映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 - 永遠と自動手記人形 -』を、幾度目か見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
現在公開中の”劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン”ではなく、19年9月6日に公開された、バートレット姉妹の物語の方である。
今更であるが、今書かないと映画館にも行けないので、今更ながら感想を書く
最初に言い訳から入れば、書けなかったのは個人的で、多分公的でもあろう理由がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
19年7月18日に放火事件があり、京都アニメーションがどうなるのか、わからない状況でこの映画を見た。
とても美しく素晴らしい映画で、非常に良く出来た外伝だった。
そう、”外伝”である。
TV版のシリーズ演出だった藤田春香を監督としたこの作品の後には、TV版の石立太一が監督を務める、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのための物語が来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
そのための序奏として、この映画には凄くたくさんの描写が(単独映画として完璧な仕上がりを保ちつつ)埋め込まれている。
美しい花がほころぶ前の、麗しい若草のような”それ”が、芽を出すことはあるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
京都アニメーションは、明らかに”次”を志向しているこの映画に、作品が求める答えを返せるのか。
出来ない、という答えが、あのときの僕の中には確かにあった。たった一年前、生々しく感触の宿った記憶だ。
結局、僕の軟弱な思いなど力強く裏切って、今劇場では”劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン”が公開されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
京都アニメーションは一年前の危惧を、あの惨事にくじけず裏切ってくれたのである。ありがたい。とんでもなく、大変なことだと思う。
それを劇場で受け止めるためにも、周回遅れのこの映画の感想を、僕は書かなければいけない。ので書く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
イザベラが少女として学園の、あるいは奥方として貴族の館に閉じ込めていたものを羽ばたかせた物語から。
僕が受け取ったものを、ちゃんと言葉にして解き放たなければいけない。
まぁそんな、惨めで脆い心のリハビリとして書く感想で、体重の預け方は間違えきっている書き方になるだろうけども、まぁしょうがない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
このお話の感想は、そういう形でしか書けないからこそ、ここまで抱え込んでしまったのだ。
なんとも恥ずかしい執筆になるが、よろしければお付き合い願いたい。
さて物語は、90分+90分にバートレット姉妹(とヴァイオレット、ベネディクト)をそれぞれ割り振った、前後編となっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
それらは驚異的に綺麗な対置を保ちつつ、ヴァイオレット・エヴァーガーデンをこの後待つ最後の物語に必要なパーツを、丁寧に磨き上げていく。
本伝に対する外伝として、修飾的立ち位置にありながら、運命に翻弄されつつもお互いを思い、出会いと手紙で繋がり、離れ、また繋がっていく姉妹の物語として、しっかり奥行きを持って描かれている所が、非常に良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
それはなにかの添え物ではなく、とても大事な一つの物語だ。
”ヴァイオレット・エヴァーガーデン”というのは元々、そういう形式を強く宿した物語だと言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
戦病兵であり生存者であるヴァイオレットが、職業を得て他人と関わる中で、取り残された自分を見据え獲得していく物語。
そして、彼女と関わることで己を見出し、前に進む人たちの物語。
その乱反射が、美しい花と光と陰りに彩られながら進んでいったのが”ヴァイオレット・エヴァーガーデン”の話だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
私の物語であり、あなたの物語であり、私に出会ったあなたの、あなたに出会った私の物語でもある。
つまり、人と人が生きている世界の話として書かれているのだ。
”劇場版”に、物語の始点たる少佐との再開(あるいは再開の不能)という”私の物語”を待たせているヴァイオレットは、この外伝では真ん中には座らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
お話に中心に座るのは、前半は貴族社会に馴染めない、女になりかけの少女であり、後半は守られるだけの子供から変わる女の子だ。
