文豪とアルケミスト ~審判ノ歯車~ 第10話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
茫漠と離人しながら、戦士としての宿命に身を委ねた”芥川”を裁く、狭間からの視点。
証言を集めるほどにぼやけていく、藪の中の正義。
戦友か、仇敵か。真実か、偽物か。
問いは新たな謎を生み、青黒い炎は静かに燃える。
さあ、終わりを始めよう
そんな感じの超変則総集編! 文アニ第10話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
最終章に向けた小休止…というには不穏すぎ、読める要素が多すぎ、確定しない情報が多すぎる。
”芥川龍之介”を巡る謎を掘り下げるほどに、真相はぼやけ、悩みは深まる。
まさにサブタイトルとなった”藪の中”そのもののような、蜃気楼の如き物語。
二人の”芥川”のうち、どれを信じるべきなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
そも、この闘争空間に投射された文豪は”真”なのか。
同じ映像に重なる、その時は語られなかった心。積み重なった思いが、生み出す幻。
視点を変えれば真実もまた変化してしまうというのなら、”真実”なるものはどこにあるというのか。
そんな問いかけを深くぶっ刺してきて、真・芥川先生の告白…その先の最終盤がなんだか怖くもなってくるエピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
こっちが想定しているより、更に深い場所に潜っていきそうな気配があって、自分の息が続くかどうか心配にもなるが、せいぜい深呼吸してついていこうと思う。
さて、このアニメは太宰くんが”走れメロス”に囚われたところから始まっている。芥川先生は外部から降臨し、救世主のごとく迷える文豪を救った。超然と己を語らず、それ故の神秘性があった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
今回の描写は、そういうベールを引っ剥がしていく。芥川先生がどこから来て、何を考えていたのか。
まるで告白文学のように率直に、物語は同じ映像に別のナレーションを重ね、文豪戦士の人間的な震え、ぼんやりとした不安を掘り下げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
何も判らぬまま、図書館に戦士として召喚された”芥川”には、適正(と、潜書者と戦う側が定めた)知識が焼き付けられ…実感がない。
僕は偽・芥川(と、仮に言おう)の離人感、実感を持って自作や文豪を語れない”遠さ”が、描かれた文章を通じてしか文豪に迫れない僕ら読者に似ているなと、常々思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
他の連中は、疑うことなく輪廻を超えて再生した”本人”であり、過去や己を語る言葉には実感がこもる。
しかし偽・芥川にはそんな足場がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
どこか他人事、本の中の物語のような”芥川”を追いかけて、彼は太宰を救った。
そこには他者よりも自分が救われたい身勝手と切実さがあり、読んで勝手に想像することでしか”芥川龍之介”と出会えない、≠作者としての”遠さ”がつきまとう。
それが図書館に送り込まれた黒い染み、超常的スパイとしての不完全であることは、彼の黒い瞳を見れば判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
…のだが、僕だって芥川のことなんざ分かりゃしない。他人の生きるの死ぬのを、彼が判じたもので判った気になるのは傲慢だと思うし、しかし言葉でしか僕らは繋がれないものだとも思っている。
つまり…偽・芥川の感じている寄る辺なさ、それを埋めようとするあがきはこの物語、この”芥川”だけの不安であると同時に、僕(もしかすると僕ら)にも通じる、普遍的で本質的な不明瞭なのではないか、と思うのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
ならば、異物であるはずの彼だけが、悟れぬながら答えを求めるシジフォスとして…
”文豪”よりも僕らに親しいのではないか、などとも考えてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
戦士として、10話物語を共有したキャラクターとしての親近感も当然あるのだが、個人的にはそんな作家ではなく読者にしかなりえない不安にこそ、僕は偽・芥川への親しみを感じていたりする。
解りたいけど解らない。解らないから解りたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
そのアンビバレントを透明な歯車と、すり潰されたから芥川は死んだのか。太宰は入水したのか。
このお話は、自殺と救済にまつわる側面がある。その自死によって物語を終えた文豪を、エンドマークの続きで読み続ける執念と虚しさのようなものを感じもする
芥川先生がヒュードロロと、煙に化けて全てを語ってはくれない”こっちがわ”でも、『芥川龍之介殺人事件』は人気の題材であり…同時に、(当然)藪の中答えが出ないミステリでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
偽・芥川が特権的に己の存在に悩むこのアニメも、そんな終わった後の読解の一つ…となるのか。
そればっかりは、雷光とともに真実を告げんとしている芥川先生の言葉と、その先に続く物語を見なければなんとも言えないけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
