イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

話数単位で選ぶ 2019TVアニメ10選

まだ放送を残すアニメがいくつかございますが、今年も10選企画、参加させていただきます。
元締めは新米小僧の見習日記 さんであります。今回で集計役を終えられるということで、長らくのお勤め、まことにお疲れさまでした&ありがとうございました。

・ルール
・2019年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

この企画をやりやすくする意味もあって、今年はクールごとの視聴アニメ総評・ベストエピソード選出を既にやっております。そっちだと個人的な感性(アニメを信頼できるような、序盤・中盤の地盤固め回が好きで、多く選出されている)が表に出てますが、沢山の方が参加される企画ということでより作品全体を見た視座、よりポピュラーな盛り上がりに感覚を寄せて選出しています。

 

また、春が来て ─2019年1月期アニメ総評&ベストエピソード─ - イマワノキワ

南風に衣なびく -2019年4月期アニメ総評&ベストエピソード- - イマワノキワ

名月雲なく光る -2019年7月期アニメ総評&ベストエピソード- - イマワノキワ

寒風頬を裂く -2019年9月期アニメ総評&ベストエピソード- - イマワノキワ

 

Bang Dream! 2nd season:第2話『黒き咆哮』

アニメで主に摂取してる自分は、Roseliaというバンド、湊友希那という少女(リーダー、ボーカリスト)がどういう存在なのかようやく分かった感じで、彼女たちをとても好きになれました。

Bang Dream! 2nd season:第2話『黒き咆哮』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 バンドリ二期からはこのエピソード。上で『横幅広く』みたいなことを言ってるけども、非常に個人的な事情が絡んでいてます。
この話数のライブ描写を見て、映像に物語の奥行きを込める腕前、そこに織り込まれているキャラクターの豊かさを信頼するつもりになったので、ぼくはガルパのアプリを始め、自分なりの感想を書くようになった。
体重を預けた判断は間違っておらず、大急ぎで追いつくことで自分の中で理解が深まり、作品との共犯関係、自分の中の世界観把握が解像度を上げていく体験は、強烈な快楽だった。そういう”外部”との連動含めて、大看板を見事にアニメーとしてみせたと思う。
ガルパの履修は継続されてて、この”BLACK SHOUT”で感じた星の鼓動の残響と変化を、僕はとても楽しみながら摂取している。

そういう出会いの入口として、”アニメ化”があることは僕はとてもいいことだと思う。知らなかったものに出会える間口が、豊かに開いていることは良いことだ。無論、そこに行き着くまでコンテンツを支えた人たちの思い合ってこその”アニメ化”でもあるのだが。
そこに敬意を払いつつ、群像をしっかりと取り回し、各キャラクターの熱量と可愛げ、”バンド”ごとの関係性とアイデンティティをしっかり焼き付けたこのお話の手際は、三期に続いていく。二期とはまた違ったものが描かれるだろうし、彼女たちがどんな物語を歩いているか知った僕の眼は、このときとはまた違ったものを捕まえるだろう。
そういう変化の”兆し”みたいなものが、この話数には詰まっている。それを受け止められる喜び、期待が叶っていく奇跡への感謝も込めて、10選の一つとして選びたい。

 

 

スター☆トゥインクルプリキュア 第11話『 輝け☆ サザンクロスの力!』

無力さ故に瞳を閉じかけていたひかるは、仲間の輝きを受けて立ち上がり直す。それはひかる自身が発していた想像力の光が、巡り巡ってきて彼女を照らし直す構図だ。 現実は重い。子供は何も知らない。 それでも、子供である私がやってきたことは、やりたい夢は無駄じゃない。

