イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

スター☆トゥインクルプリキュア ベストエピソード七選

一年の長いスペースボイジャーを走りきり、見事な軌跡を空に描いたスタプリ。全ての話数が傑作と言える、とんでもないシリーズでありましたが、特に7つ、自分に突き刺さったエピソードを紹介していこうと思います。

 

・第7話 『ワクワク! ロケット修理大作戦☆』

なんかデケェ挫折とか衝突があるわけでも、スゲーバトルがあるわけでもない。額に汗してみんなで働いて、新しい夢を形にしていって。不思議な秘密で繋がった新しい友達が、なんか良いなと思う。

スター☆トゥインクルプリキュア:第7話『ワクワク! ロケット修理大作戦☆』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

序盤からは、四人が集って 宇宙に飛び出す前段階、”ララのロケット”を頑張って修理するお話を。ひかるの特異な資質を、その尖った魅力を失わせないまま見事に発揮させていく、この後のお話を強く予感させるような描写が、非常に太くていい。
プリキュアのピンク担当は色んな書き方があって、基本”出来ない子”が任命される傾向が強い。劣等感と必死こいて戦ってる少女戦士に、親しみとエールを生み出すための工夫なんだと思うが、ひかるは画一的な価値観だと”出来ない子”扱いされそうな個性と、それを上手く社会に適応させてきた彼女なりの闘いが、色んな描写から滲む子供だった。
子供だって、完全に無垢なわけではない。様々な資質を、彼らなりの小さな社会の中で必死に繋いで、なんとか居場所を創っている。その中で、輝くと思える楽しさを見つけて、どうにか闇に溺れないよう生きているのだ。僕ら、かつて子供だった存在と同じように。

そういう彼女が、集団の中でどういう仕事を果たすか。何に興味があって、周囲はそれをどう受け止めるのか。どっしり腰を落としたロケット修理のなかで、しっかりそれが見えてくる。
声高に説明しすぎず、視聴者を信頼して描写にメッセージを埋め込む筆致も、スタプリの特徴だと思う。読み解くのがちょっと難しくても、今はすべてが分からなくても、必ず届いて、理解ってくれる。いつか芽が出る願いの種として、大事にしまってくれる。
そういう祈りを込めて、結構難しい角度から”プリキュア”をやった今年の決断は正しかったと思うし、それはそれとして、放課後の大冒険、子供たちだけの秘密にしっかりワクワクを込めて、児童冒険物語に必要なワンダーがしっかりしていたのも良かった。
ピンクに塗り上げられた、みんなのロケット。それがどんな世界を切り開き、どんな”キャラクター”であったかは、一年見た今ではよく思い出せる。この話数で感じた、大きな物語が羽ばたいていく期待感を、一切裏切らない星の旅だった。


・第11話 『 輝け☆ サザンクロスの力!』 

カッパードさん達がぶつける暴力に拮抗する形で、ひかるは夢見がちな子供時代を厳しく試され、現実の重さを知る。

スター☆トゥインクルプリキュア:第11話『 輝け☆ サザンクロスの力!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

1クール目のクライマックス。ここまで溢れるイマジネーション と独特の知性、豊かな人格を武器に突き進んできたひかるが、明確に”負ける”話である。カッパードさん達ノットレイダーが、救いを求めるある種の犠牲者であること、希望に満ち溢れた”恵まれた子供”のシャドウであることが、鮮明になるエピソードでもある。
スタプリは結構暗い世界観を前提とした作品(まぁプリキュア大概そうなんだけども)で、夢は破れイマジネーションは歪み悲劇は繰り返される。それが前提にあるからこそ、神の思惑すら越えてイマジネーションを伸ばすひかるの闘いは、貴重で輝くものになる。
全てを許し、悲惨を前に諦めないヒーロー。その尊さの足場には、英雄になれなかった弱い人間、凡百の”大人”の屍が、山と積まれている。それを『弱い、頑張れなかった人達』と切り捨てる視線は、スタプリにはない。

