イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

寒椿雪風に独坐す-2020年10月期アニメ総評&ベストエピソード-

・はじめに
この記事は、2020年10~12月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。

 

・GREAT PRETENDER
ベストエピソード:第2話『Los Angeles Connection 02』

エダマメくんの回想を知る内に、『あ…笑っちゃってゴメンな…』となり、それでも選んだ詐欺師の生き様で一発かます様子に、思わず拳を握ってしまう。 そういう感情を気持ちよく引っ張り出されて、信頼感が強まった

GREAT PRETENDER:第2話『Los Angeles Connection 02』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 主役というのは話を動かすエンジンとなり、作品に入っていく窓ともなる、とても大事な存在だ。それを好きになれるかどうかで、物語の評価も決まってくると思う。
鼻持ちならないクズ中のクズと第一話に出てきたエダマメが、どんな過去を背負い、止むに止まれぬ人生の厳しさに揉まれて詐欺師になったかが分かるこのエピソードを経て、僕はこのお話に前のめりになっていった。
とにもかくにも、お母さんを慕う情の描き方、正義をなしたいと思う心の奥底、それが裏切られたやけっぱちが鮮烈に描かれていて、グッと首根っこを掴んで差く品に向き合わされた。そういう力強い一髪があって、主役を好きになり、彼が走る物語にも体重を預けていくことになる。
そういう話数は、やっぱり大事だ。

エダマメが主役であることは、作品全体の味わいを決めた。お人好しで脇が甘い感情派に引っ張られる形で、コンゲームとしてはやや温もりを残した騙しとキャラ造形、人情重点の物語が生み出されていく。
それはそれで面白かったな、と今では思う。四章立てにそれぞれ主役を立てて、過去を掘り下げ情を描く。詐欺師仕事に追い込まれていた連中が、焼け焦げた過去の後始末を経て、別のバカの尻拭いをしてやれるようになる。
そんな人生やり直し絵巻のキャンバスにするには、犯罪はちとアクの強い題材で、その生っぽさとエグさをしっかり彫り込んだ第四章、特に第16話をベストに選ぶかどうかは、非常に悩んだ。
エダマメ主役のヌルい人情詐欺物語の甘ったるさに、少ししたが疲れていたところもあったが、製作者がその欺瞞に自覚的に悪の凡庸さに向き合い、堕ちてもしょうがない業をエダマメに向き合わせ、それでも楽しい”騙し”に救済を見つけていく展開は、自作をよく見た話運びだったと思う。

国際感覚溢れる舞台選び、シャープな色彩感覚でスタイリッシュさを出しつつも、話運びとキャラ造形はあくまでウェットで、少々泥臭くもある。鰹だしの効いたコンゲーム浪花節の評価は案外分かれるところかとも思うが、上記したように……あるいは過去の感想に書いたように、僕はこのアニメが好きだ。
それはやっぱり、時にコミカルに時に真摯に、必死にドタバタ詐欺師稼業を走ってくれたお人好しのエダマメが、作品を背負い駆け抜ける主役として、良いやつだったからだと思う。
四章の物語は過去の精算の便利な道具として、彼に”許し”を強要するように思える部分もあるのだが、しかし僕はやっぱり、彼が”許し”を選び取り、作品全体が暗い淵に沈まず明るく楽しい”騙し”になれるよう、頑張ってくれたのだと思う。
その決断が、自分が体を張って自由な空に送り出したアビーちゃんの後押しで成り立っていると判る最終話も、また好きだったりする。Netflixで一気観することに最適化しただろう展開はやや重たくも感じたが、終わってみるとその重さが、人生のどうにもならない業を笑い飛ばせるだけの説得力を、差く品に与えていた感じもある。
視聴者にこのタイミングで、この描写を見せる意味を常時考えながら製作者の裏を読み、色々考えつつ視聴していく体験も、また楽しかった。創作も詐欺も、相手の気持を揺さぶり望むままに操る技術という点では、どこか似ている。
色んな意味で楽しい”騙し”を魅せてくれたアニメで、とても良かったです。

 

 

・体操ザムライ
ベストエピソード:第7話『合宿ザムライ』

この作品の”てっぺん”たるリュウがとても良いキャラで、彼を鏡に作品の奥行きが、グッと広がった。

体操ザムライ:第7話『合宿ザムライ』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 『城太郎が勝つ話』にしなかったことが、僕は体操ザムライの良さだと思う。
このアニメあんま勝利の快楽みたいのは提供してくれなくて、色々個性の強い連中がひとつ屋根の下に集い、迷ったり立ち上がったりする人生群像劇としての色が濃い。
”体操”という競技がどういうものなのか、親切なチュートリアルはないし、破竹の快進撃で勝利の快感……ともいかない。

スポ根のスタンダードからはかなり外れた作風なのだが、だからこそ勝利が犠牲にしうるもの、その裏にあるものをしっかり掴み、体操をやらない人たちの顔をしっかり彫り込めたことが、作品としての豊かさに繋がっていると思う。
”良く出来たアスリートの娘”という檻の自分を閉じ込めていた玲ちゃんが、己の世界を広げていく様子。戯けた賑やかしに見えたレオが抱える、弱さと傷。
そういうものを隣に置けばこそ、エゴイスティックに我が道を突き進む城太郎の再生、高い飛翔もしっかり描けたのだと思う。別々だからこそ呼応する、横幅の広い群像劇に面白さが強烈であった。