そこに跳躍していくための大事なステップとして、今回の物語は思弁的に、今までの記述を読み返し、複層的な意味を与えていく。
まずOPが変わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
車の彼が菊池寛だと分かれば、おそらくステンドグラスに写っているのは『芥川龍之介と最後に出会った文豪たち』なのだろう。
ルパンには檀一雄が座り、背景に組み込まれた文字も増えた。
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中也、37年。織田、47年。太宰、48年。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
安吾、55年。
檀、76年。
それぞれの享年には、このような開きがある。
第3話で置いていかれるものの悲しさを心に刻んでいた安吾の、寂しい七年間の幾倍も、檀一雄は無頼派のいない戦後を歩いた。
※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
×それぞれの享年 → ○それぞれの死亡年度
ルパンに一人取り残される彼には、まぁそんな情景が覆い焼きされているのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
ぶっちゃけOP読解にかずらっているとどんだけ時間あっても足りない気配があるし、既に先達の皆さんがディープ&コアにガン掘りされているでしょうから、僕はこの程度にしておこうと思う。
さて物語は、偽・芥川への尋問、関係者への聴取として進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
無敵の英雄のようにメロスに降り立ち、太宰が再び立つ助けを果たした戦士は、その内面にぼんやりとした不安を抱えながら、己のために(も)戦っていた。
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身勝手、怯懦、臆病、惰弱。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
第1話では語られなかった芥川視点のモノローグが加わることで、英雄譚は様相を変える。
そして、多分その脆さや醜さを知っても、太宰の芥川への崇敬は衰えない。
そんなのは、アンタの本読んでりゃ知ってるよ。
でも、好きなんだ。
そんな痘痕も靨…というか、歪みも軋みも白日にさらせばこその好意みたいなものが、ダメ人間の多い文豪たちには良く寄せられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
きれいな蓮だけを積みたいと願って、図書館に足を運ぶものはあんまいないだろう。泥もひっくるめて、色々食いたいからページを捲る。少なくとも、僕はそうだ。
そんな芥川の告白を聞き、正義を判別するのは『芥川賞創設者』菊池寛に、『遺書の受取人』久米正雄、『”聖家族”執筆者』堀辰雄と、まーリアル芥川に縁の深い、親衛隊みたいなもんだ。マジ強火の芥川勢。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
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彼らは狭間に囚われ、文豪戦士としての体験を経ないまま、偽・芥川を見続けた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
新・芥川…のベースになってる文豪の弔事を読み、遺書を受け取り、”小説・芥川龍之介”というべき本を書いた連中である。
太宰における壇、志賀における実篤みたいな、特別緊密な間合いが史実にある。
僕らはこのアニメを太宰主人公として基本見るよう、作品に誘導されているから、”芥川先生”は歪んだメロスから助けてくれた恩人であり、強い感情を委ねる憧れであり、超然とした英雄であり、頼れる戦友とも見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
そういう風に、僕らの主観は誘導され、歪められてきた。
同時にそこにある危うさや不可解も、地雷のごとく隠され、真実のごとくフェアに開陳されながら、ここまでの記述に埋め込まれてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
”芥川”だけが幻影に飲み込まれず、文学が消える”現実”を幻視し、読者…であり、書物を歪める特異点としての立ち位置を、特権的に有し続けてきた。
文学を食い殺す怪物と、文学を守る勇者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
その両方の顔を、”芥川龍之介”は持っている。
そのどちらが本当なのか、物語は証言を拾い集め、過去の記録を確認しながら問いかけてくる。
あるいは、どちらも真実であり、どちらも真実などではないか。”藪の中のジンテーゼ”…か。
2つに分割された”芥川”を、文学なるもののテーゼとアンチテーゼと受け取るのならば、二人は最終的に統合されより高みへと止揚されていくことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
あるいは、勇者であり怪物でもある偽・芥川自体が、終盤止揚されるべき運命を背負っているのか。読みすぎても切りがないので、ここはこれくらいで。
(しかし文学に対し善なる芥川から、黒い瞳の悪なる芥川が分離し、統合することでより確かな文豪戦士になるのなら、ちょっと”DRAGON BALL”の神様とピッコロみたいだよね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
ナッパの一撃から太宰を庇って、芥川先生が倒れるシーンは涙抜きでは見れませんでした(幻覚))