『俺が堕ちたように、お前もこの世界の法則に負けろ!』という、諦めてしまった大人たちのメッセージ。それに屈せざる子供たちの物語を紡ぐ上で、その重たさ、否定しがたさをしっかり描くのは大事だ。
なぜならほぼすべての子供は、英雄ではなく怪物になっていくからだ。
満たされない願い、裏切られたという痛み、届かなかった苦しさ。様々な形、様々な角度から襲い来る”現実”を前に、様々な人が諦めていく。皆、ノットレイダーになってイマジネーションを歪めていく。
そんな存在も…そんな存在だからこそ、世界の片隅で光を求め、友に苦しみを分かち合える友を求める。光を蔑しつつ、誰よりも強く救いを求めている。そのやるせなさを前に、満ち足りたものは何が出来るのか。
ひかるはそのシビアな問いかけを前に、足を止めて立ちすくむ。当然である。経験しておらず、否定もできない人生の重たさを、本気で突きつけてくる大人を相手に、夢見がちな少女は何が言えるのだろう?

ひかる自身は言葉を奪われ、しかしララの言葉が、彼女を支える。主役もまた、絶望に足を止める時がある。しかし友情が、その諦めを踏破する力を与えていく。
それは何処から生まれてくるのか。出会った時、見知らぬ異星人に物怖じせず声をかけ、優しくたくましくイマジネーションを伸ばした、主役自身の行いからである。ひかるの善良さがララに届き、増幅し反射したことで、ひかる自身が救われたのだ。
この善因善果の描写、暗闇から上げた声が誰かに届き、誰かを変えていける希望は、ここでひかるを傷つけた/救いを何処かに求めたカッパードさん自身にも、しっかり届くこととなる。

 

・第18話 『つかめ新連載☆ お母さんのまんが道!』

そういう希望に満ちた再出発で話を終えたところは、"好き"を大きく強くしていくためのチャレンジを前向きに肯定していて、とても好きだ。

スター☆トゥインクルプリキュア:第18話『つかめ新連載☆ お母さんのまんが道!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

スタプリは無敵の英雄を作らない話だ。ひかるにも欠点が沢山あって、大冒険のなかでその欠落を学び、改めたり、角度を変えて特性の使い方を考えたりしながら、一歩ずつ変化していく。
プリキュアチームの”母”として、非常にスキのない人格をしていたエレナも、テンジョウを鏡にしてその限界点、弱さと弱さを知ればこその変化を描くことが出来た。その話はまぁ、あとで存分にしよう。

”大人”にも悩みと間違いがあり、 子供の視線は結構その傷を捉えているということを、ひかるの母を主役に据えたこの物語は伝える。
『わたしがスキだったお母さん』は、自分の夢、イマジネーションの歪みに囚われ、大事なものを捨ててしまいそうになる。見慣れていた欠落のない幼年期が、そのほころびを顕にしだす時代、思春期という地獄の只中に、ひかるはいるのだ。
その軋みを前に、ひかるは凄く必死に、しかし等身大の小ささで闘う。応援し、思い出を語り、お母さんのスキが好きであることを伝えようとする。それはロケットが介在しない、ありふれた子供の…そして人間の闘争だ。
父や祖父の話でもそうなんだが、ガキっぽい夢にキラやばしてるだけのように見えて、ひかるは周辺視野が非常に広く、大人びた世界観を持っている。世の中には色んな人がいて、自分はそこに馴染めないことがあって、それでも孤立するのではなく、何らか働きかけたほうがいい。
そう思える人格をひかるは、あまり長くはない人生経験のなかでしっかり作り上げていたし、それは星の仲間と出会うことでどんどん拡大していく。自分を強く持ち、孤独を苦痛と感じなかった子供が友情を手に入れたことによる恐怖さえ、この作品はしっかり描画している。

