BEASTARSを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
カーテンコールの裏側を、客に見られちゃ役者は為らぬ。常に輝く重責を、背負ってみたら思わず熱い。
虎の本能むき出しで、演じてみるには重すぎる。
肉食が肉食らしく、縮こまることなく輝く。そんな虎の理想と、重苦しい現実の狭間を、灰色狼が殴りつける。
というわけで"アドラー"公演二日目、ルイ先輩が背負うものの重さを、虎のビルを通じて描くエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
立ち位置的には超かっこいいルイ先輩を輝かせるための噛ませ犬なんだけども、ビルはビルなりに緊張し、理想も持ち、しかし星にはなりきれない哀しさも、苛立ちも憤りもそこにある。
主役脇役舞台裏の区別はあれ、"BEASTARS"という舞台を作り上げるカンパニーとして、青春を走り抜けていく群像として、それぞれの表情と陰影に敬意を持って書ききってくれるのは、とても嬉しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
胸を張ってマッチョでいても、無敵になれるわけじゃない。"男"でいるのもまた、難しい。
物語は華やかな舞台の幕が下り、満身創痍のルイ先輩から始まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
目を覚ました直後、何を言うのが一番"ルイっぽいか"を考えて一瞬口ごもるのが、彼の立場を物語っている。薄暗い影絵芝居すら、取り囲まれ注目されるスターの宿命。
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主演を降りる下り坂のシーンですら、ルイ先輩にはスポットライトが当たる。あらゆる状況で気が抜けない、ぶっ倒れるときですら英雄的でなきゃいけない重圧を、ルイはずっと抱えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
降って湧いた代役依頼にクシャッと顔を歪めるビルは、まだその重たさを知らない。子供っぽくて好きな表情だ。
ビルはいかにもマッチョで前向きな、肉食であることに負い目を感じない(と、自分に言い聞かせている)肉食獣だ。距離感が粗雑で、何かとフィジカルに頼り、裏表なく堂々とある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
狼の牙に負い目を感じているレゴシとは正反対の、いかにもな陽キャ。草食であるがゆえの強さと陰りを抱えたルイトも違う
ビルの立ち回りには、強いからこその窮屈さというか、多様性と弱さへの配慮を生まれた時から強要されている息苦しさが匂う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
『俺はそんなの気にしない、ナチュラルに肉食らしく振る舞う!』という(自称)自然主義自体が、例えばハルちゃんが包囲されていた恐怖とは、また違う生きづらさを顕にする。
強いことを真実乗りこなして、牙に恥じなく素直に生きる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
それが生み出すのは、隣人たる草食を食い散らかして動物に戻る生き方だ。社会はそれを許してくれないし、二本足の彼らは動物ではない。
どうにかして、自分の中のケダモノを乗りこなさなきゃ、やってくるのはテムの惨劇だ。
ビルの開けっぴろげ(風)な生き方は、そんな矛盾を乗りこなす一つの答えなのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
ルイ先輩の強がりも、ハルちゃんの強かさも、身を縮めるレゴシも、皆自分なり、抑圧と理想の入り混じった社会でどう生きるか選び取って、今がある。
その答えが多彩で多様なのが、"学校"の話っぽくて好きである。
ビルが押し出された穴を埋める形で、レゴシは舞台に引っ張り出される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
舞台袖から照明を当てて、自分が主役にはならない生き方。ルイに非難された、生来の義務を果たさない逃げ腰。
それはもう通じないところに、状況は進んでしまった。
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オレンジのアクション力がフルに発揮された殺陣稽古は、肉食獣の反射速度が存分に生き、非常に鋭い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
必殺の極めが決定打にならず、更に上を行ってくる神速の闘いは、文字通り生物種としてルイとビルがどう違うかを見せてくる。レゴシがビルの速度に、ついていける側だということも。
しかしそのナチュラルな強さは、レゴシにとっては居心地が悪い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
弱いからこその強さ、当たり前ではない逞しさを仮面の奥に隠すからこそ、ルイはレゴシの憧れ足りうる。
強がりや嘘が生み出す陰影こそが、人の目をどうしようもなく引きつける"華"足りうるのなら…
望むと望むまいと、力強く生まれついてしまった肉食獣は、そういう魅力的な陰りを背負い得ないのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
ここに三文役者・ビルの哀しさがあると思う。
彼がマッチョ・タイガーなのは、彼がそういう生き方を選び取ったからだ。だが同時に、否応なく身体に刻まれた"枷"への適応でもある。
それはどんな生物、どんな人間にもつきまとう個別のパズルで、皆そのややこしさと闘い続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