スター☆トゥインクルプリキュア:第11話『 輝け☆ サザンクロスの力!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 『今年はどういう年でしたか』と問われたら、ぼくは『”スター☆トゥインクルプリキュア”が放送されていた年』と答えたい。
それぐらいの信念を持って、児童とかつて児童であった全ての人に向けてこのアニメーションが作られていることが、僕はとても嬉しい。イマジネーションをどこに、どのように伸ばしていくか。分断の時代が未来に(そして足元に)待ち構える からこそ、児童向けアニメのど真ん中でこれほど真摯で、懸命で、的確な問いかけと答えが編まれている現状に、僕はとても感謝している。
『放課後の冒険』を楽しく描くジュブナイルであり、様々な異質生命とコミュニケーションしていくSFであり、ヒロイズムのあり方を問う英雄物語であり、出会いと別れ、奇跡と祈りを描く青春群像でもある。非常に貪欲なジャンル横断を、見事な筆致で鮮烈に描きぬく。色んなものを毎週見れて、非常に贅沢なことだと思う。

この11話はイマジネーション万歳の主人公・ひかるが敵幹部に重たい現実を突きつけられ、膝を折りかける話だ。それまで的確に主人公らしく”答え”を見つけてきたひかるは、イマジネーションの明るい側面が追いつけない現実に、自分を迷う。
そこに手を差し伸べ、背中で友を守ったのは、ひかるが手を差し伸べた異星の友・ララだった。ヒーローは無敵でも不変でもない。悩み揺れ動き、それでも差し伸べた手が自分に返って背中を支えるからこそ、誰かの光り足りうるのだ。
少女が生き様で証明したポジティブなイマジネーション、子供らしい理想主義は、何も間違っていない。”プリキュア”が描くべきものを堂々吠えつつ、ただ無敵の主人公が正しさで蹂躙するのではない、生きたイマジネーションを扱えばこその難しさと不屈を、しっかり刻む。
そういう話数が、第1クールを折り返すこのお話でしっかり見えるこのエピソードは、強く期待感を煽った。残り一ヶ月、ゴールが見えてきた現在、その期待は一切裏切られていない。むしろ強く燃え盛りながら、クライマックスを待ち構えている。
劇場版もまた、そんなイマジネーションの明暗を鮮明に焼き付ける傑作である。
全人類、スタプリを見て欲しい。

 

 

さらざんまい:第11話『つながりたいから、さらざんまい』

凄く面白かったです。犠牲を贖える世界に、不確かな未来を見据えて船を出す結末に、幾原邦明がたどり着いたことにファンとしては驚きつつ、凄く嬉しい気持ちです。

さらざんまい:第11話『つながりたいから、さらざんまい』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ウテナに脳髄を焼かれ、どこに出しても恥ずかしいイクニチルドレンとして日々をさすらう僕に、やってきた新作の知らせ。”ユリ熊嵐”の真摯なる残酷、美麗なる断絶の先に何を描くのか、僕は期待し恐れていた。
蓋を開けてみると、(あくまで個人的な意見だけども)イクニ作品で一番前向きで、一番ポジティブで、相変わらず圧倒的にコンテンポラリーな幻想譚であった。非常にイクニっぽくて、全然イクニっぽくない作品を”最新作”として受け止めることが出来たのは、やっぱり豊かなことだと思う。

幾原邦彦作品にずっとつきまとってきた、美しき自己犠牲。それを第6話の折返しで突破し、その先にある未来を目指す。河童の国のファンタジーを突き抜けて、現実の贖罪に身を浸して、もう一度、少年たちは出会い直す。
そういう再出発の物語としてこれを語りきったこと……本来六話までしかなかった”一稀の物語”を延長し、十一話まで続く”悠と燕太の物語”として語りきれたこと。そうして先に進むことが、”今”この作品を世に問う意味合いだとイクニが焼き付けたこと。
断絶はそこにある。孤独も無理解も、諦めも身勝手も抑圧も。世界の全てに伸びる暗い影を、強く認めた上で突破していくこと。そのファンタジーに全霊を注ぎ込むこと。それを恐れず、しっかりやりきったのは本当に偉いし、立派なことだと思う。