そんなひかるの奮戦は、母のイマジネーションを原点に戻し、社会的成功を与えない。連載を掴み、ビッグな漫画家になる。それは母が闘うべき戦場であって、プリキュアが…娘が代替わりしてあげることは出来ないのだ。
母は気づけば背丈が伸び、自分が隠したかっただろう必死な脆さ、抱えた歪みを覗き込めるようになった娘を、どう思ったのだろうか? 少し面映ゆく、同時に誇らしくもあったのではないか。だからこそ、そのエールを無駄にしないために、自分の”スキ”へと帰還していくのではないか。
そしてそのエールを生み出したのは、他でもない母との日々、ひかるの世界に満ちた優しく美しいイマジネーションであった。誰かに優しくした奇跡は、巡り巡って己に戻ってくる。それがあるから、大人だって夢を見て、頑張って生きていける。
そういうメッセージが、エピソードの中、ドラマの渦中でしっかり描けているのは、やはり物語の視力と視野がとんでもないのだな、と思う。

 

・第35話 『ひかるが生徒会長!? キラやば選挙バトル☆』

凄く小さくありふれた、宇宙の冒険に比べれば地味でつまらない試行錯誤。でもその小ささが、とても身近な意味と価値を浮かび上がらせるエピソードであったと思う。

スター☆トゥインクルプリキュア:第35話『ひかるが生徒会長!? キラやば選挙バトル☆』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

星の旅重点で進んできたスタプリは、秋口から方向性を少し変えて、ひかる達の学園生活を追いかけることになる。ここにスカジャンを着たネコミミが”入らない”ことが、不登校児やテレティーチングなど、様々な”学校”との向き合い方が広がる”今”の子供たちへの物語として、やはり素晴らしいと思っている。
ユニはもしかするとスタプリで一番攻めたキャラで、悪事に身を染めつつ不思議な力で”浄化”されず、学校という秩序にも取り込まれず、自由なネコミミとして主役たちのサークルの隣に、ぴとっと寄り添い日常を過ごした。別にそれでも、”いい子”にならなくてもプリキュアにはなれるのだと、堂々描いたのはシリーズ上、かなり大きな一歩だと思っている。
あの子がネコミミを隠さず日常に潜れた、ハロウィンの祝祭。その風景は一瞬の夢だが、綺麗な夢だった。故国復興のために走り回った日々のなかで、『地球は良い星だったにゃん』と思ってくれることを、僕は強く願っている。そう思えるのなら、彼女を強引に”仲間”に引き込まず、疎外もしなかったあの街の成熟も、大きな意味を持つだろう。

さておき、このエピソードはひかるとララの物語であり、姫ノ城さんの物語でもある。今まで学校にフォーカスが当たることがそこまでなくて、高飛車なコミックリリーフだとばかり思われていた彼女が、生徒会長・まどかへの憧れと、彼女なりの真摯な思いを込めて選挙に挑んでいることが、よく判るエピソードだ。
スタプリは英雄を作らない話であると同時に、道化を産まない話でもある。コミカルに思える存在も、何処かにシリアスな空気をまとっていて、真剣な存在もまた、笑いを忘れ得ない人間味を持ち続けた。
そんな視線が姫ノ城さんのシリアスを切り取るこのエピソードは、最初ララとひかるにフォーカスして始まる。主役として選挙に勝ちそうな流れを作ったところで、まどかの模倣になってしまうひかるの欠落と、姫ノ城さんが隠したオリジナルな情熱がぐっと浮かび上がってくる。

道化の化粧を落として、その奥にある真摯さを見つめるのは、結構難しい。いちど”こう”と固めてしまった認識は、早々簡単には崩れてくれない。だから『今回も負ける役』として姫ノ城さんを描いておいて、その固着したイマジネーションが見落とすものでひかるを、視聴者をぶん殴り方向を変えるこの話は、相当にテクニカルだ。
同時に情熱的で優しい視線も籠もっていて、ひかるの出馬を当たり前に手伝うララの学園生活は、非常に体温があっていい。スカジャンを着て学校に行かない宇宙人もいるし、制服を着て学校に行く宇宙人もいる。世界には、両方いていいのだ。
ひかるは姫ノ城さんの素顔を見て、”勝つ”ことよりも大事なことへ、自分が大事だと思えたことへと、行動の舵を切り替える。”敵”の応援をしてしまう無茶苦茶は、非常に星奈ひかるらしくて好きだ。
星空の冒険で取りこぼしていた、日常の輝き。これを丁寧に追いかけたことが、最後に宇宙開闢のスケールまで拡大し、人間のカルマを超越するクライマックスの足場を、しっかり固めたと思う。そういうシリーズ構成上の妙味も味わえる、優れた話数だ。

