からくりサーカス 第32話『暇乞い』を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
黒い流星は流れて散った。束の間の休息に、少年が追いつく。胸を焼く焦燥、溢れる思いを飲み込んで、男と女の時間を見守る。
迫る敵影に、重なる暇乞い。殺戮の悪鬼に、死出の芸仕ると道化師が笑う。
去らば、主よ。死に向かいて特に感慨なし。
というわけで、最終決戦の谷間、全員のモチベーションを確認する休息回である。血しぶきと思いを積み重ねるバトルも大事だけど、やっぱこういう対話のエピソードあってこその盛り上がりよね…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
つーか鳴海のツン期がなげぇ! エレオノールの対自動人形ツン期が終わってもま~だ続くぜ!
約束されたカップルの居場所に、勝ちゃんは唇噛み締めて入らない。金がかつて犯した横恋慕の失敗を、勝ちゃんは繰り返さないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
それは正しい。物分りも良い。
しかしあまりにも苦しくて、『勝ちゃんばっかりこんな…』という気分にもなる。やっぱ物語リソースが過大に、少年の背中に背負わされすぎ
『繰り返す運命の中で、無垢なる勝だけが過ちを突破し、新しい未来を掴む』という構図なので、その一極集中もまぁ仕方がないんだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
鳴海もエレオノールも、勝と出会わないければ怒りに囚われた人形のまま。藤田作品で一番神聖視されてるのは『少年』なのかもなぁ…まさに”少年漫画家”だなぁ。
しかし勝ちゃんをせき止める仲町サーカスの面々、”最古の四人”の言い分、立ち居振る舞いにも頷けてしまうのが、なかなかの困りものである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
漏れ出した記憶の共有(勝ちゃんとフェイスレスや正二、鳴海と銀に共通するモチーフだな)により、仲町一家は彼女の辛さが解ってしまう。
血まみれの人生に、唯一色がついた。男と出会い、恋をした。それは仲町自身が愛妻家だからこそ、大事にしてやりたい優しさなのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
ギィは掴めなかったママンの面影をエレオノールに投影し、仲町は市に別れた妻の残影を芸人仲間に見る。皆がエレオノールに、何かを投げかけるのだ。
これの最悪の形がフェイスレスの横恋慕で、アイツは一生兄貴とフランシーヌを誰かに投影し、満たされないまま突っ走るわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
仲町は失った妻をどこか投影しつつも、エレオノール個人の幸せを見る。ただの娘として、人間として、当たり前の幸福を掴んで欲しい。そういう願いを見落とさない。
これは”日常”を共有してきた彼だからこその願いで、かつては勝ちゃんも”そっち側”だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
記憶をダウンロードし、過酷な戦いに身を投じた戦士に、当たり前の幸福を大事にする強さを思い出させる。我慢を強いることは、そういう教えにもなっているのだろう。でも勝ちゃん、辛いな…。
忠義の自動人形は、無言で立ちふさがるだけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
超えたければ超えろ。ただし、その時足蹴にするのは人間、お前自身の尊厳だ。
他人のマネをすることしか出来ない自動人形だからこそ、勝自身の思いやりを問う鏡張りの壁。キツい…勝ちゃん善人だから、超えられるわけ無いじゃん…。
逆にいうと、こういう義人の行いをじっと見ることで、”最古の四人”は人の人たる所以を見て取り、学ぶことが出来るのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
ドットーレはルシールから憤激を学び、自分の存在意義を踏みにじって倒れた。
コロンビーヌは絵本の中の恋に憧れ、勝の体温に抱かれて旅立っていった。
その先にある風景に、芸人まがいの人形たちは踏み出していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
その二人が得れなかった、フランシーヌの血を継ぐ存在からの敬意と許し。『あなたのために死ぬ』という忠義だけでなく、『必ず帰ってこい』という人間扱い。
ただ笑顔を取り戻すために生まれ、そのために進んできた存在への報い。
そういうモノを受け取って、人形は歓喜する。浮かれる”最古の四人”はとても可愛い。ここの芝居と表情は最高に良くて、華やかで同時に寂しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
旅立った先に、確実に待つ死。それを見据えてなお、答えにたどり着いた喜びが勝つ。
© 藤田和日郎・小学館 / ツインエンジン pic.twitter.com/lQffoXxtm4
生まれたときから間違えて、一度死ぬことでしか生まれ変われなかった自動人形。”最古の四人”は、そういう哀れな存在ですら、魂の輝きを宿し、なんの畏れもなく死地に飛び込む勇気と強さを掴めるのだと、証明する存在なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
生まれや構成素材が、”人”の在り方を決めるのではない。
お互いの芸を楽しみに、自動人形たちは外へ飛び出していく。死ぬことは解っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
でもそれ以上の答えを、エレオノールが見せてくれた。
だから、少し夢を見る。サーカスで芸を見せて、人を笑わせる夢。作られたときから定められて、けして果たせなかった願い。
それはジョージやルシールやギィやヴィルマが見たのと同じ、一瞬の幻だ。掴み得ぬ蜃気楼だ。だけどそれを見ることができれば、舞台で果たすべき役目が見つけられたら、役者は降りても悔いがない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
からくりサーカスはまぁ、そういう死ばっかり描く。そういう形でしか、死に希望を練り込むのは難しい。
殺す人形だったエレオノールが、人形の忠義に『帰れ』と付け足せたのは、良いことだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
今は己を修羅に押し込めている鳴海と出会えたからこそ、生まれた未来への希望。生きること、日常に帰還することへの渇望。
人形たちはそれを夢見つつ、どこかで届かないことを知っている。
知ってなお微笑み、不帰の闘いに微笑んで、あまりに軽やかに身を投じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
この爽やかさは侍の薫風、若武者が命を燃やす瞬間の香気でもあろう。死を前にして、特に感慨なし。
そういう心地よさを背負って、人形は美しい。だから、その忠義は哀しい。
一方、殺しなんぞ知らない日常代表は、思い出を汚されればこそ怒りに燃える。ホント最終決戦のオートマタは、キャラクターが抱えた問題を煽り倒す良い造形してんな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
真似るということは、学ぶための入り口であり、過去を汚すための最悪の罵倒にもなる。レディ・スパイダーは”最古の四人”の鏡なのだ
ギィの仇とも言えるカピタンに、勝は向き合う。自分の中の憎悪を試される戦いになるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
仲町サーカスの芸人たちは、今まで積み重ねた技だけを頼りに、怪物蜘蛛を相手取る。ヴィルマのナイフは、仲間の血。刺せるか刺せないか、常人の維持が問われる闘いだ。
”最古の四人”は、自分たちの隙間を埋めた”最後の四人”と戦う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
一度死に、人に寄り添って真似ることで何かを学んだものと、最初の在り方に縛られるもの。
人形と人形の殺し合いは、作品の真ん中にあるものを赤い血で照らしていくだろう。
闘いが何を軸に展開するか、確認するエピソードであった。
最後の室に守られた二人は、まだ闘いに出ない。彼らが激闘に何を投げかけ、誰と向き合うかはまだ、語られる物語ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
全てを引き剥がす闘争の刃が、鳴海の中の悪魔を、エレオノールの祈りを貫く時は、未だ少し先である。勝ちゃんマジ休んでねぇ…。
やっぱ決戦の前には、自分たちがどんな物語を背負って、決戦で何を問うかをしっかり確認したほうが盛り上がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年6月29日
そういう劇作の基本を思い出す、良い谷間回でした。仲町渾身のモノローグに血が通ってて、凄く良かったなぁ…。次回も楽しみですね。