イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

映画『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』感想

2018年10月から12月までTV放送された『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』の劇場版新作、『青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない』を見てきました。
主人公・咲太の人生に深く影響を及ぼしつつも、謎に包まれてきた牧之原翔子をメインヒロインに据え、TV版でお馴染みの面々総出演、青春症候群とがっぷり四つに汲んだ重量級エピソードとなっております。
劇場版ゆえのスペシャルクオリティ……という映像ではなく、あくまでTV版の延長線上にある印象を受けましたが、”思春期”という時代への真摯で鮮烈な取り組み、SFテイストの適切な扱い、キャラクターの可愛げと尊厳、藤沢周辺のローカルな匂い、抑制のきいた演出哲学と、TVシリーズの良いところも全て継承・発展させた仕上がりになっています。
同時に"総力戦"と呼ぶのにふさわしい、これまで咲太と麻衣さんが積上げてきた関係性と心の強さ全てが問われる重たいエピソードとなっており、その転がし方も含め、ずっしりとした満足感がありました。
相変わらず咲太は宇宙で一番偉いブタ野郎で、彼にもう一度逢えてよかったと思える、いい映画でした。

TV版を見た人、好きだったは絶対見るべきだと思います。
僕が青ブタで好きだった部分が全部そのまま生きてるし、むしろより強化されてる感じも受けます。
TV版で描かれた青春の凸凹を超えた先で、女の子たちがどういう生き方をしているかもしっかり見れます。
そのうえで、90分ぶっ続けでお話を回せる"映画"という媒体を活かした構成が、今までの青ブタにはない……でも確かに見たかった物語体験を叩きつけてきて、凄く新鮮な気分にもなりました。
SFジュブナイルとして、咲太と麻衣さんの人生の物語として、しっかりまとまった気持ちのいい映画でした。
非常におすすめです。

 

 

 

 

つうわけで、こっからはバリっとネタバレ感想でございます。
最初にキャラの話ししておきますと、まーーーーーじで咲太が偉い。
今までも消えかけた先輩を助けるべく奔走したり、後輩の青春に真正面から向き合ったり、ダチのピンチを助けるべく疾走したり、未来の義妹のめんどくせぇ問題をどうにかしたり、妹の社会復帰と消失と取っ組み合いしたり、ずーっと偉い少年でしたが。
今回は『死と決断』という凄く重たいものに、真正面からぶつかるしか無いハードコアな展開に飛び込みつつも、こらえるべきをこらえ、選ぶべきを選び取り、流すべき涙をしっかりと流していました。
翔子さんの同棲宣言で『お、ハーレムラノベか? 人山いくらの安い展開突入か?』と思わせておいて、凄い勢いで因果が収束し、『翔子が死ぬか、自分が死ぬか、麻衣が死ぬか』の重すぎる選択を背負う運び。
必死に生きてる牧之原さんに、かつて受けた恩義を返すように優しく強く接し、人が為すべき責務をしっかり果たしている様子。
相変わらず軽口の中にぶっとい倫理観と人間力を込めた、良いブタ野郎でした。
マジ偉い。

僕は咲太が好きでTVシリーズを見通した部分がある視聴者なので、映画版でもあいからわず、というかよりハードコアに尊敬できる少年であったことが、非常にありがたかったです。
初恋の人であり、自分を絶望の淵から引っ張り上げてくれた恩人であり、助けるべき幼い命でもある牧之原翔子。
それを諦めきれず麻衣さんを失い、取り戻して翔子を諦める決断を果たす……だけではやはり留まれず、自分の過去を天秤に乗せても、ベストエンドを掴み取ろうと懊悩する姿。
重すぎるジレンマ(麻衣さんの行動でトリレンマに複雑化しますが)に引き裂かれ、それでも麻衣さんの感情を受け止めるべくこらえていた涙を、翔子さんに受け止められて泣いてしまう姿。
非常に重たく苦しい、高校二年生が背負う領分を超えた選択に、真摯に悩む姿は非常に咲太らしく、手に力を込めて応援してしまいました。


