さらざんまい を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
加速する欲望が、浅草を薙ぎ払う。
行き過ぎ、取り返しのつかない過去の過ち、積み重ねた嘘。心臓を砕く愛と、取り残されたものの悲哀。
二人の河童の死と再生が、ついに終わる。思春期の銃弾が、全てを打ち砕く。
もう一度、取り戻したとしても。そこで終わりじゃないのさ。
というわけで終盤戦! アクセル全開で行くぞッ! というさらざんまい、ラス前一個である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
『付いてこれるやつだけ付いてこい!』と言わんばかりに、すごい濃度と速度で叩きつけられる設定と感情、変転するドラマ。
レオマブの拗れた運命に決着が付いたと思ったら、休む間もなく現役世代の地獄開始。
いつにもまして脳髄がクラクラするが、叩きつけられたリビドーとストーリーをバッチ受け止め、咀嚼して言葉に変えていこうと思う。大変だなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
もともとそういう構造だったのだが、間違えたレオマブ世代の始末と、現在進行系で選択のど真ん中な中二世代が、絡み合いつつ同時進行するお話である。
冒頭、伏せ札だったマブの蘇生シーン(マブ視点)から物語は開始する。蘇生によろめく視界の中で、(レオにとって、獺がもう一人の自分であったように)マブの欲望を反射し、獺はレオの顔をしている。だが、その化けの皮はすぐに剥がれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
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甘い欲望。誰かを投影して、夢の中で現を忘れる行為。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
マブの死-マブ’(とレオには認識される偽物)の蘇生-(マブ’に多い焼きされる嘘偽りのない)マブの蘇生と、レオの願いは迷走し、加速していく。
誇り高き河童の騎士としての生き様を捨て、獺(欲望、絶望)に奉仕する立場に身を落とす。
対してマブは、レオが嫌い(で、『獺≒レオが切り離した欲望、ケッピにとってのダークネス、合一しなければ戦うことが出来ない絶望』が好き)な自分を偽る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
そうしなければ、心臓は破裂してもう一度死ぬ。それが、欲望が死体を甦らせる条件だ。いちばん大事なものを隠して、人形であり続けることが。
マブがマブ’ではなく、レオへの愛を抱きしめ続けたマブであり続けた事実を、マブはレオに伝えられないし、レオはマブから読み取れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
繋がりたいけど、繋がれない悲劇が、一度死んだカップルを引き剥がす。その断絶に踊らされて、警官は銃弾で死体を量産し、それをゾンビに変えてきた。
欲望を操作され、搾取され、隠蔽される被害者が、欲望の犠牲者を量産し、搾取し、破壊する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
獺からレオマブへと転写される、略奪の構造。銃を手にしてしまったレオはもう、それに抗えない。武器より大事なものを手放して、奇跡を希った代償として、レオは真実から滑り落ちたゾンビになってしまう。
残り一話でようやく露骨に描画される、獺=レオ’とマブ≒(あるいは≠)マブ’との性交。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
それは嘘と偽りで真実を塗り固めて、なんとか守る必死の防衛だ。一稀の女装、燕太の恋心と同じだ。
だが血に汚れてしまった大人は、その奥にある真実を漏洩させない。
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マブが寝ていた相手が、マブが自分に投射した(そして自分がマブに投射した)欲望であったということ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
傷つけるのではなく、愛することで繋がりたいという願いすら、身勝手な欲望であること。
レオはそんな真実を見抜けないまま、偽物のレッテルを愛する人に貼り付け、遠ざけ、傷つけてきた。
哀しいな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
物語が始まった段階で間違えきっていて、もう取り返しがつかない状況に追い込まれつつ、それでも何かが蘇ることを、真実と愛が取り戻せることを欲した者たち。
今回、彼らの終わっていた物語が、決定的に終わる。愛すらも春の雪のように、淡く溶けていく。
レオマブの決着と、少年たちの運命準備が同時に進行する関係上、ダンドリはとにかく加速して進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
