ガルパ履修記録
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
・君に届け、スウィートハートバレンタイン♪
ネット番組の企画として、日菜に”るるるんっ”とするチョコレートを送ることになったパスパレ。
異質な思考回路を持つ緑色の天才は、一体何を求めるのか!?
という塩梅の、パスパレ季節箱イベである。
ヴァレンタイン企画の形をとって、贈与の意味合い、氷川日菜という異才がどう人間と関わっていくかを掘る話として、非常に楽しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
ご存知のとおり、日菜は非常に独自の言語センス…というか世界認識を持っている。その異質性を自覚しているし、公開もしている。
彼女は今回のエピソードで、強く感動するが泣かない。”人間”というフレームにハマらないまま、人の間で生きていく術を学び、あるいは開発していくのが彼女のストーリーと言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
かつては最愛の姉との間に断絶を生んだ、異質で英明な世界認識。それは二年間の生活で、ある程度通じる形にはなってきた
彼女自身も、パスパレと触れ合うなかで、またそれ以外の少女たちと青春を同じくする過程で、自分自身を、世界とのギャップを計測し、変質しないままに距離を調節してきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
異質だからこそ、他人は面白い。その基本認識は、多分物語開始時と変わらない。ただ、異質な他人を消費するのではなく…
協調(共鳴ではなく)出来るようになってきたかな、という印象がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
自分と世界のズレをエミュレートして、受け入れられる行動を提出する。そういう行動経済を、他者性を蕩尽することなく、ある程度以上公平に扱うことが出来るように、そして面白くなっている感じだ。
彼女はアタマの作りがとびきり良いので、一方的に他人の感情や情報を吸い上げ、様々に利益を得る立場を作れるわけだが、そういう方向には進まなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
これは”姉”という、一方的に吸い上げるのではなく、双方向にわかり合うことを望み続けた他者が、身近にいたのが大きいと思う。
””違うもの”を一方的に蹂躙するやり方が正しいのなら、姉とわかり合いたいと願うこの心は、一体何なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
そういう疑問があったから、彼女は異質な存在を切り捨てて、孤独な星になるわけにはいかなかった。
同時に、姉と自分だけが特別な”人間”で、それ以外はどうでもいい、という認識にもならない。
これはパスパレの存在が大きくて、自分の怪物的な部分も含めて歩み寄ろうと努力し、時に無理解にぶつかり合いながら時間と情緒を共有してきた”他者”四人は、姉とは違うが面白い、敬意を持てる存在だったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
また、勝手なイメージを消費される”アイドル”として、双方向に他者性をファンと共有…
というか、相互蕩尽出来たのも大きかったように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
アイドルがファンを面白がるように、ファンもまたアイドルを面白がる。
それは本質には触れ得ない身勝手な蕩尽なのだが、同時に相手のことが好きで、思いやればこその押しつけでもある。
日菜の才があっても、吸い尽くせないほど多彩で多量な感情
”アイドル”として、そういうマスに向き合う立場に立てたことが、彼女が異質なまま、社会と自力で繋がる生き方を掴む助けになったと思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
結果、彼女は”異”に強い興味を持ち、同時に”同”である自分の興味、”るんっ!”に素直に活きる、非常に特殊なスタンスを体得した。
その先に生徒会活動もあって、彼女は人気者の生徒会長だ。ただただ面白いと感じる行動をあまりに的確に実現することで、彼女は学校社会において一定以上の地位を獲得できた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
”るんっ!”を社会的手続きや一般的な情緒と繋げてくれる、つぐみという優秀なアダプターとの出会い含め、幸運なあり方だ。
ガルパは相互理解という甘い夢を、かなり冷徹に蹴っ飛ばしていると思う。『他人と他人がわかり合うことは、ありえない』を前提に青春を描いている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
それが一番エッヂな現れ方をしているのが、氷川日菜なのだと思う。日菜のことはファンにも、羽女生徒にも、パスパレにも、姉にもつぐにも判らない。
しかしその異質性に手を伸ばし、分かり繋がろうとする努力を、ニヒリズムに陥ることなく続けることの意味を、ガルパは非常に大事にしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