そんな作品のベストに、中間点くらいの修行回を持ってくるのは少し変かもしれない。しかしここで描かれた様々な体操選手たち、彼らがそれぞれに抱えるプライドと弱さ……それを越えていこうとする強さと尊さは、この作品がブレずない理由を最大限活写している。
作品世界の”てっぺん”であるリュウの宿した、厳しさと優しさ。夕日に迷う鉄男と、それに寄り添う中ノ森コーチ。まだ幼い日本のエースに対抗心を燃やしつつも、先輩として心配もする優しい男たち。
後に玲ちゃんを最高の友達となるキティちゃんも登場するし、城太郎が道を定める意味でも大事な回だ。
やっぱメインステージと選んだ”体操”に、どれだけ強い想いが集まり、気持ちのいい連中が本気で挑んでいるのか見えたことが、作品が真ん中に据えたものの値段を鮮明にしてくれたと思う。
ともすれば『体操じゃなくてもいいじゃん』と言われてしまいかねない、競技場の外側を大事にした作風。しかしそれが『体操じゃなきゃダメなんだ』と判ってくるのが試合ではなく練習なところに、この作品らしさがあるな、とおもう。
寄り道、回り道に見えるものの中にこそ、いちばん大事なものを掴み直す足場がある。
そういう世界観を揺らすことなく、様々な顔のある人間の飛翔を豊かに描けたのは、やはり素晴らしいことだ。
そうやって広い場所を見る優しさがあってこそ、城太郎が”勝つ”ラストには豊かさが宿る。負けた鉄男の涙を蔑するヤツは、この七話を見てリュウの言葉を聞いたものにはいないだろう。
勝つものは皆、負けたものの背中を踏んで進み、衰えてやがて踏まれる。だから、前に進む己を誇りつつも、競い合う仲間を下には見ない。そんな誇り高い視線がたった一話描かれたことで、作品が己を描くキャンバスはグンと広がった。
そんな連動の強さ、必要な要素をしっかり描きぬく構成の強さも合わせて、このエピソードをベストとする。いいアニメだった。

 

 

魔王城でおやすみ
ベストエピソード:第12話『魔王城の眠り姫』

ドタバタコメディアニメ最終話名物の、急ないい話…ではあるんだけど、魔物たちの人の良さを山と積んできたので、嘘になってないのよね。

魔王城でおやすみ:第12話『魔王城の眠り姫』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 とにもかくにも、よく出来た話だった。
傍若無人ながら魅力ある主人公が、睡眠ネタで魔王城を暴れまわる。散々無茶苦茶やりつつも可愛げで受け入れてしまい、キツめのしっぺ返しでバランスも取る。さっくり殺すことで、RPG特有の生死の軽さも弄れる。
そんな可愛い怪物とコミュニケーションを取り、また失敗する魔王城の面々はとにかく人が良く、個性的でチャーミングだ。出落ちに思われた睡眠ネタも、豊富なキャラの間をうまく転がすことで話が太っていき、色んな角度からヴァラエティ豊かなエピソードが生まれ続けた。
初期状態の強さを活かし、結構な変化球を随所に盛り込んで飽きさせなかった作りも良い。作画も芝居も破綻なく、勝負どころのクオリティは徹底的に仕上げて、作品を駆動させるのに必要な可愛いは最高品質のを潤沢に。
自作に何が必要か、常時見据えてしっかり作り上げた、宝石細工のような日常コメディだと思う。

可愛いだけだとそのうち飽きるが、シニカルで暴力的なスパイスを随所に効かせて、その上で交流の断絶がだんだん埋まっていくヒューマンドラマを潤滑油にすることで、やりたい放題が悪目立ちしすぎない。
このバランスを活かしながらキャラへの愛着と世界観の理解を耕して、終盤シリアス味と一繋がりのストーリーをしっかりと積み上げて、1クールを食べきった満足感を与える。そんな職人仕事と創造性のアマルガムを完成させる、この最終話の仕上がりは素晴らしい。
個別のネタや姫様可愛いだと別の話も良いのだが、僕はやっぱりこの作品の構成力に魅力を感じるので、点睛を狙い過たず射抜いたこの最終回をベストに挙げたい。ここに辿り着くように、凄まじい計算と労力を注ぎ込んで、『毎回おんなじことをやってて、気楽に見れるアニメ』を仕上げたのだと思う。

クセも引っかかりもなく、ただただ楽しい。見る側に労力を要求しない気楽な作品を、そのポテンシャルすべてを引き出して作り切ることは難しい。シリアスなドラマと起伏で、視聴者に楽しい疲れを与えるような作品と同じくらい……あるいはそれ以上に大変だと思う。
おそらく見た目より遥かに労作であるこの作品を、あくまで求められるパッケージに完璧に合わせて、可愛く気楽にシニカルに作り上げた力み。それを表に出さないプライドと仕上がり。そういうものを勝手に幻視しつつ、感謝を捧げたいと思う。
アニメに限らず、世に出る全てのものがそういう苦労の集積である。その力みと血を表に出さず、客に持ってもらう部分を極力削ることで生まれる凄みが、このアニメには確かにあった。しっかりと創られた、極めて良質な日常コメディ、メタファンタジー、ヒューマンドラマであった。
とても面白かったです。ありがとう。

 

ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN
ベストエピソード:第5話『クィーン・オブ・ネーデルラント』感想ツイートまとめ

そんな感じの、ペリ公エピソードである。 いやー…非常に良かったです。

ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN:第5話『クィーン・オブ・ネーデルラント』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 好きなんですよ、ペリーヌ・クロステルマンが。