文豪戦士たちの記述を拾い集め、確認される”芥川”の奮闘と献身。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
侵蝕に囚われ、己を取り戻すための助けになってくれた者。
戦いに散った友の思いを、届けてくれたと感謝する者。
新入り以外は、”芥川龍之介”を認め、守ろうとしている。
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同時に過去には確かに彼が、文豪戦士が戦うべき”敵”の属性を持ち、危うい存在であると示すヒントが散りばめられても来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
燃え上がる炎のように留めるすべなく、世界を燃やす文学への憎悪。
それは、偽りであろうとも培われた友情と救済で、塗り替えられるものなのか。
太宰が読みきれなかった”芥川龍之介”の、ちっぽけな不安と燃え上がる闇。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
志賀が厳しく批評しつつも、消えてほしいと願ったわけじゃない歪さ。
そういう人間的で、友情や希望で制御可能な輝きとは別のものが、怪物には仕込まれているのではないか。
文豪探偵…というより検察官のような菊池寛の視線は、そういうモノを切開し、暴き立てるべく新登場した感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
この話数で、偽・芥川のあまりに人間的な震えを描き、身勝手で愛おしい有り様を掘り下げる筆使いは、まだまだ”何か”があると予兆させる。
いまだ輪郭定かならぬ”それ”が暴れだした時、怪物を身内に置いてきた文豪戦士たちの甘さ、それでも信じたいと願ったチョロさが、しっぺ返しじゃ済まない痛手を負いそうな気配もあるんだよなぁ…どーなんだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
いや、俺も偽・芥川のことは好きなんで、可能なら優しい方向に進んでほしいが。
しかし文アニくんのこれまでの記述が分厚くまとう”本気さ”を考えると、文学史を焼く侵蝕者の熱量もまた忽せに出来ないもので、となればそれを青黒く宿す偽・芥川の業もまた、簡単には止揚出来ないものなんじゃないかと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
そうじゃなきゃ、志賀は死んでないんじゃねーかなぁ。
こういう先読みをわざわざ文字にしとるのは、ショックのでかい展開が来た時に『へへーん! オイラは読んでたからそんなにダメージないもんね~』と、防壁貼るためだったりもすんだけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
藪の中、繋ぎ合わせても実像が見えない数多の証言。その末尾を飾る、芥川自身の告白。
それが起爆する(しそうな)ものを考えると、対ショック姿勢は大げさに取っといたほうが良いかなー、と思ったり、思わなかったり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
この感想見ている方は先取りで完走されているかたが多いだろうから、この後乗りマンの滑稽な身構えが伸るか反るかも、ご存知なのかもですね。
さておき。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
図書館の様々な場所をめぐり、菊池寛は証言を収集していく。美術設定が良いので、アジトウロウロしてるだけで絵になるのはつえーよなぁ…ホント、フォトジェニックな場所が多いね。
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それは『信じたい』という視聴者の思いをすくい上げる歩みであり、だからこそ偏った歪さを強調もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
『怪物だけど勇者』と、友好と救済に足場を置きたくなるのは、死地を一緒にくぐり抜けた仲間としては当然の真理だろう。
だが、近くに身を置けばこそ見えないものもある。
自分たちの見解をあまり言葉にしない新・文豪戦士たちの沈黙は、そこら辺を強調してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
『勇者だけど怪物』こそが、偽・芥川を裁く正しい目線なのか。導火線に既に火は付いていて、真偽を問う余裕など図書館にはもうないのではないか。
そんな危機感が、チリチリと炙られていく。
侵蝕者は物語を歪める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
文豪の中の爆弾として、分割され埋め込まれた偽・芥川という侵蝕者が歪めるのは、”文豪とアルケミスト”という物語それ自体な気もする。
そして侵蝕者と向き合うことで、文豪と作品はそこに込められた意志を再確認し、再出発も出来る。
偽・芥川がいることで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
文豪たちが彼に思いを寄せることで、本来あるべき物語(てのを、アプリやってない僕は語る資格持たんのだろうけども)はどう歪むのか。
歪さに囚われた己という書物を読み直すことで、”芥川龍之介”はどんな発見と再出発を果たすのか。
そこも、個人的には気にかかっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
過去の整理、現状の確認は終わった。
此処から先は新事実、芥川龍之介当人の証言を待たなければ行けない。
彼が告白する罪と、彼がいることで生まれる罰。
