キャロル&チューズデイを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
マーズグラミー、誕生日、クリスマス。
運命の日を前に、キャロルは友との離別に震えていた。それでも沢山の人が、手を差し伸べてくれる。輝きの中、満たされる祝福。
一方、アンジーは孤独に苛まれる。薄暗い闇の中一人、耐えきれず伸ばした手に、祝福は訪れるのか。
そんな感じの決戦前夜、ゴリッゴリに追い込まれるアンジーと、悩みつつも出口が見えてるキャロルの対比がエグい回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
ツンデレの末路…というにはアンジーの追込みがなかなかにハードで、光の領分で一歩ずつ進んでいける主人公との落差が強かった。こういう配役なのは知ってたけども…。
今回はクリスマス前ということで、様々な人達のプレゼントが行き交う、贈与のエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
何かを贈り、与えるということ。それは善意の証明ともなるし、復讐や憎悪の具現化ともなりうる。
キャロチュー(と、彼女たちと音楽で繋がった人たち)が輝くプレゼントを交換する中、暗い贈与も沢山ある
一番ポジティブなのは、ロディーとチューズデイ、そしてキャロルの間で交換されるクリスマスツリーだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
『火星で生の樹は高い』という、ちょっとSFチックな描写を交えつつ、それでも贈ることが誠意の証明となるような、笑顔を生み出す贈与
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オーナメントで飾られたツリーの前で、キャロルは孤児の”当たり前”…ナチュラルについて語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
当事者にとってはその悲惨は”前提”であって、地雷でも傷でもないのだが、優しい仲間は気にかける。
火星のクリスマスツリーのように、あるもののナチュラルは、時に高いコストを強いる。
それをプロテスト・ラップで世に知らしめようとして、政治圧力によって排斥されようとしているのがエゼキエル=アメルである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
彼の牢獄からの言葉は、抑圧者たる移民局職員によって全世界に放送され、キャロルにプレゼントされる
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それは同時に、全地球難民、全火星民へ投げかけられた曲である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
彼はキャロルを恋しく思うアメルと、裏路地を仮面被って生き抜いてきたエゼキエル、両方としてこの曲を歌っている。個人へのプレゼントは、同時に世界へのプレゼンテーション足りうるわけだ。
背中に”POLICE”と刻まれた職員も、アメル=エゼキエルのメッセージ(彼の言葉と聖書文脈を借りれば”預言”)を檻を超えて、世界に開放する手助けをする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
政治屋たちが炙り、火星を発火させている抑圧と対立は、牢獄という抑圧装置の中枢においても、完全には機能していないのだ。
これを『歌が人の真心を蘇らせたんだ!』と取るか、『対立はあくまで表層であって、中身は結構生煮えだった』と取るか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
ポピュリズムが前面に出ている以上、どっちかと言えば後者な気はする。投票を操る政治トレンドは、社会の実相を捉えないファッションでしかないのではないか。
そういう意味でも、『流刑者の言葉を、刑吏が流した』このMVは多層な意味を持つプレゼントだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
キャロルと対面したときに言葉にし、曲の中でも言っているように、アメルはエゼキエルである自分を捨てない。そこには自分へのリスペクトと、過大に誇って世間と戦うボースティングが残っている。
しかし彼は柔らかい自分自身…キャロルと親友であり、もしかしたら恋人にもなり得た”アメル”として、この曲を世に問う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
『今流されようとしてる”地球野郎”だって、生身の人間だぜ?』
栄えあるマーズグラミー新人賞から追放されたラッパーが、火星に打ち込む楔。そこには一個人の血が通っている。
これを受け取って、凍っていたキャロルの筆が動き出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
それはアメルとの思い出を取り戻せたというだけでなく、”エゼキエル”としてストリートから這い上がり、自分の歌で地球難民の立場をre-present したモノの歌を、同じ歌い手としてしっかり受け取ったからだろう。
エゼキエルがキャロルが大事にする”アメル”を受け入れ、その名で曲を贈ったように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
キャロルもまた、彼が歌う背景にある”エゼキエル”の祈りを受け止め、それをアルバムの最後に置くことにした。
お互いのイメージは相互に贈与され、自分らしい形に編集されて、世に問われる。送られていく。
戦闘的ラッパー・エゼキエルに触発されて作る曲が、教会での祈りの曲なあたりキャロチューだなぁ、という感じはする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
難しいことも、怖いこともよく分からない。ただ思うまま歌って、世界が開けていく黄金の子供。そんな彼女たちが贈るプレゼントは、あくまで金色だ。
神々しい光の中、今まで罵倒しか垂れ流さなかったトビーが手ずから鍵盤を握り、”ナチュラル”なハンドクラップを伴奏に歌い上げられる、平和な歌。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
それが”断片(piece)”に砕かれた火星を”平和(peace)”に導くかどうかは、まだわからない。
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思えば物語の開始時から、そして幾度も物語が語られる度に、キャロルとチューズデイは黄金の光の中、歌で伝説を作ることが預言されてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
だから、かくあるでしょう。そういう予測は立つ。しかしその奮闘は、あくまで自分の領域にしがみつく決死の個人主義と背中合わせである。
キャロルはエゼキエルの歌も、アンジーの現状も端末越しに見る。アメルの訴えは受け止め、アンジーの苦境は義憤を吠えて放置する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
そういうもんではあるし、物語上彼女を救うのはタオの仕事だし、キャロチューにはキャロチューの物語がある。
酒まみれのサンタが、クリスタルとの共演を持ってくる物語