それと関わったヴァイオレット、あるいはベネディクト(にぃに!)…そして彼らの職業たる”郵便”が出会いの中で輝き、意味を見出していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
時を経て変わりゆくものと、変わらず繋がるものを美しい風景に転がしつつ、時代の変遷、少女の成熟、貴族社会の抑圧、女であることの檻などが、豊かに滲む。
婚礼貨幣として学園に押し込まれ、しかしそこに確かにある人のぬくもりに気づき直し、その上で冷たい”家”に閉じ込められ、愛おしさの行き場を見失っていくイザベラ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
そんな彼女とヴァイオレットの物語の精髄が手紙として届き、郵便配達人として”家”を出て働く道を進んでいくテイラー。
姉妹はそれぞれ、恋に呪われた女であり、職業婦人でもあるヴァイオレットを分割して生み出されていると、僕には思えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
そんな姉妹の物語を”外伝”として準備することに、”本伝”たるヴァイオレットと少佐の物語…その決着への意志を強く感じたりもした。
あまりにも豊かで強靭なこの”外伝”を、滑走路として飛び立つだろう完結編。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
それが目に見える形にならないかもしれない、という恐怖に縛られて書けなかった感想を、今更書いている。
それは無事飛び立ってくれた京都アニメーションへ、優柔不断な弱虫のファンが出来る、今更ながらの”手紙”…なのだろう
さて、物語は終戦から一年後の前編と、四年後の後半で構成されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
閉ざされた人工的な空間、物理的に動きの少ない話運び、閉鎖的であるがゆえに緊密な関係性、変化の少ない貴族社会、それが踏みつけにする結婚制度、そのトークンとしての女性。
これが、前半を構成する。
これに対し後半は、オープンエアで広々したライデンシャフトリヒを舞台に、結婚以外の道を進む女(と男)がバイクと手押し車を走らせるお話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
女と女が一つの部屋に閉じ込められているがゆえの圧力は開放され、テイラーは様々な人の間で(にぃにとねぇねに見守られつつ)人生を学んでいく。
そこにあるのは時間の流れであり、それに取り残されてなお現存してしまう貴族制度だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
ブーゲンビリア辺境伯家やドロッセル王家に縁の深いヴァイオレットは、山深い学園に保存されている古い因習と無縁ではなく、しかしそこから生まれたわけでもない。
彼女は山犬のような孤児として拾われ…
完成された淑女(あるいは”ロマンスから飛び出してきた騎士様”)として、同じく野から拾われたエイミーに教養とマナー…貴族社会を支える婚礼市場に、”ヨーク”の名札をつけて出荷される時高値がつく属性を、教える側になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
イザベラが取り込まれる”家”という檻の、部外者にして共犯者の顔を持つのだ
ヴァイオレットはイザベラが取り込まれた婚礼・貴族・男女格差社会から自由に巣立ち、ライデンで…あるいはあの世界のいたる所に飛び出していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
結婚引退だけが花道だったドールの生き方が、結ばれてなお仕事を続けることを許容しだす時代。
電波塔が立ち、ドール自体が古きものとなりかけている時代
その止まらぬ流れを後半に用意しつつ、前半の静かで美しい檻の描写は、そこで描かれるものが永遠であるかのような美しい錯覚を生み出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
しかし友情はうつろい、いかにも少女然としていたイザベラの背中は”女”になっていってしまう。
時は流れるが、屋上の鳥は羽ばたかない。
略奪同然に、妹の生活を人質に取られ”ヨーク”になったイザベラは、最初ヴァイオレットを敵と認識する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
しかし、彼女に味方はいない。貧しいながらも幸福だった”復讐”の日々は、彼女自身が裏切ってしまった。
”ヨーク”として、良妻賢母を培養する檻にいる彼女自身が、イザベラの敵なのだ。
そんな彼女を照らす鏡は、最初かなり凶暴な色彩を宿している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
ボールルームで、厳しい鍛錬に挫けそうになったときも、鏡は凶暴な視線で”ヨーク”の娘を、その欺瞞性を突き刺している。
その鏡像が姿を変えるためには、似通って違うもう一人の孤児…ヴァイオレットと寄り添う必要がある。
そんな四面楚歌を、京アニらしい垂直方向の境界線、人工的で冷たい美術のラインは見事に切り取ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
イザベラはヴァイオレットと過ごすうちに心を許し、メガネを外し裸身を見せ髪を結い結われる関係になるが、その時必ず、”縦”の線を越境する。
ベッドの柱、部屋の壁、木立の幹。