そんな彼を取り合う、麻衣さんと翔子さんのダブルヒロイン……って、言葉で片付けて良いのやら。
恋の鞘当てでライトに終わる領域はあっという間に行き過ぎて、麻衣さんを選んで翔子さんが死ぬか、翔子さんを選んで咲太が死ぬ(ことを回避するべく、麻衣さんが死ぬ)かという、生き死にの領域に話はぶっ飛んでいきます。
麻衣さんはTVシリーズよりも濃厚に感情を出して、よく泣きよく怒りよく叫びます。
それは飄々としてた咲太が、かえでの消失で完全崩壊し、翔子さんの膝で号泣したときのような、もうのっぴきならない魂の問題を突きつけられているからだと思います。
それくらい桜島麻衣にとって梓川咲太の存在は大きいし、エゴをむき出しに『私を選んで!』と叫ぶ以外に、麻衣さんに差し出せるものはない。
その身勝手さ、弱さ脆さ醜さを出したことが、むしろしっかりしてるけども子供でしかない麻衣さんの重荷をようやくおろせた感じがあって、不思議にホッとしてしまった。
このお話の子供たちは凄く感情を溜め込んでこらえるので、泣くと逆に安心しちゃうんですよね……。

エゴを表に出すと言っても、麻衣さんは相変わらず素晴らしい人間で。
咲太の運命を取り合う恋敵のはずの翔子さんにも、生きたいと願う翔子ちゃんにも、朗らかに優しく接して意地悪なところがない。
そういう人でも、刻々と迫る生き死にの決断を前には冷静でいられないし、熱海まで振り回して自分の側に置こうとする。
東海道線はどこまでも逃げれる夢の列車では当然なく、"果て"みたいなものにたどり着いてしまった麻衣さんは自分の中の身勝手さで、咲太を己に繋ぎ止めようとする。
電車の終点と、何か選択しなくてもいい未来を夢見る思春期の終わりが噛み合っていて、あれはとても良いシーンでした。

どこまで言っても出口がない、ハッピーエンドに繋がる正解がない。
そういう極限に追い込まれてなお、咲太は生きたいと願うし、翔子さんに生きていて欲しいと望む。
その優しさは"麻衣さんの死"というオルタナティブを呼び込み、咲太は濃厚な絶望に飲み込まれていきます。
かえでの思春期症候群に絶望して、海岸に座ったときと同じように翔子さんが救いの手を差し伸べてくれて、過去に帰還した後、彼はキモいウサギの鎧を着て、透明な自分を藤沢駅前に彷徨わせていく。
誰にも見つけてもらえない恐怖……かつて咲太自身が救い出した麻衣さんの絶望(麻衣さんが自分を犠牲にしても咲太に報いたいと思うようになった原因)を追体験しながら、彼は不思議な断絶を乗り越え、二度目の絶望を味合わない道を決断していきます。
公衆電話越しに繋がる『麻衣さんが死ぬ前の自分』の優しい夢と、『麻衣さんが死んだ後の自分』が握りしめる残酷な決断。

そこには『誰かを選ぶということは、誰かを選ばないということ』なんていう、ラブコメだったら甘酸っぱく響くテーマが横たわっています。
翔子さんを選ばない、ということは、思春期症候群と死病が噛み合って生まれた極限状態においては、恋でも喜劇でも終わらない。
麻衣さんが実際いなくなってしまった後の絶望を知った『未来の咲太』にとって、翔子の殺害と麻衣の生存は天秤にかけて答えを出さなければならない、シリアスな難問です。
そこで、麻衣さんを選ぶ、ということ。
たった四日間の断絶ですが、そこには非常に重たく強いものが横たわっていて、『選んだ咲太』と『選らべなかった咲太』を確かに分断しています。
そういう決断をしなければいけない時代を"思春期"と呼ぶのであれば、確かにこの映画は思春期症候群の話であり、その終わりの話だと思います。