結局ビッグヒットとなった”天気の子”が、同じものを見据えつつ断絶と孤立を寿ぎ、世界の形を塗り直す結末に至った流れと、この物語は僕の中で大きな対比になっている。どちらが良い悪い、という話ではなく、期待の作家が世界をどう見て、”今”何を届けるべきかの決断の果てに両作がある、という話なのだが。
それでも、やっぱり俺はこの作品が好きなのだ。水底の星のようにきらめく微かなものを、それでも諦めきれず、潜って潜って掴み直す。やり直し、繋がり直す。甘っちょろくても、それを吠えていくから、現実と繋がるためのメディアだからこそファンタジーなのだ。
その結末が、ここにある。いいアニメだった。

 

 

アイカツフレンズ!:第70話『新たなるステージへ』

おめでとう、アイビリーブ。

アイカツフレンズ!:第70話『新たなるステージへ』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ”アイカツフレンズ”が終わった。その継承たる”アイカツオンパレード”に僕はコミットできていないので、そっちの話はしない。フレンズの終わりを語ることはつまり、そっちを語ることにもなるだろうから、言及は避けえないのかもしれないけど。
僕はアイカツに、真摯に人と向き合うこと、形だけのサクセスではない人格形成、それが社会的立場を押し上げていくキャリアメイクを求めてきた。スターズと上手く繋がれなかった僕は、フレンズの濃厚な対個人主義、過剰にロマンチックな映像文法にしっかりやられて、ずっと楽しんでみていた。

そうして一年目が終わって、二年目はかなり変則的な仕上がりだった。勝ち負けのドラマを意図的に廃し、アイビリーブの愛憎とすれ違いを軸足に、濃厚な関係性を焼き付け続ける。色んなものを取りこぼした取捨は、今にして思えば終わりが決まっていたがゆえの選択と集中の現れだったのだろう。
僕は幸運にして、アイビリーブの物語、そこに描かれる勝ち負けを横に置いた人格のぶつかり合いに接続できた。感動し、彼女たちの物語を体温あるものとして受け止められた。そうではない人も、当然いるだろう。多分、この偏った物語には、平均値よりも多く。

それでも、フレンズは最高だった。情景に思いを託すロマンス主義。女と女の視線が絡み、思いがぶつかり合う時天が動くケレン。そんな繋がりが、確かに何かを掴んで道を作っていく実感。全てが、肌にあっていた。
その集大成が、この話数だと思う。過剰にロマンティックで、感情中心主義で、苛烈で美麗だ。大好きだ。

そんな僕が愛したトーンは、途絶えて終わった。何故、と問うても答えは帰らない。色々推察することは出来ても、そんなのは外野の勘ぐりでしかなく、ヒタヒタと忍び寄ってくる終わりの気配を感じ取りつつも、”アイカツ”に焼かれた眼を閉じることはなかなか難しい。
3月に、どんな答えが出るのか。それに怯えながら、日々を過ごしている。どういう道にアイカツコンテンツが進むにしても、フレンズという作品は非常に良かった。僕が大好きになれる作品だった。
それを嘘にしないための一つの楔として、10選にこのエピソードを選ぶ。
ありがとう、アイカツフレンズ

 

 

ギヴン:第9話『冬のはなし』

第一話でグッと僕の心をつかんだ、真冬の獣のような情動。その謎解きと解決がパワフルに行われて、とても良いエピソードでした。

ギヴン:第9話『冬のはなし』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 よく始まること、よく終わること、よく続くこと。どれが一番難しいかの答えは当然出ないだろうけども、全てが難しいことはよく判る。
この作品は、映画化が決定している。TVシリーズで匂わされつつ描写されなかった、大学組の濃厚な愛憎。高校生組が踏み込まなかった、肉体の繋がりを基軸に交雑されていく感情の焼き付きを、フジテレビ肝いりで立ち上がった新レーベル”ブルーリンクス”が力を込めて、描きぬいてくれるようだ。
そんな続きを楽しみに、作品の余韻を舌の上で転がしている。第一話が非常にいい仕上がりで、作品がこれから描くものをしっかり圧縮し、手際良く力強く叩きつけてきた。美麗なイマージュが情景の中に踊り、キャラクターが表面に貼り付けているもの、その奥で蠢動する熱量が余すところなく感じ取れた。