ヴァイオレットとイザベラを隔てる壁は、自分と世界”を敵としか思えない少女に自動人形が寄り添う中で崩れ、女達はお互いに心を許していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
ヴァイオレット自身も戦場から戦後へと身を移し、人形でも戦闘の犬でもない自分をどうにか掴めるように、世界を学んでいる真っ最中だったりする。
”ボク”呼びが抜けきれず、貴族社会の不文律に怯えつつ距離をとっているイザベラが、ヴァイオレットに守られ学び、女である自分と世界を許していくように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
ヴァイオレットもまた、孤児として少年兵として与えられなかった”学生時代”を追体験することで、胸の中に宝物を積み上げていく。
その柔らかな交流はしかし、一時の夢でしかないと時折、画面は残酷に告げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
イザベラの自意識を冷たく反射する鏡、幾度も視界に映り込む天井の飛べない鳥。
『逃げ出そうか』と夢想するイザベラに、No escapeだと告げるヴァイオレットの冷たさ。
それは子供として、学生としてのモラトリアムを(あまり)与えられず、戦場という職場、ドールとしての仕事に素早く適応した社会人と、女でも妻でもない”自分”でいられるかも、という一瞬の夢に、それでもすがりたい子供の対比であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
ヴァイオレットは学園唯一の”男”として、デビュタントに挑む
それは美しいがあくまで、青春が見せた一瞬の夢であって、彼女がイザベラの騎士となって”檻”から連れ出す未来はないし、ヴァイオレット自身が少佐に繋がれた”女”である事実から逃れることも、また出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
しかし、だからこそ夢を見た。美しい嘘を。
シャボンのように儚く消える、微かな夢想。
執拗に大人になりきらない、しかし子供でもないイザベルの身体を切り取るカメラが伝える、とても短く儚い夢の時間。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
閉ざされ狭く脆いからこそ溢れる、静謐で冷たい美しさが前半にはみっしりと満ちている。その”静”の美しさが、”動”の後半に生きてくるわけだが。
イザベルはあり得たかもしれないヴァイオレットの鏡像として、また同じ道を歩めない影法師として、おそらく意図的に重ねて描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
婚礼の鳥かごを閉ざす門の向こう側へ、ヴァイオレットは男の装いを脱ぎ捨て、職業と自由を得て去っていってしまう。イザベルはそれを、ひとり見送る。
そしてヴァイオレットが開いてくれた世界は広く、妹への罪を告解させてくれたことで、イザベルの瞳を曇らせていた陰りは取れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
ランカスターのご令嬢は、名前からして”ヨーク”と戦争になりそうな、如何にも嫌味な悪役貴族として描かれているが、イザベルの世界が広がった後は真摯な思いを告げる
それは令嬢が変わったわけではなく、彼女の行いを受け取るイザベルが、ヴァイオレットとの儚い一瞬の、しかしあまりにも真実な交流を経て、世界と自分を許せるようになった結果であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
そのようなことを、ヴァイオレット・エヴァーガーデンと彼女の手紙は(TV版で見たように)成し遂げる。
時がうつろい、人が死んだとしても手紙は残る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
遺言、あるいは希望としての手紙が多数描かれるこのお話において、最後に手紙を書き受け取るのが、ヴァイオレット自身であるのは容易に想像がつくが。
それはこの”外伝”ではない。彼女はあくまで、誰かを助けることで自分を鍛え、運命の瞬間を待つ。
イザベルが妹に当てた手紙もまた、時を越えて少女を導き、微かに消えたはずの約束を果たさせ、婚礼の檻から自身を連れ出していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
所詮は貴族社会の歯車として、婚礼に食われて自己を殺していく定めと諦めてなお、花に満ちた世界へと、妹と会える外界へと、イザベルの歩みは開放されている。
それを導いたのは、当然テイラーのやんちゃな一歩であり、ヴァイオレットとベネディクトの真正な献身であるのだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
あの静かな檻の中で、自分だけの騎士の幻とともに綴った手紙自身が、イザベルを日傘も帽子もない、明るい場所へと導いたのではないか。
三年前の儚い、現実を動かすことのない美しい灯火が時を超えて、友情を蘇らせ、”ヨーク”を背負わない”エイミー・バートレット”を檻から開放するのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
そんな思いを、幾度目か見返すと前半部には抱く。
やはり、3年の時間が流れることが残酷で、また美しい映画だと思う。