分断と融和は咲太だけでなく、翔子や双葉にものしかかってきます。
未来と現在に分断されていた翔子ちゃんは、咲太に重い選択を強要していた自分を認識すること、過去改変を咲太や麻衣さん、既に経験を重ね責任と自意識を発達させた"翔子さん"といった『年上の大人』に任せきりにせず、自分のミッションとして引き受けていきます。
その意識が、白紙だった未来の予感を自分の筆で埋める確信、運命を書き換えハッピーエンドを引き寄せる意志となり、翔子ちゃんは死なず(殺させず)にすむ。
歳経て、望んでいた未来(≒"翔子さん"として経験した夢)を己に受け止めることが出来る。
三人が揃って迎えた砂浜のラストシーンは、青春症候群によって分断されていた未来と現在が融和し、牧之原翔子が新たに歩き直すシーンだと言えます。

双葉は優秀なブレーンとしてクールに青春症候群を分析していきますが、咲太の死が不可避であるとわかった時、自分の領域である理科室から身を乗り出してきます。
踏切の前で立ちすくみながら、生き死にの選択に動揺する少年少女は、踏切が上がっても前には踏み出せない。
それは非常に重たく辛い決断で、それでも『死んでほしくない』という願いだけは本物で、そしてその思いだけでは事実を動かせなくて。
思春期の無力な、だからこそ切実な感情がどこに向かって良いのかわからないまま、踏切の前で足踏みを続けるシーンは、咲太と双葉の関係性が非常に強く誠実なものだと分からせてくれる、とても良いシーンでした。

そんな時間を超えて、死のうと決めて赤信号の前、足踏みを続ける咲太。
死を決意しているのであれば、『止まれ』の赤いサインなど無視して自発的に飛び出していけばいいのに、そうは出来ない。
迫りくる運命が自分にぶち当たってくれる瞬間を、震えながら待ち受けるその姿は、どこか踏切前の双葉に似ています。
巨大な運命、あまりにソリッドな"死"の質感を前に、どうしても足踏みしてしまう気持ち。
それが多発する『分断を前にした足踏み』というモチーフで強調されているように思います。

かえでの消失を契機に、静かに持ち込まれた"死"の気配。
重たい冬空、抑えめなBGM、冷徹に画面を寸断するレイアウト。
踏切や信号の前を走っていく巨大な質量に飛び込む勇気はなく、しかしそれから目を背けるほど卑劣でもなく、どこに行って良いのかわからないまま、決定的な瞬間を待ち続ける。
臆病と勇気が同居する少年少女の肖像には嘘がなくて、凄く真っ直ぐ心に入ってきました。
恋とか青春とか友情とか、様々な思春期バトルを繰り広げてきたこのアニメが、最後に挑む決断が"死"だというのはある意味必然であるし、そこで描かれる逡巡がこれまでと同質の真摯さと、異質な重たさを同居させているのは、作品をよく見た表現だとも思います。

足踏みを続けた結果、"死"に麻衣さんをもぎ取られたあとの咲太は、踏切を前に足を止めない。
バロックに傾いだ世界の中で、自分を見失いつつももう足踏みはせず、ゆらゆらと進んでいってしまう。
翔子さんの生より、麻衣さんの生を選ぶ。
不可思議な思春期症候群により"取り返し"がつく決断となった、踏切の先にある風景。
それは誠実に足踏みを続けている間は見えず、体感した後はもう戻ることが出来ない強い断絶で、公衆電話越しにその断絶を共有/分断する『選んだ咲太』と『選べない咲太』の姿が、主人公が一つおとなになってしまったことを上手く描いています。

 

