BNA ビー・エヌ・エーを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
みちるの牙を突き立てた士郎は、それ故に自我を取り戻す。
獣として人として、生き続ける道。可能性を模索する者たちに、立ちふさがる金色の獣。
アランの口から明かされる真実と、最後の決戦。
混ざり、変わり、私のままある。
そんな星を求めて、獣人は今日も進む。
そんな感じのBNA最終回、シルヴァスタ真実がすんごい勢いで叩きつけられての大団円である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
アランが神ビームと一緒に垂れ流す真相は、もうちょいネタ振りしておけや! という感じもちょっとするが。
設定説明より叙情に時間を使った結果だし、ピースはちゃんとハマる形でもあったので、まぁOK。
アランが単純な人間至上主義者(ヒューマニス)ではなく、純血種故に雑種を拒む超差別主義者だったのは、結構納得した。人間サイドから出てくるには、憎悪の色が濃すぎると思ってたので。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
獣の誇りを抱えて歩いてきた士郎さんが、最後に相手取り乗り越える影としては、そういう造形が相応しいよね。
”化ける”というみちるの資質、”闘う”という士郎の資質。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
男と女、大人と子供、最古と最新。
それぞれ全く違う二人が、ぶつかり合いながらもお互いを認め、変わっていった結果もアクションに焼き付いて、とても良かったです。
牙ではなく歌で人を守れた士郎さんの、険の取れた顔が可愛かった。
さて、前回衝撃のヒキが実は微かな希望だった、というところから、最終話は開始する。暴走士郎、エヴァすぎんだろ!(この後何回かやるツッコミ)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
みちるの血は獣の本性を沈静化させ、人の心を取り戻させる。
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これまで幾度も強調されてきた”化ける”という主役の特性が、ここに来て救済に繋がるのはとても好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
同時に”化ける”力は、暴走した士郎の牙を止めるゴリラアームにもなる。変わっていける可能性は、自衛にも救済にも、暴力にも無理解にもなれる。
『何にでもなれる』という言葉は、それ込みの魔法だ
そんな危うい可能性を、みちるはチャーミングに制御して、女子高生らしく自撮りで生存報告をする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
凄く印象的で良いシーンなんだけども、コレ大逆転に繋がってく運びも巧みで好きである。こういうドミノ倒し、今作は上手かったねぇ…。
あとなずなの号泣な。何だかんだ、マブダチ大好き人間なんだね…
士郎さんは怒りに飲み込まれ、みちる(≒銀狼が守るべき”女子供”)を牙にかけてしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
否定し得ない”敗北”を手に入れたことで、士郎さんは謝ったり、感謝したりする柔軟さを自分のものにしていく。
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孤高でマッチョなハードボイルド・ウルフっぷりから考えると、随分”化けた”なって感じだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
固定化された自分のスタイルだけでなく、隣で人生にあがく小娘の奮戦をちゃんと見守りった結果が、この助力と謝罪だと思う。
意外だけど嬉しい変化を、みちるが受け止める表情が良い。
自分は自分が思うほど、強くも正しくもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
そう思い知らされることは辛いことで、しかしその事実を受け入れて変われる柔軟性が、人をより強くもしていく。
士郎さんは神ならぬ人として陰謀に踊らされ、内なる獣に(また)負けたことで、己を改める”良い敗北”を手に入れられたのだろう。
ここら辺、人生常に勝利者だったアランとは真逆であろうけど。まーたモニタ越し、ながら作業の”遠さ”である。最終決戦直前でコレだからなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
アニマシティで地べた這いずり、自分の生き様を探す獣人と、安全圏で冷たく生きる敵役。
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この対比はずっと続いていて、”生(Anima)”を名前に宿すアニマシティを舞台としたお話が、回転する大きな軸になっていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
しかし巨悪に抵抗する方法を一本化しないのは、”変化”をもう一つの軸に据える物語として大事な所だ。
みちるは血液を供与し、なずなは街に出て心を落ち着かせる手段を探す。
親友だからといって、完全に同じ道を行くわけじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
正反対の相手だからって、同じ道に進めないわけじゃない。
それぞれの行く末へ飛び込んでいく市庁舎のシーンは、作品が育んできた歩みを再確認する感じで、とても良かった。なずなを戦友と認めた、士郎さんの笑顔が爽やかだ。
『女子供は、俺が守らなきゃいけない』ってのは、千年前の惨劇で守れなかった士郎さんのトラウマであり、実際に傷だらけで守り続けた偉業でもあり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
しかし化けて闘える”女子供”たるなずなの存在が、凝り固まったマチズモをほぐして、より柔軟なスタイルに変えていった。
なずなの存在それ自体が答え、というのは『良い人間などいない』というテーゼにもかかっていて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
人であり獣人でもあるなずなと隣合うことで、士郎さんは自分を支えてきた頑なさを考え直す必然に迫られた。
自分の中の真実ではなく、ありのままの事実を認められる強さが、士郎さんにはある。
地に降りて子供を救う(≒みちるの資質を自分のものにした)なずなを、鳥が助け蛇が追う。ピンガさん、爆弾より子供運んだほうが似合ってるよ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
ボリスは仮面の奥の蛇眼を顕に、ファロスめいた指を少女に巻き付かせて、偽神を求める
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偽物と判ってプロデュースしたはずの”デェス・ルーヴ”に取り憑かれて、なずな個人を見ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
後に対峙することになるアランもそうだが、固定化されたイマージュに取り憑かれ他人を蔑ろにする醜悪が、80'sテイストの作画で元気に踊る。ワカメ影暴れまくりだッ!
