スター☆トゥインクルプリキュアを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
年に一度の大騒ぎ、今日はハレの日ハロウィーン!
仮装に混じって、本来の姿をさらけ出す宇宙人達。異星で手に入れた喜びを弾けさせる、ツチノコのララ。
そんな輝きに焼かれる、一匹の獣がいた。
カッパード…信じ、裏切られ流れ着いた果てに、何を見る。
という感じの、季節イベント回であり、カッパードさんの濃厚な陰影を叩きつける敵幹部掘り下げ回でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
一つのエピソードに複数の仕事をさせる貪欲さ、過積載でもしっかり機能させる的確さは、スタプリの特徴であるな。
味方サイドの能天気と、敵サイドの重さが相反してる感じも少しした…
わけだが、逆に脳天気な日常の力、シリアスではない気楽な平和の意味が、構えず描かれる話でもあったかなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
プリキュアの機転で日常を維持した商店街は、カッパード一行を”仮装”として飲み込み、一等賞を与える。重たい絶望を受け入れる余裕は、日常にもある。
しかしそれは、あくまでカーニヴァルの特例、異物を楽しめる特別な時間だからこそ生まれた、一瞬の奇跡なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
はたして、社会は異質性を許容するだけのマージンを有しているのか。衝突は不可避の運命なのか。
カッパードの問いは、まだ答えを見ない。
お話はのんびり学園パートと、激重カッパードパートで別れて進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
ツチノコを自分で選び取って、ニョロニョロ楽しんでいるララが頑是なく、非常に良かった。宇宙人がクラスメイトに馴染んでいる姿を見ると、なんだか無性にしんみりしてしまう。
サマーン星において、ララはデブリ拾いの落ちこぼれであることを確定させられ、そこから変化しうる可能性はほぼ無い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
固定され完成された文明からはみ出し乗り込んだ、発展途上の地球生活。それは自分で学び、自分で決めることが出来る可能性の世界だ。
無論、可能性というものはプラスにもマイナスにも開かれている。他者性を”楽しい”と笑えるララの陰画が、水資源の剥奪と人種間紛争の結果故郷を失ったカッパードさんである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
過去の失敗を過学習し、世界の形を一つに狭めてしまっている”大人”の言葉は、実体験だけに重い。
のんきなツチノコ仮装じゃ揺り動かせないものを、どう変化させていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
今のままじゃカッパードさんは、ララの感じた”楽しさ”を共有してくれない。凝り固まった大人相手に刺さる言葉を探していくのが、今後のクエストなんかな、と思った。
見据えているものが重いので、なかなか難しい探求になりそう
子供らがのんきに明るく生きる日常は、カッパードさんにとってはあまりに眩しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
目を焼く光はは幸福だった時代の記憶であり、善なるものを知っていればこそ、それが砕けてしまった痛みを忘れることは出来ない。
想定してたとおり、カッパードさんの過去と現在は、シリアスで重い。
ネガティブな世界認識に身を染めた(そう変わることでしか、生き残る手段がなかった)カッパードさんにとって、日常の光は眩しすぎる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
それでも光に迷い込み、かつて”当たり前”だったはずの平和を『わけが分からん』と困惑する怪物が、なんとも哀しかった。変化は、こういう方向にも開かれている。
カッパードさんの世界が不和と断絶に引き裂かれたとしても、商店街ののんきな祝祭が同じように終わるとは限らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
可能性は全てに開かれているし、意志は変化を良い方向に導ける。そういうキレイな題目を信じるには、カッパードさんの傷は深すぎる。
世界は変われない。自分の体験と同じように、全てが悪い方向に落ちていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
そういう諦観に自分と世界を染めることで、大切なものを砕かれた無力感を補っているのかも知れない。ピッカピカな子供たちを否定したがるのも、過去の自分に重なるからだろう。
同時にカッパードさん、どう考えても完全に諦めきれてはいなくて、世界のどこかに希望があって欲しいという願いを、プリキュアに託してもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
暴虐の奥にある哀しみを、同じ”異物”としてララは今回受け取った。そこに答えを返してあげるのが、ヒーローの仕事…なんだが、子供には重いよなぁコレ…。
逆にいえば、カッパードさんの焦げ付きに言葉を届けることが出来れば、ララは真実”大人”になれる、ということでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
サマーン社会が押し付けてきた、制度的な成熟ではなくて。”楽しさ”の実感を他人に共感させ、誰かの諦めを踏破しうる強さと優しさに到達する、成長の証明。
それはまだ遠い未来だが、これまでずっとこのアニメが積んできたものだし、いつか果たされるものだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
そのためには、まるまるほっぺの子供として、たっぷり笑って思い出を積み重ねる時間が大事…なのだろう。
カッパードさんにも多分、そういう時間があったんだよなぁ…悲しき獣…。
商店街は、カッパードさんの襲撃も、宇宙人の素顔もそのままでは受け止められない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
未成熟な地球文明は、カーニヴァルという特別な日だけ、非人間を隣人として許容できる。
一日だけでも、ユニやプルンスが素顔でいられる時間があって幸福なのか。はたまた、それが一日しか無いことを嘆くべきか。
どっちにしても、人類は未だ幼年期のまま、当たり前の平和を受け止めている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
その幼さを、ヒーローショーでくるんで壊さないのが、スタプリの優しさ…なのかなぁ。人間定義を一気に変えると、『放課後の大冒険』という物語のスケールからはみ出していくからなぁ…。
楽しい一日は、あっという間に過ぎていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
祭りの終わりに寂寥を見つけるのは、ララがいつか地球から去る日の、自覚のない予兆なのだろう。
ひかララは出会ったときから『いかに別れるか』を視野に入れてる二人だが、最後の大爆裂に向けて燃料を積極的に積み込んできたな…。
たとえ一瞬の思い出だとしても、何もかもが変わっていくとしても。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
出会えたことも、積み重ねた思い出も無為にはならない。
ララの体験は、過ぎ去ったものを虚無に葬っちゃったカッパードさんに、果たして刺さるのか。
こうして見ると、ひかるだけでなくララのシャドウでもあんのね。
そんな感じの、大人と子供、過去と現在、光と闇が複雑に交錯する祝祭でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
目の前で展開する平和に焼かれて、一生影の中でよろめいているカッパードさん…終盤に向けて、きっちり存在感上げてきたなぁ。
”異質性”をララと共有することで、ラインが太くなったのも良い。
今回積んだものを、クライマックスでどう活かすかが楽しみになる回でした。スタプリはこういうライン取り、要所要所でキッチリよねぇ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月21日
それに比して、あんまりにボンヤリした”大いなる力”探し。次のユニ回で、ある程度目鼻がつくのか。
さてはて、来週も楽しみですね。