劇場版「メイドインアビス 深き魂の黎明」を見る…というより、家でもう一度見直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
劇場で見ていたのだが見事に感想を書くタイミングを逃し、メディアで見る頃合いを待っていた形となる。
やはり凄まじい作品で、見終われば心魂を持っていかれ非常にグッタリと疲れる。いい映画だ。
お話としてはTVシリーズの正統続編であり、ミーティを涙ながらの火葬に処して飛び込んだ第5層、”黎明卿”ボンボルドとついに対峙する物語となる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
元々映画クラスのクオリティで綴られた物語であったが、その妖しい美しさと残酷な迫力はそのままに、映像と音響は見事にクオリティアップを果たしている。
色んな切り口で見れる作品だと思うが、構成の巧みさをまずあげたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
冒頭10分は映画の全てが詰まっているいちばん大事なシーケンスだと思っているが、この作品も顕著である。
母の思い出の花園を侵す、邪悪なるクオンガタリ。それを燃やすアンブラハンズとの邂逅。
群生体であり寄生体でもあるクオンガタリが、ゾアホリックにより”ボンボルド”という現象に変じた、宿敵・黎明卿の予兆であるのは、おそらく明らかだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
”それ”はレグの力では滅ぼしきれず、ロボットに宿った人間性が敵対を望んでも、真実の目的のためには殲滅を誰かに委ねなければいけない。
そんな奈落の残酷な選択、大人になるための通過儀礼を問いかけるアンブラハンズは、仮面を取り替えれば”ボンボルド”にもなりうる素体であり、彼が理性的に、厳しく残酷に問いかける”奈落”への意志を、先んじて問うてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
お前は何者で、何を目指して始原を目指すのが。
その問に、闘争を以て応える。
それがこの映画の、一本の太い背骨だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
オーゼンが奇妙に捻れた態度でレグとリコを試したように…あるいはライザがその死と不在を以て娘を不帰の旅に誘ったように、大人≒親は常に子に問いかけ、試す。
その厳しさは、確かに繋がった不思議な温もりと相反するものではない。優しさはけして、嘘ではない
だからこそおぞましい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
炎の中に消えていくアンブラハンズの背中に感じた、奇妙な潔さ。
それは後に、自分の命含め”人間”を全領域で踏みつけるボンボルドの、徹底した理性の怪物っぷりに通じる悲愴美を宿している。
『あなたは、こちら側だ』
怪物は後に、リコに告げる。リコもまた、それを否定しない
奈落に魅入られ、その可能性を無限に追求する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
そんな止められない”浪漫”に惹きつけられて、リコは帰ることが出来ない旅へと踏み込み、知識を蓄えてきた。
ボンボルドは主人公のありうる”成れの果て”であり、理性と好奇の光を闇の中に灯そうとするメガネ少女は、足を踏み外せば…
あるいはあまりに確かに、奈落に適応しながら進んでいけば”ああ”なってしまうのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
しかしリコは、ボンボルドにはならない。個体としての、人間としての限界点を抱えたまま、救えぬ弱さに涙しながら、それでも”リコ”としての生を全うするべく、不帰の奈落へと帰還していく。
そう、帰還である。
様々な矛盾が魅力的に詰め込まれている所が、アビスの面白さである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
それが世界規模に拡大された女性器であることは、随所に顔を出すヴァジャイナのデザインからも見て取れるが、その奥へ進んでいく逆行された出産の果てにあるのは、すなわち”死”である。
死産されたリコは生死を逆行させる遺物に委ねられ、死に繋がる上昇(ここも、下降が”死・終わり”をイメージさせるスタンダードがさかしまになっているが)を超えることで生まれ、母親と永遠に離別する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
それを取り戻すべく、奈落へと落ちる…母へ還り乗り越える事で、リコは冒険家としての生を果たす
死すら日常となる極限に身を置き、後ろを振り返ることなく走り抜ければこそ、生の究極が輝く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
これもまた、過酷にして鮮烈な奈落を舞台に描かれるこの物語の、魅力的な矛盾の一つだろう。
死に切ることでしか、生を刻めない者たちが、確かにいるのだ。それこそが”人”かもしれない。
アビスの子供であるリコは地上の価値観とは少し離れた所に自分を置いていて、その乖離は幾度も描写された。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