 

・ 第38話『輝け!ユニの トゥインクルイマジネーション☆』

鏡合わせの私とあなた。違うからこそ知り合いたい。星奈ひかるの生き様がユニに刺さって、それが新たな変化を生むんだよなぁ…星座じゃん。

スター☆トゥインクルプリキュア:第38話『輝け!ユニの トゥインクルイマジネーション☆』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

ユニが好きだ。スタイリッシュな宇宙怪盗として登場し、押し殺した復讐心を抱えた戦士となり、心を”浄化”されないまま、少しずつその生き方を変えていった彼女のことを、僕はとても尊敬している。
アイワーンとの巨大感情はニチアサで叩きつけるにはあまりに激しく強く、しかしあの時間帯だからこその熱量と解像度を、しっかり刻んでいた気もする。特大の女女感情の”リアル”さは、プリキュアの特産品だからな…正しいッ!!
彼女の旅路は、頑なな復讐心をほぐしていくことで進んでいく。民族絶滅の重たさを背負い、神の奇跡を希いながら進んだ旅路は、友との不思議な距離感と、確かな温もりで満ちていた。あんまりベタベタしないけど、しっかり思い合っているスタプリらしい描写がユニとプリキュアには多くて、そこも好きなポイントだ。

バケニャーンを演じる(ことで、孤独を抱え込んでいたアイワーンの感情は更にこじれていくわけだが)なかで、彼女は何故仇を殺さなかったのか。その答えが、ハッケニャーンさんという形で顕になるエピソードが、このお話である。
それは過去に向かうと同時に、より強く未来に踏み込む話でもある。ハッケニャーンさんがユニの苦しさを同じ目線で肯定し、それでもイマジネーションが歪まぬよう導き、星を示したことで、ユニはノットレイダーと同じ存在にはならなかった。
ひかるの大きな背中を見せられたことで、奪わず騙さず…”正しく”進んでいく可能性を自分の中に見出し、ネコらしい気まぐれと警戒心を抱えたまま、誰かが隣りにいる喜び、尊さを肌で取り戻していった。共同体の端っこに、自分という星を置くことでユニの輝きは変化し、新たな星座が生まれていった。
過去と現在、他者と自分は離れていて、同時につながってもいる。その輝きを線で結べば、独特の星座が生まれる。今ここにいる自分が、失われたもの、間違えたもの含めて、何かに繋がっているという世界認識。

それを見つけた(というか、色んな人に触れ合うなかで取り戻した)結果が、世界最高の『赦すニャン!』である。レインボー星人は猫であることが根幹にあるので、本気になればなるほど”ニャン”って言うのだ。安い猫キャラ造形を逆手に取った、見事な運びだと思う。
アイワーンの極悪非道は、けして消えない。それでも過ちを許し、未来の可能性へと踏み込める強さを、スタプリは信じる。ユニの叫びは、そういう宣言である。初のトゥインクルイマジネーション回でもあるこの話で、憎悪に憎悪で応えるのではなく、”許し”へと踏み込む勇気と優しさを刻んだのは、のちの展開的にも良かったと思う。
トゥインクルイマジネーションも、最初は『フワッとしたタマ投げてきやがって…フワくんだけに!』と思った。けども、『曖昧で形のないものだからこそ無限の可能性へと踏み込める』という、最終盤でより強調されたメッセージを、しっかりドラマに乗せる土台にもなってくれた。
スタプリの特徴である、色んなものを乗っける貪欲さ、その一個一個の解像度を上げ、熱量高くブチ込む力強さが、よく唸るエピソードだと思う。