瞳をちっちゃく描く驚き顔が可愛いね。
一方士郎とみちるは、蜂の巣の中心でアランと向き合う。Droneの語源は”雄蜂”だ。アランは高度資本主義という巣に居座る、女王蜂モチーフでもあるんだろうな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
蜂球に固められた士郎の代わりに、みちるは獣らしく牙を剥く。
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壁に貼り付けられ逆転した構図が、アランの歪んだ立ち位置を強調してキレッキレだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
”怒る、闘う”という資質は獣人(を代表する士郎)の資質であり、なずなは巧く牙を剥けない存在として描かれてきた。
物語が収まるこの局面で、なずなは典型的な獣性を己のものにしていく。
VSドローンで、なずなは巧く闘う。暴力と差別を抑え、正義を為すために必要な能力を、ある程度以上自分のものにする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
それを”成長”というべきなのかは難しいが、制御と学習は、人が人たる大事な資質だ。
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しかしみちるのキャラクターは”防衛”にあるので、アランとのファーストバトルは、士郎が引き受けることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
神の吠え声で蒸発するビル、地に伏す銀狼。え、エヴァすぎる…。(二度目)あとギドラすぎる…。
アランが語る、謀略の背景。
人も獣も騙して、純血なる妄念で世界を歪ませる邪悪。
現実に膝を屈して、血を混ざり合わせる。生きるための変化を醜いと拒絶し、己のみ獣人であると他を拒絶する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
多彩な獣性が同居する街…アニマシティを生み出した潮流と、正反対の頑なさ。
それに日本国家が協力していることに、この世界の難しさがある。
ニルヴァジールシンドロームはシルヴァスタが作った”毒”ではなく、確かに獣の性として存在している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
しかし怪物と化して隣人を喰うのは、戯画ではあっても人の資質そのものだ。
人は皆、獣を内に飼っている。だからこの話が、遠いファンタジーであると同時に身近な説話としても機能するのだ。
しかしその性質を歪めて伝え、雑種絶滅という己の目的のために加速させ、殲滅に嗤う心根は醜い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
こういう立ち回りが出来るのも、自分の中に抑えきれない獣を認めない、純血種の”遠さ”がある。
それは妄想でしかないことが最終決戦で顕にされるが、この段階のアランは自分が安全圏にいると信じている
差別も悲惨も、ストレス覚悟で隣人と混ざり合う覚悟も、何もかも他人事。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
それはニルヴァジールの血の池で、あるいは獣人収容所で否応なく、自分が当事者であることを思い知らされた士郎さんやロゼ市長とは、正反対のスタンスだ。
血に溺れかけたからこそ、そうならなくてすむ”街”を作る。
そういう(アラン曰く)雑種の切実さは、ラスボスには遠い。『全然遠くねぇよハゲ!』と叩きつけて終わったのは、スッキリして良いことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
私達とは全く違う”やつら”を、絶滅させて世界を作る。
その幸福の先にあるのは、皆殺しの孤独でしかないと思う。世界を満たしているのは、七十億の他人だから。
さてみちるとなずなは、強制的に選択権を奪う”医療行為”に、毅然と立ち向かう。露骨にファリックなピンチに、マングースも熊も駆けつけてくれるよ!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
ジャッキーの『飯食わせてくれる人が神様』理論は、素朴だけどアブねぇよな…
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士郎さんの遠吠えを”映える”と録音しておいたことが、窮地を救い、突破していくヒントにもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
なずなは偶像としてオリジナルに敗北した形だけど、チヤホヤされる以上の使命を見つけたから、そこの勝ち負けはどーでも良いんだろうな。