戦争は様々な人に傷を残した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
ヴァイオレットがTV版ラストで戦った、消えない恩讐の残り火。
エイミーは戦場から遠い、しかしその冷たい炎が生活を脅かす場所でテロリストと同じく、世を恨む。
しかしその復讐は、あまりにも高潔な形で発露する。
小さな…あまりにも小さすぎて、二本の指しか掴めないような弱い生き物がすがる掌を振り払わず、同じ目線で瞳を交わす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
覚悟を決め、この雪に負けず幸福に生きることこそが復讐になるのだと、世界に誓う。
ここはいつでも号泣してしまう。立派だよ本当に…。
それの誓いは”ヨーク”の名を背負って姉であることを捨ててしまった時、婚礼の檻に閉ざされ縁を切った時に破綻してしまう…
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
ように見えて、妹を忘れず魔法の手紙を出したことと、一瞬の夢に縁をつないだ親友の導きで、三年越しの返事を受け取って完遂されていく。
優しい魔法は、差出人に帰るのだ。
エイミーはねぇねの手紙に導かれ、街に出て”職業(への憧れ)”を手に入れ、広い世界を学ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
これは後にエヴァーガーデンの姉妹となるヴァイオレットが、社長に拾われてたどった道とほぼ同じである。
憎悪に身を焼かれ暴力の犬になるよりも、鮮烈で美しい復讐を、エヴァーガーデンの姉妹は果たす。
それは死ぬことで操を立てた少佐の、あるいは妹を捨てることでしか愛を証明できなかったイザベラの、”愛している”が誰かに届いた結果である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
そんな風に人と世を動かしうる手紙を書き、届ける仕事。
時の流れに翻弄される人の身で、永遠を手に入れる唯一の魔法。
そういうモノが、この作品の前半と後半を、分かたれた姉妹を繋いでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
多分、ヴァイオレットが書く手紙もまた、そういうモノを繋ぎ、動かすのだろう。
そういう予感を強くするように、バートレット姉妹の物語は強く、ヴァイオレットに重ねて紡がれていく。
さて後半は、エイミーとベネディクトの物語である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
もうエイミーの子供力が凄いことになってて、彼女が動くたび喋るたび、僕は毎回凄いキモい顔になってしまうわけだが。
子供と言っても当然一様ではなく、時の流れの中でその未熟(と成熟)は変化する。
エイミーと出会ったときの、小さなお手々の女の子。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
孤児院できれいなお仕着せを、しかしどうにも着こなせない感じで身につけている少女。
魔法のお手紙がボロボロになるほど読み込んで、自分の意志でライデンにたどり着いた、男の子みたいな子供。
どれも”子供”であり、それぞれに違う。
その連続的な変化は、バートレットからヨークへ、少女から女へ、学生から妻へと飛ぶように変わってしまったイザベラと、面白い対比をなしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
姉達の愛に包まれ、幸福になめらかに成熟できた(”復讐”を果たせた)テイラーに対し、イザベラの変化は外部から強制的に押し付けられ、突然だ。
イザベラがそういう檻に引き裂かれるのも、誰よりも愛した妹を穏やかな変化に置き、自由を奪う嵐から守るためではあるのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
それでも姉妹は、前後編それぞれの主役として対比的な速度と立場で、自分の人生を送っていく。そしてその歩みは、最後に優しく交錯するのだ。
ヴァイオレットが学園で”男”を装じたように、後半の主役を支えるベネディクトは、少々クィアでドラァグな装いが印象的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
高いヒール、背中を艶かしくおおう斜交いのリボン。
彼もまた新時代の男として、服装の中で自由に境目を飛び越えていく。セクシーでスタイリッシュだ。
ドールたるヴァイオレットを主役とするこのお話は、郵便配達人を脇役として進んできたが、大事な転換点では『届ける』仕事の尊さが、物語をすすめる燃料ともなってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
今回テイラーがドールではなく、郵便配達人に憧れることで、少し目先の違った物語が展開されていく。
無論ヴァイオレットはテイラーの”姉”として、共に眠り髪の毛を結い上げ想いを手紙に綴る手伝いをするのだが、あくまでテイラーが憧れるのは幸せを手渡しで届けてくれた”にぃに”である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
後半開始時、繰り返しでつまらねぇ仕事と己を蔑していたベネディクトが、自分の職業を見る鏡。