第一期で真っ先に故国を開放し、執着の対象であるもっさんも隊を離れ、ペリーヌを描く燃料は正直少なかったと思う。静夏以外の501全員に言えることだけども、シリーズを重ね問題を克服していくうちに、課題と克服を繰り返すことで練磨される人格には棘が無くなっていって、物語が踊るスペースは減っていく。
それはコンテンツが長く続く宿命みたいなもんで、逆に言えばそれとどう向き合うかが”続く”ための必須事項だとも思う。RtBはそこら辺、非常にしっかりやってくれた。
成長をリセットして未熟な状態に戻し、あるいは成熟していたはずのキャラクターを荒々しい課題に巻き込んで話を作ることも……それこそ二期のようにやれたとは思うけども、RtBはそういう事をしなかった。
自分たちが作った物語、キャラに積み上げた体験と変化を認めた上で、まだ描ききっていない部分がどこにあるか、それでどんな起伏が作れるかを、1エピソード、1シーンずつしっかり積んでくれた。

これが単発で終わらず、シリーズ全体の構成の中で連動して活きるよう描いてくれたのも、また良かった。第4話でバルクホルンから受けた恩義を、第6話で返すシャーリーとか。第8話でサーニャが共鳴した故国奪還への思いを、最終決戦で活かす魅せ方とかね。
RtBだけでなく、一期二期劇場版と積んできた描写に呼応させて、キャラに”らしく”課題と向き合わせ、変化と継続をしっかり魅せてくれたのも良かった。
このエピソードでペリーヌが銃を握らないのが、僕は凄く好きだ。ガリア奪還後もそこかしこにくすぶる火種を必死に走り回り、貴族の誇りと対等な視線で”戦後”を闘ってきた彼女の闘争は、外交と園芸。
何かを”創る”強さの描き方は、”護る”宮藤、”奔る”シャーリー、”滾る”バルクホルンと、それぞれの個性を大事に見せ場を作ってくれた、RtBらしい個別エピソードだったと思う。ちょっと短期でお調子乗りなところが見えたのも、なんだか懐かしくて良かった。

『この三期の後に、501が描けるかな』という不安は、正直ある。今”ストライクウィッチーズ”が描くものとしては、最適解が出てきてしまったからこそ、これを越えていく仕上がりとまとまりは難しかろう、とも思う。
しかしこれだけ魅せてくれたのだから、皆で取り戻したベルリンの青い空にも良いものが広がっているのだと、やはり信じたくなる。信じてみたくなる力強さと賢明さ、上手さと熱量が同居した、素晴らしいアニメだったと思います。ありがとう、ROAD to BERLIN。

 

 

安達としまむら
ベストエピソード:第2話『安達クエスチョン』

相当変な作品だなコレ…好きだな。

安達としまむら:第2話『安達クエスチョン』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 僕にとって作品と出会う……あるいは出会い直すというのは、とても大事だ。『ああ、こういう話なんだ』という納得(あるいは誤解)が自分の中に生まれてくれないと、どうにも作品を嚥下していくことが出来ない。途中でつっかえて、腹に落ちてくれない。
なので積極的に噛み砕き『こういう話なのかな?』と、四方八方から勝手に触手を伸ばして、僕は作品をわかろうとする。自分の知識や努力が足りなくて作品に追いつけないこともあるし、なかなか自分を語ってくれないこともあるが、やはりそんな努力が形になってなんらか、自分の中に形が見えると嬉しいものだ。
基本的には最初に見つけた理解を土台に作品を呼んでいくし、それが裏切られることはあまりない。補強されたり、あるいは別角度から魅力が見えたりするが、挨拶が巧い作品とは最後まで上手く付き合える……事が多いと思う。

安達としまむら”は第1話から僕に向けてしっかり挨拶をしてくれる作品で、とても肌にあった。体育館の中二階、緑色の聖域の特別性と寒々冷えた感じを詩的に描き、そこでの出会いが運命であることをしっかり理解らせて、それが転がっていく話のだと教えてくれた。
ならその第一話をベストに選べばいいじゃん、という話でもなく。
その最初の挨拶が、どんどん変わっていって、どんどん新しい顔が好きになれたのが、このアニメと1クール付き合う中で面白いところなのだ。
第2話はこの作品の特徴である過剰なモノローグ、安達視点としまむら視点のすれ違いと答え合わせが、非常に元気な回である。二人が見据えているものは共通しているようでぜんぜん違うし、お互いの胸の中にあるものはさっぱり共有できていない。
しかしお互いを求め満たし合う特別性は確かにあって、それがあるからどんなトンチキが暴れようが、笑顔の奥に渇いた地獄を抱えていようが、それはそれでOKなのである。このバチバチ喧嘩し合う内面の発露が、僕としてはとても面白かった。自我の確立によって社会と摩擦する世界の中で、”私”を探す近代小説っぽいな、と思ったのだ。

その上で、”私”が観察する私自身もまったく信用ならなくて、小娘たちは自意識の中で捉えてる自分の形が凄まじくあやふやだ。アニメの中で描画されている、外に漏れ出している”私”と、自分が認識しモノローグする”私”は極めてズレている。語りが信用ならず、あり方が安定しない。
それがとても思春期の震えを上手く切り取っていて、良かったと思う。自分も世界も求めるものも、何もかもわからないまま突き進むしかなく、心身を苛む摩擦に鎧を作って自分を守り、あるいは距離を開けて逃避せざるを得ない時代。
そんな緑の聖域を共有した二人が、自分とも相手ともズレて、しかし繋がった視線と語り口で青春を転がしながら、二人だけの、私だけの答えを一個ずつ掴んでいく。何もかも普通ではなく、だけど圧倒的な真実を見つけていく。

