じっとりした季節のアニメ映画五月雨撃ち企画、第六段は『フラグタイム(2019年)』です。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
14年発行のSFジュブナイル漫画を、佐藤卓也が監督脚本してアニメ化。
映画というか、OVAの劇場上映、というのが正しいでしょうか。公式サイトは↓https://t.co/6hYa0VPeLE
感想は…とても面白かったです!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
カラーリング、全体的なトーン、主題とそれを描くための筆。
色んなものがピーキーで癖が強いんですが、僕のセンサーにはビンビンハマって、非常に波長の合う作品でした。
やっぱ佐藤卓哉が好き勝手やってる作品は面白いな…『あさがおと加瀬さん。』とか。
佐藤監督はすっかり百合アニメの偉い人なので、このお話も女と女が愛と性をグラグラ煮立たせる話なわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
そこも引っくるめて、思春期の話なのかな、と思いました。時間停止というSFギミックも、思春期の特別性を強調するための道具立てで、何故時間が止まるかは主題ではない。だから説明もない
関わらないけど、見られている。そこにいるけど、影響されない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
止まった時間は森谷が閉じこもっている心が具現化したものであり、その中を泳げる村上さんは(作中言われているように)『動いて、触れて欲しい』存在なのでしょう。
お話は基本、この二人の閉鎖系で展開…するようで、しない。
村上さんは誰にでも都合のいいビッチであり、他者の欲望を写すキャンバスであることで、”自分”を持つ重責から逃れようとしています。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
しかし彼女にも当然”自分”はあって、森谷の止まった時間なはそれを開放できる、唯一の聖域です。
そこではアノーマルな欲望も、咎められず開放できる。
二人の変態的(っていうには、妙に透明感があってそこが良いんですけども)な触れ合いは、しかし常に止まっているはずの外部を意識し、そこからの侵食と反抗に晒されて進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
時間の支配者としての特権は、人間と上手くふれあえない子供としての危うさに、足場を崩されていく。
そういう難しさを共犯しているようでいて、その実なんにも伝え合わない二人は、三分間という限定された自由(砂時計の名化の楽園)でしか思いを共有しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
当たり前の学園生活も、家庭もお互い知らない、特別で脆い関係性。それが段々と短くなり、否応なく変化していく時間に森田には戸惑い、進む。
その侵食性の象徴が小林で、彼女は時間に切り込む特権を一個も持たないまま、森谷の閉じた世界に入り込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
小林は森谷の同性愛の対象ではないので、二重の意味で”特別”な存在ではないのだけど、当たり前の日常から当たり前のアプローチを通じて、森谷の閉じた心に染み込んでくる。
この穏やかで素朴な侵食性に、 安済知佳の好演が足場を与えているわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
時間停止とレズビアン。村上さんの特殊性は、”普通に”友だちになっていく小林に優越できないまま、森谷は普通になっていき、能力は失われていく。
特別なSF百合が、普通の青春に座を明け渡していく物語といえるでしょう。
砂上の楼閣のように崩れていく特別な時間を、”普通”に焼き付けていくべく、特別さに流されるばかりだった森谷が主人公として、好きな女…を好きな自分に向かい、踏み込み、消えていく一瞬を思い出として、永遠に刻み込むまでの一時間。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
それが多分、このお話なのだと思います。
彼女は自分がレズビアンであることに(ある程度背徳に茹だりつつも)、そこまで思い悩まない。村上さんが好きな自分、パンツを見たいと思う自分との間に、あまりギャップはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
過剰なモノローグは社会の中で特別に浮き上がる自分よりも、浮き上がらせる社会とそこに輝く想い人に向き続ける。
影のないフラットな色付けが非常に特徴的なこの作品、人間は風景のように描かれ、風景は人間のように描かれていきます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
自分の内面を濃く吐露するとき、そうしている森谷ではなく、その想いを焼き付けた絵画的な景色が、常に画面を埋める。思いはいつでも、心の外側に反射する形で敷衍していく。
それを強調するための、あるシュルレアリスム的な普段の景色づくり、なのだと思いますが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
対比されるものをあまり一般的な文法ではなく、この作品独特の表現で印象づけてくるところがこの作品の、(レズとかSFとか、表面的なトピックよりも)人を選ぶ”クセ”かもしれません。俺は大好き。マジで。
動かず無関係だった世界で、唯一(その言葉に含まれるセクシャルな意味合いも含めて)”色”を持って動く女。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
何故、自分が彼女を求めるのか。何故、自分が止まった世界を求めるのか。
その答えをほぐす止まった世界と特別な女ではなく、その外側にいる、フッツーの漫画家志望にある。
このねじれが、狭い世界で閉じていきそうはお話に不思議な開放感を与えて、断片(フラグ)化していく特別な時間が日常に取り込まれていく展開に、奇妙な安堵を与えていきます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