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二人の芥川を巡る物語は、深く深く書に潜り、次回に続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
そこに未熟で未完成な太宰は、どう関わってくるのか。
なかなかに、油断はできない。
”芥川”をわざわざ敵(であり味方でもある、曖昧で不確かな存在)にした劇的理由が、多分来週判ってくる。
それはなんとなくだけど、ドラマティックで容赦のない、なかなか痛い一発になりそうな気配を感じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
今回が露骨な”タメ”だってのもそう判断する理由なんだが、ただの”タメ”にしては構成が凝ってて、色々示唆的…かつ、考えきれない謎がゴロゴロと残ってもいる所がね…
用意された爆雷というか。
まぁこの後W芥川先生に太宰が取り合いされる展開になって、『憧れの先生にモテすぎちゃって、太宰こまっちゃ~う』みたいな展開に…まぁなるわけはねぇわな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
今回の聴取は、仲間だと信じたい文豪戦士たちの祈りを、残酷に切断するための準備か。
はたまた、闇の中の希望をすくい上げるための探査か。
戦々恐々と、結論の出ない証言を反芻しつつ次回を待ちたいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
それなり腐れオタクやってた経験が、ここでこういう”タメ”を作るのはヤベーと教えておるわけだが…その戦慄はおそらく起爆剤なんだよな、文アニが凡百を越えるための。
落ち着かないのは、そんな期待も込なのだと思うよ。
追記 きれいはきたない、きたないはきれい。
文アル追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
OPで強調され、作中でも幾度顔を出す”泥の中の蓮”というメタファー。
これは維摩経(”譬えば高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にすなわち此の華を生ずるが如し”)に由来する、仏教的な言葉である。
”朱に交われば赤くなる”の逆さま…とも、単純には言えない。
美しい蓮と醜い泥は切り離せず、業あっての解脱、苦悩あっての偉業…とも読める言葉だけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
己の文芸を否定し、自分自身をも滅却してしまった芥川の苦悩が、排除するべき夾雑物なのか、彼の文芸に必須の苦しみだったかを、他人が判断するのは、まず傲慢だと思う。
では”芥川”当人の知識を持ちつつ、実感を持ち得ない偽・芥川はその苦しみを裁可する権限を持ちうるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
何が残すべき蓮で、何が洗い流すべき泥であるかを定める正しさを、偽物たる彼は持ち得ないかもしれない
あるいは、実感を持ち侵蝕されていない真・芥川なら、苦悩の意味を定める資格を持つか?
それは人の苦しみと救済、正しさと過ちを判断する、とても難しい論点にかかってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
こういう問題を凄まじい時間考え続けた仏典は、明治大正期の人間にとっては”教養”であり、芥川もそれを背景にした作品をいくつも描いている。
業に囚われ、それでも書かざるを得ず、書くことで誰かを苦しめる。
そんな救われない…でも救われたい己を見据えた結果に彼の自死があるとするなら、それは否定するべき過ちなのか、受け入れるべき人間存在の一つの現われなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
”芥川龍之介の生涯”という書物は、どういう視点と角度から読まれ、そのどんな部分を肯定され(あるいは否定され)るべきなのか。
重なる蓮のイメージは、偽・芥川がひっかぶった泥の濃さを増す話運びと合わせて、人間存在が囚われた業、そこからの救済を強く印象づける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月23日
そも、文学なるものもそれを様々な筋立てで、語り口で、キャラクターで語るものなら。
文アルの掘り下げる泥と蓮は、どんな咲き方をするのか。終盤が楽しみだ。
追記 ”壇”雑想
文アニ…にかこつけた雑想、のようなもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
読み直さないとアニメの感想をかけそうもないので、押っ取り刀で本棚をひっくり返し、檀一雄周りの本を読み直している。
その中途で、沢木耕太郎の”壇”が指に触り、導かれるままめくって大変面白かった。
この本は壇二人目の妻、ソヨ子へのインタビューとも、それをもとにした小説とも取れる、なかなか不思議な文章なのだが。味わいとしては、カポーティ”冷血”にも似ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
彼女が壇と再婚したのは46年。物語の潮目も、”火宅の人”出だしに書かれた次郎の日本脳炎罹患あたりから漕ぎ出す。
夫を愛人に取られ、それを作品として世に出され、怒り傷つけ愛し、くっついては離れていく夫婦の共感と無理解が、感情混じりの回想と、透明感のある記憶をないまぜに、静かに進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
その独自の筆致が大変面白く…同時にこの面白さは、少なくとも僕の観測する文アニの範囲では、捕まえられない。