その輝きを煌めかせるために、光は闇に必要以上に接近してはいけない…少なくとも今は、そのタイミングではない、というのは判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
一少女が持ちうる博愛と世界観の限界点が、端末越しのアンジーであり、その無力を超えるために教会での録音にたどり着いた、ということかもしれない。
まぁ僕はアンジー(と言うより、作品内部に僕が観測する公平性)のモンペなので、あんまりな落差に文句を言いたくなったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
本当にアンジーは徹底して、追い込まれて孤独である。
病院から出る時も、マネージャーすら用意されず人並みにもまれ、以降も暗闇一人きり。
ダリアが過保護という名前の束縛を維持するために、アンジーのマネジメントを独占していただろうこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
その反動で、アンジーが他人を徹底的に寄せ付けなかっただろうこと。
色々あるけども、ここはケイティ使っても良いところじゃない…? タオに導線引くためには、一回徹底的に追い込まないとダメか
どちらにしても、オーナメントで祝福されたキャロルの”子供部屋”に対し、アンジーの”子供部屋”は決定的な答えも、愛されていた証拠も贈りはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
プレゼントを貰えないまま抗精神病薬を貪るアンジーは、孤独に妄念を反射させていく
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自分のレプリカが己を嘲る、虚しい合わせ鏡。それが本当にそこにあったかは、もはや問題ではない。青い雪のように虚像が解けても、アンジーを取り囲む抑圧は消えやしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
誰かが自分を見る像。選び取ったわけじゃない名前。曖昧なオリジン。
少女は、何もプレゼントされない。
それはエゼキエルがアメルの名を、キャロルがエゼキエルの歌を受け取ったのとは、全く真逆の孤独だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
迫害されていても、そこには夢と友情があった。今去ろうとする者も、残って火星を生きるものも、歌を持ちうる。
そういう過去と現在と未来への確信を、伝えてくれる存在がアンジーにはいない。
その孤独が、暗闇の国のアリスに届くのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
人の行いを反射し、良き隣人とも監視者ともなりうるAI達に、アンジーはパラノイアを反射する。
出口を求めて震える指が、唯一出せたSOS。プレゼントにはなりえない、もたれ掛かった”助けて”。
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その言葉を紡げたことが、アンジーにとって幸福だったのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
ここまで追い込まれなければ、『助けて』とすら言えない彼女の孤独と強がりを、嘆けばいいのか。
なかなか難しい展開である。イヤまぁ、こういう役どころなのは解ってるし、いい追込みだとも思うけど…アンジーが可哀想だよ!!
『助けて』を一方的に(そして最終的に)プレゼントされたタオもまた、AIフル動員のクラッキングで”父”たるシュヴァルツに『長い悪夢』をプレゼントしようと企む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
アンジーは暗い孤独を抜けた(そうであってくれッ…)後、ダリアに何をプレゼントするのだろう?
自分を代用品として追い込んだ復讐か。
それとも、別の何か…たとえば”愛”とか…か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
それは彼女が、自分の起源、自分の真実の名前にたどり着かないことには見えない。
願わくば、キャロチューが無自覚に消費する”ナチュラル”な幸福の欠片でも、闇の子供に与えてやってほしい。
ホント追込みの”圧”が、光担当と闇担当で別よなぁ…。
”親”に反逆し、炸裂する正義をプレゼントしようとするのはスペンサーも同じで、”放蕩息子の帰還”を演じつつ、母を刺すためにカイルと通じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
現状を『”ヴァレリー”が大統領になって”しまう”』と告げるスペンサーが、僕は少し悲しかった
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もう”母が”とは言えないし、家族が世界の頂点に立つ行いは”しまう”と、不本意な達成、そこへの抵抗の色を込めて語られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
それがあの家族の現状で、チューズデイはそこから逃げ出したのだ。少なくとも、今は。
ヴァレリーをもう一度”母”と呼ぶためにこそ、お兄ちゃんは不実な裏切りを選んだ…のか?
様々な家族、様々な立場。贈与は明暗を取り混ぜながら行き交い、アルバムは完成に向かう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
マーズグラミー新人賞。音楽家としての誉れを競う場所は、それだけではない人生の厳しさを問う場所にもなった。
シリアスな傷を背負わなければ、進めないもの。
ナチュラルに、でこぼこ道を乗り越えるもの。
そこでプレゼンテーターを務めるのは、己の富と名声、真実の名前を取り戻したアーティガンである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
我が家を買い戻し、自分にプレゼントする。スーパーエゴらしい、自己完結するの贈与である。
何が”売出し中”だ! 俺が”アーティガン”だ!
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そんな彼が握る、二度目のマーズ・ブライテスト。今度は特例で二人同時、とは行かないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
その厳しさを思うと、目の前の自分の戦場だけに集中したキャロチューの歩みも、ある意味誠実なのかな、と思う。けして気楽な道というわけでもないしね。
ただ、徹底して”ナチュラル”ではある。
孤児の寂しさも、難民の苦しさも、当たり前にそこにあるものだった。苦境も喜びもナチュラルに飲み込めるキャロルと、彼女に共鳴するチューズデイの歩み。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
それが、ナチュラルにけしてたどり着けないアンジーの孤独とどう対比され、どう対決するか。
あるいはそこを超えて、融和を贈りあえるのか。
そういう物語の前景を、丁寧に追うエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月13日
輝く善意を受け取り、前に進むもの。闇の中、何も手に入らずてを伸ばしたもの。悪しき”親”を乗り越えるべく、反逆をプレゼントしたもの。
それぞれの火種が燃え上がる聖夜が、静かに迫る。来週も楽しみです。