第6話ではそれ自体が一話の冒険だった、水底の歯車の国への侵入。それは省略されて、コア部分に到達してから物語は加速していく。
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レオは拳銃(飛び出すシグナルが顕すように、それはレオの心そのものだ)を少年に向けているようで、マブに突きつけている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
子供たちの現在進行系の物語は、彼らが搾取したゾンビの物語と同じように、わりとどうでもいい。
いつでも胸の中には唯一のキミがいて、それだけが憎く、愛おしい。
そういう対面の関係にちゃんと向き合えたなら齟齬もないのに、無理くり他人を脅そうとするから、その隙間をつかれてケッピを開放させられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
子供たちにとっても、すでに終わった物語の残滓は(気になるし、怖いけども)別の物語であり、わりとどうでもいい。
その視野の狭さ、余裕の無さが結構好きだ
レオはマブの手を弾く。お前は他の男と寝た、俺を裏切った、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
でもマブの視界からすれば、抱かれているのはレオ以外の誰でもなく。嘘の奥で叫び続けていた名前も、一つしかなく。
そういう愛の弾丸を、真っ直ぐ受け止められなくなった果てに、今回の始末がある。
少年たちは生死のかかった瀬戸際でも、欲望に己を手放さない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
死にたいの燕太をよりしろに、再演されるゾンビ儀式。内に秘めた欲望を暴走させ、世界全てを巻き込んで暴れる。お互い身勝手な欲望を叩きつけて、縁を千切って断絶していく獺の儀礼。
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赤黒い欲望の世界で、燕太は都合のいい妄想に抱きしめられ、愛される。せせら笑いの亡霊が誘惑する中、燕太は皿を投げ捨てる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
河童にとって、皿が割れることはすなわち”死”だ。自分の命も、身勝手な欲望の反射も、彼は拒絶し投げ捨てる。そして、一稀はそれを拾うことに成功する。
かつての浅草で、レオが拾い損ねたもの。獺に頼ることでしか蘇生できず、蘇生してなお嘘だとしか感じられなかったものを、今を生きる少年は無事拾い上げ、投げ捨てることが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
かつて間違えたものと、今間違えないもの達の残忍な交錯。
美しいまま老いることが出来るものと、老醜を晒すものの断絶
かつてさんざん暴走させられた、都合のいいBL妄想。燕太は欲望の反射に抱擁されることを拒絶し、死にも膝を屈しない。目の前の不都合な真実を、真っ直ぐに見つめる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
どうしようもなく死んで、欲望の反射に抱かれて、嘘に目を曇らされた、かつての少年たちと比べると、あまりに眩しい。
レオが今際の際に伝えたかった『欲望を手放すな』という詩は、多分今回燕太が証明し、一稀が手放さなかったような生き方なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
自分勝手な欲望の反射に取り込まれるのではなく、他人との間にある真実の光を真っ直ぐ見ること。誰かが抱きとめてくれると信じて、断絶に身を投げること。
それでもなお、自分の中の真実を手放さないこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
レオはそういう風に生きられなかった。銃を手にとって、獺の都合のいいように搾取されつつ、ゾンビから搾取する歯車になってしまった。
醜い、間違っている。俺もそう思うよ。でも、みんなあんなふうに綺麗には生ききれない。俺たち、レオじゃないか。
真実を抱え込んでいたとしても、それを正しく伝えることが出来ず、特別な漏えい等起きない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
レオマブは少年たち(だけ)が飛び込める河童ファンタジーに、かつては身を置いた騎士だった。綺麗な存在だった。
だが戦争が二人を引き裂いて、河童は獺になった。どす黒い欲望の反射、現実の似姿に。
一稀が落下する燕太を抱擁しうるのに対し、レオは投身したマブを抱きしめられない。みすみす欲望の装置に身を投げさせ、真実を手放してしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
ケッピの力を借り、真実が漏洩する場所に踏み込むとしても、それは命を代価の一瞬の夢。恋の徒花。