『ああ、そういうアニメなのか』と、その形を再整形する体験はどんどん重なっていった。分かったと思ってたらとんでもない爆弾が降ってきて、知ってたはずのキャラを見直すことになった。そういう驚きと豊かさが、沢山あるアニメだった。
樽見の登場でしまむらがどれだけ安達を求めているか判ったときも、幼馴染との再開といういかにも”百合”的なイベントがむしろ二人の断絶を加速させたときも、クリスマスでもバレンタインでも間違えまくってる安達が結局、しまむらの真実を運命的に貫いたときも。
僕はこのアニメに出会い直し、しみじみと喜びを込めてその輪郭をスケッチし直した。そういう裏切りは、めったに無いしとても嬉しい。その一発目となったこの第二話が、やはりとても印象に残っている。
『ああ、こういうアニメなのか』と幾度も思わされると、作品を侮らなくて済む。謙虚に、油断なくアニメを見れる。そういう経緯を作品に抱いていたほうが、多分楽しくアニメは見れる。だからしっかり出逢って、幾度も出会い直せる作品は自分にとっても、作品としてもありがたい。
そういう事を再確認にさせてくれた意味でも、ありがたいアニメであった。

 

ご注文はうさぎですか? BLOOM
ベストエピソード:第7話『今夜は幽霊とだって踊り明かせる Halloween Night!』

このアニメは凄いです。凄いことを、凄いと誇らずにやっている

ご注文はうさぎですか? BLOOM:第7話『今夜は幽霊とだって踊り明かせる Halloween Night!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ごちうさ三期は、ごちうさ見ない人ほど見たほうが良いかな、と終わった今、思っている。
ノスタルジーに縛り付けられて動けない停滞や、辛い現実からの一瞬の麻酔を求めて美少女達の楽園に集う者たちの痛みを十全に飲み込みつつ、非常に野心的で、誠実で、精密なアニメーションであったと思う。
一人の少女が青春期に、何に悩み何を求めるか。母と死に別れた女の子が、何を掴んで生の方向に進んでいくのか。明るく楽しいいつもの””ごちうさ”を、半ば職人的に、半ば血潮の籠もった前のめりでしっかりと造りつつ、そういう問題に多角的に挑んでいる、凄いアニメだったと思う。
アニメが好きで、よく考えてみている人に、ちゃんと見て欲しいアニメだった。

そう堂々思えるようになったのは……正確に言えば薄々感づいていた”凄み”みたいなものを確信したのがこの話数だ。特にBパートの、死者の領分と生者の領域が交わり、祈りが託される物語の筆致と視線には、自分たちが描くキャラクターと世界への熱量と愛情、それを伝えるために何を描けば良いのか考え抜く知性が、色濃く滲んでいる。
下手くそマジックで腹部を殴打して始まるBLOOMの物語は、ココアさんが手品が上手くなっていく物語だ。それはこの折返しのエピソードで、物言わぬ亡霊から魔法を託されること……自分の代わりに愛娘の側にいつづける許しと祈りを受け取ることで、安定と加速を得ていく。
チノちゃんはココアさんの手品を見るたびに、一緒に笑って未来へと手を引いてもらうたびに、失った母親を取り戻していくのだと思う。それはひどく重たくて、だからこそずっと固く凍りついていた。それを掌から伝わる温もりで溶かした少女が、お姉さんぶりながら失われたものを取り戻していく。
死によって奪われた母は、直接的にチノちゃんの前へ現れることはない。だが愛を継ぐ代理人を見初めることで、死の床で願っていたよりも豊かに思いを花開かせることは出来る。ココアさんは何も知らないままそれを果たしたし、果たし続けるだろう。転がり続ける時の中で、時に離れ失われる宿命の只中にいても、喜びを見つけ伝えるだろう。

そんな奇跡の一つの実践、継承されていく思いのスケッチが、このエピソードにはある。あらゆる境界が不確かになるハロゥインだからこそ、伝え託せるもの。見知らぬ街で出逢った見知らぬ少女の笑顔を、自分に笑顔をくれた”姉”のように取り戻したいと思った女の子が、受け取るもの。
その不思議さを、そこに宿る切実さを、とても豊かな筆致でこのエピソードは描いている。亡霊譚、幻想譚としてとても質の良い、切なくて優しい筆使いがある。
そういうものを描けるアニメというのは、本当に凄くて大したアニメなのだ。それを何に恥じるでもなく、堂々と言いたい気持ちになったのがこの話数で、僕は感想の中でそう言い続けたつもりだ。
僕はごちうさが好きなんだと、それを堂々告げて良いのだと。
教えてくれたBLOOMは本当に優しくて強くて賢いアニメだった。それが判るエピソードである。

 

 

ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
ベストエピソード:第12話『花ひらく想い』

”個”というテーマが必ず扱うべき問題を、血潮と体温をしっかり宿して書ききり、憂いなく終わりを走り切る。

ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会:第12話『花ひらく想い』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 まず最初に。ベストエピソードは全部です。
掛け値なしにこれを言えるぐらい、あらゆる話数の仕上がりが図抜けていた。
自作の構成と”ラブライブ!”というコンテンツの文脈を、徹底的に俯瞰して何を描くべきか判断する視力の良さ。必要なものを適切なクオリティで実現する腕力。”個”というテーマにふさわしく、各キャラクターごとに適切な物語展開、モチーフ、演出を用意して全てを噛み合わせる技量。
全てが凄まじく高い水準で機能して、なおかつそのクオリティが大きなうねりの中でしっかりと連動している。その統一性が、個別のエピソードで彫り込まれるドラマ、キャラクターの魅力にしっかりと繋がっている。
圧倒的に強すぎる仕上がりで、全てのエピソードをしっかりと仕上げてくれた作品だった。毎回毎回最高値を更新した結果、どの話がベストか選ぶのは非常に迷う。個人的な推しは中須なので、彼女が最高だった第3話と第8話、物語の熱量と仕上がりが図抜けてる第8話、アモラルですらある情念が踊り狂う第11話、全てをまとめ上げる第13話と、選びたい話数が多すぎる。