ロボなのに勃起し、涙を流すレグのほうがともすれば、我々の共感を呼びやすい”普通の人間”であろう。
しかしボンボルドというあまりに人間的な怪物が現れることで、リコの人間性は輝く。
富田美憂の喉と演技力を限界まで行使する、数多の本気泣き。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
プルシュカの最後に絞り出した叫びと、その絶望に潰されず最後の一撃を決めた覚悟は、彼女が自分の似姿に食い殺されない未来を、強く反射している。
第5層の物語は、どこかボンボルド的な彼女が”リコ”でいるための物語だ。
そのためには仲間の力が不可欠で、レグもナナチも尋常ではない視界(機械的拡大視野、祝福者としてのオーラ感知)を持ちながら、同じ未来を見据えて不屈に進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
冒頭のナナチ降りが小動物的な可愛さに満ち、『相変わらず変態が作ってるな…』と感心し安心したものだが。ホンマナナチは可愛いでぇ…。
しかしナナチはただのマスコットではなく、ボンボルドに押し付けられ、ミーティーを彼女だけの”カートリッジ”として死を避けた呪いを逆用して、したたかに生き延びる戦士でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
リコの奈落知識とは別の知恵を絞り出し、一行を生き延びさせる賢者でもある。
そしてレグは、その腕を味方に対する救命具として、あるいは敵に対する凶器として活用し、最大戦力としての責務を果たす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
彼はボンボルドが見なしたような貴重なサンプルでも便利なお人形でもなく、一人間としての意志と涙を持ち、人倫を強く吠える。
理(あるいは利)だけを追えば、ボンボルドの歪んだ理性/理想主義を否定し切ることは難しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
しかし肌感覚的に、あるいは不条理ながら沸き立つ感情が、その所業を拒絶させる。
その根源に、親子の情愛を弄び歪んだ公平さに他人を巻き込む邪悪を見て取り、許さぬと吠え手をかざす。よう言ってくれた…
あまりにも悲惨で強大な、奈落に適合した人間主義。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
そこに膝を屈せず、人間であるまま奈落に降りていこうとするレグもまた、”ボンボルド”であることを拒絶することで突破していく子供の一人だ。
彼は電気を喰らい自己を喪失したときよりも、ナナチの肉感で戻ってきた後のほうが強い。
それは彼が忘却してしまっている自己の起源…奈落のアーティファクトであることよりも、”レグ”という名前をもらいリコ達の対等の仲間、勃起し排尿する一人間としてある時のほうが”強い”ということなのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
人でなしでいたほうが、奈落では生き残りやすい。
だが、そんな生存になんの意味がある?
その意味を抱えたまま終局にたどり着くためにも、どれだけ厳しい戦いも、どれだけ悲惨な現実も、レグ達が人間であることを止めさせない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
それは人の形を捨てさせられたナナチも同じで、彼女はボンボルドという親から逃げ出した後も、野の獣にはなれなかった。医術を収めた賢者として、生き延びた。
それが、どんな邪悪によって磨かれた技術であるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
彼女の中にもまた”ボンボルド”がいることを、処置室での告白は滲ませている。
生き残るために自分を苛んだ邪悪に屈する彼女は、強制収容所で支配者側に協力した犠牲者(にして共犯者)の苦痛を思い出せられ、なんとも辛いものだった。
”ボンボルド”は理性と好奇という人間の資質を突き詰めたがゆえ、特級の人でなしへと変わっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
そんな彼はナナチの異貌を差別せず、それが奈落に適応した祝福であると肯定する。
最終決戦で獣相を顕に”進化”するのも、彼がナナチ的である(つまりナナチの一分に彼がいる)一つの証明であろう。
ナナチもまた、逃げ出した基地での生活に何か、”人間的”な想いを投影しているからこそ、二つに断たれた彼がその手を伸ばした時、非常に複雑な顔を見せるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
親であり、師であり、仇であり、敵である。
その複雑さを一行で最も強く噛み締めたのは、おそらくナナチだ。
事程左様に、みな旅路の中”ボンボルド”と向き合い、否定し、あるいは超えていく…超えたからこそ、殺しきれない”ボンボルド”は祈りを込めて、一行が六層へと旅立つ歩みを心から祝福するわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
リコの白笛として、一行の旅に付き従うことになったプルシュカもまた、父を超えたのだろうか?