誇れる自分を貫く。そのために、街に出たのだ。
なずなとみちるは”人”なので、獣の本能に呼びかける神の遠吠えに震えることはない。そこには、明確な断絶がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
しかしそれを遠目に見ながらも、自分なりの価値を見出すこと…それを接点に異質なものと繋がっていくことは、多分可能だ。その困難と希望をこのアニメは、画角の真ん中に入れてきた。
変わる兆しを伝え、広げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
警察とギャングが共闘する裏で、即席チームは救済の声を放送するべく、作戦を練る。
アランとの死闘はあくまで手段で、勝利条件は暴走の沈静化。ここのセッティングは好き。
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んでまぁ、誂えた舞台に最悪の絶滅主義者がリングイン、なわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
野球回と同じく、みちるが心から世界からプロテストする時は、みんなに届くマイクが側にある。女がゴリラ体型で、なーにが悪いんだッ!!
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『人になりたい獣は、なればいい』と、自分が選ばない道をみちるが肯定しているのは大事だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
どちらに転がるにしても、可能性と選択権を残して世界を作っていくのは大事だ。アランの謀略と殺戮と断種は、それを断ち切ってしまう。
”投げる”という人間種特有の行為で発露した怒りは、しかし届かない
みちるは結局暴力がヘタクソで、そこはやっぱり士郎さんの領分だ。しかし”暴”の渦中に身を置かないことで守れるものがあることは、これまでも、これからも提示される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
主役に出来ること、出来ないことをしっかり設定し、一貫性をもって描写してきたことは、この作品の強さだと思う。
雑種と嘲る千の命、それを背負った千の年月が、士郎さんに力を与える。さー作画予算を燃やせ! 最後のアクションだッ!!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
金と銀の神狼が相争う、神話の戦場。傲慢とともに放たれる音撃を、士郎さんは学び取り、自分の力に変えていく
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しかしそれは、崇拝し君臨する”神”の力足り得ない。ただの人を殺す技だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
強い自分が、それをふるう存在でしかないことを自覚していたから、士郎さんは銀狼として表に出ることを嫌っていたのだと思う。
強さだけで優しさがないと、自分を思いつめていたのだと思う。
無力ななずながいなければ…その瞳に反射する自分と、なずなを見つめている自分を見つめなければ、士郎さんはもう一度血の池に沈んだだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
しかし、士郎さんも”化け”た。牙を止め、血で癒やす道へ、自分を解き放ってもいい頃合いだ
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庇護という形で無意識に、下に見ていた『守るべき女子供』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
その視線があればこそ、自分は己の中の獣を抑えられる。こうなりたいという自分を、制御し守れる。
それを思い出したから、士郎さんは殺さず治す方向に、この事件を制御したのだと思う。
純血種がなんぼのもんじゃい!
特別な神は、人が煩わされる獣には無縁。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
アランはそれを拠り所に、遠いところに自分を置いて”雑種”を踏みにじってきた。
しかしシンドロームを発症し、神の吠え声を真似され、自分が特別でないただの当事者であると、力で以って証明されてしまった。完・全・敗・北であろう。
蔑んでいた”雑種”に救われたアランは、”女子供”に教えられた士郎さんと同じ立場だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
殺さない勝利を掴み取った士郎さんの、爽やかな表情。それを受ける、みちるの笑顔。
そういう場所に、アランも立つ日が来るのだろうか?