そんな風に咲太を分断するジレンマを、視聴者にキッチリシンクロさせてくる翔子さん/翔子さんの魅力。
『オイオイオイオイ、こんないい子が死ぬのは"嘘"だろマジでよー!』としっかり思わせる、ちょっと悪戯なキャラ造形、真摯な生き様。
麻衣さんが受け止めきれない咲太の懊悩を、しっかり受け止めてくれる年上であり。
未来の夢を描くに描けない、生き死にのジレンマにとらわれてしまった子供でもあり。
咲太をかつて救い、今救ってくれる救済者でありつつ、咲太の優しさと献身に救われる受難者でもあり。
SFギミックを最大限に活かすことで、非常に複雑で面白い奥行きが生まれていました。

翔子の青春症候群は未来と現在に彼女を分割し、なおかつ時間遡行で因果をかき回します。
かつて咲太を救い、その言葉を支えにすることで麻衣さん(や各エピソードのヒロイン)を救ってきた『ありがとうと頑張った』は、翔子さんから三年前に受け取り、翔子ちゃんに今手渡した言葉なわけです。
卵が先か鶏が先か。
翔子さんが咲太に優しくしたから優しくなった咲太が、優しい言葉をかけたから翔子ちゃんは優しくなった。
不可思議極まる思春期症候群はしかし、生き死にを選ばなければいけない理不尽とか、時間と因果を飛び越えて繋がる優しさだとか、決断と勇気を超えた先にある結末だとか、凄く素敵な物語を引き寄せるエンジンとして、しっかり機能しています。
幾度も書き直され、追加される未来の計画が、子供でしかない翔子ちゃんが抱え込んだ悲しい夢を上手く物質化するフェティッシュとして、しっかり機能もしていました。

二つに分裂した双葉の事件と同じように、量子重ね合わせの状態にある二人の翔子、二人の咲太は融合することで、引き裂かれた因果は収束していきます。
過去と未来は一つにまとまり、『決断をする/しない』に分断されていた咲太の思春期も、『未来を信じる/怯える』に分割されていた翔子も、矛盾を解決しよりより自分を引き寄せることが出来る。
SF的なギミックがしっかり内面の悩み、思春期の重たさと噛み合ってドラマを加速させているのはこのお話のいいところですが、二人の翔子は特に良い症候群だったと思います。

お話の展開が『麻衣さんが死ぬ』というバッドエンドから、『麻衣さんを選ぶ』というベター(ビター)エンド、『三人全てが生き残る』というベストエンドに転がっていくのも、サスペンスを持続させてとても良かったです。
みんないい子たちなので絶対死んでほしくないんだけども、抑圧の効いた演出で見せられる"死"(麻衣さんの事故以前から、BGMへの抑制、重たい冬の空、緊迫感のあるレイアウトでしっかり表現されている要素)の重たさ、そこから生み出される絶望にシンクロしてしまうと、咲太と麻衣さんの重たい決断を支持したくもなる。

でも全てがうまくいく幸福な夢をどうしても諦めたくなくて、『どっかに希望がないものか……』とエンディングが迫る中、訪れる鮮明なラストカット。
麻衣さんが映画に出ることで回った因果が、どこの誰とも知らぬドナーに届いて、誰も死なない未来をつかめた。
夢の中に微かに残っていた思い出が、生きて走り回る翔子ちゃんを目にした瞬間咲太の中に蘇ってきて、思わず飛び出した『牧之原さん!』の言葉に、翔子ちゃんもすべてを思い出す。
真剣に生き死にに悩み、掴みたかった未来と守りたかった夢と必死に戦った少年少女に報いるエンディングを、名曲"不可思議のカルテ"が余韻を込めて飾る。
素晴らしいエンディングでした。