今回パスパレメンバーが挑む、『るるるんっ!』の謎。非常に独特な”日菜語の辞書”を読もうとする努力は、おそらく全人類が何かしら、常に行っている。
日菜が意味のわからねぇ言葉で自分と世界を表現するのは、もう当たり前なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
そういう日菜が皆好きで、積極的に触れ合ってすらいる。己の異質性を、行動から生まれる”楽しい”という便益、異質だからこそ自分を見つめれる鏡としての性能で認めさせてしまっているのは、豪腕と言っていいだろう。
そして自分ですら解読困難な”氷川日菜”という辞書を、積極的に読んでくれる仲間を、彼女は愛している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
そこに踏み込める唯一の正解が、『ただただ相手を思い、無心に作る』なのは、非常に面白い。
答えを求める最短ルートはあまりに遠回りで、愚直な前身こそが唯一の道となるのだ。
ここで一捻りしてあるのが今回面白いところで、パスパレメンバーは”ドドーン”とするケーキをすっかり忘れている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
何かがまとまって生まれる、大きな感動。個としての性質と、集団としての喜び。
メンバーは自分たちの全てを『パスパレのチョコ』として”ハート”にまとめ上げることで、答えにたどり着く
今回全体の舵取り役として、大和麻弥がかなり目立っていたのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
このヒトは頭の回転が早く、状況の分析と言語化に特に才能があるわけだが、”日菜語”もまた冷静に分析し、そこに到達する筋道を明瞭にしようとする。
ここら辺、瀬田薫という特殊な言語使いと、身近に接してるのがデカい気がする
独自の言語で自分を表現する存在を、『訳解んない』で切り捨てず、その辞書を積極的に読もうとすることで、面白さと学びが生まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
演劇部で薫と対話しつつ、いい舞台を作り上げるために切磋琢磨した体験が、日菜の『るんっ!』を読もうとする積極性の根っこにある…んじゃなかろうか。
とまれ、日菜も予期していなかった特大の喜びを込めて、”パスパレのチョコ”は見事完成する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
異質な自分がそれでも出している、喜びのサイン。それをしっかり見て、憶えていて、形にまとめる。
そういう労を厭わぬ献身と、理解不能なままそれでも、歩み寄ろうとする意志。
そこに”緑色の怪物”氷川日菜は大きな喜びを感じ、瞳を輝かせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
一般的な…あるいは多数派が感じるだろう、喜びの方程式とは違くても。感謝や愛情や、その他ポジティブな感情の”肌触り”みたいなものに触れるのは、日菜も当然嬉しいのだ。
ここら辺は、姉との繋がり方で既に見えていたものでもある。
一年前の七夕で、日菜は既に泣いていた。彼女にも感情と内面はあり、同時にそれは”普通”とは違う駆動の仕方をしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
それを日菜自身認識していて、どうにか繋がる手段を見つけないと姉との切断面は埋まらないと考えた。
そしてだからこそ、嫌われ他者性に飲まれる恐怖に飛び込んだ。
そこから生まれ直し、一介折れた後に再接続された繋がりがあればこそ、日菜はいろんな形の他者、いろんな形の断絶を楽しめるようになったのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
このヴァレンタインは、氷川日菜の到達点では当然ない。パスパレのかけがえない思い出の一つで、同時に過ぎゆく日常の一つ、ただのイベントだ。
パスパレという特別、姉という特別、ファンや羽女生徒という特別。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
唯一性のある共感可能な他者に、接続可能性を限定するのではなく。
様々に不完全な接続を、多彩に持ちうるルートを今の日菜は持っている。だからといって、パスパレの値段が落ちるわけでもない。
むしろその豊かさを教えてくれたからこそ、日菜にとってパスパレは特別なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
今回の贈与は、そのことをパスパレ自身が証明し、日菜が確認する儀式になったと思う。この経験を経て、日菜は更に異質な世界を、そこにたゆたう自分を好きになれるのだろう。
それは多分、ありえないほど幸福なことだ。
受け取った日菜にだけでなく、送ったパスパレにとっても、自分たちが積み上げてきたもの、ここから広がっていくものの価値を確認できる、特別なギフトになっただろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年1月31日
誰かを思い、何かを送る。断絶を越えて、手を伸ばす。その特異性を切り取った、いいイベントであった。