような誓の死は、レオの頑なな真実主義と背中合わせなのだろう。多分、その末路も。
誓と悠がその名前のように、どうしようもなく惹かれつつ離れていることは、これまでもたっぷり描かれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
彼らが隣り合って笑える時代は彼方に行き過ぎて、今は近くにはいれない。闇と光に引き裂かれつつ、間に何かをはさみつつ。
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それでも一枚の布を真心代わりに差し出して、近くに寄ろうとする。銃弾に殺意を乗せて兄を守り、他人を殺す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
そんな通過儀礼を経てなお、悠は光の中、生きるものの岸に取り残されてる。兄は死者の船に乗り、遠くに行ってしまう。
それはずっと描かれ続けた、分断の結実なのだろう。
布と真心は音寧も同じで、誰も本当のことを信じてくれない世界、『ア』に塗りつぶされた嘘っぱちの世界で、彼女だけが一稀に布を差し出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
しかしそれは地面に落ちて、一稀は大人の世界を飲み込みきれない。遠い悠の名を呼びつつ、暗闇で膝を折る。
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伊瀬茉莉也はやはり大した役者で、声一個で音寧が教師であり姉であり大人であることをしっかり理解らせてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
綺麗にではなく、血まみれの喘鳴と後悔に塗れて、身勝手に苦しく死んでいく誓を熱演した津田健次郎といい、オンオフが的確な演技が生きる。
笑いの裏には、いつでも硬い現実の質感がある。
音寧はそういう事が当然わかっていて、あえて軽く戯けていた。恋に騙され、弟をからかい、その死にしっかり向き合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
一稀は当然、そういう領域には踏み込めていない。燕太も、悠も。たった中学二年生。死を背負うには若すぎる。
でも、それは容赦なく迫る。自分を、あるいは大事な人を押し流す。
一稀はレオマブがかつて引き裂かれた生き死にの冷たい際、手術室の硝子を、かなり気軽に乗り越える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
真っ暗な死ではなく、コミカルにデフォルメされた生の光の中で、少年と河童は無邪気に抱き合う。死はまだ保留されている。
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否…黒白のパブリックイメージを、このアニメは素直には踏襲しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
リアルな燕太の死(あるいはそこから帰還しての生。音寧の領域)は真っ白な光の中にあり、生き死にが曖昧な河童ファンタジー(幼さの世界。川の底。一稀達の領域)は薄暗い闇の中にある。
そこでは、命の取り立てはない。
悪いやつしか生き残れない、シビアで悲しく冷たいルールは、(まだ)河童には適応されない。誓を川の果てに連れて行った船は、自力で泳げる河童には(まだ)不必要なものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
しかしそのモラトリアムは、少年たちを特権的に許すわけではない。タイマーは、冷たく時を刻む。
サラとケッピのテキトーコミカル再生儀式は、久慈兄弟を包む殺し合いの重たさ、生臭さと強い対比をなす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
人ならざる河童に変じることで、銭金と銃弾だけが神様の世界からファンタジーに逃げた少年たち。その恩恵を受けて、燕太の死は保留される。あくまで”保留”である。
その取り立ては後のこととして、久慈兄弟を取り巻く闇はとにかく、重たく濃い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
明るすぎて空気読めなくてウゼーけど、死ぬほどじゃ当然なかった弟分を、誓は迷わず打つ。銃弾も血も、燕太の死を保留するコミカルさとは程遠い。
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影絵芝居のように、陰影だけが交錯する芝周辺。浅草の対岸にある場所で、誓は今まで隠していた真実を顕にしていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
隠していた…本当にそうか?
『悪人だけど、いい兄貴』という甘いキャンディに溺れて、気持ちのいい物語を摂取したがってた僕(ら)が、子供たちと同じように何も見えないだけでは?