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久々の河童バンクは、少年たちとは綺麗に正反対だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
不本意な怪物に変身するのではなく、本来の自分に戻る。
荒れ狂う抵抗を押しつぶすのではなく、静かな世界でゆっくり繋がっていく。
トンチキなバンクを演じることは、レオマブにとって幸福だった少年時代に帰還することだったのかもしれない。
”カワウ~ソイヤァ~”と獺の歌をうたうのではなく、”かっぱらえ!”と河童の唄をがなり立てること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
ケッピ王子の配下だった過去に帰還することで、レオはマブのアナルにINNして、ようやく繋がれる。その代価は心臓の破裂、ゾンビの消滅、思い出の焼却である。
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かつて自分が特権的に搾取してきたものを、奪われることでしか真実にはたどり着けない。銃弾の報酬にしては、高い代価である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
しかし一度間違えてしまい、その精算を果たせないまま生きながらえるということは、そういうことなのかもしれない。
愛を信じきれなかった罪、真実を見抜けなかった罰。
レオの銃弾は仮想の浅草をなぎ払い、現実の浅草も破壊していく。欲望にまみれたファンタジーは、現実と捻れた位置に置かれているようで、不可思議に繋がっている。これも”縁”か…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
たとえ思い出=犯行履歴が消え去るとしても、心象世界での変化は、現実を変えていく。いい方向にも、悪い方向にも。
公開すれば死ぬ秘密=真実を、ゾンビとなることで漏洩できたマブには、ある種の救いがあったように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
だが無垢なる愛を受け止めきれなかった愚か者の末路は、なんとも悲惨だ。思い出は消えていく。何かを壊しても、喪失は取り戻せない。
何を失ったかすら思い出せない、重たい喪失感。
そこに一人取り残され、孤独に生きていくのは耐えられないと、レオは銃弾を撒き散らす。駄々をこねる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
レオにはもう、身勝手な欲望を反射してくれる獺すらいない。嘘だと否定できるマブ’すらいない。全てが淡雪のように消えていく。
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その孤独を、悠の銃弾が止めてやったのは救いだ、とは、当然僕は言わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
最後の最後で繋がれた幻想を、涙と共にケッピが受け止め、それでも淡く消えていってしまうことが救いなのかも、僕には解らない。
兎にも角にも、愚かしく間違えた老人たちに、幾原邦明はとても残酷で、恐ろしいほど優しいのだ
愛するものに取り残されてしまった、苦しみと絶望。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
エロティックでエキセントリックなファンタジーでは収まらず、現実の浅草を打ち壊す暴走は、悠によって静止され、悠に継承される。
一稀は正しく、自分の欲望を抱きしめた。燕太の生存を抱きしめた。それはかつての少年に、出来なかった決断だ。
春河のときと同じように、自己犠牲に引き寄せられつつ、燕太の叱咤で正しい道を選び取る。一稀は、そうやって過去の再演を拒絶し、前に進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
だが、離別は世界中に満ちている。レオとマブを引き裂き、欲望でかき回し、決定的に間違いきらせたのと同じ呪いが、悠を捉える。
それははるか遠い過去から、ずっと先の未来まで人を縛り付ける呪いだろう。釈迦も”愛別離苦”と言っておった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
燕太が跳ね除けた、欲望の反射、都合のいい囁き。悠はその誘惑に乗って、絶望に身を投げていく。
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弟も親友も掴み取れた幸福な一稀が、兄が死んでしまった悠にかけれる言葉なんてないのかもしれない。絶望に引き寄せられた手を、掴む手段なんてないのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
今まさに目の前で、死の重たさ、嘘の冷たさに踊らされ、あまりに愚かしく死んでいった騎士たちの物語を、僕らは見たばかりだ。
そのうえで、そこを超えて勧めるかもしれない可能性を、”今”の若人はまだ背負っている。徹底的に二人だったレオマブが、その美しさを破綻させてしまったのとは、また別の結末。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
