文豪とアルケミスト ~審判ノ歯車~ 第4話・第5話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
”詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。”
詩人はイマージュの迷宮に、自作を焼く。
遠い何処かの夢のなか、文学が繋ぐ想いのかけら。そこに反射する、それぞれのエゴイズム。
不条理なる夢想の先に、何が待つ…。
そんな感じの萩原朔太郎始末記、文アルアニメ第三編である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
いやー…難しいねッ!
ほのぼの文学BLから世界崩壊記、夢が醒めての不条理ミステリ、室生くんとの思いのもつれに、芥川先生の特殊性…。
非常にてんこ盛りな内容で、正直消化しきれてない。ハイコンテクストだなぁ…。
この奇っ怪な一編が物語全体でどんな意味を持つのか、はたまた一瞬の不条理として燃え尽きるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
シリーズ全体での使い方を見ないとなんとも言えないが、ストーリーをあえて追わない断片的な語りによって、色んなメッセージが出されるエピソードだとも思う。
そこら辺拾いつつ、感想といこう。
というわけで初っ端から、急に別のアニメが始まった!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
日々を何となく過ごすヨージ青年が、文学と美青年、人生に悪いもの二つに同時に出会って、ときめきと絶望を知っていく物語。
それは歪まされた”月に吠える”ですらない、一瞬の夢だ。
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京 pic.twitter.com/kKviAem17G
冒頭はレイアウトに強くメッセージが焼き付けられており、ヨージは集団に混ざりつつも、何処か”遠さ”を感じている存在として描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
青年期にありふれた孤独…朔太郎なら”人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。”と謳ったであろう感覚に、気づかぬふりをして過ごす日常
それはボウリングのピンに覆い隠される自分、集団から離される(そして”文学”に近い)自分として、静かに語られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
後に潜書する”月に吠える”のイマージュよりも、僕個人としてはこちらのほうが詩的だなぁ、などと感じた。バトルがないからかなぁ…。
彼はバスの中で”斜陽”を読む美少年に出会い、心惹かれる。運命に邂逅した彼は派手な不審者に助けられ、宿命の一冊と出会う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
言葉にならぬ思いを、自分よりも鋭く語ったかのような、わたしの本。
それに遭遇してしまえば、後は一直線だ。
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京 pic.twitter.com/wtT5IUd7Ln
後に世界から消えていく文学に先んじて、朔太郎の棚がごっそり消えている事が、後編への布石になっていたりもするわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
文豪たちの身体が儚く消え、しかし彼らの言葉が耳元で生き生きと語りかけてくるような、僕らを包む現実。
その中で、少年たちは繋がっていく。
それは書棚に眠る傑作に出会うことであり、その素晴らしさを教えてくれたあなたと出会うことであり、そこに描かれたイマージュを武器に現実を切り開くことでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
ヨージ少年がわたしの本と、特別な誰かと出会い、自分の居場所を掴んでいく歩みには、文学青年誕生の普遍的な”匂い”を感じた。
別に文学というジャンルだけが、己が孤独であることを思い知らされる季節に落ちないためのザイル足りうるわけではないけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
しかしそこに吸い込まれないために、人類種は粘土板に、竹簡に、紙に、デジタルデータに物語を紡いできて、読者は不確かな己をそこに預けてきた。
ヨージ青年はまつげも麗しいハルカに、彼が門を開いてくれた文学に、ズブズブとハマっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
嘘っぽい衣装を着た文豪たちはそこにいて、しかし何処にもいない。もう死んでいるはずなのに語りかけ、何処かに消えていく。
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京 pic.twitter.com/WjOkXD4pkX
ヨージとハルカの夢は、文アルアニメの中で芥川が見た夢想であると同時に、その外側で物語を見ている現代の僕らのスケッチでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
同時に文学とはいかなるもので、何を救うのか…失われれば何が消え去るのかを感得させるための、補助線でもある。
時代も孤独も飛び越えて、言葉が胸に届く瞬間というのは、確かにある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
僕にとっては恐らく、児童向け文学全集でヴェルヌの”二年間の休暇”を見た時が”それ”だったのだろうけども、Jules Gabriel Verneという作家を認識していない子供の隣に、確かに彼はいた。
妖精のような、友達のような。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
ここではない何処か、僕ではない誰かを主役に物語を組み立てているのに、それは目の前に広がる世界を何よりも鮮明に切り取り、掘り下げるような。
そういう特異な力が、確かに文学には…物語る種族としての人間の宿業には、確かにある。
ひどく現実的な風景の中、奇妙に微笑む文豪たちのスケッチは、文学と僕らの幸福な共存を上手く切り取っていて、なかなか良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
そこに芥川がいないことも、また大きな示唆なのかもしれない。少なくとも文アルアニメにおいて、”芥川龍之介”は終わってはいない…のかなぁ。