悠の衝撃を追体験させるべく、誓の変節(あるいは再確認)は重く、苦しい映像とともに深く突き刺さる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
ファンタジックな夢が印象的だっただけに、久慈兄弟を彩るノワールのライティングは鮮明で、例えば燕太を(一時的に)助けてくれた淡い夢を、静かに切り裂いていく。
その重たさ暗さだけが世界の真実ではないけども、でも現実の一つの形であるのは間違いない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
子供の小さな身の丈では、けして伺いしれない本当のこと。音寧のシリアスな声色、植え込みの向こうの銃撃戦。そういうモノを、今回僕らも見る。観ざるを得ない。
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アダルトな世界を覗き見る。身を乗り出し、銃弾で罪を背負う。同じ場所に行こうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
この歩みは、今回登場したすべてのアクターに共通だ。レオは郵便受けの向こう側のセックスを窃視し、一稀は夜の中で色んな願いを託され、悠は見えない場所に怯えつつ、罪の銃弾を弾く。
そうやって震えながら、午前三時の秘め事に踏み込みながら、子供は大人になっていく。されていく。船に乗り、流されて岸にたどり着く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
それが愛と共感に満ちたエリシオンなら、どれだけ良かっただろう。だが、船は迷う。あるいは”回送”に囚われ、どこにも行き着かずに終わる。
壁の向こうに、少年とかつて少年だったものは何を見るのだろうか。それを正しく見据えなければ、船は迷ってどこにもたどり着けない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
それでも彼らは(あるいは僕らは)、都合のいい夢を見て、それを裏切られて伝わぬまま迷う。レオの道化めいた歩みのように。
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差し出された人形焼は、露骨にペニスの形をしている。暖かく、血の温もりを宿した”本物”のファロス。冷たい機械の偽物なんかではなく、かつてあったはずの愛と同じ形をした、口に頬張れるエロス。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
それはマブから失われたのではなく、レオから奪われたものなのではないか。
マブをメンテナンス(という建前の露骨ホモセックス)によって寝取った獺は、欲望という概念の具現であり、レオ自身でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
”LETTER”の向こう側、『伝わってほしい』という願いが息つく先にレオが見ているのは、果たしてエゴの反射か、世界の真実か。
あるいはその境界自体が、あやふやな夢か。
レオが溺れたい、流れたいと願った、完全な世界の再生。そこにはコードが付いていて、獺≒欲望≒己自身によって気軽にON/OPFFされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
セクシャルな合一、愛する人を介した自己実現を甘く夢見て、レオはルンルン気分でスキップする。『二人はカップル』…ケッピとサラちゃんも歌ってたなぁ…。
夢は安楽に、あるいは残酷に破綻していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
ケーキとお酒(恋人の記号、口に入れるもの、反ヨモツヘグイ、マブを取り戻すための闘争兵器、悠にとってのトカレフ)を抱え、メシが食える生者の”本当”に帰還しようとするレオの夢は、凶悪な支配に踏み殺される
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見てはいけない物を見る。二人だと思っていたものが、実は三人だったと思い知る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
一稀-悠-燕太で繋がり途切れていた関係性が、実はレオ-マブ-獺(レオ’)でも再演されていることを、御簾の奥の煉獄は強く伝える
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三つに分裂し、お互い重なり合いつつ完全には一体になれない構図。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
もう遥か彼方に思える、『カワウ~ソイヤァ~』でゲラゲラ笑えた時代から、そのトリニティはレオとマブ(の背後に隠れていたもう一人のレオ)を照らしていた。
その現実が明るみに出る今回、”三”のモチーフは幾重にも顔を出す。
赤い血のようにぶちまけられたワインは、真実だと思いたかった夢の破綻を示す。同じものを食べ、同じものを飲む喜びを、レオは自分で壁に叩きつけてしまう。自己から切り離れた己の欲望…獺との対峙し正面からねじ伏せる粘り腰より、ガキっぽい激発で全てをぶち壊していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
一稀が身勝手でピュアであるように。悠が罪を求めつつ光に取り残されるように。燕太が欲望に流されつつ愛にしがみつくように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
それはキャラクターの根っこに焼き付けられた根源であり、簡単には超えられない。死を賭してなお、克服できたか曖昧な魂の形に、彼らは囚われ続ける。まだ船は岸につかない
ケーキとワイン。あまりにも象徴的な聖餐は、聖書においては裏切りと犠牲の直前に語られるものでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
裏切ったのは誰か。
死に、機会に落ちて生き延び、別の男(≒否定し切り離したい自分)に抱かれたマブか。
抱き、翻弄する獺(≒欲望)か。
あるいは、見たいものを見る幼い子供か。
”また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」 (マタイ26-27.28)”
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
ぶどう酒を出されちゃったら、まぁこれを引用しない訳にはいかない。壁に叩きつけた聖血は、何を贖うのか。
何を蔑ろにし、何を掴み取るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
誓は全てを捨てようとして、最後に弟の命をとった。
『掴めるのは一つだけ』
残酷なルールが支配する世界で、自分の命を手放し、愛する人を岸に残そうとした。
心臓を機械に変えたマブも、燃え上がる浅草でかつて、同じ決断を果たしたのでは?