麻衣さんの映画がバタフライ・エフェクトの引き金になってるところが、僕は凄く好きです。
"空気"に殺されそうになって透明に死にかけていた彼女を助けたのは、咲太の空気の読まなさ、優しく生きようとする決意で。
それは三年前、翔子さんが砂浜で咲太を抱きしめてくれたからこそ生まれた生き方の成果なわけです。
立派な大人に成長した翔子さんが、死に怯える翔子ちゃんの生み出した"夢"だったとしても、彼女が咲太に投げかけた優しさは、確かに麻衣さんを救っていて。
その結果として帰還した芸能活動の影響が、見ず知らずの誰かを動かして、幸福な結論を引き寄せる。
そんな『優しくなる生き方』を、与えてくれた当人に返すように、咲太が翔子ちゃんの涙を受け止め、勇気づける姿がたくさん描かれていたのもとても良かったです。

残酷な決断に寸断され、奇縁に捻じ曲げられたとしても、優しくあろうとする思いは誰かに繋がり、何かを変えていく。
それは凄いポジティブで靭やかな世界認識だと思うのです。
そんな絶望の中の希望が、咲太が思春期症候群で死ぬのを止めて、かえでが生きる道を切り開いて、麻衣さんも助けた。
そうやって諦めなかったことが、全く関係ない誰かを動かして結果として個人的な幸運を連れてきたっていう終わり方も、顔の見える誰かとの特別な関係から、顔が見えない社会に繋がっていく思春期からの成長を思わせて、風通しが良く好きなところです。

狙ってやったわけではないだろうけども、麻衣さんが使える女優としての影響力(この負の顔が、重苦しい葬式の映像なわけですが)を最大限駆使して、直接繋がっていない誰かを動かすこと。
そうなれるように、覚えてもいない夢の記憶に背中を動かされること。
匿名で無名の"空気"を畏れず、自分にできる小さな羽ばたきで世界を変えていけると知らず、確信を深めること。
名もなきドナーの善意を受けて、翔子ちゃんともう一度出会えるエンディングは、かつて咲太と麻衣さんが苦しめられていた匿名性と和解し、その善なる側面を最大限授受できる立場に成長したという意味でも、非常に大きな意味を持っていると思います。
その結末を引き寄せたのは麻衣さんの女優としての力量だし、それを引っ張り上げたのは咲太の優しさ(を蘇生させた、翔子の優しさ/を活性化した、咲太の優しさ)なわけで。
ウロボロスの蛇のように、何が始点なのかわからない、時間と因果を超越した"夢"。
世界や自分が書き換わってもかすかに残る思い出が、優しいベストエンドを連れて来るのは、ジュブナイルSFとしても凄く良い終わりだと思いました。


メイン三人の物語はこのように色濃く展開するわけですが、サブキャラクター達も負けちゃいない。
TVシリーズでそれぞれの思春期症候群と向き合った少女たちが、しっかり生きて咲太の人生と関わっている様子も、手際よくパワフルに描かれていました。
のどかがシスコンっぷりを一切隠さなくなってるところとか、花楓が花楓なりの力強さで人生を取り戻すべく頑張ってるところとか、症候群が収まった"先"がしっかり見れたのは、続編として凄く良いところでした。
かえでの甘ったるい人造妹声とは全然違うんだけど、だからこそ花楓なりの辛さと尊厳を込めてかえでが生きられなかった未来を生きてる様子が伝わってくる演技は、久保ユリカ流石の一言。
朋絵と気さくな掛け合いで重い空気を逃してくれたり、一番最初に咲太ウサギを見つけてくれたり、いいポジションでした。
あの二人の掛け合い好き。

そして3人目のヒロインと言っても過言ではない、双葉理央の存在感。
やーっぱトンチキ事件が起こると一番最初に頼るのは双葉えもんだし、翔子ちゃんの病室にマメに足を運んで様子を見る真摯さは最高だし、『友達が死んじゃうかも……』と想像してブルブル震えだす年相応の弱さとかも、切なく愛おしいものでした。
過去に戻った咲太が、黒板いっぱいに考察を書き連ねて、どうにか幸福な結論を掴み取れないか双葉なりに悩んでいる様子を見て『ありがとう』って言うシーン、最高だったなぁ……。
ウサギの鎧に涙を隠している描写もそうなんですが、あの子らは感情の炸裂を必死に堪える強さ、プライドの高さがしっかりあって、だからこそその鎧を乗り越えて感情が溢れちまう瞬間がドドンと迫ってくるんですよね……。