”三”で始まり、”三”で進み、”三”で終わる物語は、まだ一話残っている。
今まさに”あのときのレオマブ”になってしまう崖っぷちで、絶望と欲望に囚われかけて、それを引きちぎって前に進もうとする少年たちは何をするのか。何が出来るのか。何が許されるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
マブは心臓を砕いて、真実を届けた。レオは己の罪に食い殺されて、その愛を受け止めきれなかった。
悠の銃弾が届かず、レオが一人ぼっちの世界でどう生きていくか(あるいは自分の物語をどう終わらせるか)を、少し見たかった気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
それは苦しくて、悲しい物語だ。多分ハッピーエンドでは終わらない。
でも、思いの外ケッピとの繋がりが強かったことが、微かな希望を夢見させる。
浅草が河童の王国だった頃の、ケッピとレオマブはどっかで見たいな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
トンチキクレイジーなことばっかやってた白河童だけども、今回何もかもが変わっていってしまう悲しさを前に、凄くシリアスな重たさを垣間見せていた。その本体がどんな顔してるのか、マジマジ見たい気持ちがある。
まぁそれはあくまで脇道で、”三”の物語を終えるので尺はいっぱいいっぱいだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
”二”(であり、欲望の乱反射を加えて”三”でもあった)の物語たるレオマブに、血の通った結末を(たとえ理不尽極まる悲劇でも)与えられたのが、ある種奇跡とも言えるのだ。
遥か彼方の河童の国で、突き進んでいく絶望と希望。その外側に取り残された二人が、儚く見守ってるシーンが好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
彼らは物語の中心にはいない。ファンタジックな世界と、命運をかけた闘いには参加しない。でも、丸い縁で繋がっていて、それが少年を岸に呼び戻す
©イクニラッパー/シリコマンダーズ pic.twitter.com/4ssv4JJqus
銃を手に取らなければ、生き抜くことが出来なかった側。間違えることを宿命づけられた側。レオの側。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
一稀は兄のトカレフを継承して、矛盾だらけの絶望世界に飛び込んでいく。燕太のように、高潔に欲望を拒否はできない。
疲れた。夢が見たい。
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結局、悠は銃弾を撃たなかった。殺して奪うという、燕太に対しレオが、あるいは世界に対して兄が押し付けた(押し付けさせられた)ルールを、親友に叩きつけることは出来なかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
そういう意味で、再演は拒絶されている。”三”の話は、”二”とは違うのだ。
燕太が散々NOと言い続けている自己犠牲を、マブが果たしている所も差異点だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
それが、レオの握りしめた銃弾を落とさせず、むしろ暴走させてしまった所も。そうまでして伝えたかった繋がりが、儚く消えていってしまうのも。
ほんとそういうところ残酷だよなぁ…どんだけエモくても、ルール違反はNG
おそらく話は、”今”を生きる少年たちの輝きを(どんな結末にたどり着くにしろ)肯定して終わると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
間違えきった、愚かでつまんねぇ男達の老醜は、そういう特別さにはたどり着けない。かつて間違えて、欲望と絶望に取り込まれて間違え続けたものは、もう戻っては来れないのだ。
レオマブはそういう”当然の敗北者”に位置しつつ、凄く濃厚な哀切と、バカだからこそ生まれる親近感みたいのを、たっぷり背負ったキャラだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
正直、俺はレオマブ側だ。凄く大事なポイントで間違えて、間違え続けるだろう。ハッピーエンドは望めやしない。
それでも、そこで損なわれ過たれた愛と真実は、やっぱり強く輝いていて。そんな遠い夢、綺麗な嘘をバカにはせず、同時に安い救いも与えず、当然の帰結に真っすぐ進んでくれたのは、僕は凄く良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
哀しいけども。とても悲しいけども、彼らはそうなるしかなかったのだ。
そして”今”の少年たちは、様々に引き裂かれつつ、なお繋がろうとしている。スキを諦めず、運命に押し流されながら、潔く格好良く生きていこうとしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