その上でこの話数を選ぶのは、このアニメへの信頼と期待を第一話でしっかり創ってくれた歩夢の物語が完成することと、作品全体を貫通するテーマが豊かに花開くからだ。
歩夢の健気な夢、たった一人をあまりに強く求める思いから始まった物語は、様々な仲間を加えて広く”みんな”の物語へ変わっていく。様々な個性、様々な悩みを持つアイドルたちは、それぞれのやり方で青春に向き合い、仲間の助けを借りて自分の”好き”を掴んでいく。ステージから”好き”を広げていく。
その歩みと多様性が圧倒的に好ましいものとして視聴者(つうか僕)を殴りつけたあたりで、お出しされる二度目の歩夢エピソード。ここに至るまで丁寧に積み上げられ、可愛いネタだと油断されてきた独占欲と閉塞性が、薄暗い牙を剥いてくる。
そうやってここまで積み上げたものに背を向けたように見えて、歩夢は自分が夢に踏み出したこと、アイドルとして”みんな”と(”みんな”へ)やってきたことを忘れることは出来ない。とても優しく賢い子だから、自分が成し遂げ生み出してしまったもの、掴みたいと思ったものを見ぬふりは出来ない。

閉じた二人ぼっちと、開けた”みんな”。二つの夢の矛盾に挟まれた歩夢は、”個”と”みんな”の関係をずっと彫り込んできたこの作品が必ず問わなければいけないものに、力強く答えを出していく。私があなたを求めるから始まった物語が、”みんな”になれたから辿り着ける場所をちゃんと描ききる。
それが歩夢の優しさと青春を華々しく輝かせていると同時に、断絶がどんどん広がるこの時代にどう”みんな”でいるのか……閉塞へと進んでしまう思いをどんな風に”みんな”に繋げるかという、とても時代性のあるテーマへの答えになってるのが僕は好きだ。
企図したものかどうかは分からない(と書きつつ、半ば僕は確信しているのだけど)が、今この時代に”ラブライブ!”を問う物語は、凄くシリアスで今っぽいテーマにしっかり触れた。でかい話をするとき特有の身構えを感じさせないまま、凄く体温の高い青春の話として、”みんな”と”わたし”と”あなた”の物語を描ききった。
ここで問題の解決役、正しさに進み導く存在として描かれている侑ちゃんが、最終話では未来に震え悩む存在となり、歩夢の真っ直ぐな視線が、一人だけを見つめ……つつも、その熱量で”みんな”を見通してしまうアイドルとしての強さが導いていくのも、とても良い。

助けたものが助けられ、皆変わっていく中でそれぞれ、前に進む。バラバラな大好きを尊重しながら、僕らは一つの”みんな”に成り得る。
そういう正しさを、一人の少女、九人の少女、十人の少女、彼女たちが好きな数多の少女、それを見つめる本当にたくさんの存在みんなを視野に入れながら、ちゃんと描ききって伝えられるのは、とても凄いことだ。
アイドルたちの物語を始め、終わらせる役割を歩夢に担わせ、ここでしっかり”スクールアイドル”の物語を完成させておいて、最後の一話でそれを見つめ、支え、エールを受け取るファンの物語に拡大させていく手際含め、1クール全体の要として素晴らしいエピソードだ。
あとまぁ、歩夢がとにかく可愛い。微笑む姿も、悩む姿も、力強く前に進む姿も、焦がれ苦しむ姿も、その青春のすべてを愛らしいものとして書ききれているのは、とても偉い。
『メッチャ萌えれるのって、本当に凄いなぁ……』という、オタクとしてプリミティブな驚きと喜びが元気に蘇ったのも、有り難いアニメだった。好きだなぁ……。

 

アイドリッシュセブン Second BEAT!
ベストエピソード:第10話『期限切れ』

あ、千サンはBig Love特赦で無罪ッス。今まで散々言ってサーセンした。

アイドリッシュセブン Second BEAT!:第10話『期限切れ』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 コロナによる中断をはさみつつ、アイナナ二期が終わった。波乱万丈の人生模様を、一期に引き続き……さらなる強さで暴れさせてくれて、大変楽しい視聴となった。
アイナナの良い所はたくさんあるけども、アニメーション表現としてのシンプルな腕力が強い、というのがある。別所監督の目配せと熱意が随所に行き届いて、様々な場所に意味が埋め込まれて、情報量が多い。その食べさせ方もスマートで、画面が語っているものを読み間違えることが少ない。

ここら辺の映像表現が最も先鋭化するのがこのエピソードで、コンテ・演出のあおきえいが持つセンスが随所で暴れまわり、緊張感と鮮烈さが生き生きと暴れていた。第6話、第9話、第13話なども冴えるが、やハリこの話数が一番鋭いと思う。
後に大嵐を巻き起こすことになる環と壮五、理の複雑な距離感が駆動しだす話数でもあるし、その裏で蠢き続ける九条鷹匡の存在感もよく出てくる。
複数のキャラクター、複数のストーリーラインが複雑に絡み合いながら、その集大成となるステージのカタルシスで業を突破していくタメと開放のバランスもまた、アイナナの強さと言えよう。それを全身で心地よく浴びるためには、あまりにも美しいストレス描写が大事になる。