 

・ 第43話『笑顔への想い☆ テンジョウVSえれな!』

えれなが完全無欠の”姉”から、ただの子供になれた瞬間である。勝ったなスタプリ…。

スター☆トゥインクルプリキュア:第43話『笑顔への想い☆ テンジョウVSえれな!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

えれなの書き方は、ずっと心配だった。チームの年長者は、自由に暴れる年下組をなだめ抑え、あるいは受け止める”姉”(あるいは”母”)としての仕事を頑張りすぎて、一少女でしかない彼女自身の傷や歪みを、なかなか表に出せないことがプリキュアではままある。
確かに序盤、自由奔放にキラやばるひかるとか、ぶっ飛び宇宙人であるララをフレームに収めるために、えれなとまどかはかなり落ち着いた、完成度の高い人格を見せていた。”家”にまつわる物語でほころびを見せれたまどかに対し、えれなはなかなか、用意されたポジションから出来れない、優等生ゆえの哀しさを背負ったキャラに、僕には見えた。
それが一気に回収される動きと、テンジョウの掘り下げをシンクロさせて回したのは、まさに妙技 である。ルッキズムに支配され、欺瞞と嘲笑に満ち満ちたグーテン星。リベラリズム最悪の発露を、異星という形で子供に届ける鋭さも含め、えれなを鏡にテンジョウは解像度を上げていく。

それは(例によって)色んな場所に反射していて、ノットレイダーがかかえる歪みの構造であったり、ザラついた感情の質感であったり、様々なものがテンジョウを通して見える。コマちゃんコマちゃん言いつつ、部下との信頼厚いテンジョウさんがクローズアップされることで、”悪”でありつつヒューマニズムの輝きを残したノットレイダーは、より描写を深めたと思う。
無論、鏡役をやったえれな自身も、テンジョウと向き合うなかで己の姿をより鮮明にした。全てを浄化する合体必殺技を撃っても、望んだ笑顔が生まれるわけじゃない。暴力で優越することが、夢への道とイコールではない。
『誰かの笑顔』というトゥインクルイマジネーションにたどり着いても、えれなは母の前で泣きじゃくり、己の無力を嘆く。娘の涙を、母は一人間と認めしっかり受け止め、真摯な答えを返した。

笑顔がキャラの中心にあるからこそ、その涙は重く、熱い。そういうモノが、完全無欠に見えた褐色の天使にしっかり宿っていて、彼女もまた”子供”なのだと、最終コーナーが見えてきたこのタイミングでしっかり書けたのは、非常に良かったと思う。
このえれなの描写で、スタプリは点睛を手に入れた画龍となって、見事な完成形へとたどり着いた。そんな僕のイマジネーションを遥かに越えて、クライマックスの毎週どんでん返し、神話規模の超スケールバトルも加速していく。
『まぁこんなもんだろう』という諦め、アニメオタクのイマジネーション限界を、気持ちよくぶっ壊されまくったことも、スタプリが好きな理由(沢山ある。それこそ、星の数ほどに)の一つだ。

 

 

・第48話『想いを重ねて! 闇を照らす希望の星☆』

エイリアンであるララと意思疎通できていたのは、ペンが与えてくれた神(≒親)からの奇跡であり、それをはねのけ自分の人生を活きることにしたひかる達(≒子)からは、冷酷に剥奪される。 魔法が消え、現実が訪れるシビアなルールは、この局面でも…だからこそ嘘を許さない。