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それはコマの外の物語として、闘いは敵を倒したとて終わらない。大事なのは平和を取り戻し、可能性を繋ぐことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
文明の利器が死んだのなら、ライブに頼れば良いじゃない。みちるの提案に、士郎さんはちょっと間抜けな表情で応える。
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士郎さんの吠え声が、混乱に終止符を打つ歌になったこと。牙を突き立てる以外の奇跡を、銀狼様が演じられたこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
それは過剰にマッチョであることで、自分と自分が背負った悲劇に意味をもたせようとした男が、本当の意味で重荷を下ろせた瞬間なのだと思う。
獣の本能を強制的に揺り動かしてしまう、神の如き吠え声。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
なずなとみちるは獣人でありながら、それに突き動かされない。獣の神は、彼女たちの神ではないのだ。
しかし、それを見届け、広げ、涙することは出来る。断絶を前提としたこの決着点が、僕は好きだ。
かくしてアニマシティの一番長い夜が明けて、エピローグが始まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
けして消えることのない業をなんとか乗りこなし、分断に橋を架ける。それぞれが、それぞれの場所で、それぞれに出来ることを。
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地下鉄に貼られたなずなのポスターが、第1話で鮮烈だった差別のアイコンと対比になっているのが好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
”獣人死すべし”
その本音が、綺麗なキャッチコピーで全て塗り替えられるとは思わない。それでも、なずなは偶像の…優しい嘘の威力を信じている。https://t.co/2DVUaJahYU
部屋に閉じこもるよりも、フードを外して夢の街を目指す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
そうして物語に飛び込んだ少女が、狼と出会い街を駆け抜けて見つけた、物語の始まり。
みちるは最終話で初めて、ゴールにボールを正しく叩き込む。
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士郎さんはみちるとバスケをしない(しかし、ボールを投げ渡す)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
最も古い獣と最も新しい獣の間には、鉄のポールがそびえ立つ(しかし、言葉はそれを越えて届いていく)
私と違うあなたに、出会えたから見つけられた意味。何も知らず聞いた銀狼の歌に、込められた願い。
浅はかで偏狭で独りよがりな、思春期の少女が。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
凝り固まって押し付けがましい、長生きしすぎた人狼が。
出会い、ぶつかり、変わった物語の最後が、二人の対話で終わるのはとても良い。
ここにたどり着くために、今までの物語はあった
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壊れてしまった銀狼像も、人の手で修復されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
また獣の嵐が、心の中の神を傷つけたとしても。
みちる達の助けを借りて士郎さんが成し遂げた現実の奇跡が、善き獣人の導きになるだろう。
そういうことを成し遂げた自分を、自由に飛び立つ少女たちに重ねて、目を細めているのかもしれない。
『変われるかもしれない』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月24日
作品の最後を飾る祈りは、『変われない』という未来と常に繋がっている。完全でキレイな物語だけが、世にあるわけじゃない。
でも、それでも変われるかもしれない。
そういう可能性と希望を輝かせて、このお話は終わる。
いい最終回、いいアニメだった。
良いところは沢山あるけども、やっぱりみちると士郎さん、二人の主役がまず良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
彼等は最初好感を抱ききれない、どっか”間違った”感じの人物として物語に現れる。
それが良い。至らなくて頑なな部分がある人間味を、少しずつ少しずつ変えていく。精神的な変化の物語はそこで動いていく。
”変化”というのはみちるの能力にしても、アニマシティの未来にしても、このお話のとても大事なテーマだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
そういうデカい要素に繋がる人格的な変化は、焦らず一歩ずつ、行ったり来たりを繰り返しながら積み重なる。
みちるは浅はかな少女のままで、士郎さんは頑なな爺さんのままで、お互いを認めていく
その腰の浮かない歩みが、シリーズ全体の構成と連動しているのも良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
最初は作品が踊る”街”それ自体を、みちると一緒に歩いていく。人身売買が横行し、野球は殺人ゲームになり、そこから出ても答えが手に入るわけじゃない街。
その泥まみれの実相を、みちるや士郎さんへの理解を含めつつ泳いでいく。
その中でもみちるは一話ずつ何かを学び、何かを与え、何かを変えていく。昨日より少し良い自分になっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
いきなり答えが出るわけでも、全てが無駄になるわけでもない。