この回はそれが非常に冴えていて、心がシンドいから見ていたくないのに、思わず目を奪われてしまうようなカットが、宝石箱のように並んでいる。美麗なる残酷を浴びるように体験できる所も、アニナナと僕の波長が合うところである。
世界は残酷なものなので、良く出来た残酷は真実をえぐる。キレイな夢で目を曇らせ、都合のいい善良で瞳を閉じようとしても、消えてはなくならない真実。アイナナはアイドルを描く行為を通じてそれを掘り下げる物語なので、否定できないほどに美しい残酷さ、真摯な残酷さが持つ真実味をフィルムに焼き付けるのは大事になる。
そこら辺、一切怠けない作品であった。おかげで有り難い。

同時に闇の中に差し込む光の鮮烈もまた、忘れはしない作品である。第2期はなにより、ニューカマーとなったRe:valeの光と闇が作品を彩ってきた。
フレンドリーでアイナナ(に体重を乗っけている、僕ら視聴者)に優しい百をまず、必ず好きになる。優しくて笑顔がチャーミングで、こちらのことを真摯に心配してくれる。対して千は感情が読みにくく、大和にチクチク嫌味言うし、なんか奥が見えきらない感じもする。
結果、百が喉を封じられトップランナーの余裕がハゲるうちに、千の事が憎くなってくる。
『この野郎、百があんなに苦しんでるのに、何考えてんだ!』と。
それも製作者の掌の上で、不器用な彼が本当に二人目のパートナーを思う気持ちの強さ、失いたくないという願いが段々と判ってきて、千のこともまた好きになってくる。ここら辺の心理掌握が非常に上手くて、気持ちよくコロコロと踊らされた。

キャラを好きになるのは良いことで、彼らが演じる物語も、その舞台となる作品世界も好きになれる。千がどれだけ百を愛しているか、、その不器用で真摯な”本気”が見えてくるこの話数で、僕は彼に謝ることにした。そういうふうに気持ちよく誘導されたことを認めつつ、彼の思いを信じきれなかった自分を恥じた。
そして、その思いは届ききらない。どれだけ思われても、頭でわかっていても動かない喉。人魚姫の呪いを解く魔法には、まだまだ足りない。残酷はその色彩を、嘘の無さをどんどん増して、力強く画面を荒れ狂っていく。
緩まねぇな。
見ながら、そう思った。だから信頼できた。徹底的に試練を与え抜いて、だからこそ描ける嘘のない輝きを、アイドルがアイドルでいる理由を焼き付ける。そういうつもりでアニメを作っているのだと、よく判った。
そう思える、思わせてくれる作品と話数というのは、そうそう無い。三期もまた緩みなく、残酷なる美麗で僕を踊らせてくれるだろう。毎週のキリキリ舞いが、今から楽しみだ。

 

 

・A3! SEASON AUTUMN & WINTER
ベストエピソード:第18話『バッドボーイ・ポートレイト 』

そして、最後にブッ込んできたからよ…”さきょいづ”をよ…。

A3! SEASON AUTUMN & WINTER:第18話『バッドボーイ・ポートレイト 』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 ってところを抜いたけど、それだけでは当然なく。俺をカプ厨を見る目で見るなッ!!

エーアニは画面からもいろんな苦労が透けてるアニメで、しかしそれが可愛げ以上の腕力を持ち得たのは、演出の強さだったと思う。キャラクターが向き合う辛さや喜びが、しっかりと伝わる色彩、レイアウト、タイミング。アニメーション独自の表現力が強かったからこそ、作品が言いたいことが伝わり、共鳴と同調が生まれていく。
左京さんの闇といづみちゃんの光が工作するこのシーンは、そんなエーアニの表現力が一番濃く出た部分だと思う。夢に背を向け、人生を回り道した後悔。それに上からの正しさではなく、自分も負けてる側だからこそ隣に寄り添える朗らかさ。真っ直ぐ前を見て、物語とキャラクターを引っ張ってくれる力強さ。
いづみちゃんが主人公だったから、このお話は力強く前に進めた。多彩な……多彩すぎて色んな難もあるイケメンたちが演劇に出会い、演劇を通じてお互いに向き合い、他人と触れ合い変わっていく。そんな物語の舳先に立ち、自分自身も失ったものを取り戻していく一年の主役は、間違いなく彼女だった。
そんな彼女の強さと輝きが、初めての出会いからずっと惹かれ続ける左京さんの影を照らすことで強く見えるこのシーンが、僕は凄く好きだ。秋組は左京さんを反射板に、ここまであまり薫らなかった爽やかなロマンスが上手く立ち上って、とても良かった。真澄も恋がキャラの真ん中にあるんだが、一方通行のきらいがあるからな……。