プルシュカ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
その名を刻む時、僕は(当然、あなたがそうであるように)普通ではいられない。
その可憐、その悲惨を思えば『やっぱボンボルド許せねぇな…』という気持ちは強くなるし、生きて死にその果てに思いを継いだ短き物語は、深く胸を抉る。プルシュカァアアッ!!(発作)
TVシリーズで散々に外道を語られ、警戒度を最大まで引き上げ望んだ第5層。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
そこで対面したのは、外敵をちょっと警戒して、でも初めて出会う”友達”に興味津々の、可愛らしい…とても可愛らしい少女であった。
10分足らずで僕は彼女に魅了され、その人間性に惹きつけられる。
ボンボルドの精神性が反射したような、異質な明るさ(と暗さ)を持つイドフロント。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
そこに全く不似合いな、しかし”人間”であれば皆求めてしまうような、健気と素直と可憐に、水瀬いのりの声を与えた手足を付けた存在。
…マジボンボルド許せねぇな…。(発作)
自分から名前を告げ、策士・ナナチが誇示しようとする”情報”を無防備に明け渡してしまうプルシュカの明け透けで公平な態度は、『存外、ここも悪くないかな』と誤解させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
そう、誤解である。
危険に満ちた自然から遠ざけられても、人工物たる”光”に満ち溢れていても…むしろ、だからこそ。
欲望と理性の凝集体たるイドフロントは、子供たち全員…というか人間にとって非常に危険な場所である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
それが判ってくるのは、リコが危険な階段登りに挑み、間違えて傷つき、プルシュカとメイニャに正しく導かれる頃合いからだ。
奈落は、人の作り出した城の中でも牙を向いている。
しかし親が禁じた場所に挑まなければ、真実は見えないし大事なものにたどり着き、守ることも出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
プルシュカが”友達”を守り導き、押し付けられた禁忌を破ることでしか、リコは解体寸前のレグにたどり着き、危険なイドフロントから脱出する事はできなかった。
人の為すべき、善行を貫けなかった。
リコはナナチとレグ…ここまで潜ってきた仲間と切り離され、メイニャとプルシュカをともに危険な領域に挑む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
この短い歩みは、メイニャの特殊な感覚、それを共有するプルシュカの視界と導きを活かした、手を取り合っての共同作業である。
異質な視界を混ぜ合わせ、危険を乗り越える。
冒頭、クオンガタリの縄張りを乗り越えた旅と同質の協力が、そこでは展開している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
プルシュカもまた、ともに危険を乗り越え未来に進んでいける、奈落の子供として十分な資質を持っているのだ。
しかしライザがリコを呼んだように、プルシュカもまたボンボルドに呼ばれ、離れられない。
湖に漕ぎ出していく船は今生の別れであり、ここから物語は悲惨へと舵を切るのだと、映画館で初めてみた時、僕は理解ってしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
ある種の確信を持ちながら、しかしそれを飲み込みたくないままに幾度の闘いが転がり、残酷がプルシュカを切り刻んで、四人の旅は夢で終わる。オオアッ!(発作)
例えばハボさんや、かなり歪んでいるけどオーゼンのように、見守り鍛え見送るという”親”の定めをボンボルドは果たし…てくれないし、ある意味これ以上ないほどに完遂する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
人が果たすべき”誠”の価値を、理解せども真の意味で尊重しない/出来ないボンボルドは、取り返しの付く試しなどしない。
愛娘をカートリッジに不可逆に変換し、第6層を望む子供たちには死を呼ぶ暴力で応える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
己が体現する真理の一相に、十分な答えを実力で以て刻めないのであれば、旅など果たす資格も権利もないと、その行動で示すように。
彼は苛烈で、公平で、残虐で、人間的だ。
そんな彼の懐で、プルシュカもまたアビスに憧れ、独自の鍛錬を積んできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
アニメ序盤でリコが、母…そして自分の故地である奈落にこがれたように、探検の知識を集め、登ったり降りたりを繰り返してきた。