そんな圧縮率の良さを活かしつつ、物語は転がっていく。自分を多く語らない少年の胸に、何が隠れているのか。出会いが一体何を動かし、何を生み出したのか。ときにすれ違いながら生まれる触れ合いの中で、そういうものが鮮烈に刻みつけられていく。
それら全てが連動し、一つの音楽として鳴り響くのがこのエピソードだ。シリーズ全体をこの話数にチューニングし、最高潮を”ここ”に持ってくるために全てを描く。そういう巧妙な計算が、狙い通りの連鎖爆裂を果たしたときの火力が、圧倒的な音圧で魂を揺さぶってくる。

勝負所で、しっかり勝つ。勝つために、物語を組み上げる。そうやって次の物語へ続けていく。思い返すと、非常にボールコントロールのうまい作品であったな、と思う。
始まり、終わり、続く物語を、いかに視聴者に届けるか。自分に嘘をつかず、作品を裏切らず、書ききってなお続くものを届けるか。
そういう戦いにしっかり勝った作品であり、その勝因はここにある。ここに繋がる全ての音符、全ての話数にある。
この話数だけ見たところで、凄さは毛筋ほども分からないだろう……といい切るには、このエピソード単独での迫力と凄みは相当なものなのだが。
しかし題材にしている音楽のように、連動と呼応があって初めて、狙いすました爆裂は意味を成す。素晴らしい仕事だったし、素晴らしい作品だった。

 

 

グランベルム:第11話『たとえさよならが届かなくても』

というわけで、最後の日常回にダブルエモ爆弾を仕込む、巧妙なエピソードでした。素晴らしかった。

グランベルム:第11話『たとえさよならが届かなくても』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 グランベルムの評価ポイントは無数にあって、魔術的な日常と日常的な魔術の見事な同居であるとか、魔法少女バトルロワイヤルという手垢のついた題材をオリジナリティと血肉宿してしっかり走りきったところであるとか、ロボ要素も魔法要素も『そういうもん』で思考停止しない工夫が随所に満ちているところであるとか、本当にたくさんあげつらうことが出来る。
しかしやっぱり、少女たちが必死に生きて、生きているからこそ間違えて、それでも出会って何かが生まれていたうねりが、一番力強いものだと思う。ドラマの中心にある、一番ベーシックでシンプルなエンジンが、鮮烈で明瞭でパワフルであったこと。それは当たり前に果たされるようでいて、実現がとても難しい奇跡だ。

袴田水晶大先生の超越を、乗り越えて魔法の破棄を祈る。最終話で示される決着を新月が選び取るためには、アンナのあまりに愚かで鮮烈な終わりも、空疎にすぎる満月への反発も、人間味溢れる寧々ちゃんへの共感も、九音への不審と赤心への共鳴も、全てが必要であった。
いくらでも悪趣味になれる舞台設定で、散るべきが散り、残るべきが残る物語は感情導線の引き方ひっくるめて非常に的確、かつ誠実だったと思う。
長い夜の残滓が残る、日常と言うにはあまりにも不穏な日々の画角。そこで刻まれていく温かいものが、夜闇の決戦で背中を支え、あるいは譲れない妄念の薪となっていく。

そういう相転移が見事に回り、最終決戦を前に最後の、最高の日常を描くのがこのエピソードである。少女たちの想い、儚い夢想が辿り着く場所を描ききるアニメだからこそ、当たり前の日々の中で培ったものが夢へと消え果て……そして消え去らないものを抱え戦いに挑む最後の夜更けが、非常に強く瞳に刺さる。
空っぽな主人公がその実、まさに人形であったという見事な反転。それを越えた先にある、失ってはいけない思いの残滓。