同時にこのエピソードは秋組の千秋楽でもあり、ぶつかり合いながらそれぞれの後悔をさらけ出し、共有し、突き進んでいく悪童達の集大成だ。それを描くのに十分な達成感がこの舞台にはあり、演じればこそ生まれていくもの、演技の魔力からもう抜け出せない男たちの顔が、輝いて見える。
あんだけ傲慢な独善にあぐらをかいていた万里が、他人をよく見れる知性を団員のために活かし、周りをよく見ながら最高の芝居をするのが良い。
不格好な決意を抱えて突き進んできた十座が、役を表現しきる器用さを手に入れたのが良い。
失った夢の代用品と芝居に飛び込んだ臣が、今ここにある舞台を自分だけの居場所と認めるのが良い。
自分のちっぽけさを仲間に受け止めてもらって、大好きな芝居へもう一度歩き直している太一が良い。
ポートレートという道具立てで、それぞれの後悔と足踏みを客観視……しつつ、演じる主体として引き受け、変わっていく芝居の面白さを掘り下げる。秋組が歩んできた道のりが、見事に凝集したラストエピソードだった。

この真っ直ぐな力強さは、春にも夏にも共有されていて、冬にはないものだ。なかなか融けない雪のように、冬組の物語は”いつか”を祈りながら、じっくりと芝居に、同じ組の仲間に向き合い進んでいく。それは最初の公演だけで全てを終わらせきらず、むしろ始まらせもしない。
その方向転換には正直戸惑ったが、ジワジワと冬組の特異生が描きたいもの、ファンタジックな道具立てを借りないと動かないものが自分の中で居場所を見つけ、最後にストンと落ちてくれた。第24話とどちらをベストに選ぶかは、とても迷った。
秋組のストレートなわかり易さ、力強さと、冬組の屈折した変化球。その両方が一つの舞台に収まってるのが、人数が沢山いるA3! の面白さかな、とも思う。『どっちも面白かったな…』と、終わってみると思えるのはありがたいし、嬉しいことだ。
芝居に出会い取り憑かれ、Addictした彼らが次の舞台で何を演じるのか。何に悩み、何に挑むかを知りたい気持ちはある。未解決のネタ、スゲー沢山あるからな…。しかし2クール終わった今は、強い逆風の中それでも、作品の魅力を伝えようと必死になってくれた製作者全てに感謝して、『いい舞台、いいアニメだった』と言いたい。面白かったです。

 

 

・アサルトリリィ BOUQUET
感想ツイートまとめ:第5話『ヒスイカズラ JADE VINE

そういうオタク記号においても可愛いけど、美鈴様の面影を柔らかく思い出しつつ、掴み取れなかった姉妹の平穏な幸福に一歩ずつ寄り添っていく歩みが、非常に暖かかった。 こういう話をされると困るんだよな…好きになっちゃうから。

アサルトリリィ BOUQUET:第5話『ヒスイカズラ JADE VINE』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

シリーズもののアニメ見るのは、変化球打つのに似てると思う。(予測行為全般に言えて、アニメに限らないけど)
変化球は変化を見てからバットを振っても間に合わないので、バッターは出だしで予測を付けて……あるいは配球を読んで当てに行く。アニメ視聴者も放送前のスタッフリストから、テザービジュアルから、予告PVから、あるいは放送された序盤から『この作品はこういう曲がり方をして、こういう収まり方をする』という予測を立てる。少なくとも、僕はそうだ。
それは当然、実際の球とは違う所に飛んでくるわけで、バッターボックスに立ってから微調整したり、あるいは思い込みを捨てて目の前のものから再構築したり、色々やってバットに当てようとする。その対話が面白かったりもする。

出だしから変な言い回しになったが、この5話は僕にとっての絶好球、ホームラン級に打ち返せる好みの球だった。
三話まで見せていた辛い表情を超えて、出逢った妹の誕生日のために自分の足でラムネを探す夢結様。世の中のことがよく解らなくて、でも守りたいからリリィで在ることを辛くても止めれなくて、そんな彼女が過去の軛から開放され、ようやく進みだした第一歩。
それは学園を超えて電車に乗り、梨璃の故郷まで進んでいく。自分と姉が命を賭して守った場所で、出会う人は傷ついた世界でなお、人であろうともがいている。そんな”リリィではないが善良な世界”と触れ合いつつ、夢結様の善意は収まるべき場所へと収まっていく。
それこそラムネのように、甘くて喉越しが良い短編である。リリィ達が檻の中で過ごす生活にも馴染みが出てきて、そろそろ広い世界の空気が吸いたいという頃合いで出されたのも、なかなか良かった。

その球の残影が、余計なイメージになったのかな、という気持ちもある。『夢結と梨璃の関係に絞った』と、監督が明言している物語は六話での慟哭と抱擁、七話以降の邂逅と死別を経て、超えたはずの暗い闇に戻っていく。
『三回も美鈴様の話しなくてもいいじゃん』とは思うが、同時に引き抜いては突き刺さる死の痛み、異能に翻弄されるリリィの宿命は作品にとって簡単には終わらないもので、だからこそ繰り返し、また変奏したのだと思う。
この話数で夢結様が見せた純朴な善良さ、その次で見せる解けない呪い。そういうものを受け止める覚悟を示した梨璃の思い。間に結梨ちゃんの死を挟んで、亡霊はもう一度顔を出す。夢結梨璃ラブラブ天驚拳も、通算4回打つ。個人的には、流石に多い。

ならこの話数で見たものが、否定されるべき幻であったかというと、そんなことはないと思う。夢結様の幼い無垢は元々あったもので、それが美鈴様の死と妄執によって歪み、梨璃との出会いで変化(あるいは再生)し……きれず、幾度も呪いにとらわれていく。
過去を超越したように見えて幾度もウジウジと、亡霊に取り憑かれて苦しむ夢結様を見てるのは、瞳の奥にここでの汗と笑顔が焼き付いてるから、とても辛かった。終わっているのだから、何度もやらんでくれ、と思った。
しかしその『終わっているのだから』が視聴者サイドの勝手な思い込みで、製作者が見せたいものとズレているのだ、と気づいたのは…気づいていたものが腑に落ちていったのは、最終回を見終えて少し過ぎたくらいだ。
結梨ちゃんが生きる理由をたくさん書いて彼女を好きにした上で、彼女が死ななければいけない理由を書き足りないと思って、僕はこの作品の受け取り方が解らなくなった。それでも見続けたのは、この話数で描かれたもの、この話数以外で積み上げられたものが、やはり楽しかったからだ。