そんな疑問も顔を出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
レオマブの過去は幻想的なイメージカットに切り刻まれ、まだ伏せ札である。ちらほら垣間見える挑発に色々頭をひねるけど、確たる事は言えない。その焦らしがまた心地よく、恐ろしくもある。
胸を引き裂いて真実を晒した時、命は耐える。その重さは、多分僕を傷つける。
その瞬間が楽しくもあり、恐ろしくもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
繋がっているのか、離れているのか。伝わっているのか、間違っているのか。
『でも』と『だから』の間をフラフラさまよいつつ、足を踏み外せば真っ逆さま。そこから誓は落ちて、残るものは残る。
タイマーは進む。話は続くのだ。
レオと悠がそれぞれ別の角度から、生きるに値する幻想を踏み砕かれる中で、一稀は生きるに値する幻想に目を開いていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
かつて、自分が差し出したものの大きさ。忘れていた繋がり。取り戻したもの、午前三時のファンタジー。
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皆かつて、光と闇の合間で夢を観た。ゴールデンルーキーの輝きを、どこまでも夢見ていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
それは大人になるにつれ残酷な歯車に巻き込まれ、ズタボロになってしまったけど。自分で裏切ってもしまったけど。
消えてはいない。
確かに、夢はそこにある。光はそこにある。
矢逆兄弟を包む闇は、久慈兄弟を包囲する黒とは、色合いが違う。淡く、優しく、『夢をまだ見ていてと良いよ』と静かに抱擁してくれるような、淡い紺の色彩。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
二つの兄弟を繋ぎ、あるいは引き裂く夜闇の色合い。その多層が、世界の残虐と美麗を同時に語っていく。
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僕らはまだ繋がれる。愛はそこにある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
春河が燕太と自分の祈りを、世界の残酷さから守っていた皿が、吾妻サラからかつて手渡されたものだったというのは、すごく優しい繋がりだと思う。
春河は河童の世界を知らない。ファンタジックな水底で魂を救われても、足は動かない。https://t.co/JbT8jby4uO
そんな重たい闇の中でも、かつて祈り、今脈を打っている優しさは嘘ではないから。一稀が失い、たしかに取り戻したものはそこにあるから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
それを確かめた兄弟は、お互い肩を寄せて、もしかしたら不帰の旅路かもしれない場所へと、銃弾ではなく微笑みで武装して飛び込んでいく。その帰還を待つ。
それは、動けずただ取り残されるだけだった過去の停滞とは、やはり大きく違う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
燕太が踏み込み手渡してくれたからこそ、挑めた命がけの闘争。そこからもぎ取ったものが、春河に”待つ”勇気を与える。一稀に”踏み込む”力を授ける。
彼方に消え去った夢は、けして無駄なんかじゃない。
ひどく残酷に、夜の闇に久慈兄弟の過去が食われる今回、一稀の特権的な立場は不遜にすら見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
だがその優しい夜を描かなければ、主人公が重苦しいループを打ち破る特権で武装しなければ、銭と銃弾と欲望のリアルに、彼ら(そして僕ら)は抗いえない。
どん詰まりの闇を描きつつ、そこだけが道ではないと、このアニメはずっと描いてきた。カメラの画角はニヒリズムに囚われることなく、公平で広範だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
そういう”広さ”が、二つの兄弟を複雑に噛み合わせてみせる今回の運びには、強く宿っているように思う。
同時に淡い夜の優しさはとても無力で、生々しい現実の息苦しさ、身も蓋もなさも冷徹に描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
兄は裏切り、弟は殺した。その銃弾が奪った命は、ひどく重い。新しいスティグマを刻んでも、兄は自分を守って死ぬ。金を手に入れても、もうなんともならない。