スポットライトが落ちた緑の闇の中、ルイ先輩見上げる月光。その憂鬱を、知るものも共有するものもいない。強いもの、強さを装うものは孤独なのだ。
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レゴシもまたトボトボと夜闇を歩き、テムの死を共有する…陰気な顔に秘めた優しさを知っているエルスと出会う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
真っ暗な世界に、幽かな明かり。派手さのない、自然な微笑み。見上げた月は、灰色狼の瞳にどう写っているのか。
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マッチョでストレートなタイガーを鎧うビルも、闇の中一人、プレッシャーと闘っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
主役二人の陰りだけでなく、彼らの向こうに回るビルの闇にもちゃんとカメラを向けて、個人として尊重してくれているのは嬉しい。
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明暗の芝居が巧いのはこのアニメの武器だが、ビルとルイ、肉食と草食、"現"と"元"の主役が錯綜する控室のシーンは特に鋭い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
ピカピカの電飾で飾られた鏡の中で、孤独に重圧を噛み殺す虎。ルイの登場で、その表情は『いつものマッチョ』に戻る。張子の虎は、その素顔を容易に見せない。
ぐいっと立ち上がるとその巨躯が、ライトを覆い隠して闇が濃くなる。どうあがいても浮き彫りになる、赤鹿の痩身と虎の巨体。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
殺し合いになれば、結末は明白だ。だがその強さが、舞台での存在価値、人間としての注目度を決めるわけではない。ここはジャグルではないのだ。
それでも、圧倒的にフィジカルな格差はヌッと暗闇から差し出され、"本音"に危うく接近して…上手く躱す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
どれだけ『ストレートな肉食獣』を目指しても、『人は人を殺さない』という規範から逸脱した、本物の怪物になりたいわけじゃないのだ。
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それが判っているからこそ、ルイ先輩は闇の中二人きり、後輩に主役の重圧を伝えに来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
それが判っていても、長い爪が肩にかかれば恐ろしい。
それが判ってもなお、ニカッと明るい笑顔の後輩が、ルイは結構好きなんだと思う。
なんだかんだ優しくて、でもその優しさを上手く表に出せないボーイ…。
仮面劇(マスカレイド)は続く。重圧に耐えかねて握りしめた"赤"を、レゴシは鼻敏く嗅ぎ分けて、赤い闇に二人で踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
社会に一足先に出た先輩から、景気づけに貰った兎の血。学園がなかったことにして、でも生徒は薄々感づいてる世界の本音。
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輝く赤に、肉食獣は狂う。それはレゴシも例外じゃない。脳裏に浮かぶ花と少女、あの時の柔らかな感触が、鮮紅に蘇ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
だからこそ。
レゴシはビルの世渡りを、黙って見過ごせない。
大人はみんなそうしてる。その言い訳を、丸呑みには出来ない。
ここら辺の獣欲が、(主に男性の)性欲と重ねて書かれているのは明白だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
表向き『それが社会の全部じゃないよ』と言われつつ、かなり相当の部分に食い込んでいる生っぽい欲望。それを処理するための産業と慣例。幼い嫌悪感と、穢れが自分の中にもある実感。
こっちのセックス・タブーと、あっちの食肉タブーは形が似ている。しかし『食うものと食われるものが、人として同居している仮想世界』のリビドーは、作品世界独特の匂いとルールにしっかり満ちている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
ファンタジックな仮想を直立させるために、現実の類似物を徹底的に洗い倒す。幻想作家としての業
大人はみんなやってる。こっちのほうがフツー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
マッチョは常識を鎧に変えるけど、その隙間から後ろめたさが漏れているのは否めない。手四つに持ち込んだ灰色狼だって、目の前でちらつく赤の生々しさに、興奮しないわけじゃない。
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本音と建前、子供と大人、理想と現実。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
窓越しに荒々しい息遣いが衝突する世界で、ビルは光の側にレゴシを押し付けて、影の中に消えていく。
『俺はナチュラルに、強いものとして強くあり続ける!』
それが本当に輝く道なら、そんな薄暗さに身を投じなくてもいいのに。
肉を食わない肉食獣、社会が求める規範に従う存在として、スポットライトを当てられてもいいレゴシ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
しかし強すぎる陽光は逆しまに、彼の影を強調する。
自分の中のケダモノにあらがっても、受け入れても、結局影がつきまとうなら、俺たちゃどうすればいいんだ?