それを背負って、この先の二話圧倒的なロボットバトルと情念のぶつけ合いが展開されるわけだが、それをから騒ぎにしないのはやはり、このお話の圧倒的な分厚さ、その前景となる物語の積み重ねあってのことだ。
偽りの夢でも、儚い祈りでも。優しい日々が欲しかった。
そんな少女たち、最後の日常。傑作である。

 

 

スタミュ -高校星歌劇-(三期) 第12話

でも、”次”があるかどうかなんて、さっぱり分からない。四期があるかないかは、白紙の地図の中だ。 それでも、”次”を描くためにはこの話をやるしかなかった。その作者達の判断は間違っていなかった

スタミュ -高校星歌劇-(三期):第12話感想まとめ - イマワノキワ

 生まれ得た物語が適切に続き終わることが難しいように、動き始めた物語が善い終わりを見つけることもまた、とても難しい。
スタミュはおそらく、ここまで続くことを想定されないまま二期を迎え、2.5次元の舞台をやり、三期に続いてきた物語だ。主役たちの基本的な物語は一期……ギリギリのラインで二期で終わってしまっていて、しかしショウの予定は迫ってきている。幕開けのブザーが鳴り響くまで後少し、一体何を描くのか。
そこで『今まで一切書かれなかった、別のキャラクターの別の話』を真ん中に据えたことは、まぁ当然賛否両論あろう。(賛否に意見が別れないものなんて、世界にはないのだけれども)

演劇者としての星谷くんの、ポジティブな世界認識をダイナモにして進んできた物語が、描いていない死角。傲慢と無理解、すれ違いと衝突。新生華桜会を主役に描かれるのは、あんまり『スタミュっぽくない』お話だったかもしれない。
大量に抱え込んだキャラクターをどう捌き、個々人に付いた(作品をここまで支えてくれた)既存ファンを満足させていくか。オーダーをこなしつつ、新しい物語のうねりを作品にどう呼び込んで、新しい景色を見せるか。
少なくともスタミュ三期は、演劇を通じ、カンパニーであることを通じ何かを見せようとした。それは新しいことに(反発覚悟で)挑まなければ生まれ得ないし、同時にこれまで積み上げた『スタミュらしさ』へ確信と愛着がなければ踏み込めない冒険であったろう。

星谷くんがあの舞台に立ち、三年生として『憧れの高校生』に追いつく一瞬の幻影。それが描かれる保証なんて、どこにもない。でも、それを刻むためにはここで描かねばならないものがあった。それは寄り道でもなんでもなく、”スタミュ”としてやりきる必要があった。
そんな製作者の血潮が滲む最終回を、僕はやっぱり評価する。……そういう客観的な言い回しはちょっと嘘が滲むので言い直すと、好きである。新生華桜会のダメダメな連中が好きだってのもあるけども、そいつらを主軸に据えてやろうとしたこと、その先にあるものが、凄く”スタミュ”っぽいなと思うからだ。
それは、意味のある冒険だった。四期を待つ。

 

 

戦姫絶唱シンフォギアXV 第13話『神様も知らないヒカリで歴史を創ろう』

そしてその瞬間を僕らには見せず、誰も知らない神話としたのも、二人の尊厳にしっかり報いた見事な一筆だと思う。 見なくても、僕らはみんな知っている。そこに何がるかを。流れ星に、どんな願いが叶うかを。 言わなくても判るものがある。通じるものがある。そのノイズを信じきれるなら、人は負けない