文豪と文豪の強い関係性、星座の如き輝きにクローズアップした、ポピュラーな娯楽(から確実にはみ出した真摯さを、文学に向けている面白いアニメ)たる、文豪とアルケミスト。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
そこに、基本女の居場所も、非・文豪の居場所もあまりないように思える。
この『文豪ならざるものの不在』を補強するべく、偽・芥川は作家としての実感を欠損し、第4話では文学が燃やされた世界で死を選ぶ読者を、長尺で写したのかもな、と思ったりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
主旋律に強さを与えるためには、常にそこから逸脱した不協和音が大事なのだ。
それは当然で、”壇”が選び取った筆致と取材が切り取れないものを文アニは切り取り、その逆もまた然り、なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
人の心に届くドキュメントというものは、明瞭な視座によって支えられ、断腸の思いで切り飛ばした欠片を山と積み上げることでしか成立し得ない。
書かれないものが、書かれるモノの価値を決めるとしたら、ある傑作が必ず見落としてしまうものをどこかから拾い上げ、複数のプリズムを通して立体視していくことは大事に思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
あまりにも面白いものの外側に、必ず大事なものがある。
それは永遠によるべなく検証を重ねる姿勢を、要求もする認識だ。
多彩な視座を己に取り込むほどに、真実なるものは曖昧にぼやけ、多重に屈折していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
”壇”にまつわるものを読むほどに、”壇”は分からなくなっていく。
そのわからなさは、無条件に溶け合う喜悦を求めつつ果たされない、バベルの跡を歩む人間の宿痾なのだと思う。
だからこそ解りたいと、人は文を積み上げ言葉を紡ぐ。それが届かず、救いにもならないから、人は誰かを傷つけ…その言葉を救いと思い込みもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
作者自身の証言すらも、複雑怪奇なタピストリーの一片でしかなく、しかしその糸一つが抜け落ちてしまえば、人という大伽藍は成立し得ない。
そんな不可思議自体が面白いことを、文アニに描かれた”壇”を起爆剤に、”壇”を追いかける最近の歩みは思い出させてくれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
僕はどうも、答えを求めつつ、掴んだと思ったら納得せず棚に上げてしまう性質があるようで、どうにも断定的なことが言えない。
僕が見ているものは、僕が見つけたものを組み合わせたいびつな構造体にしかなり得ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
常にほころび、穴だらけで、説得力に賭ける矛盾の塊。
でも、僕にはそれしか掴み得ないわけで、それをちょっとでも面白くしていくためには、他人が世に放った言葉と物語を自分なり拾い集め、定位することが大事だ
その一片として、(僕に見えている)文アニは面白い刺激をくれたし、そういう総体の一部としてだけでなく、”文アニ”それ自体の物語、きゃラクター、テーマ、語り口、文化商業的なポジションが、ワクワクと楽しませてもくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
更に彫り込むためには、アプリにも潜らなければならないのだろうけど…
夏バテにやられ、そこに潜る肺を鍛えるのは少し厳しいかな、という認識もある。偉そうなことを言って、酷い怠け者である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
門外漢たる僕が常に過ちつつ、見て取ったものをわざわざ言葉にし、世に投げる意味はあるのか。
組み上がった伽藍に納得し、一人愛でればいいのではないか。
そんな声も真夏のひぐらしのように、静かに頭に響きもするが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
恥ずかしながら、思い至ったことは話してみて、可能ならば受け止めてもらいたいという要求が脳裏にあり、だらりと言葉にしている。
『止めてください』と妻に言われ、世間に言われなお、”火宅の人”を書いた檀一雄と。
僕が重なるものではないが、少しは似通ったものも、またあるのだろうなと、”壇”を読み終わって思ったりもした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
証言を集め組み合わせるほどに、真実が見えなくなる”藪の中”のように、読むことは多いほど不確かで、知るほどにわからなくなる。
しかし、その分からなさこそが、多分大事なのだろう。
そんなことを思う、”壇”読了後の猛暑日であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
若きイケメン戦士として切り取られた時、影に落ちてしまう切れ端を追うことが、アニメを読む上でどう役立つかは分からんけども。
その影を追わんと読めないとこまで、惰弱な僕を追い込むのだから、文アニは大したアニメ、いいアニメだと思う。
”モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん”
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月26日
面白かったのでオススメです。https://t.co/ryVTCxr6Ri