マッチョ達の悩みは続く。
アドラーの仮面をまとい、降り立った夢の舞台。ルイが見せた威風はビルには遠く、焦りが下っ腹から吹き上がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
こんな重たさを、あの草食背負っていやがったか。ビビっても、上がった幕は降りてくれない。ショーは続かなければいけないのだ。
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観客の反応が、素直で残虐でいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
舞台裏のあれこれ、新人主役の焦燥なんぞ、見ている側には関係ない。
全てを超越する圧倒的な嘘を求めていたのに、狼狽える無様が仮面の奥から見え隠れ。ザワザワ騒ぐ客席に、陰気な狼が真っすぐ進んでいく。
光の中に立つ覚悟。自分の力への責任。
流れで乗った舞台だが、レゴシは堂々進み出る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
しかしそれは"アドラー"という夢を形にするためではなく、自分の中の怒りと矛盾を拳に乗せて、ビルを殴りつけるためだ。仮面は剥がれ落ち、舞台は荒々しいインプロヴァイズへと落下していく。
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武器を使って、闘争を演じる。生々しい素顔ではなく、あくまで仮面をつける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
そういう約束事を殴り捨てないと、レゴシの激情は収まらない。陰気な顔をしているからって、レゴシは自分を抑え込んで、物分りよく演じられるタイプではないのだ。
まぁ、役者には向いてない。
それは彼が苛立ってるむき出しの肉食獣、『強いから強い存在』の在り方、そのままだったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
レゴシが弱い兎だったら、ビルに拳は突き立てられない。嘘や約束事ではなく、むき出しの本音で戦える特権。
それに抗議するために握った拳は、その実殴りつけるものと同じ傲慢に固められている。
その矛盾に気づかないまま、あるいは気づかないふりをして思い切り、闇から光を殴りつける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
その激情こそが、青年時代なのかもしれない。レゴシが馬乗りに殴りつけるのは、ビルの顔面だけではない。グチャグチャの自分自身を、拳で殴りつけるのだ。
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そしてそんな闘争は、殴りっぱなしの不公平で終わってはいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
ビルは拳をむんずと掴み、手四つに立ち上がって向き合う。
レゴシが否定したい、マッチョで無遠慮な自分自身。でもそれは、個別の尊厳を持った一人の青年でもある。ナメてんじゃねぇぞ。
ここでビルが自分の巨体をスクリーンに使って、主演男優として"劇"を続けようとしているのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
むき出しの殴り合いのほうが、緊張しきった自分の芝居より客を引き込む。役者専業としては、プライドが傷つく場面だ。
それで開き直ったのか、ビルは仮面を外しつつも"アドラー"であろうとする。
野放図な、芝居にならない暴力を嘘でくるんで、ステージの範疇だと見せようとする努力。カーテンの内側を見せない努力は、実はルイのそれと同種だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
例え、器じゃなくても。その奥ではむき出しの爪が疼いていても。彼も役者として、"嘘"を貫こうと努力していたことは、ちゃんと見たほうが良いと思う。
抱擁の距離で、背中に刻まれる聖痕。流れる赤い血。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
自分が嫌悪するマッチョ・タイガーと、同種の存在だと思い知らせてくる痛みが、レゴシに突き刺さる。
どれだけ影に隠れたって、お前の中のケダモノは元気に、暴れる瞬間を待っているんだぜ?
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生まれついての力に、ちゃんと向き合う覚悟。御大層なものを掲げて飛び出した光の舞台で、レゴシは真っ赤な敗北を味わう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
体の痛みより強く、憎むものでしか意地を通せない自分の矛盾が、地べたにレゴシを縫い付ける。輝きは、あまりにも遠くて眩しい。
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そこにすっくと現れた、千両役者のルイ先輩。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
"アドラー"の仮面をかぶり直し、むき出しの暴力が用意された筋立てだったと、後付でまとめ上げてしまう存在感とカリスマ。
演じるということ。仮面をかぶることへの意地が、折れた足を支える。
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猛々しいアドラーの仮面は、やっぱりルイ先輩によく似合う。脆い草食が、強さを演じるネジレこそが、劇的なるものをステージに呼び込むのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
そのネジレが、どれだけルイ先輩に重荷となっているか。僕らは知っているが、それでもその大芝居に心を動かされる。マジかっけぇ…。
舞台は牙の強さではなく、存在感だけが武器となる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
役者としての"格"の違いを、見事なアドリブで見せつけられたビルは、尻尾を巻いて舞台袖に引っ込んでしまう。
赤い衣装を来ていることが、主役の条件ではない。
なんとも残酷だが、その実力平等主義こそが、舞台では救いなのかもしれない。
もしここでルイ=アドラーが乱入しなかったら、劇は劇として終わっていただろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
土壇場で"嘘"に身を包んだビルは、光を浴び続けることが出来たのだろうか?