戦姫絶唱シンフォギアXV:第13話『神様も知らないヒカリで歴史を創ろう』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 五期に渡る長い長い物語も、終わる時が来る。自分が何を作ってるのか、作品らしさはどこにあるのか。リセットとグダグダを幾度も繰り返し、大迷走も経験したシリーズは、明確に終わるべく計画された四期との連動含め、しっかりと終わりきった。
過去シリーズのリフレインとレスポンス。成長とその先にある景色。今まで描ききれていなかった問題の掘り下げと、その克服。全てはスピーディーに、手際よく、的確に進み、物語は終わるべくして終わる必然の奇跡へと導かれていく。
文句なしにいい最終回であったし、積み上がった”シンフォギア”にしっかり報いるエピソードであったけども、これを選ぶのは過去への視線と同じくらい……あるいはそれ以上に鋭く強く、未来への視線が焼き付いている。

このエピソードのラストは、恋の告白で終わる。正確には、その直前である。僕らは皆、主人公が何を抱えてヒロインの手を取るのか知っている。だが、それは書かれない。
見てきたのならば、そこに何が宿るかは当然知っていようし、判ってくれるだろうという信頼。今まで過酷な作品世界を、必死に駆け抜けてきた少女たち最後のプライドを描かぬことで守ろうという、造物主たちの寄り添い。
恋という非常に私的な瞬間を、描かぬことで描く奥ゆかしさ。長期シリーズのラストカットにそれを選択した真摯さに感じ入って、見終わった後しばらく動けなかった。
くわえて、ときに(僕含めた)オタクが玩弄してしまう性選択の重たさ、自分のあり方とそれに寄り添う人を選び取る瞬間の尊さをしっかり見据え、非常にシリアスかつ重要な、5期に渡る物語最後の一筆を託しても足りるものとして刻みつけた”眼”の良さを、僕は讃えたい。

女が女を、人間が人間を選ぶってのは、興味本位で外野が騒ぎ立てるもんじゃねぇんだ。
そういう静かな迫力が、しっかり籠もるラストカットである。
シンフォギアは終わった。完膚なきまでに終わってくれたことを、僕は心から嬉しく、誇りに思う。

 


荒ぶる季節の乙女どもよ。 第12話『乙女心のいろいろは』

リア充どもの恋愛文化祭ともまた違う、陰キャ共の最終決戦。相応しいリングの整え方だと思う。

荒ぶる季節の乙女どもよ。:第12話『乙女心のいろいろは』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 上げて、下げて。広げて、閉じて。荒乙は話のスケール、問題解決のリング設定がなかなか巧妙な物語だった。
身内で閉じてぶつかりあったかと思えば、妙に広いところに出ていく。でかい問題を最後に扱って終わるかと思えば、非常に個人的で中途継続な……しかし納得と満足、爽やかさのある終わりにたどり着く。
もともとそういう話であるので、この最終回にある膝カックンは納得……というよりむしろ歓迎できた。デッカイ”VS社会”で終わるなんて、この陰気で最悪で矛盾まみれのちっぽけな青春に、誠実に向き合ってきたお話には相応しくない! と感じた。
自意識の檻に閉じ込められ、出口など見えないまま暴れまわる。愚かしさを加速させ、どこまでも走り抜ける。そんな時代を笑いで彩りつつ、どこまでも真剣に優しく見守る筆が最後まで衰えなかったことが、僕は嬉しかった。上から目線を自覚して言えば『やるじゃん、マリー』って感じだ。

セックスと文学。青春を切り取る上で選び取った2つの画材にも、非常に真剣に、同時にコミカルな面白さを忘れずに挑み続けてくれた。
言葉と色彩を探していく深夜の色鬼を、一時の決着を付ける儀式として選び取る言語的豊穣。散々に振り回された性と自意識に、自分なりの優しさで答えを見つけた決着。どれもバカバカしく、美しくきらびらやかで、とても鮮明だ。
下世話で愚劣なこのお話に、爽やかな風を通していたのはそんな話運びだけでなく、色彩の感覚、画角の作り方、フェティッシュを切り取るレイアウトの巧みさと言った、アニメの見事さでもある。
様々な色合いに塗りたくられた、少女たちの青春闘争の終わり。実質的なラストカットである、最後の”部活”の美しさは、そういう”絵”の強さをしっかり焼き付けている。全てが12話というフレームの中で走りきり、燃え尽きたからこその満足感が、しっかりある。
それが奇跡であることを、僕は忘れないようにしたい。