しこうして、夢は文学の消滅をもって絶望へと転移していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
世界に寄る辺ない孤独を、唯一の武器のように抱えた文庫本で守ってきたハルカは、文学の消失に絶望し身を投げる。ヨージはまた、遠い孤独に置き去りにされていく。
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京 pic.twitter.com/Dy3LRAiyWM
ここで面白いのは、ヨージはあくまで文学の消滅ではなく、ハルカの自死に絶望する、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
リア充気質のヨージにとって、文学は特別なあなたとの繋がりであり、ハルカへの慕情を入り口にその滋味を知った、”面白いもの”なのだろう。
対して、ハルカにとって文学の消滅は、己を滅却する理由たる
ヨージの存在が、文学のない世界でハルカが生きていく理由足り得ない所に、残酷な値札付けがある…とも思うが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
食って腹がふくれるわけではないが、消えればとても味気なく、じわじわと世界を閉塞させていくもの。
世界にいづらさを感じ続けていた青年にとって、そんな余計ものの消失は、死に値した。
ヨージは本がなくなっても死にゃしない。文学があったことすら忘れて、あの世界の人々は生きていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
しかしその瞳には、確かに欠けたものがあって、それは取り戻せない。
文豪が自分を取り巻く世界、そこにいる自分を筆に刻み、抑えきれずほとばしらせた強い思い。
それは静かに…そして確かに、誰かの生きる意味(そして死ぬ意味)足りうるのだし、誰かと誰かを繋ぐ(そして引き剥がす)のだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
そんな、ありふれた恋と文学、その破綻のスケッチは夢として、泡沫に消えていく。
これは本筋には関係のない、長めの寄り道である。
…のだが、実在の影絵でしかないと作中何度も言及されている”文豪”の儚さを思うと、はたして夢が夢であるかは妖しくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
荘周胡蝶夢の故事ではないが、今描かれている文豪の活劇が誰かの読んでいる物語…あるいはアプリを元にしたアニメーションではないと、誰が言えるのか?
そんなメタな疑問に、おそらくこのアニメーションはひどく意識的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
”現実的”な確かさはハルカとヨージの物語の方にあるが、それはアニメ全体としては側道にすぎず、このお話は文豪たちの物語だ。
文学で救われ、繋がり、あるいは絶望する。読者はあくまで脇役…
のはずなんだが、この作品で描かれる文豪たちはそれぞれの作品を通じ、お互いに巨大な感情と関係を紡いでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
作者は読者でもあって、青年たちが文学に感じた”わたしの本”という感覚は、彼らも感じ入り、行動の足場にもする。
それはフィクショナルな文豪だけでなく、実際の作家たちもそうであった。
書く人と読む人の境界線は曖昧で、読む人はかなり頻繁に書く人になりうる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
そんな事実をこのアニメが見据えているのは、室生犀星の”詩”を読みすぎて感情こじらせた萩原朔太郎の顛末を見ても同じである。
脆く儚い相互作用の、結実としての”文豪”
それがわたし達に結構近いのだという肌感覚を作るために、奇妙に長い夢を描いたのかな、などとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
”月に吠える”序文に『竹のよう』と称された男の、心象風景は竹林である。白秋先生ハブられたなぁ…。
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京 pic.twitter.com/PguKF8j2uX
芥川だけが例外的に、潜書者たちを食らったイメージの嵐から目覚め、送られた夢を受け取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
夢の中の夢、竹藪の中の喜劇。
”芥川”がいかなる存在かは、今後大きなミステリとしてまだまだ引っ張るのだろうけども、他の文豪が覚えている『作者の気持ち』を知らないことが、一つ大きな特徴と見える。
彼は読者と同じように、書物に潜り作家の声(特に"芥川龍之介")を聞かなければ、自分のことがわからない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
それは不安であると同時に実りの多い歩みで、自分なり読解を重ね文学と対話することで、己の輪郭が鮮明になっていく体験は素晴らしい。
そこら辺も、ヨージとハルカの物語が書いたことだ。
彼は他人の心情など知り得ない一読者として、”芥川龍之介”という存在が大きな影響を与えた文学界の戯画を駆け抜けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
同時に彼は不可思議なる潜書戦争の主役でもあり、他の文豪兵士ともまた違った立場に置かれた特異点でもある。
様々に異質な彼を通じて、何が描かれるか。
それを気にかけつつ、今は不条理芝居である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
『安吾はミステリもやるからな!』ってんで、死人は喋り蛤は巨大化する、狂った喜劇。
そこからも、やはり芥川だけが特権的に離脱できる。
それが、白紙の記憶に由来するのか。
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京 pic.twitter.com/NzKSBE3DY0
はたまた、あの青い瞳に関係しているのか。なかなか気になるポイントである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
不条理殺人劇はまぁわけわからんけども、『蜃気楼を生み出す巨大蛤が腐り果てたものが、文学者を殺す』という見立は、フィクションが持ちうる毒気を上手く皮肉っていて好きである。
史記に曰く『傍蜃気象楼台』。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
大蛤とも龍とも言われる”蜃”が吐き出す気は仮初の楼台を作り、人を惑わす。