テイラーの天真爛漫は、そういうものとしても機能する。ここでも、真心は当人に戻ってくるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
静的に固まった貴族制度に閉じ込められ、冷たい幸福に窒息させられているイザベラに対し、テイラーは己の手で糧を掴み、自己を実現していく新時代の価値へと、己を進めていく。
その補助をするのがベネディクトのオンボロであり、ヴァイオレットと一緒に押す荷車であり、運命の場所へと突き進むサイドカー付きのバイクなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
機動力のある乗り物が、作劇中結構大きな仕事をしているあたり、やはり後半は”動”の物語であると思う。アクティブでヴィヴィッドな明るさが漂う。
イザベラに教養とマナーを教えたように、ヴァイオレットはテイラーに文字を教え、手紙が保つ意味を伝えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
これも彼女が元々持っていたものではなく、社長の温情によってドール育成学校に通い、ローダンセ教官から託され育んだ英知だ。
そのように、人は変わり育っていけるし、繋がってもいける。
そういう豊かな変化の連続から、婚礼という檻に閉ざされていたイザベルは取り残され、冷たい学園よりもなお暗い”家”で時間を止め、心を殺している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
それを解き放ち動かすための鍵を、ぶつくさ言いつつ探し当ててくれるベネディクトにぃにの人情が、後半はあまりに眩しい。
にぃにはヤレヤレ系と思わせておいて、押しかけ弟子とちゃんと向き合うし、その真っ直ぐな瞳が託すものの意味を間違えないし、ピカピカのバイクでねぇねの所まで連れて行ってくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
人間としてやるべきことを、第1話の社長くらいしっかり果たしていて、見るたび頭が下がる。偉すぎる…。
そんなにぃにが手紙を運んで、何を成し遂げていたのか思い出させるのじゃ、色々骨を折ったバートレット姉妹である。ここに、暖かな情愛の呼応を感じられ、このお話をさらに好きになる。。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
妹を思い”家”に己を殺したイザベルを、その思いを受けすくすく育ったテイラーが開放するように。
”幸せ”をあの時運んだことで、ベネディクトは救われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
時代の波に取り残され、延々同じことの繰り返しのように思える仕事の本質を、自分が大したことをやっているのだという自負を。
かつて優しくした少女と、その子に優しかった姉から…彼女たちが抱えた、自分が届けた手紙から教えられることになる
それが、ヴァイオレットがドールとして、手紙を書く人の難問に寄り添いつつ、自分を育む歩みの変奏とも思えて、非常に良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
職業の物語としてもベネディクトの再発見は、作品を支える大きな骨になっている気がする。勤労讃歌でもあるよなぁ、この話。
色彩豊かで、様々な階層が元気に混ざり合うライデンシャフトリヒ。”動”の楽しさに満ちた場所で、テイラーはかつての姉と同じように、誰かに寄り添ってもらいながら色んな事を学ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
ここで暴れ倒す子供力がもースンゴクて、マジキモい笑顔に毎回なる。飴ちゃん山程あげちゃうッ!!(不審者)
テイラーは幼い日々を、殆ど覚えてはいない。正確にいえば、思い出せない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
しかしイザベルが手紙に焼き付けた愛はシャボン玉に反射し、現を奪うほどに深く突き刺さっている。
自分を育み、ここにたどり着かせてくれたものを、しっかりと知りたい。思い出したい。
そう思ってテイラーは手紙を書き、にぃにに託す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
自分に名前を与え、生き方と愛を教えてくれた存在。
ヴァイオレットにとっての少佐が、”外伝”の姉妹に重ねられている以上、やはり”本伝”はヴァイオレットが少佐に手紙を書き、届け幸せになる話になのだろうな、と思っている。
作品のクライマックス、嫁いだ先の幸福なる牢獄で、イザベラは多重の檻に閉じ込められている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
暗い邸宅は後半の基調であった明るい日差しから時間を巻き戻し、学院(イザベラ主役の物語)の静かで冷たいトーンを画面に呼び覚ます。
そこは逃げ場のない、美しい檻。
貴族の奥方がそう望まれるよう、自称を”ボク”から”わたくし”に変えたイザベラは、ベネディクト(その名前の意味は”祝福”である)から手紙を受け取り、かつて自分が差し出した愛の返答で報われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
その時日傘は落ち、彼女は喪われた名前、愛を守るために捨て去った”自分”を掌に取り戻していく。