 

 

GRANBLUE FANTASY The Animation Season2 第12話『道標』

道は果てなく、僕らは同じ方向を見上げながら、共に旅を続ける。 いつか、夢見た場所にたどり着くまで。 大事な君の手を取って、自由になれる美しい風景を、一緒に見る日まで。

GRANBLUE FANTASY The Animation Season2:第12話『道標』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ソーシャルゲームというものは、その構造からして終わることが出来ない物語だと思う。セールスランクに乗り続ける限り、集金と経済の構造体が動き続ける限り、物語は常に回転し、加速し、軋みながら動き続ける。
僕はグラブルの巨大な物語に、アニメという窓を通じて触れただけだけども、その巨大な輪郭は判る。あまりにも大きな鯨が隣を行き過ぎた時、その全体像を把握できなくても存在感を肌で感じるように、この終わらない最終回がまだまだ先へ伸びていること……序章に過ぎないことはよく判る。

Cygamesの表看板という、デッカイ後ろ盾があってなお、オルキスとアポロがどのような過去で繋がっているのか、その真相がアニメで描かれるかは不鮮明だ。いつでも未来は不確かで、しかし描ききれないものを描きぬく野心を抱えて、創作者たちは非常に危うい場所から物語を届けてくれている。
最後の最後に投下された爆弾は、(制作会社の枠を超えて、一期から継承された鮮烈さでもって)二期で描かれた感情に負けないほど強く、激しかった。その先がとても見たくなる、魅力的なものだった。
そう思える期待と信頼は、やっぱりここまでの11話をしっかり、”王道”を恥じることなく描きぬいた筆の確かさ、そこに宿る個別の感情の色彩ゆえだと思う。
グランくんという非常に真っ直ぐな主人公が背負う、真っ直ぐな物語。それを手垢のついたものではなく、この作品、そこに生きる人々固有のものだと、どう感じさせるか。

それを考え抜き、時に非常に攻めた演出をアバンギャルドに刻んだからこそ、グラブル二期は非常に楽しい思い出として残っている。”団長”としての頼もしさと、少年の未熟。それを両立させて新たな空を見上げるグランくんの旅路が、果たしてアニメで描かれるのか。
判ったものではないが、やはりこの真っ直ぐな青い空の物語の続きは見たい。そう思わせてくれる、良い終わりだった。早い真っ直ぐが投げれること、それを届けるためにかなり攻めた演出が随所に見られたこと。
矛盾しそうなグラブルアニメ二期の特徴は、最終話でも元気に暴れまわり、感情空間を爆心地へと変えた。
さらなる爆裂を望む。

 

番外:シスター・プリンセス RePure キャラクターズ第12話『咲耶

非常に強烈な最終回であり、これを見るためにリピュアまで実況感想引っ張った感じもある。

シスター・プリンセス RePure キャラクターズ第12話『咲耶』実況感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 なんの因果かYoutube,始まっちまった一挙放送。20年前の亡霊が墓穴から這い出した以上、向き合う以外の道はなく、26話+12話の感想などを書くこととなった。
存外シスプリが好きな自分を再確認できて、手間もコストも掛かったが良い視聴体験だったな、と思う。思い出の中で輝いていたこの咲耶回が、ただのノスタルジーではなく、圧倒的な仕上がりと叙情性を刻んだ見事な映像詩であると再確認できたのも、いい体験である。
リピュアはスタッフの個性が色濃く出て、やはり全話楽しい。無印の迷走と毒、メタ意識とその去勢もひっくるめて、やっぱシスプリアニメが好きなのだなぁ、と思った。