ハルカを自死にまで追い込む共感と絶望を、文学は生み出しうる。腐り果てれば、容易に人を殺しうるあやふやな暴力性は、たしかにそこにあるのだろう。
それに飲まれた無頼派バカチン共をおいて、芥川は朔太郎を見つけ、対峙し闘う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
小説のような筋立てがなく、”月に吠える”に込められたイマージュが襲いかかる戦場に踏み込む舳先は、やっぱり”読者”芥川なのだ。
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京 pic.twitter.com/QF36O6FhZH
第2話に続き、ここでも潜書しない島崎が外部の”現実”から、読解の補助線を引いている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
本当に欲しいものがいないから、あらゆるモノに開かれる。
己を滅し、運命を書き換えるべく紡がれる、歪んだイマジネーション。それはどこか、苦しい恋文にもにている。
小説に室生犀星を取られたのが苦しくて、世界を歪め自作を殺した。”朔”を名にし負う萩原朔太郎の衣が、形を変える月なのがシャレオツで良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
救世主のごとく降り立った、室生くんを瞳に入れる朔太郎。その視界が、ヨージの絶望と重なる
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京 pic.twitter.com/G13bwNnTlu
朔太郎は想い人を引き寄せ、歪められた作品と心に決別できた。まぁ『萩原朔太郎VS小説』つー構図が、”猫町”の存在一発で揺らいでるのは気にかかる…けど、あれ半分エッセイみたいなもんだしなぁ…(文学オタク特有の自問自答)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
まぁ、そこは良い。多分重要な問題じゃあない。
朔太郎が自作を殺すことで、室生くんを詩に引き戻そうと歪んだこと。それが世界から文学を殺し、ヨージからハルカを奪うこととなった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
”作者”はそういう風に、時代を超えて誰かに届くかもしれない自分の言葉を、かき消してしまう権利を持つのだろうか?
”話す”という言葉は、”放つ”に源をもつという。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
解き放たれた矢のように、言葉は作者の意図を超えて誰かを繋ぎ、誰かを傷つける。
それは文豪だけの特権ではなく、話す存在としての我々皆が背負うものなのだけども、より確かでより強い言葉を紡げる人にとって、その独自性はより激しいだろう。
愛しき室生犀星を再生させ、月を砕いて汚染源を狩る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
読者であり文豪であり戦士でもある”芥川龍之介”の行いは、そんな文学の可能性を取り戻す営為でもある。
しかしそこには、秘めやかな怪しさが常に匂う。
なぜ鳥の潜書者は、芥川に問いを投げたのか?
答え合わせは、そのうちあるだろう。
かくして銃弾は月を砕き、詩人たちは抱擁を取り戻す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
遠い何処かで別れようとした恋人たちも、輝きの中でもう一度手をつなぎ、歩き直すことが出来るだろう。
胸の中に抱いた”斜陽”が、未来にそういう仕事を果たすと、太宰は想像したのか?
©2016 EXNOA LLC/文豪とアルケミスト製作委員会・テレビ東京 pic.twitter.com/KcfPOacgRB
つーか自分がカマ持ってメタフィクショナルな文学戦場に投げ込まれ、芥川先生達とホモソーシャルな関係の主役として美青年化されると、想像していたのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
まぁしてねぇわな。
しかし、誰かが発した声はこのように届いて、新しい物語を生んでいくのだ。そこには光も、影も在る。
萩原朔太郎が自作と文学を殺す動機として、詩人・室生犀星の消滅を据えるのが適切か、否か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
ここらへんの審査は結構難しいと思うけど、自分としてはまぁまぁ妥当と思う。鳥野郎の寝言もあるし。
書かれもしなかった白秋先生が、あの抱擁をどう思うか。”桜の森の満開の下”における、中也の孤独が重なる
特別な誰かを思い、歪み、救われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
その輪の中に、確かにいるはずの”芥川龍之介”は、白紙の記憶に揺らぎつつ、己を信じ切れない。
それでも放たれた言葉が、いつか何処か遠い場所で、居場所のない誰かを救い、特別な誰かと繋ぐのであれば、それは幸福なのではないか。
そんな感じの文学肯定でもって、今回のエピソードは終わる。面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
前々から感じて追ったことだけどもこのアニメ、自分がネタにしている”文学”なるものが、令和の今いかなる立場にあり、どんな仕事を果たしうるかを結構考えて、作品を紡いでいる感じがする。
言葉を発し物語を紡ぐ行為が、どのような構造で消費され、愛され、何かを歪めていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
そんなメタ認知にも相当目が行っていて、芥川の特異性を軸足に、単なる文豪キャッキャ以上のものを書こうという”野心”を、ひっそり感じていたりする。
歴史を踏まえつつ、それを今ここにいるわたし達の物語として再構築する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
それを見据えているからこそ、結構長い時間をかけてヨージとハルカという”わたし達”の出会いと絶望、再生する文学と希望を、朔太郎と室生くんに重なるよう作ったのかな、などと思った。それは適切で、面白い目線だ。
かくして一つの物語、一人の文豪を取り戻した面々が、今後どのような物語に潜っていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月1日
お話は続く。空中に浮遊した物語を受け取り、『わたしの本』として読み、書いていく僕の行為も続いていく。
その相互作用が、一瞬モニタの中に重なったような感覚があって、中々に面白かった。次回も楽しみ。