ひどく生っぽいスピードで少女は変わっていって、それが隣の神様も変えていく。そのもつれつつ重なる足取りが。僕は好きだ。
6話でなずなが舞台に上がって、元・大親友と辛い別れをして。みちるはなずなの今と、そこに反射する自分の今を見つめていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
思い込みで傷つけたり、勇み足で痛い目見たり。
みちるとなずなの思春期を見守る筆は、やっぱり焦らない。デカいイベントがそんな起きない中で、二人の関係は変わっていく。
あるいは、変わってしまった身体と立場にも関わらず、変わらないものを思い出していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
ここに凄く時間をかけて、人の心が動く難しさと、でも救いがないわけじゃない着実さをアニメに焼き付けたのは、非常に良かったと思う。
心の中に何かが染み込む、静かな時間。それを描くのに時間を使う。
そこから士郎さんの過去、獣人の業、アランの謀略が顕になっていって、”街”を巡る一大決戦が終わり、話は決着する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
クライマックスは流石に規模もデカいが、その渦中で登場人物の心が行き着いた場所、見つけた決意がやはりどっしり描かれ、刻みつけられるのは良い。
差別、暴力、疾病、喧伝。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
現在進行系で生々しく暴れている問題に、”獣人”というフィルターをかけて食べやすくしつつも、その堅さと苦さから目は離さない。
アッパーテンションなコメディで笑いを作り、アクションで活気を呼び込みつつも、凄く思弁的な静けさがある。
非常に僕好みの調子で12話が駆け抜けて、波の合うアニメであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
身近でデカいけど、なかなか自分ごとと引き受けられない物語をどう、視聴者のそばに置くか。
『最初から扱わない』という選択肢を取らなかったこと含めて、悲喜こもごも色んなものを描いたこのお話は、良い答えを出したと思う。
士郎を主役としたハードボイルド論としても、みちるとなずなを主役にしたジュブナイル論としても、面白い仕上がりだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
”リトルウィッチアカデミア”でもそうだが、吉成曜という人は既存ジャンルのフレームを的確に切り取りつつ、そこを洗い直して自分なりのメッセージで埋めるのが上手い。
子供だけが特権的に”化けれる”わけではないし、大人だけが特権的に”強い”わけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
同じ屋根の下で暮らす、正反対の狸と狼。彼等の相互交流が、何を変えて何を保ったのか。
変わることでむしろ、自分の中にあった輝きがより強くなる瞬間はあるのか。
そういう事を掘り下げてくれた。
独特な色彩が非常に豊かな詩情を、画面に乗せてくれたことは特筆しておきたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
アニマシティという特別な場所に、漂う活気と空気。みちるを取り巻く思春期の風を、そのまま色づけたようなムーディーな色合い。
セリフではなく画面に喋らせる演出を、カラーセンスが見事に支えていた。
キャラクターでいうと…アランの魅せ方が好きだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
彼が体現する『清潔で科学的な差別主義』には、いろんな過去の悲劇と現在進行系の卑劣を思い起こして、とても『キャラとして好き』とは言えないけども。
徹底して現場から彼を引き離して、当事者性を自覚してない冷たさを背負わせ続けたことで。
獣人が置かれている問題、その歴史と悲惨(を、どうしても当事者として背負えないみちるとなずなの孤立)が、主役が主役である理由が、より際立ったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
断絶はいつでも、そこにある。あなたと私は、どうやっても別の存在なのだ。
しかし寄り集まり、”街”で生きる。生きようとする。
そのことに価値を見出したから、新しい光に飛び出していく最終話は”Anima-City”なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
差異を強制的に”治療”することが、差別の克服方法ではない。
この作品が出したメッセージは、実は同じTRIGGERアニメたる”プロメア”への猛烈なカウンターになってる気もするが…さてはて。
下らなくて、どうしょうもない部分も引っくるめて、自分達が作り出したアニマシティの実像、獣人という存在の生活やカルマをちゃんと彫り込んだ話運びも、凄く良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
彼等は生きている。
人を騙し、暴力を振るい、希望に満ちて、野球をする。
そういう息吹が、一話ごと作品に宿っていった。
『変われる』ではなく、『変われるかもな』という祈りで終わったこと含めて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
とても面白く、真摯で、チャーミングな作品だったと思います。TRIGGER作品で一番好きだな、ぶっちゃけ…。
この作品が扱ったものが、モニタの此方側でも大きく荒れ狂っている今だからこそ。
そしてそういう時代性を超えた普遍を、人が出会い変わっていく物語の面白さを、しっかり12話で描けた物語だと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年6月25日
そしてまだまだ問題と断絶が山盛りのアニマシティが、少しずつ良くなっていく物語を、豊かに想像もできました。そういうの偉い。
すっげー面白かったです。お疲れさまでした!