©イクニラッパー/シリコマンダーズ pic.twitter.com/vLqhSRdMq8
それさえ掴み取れば幸福になれるはずだった、欲望のトークン。紙幣は血にまみれて、東京湾を虚しくさまよう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
離れていた距離は、兄が死の床について初めて埋まる。疑わなければ、幼い絶対を信じ続けていられれば、もしかしたら助かったかもしれない過去。後悔と呪縛。
悠は世界の全てを賭して、兄と逃げる道を選んだ。それは極めて虚しいギャンブルに終わり、金も命も掴めなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
二度目の絶望の荒野、伝わらなかった虚しさの果てに、今悠は立っている。そこから歩みだして、君のそばに立ち直す熱量はどこにあるのか。
闇の中でも、愛は輝くのか。
『輝くもの全て金ならず』とはよく言ったもので、レオを縛り付ける楽観も絶望も、愛したがゆえの地獄だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
愛し、疑い、失った。ファンタジーの国から帰還できた春河と違い、誓は生々しいリアルの中で死んだ。呪いが祝福に変わりうるときもあれば、呪いのまま命を奪うときもある。
水のように、全てが揺れ動いている。優しい夜も、恐ろしい闇も、一つの真実の二つの顔でしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
生死、愛憎、エゴとアガペ、夢と現実。様々な天秤が揺れ動く中、一つのジャッジが下った。
お前は生きて岸に取り残され、お前は船で死の河を下りなさい。
その後も、取り残されたものに物語は続く。
あるいはそのジャッジを保留するのが、河童ファンタジーのずるさであり優しさか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
どれだけコミカルでも、燕太の生き死ににはタイマーが付いた。それは止まらない。今回久慈兄弟を引き裂いたリアルの重たさを伴って、いつかダモクレスの剣が落ちるだろう。
その時、夜はどんな顔をしているのか。
恐ろしくもあるし、楽しみでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
レオマブのLOVEを引き裂く第三者たる獺が、レオ自身でもあるという歪な三角形。これが顕になったことで、『魔王をぶっ倒してお姫様を取り戻し、永遠に幸せに暮らしましたとさ』という安楽な結末が、一切許されなくなったとも思う。
略奪し翻弄する悪魔をただ否定しても、自分が死ぬだけ。悪魔は自分だったのだから。では、どんな武器で闘い、どんな答えを出せば良いのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
レオマブが一歩先に踏み込んだ悪徳と欲望の迷宮に、命と愛を賭け金に飛び込んでいく、もう一つの”三”。
その一角が、今回あまりに重たいものを奪われた。
その先にある景色を、僕らは否応なく見ることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
誓の不在が悠にどんな傷を付け、生まれてしまった取り返しのつかない不信が悠にどれだけ刺さっているか。それに親友たちは、何をなしうるか。
物語は続く。過不足なく…というかハードコアな過剰でもって、このアニメはそれを語るだろう。
今までもその楽しさにさんざん傷つけられつつ、僕は楽しんできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
風雲は急を告げている。少年たちの、あるいはかつて少年だったものたちの物語は、佳境に入っている。全てが結実するクライマックスが、巨人のように接近している。
まるで地獄のように、来週も楽しみですね。
追記 三角形の中の照応。物語の中で果たすべき役割、背負ったメタファーとテーマの断絶が、それぞれに異なる結末を与える。それはまた、一つの起因となり別の物語に続いていく。
お話が終わった後、一稀が生きているという確信は、今の僕にはない。
やっぱ今回の話、第6話のシャドウなんだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
水底のファンタジーで、犠牲なく繋がり合い、生き直せた矢逆兄弟。
薄暗いリアルの中で、足掻いて足掻いて信じきれず、死と犠牲によって分かたれていく久慈兄弟。
その過程も結末も真逆で、しかし根っこの部分で愛が似通っている。繋がっている。
愛と欲望はすべての根底にあるが、その現れは本当に様々で、流れ着く結末もまた多様である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