時は流れ、奪われたものも喪われたものも、そのままは戻ってこない。どれだけ逃げたいとあがいても、山奥で見た一瞬の夢は醒めて、飛べないままの鳥は婚礼に囚われるしかなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
しかし。
しかし、愛は確かにそこにあった。それは嘘ではなく、私はかつて、”エイミー・バートレット”であったのだ。
ヨークでも、嫁いだ後変わった別の姓でもない名前。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
今は語られることなく封じられ、しかしたった二人の間を永遠に刻む、秘密の魔法。
遠く離れた妹の人生を支えようと、かつて紡いだ魔法の手紙は過ぎゆく時間を超えて、イザベらのもとに戻ってくる。
それが、飛べないはずの鳥を飛ばす。
姉妹は会えない。でも、”いつか”を確信できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
身の丈が伸び、自分の足でこの遠い場所に戻ってきて、秘められた名前でお互いを呼び合う日がかならず来るのだと、喪われた記憶を思い出した今ならば、テイラーには確信できる。
その絆こそが、天井に描かれた鳥を飛ばす奇跡だ。
姉が自分の手を取った時決意した、あまりに高潔な”復讐”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
幸福の名を持つその行いへ、重苦しい闇に閉ざされていたイザベラが再帰する姿が、花園の奥で彼女を見つめる妹の記憶を蘇らせる。
時が行き過ぎても、戻るものは確かにあるのだ。それは、愛すべき他者と同じくらい、己から発せられている。
時間を超える奇跡は友情と、姉妹愛と、ぶっきらぼうな青年の優しさが入り混じった、呼応の中できらめいている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
儚い夢の中で踊ったことも、一度は途絶えた手紙も、何もかもは無駄ではなかった。
全ては変わっていく儚さは、全てが新しく生まれ直す優しさと、裏腹に切り離せなかった。
そういう転輪を作品が見据えているから、TV版からこっち、咲いては散るだろう花の盛りが幾重にも、美しく切り取られているのかな、と思ったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
イザベラが運命を手に入れる湖畔には、作中随一の多様で美しい花々が、祝福の時を待っている。
それは学園の白く冷たい花ではなく、地に根ざした生花だ
ドレスを脱ぎ捨て、日傘を置き、髪を解き放ってイザベラは、秘密の名前を叫ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
それは時間も距離も超えて、愛すべき妹へと届く言葉。遥か過去に、その名前を呼び誓った”復讐”は、花のように美しく咲き誇っていく。
そんな物語に、自動手記人形と郵便配達人はしっかり寄り添っている。
愛は報われ、未来は輝く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
閉ざされたものから出れないようでいて、自由はそこかしこに花開いている。
「愛している」の言葉は、時と運命の流れに翻弄されつつも、必ず届く。
バートレット姉妹の物語は、そんな作品世界の理を力強く描ききる。
この”外伝”を受けて、ヴァイオレット自身の物語がどう終わったかが、今まさに劇場で紐解かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
判っている。とても良い映画だと。
数多の苦難を超えて奇跡のように結晶した、不屈の物語なのだと。
これを書き終えて、僕はようやく向き合うことが出来る。
弱いファンで、本当に申し訳ない。
この感想で綴った予測が、どれだけ外れているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
それを確かめに行くシニカルな視点も、当然あるけども。
善き自動手記人形として様々な人の想いを綴り、届けてきた少女が、どんな手紙を書くのか。
今はとにかく、それを見届けたいのだ。
その思いをたぎらせてくれる最高の”外伝”であり…
愛ゆえに隔たり、閉じ込められ、また解き放たれた姉妹たちの物語として、とても良い映画であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
その続きがある。あってくれている。
僕はそれがとても嬉しくて、少し辛い。
多分そのやるせなさは、どんな事があっても時は流れ人は生きてしまうという、世の真実が肌に痛いからだ。
しかしそれは悲しいことばかりではないと、この映画に綴られた言葉と花々は堂々、一年前に語っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
それに後押しされて、僕は完結を見届ける。
判っている、傑作なのは。これだけしっかりと、物語が羽ばたく滑走路を整えているのだから。
その飛翔を、僕はようやく見ることが出来る。
ありがとう。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月28日
色んなフェティシズムが乱舞する映画であるが、”髪”は結い上げ洗い梳り解き放つことで、友情や姉妹愛、抑圧や解法や遊戯や変化などなど様々な意味を練り込められた、かなり強い象徴として使われている。
ここらへんを圧倒的かつ美麗な表現が支えているのは、流石だなーと思う。