スター☆トゥインクルプリキュア:第48話『想いを重ねて! 闇を照らす希望の星☆』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 実質的なクライマックスはこの話数で終わり、最終話はまるごとエピローグである。夢の中に夢を重ね、現実の先にある白紙の夢をしっかり刻んだ攻勢の妙味で、最終話を選ぼうかは本当に悩んだ。
しかしやはり、この話数(と、ここに繋がる最終決戦連作)の盛り上がりは凄いことになっていたし、その正攻法の感動を飲み込んだ記憶を選ばないのもまた、嘘であろう。
それぞれの正義に瞳を塞ぎ、イマジネーションを殺して”敵”の喉笛を狙う。そんな最終決戦をひかるが体を張って、言葉を絞り出して止める展開から、巨魁なる破壊神の降臨。それを打破するべく、”守られるべき子供”という立場から思い切り踏み出し、全てのイマジネーションを束ねてとんだフワくんの犠牲。ついでに、プリンセスたち創造神の傲慢。
多様性が、フワくんの力を削いだ。優しさが、正しい行いの足を引っ張った。そういうところから始まる物語は、全てを飲み込む巨大な破壊と絶望から、想像の光を伸ばし、神の思惑を超えた人間の可能性を、堂々突き立てる決戦へと続く。

万感の離別を堂々描いたラストもいいんだが、ガルオウガさんに神の腕輪を預け、人を試す破壊神の姿が印象深い。多分彼女は、玩弄した怪物が自分の想像を越え、復讐鬼から護国鬼へと戻る道を、あの時期待していたのだと思う。
ガルオウガさんは歪んだイマジネーションを乗り越え、人として成すべきこと、成し遂げたいとかつて願っていた優しさに帰還する。それはひかるとは違う形で、神の想像力を人が越えた瞬間だ。
子供を家に送り届け、望んだ未来への道を繋ぐ。
そう出来たことは、守られた美しい戦士だけでなく、間違え続けた醜い怪物にとっても、非常に大きな意味を持っていたと思う。そういう存在に、いつか成り果てたとしても。自分の心と世界を変えていく可能性は、いつでも残っているのだ。

心というミクロコスモスが、詩を通じて宇宙というマクロコスモスに繋がり、世界を救い自分の未来を引き寄せる展開も、極大と極小が繋がった見事な世界観を完成させる描写だった。『親を超えていく子』という、スタプリの裏(?)テーマも、神を越えていく人の偉業を描くなかで、より鮮明になったと思う。
激しいバトルを描きつつ、今まで日常のなかで、楽しい冒険のなかで見つけた輝きが全てを救いうるのだと、本物の説得力を持って描きぬく。非常に難しいけども、クライマックスが果たすべき集大成をしっかりまとめ上げてくれた。

そして一年間描いてきた幻想を、”変身”する特別な力を、その源に返すことで幼年期に別れを告げる決断も、児童文学の正道を堂々と走る、見事な終わりだった。
プリキュアの力、一年紡いできた特別な物語をどうするかは、作品によって様々な書き方がある。スタプリは、返すことでその価値を高め、借り物の夢が終わったあとに続く夢、現実というキャンバスに描く無限の星座を、正しく星の高みに引っ張り上げた。
終わっても、終わりではなくまだ続く。その矛盾を本気で描ききるためには、”返す”ことが必要だったのだ。
プリキュアの力を手放しフワくんを救ったことで、成長してワープの奇跡を取り戻したフワくんが、再び全てを超えて全てを繋いでくれる。『善なる行いは、必ずその御下に返ってくる』という循環型のスタプリ倫理が、最終話と合わせて完成すること含めて、非常に豊かな最終話一個前だと思う。

 

・番外
『映画 スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて』

人という宇宙は、常に心という星をその内側に有しているのだ……それらが星座となり、社会の形を作っていくわけだね。

『映画 スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて』感想 - イマワノキワ

 まぁこれを入れないと、流石に嘘なので。
短い上映時間に、詰め込めるだけの美しさと論理、倫理と祈りを込めた映画文学の傑作です。
2月にDVD/BDが出ますので、劇場で見れなかった方もぜひ、圧倒的な完成度とメッセージ性、壮大なセンス・オブ・ワンダー、涙が出るほど切実な青春の息吹が詰まったこの物語を見ていただきたい。