あまりにも遠い、その輝き。だからといって、それを蔑したいわけじゃない。むしろ遠いからこそ、正しさの輝きはあまりに強く、僕らを引きつける
残り一話。暗い水の奥に囚われた、かつての仲間。幼さに銃弾で決別するしかなかった、僕とは違う少年。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
悠の孤独と絶望、欲望を前に、友人たちは何をするのか。何をしうるのか。
次回、最終回。とても楽しみです。
しかしさんざん玩弄してきたゾンビと同じ『死ぬと全ての繋がりが消えて、存在すらなくなってしまう』という呪いが、レオ本人に襲いかかってくるのはマジで残酷、公平だったなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
声が宮野だろうと顔が良かろうと、ルールはルール。それを弄ぶなら、相応の報いはあるのだ。勝ち逃げ許さんど。
追記 ファンタジーの現実に対する侵食性、現実のファンタジーに対する身も蓋もない優越性(『だって、現実は現実であるがゆえに現実的なんだし。それが唯一の僕らの物語なんだし』的なリアリズム)を相互に睨みつつ、硬さと曖昧さ両方をパレットに乗っけてるところが好きなの。
さら追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
さらはイクニ総決算な部分が結構ある(し、ずーっと同じテーマ、同じポイントを語り続けてもいる)わけだが、浅草という現実を舞台(の一つ)にしたことで、幾原邦明の幻想文学論としても結構まとまりのある話に収まりそうなのが、個人的には楽しい。
ここではないどこか、あり得るはずもない何かを仮想することで、現実を現実のまま書いたのでは彫り込めない領域に、カメラを向けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
ファンタジーがファンタジーであることの力は、例えば”ユリ熊嵐”ではファンタジーを徹底することで掘り下げられた。(”どこにもない場所”としてのユートピア)
例えばホモセクシュアリティという幻想に関して、さらは凄い勢いでクソぶっかける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
点描とお花で隠されがちな生々しいアナルを、どぎつい描写でダイレクトに書いて、”耽美”に中指突き立てている(ようで、結局魂が呼ばう美麗を、あらゆる場所に埋め込むしかないのだが)
EDで実写映像と覆い焼きにされる、アニメーションのキャラクター。ダンボールで作られた浅草。水の底の河童の国。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
それは妄想でありながら現実と繋がり、共有されるファンタジーの中で漏洩した真実は、絶対に否定できない堅牢さをもっている。夢の中でしか、見えないものがある。
今回マブの銃弾が現実の浅草を(その因果を顕にしないまま)ぶっ壊したことで、自暴自棄な破壊衝動が現実世界を壊していくルールが鮮明になった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
頭の中だけでこねくり回す、あるいは秘密の奥にある、それ故強靭なリビドーと妄想。乱反射する欲望。それは現実に影響し、現実そのものになっていく。
夢と現実、妄想と願いが渾然一体となって、その区別がつかない領域に踏み込むためには、カッパになる必要がある。ファンタジーの住人となることで、シリアスなリアルに到達できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
それが『俺たち、もう終わってたわ』という身も蓋もないエンドマークだったとしても、顕になることは幸福だったのか。
ファンタジーが凶暴で、醜く、制御不能であること…現実に対して劣位に立たず、むしろひっそりと逆転の牙を研いでいること含めて、カッパの国が”浅草”にどう突き刺さっているかは、幾原邦明のファンタジー論として大事なところだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
漂白され消費物になったディズニー的妖精譚、ゆるキャラ化した妖怪が秘めてる凶暴さを、ポップな外装にしこたま詰め込んで投げつけてきてる感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
妖精も妖怪も、人を喰う。騙し、利用し、かっぱらう。そういう凶悪な他者としてのファンタジーにこそ、現実改変の力強さがあるのではないか。
これは身勝手な甘いささやきを蹴っ飛ばして、自分が死ぬかもしれないのに『自分を愛してくれない一稀』に抱かれた燕太に繋がる視座だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
性的にしろ、文学的にしろ、あるいは経済的にしろ。人は身勝手なファンタジーから逃れられない。欲望を物語化することで、生きる足場を確保するのだ。
だとしたら、現実の浅草はセルの質感に、カッパの国からの銃撃に、獺の侵略に常に晒され続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