踏切で訥々と、痛みを込めて友情を語るシーン。
抜け殻になった咲太の部屋に、国見と一緒に踏み込んでくるシーン。
クールでニヒルな天才少女の顔を、今回双葉は結構積極的に投げ捨てていて、そこら辺は麻衣さんの余裕の無さの現れと共通かな、と思いました。
クールでハンサムな少女たちから、余裕の仮面を奪い取ってしまうくらい、梓川咲太は強く心に食い込んでいる、ということですね。
まぁ毎回大奮戦して女の子たちの人生救ってんだから、当然の帰結ではあるけども。
やっぱ咲太は偉い(いつもの結論)。


ヒロインたち総動員でハッピーエンドを掴みに行く部分以外にも、翔子の青春症候群がこれまでのSFガジェット全部盛りって感じだったのも、"総決算"の感覚を強くしているところでしょうか。
認識消失、身体分裂、時間遡行、多重存在。
時間と因果と身体をかき回す不可思議な現象、今まで戦ってきた思春期症候群が、翔子を巡る冒険では全て発動していきます。
それは厄介な事態を引き起こすと同時に、事態を解決する鍵ともなっていて。
未来を拒絶する弱い自分を肯定することで、因果を書き換える特別な力を引き寄せる大逆転は、敵が味方に変わる気持ちよさも相まって、非常に良かったです。
ここでもSFガジェットがしっかりジュブナイルな内面闘争にしっかり噛み合っており、キャラクターの内的変化が特別な状況を引き出すロジックが、ブレずに維持されています。

咲太の胸の傷は、捻れた因果の証明であり、出会ってしまえば死ぬしかないドッペルゲンガーの宿命を背負っています。
それは本来存在するはずのない翔子さんという"夢"が、確かに死にそうになっていた自分を優しく助けてくれた事実を表し、彼女の死と麻衣さんの死で引き裂かれる未来を予見もしている。
どちらかが消えるしかないという、二者択一な命の選択。
それは二人の翔子がヒロインになる前から……麻衣さんと咲太が出会う第1エピソードの前から約束されていた、一つの必然だったのでしょう。

生き死にのジレンマを飛び越え、匿名のドナーに信頼を預けて翔子の未来を掴み取ること。
かつて自分たちを殺しかけた"空気"を味方に変え、『映画に出る』という自発的表現活動で突き動かしていくこと。
因果のもつれた糸をリスク承知で引っ張り、その先にあるはッピーエンドを掴み取ること。
青春症候群と闘い続けてきた物語が、一応の終りを迎える今回、名前のある濃厚な空間に閉じこもっていた関係性が、何か広大なところに開放されていくような感覚もあります。
その質的変化もまた、総決算の感覚を強めているのかもしれません。


TVシリーズ放送開始時から予定されていた劇場版であり、1クールの尺では収まらない原作六巻・七巻を描ききる位置づけもあってか、美術や作画はTV版から超絶クオリティアップ、というわけではありません。
ただ元々美術の使い方が巧い作品であり、湘南のペーソスを活かした舞台設定が地道な話運びにしっかり噛み合っているのは、TV版から継承された長所と言えます。
藤沢駅周辺、江ノ島といったTV版で見た景色だけでなく、鎌倉八幡宮に逗子に茅ヶ崎熱海駅とよくロケハンされた景色が、地元民としては非常にしっくり来ます。
見慣れたはずの風景にハンディな感覚を覚えつつ、どこか特別な色彩がしっかり宿っているのは非常に面白かったです。
江ノ水前の道路、マジよく通るからな……江ノ島龍神の社でもあるので、ウラシマ効果に囚われた翔子さんを龍宮城の比喩で例えるのは精密なのよね。