肉塊に刻まれつつ、見たあまりにも哀しい、美しい夢。
それが彼女も、レグやナナチやリコと同じ奈落の子供なのだと、旅する資格は十分なのだと語った時、俺の涙腺はぶっ壊れちまって困った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
彼女には旅の仲間となる必然がこれ以上ないほどにあり、運命だけでは終わらない暖かな繋がりもあり、しかし、命はここで絶えてしまう。辛く、許せなかった。
だからこそ、愛するものが転じる白い石の伏線を回収し、リコが探窟家として第6層に挑む資格にプルシュカが変じたシーンには、衝撃と納得がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
彼女はリコの白笛として、永遠にともに歩き続けるのだ。
それはキレイだし納得もするしそれ以外にない完璧な運びだけど、でもさぁ…でもさぁ!!(発作)
カートリッジとして使い捨てられる運命に食い散らかされつつ、奇跡の産物として思いを結実させたこと。生まれるはずのない第6層への鍵を、”ボンボルド”の娘が手渡したこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
それがプルシュカの”父親超え”だとしたら、やはりそれはあまりに哀しく、美しい超越だ。
しかし四人での旅路に身がちぎれるほどの”夢”を見ればこそ、それがかなわない運命を飲み込み、先を見届けなければいけない気持ちも強くなっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
人倫の極限を踏破し、プルシュカの願いを背負って進んでいく三人の気持ちと、これは重なっているのだろう。悔しいが…巧すぎる…。
このように、四人にそれぞれの重なり合いで壁となり、鏡となる”ボンボルド”はどうしようもないほどに人でなしであり、おぞましいほどに人間的でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
あくまで”鍛錬”だったオーゼンとの修行、あるいは人格なき原生生物との闘い、ミーティへの”葬送”などと比べ、今回は人対人の殺し合いである。
たとえ人でなしだろうと、理性を持って価値と同一性を持ち、社会を営めてしまう存在を、自分の腕で否定する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
それが辛いから、レグはカッショウガシラの巣で闘う時に涙を流し、友に”パパ”を殺されたプルシュカは苦しむ。
人が人を殺す。
ボンボルドの非道を非難しつつ、子供らの行いは殺生で重なる。
それを踏まえた上で、携えた力をどう使うか。ボンボルドを殺し、殺しきれず、どう”ボンボルド”にならないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
幾度も重なる闘いは、問いかけや涙や絶叫と同じくらい、子供たちに人間の証明を求める。
それを考えると、アクション作画が無茶苦茶気合乗ってるのは、非常に良いことだ。
さて、ボンボルドの異名たる”黎明”の意味を引いてみよう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
『夜明け。明け方。あるいは新しい物事が始まる時』とある。
”橋明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。(イザヤ書14-12)”と引用すれば、天に反逆するルシファーと重ねられてるとも言えるか。
曙光をもたらす輝きとして、ボンボルドの基地は光に満ち、光を武器にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
しかしそれは4層までの自然の闇よりもなお深い、人間の英知を極めた黒い光なのであり、照らすのはあくまで(あまりに人間的な顔をした)非・人間であろう。
そこに自分の影を見るから、子供たちも僕らも、嫌悪しつつ惹かれる
リコはレグのサイバネティクスも、ナナチの祝福もないが、溜め込んだ奈落知識がある。彼女の知恵は窮地を脱する武器となり、未明の奈落を照らす光ともなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
無知の人を啓発して、正しい知識に導くこと。
人類の善行たる啓蒙(Enlightenment)の”光”をこそ、彼女が背負い、ボンボルドが飲まれた陰りだ
不合理な情なくしては、人の知は歯止めを失い、初期衝動を摩耗させ、奈落と同質化(あるいは異質化)していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
しかし狂的なまでの情熱と叡智がなければ、人類の知恵は発展・蓄積せず、奈落を超えていく力も生まれ得なかっただろう。
リコが淵で踏みとどまり、ボンボルドが飲まれたもの。
私たちが闇なる自然状態を乗り越える唯一の武器と考えている”知恵”が抱える、最も禍々しき闇。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