思春期の危うく魅力的な振幅に、はみ出しそうになっていた二人の心、二人の関係性。
森谷は小林の”普通”に侵食されることで、思春期と和解する手段を覚え、それを足場に村上さんのクールなビッチっぷりの奥にあるものへ、踏み込む力を手に入れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
自分の心も、相手への好きも、たとえ特別でないとしても、特別になりうる。
そう教えてくれた、SFで百合な不思議な時間。
それをじわじわと追いかけるべく、BGMがストイックに抑えられ、彼女たちを取り巻く生活音が耳を叩く作りになっているのは、なかなか気の利いた演出です。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
透明感のある絵作り、視線と吐息の重さと合わせて、方向性としては”リズと青い鳥”に近いもの(と、やはり同じではないもの)を感じます。
時間を止める異能でもって、顔が見えず凶暴な”みんな”を拒絶していた森谷。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
”みんな”の欲望に擦り合うことで、ビッチの烙印を押されていた村上さん。
二人が”みんな”に向き合う方向性は真逆ですが、しかしそれがとても難しく、自分の中にある”特別”を開放できないのは同じです。
断片化された自分らしさを開放できる手段が、時間停止の異能であり、性欲と湿気にたっぷり満ちた同性愛なわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
片方は失われ、片方は堂々胸を張って”みんな”に問うべき人間の在り方として残る。
思春期と和解しても、同性愛を捨てる必要はない。恋は季節性の病ではない。
そう知るために、特別な時間とその断片化、再統合が必要だったし、その歩みを一時間追いかけるために、こういうアニメにする必要があった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
終わった後、そういう感慨がすっと腑に落ちて、『ああ、いいアニメだな』と思いました。一時間という尺が、スポッと二人の物語に追いついている。
パンツを脱いだり、服を脱いだり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
停止した時間の中にいる二人にしかない世界では、同性愛と同じく露出癖(あるいはその対となる凍りついた窃視症)もまた、揶揄される”変態”ではないわけです。
しかし時間が動いた瞬間、”みんな”はビッチだの露出狂だの騒いでくる。
それは普通であって普通ではなくて、そのパラドクスにこそ、二人は悩んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
私の内側にある、静止した世界でしか駆動しない私らしさ。それを顕にすると、人は離れ、世界は透明な攻撃性をむき出しにしてくる。
しかし、その反応は真実性のあるものなのか?
真実としてあるべきなのは、『森谷は村上さんのパンツが見たかった』という少女のリビドーそれ自体であって、それを宿す心身をそのまま共有できる、特別な関係なのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
そして変態性引っくるめて特別な真実を共有できる、特別なあなた(あなたを特別に思う)私なのではないか。
結局森谷はそういう結論にたどり着いて、止まらない時間のなかで”みんな”に怯えず、私とあなたの本当を告白し、新しい時間を進み始めるわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
砂時計の中の楽園で、後ろ指などさされず、ただただ共有される”変態”な情愛。
それをあるものとして静かに描く筆が、僕は好きです。
性欲の形を引っくるめた自己像が、他者からの視線によってしか固定されず、しかしそれだけでは完全には固定し得ないこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
”みんな”にたいして過剰に閉鎖的な森谷も、過剰に開放的な村上さんも、物語が始まったときには世界と自分との焦点距離を適切に定められない。
どーでもいい存在として静止しているその他大勢の、しかし確かにある眼。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
その矢衾の中で、不思議な挑発と謎を秘めて魅力的に誘う、特別なあなたの視線。
この作品はかなり窃視症な作品だなぁ、と思います。見ること、見られることが大事なアニメなのでしょう。
ということはつまり、砂時計の外側から無力な神として物語を”見て”いる視聴者も、彼女たちのエロティックな青春を窃視している自分というのを、意識せざるを得ないのですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
ある種の後ろめたい快楽を随所に仕込んで、二人の変態的開放に共鳴させるシンクロの作り方も、僕は好きですね。
特別だけど、特別にはなりえない。肥大化した自我と取っ組み合う青春の危うさと輝きを、より強く輝かせるガジェットとして”時間停止”を上手く見せたのも、とてもいいです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
静止した世界の人工性は、アニメ特有の面白さだな、と思う。画作り的には”刻刻”思い出すね。
思春期、あるいは自分と世界の焦点距離を掴むことで、森谷を特別足らしめていた異能は失われていくわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
作中幾度もスケッチされた、波打ち際の儚さに足跡を刻みつつ、動いている時間を隣り合って歩く二人の恋は、嘘ではない。
まぁ、そういう話です。エロティックで思弁的で上品です。
つまりまぁ、僕にとってとてもいいお話だった、ということです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年7月2日
読み甲斐がある題材、興味にビンビン刺さる表現だったので、”読む”スタンスが普段とちょっと変わった感じもありますが。まぁたまには、こういうのもいいだろう。
一時間の映像詩としても面白いので、波長が合うならオススメ!