『こんなもん、客には見せらんねぇ』と判断したからこその乱入だし、多分その判断は正しい。本音が横行する夢には、なかなか酔えない。
ただ僕はビルも好きだから、彼が役者としてどこまでいけたのか、ちょっと見たくもある。まぁ多分、メタメタにはなっていただろう。そこら辺が彼の"器"ではある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
でも器じゃなくたって、兎の血でドーピングしなきゃダメだって、ビルも光を浴びてみたかった。
虎が虎として、恥じることなく生き続ける。
そのナチュラルな生き方は、ルイ先輩の強がりと同じくらい大変で、ビルはそれを背負えるほど強くはなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
だからレゴシに仮面を引っ剥がされ、ルイ先輩に影に追い落とされる。当然の帰結だ。
だけど、彼だって夢を見る。マッチョ・タイガーにだって、柔らかい心はあるのだ。
そのナイーブさ(に素直に向き合えない弱さと、その結末としての主役の破綻)をちゃんと描いてるのが、この"アドラー"二日目の良いところだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
完全なゴミ野郎も、無敵の聖人君主もいない。色んな奴らを閉じ込めた学園は、色んな表情でくるくる回る。
そこに優しい視線が向いてる所が、俺は好き
偽アドラーが去った舞台で、ルイ先輩はレゴシに手を差し伸べる。スポットライトが二人を照らし、ダンスの誘いのように、伸ばされた指と指。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
ガッチリ噛み合っって、ようやくレゴシは"客"を見る。自分が"嘘"を演じていたことを思い出す。
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もともと役者じゃないレゴシは、客の方を向いて嘘を貫く訓練を受けていない。影に隠れ、光に照らされる重圧から逃げ続けてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
ルイ先輩は、その重たさをずっと背負っている。役者の大先輩に引っ張られる形で、レゴシは"嘘"の重たさと、ようやく向き合う。
それは『肉食は、草食を食べない』という巨大な嘘、社会規範と本気で向き合いたいレゴシが、絶対に相対しなければいけない眩しさだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
本音をむき出しにしただけじゃ、世界は面白い舞台にならない。本気で"嘘"を演じればこそ、ショーはショー足り得る。
でも、それはとても大変な"嘘"だ。
本音が本音としてストレートに輝く世界を、マッチョ・タイガーは望んでいる。でも考えなしにむき出しにすれば、訪れるのは捕食の地獄だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
建前でがんじがらめも息苦しいけど、別に人殺しになりたいわけじゃない。何でもかんでも蓋をして、綺麗事の中だけで生きていたいわけでもない。
レゴシが向き合うべき、矛盾と輝きに満ちた世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
ルイ先輩は折れた脚で堂々、その真中に立つ。彼の背中だって、怯えと苦悩に震えている。でも、仮面を付けて強さを演じることが、誰かの光になることだってある。
レゴシと同じ目で、ルイを見るしかねぇぜ…
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というわけで、虚実複雑に入り交じる人生舞台、"アドラー"二日目、なんとか幕である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
嘘を付く重たさ、本音の生々しさ。それを飲み込む役者の器。
演劇をテーマに選び取ったことが、肉食と草食に住み分けられた世界の陰影、青春の匂いを見事にライトアップした、いい第一章最終回でした。
ビルのマチズモを肉食獣のパワーで殴り倒したレゴシは、まだまだ未熟な自分を思い知った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
『結局、お前は"虎"』と背中の傷が疼く中、まぶたに焼き付いたスターの立ち姿。眩しい光。
その残影が、陰気な灰色狼を、彼を取り巻く人生劇場をどう動かしていくか。来週も楽しみ。
しかし、格差と過酷さが社会と個人の余裕を剥ぎ取り、どうにか人間が蓄積してきた"嘘"の役割とか仕事とかが蒸発しつつある今だからこそ、このお話って現代的だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月31日
『むき出しの本音だけが"本当"だってんなら、その先にあるものは相当に荒れ果ててるよ』と、実感を込めて面白く魅せる。凄いよ。