自己を滅却し量産し、他者を否定しつつ理性的に称賛もする”ボンボルド”の在り方は、そのおぞましさと凶暴な強さを、人型に煮詰めてしっかり突きつけてくる。森川の演技も最高だしなぁ…。
深く潜ったものは戻れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
人は呪いには勝てない。
死は乗り越えられない
ボンボルドが覆した条理は山程あり、しかしそのために支払った対価はあまりにグロテスクで、痛い。
それを認められないと堂々吠えてくれたレグほど、僕らは啓蒙の光と、その奥で渦を巻く奈落を見つめられているのか。
奥歯が揺らぐほど噛み締め『死ね…とっとと死んでプルシュカに詫びろ!』と映画館の闇の中で呪ってた初見を思い出しつつ、今回の視聴はそんなことを思わされもした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
理性主義の醜悪な到達点といえる、アウシュビッツに重なる描写が自分の中で多かったことが、そういう感慨を深くしたのかもしれない
リコとボンボルドに重なる”浪漫”があり、歪な鏡として宿敵は己の中にもあるのだと見せたことで、夢を追うこと、知性的であることの邪悪さが際立つのは、奥行きのある描写だといえる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
その影を背負いつつ、子供たちは歯を食いしばり、絶望に立ち向かう。人であることを止めず、深部へ進む。
己の影である”ボンボルド”を、子供たちは滅ぼしきれない。その悪行も、人でなしの所業の奥にある微かな温もりも否定し得ぬまま抱えて、暗い羊水を潜り未踏領域へと踏み込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
なぜ、彼らは過たないのか。なぜ、彼らは負けないのか。
なぜ、彼らは”ボンボルド”にならないのか。
そんな問いかけを僕らに強く刻むために、様々に凶暴で強烈な描写がある。趣味だとも思うけどね…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
ボンボルドを両性愛の小児性愛者…しかも貪欲に流されるのではなくあくまで理性で蕩尽する最悪のタイプ…として描いているのは、その一環だ。
レグもプルシュカも、その指に愛され、刻まれ、汚される。
レグのへそは本来ロボットに(そして男の子に)不要なはずのもう一つの外性器であり、彼を組みしだかれる”女の子”に変えてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
しかし彼は自分が機械的存在であることを足がかりに、己を屈服させんとする”大人”の凶器に抗い、反抗を吠える。
それで良い。従順な”良い子”なぞ、奈落にはいらない。
プルシュカを襲った凶行に、あまりに残酷な現実に震えつつも、リコもナナチも怯えるだけの子供ではなく、切り落とされた腕すら武器に変えて、”ボンボルド”という人間型の奈落に立ち向かって、勝つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
その超越が、黎明を求め続けた探窟家を納得させ、祈りとともに船出を見守らせる。
ペニスを受け入れ死んでいくだけの立場から、臍の下でうごめく生きる証をひっつかみ、あるいは蹂躙されてなお想いを白い石へと変貌し遺す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
圧倒的な暴風を前に、子供たちが生者/死者それぞれの闘争法で蹂躙に抗う息吹には、強い反逆の匂いが漂う。
そこが、僕は好きだ。ヤられるだけじゃねぇゾ……。
やっぱレグが度し難い性欲を健全に抱え、ナナチに何かと触りたがるコミカルな描写が、生き死にのシリアスな場所で顔を出すのが好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
触りたい、繋がりたい。
そういう人間的な暗くも明るい思いを、ロボなのに持ってる彼は真実、生きている。だからこの話の主役なのだ。
あまりに残虐で真実な通過儀礼として、重い衝撃とおぞましき美麗が同居するアニメでした。やっぱスゲーな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
この映画の間、子供たちは延々”人間”と闘う。
それはこれまでの歩みと違い、しかしこれまでと同じように、厳しく人間の真実を試す旅路だ。とてもつらいが、絶対必要な試練だ。
その先にある第6層が、どんな顔で子供たちを試すのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月27日
光と闇の入り交じる産道を、逆向きに駆け抜けた先にあるのは、どんな景色か。
子供たちは喪っていく。人の姿を、自由に動く腕を。
それでも、憧れは止められない。
憧れと理性が変じた邪悪なる黎明を超えて、魂は進む。
”次”が、本当に楽しみだ。