続いて第16話花穂回ッ!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
プロミスドアイランドの人造性、異質性みたいのを背景に練り込んだ演出も激減して、ホントフツーのアニメを目指して方向転換したんだなぁ、という感じ。
キャラが積極的に赤面するようになったのも、結構な変化ね。文字通り”血が通った”わけだ。
この変化の是非、一期のメタな毒気をどれだけ吸えるか次第だとは思う。結構肯定的な意見も多いようだが、アクと一緒にコクも抜けた感じがあり、もうちょい濃い口で行って欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
まぁ濃い口で行き過ぎた結果、監督変わるわけだがな…。そら人選ぶよなぁあの”シスプリ”批評。俺好きだけど。
妹サークルに結構馴染んでたマミが、あんま出番ないのもシーズン2の”色”だろうか。妹をフツーのヒロインとして扱う以上、その位置を特権的に占めてたマミは別ポジに移る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
道理ではあるが、他人でも嘘でも家族になろうと頑張っててくれてたマミが好きなので、少し寂しくもある。
ここらへんから、悩む主体が航から妹に変化していく。作品の力点が、航の困惑と受容から妹の現状描写へと変化したわけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
スルリと引っかかりなく妹を受け入れ、助ける航は12話までの物語の結果でもあり、方向転換の犠牲でもある。スムーズな進行と引き換えに、違和を飲み込まない自由は消えた。
そもそもギャルゲのアニメ化で、一個人としての自我を主役に据える必要があったのか。作品の快楽原則に素直に、欲望を反射する白紙の主人公で良かったのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
ここら辺の反省は、リピュアストーリズで”兄”から名前が剥奪される結果につながる。
個人的には、主役にはクセや味があったほうが良い
ここら辺、コンテンツへの体重の預け方でも評価割れるとは思う。作品世界が生み出す独自の酩酊を、自分ごととして引き受けうるか、否か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
僕はコンテンツへの信心が薄いほうなので、物語の支柱としての太さと独自性を優先しちゃうわけだが。後にアイマスコンテンツのP像で再度揺れる部分、なのか。
全体の方向性を陽気に傾け、作品を肯定する。その方向転換はかなり急で、航は人格変化に必要なだけのドラマを詰めていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
ここら辺、”人が変わった”印象を受ける理由か。そこ埋めるよりも、妹の描写を増やすというのは”シスプリ”としては正解だ。
不正解をあえてやってたシーズン1、やっぱ変ね。
千影の占いバンクもなくなったな…あれあると、千影が妹サークルから離れた異物になっちゃうからな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
善意とともに押し込まれる、濃厚なプレッシャー。グッピーならストレスで死んでるな。
ホント航の内向的嗜好が鳴りを潜めて、妹を引き受けるようになったなぁ…。
航が妹と”シスプリ”に馴染んでいく方向性自体は既定路線だったと思うが、大畑監督のままだったらどういう匙加減で変化させていたかは気になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
多分陰気で、はっきりせず、内面を視聴者にも妹にも預けない変化になったのだろう。その『作品を覗き込む感じ』が、僕は多分好きだったんだな。
クラスメートの表情が横幅広く切り取られるようになったのも、シーズン2の変化か。学校という社会に舞台が戻ると、シーズン1がパージしていたもの、シーズン2で取り戻したものが鮮明になるなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
実況がこんなに私情乗せて良いんだろうか? ”シスプリ”だからいいんです!!
『ドジ』をキャラ性にしてた花穂が、航の『ドジ』を応援でリカバリーする流れはとても好き。航の学習性無力感描写も合わせて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
というわけで、花穂のキャラエピ。女の子の魅力を素直に引き出し、受け止め、広げていく。スタンダードな作りだ。
ギャルゲの男主人公の仕事なんて、そのキャンバスになることだけなんだから、メタに状況へ違和感を懐き、当惑を顔に出す必要はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
しかしまぁ、航は”シスプリ”を素直に飲めない主人公として生まれ、描かれて、ガラッと人が変わってこの話数に来た。主人公が変わるので、話の色も当然変わる。
シーズン1でやろうとしたことは、押井守が”ビューティフル・ドリーマー”でうる星やつら(が代表する永遠の日常ラブコメ)にやろうとしたことと、だいたい同じなのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
当然視されているジャンル内価値観へ抗議を持ち込み、超現実的演出を武器に切り込んでいく。違和感と浮遊感を活かす。
しかしそれを成し遂げるには色々足らなかった結果、シーズン2からはフツーになっていく。そんな変化が、最初に鮮明化するのがこの話な気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
そんな話を見ながら、なんだかんだ自分はアニメに”内省”を求めてんだなぁ、みたいなことを考えた。
やっぱ全然別のアニメだわ、シーズン1とシーズン2。
しかしそれを成し遂げるには色々足らなかった結果、シーズン2からはフツーになっていく。そんな変化が、最初に鮮明化するのがこの話な気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月24日
そんな話を見ながら、なんだかんだ自分はアニメに”内省”を求めてんだなぁ、みたいなことを考えた。
やっぱ全然別のアニメだわ、シーズン1とシーズン2。