そんな風に捻挫した関係性を抱えて、最後の三話を見終えた。勝手に思い込んでグキッと捻った患部を撫でさすり、ジンジン痛む納得できなさをキーボードで刻みながら、感想を書く行為を杖のようにして見た。
見終えてよかったと思う。チャーミングで、詩情豊かで、誠実な作品だった。しっくりこない部分が個人差なのか、普遍的に気持ちいい構造からズレているからなのかは、なかなか判別できない。でも、幾重にもリフレインする甘い死の誘いを超えて生まれ直した二人を、もう一度みたいな、という気持ちになれた。
勝手に気楽にアニメを見る側だが、なんだかんだアニメを見通すのは大変だ。心揺さぶられ、期待と予測を込めればこそ、なんだか噛み合わない時もたまには在る。そんな時、こうして思いを文字にしていく行為は、自分が何を受け取ったのか思い出せる、大事な鏡になる。
そんな事を思い出させてくれる、なかなか得難い視聴だった。この第5話のムードが、いつか来るかもしれない二期でも元気だと、僕は嬉しい。

 

・D4DJ First Mix
ベストエピソード:第8話『Dear Friend』

ライバルユニットが尊敬できる奴らだとしっかり判るし、DJ同志の不思議な縁も生まれる。 『興味ない』ってクールぶってたしのぶが、実は熱くハピアラに繋がってくれるという発見もある。

D4DJ First Mix:第8話『Dear Friend』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 一ヶ月遅れで始まったD4DJのアニメは、さっぱりどんな感じになるのか判らないアニメだった。事前情報がなさすぎて、一体誰がどんなものを作るのか、海の物とも山の物ともつかぬスタートで突きつけられたのは『このアニメ、結構良いぞ……』という実感だった。
僕は自分たちが何作ってるか自覚的なアニメが好きだし、その認識を上手くコントロールできていればなおのことだ。このアニメはどんなスケールで、どんなキャラクターに何をさせるかが非常に鮮明で、なおかつ的確だったと思う。
DJ活動に出会うことで、りんく達の青春がどんな輝きを手に入れていくのか。そうして出会った仲間とのつながりが、どんな風に膨らんでいくのか。その途中で、何に悩み何を越えていくのか。目指す先にあるものはなにか。
前半どっしり腰を落として、オリジナリティのある笑いを交えつつ、しっかり時間を使ってメインユニットを彫り込む。出会いと再会が綺羅星のように輝き、ちょっと面倒くさい部分も含め少女たちの表情を切り取り、組み合わせて描く。
最新型の超効率型コンテンツアニメの、切れ味良い手際ともまたちょっと違った、少し懐かしく、しかし十分以上の手応えを持った話運び。あえてゆっくり、しかし的確に物語を積んでいくことで、後の広がりを保証していく構成。

それが生き出すのが後半で、Peaky P-keyもPhoton Maidenも、どんな子達なのかよく判る物語を積んでくれた。勝負論を作品に盛り込んだ以上”敗者”でしかないはずのPhoton Maidenに、一話使ってしっかり報いる第11話は,非常にこの作品らしい名エピソードだ。第3話や第6話、第12話、第13話とベストは迷った。
その上でこの話数を選ぶのは、『追うべき頂点であるPeaky P-keyも現在進行系でどんどん変わっていって、だからこそ頂点なのだ』という主張が、この話でのしのぶの描き方、彼女が受け止める真秀の描写からしっかり見えるからだ。
王者にも始まりの季節があり、そこで繋いだ思いと意地がある。だから同じ輝きを持つ若造を黙ってみていられないし、心動かされ手を差し伸べもする。そうして背筋を正されることで、才に優れた……だからこそ隣に並び立ちたい友達にも追いつける。
真秀の独り相撲にもなりかねないネタなのだが、知性に優れればこそ周りを見すぎてしまう彼女の資質を描きつつ、そこからどう這い出し、追いついていくかをしっかり描いてくれた。

これは全話に言えるのだが、悩みが曲作りとシンクロしながら転がり、到達点は常に歌として示されていくのが良かった。アーティストの話、DJという生き方の物語なので、グジグジした悩みの突破口が軒並み”歌”なのは、統一感がでてよかった。
歌を追えばこそ、ユニットや年齢、実力が違っても通じ会える。立ち位置に驕らず、地道な努力を積み重ねてさらなる進歩を目指す。それも、胸を焼くあの時の思い出があればこそ。
しのぶの描写を通じて、ラスボスとなるPeaky P-keyの”格”がぐんと上がったのも良い。やっぱ尊敬できる強敵の背中を追う物語は、作品に強い熱を入れる。
そんな勝負論によりかかりすぎず、尊敬できる友達とどう出会い、追いついていくかという、普遍的な青春物語を色んな角度から、丁寧に照らしてくれたのも良い。ジュブナイルとして、音楽の物語として、女と女の感情のストーリーとして、非常に適切で熱量と創造性のある物語を、揺るぎなく仕上げてくれた。
とても良いアニメだった。ありがとう。2nd Mixマジで待ってます。