そこに幸福と救済を見るか、悲劇と絶望を見るか。その判断こそが、謎の多い”さらざんまい”が叩きつける一番パワフルな問いかけだと思う。
兄弟が幸福か、否か。それを決めるのは僕らなのだろう。
追記 サブキャラが”太い”のも、この話の強さだよなぁ……メインだけ分厚いと、得意別な少年の特別なファンタジーで終わっちゃうもんな。
あと音寧が存在感を見せたことで、この話が『三つのきょうだい』の話でもあることは鮮明になった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
陣内姉弟のあまりに”まとも”な死との向き合い方、凄くコンパクトでシリアスな靭やかさは、久慈の銃弾のアリア、矢逆の水底のファンタジーとは、かなり色合いが違う。地味だ。
しかし銃も撃たない、河童にもならない”まとも”な音寧が非常に靭やかで”まとも”でいることで、エキセントリックな兄弟達の繋がりが重力を手に入れ、地に足の着いたドラマとしてコッチに迫ってくる感覚も、確かにある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
つくづく、陣内家は”まとも”であることが作品内部の仕事なのだと思う。
音寧の”まともさ”は弟がぶん回し、時に親友を傷つけた過剰な健常さとはまた違った顔をしていて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
その靭やかさを演技一発で届けた伊瀬茉莉也は、やっぱ凄い役者だ。泣きも叫びもしないのに、分厚い奥行きがあった。話を支える名演だったと思う。
追記 キラキラ点描でムーディーなエロスに包まれれば、世界の全てが問題なく転がっていくような少女漫画的ファンタジー、生ぬるい耽美からも、さらざんまい(を生み出した幾原邦彦、その諸作品)は、やっぱ距離を取っている。
さら追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
拒食、ブロッコリー、生焼けの人形焼き、ホカホカの人形焼。
マブの食の変遷は(他のすべての要素がそうであるように)レオとの関係の中にあって、それが”まとも”になっていく過程と、レオの性的自足、自己充足感はリンクしている。
食と性をつなぎ合わせる表現は、例えば井上敏樹がセックスを描けない児童向け特撮の中で活用したレトリックであるが、マブの”食”はおそらく、レオとのセックスの暗喩なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
一度繋がり、まともにお互いを貪りあって生まれた充足。それが蘇生語うまく噛み合わず、充足できない辛さ。
性的関係に飛び込むことがゴールではなく、むしろそこに一度たどり着いたからこそ、歪なブロッコリーとか生焼けの人形焼とか、そういうものに覆い焼きされた不完全燃焼のセックスが断絶を強調する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
お前は(かつて俺を抱いて満足させてくれた)本当のお前じゃない。
忘我(エクスタシア)にたどり着けないレオはそうやって、マブをなじる。メシをまともに食えないサイボーグは、ダッチハズバンドとしても不出来…と見るのは、あまりにムッツリな視座だろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
露骨なほのめかしに接近しつつも、性と綿密に結びついた生の充足には食事やメンテのクッションをかける
その恥じらいと奥ゆかしさ、そうやってヴェールを描けてでも『結ばれたその後』を書きに行くスタイルは、なかなかアニメでは見ない踏み込みで極めてイクニ的だなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
熱海で処女を奪われたことが、ウテナを”姫”に固定するわけではないのだ。むしろ、物語はそこからなのだ。
ズコズコ体をつなぎ合わせることが、無条件の幸せを連れてくるものではない。セックスというメディアを手に入れて大人になっても、むしろだからこそ不協和音はそこかしこにある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日
レオマブのディスコンタクトは、そういう部分に目を向けて展開しているようにも思う。
(まーったく関係ない愚痴になるが、このくらいのナイーブさと賢さ、熱量と一貫性を持って、ダリフラにセックス扱ってほしかったんだな俺。と今更ながらに思っている。終わったアニメに呟いても、詮無いことであるが)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月6日