そのうえで、確固たる現実(なるもの)に特権性があるとしたら。帰還するべき”岸”としての唯一性を、どこに求めるのか。
最終話の争点は、一つにはそこだと思う。夢と現実のつながりは何か。
追記 消えても消えきれない、アーカイブ時代の”繋がり”の物語。保存し、記憶することそれ自体が、消滅にまつわる物語に自発的に参加する仕掛けになっている。
あとレオマブTwitter垢を駆使した物語的仕掛けは凄いな、とも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
自分はそっちにコミットできず、アニメだけ追ってきたので当事者としての感想は述べられないけど、外野から見ても強い仕掛けで、”今”だから出来る語りの方法論だなと思った。
日々の名残りが嘘のように消えてしまっても、繋がっていた事実は消えなくて。誰かの心とストレージに留まったアーカイブが、彼らがそこにあった事実、花火のような情動を証明してくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月13日
本編の補助装置としても、独自の物語としても、凄く強烈で凝ったことやり抜いたなと思う。メディア美術よね。
追記 ずっとアドとして描かれてきた悠の現実主義・暴力主義が絶望に身を投げる足場となり、ディスアドバンテージだった燕太の”マトモさ”が最後の最後で武器に変わるのは、まぁこのアニメらしい相転移だと思う。変態ぶっていても、根源的なモラルが太いのはいつものイクニ。
さら追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月14日
キラキラな自己犠牲と死者蘇生が、ディスコミュニケーションと思い込みと嘘と制約でがんじがらめに地獄落ちしたレオマブの始末と、『妄想はいらねぇ。諦めもしねぇ。犠牲なく幸福をもぎ取って、正しく生き抜いてやる!』と吠える(そして成功する)燕太の『マトモさ』が横並びなの凄いな。
愚かに間違え老いて死んでいく圧倒的多数の衆生代表としてレオマブはいて、ボッコにされても皿を手放さない一稀と、自分の命が的にかかろうとも欲望と寝ない(一回間違えたことをマジで反省して二度間違えない)燕太の特別性とは、まぁ違う場所にあるわけです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月14日
主人公になれなかった元主役、つうか。
しかしそんな凡俗の愚かさの中に、ドバドバ血を流す切実さと、結実しなかったけどあまりに真摯な愛がしっかりあって、だからこそレオは自分の過ちをどこに投げ捨てればいいかもうわかんなくなっちまって、浅草をピストルでぶっ壊すしか出来なかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月14日
それは愚かだが嘘ではないモノとして描かれている
そういう愚かさの受容と、過去の蓄積から脱出しうる”もしかしたら…”の具象としての少年少女は、まぁイクニが何度も重ねてきたものであり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月14日
新たなレオとして拳銃持って飛び出した悠を、最終話でどう扱うかは、キャラとドラマの終着点であると同時に、作家性の到着点を見るポイントなのかなとも思う。
これまでの諸作品で描かれてきた『自己犠牲によるジャンクションの乗り換え』は、第6話と今回の燕太がガッツリ否定したところで、今までの”先”を見せなきゃいけない座組にはなっとると思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月14日
そこに悠の断絶(『オメーら家族生きてんじゃん』)をどう乗っけて、どう運ぶかは楽しみ。
皿を奪うべく子供を銃撃したレオに対して、悠は撃ってないのよね。この一点でも、間違えちゃったまま物語が続いた大人サイドと、現在進行系の子供サイドは大きく違う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月14日
それが儚い夢だったのか、なにかに到達しうるキッカケなのか。濃い最終話になりそうだ。
追記 尻子玉抜くかわうそよりも あたしゃアンタの嘘が良い
さら追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月14日
マブは”間夫”と書くと『花魁が本気で入れ込む特別な男』の意味合いがあるけども、愛のない情交で利益を引っ張り上げていた(と情人に思われていた)のはマブのほうで、娼妓的な属性を持ったキャラである。
新吉原は浅草寺裏、そこら辺の地誌もキャラに編み込まれてんのかね。
マブが秘めてる真心を、レオは死に際にしか気づくことが出来なかった。それを受け取った後も荒れ狂う情をどうにも出来ず暴れ狂い、悠に殺されることでようやく二人繋がれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月14日
死ぬことでしか救われない、真実が漏洩しない。心中モノだなぁ、と思う。近松とかの匂いがする。