天候の操作も話の展開と非常にしっくり噛み合っていて、冬の重たい灰色がなんとはなしの不吉さを予感させて、冷たく重い雨がヘヴィな展開とともに降り注ぎ、咲太をいじめ倒す流れと噛み合っていきます。
運命のクリスマスに降りしきる雪は、それを気に留めない咲太の呆然を上手く強調するし、"死"がむき出しになるショックを上手く彩ってもいました。
悲しく残酷な世界に取り残されることを、それでも決断した咲太の上に降りしきる冷たい雨と、寄り添って傘を指してくれる麻衣さん。
自分たちが選び取った"翔子ちゃんの死"を看取る重たい足取りは、けして晴れることはない。
それでも、二人は進む。
マジあの二人立派すぎる……人間力が太え。
ずーっと灰色が印象的な世界だからこそ、正月明けての陽光が眩しく、ベストエンドを綺麗に祝福してもいたと思います。

あとカレンダー表記の使い方が、相変わらず良かったです。
どれだけ停滞を望んでも時間は勝手に進み、残酷に運命を飛び越えて生者は生き続ける。
麻衣さんがいない世界、あるいは翔子ちゃんが死んだ世界で大人になるしかない未来を、非常に怜悧に見据えて進むこのお話で、時間が持つ残酷さをカレンダー演出がうまく担保していたように思います。
勝手に転がっていく時間の中で、それでも足踏みして何かを待っている少年少女たち。
その温もりに寄り添いつつも、どこか冷えた時間感覚、客観性を維持していることが、逆に登場人物の体温をしっかり伝える。
そういう作品が時を見る"眼"として、時折挿入される引いたカメラワークと合わせて、いい仕事でした。

"絵"の冷たい客観性は、例えば翔子ちゃんのICUでもいい仕事してて、人工心臓駆動しちゃってるからチューブに真っ赤な血液が流れ込んで循環してる様子とか、しっかり捉えてんのよね。
あれは今まさに翔子ちゃんが死にかけてて、それでも必死に闘っている様を無言で強く主張してきて、良い演出だと思いました。
ああいう地道なところがかっちりしてるので、咲太の『翔子ちゃんはすげー頑張ったし、頑張ってる』という感覚にシンクロ率も上がっていくのよね。

 

というわけで、非常に良い映画でした。
不可視にして致死の"空気"と必死に闘い青春を駆け抜けてきた咲太と、彼に助けられ彼を思う少女たちの総力戦として、作品のいい部分を最大限伸ばした物語だと思います。
登場人物全員必死で、でも無敵ではなくてしっかり傷ついて、堪えに堪えて流れる涙を受け止めてくれる誰かが、ちゃんといる。
すげぇ古臭い"人情"を真っ直ぐ見据えて、甘すぎず苦すぎず、優しくキャラクターの人生を見つめてくれる視座が好きなので、それが最大限生きていてとても良かったです。

生き死にと恋と青春を複雑に絡み合わせ、メロウで冷たい距離感を維持しつつも、どこか甘い感傷を込めて不可思議を見つめる。
そのためのメディアとして、SF的な道具立てを有効活用する。
僕らの世代がいわゆる"泣きゲー"で摂取した物語の精髄を、この物語は正式継承して"今"の読者に伝えてる部分が、結構あるのかなぁ、と思います。
妙に懐かしい感じなんですよね……でもノスタルジーで過去だけ見てるかっていうと、すげー"今"青春を闘ってる層に向かって投げてるとも感じる。
そういう優しい断絶を、上手く乗りこなしてアニメーション映画にしてる意味合いでも、非常に面白い映画と言えます。

オススメです。
皆さん是非見てください。